ウイズ日光 With NIKKO 2月自覚時「 KANKE GRAND 日光 」

 

 

「 With NIKKO 」ウイズ日光

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

” 大自然の命は待っている ”


~ 従来はそうでなかった日光での物事を始める ~

 

 

2月自覚時
「 とびっきりの自分を 」
” 自覚 ” とは・・・・・

間のあらゆるものの根源は心というもので言い表すことができ、心を離れては何も無く心が歪むめば全てが歪み、人の気持ちであっても心の持ち方ひとつで変わる。

脳の振る舞いが脳の能力であるならば心の振る舞いも心の能力であり、考え方だけではなく心の持ち方の習慣ひとつで行動の結果は良きにつけ悪しきにつけ大きく変わってゆく。

あまり理屈ばかりで最初は勢いよく盛んで大きかったものが、実行力が伴わないので最後の方ですっかり勢いをなくし、終わりの方に近づくにつれて段々と弱まり小さくなる。
知識や情報など見聞きした経験による知見だけが先走って、実践や行動などが伴わない ” 頭でっかち ” では心許ない。

人は自らの意志により自分の意図する活動にあくまでも忠実に止まることを知らず、自身の筋立てが一体どのように結果である成り行きになるのかを自分自身でも決して知らないということだ。
心で脳は変わらない、脳で心は変えられない。
自らを推し量り知ることはできない脳や心のうちは、自分の理解が及ばない他者にはわからない。

人は ” 気儘 ” と ” 奇想 ” というものを履き違えているのであり、人は生まれて此方もとより脳を意識せずに世にも妙なる生りをしているのに、そもそも脳や心の思い込みに惑わされ身過ぎ世過ぎの口過ぎ手立てを取り違えているが、都合がいいことに忘却の彼方にある。

脳による行動選択という欲望と恐怖の発生消滅に際し、心の不安や葛藤にまったく遭遇しないわけにはいかないはずである。
知能は頭をやつれさせても脳トレによって活性化できるが、精神が胸をやつれさせた心トレによっては活性化できるかは、雑念をはらって心を一つに集め( 抖擻 )” 通常とは違う意識状態に「 自覚 」的に切り替える ” 心の能力トレーニング次第である。

はじめのうちは調子が良かったなのに最後になって全然まるっきり振るわない期待外れの結果に終わりそうな ” 尻つぼみ ” になりかけても、ターニングポイントして意識する心のちょっとした些細なことで解決可能か不可能かの変わり目状況となる場合もあるので、日常の掛け合わせに「 心も能力のうち 」であることを心して忘れずに。

 

 

KANKE GRAND 日光「 音楽教室|森の茶屋・菅家亭| 創作工房 」
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「 とびっきりの自分を 」
~ ” 自覚 ” とは・・・・・ ~

 

 

趣意 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

「 KANKE GRAND 日光 」
→ 基本的考え方 : With NIKKO ウイズ日光

 

編首 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

「 KANKE GRAND 日光 」
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「 KANKE GRAND 日光 」
” 大自然の命は待っている ”
〜 従来はそうでなかった日光での物事を始める 〜

KANKE GRAND 日光「 音楽教室 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
「 音楽教室 」
” 大自然の風を聴き ”
〜 心を歌い音楽を奏でよう 〜

KANKE GRAND 日光「 森の茶屋・菅家亭 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
「 森の茶屋・菅家亭 」
” 大自然の佳を嗜み ”
〜 食彩を求め旬を味わおう 〜

KANKE GRAND 日光「 創作工房 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
「 創作教室 」
” 大自然の光を感じ ”
〜 着想を得て生面を拓こう 〜

 

 

お問い合わせ
TEL:0288-25-7388
メール → KANKE GRAND 日光

 

 

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ウイズ日光 With NIKKO 1月首途時「 KANKE GRAND 日光 」

 

 

「 With NIKKO 」ウイズ日光

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

” 大自然の命は待っている ”


~ 従来はそうでなかった日光での物事を始める ~

 

 

1月首途時
「 新しい自分を 」
” 覇気 ” とは・・・・・

目出度松色多にて盡己竢成、めでたい先々への物事に積極的に取り組もうとする意気込みや強い意志である覇気( = 抱負 )をもって目的・目標に狙いを定める首途時( かどでどき )。

特別なハレの日に ” めでたさ ” を思い感じたり、めでたしと思って ” めでたい ” としたりすることは、他の筋道を顧みるならば消極的な姿勢や自信の無さが一切見られない ー 覇気 ー なのである。
そうでなければ、皮肉にも自らが単なる ” おめでたいお人好し ” だということになりかねない。

ある物事が ” めでたい ” ということは、単に喜び祝う喜ばしいだけではなく、ー 覇気 ー があるということであり、その ” めでたい ” 行く末に自らを賞美する価値がある見事さを求めることである。
自ら ” めでたい ” とするならば、そう思ったその将来先の物事に対して自ずと積極的に取り組もうとする意気込みや強い意志が自らにあるということであって、覇気と実力は ー 抱負 ー となって具現化されることになる。

実践的な意志が選んで立てた行為( 行動や活動など )が手段となる「 目的( 実現しようして目指す事柄や目指すところの目当て )」とともに、それよりも一段と具体化された目当てとして物事を成し遂げ行き着くための目印や行動を進めるにあたって実現・達成を目指す水準( レベル )及び行動や活動などが目指している最終的な結果( ゴール )である「 目標 」。

人には、物事に積極的に立ち向かおうとする意気や取り組もうとする意気込みが必要であり、物事に対して関心が低くなるのはいけない。
全ての人に潜在する意志の力 ー 覇気 ー があるということは目標を持つということであり、心の中に抱いている決意や志望と計画など ー 抱負 ー 。
人は、その目標と目標を達成するためのプロセスでもある覇気( = 抱負 ) により具体的な行動を考えることができ、全ての人が目標に向かって計画を立てることができる。

負うから転じて心に頼みにする思いを抱く抱負、動機があっても衝動であっても人は生きている限り目的や目標を持つのにキリがない。
野望か希望か願望か、はてまた野心か抱負か大志か、心と認識との出発は尽己竢成( 己を尽して成るを竢つ )。
全ての人は、何事も自分の全精力を尽して努力した上で、成功や成就を期待するべきである。
「 盡己竢成( じんきしせい )」今日を捨身の門出、” 新しい自分をはじめる ” 意を決したる「 首途 」を祝って。

 

 

KANKE GRAND 日光「 音楽教室|森の茶屋・菅家亭| 創作工房 」
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「 新しい自分を 」
~ ” 覇気 ” とは・・・・・ ~

 

 

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「 KANKE GRAND 日光 」
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” 大自然の命は待っている ”
〜 従来はそうでなかった日光での物事を始める 〜

KANKE GRAND 日光「 音楽教室 」
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「 音楽教室 」
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ウイズ日光 With NIKKO 12月支度時「 KANKE GRAND 日光 」

 

 

「 With NIKKO 」ウイズ日光

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

” 大自然の命は待っている ”


~ 従来はそうでなかった日光での物事を始める ~

 

 

12月支度時
「 自分のための 」
” 無事 ” とは・・・・・

看々臘月尽にて無事是貴人、得てして外に求める心があるうちは無事ではなく、放てば手に満つる求心歇む処が無事として、探し求める心がおさまれば無事安泰。

幾度となく極まる年の瀬( 極月:ごくげつ )、あらかじめ見通しを立て見当づける支度時( したくどき )。
歳月不待人、時が経つのは惜しいが時の流れは人を待ってはくれない。
それなのに人は脇道に逸れて急かせかと、何かと事物( 物事 )を目当てに外を求めて憶測を加える。
今年も残り僅かであり、看々とよくよく見れば時間はみるみるうちに過ぎ去ってしまい、人生もあっという間に終わってしまう。
ついつい思い込みに惑わされて難しいことや面倒なことなどを後回しにしがちだが、外に求めてウロウロしたり感じただけでボンヤリと生きずに自らの光を外に照らし向けて自分と向き合ってみるがいい。

ー 夏に遊んで冬に学べ 夏歌う者は冬に泣く 夏は日向を行き冬は日陰を歩け ー 、そんな話しは時代の変遷や気候変動に伴う極度な世の中の様変わりや極端な暑さ寒さで話しにならない。
このような状況であるからして、人が感じ取る自らの感情や感覚と感性による「 必要な自分 」の思慮深さというものに加え心の能力と考え合わす能力などを捉え直すのもいいだろう。
自らが関わる様々な状況や物事において「自分である」ことに必要な「自分のための」の支度( したく )である。

物事に感じて起こる心の働きである’ ‘ 感情 ” 。
外界の刺激を感じる働きと生じ起こる意識や感じ取る心の働きと感じ取る精神の働きや心構え・雰囲気・気分などである ” 感覚 ” 。
物事の印象や性質などを感覚的または直感できに把握する能力や心の動きである ” 感性 ”。
心の動きや働きによる感じ方もあれば、精神的な感じ方もあり、思慮によらないで表面的な感じ方もある。
この ” 感情や感覚と感性 ” は、自分の内面に受けて発せられた「 自らの内なる情報 」なのであり、ある状況に関する判断に変化をもたらす( 必要な)自分の内面に感受し発現した「 自らの知識( 物事のやり方や技術 )」である。
ある状況を見てそれと知り認め見て取ることは、見ただけで事情を感じ取り見抜くことであって、その状況の現実と感受性とのやり取りは、「 自分の内なる情報交換 」ということになる。
脳の振る舞いや心の振る舞いと同じく ” 感情や感覚と感性 ” はある状況の判断・推定の拠り所となる資料として捉えるべきであり、自らの取り扱いは感じた一つ一つ自ら組み立てながら注意深く心を働かせて脳で考え、様々な要素や事情や状況などを加味して総合的に考え合わせる必要ということである。
そうでなければ、” 感情や感覚と感性 ” というものは意味がなく役に立たなくなってしまい、ただ感じただけでは( 感覚でものを言うように思慮によらないで表面的な感じ方をする )感じ取った感受的な心的事実にすぎないことに成り果て、感じたのに無意味で空しい。
役に立たないどころか、感情的になったり感覚でものを言ったり感性を表現しきれずに印象やニュアンスだけとなったりして、ある状況におかれた物事のそれ自体( 事態 )が立たなくなり、ただ感じただけでは中身が伴わない( 中身が薄い )ので話しにならなず論外なのである。

歳末が近づくと、この一年間は無事安泰に暮らせたという喜びと感謝の念を表わすとともに、忙しい師走といえども自らを乱すことなく無事に来る新年を迎えられるようにと願い祈る。
有事人生として良きにつけ悪しきにつけ何でも生じ起こり得るといった ” 事が有るのが人生 ” 。
無事は大事に至らずに済んで事無きを得るということだが、何かは起こるけれども何事もなく普段と変わりのないように過ごせる境地も無事。
このような境地に立ち到れば、もっとも性急なる思いや感情も湧かずに、ましてや ” 自分の理屈 ” も出やしまい。
~ 但だ造作すること莫かれ 祇だ是れ平常なれ ~ とする無事は、難しいや面倒くさいの反対である「 造作なく 」当然のこととして当然にやることが平常であって無事というわけである。
たとえどのような境涯に置かれようとも、物事( 又は人生 )を在るが儘に受け取り( 受け止め )全てを造作なく対応・処置などしてゆくことができる心延えにより ” 無事底 ” の一人で自らがありたいものだ。
外に向かって求める「 馳求心( ちぐしん )」をすっかり捨て切った爽やかな境涯( きょうがい )が自分を待っているのであり、自己の外に何も求めず無事であれということである。
自分のために生き生きと輝く本当の自分を発見するには、求める心がある ” はからい ” など微塵なく捨て去り、何の計らいも無く自然法爾に徹し、造作なく素直に無事の用意や準備が大事なのである。

人間は頑是無い( がんぜない )子供心を抱く幼い頃から「 ” 自分をわかってほしい ” という心理 」を持って成長しつつ大人になっても求める心のうちに「 ” 自分をわかってほしい ” という願望 」を抱き続ける。
だがしかし ” 皆誰かにわかってもらえているからこそ自分は世界( 社会的生活 )に受け入れられている ” といった経験や感覚を人生の早いうちに周辺環境や周りの人から培って十分獲得しておくべきであり、” わかってもらいたい 認めてもらいたい ” といった思いを強く残さない方が身のためだろう。
往々にして有る性急なる思いや感情が沸き ” 自分の理屈 ” に立ち到る対立や一致せずに相容れないという相反する反抗
により、成り立たせる物事の焦点を見失い毀つ目前にして、他者から受け入れられることの受容と他者と感情を共有することの共感などに手間取って無理に辻褄合わせた末、更に心残り( 不満材料 )となる。
そのような無益な諍いの ” 自分の無駄 ” であるよりも、外に向かって求める「 馳求心( ちぐしん )」をすっかり捨て切った爽やかな境涯( きょうがい )が自分を待っているのであり、あくまでも自らの関わる個々の事物( 物事 )に即している具体的な「 自分のため 」の手立てと洞察力、そして自らの新たな経験と感覚を通して得られるスキルの付与を重視して自らに添え持つべきなのである。
自らに付与すべきスキルは「 ” 自分のため ” の ~ 調子( リズム )・作法( ルール)・表現( ディピクト )~ 」だといえば、皆誰も大凡見当がつくのではないだろうか。
自らのリズムとして物事を進行するリズムの流れである調子や自らのルールとして仕来りである作法と自らの内面的なものの客観化という描写である表現。
それらの枠組みである基本のカタ( 形・型 )を守りつつも、自分の信念に基づいて妥協なく徹底して追求した「 自分のため 」を加味すれば、自分( 人生 )の楽しく面白い( 味わい )が生まれてくる。
ー えらせん ー 他者があって自分なのか 自分があって他者なのか、どちらにしても常に自分の心をキャッチして「 ” 自分である ” ことの用意( 準備 )」が必要であり、つまりは他者次第ではなく自分次第なのである。

半ば周囲の環境や周りの人に流されつつ思い込みに惑わされ、回り道で封じ込められた「 自分のための」に活発さと躍動をもたらす。
自らの光を外に照らし向けて自分と向き合い、自分を生きる生き方( 人生 )を知って楽しむ自分らしくあること。

自分を生きる可能性はこんなものではないと、きっと自分らしさは想うはず。

自分らしさが想って、自分を生きる自由の可能性を ” 自分で規定 ” していく自由を自ら目がける。
「 ” 自分のため ” の手立てや洞察力と自らの新たな経験と感覚を通して得られるスキルの付与 」を重視した自分( 人生 )の楽しく面白い( 味わい )。
自らの ” 無事 ” を知る新しい自分の心延え( こころばえ )「 自分である 」ことの自分らしさへの近道。
自分の楽しい面白いは自分次第であり、お楽しみはこれからだ。

 

 

KANKE GRAND 日光「 音楽教室 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 12月支度時
「 自分のための 」
~ 調子( リズム )” とは・・・・・ ~

KANKE GRAND 日光「 森の茶屋・菅家亭 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 12月支度時
「 自分のための 」
~ 作法( ルール )” とは・・・・・ ~

KANKE GRAND 日光「 創作工房 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 12月支度時
「 自分のための 」
~ ” 表現( ディピクト )” とは・・・・・ ~

 

 

趣意 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

「 KANKE GRAND 日光 」
→ 基本的考え方 : With NIKKO ウイズ日光

 

編首 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

「 KANKE GRAND 日光 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
「 KANKE GRAND 日光 」
” 大自然の命は待っている ”
〜 従来はそうでなかった日光での物事を始める 〜

KANKE GRAND 日光「 音楽教室 」
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「 音楽教室 」
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〜 心を歌い音楽を奏でよう 〜

KANKE GRAND 日光「 森の茶屋・菅家亭 」
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「 森の茶屋・菅家亭 」
” 大自然の佳を嗜み ”
〜 食彩を求め旬を味わおう 〜

KANKE GRAND 日光「 創作工房 」
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” 大自然の光を感じ ”
〜 着想を得て生面を拓こう 〜

 

 

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ウイズ日光 With NIKKO 11月収穫時「 KANKE GRAND 日光 」

 

 

「 With NIKKO 」ウイズ日光

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

” 大自然の命は待っている ”


~ 従来はそうでなかった日光での物事を始める ~

 

 

11月収穫時《 PART – II 》
「 心の組み換え 」
” チャンス ” とは・・・・・

経霜楓葉紅にて紅葉山川満、目一杯の錦秋にいっそう鮮やに映えるのは、骨に徹するほどの様々な労苦を経験し耐え凌ぎ初めて成し遂げる強さ。

実を結ぶ稔りの秋、穫り入れ時( どき )。

運や偶然性による適当な時期として単に好機の出来事のみならず、自らの ” 才能と運と能力 ” により自分を生きる自由の可能性を ” 自分で規定 ” していく自由を目がける自らに対する振る舞い「 自分を生きる自由の可能性の機会であるチャンス 」は実りに変える収穫のひとつとしてとして生かすべきである。

あることから得た成果として物事が次第に移り変わってゆく成り行きである結果、そこで得たものを見逃すわけにはいかない。

ある程度の成果は現状でも出ているのだとしても、その先その上を目指して取り入れ取り込むに越したことはない「 チャンス 」ならば、これこそまたとない絶好の収穫だとした方が良いだろう。

このような収穫であるチャンスをどのように判断( 是非の問いや成功の確率などを思い惑い迷って見当 )するかどうかよりも前に、先立って持ち方次第である自らの意識を変えることである。
それは、目の前にある出来事に対する ” 気づき ” をもたらしてチャンスへと変えることができる習慣を身につけるにとどまらず、来るまで待たずしてチャンスを自ら生み出し作ることができるかどうかだ。
ー 自分を生きる自由の可能性の機会として巡り合ったもの( 収穫 )を価値ある自らの成果( 実り )に変えられる ー かどうかは、人それぞれの「 思惑 」にあって自分次第なのである。
~ 白玉( 真珠 )は人に知らえず 知らずともよし 知らずとも 我し知れらば 知らずともよし ~ 。
自分の価値は世間に知られなくても自分さえ知っていればよいのであって自分の価値は自ら決めるのだとしても、それはあまりにも真しやかであり、” 人知れず努力している ” ことを人は誰でもいいからわかってほしいものである。

つるべ落としで始まる秋の夜長・・・・・。
現代人のメンタルな在り方の本質的な特徴であるモダニティーという現代性を探ってみるとよい。
そこにあるのは ” ストレス ” であり、自らの脳の過剰な振る舞いや心の過剰な振る舞いをもたらしていることがわかるはずである。
それが自分を作り上げてゆく人の生く全てを邪魔して不調にしていることが見て取れるだけではない。
その ” ストレス ” は、自分を生きる自由の可能性の機会として価値あるものに変えられるチャンスを見逃したりチャンスを作ることさえも妨げて遮っているのである。
” ストレス ” は、人の生く全てを邪魔する。
皆誰もが持つ ” ストレス ” による気疲れや気苦労である心労や心痛は、人の安定した状態にある落ち着きを取り乱したりさせる。
そうして、人は自分を生きる自由の可能性の機会であるチャンスを見逃したり、人の思惑( しわく:思い迷う修惑 )の煩悩を断ち切らさせず、人の思惑( おもわく:あらかじめの考えや意図と見込み )の望みを失わさせる。

自覚的に自らが選び取ることができない歪められ失いがちの 〜 物語としての自分 〜 のそれ自体( 自身 )が、自ずと ” 更なるストレス ” を生み出すことにもつながる。
至極当たり前のように皆誰もが常に負っている ” ストレス ” 。
人間が自らの「 自分である 」ことの意味を明確にしたとしても、それについて自ら理解・把握した確固たる自覚の上に生活をおくり現代を生きることの大きな難しさは、ストレスによるものだと言い切っても決して過言ではないだろう。
本当の自分を使いこなす ” 自分を生きる ” 生き方の意味、或いは「 自分である 」ことの意味を探し求め、ひとり一人それぞれの仕方で 〜 自分の物語 〜 を創りあげていかなればならない。
そのために先ずは、逆に自分の ” ストレスの全容 ” を明確にて自ら理解・把握し、確固たる自覚の上にメンタルな在り方に意識を向けることである。

先ずは、先入観を排除して自らが置かれた問題を分析・総合し、自分のストレス全体を再確認することであり、日々の生活の中でその行動ごとに自らを取り巻く周囲の環境・状況や自分の心と体に意識を向けることである。
そのために、自ずとからそうなっていく全能とも万能ともいえる大自然とその働きは、人間を受け入れ受け止め支えれくれるだろう。
いわゆるストレスケア( マインドフルネス )などではく、このような価値ある大自然を通じて心と体の健康を維持・増進していくための補助と助言がきっとあるはずだ。
自然のつながりが生み出した恵みと実りの収穫は、生活に欠かせない物質的なものだけではなく、精神的なものもあるだろう。

常に絶えず人間の感覚に働きかけている大自然の生き生きとしたライブリー( lively:ラァィヴリィ )を自らの ” 五感 ”で感じることができるアクティビティ( activity:アクティーヴィティ )。
大宇宙につらなっている ” 大自然ありきの人間(小宇宙)” が生かされている大自然の懐。
大自然の恵みによって生を受け、大自然の条理にそうべく努力し、人間はどう生きてゆくべきかが課せられ、人は自らをどのように整えてゆくかを問い深めていかなければならないのではなかろうか。
生物的且つ精神的な ” いのち ” とともに ” 心 ” が付与されている人間は、脳の能力(脳の振る舞い)として秘められた潜在的な能力を引き出すだけではなく、能力とは心の状態であって ” 心 ” ( 心の能力:心の振る舞い )の組み換えをしたほうがいいのではなかろうか。
人は意識の持ち方次第であり、意識を変えれば考え方は変わって取り組み方も変わり、ー 自分を生きる自由の可能性の機会として巡り合うもの( 収穫 )と価値ある自らの成果( 実り ) ーは自ずと変わってくるのである。
自然の成長や人間の成長のその営みは自然や人間の主体的な営みのように見えているが、実はそこにはくまなく大自然の条理が作用しているということになり、人間にできることといえば大自然の条理に沿うべく努力していくことなのである。

物事がわからなくなれば、常にその物事とは逆の物事を捉えて考えてみるがいい。
現代人のメンタルな在り方の本質的な特徴であるモダニティーという現代性を探るにおいて、知的や感情的な側面を含む精神的な心のメンタルの在り方がわからないならば、逆に気や心の重みのストレスそのものがおかれている状態として外から見ることができる有り様を自らが知ればわかるはずである。
いわゆる時代性ではなく、その時代その時代ごとにある現代性。
いつの世もストレスというものが付き纏う。
命というものがわからないなら、心というものがわからないなら、美というものがわからないなら、逆にストレスの有り様というものを捉えて考えてみればいい。
自ら自分の価値をもって自分を生きる今の ” 命・心・美 ” の本質的な在り方がわかり、自ずと自らの内に「 命立ち、動き ~ 心立ち、心が動き ~ 美立ち、美が動く 」はずである。
自らが取り巻かれた環境の中で自らの行動を自覚し反省して責任を負わなければならない能力による ” 自分に生きる ” 生き方 ” として現実の状況に依存している限り存在する ” 状況的な自分 ” とそれでは成り得ない ” 本当の自分 ” に定まり得ない自分であるよりも「 自分である 」ことの状態を見出し、” 自分を生きる生き方 ” を手に入れよう。

半ば周囲の環境や周りの人に流されつつ思い込みに惑わされる回り道で封じ込められた自分の「 心の組み換え 」に活発さと躍動をもたらす。
自らの光を外に照らし向けて自分と向き合い、自分を生きる生き方( 人生 )を知って楽しむ自分らしくあること。
自分を生きる可能性はこんなものではないと、きっと自分らしさは想うはず。
自分らしさが想って、自分を生きる自由の可能性を ” 自分で規定 ” していく自由を自ら目がける。
「 ” 自分のため ” の手立てや洞察力と自らの新たな経験と感覚を通して得られるスキルの付与 」を重視した自分( 人生 )の楽しく面白い( 味わい )。
自らの ” チャンス ” を知る新しい自分の心延え( こころばえ )「 自分である 」ことの自分らしさへの近道。
自分の楽しい面白いは自分次第であり、お楽しみはこれからだ。

 

 

KANKE GRAND 日光「 音楽教室 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 11月収穫時《PART-II》
「 秋の思いに心を込めて・・・・・ 」
~ 秋上げの祝い ” 望みの歌 ” ~

KANKE GRAND 日光「 森の茶屋・菅家亭 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 11月収穫時《PART-II》
「 一刻千秋にて待ち焦がれ・・・ 」
~ 秋収めの ” 予期 ” ~

KANKE GRAND 日光「 創作工房 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 11月収穫時《PART-II》
「 金秋に鋭く光る・・・・・ 」
~ 秋水の如き ” 閃き ” ~

 

 

趣意 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

「 KANKE GRAND 日光 」
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「 KANKE GRAND 日光 」
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「 KANKE GRAND 日光 」
” 大自然の命は待っている ”
〜 従来はそうでなかった日光での物事を始める 〜

KANKE GRAND 日光「 音楽教室 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
「 音楽教室 」
” 大自然の風を聴き ”
〜 心を歌い音楽を奏でよう 〜

KANKE GRAND 日光「 森の茶屋・菅家亭 」
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「 森の茶屋・菅家亭 」
” 大自然の佳を嗜み ”
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KANKE GRAND 日光「 創作工房 」
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ウイズ日光 With NIKKO 10月収穫時「 KANKE GRAND 日光 」

 

 

「 With NIKKO 」ウイズ日光

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

” 大自然の命は待っている ”


~ 従来はそうでなかった日光での物事を始める ~

 

 

10月収穫時《 PART – I 》
「 自分への配慮 」
” ときめく ” とは・・・・・

風光日々新にて一粒万々倍、人々の丹精によって増えに増えた ” 種( たね )” は、日々の新しい変化がある中で今日に至っている。

実を結ぶ稔りの秋、穫り入れ時( どき )。
ある物事を行なった結果、取り込み得た実りの成果だけが収穫ではない。
自らの経験や驚きなどによる ” 気づき ” と ” 気づく繰り返し ” は自分にとってもっとも必要であり、これこそが重んじられるべき実りある大事な収穫のひとつである。
それは実際に種として気づきから得たことは学びとなり、自身の考え方や行動に大きな影響を与えるからだ。
人はもっとも大切なものは何かと問えば、それは実であると皆誰もが考えるだろうが、だが現実には ” 種 ” なのである。
単に物事を知ったという事実や習っているという事実に満足しているだけでは、あまりにも手短すぎるだろう。
何故ならば、身近に簡潔で要を得ているものの実は結ばない。
だから上に向かって進むこと( 向上 )や進歩・進展するために努力して結果や成果を得ようとすることはもっとなことなのだ。
しかしながらそれだけでは「 自分への配慮 」において質朴で実に約まやか( つづまやか )であり、自らおかれた現状や状況は変わらずそのままなのである。

何かが切っ掛けの ” 気づき ” によって心の持ちようがガラッと変わる心機一転。
ことさら「自分への配慮 」としての心の働きや心の動きで湧出すべし心機ならば、新しい沸騰ごとや確かな納得ごと、詰まり有益ごとや次いで着目ごとである。
先ずは自らの「アクティビティ( 活動 )」を疑いなくするための心得ごとが必要なのである。

明日死ぬかのように生きようとしても永遠に生きるかのように学ぼうとしても、何ものをも予断をもって退けないことを守らず結果的に自分の可能性を遠ざけてしまう。
そのような事柄の全ては心の働きや心の動きとして不必要なものであり、「自分への配慮 」として自身と向き合うということを疎かにしているからなのであろう。
” 自分に生きる生き方 ” として現実の状況に依存している限り存在する ” 状況的な自分 ” とそれでは成り得ない ” 本当の自分 ” に定まり得ない自分。
そうであるよりも「 自分である 」ことの状態を見出し ” 自分を生きる生き方 ” を手に入れるべきである。
自分の楽しい面白いを見つけ一人ひとり目的やゴールを明確にして使い分ける環境の中で、満足度向上や目的達成に繋げるために、気軽にそれぞれ自分の実りある収穫への道を探ってみよう。
今までにはなかったことや気づかなかったことと知らなかったことなどを行ってみると、” 気づき ” の切っ掛けになるのである。
自らの経験や驚きなどによる ” 気づき ” と ” 気づく繰り返し ” は貴重である。
それを自分でしか手に入れることができない学びに変え、自分の考えにして自らヤル気で行動に移さなければ、自分を変えられない。
その貴重な ” 気づき ” があるかどうかは人の ” 心の能力 ” 次第である。
自分の思い通りではいかないがやっていかねばならぬ結構な溜息混じり多き現実や状況であったとしても、それまでとは異なる見え方や捉え方がやってくるのではなかろうか。

人は自らの脳だけが能力ではなく、心も能力のひとつである。
「 自分への配慮 」は心を開くことも大切だが、 ~ 自ら心身の活動となる ” 元気 ” な心を育てる ~ ことによって ~ 感覚の活動を活性化させる ~ ことである。
脳が予測したものではなく、物事を感じ感知する五感( 視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚 )を通じて意識してみる( 意識を集中してみる )ことで感じることができる ” 心の能力 ” 。
すなわち、物事を感じ感知する五感( 視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚 )を通じて自らが意識してみる( 意識を集中してみる )ことで感じることができる ” 心の能力 ” 。
たとえ脳の振る舞いといえども感性面において物事に感じる能力としての感受性や感覚にあり、五感の心的イメージが心の振る舞いとして生じる。
さらには人間の様々な感覚は独立したものではなく、視覚と触覚・聴覚と嗅覚・味覚と嗅覚など人間の本来別々だとされる知覚が相互に作用し合って影響を及ぼし合うというクロスモーダル知覚が現象もある。
たとえば聴く音や見る色などにより涼しくも感じれば温かくも感じて心のもちようが変わる。

熱せられた海が沸騰し蒸発する気体の空に蒸されて湿気を帯びた陸は、まるで風無き洋上の筏。
この夏の灼熱多湿は異常な自然現象といえども、心身の疲れだけではなく、さすがに人の感性面における感受性や感覚をも鈍らす。
猛暑の狂った季節、グラスに入った冷たい水の中に浮かぶ氷りの軽やかな音を聞いても透明な色を見ても、実際には涼し気な感覚記憶だけであり、クロスモーダル知覚の現象による涼しさを感じることはできない。
四季が無くなるともいわれる続く異変だろうが暖冬だろうが冬支度の前に切れ目とする秋には、差し詰め灼熱多湿の ” 夏返し ” 。
人間は脳の振る舞いであろうが心の振る舞いであろうが、脳と心の動きや働きの区切りとして節目が無いと、自らを整えることができない。
触れる振り子の切っ掛けとして ” 気づき ” 、物事を始めるための手掛かりや機会、物事が始まる原因や動機。

道導( みちしるべ )か手引きの呪縛か要所に必要な場面があっても守株的な習慣の精神論など本能に入れる余地はないはずである。
思考や感覚・感性が停止してしまうだろう精神を強調しすぎれば、個々人の伸びしろを見ないし現実離れして未来を豊かに孕めず展望に富まぬ。
先立つ精神の力( 心の活動力 )という心の中の欲念からくる気魄にすぎない根性( 願望の気力 )では、その場限りの見上げた見込みの確信と負けん気の勇む期待にすぎないだろう。
それよりも物事に出会す( でっくわす )ことで振り子に触れて自ずと心そのものが賑やかに騒ぎはじめる「 ときめく 」こと( 自然の動悸 )を自発的に覚えて意欲となる ” 元気 ” 。
人にとって何よりも重要で必要なのは皆誰もが ” 元気 ” である。

人と置き換えても同じである大自然において万物生成の根本となる精気に満ち溢れ根源となる気が漲る ” 元気 ”。
人においては心身の活動の源となる力、人の生命を活動させるもとになる精力。
精神や身体の調子がよく健康が良好な状態であり、気力などが横溢( 汪溢 )で溢れるほど盛んであって生命力・活力などが旺盛で気分が上向きであるなどの状態にある ” 元気 ” 。

物心ついた子供の時から今まで、喜びや期待などで心が弾み胸がドキドキ高鳴りして気持ちが高まり気分が高揚したり興奮して昂り ” 元気 ” =「 ときめく 」ことが、果たして幾度( いくたび )あっただろうか。
そして、その ” ときめいたこと = 元気 ” を今尚残すものが果たして何処にあるのだろうか。
それよりも今、物事に出会すことで何かしらに接する切っ掛けにより ” 気づき ” 。
そうしたいと思う心の働きにより自ら進んで何かをしようと望む意欲的な ” 元気 ” =「 ときめく 」ことさえも少なくなってきているのではなかろうか。

そうかといっても、プラス思考をはじめとした自己効力感( 自己可能感 )や自己肯定感などは自分がある状況において必要な行動を遂行できる傾向にあるとしても、自分ならできるといった能力に対する自らの認識や認知と自らの在り方などを積極的に評価できる感情や自らの価値などを肯定できる自己感情や自己コントロールにすぎない。
これに比して、実際に人や物事などに接したときに自然と得られる「 ときめく 」ことは確実な事実として優位性がある。
それがたとえ喜びや期待などであったとしても、それはまさに実質的な実感として有意性のある ” 元気 ” の源になり得るのである。

半ば周囲の環境や周りの人に流されつつ思い込みに惑わされる回り道で封じ込められた「 自分への配慮 」に活発さと躍動をもたらす。
自らの光を外に照らし向けて自分と向き合い、自分を生きる生き方( 人生 )を知って楽しむ自分らしくあること。
自分を生きる可能性はこんなものではないと、きっと自分らしさは想うはず。
自分らしさが想って、自分を生きる自由の可能性を ” 自分で規定 ” していく自由を自ら目がける。
「 ” 自分のため ” の手立てや洞察力と自らの新たな経験と感覚を通して得られるスキルの付与 」を重視した自分( 人生 )の楽しく面白い( 味わい )。
自らの ” ときめく ” を知る新しい自分の心延え( こころばえ )「 自分である 」ことの自分らしさへの近道。
自分の楽しい面白いは自分次第であり、お楽しみはこれからだ。

 

 

KANKE GRAND 日光「 音楽教室 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 10月収穫時《PART-I》
” 秋風に心を知る ”
~ 秋声( しゅうせい )” 祭りの歌 ” ~

KANKE GRAND 日光「 森の茶屋・菅家亭 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 10月収穫時《PART-I》
” 出来秋に喜びと感謝 ”
~ 秋実( しゅうじつ )” 収穫の献立 ” ~

KANKE GRAND 日光「 創作工房 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 10月収穫時《PART-I》
” 錦秋に駆り立てられじ ”
~ 秋麗(あきうらら)” ネイチァー アート ” ~

 

 

趣意 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

「 KANKE GRAND 日光 」
→ 基本的考え方 : With NIKKO ウイズ日光

 

編首 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

「 KANKE GRAND 日光 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
「 KANKE GRAND 日光 」
” 大自然の命は待っている ”
〜 従来はそうでなかった日光での物事を始める 〜

KANKE GRAND 日光「 音楽教室 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
「 音楽教室 」
” 大自然の風を聴き ”
〜 心を歌い音楽を奏でよう 〜

KANKE GRAND 日光「 森の茶屋・菅家亭 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
「 森の茶屋・菅家亭 」
” 大自然の佳を嗜み ”
〜 食彩を求め旬を味わおう 〜

KANKE GRAND 日光「 創作工房 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
「 創作教室 」
” 大自然の光を感じ ”
〜 着想を得て生面を拓こう 〜

 

 

お問い合わせ
TEL:0288-25-7388
メール → KANKE GRAND 日光

 

 

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ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号「 KANKE GRAND 日光 」

 

 

「 With NIKKO 」ウイズ日光

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

” 大自然の命は待っている ”


~ 従来はそうでなかった日光での物事を始める ~

 

 

「 自分である 」こと

明歴々露堂々にて明月清風、隠すところなど少しもなく、明らかにはっきりと顕れる大自然を友にした自在な在り方。

しなやかで優しい “ たおやか  ” な女性、毅然として雄々しい “ ますらお ” の男性 ” 、「 日光仮面 」ならずして 〜 あらまほしい 〜 日光人とコミュニケーション能力。

知覚や感情と思考の共有にむけた情報伝達や意思疎通または表現と意思を互いに伝え合って交流を図るなど、社会生活を営む人間の間で行われる人として大切な行動のひとつであるコミュニケーション。

しなやかで優しい “ たおやか( 手弱女 )な女性 ” 、毅然として雄々しい “ ますらお( 益荒男/丈夫 )な男性 ” 、あらまほしい日光人とコミュニケーション能力。
知覚や感情と思考の共有にむけた情報伝達や意思疎通または表現と意思を互いに伝え合って交流を図るなど、社会生活を営む人間の間で行われる人として大切な行動のひとつであるコミュニケーション。
互いに自然に言葉を投げかけ、互いに相手へ気を向け向けさせ心を測り通わせて、互いの境地や心の状態などを推し量る「 一挨一拶 」という深浅を見ることを知らないとしても、礼儀である挨拶もコミュニケーションの内である。
人間の間で当然まず先に挨拶なくしては人として芳しくないどころか、もっとも互いに挨拶なくしては本来のコミュニケーションというものが始まらないのは至極当たり前のこと。 
心を込めて軽く( 挨 )して快く近づき寄り添い、心強く( 拶 )して押し切り拓くといった 〜 人と人とが出会うことにより触れ合い互いに心を開く第一歩のやりとりである挨拶 〜 を交わすことによる心地良さ。
人間関係を円滑に取り運ぶのにあたり、生活から切り離せない大事な挨拶とコミュニケーションをもっとも大切にすることによって人と人との間柄はより親密であってほしいものだ。

〜 白玉( 真珠 )は人に知らえず 知らずともよし 知らずとも 我し知れらば 知らずともよし 〜 として、自分の価値は世間に知られなくても自分さえ知っていればよいのであって ” 自分の価値は自ら決める ” としても、あまりにも真しやかであって ” 人知れず努力している ” ことを人は誰でもいいからわかってほしいものである。
男女ともに積極的( 外交的 )に揺るぎなく押し切りがちのアグレッシブな人であっても消極的( 内向的 )に引っ込み思案で受け身がちのパッシブな人であっても姿質( 外面的・内面的 )は皆んな同じである。
その場その場の単なる状況にすぎない働き掛けや駆け引きなどその時その時だけでしかない人の強い弱いを問わず、皆誰もが人と人が関わり合って ” 街・人・仕事 ” を築き上げるうえでは、頑張らなければならない自らに解決すべき問題や対応すべき課題を皆誰もが一人ひとり少なからず抱えている。

皆誰もにみられる創造性であり、新しくて価値あるものをもたらす創造活動は人々に賞賛されるものだけではなく、創造性は卓越した才能と運と能力だけでも決してない。
皆誰もが何かしら自らの問題や課題に気づき、人は絶えず解決や対応にあたって何らかの改良や工夫を重ねるなど新しいものへの創作や発見をしてもいるだろう。
” 自分を生きる生き方 ” は絶えず新しい経験をもってして築かれてゆくのだから、「自分であること」の状態という諸々の瞬間は常に新しいものであり、その意味で人は皆誰でも絶えず自分自身を創造( =自由 )しているということができよう。
創造性や創造活動を ” 街・人・仕事 ” に限定して捉えるのではなく、ひとり一人にとっての新しい経験をも含めた広い意味において捉えていこう。
どのような状況になろうとも人間には一つだけ問いと答がある。
そこには自由というものが残されており、それはどう行動するかということだ。

人が常に新しいもの( 潜在的な可能性 )を生み出し絶えず自分自身を創造していくことができるのは、先ず第一に大自然の呼びかけであり、生命の創造的努力( 自分の自由な可能性を求める )という生きる力( 生命の推進力 )に自らが応えるからなのである。
” 街・人・仕事 ” に潤いをもたらす大自然( 自然環境 )なくして、人は ” 自分を生きる生き方 = 「 自分である 」こと ” を実践し実現することはできないだろう。
自然環境においてこそ自分自身の創造( =自由 )があるならば、日光の大自然においてこそ創造性が現れることになり、創造活動が実ることになるのである。

強い弱いを問わず人は頑張らなければならない自らに解決すべき問題や対応すべき課題を一人ひとり少なからず抱いているといった皆誰もにおいて「 条件はみんな同じである 」。
大自然の懐に抱かれる ” 自分である状態 ” において気軽に自らを話しお互いに語り合えば全てが分かるだけではなく分かち合える。
コミュニケーションの力によってその人が本来もっている性質や考え方をお互いに知って分かち合える仲の良い間柄 ” 拠り所 ” 、何事も少しのことにも専ら導き教えてくれる先達はあってほしいもの。
ライフから芸術や教育と街づくりモノづくりなどをはじめビジネスその他までの様々な種類( 分野 )で活発な ” ワークショップ ” も含め参加者は体験を通じて創造と学習を生み出すべく能動的( 主体的 )に動くことができる様々な「 アクティビティ( 活動 )」。
自らの行動を通じ学ぶことでお互いにより理解を深め合い、個人からグループまでの一人ひとりにおいて物事の成り立つ根拠となる事柄や支えともなるものが見えてくる。
気心の知れた親しい「 With NIKKO 」ウイズ日光、あらまほしい日光人とコミニュケーションの在り方が根をおろしはじめる。

自然と人間との対比はきわめて不確かなもの(ますます薄弱)となる中で、 ” 街・人・仕事 ” に潤いをもらたす大自然の生命力。
自然と対置された知的創造性における街環境や仕事環境であるよりも、呼びかける大自然の命あふれた自然環境に触れることにより人は自らを話しやすく互いに語りやすい。
人は皆誰もが、ひとり一人かけがいのない大切な存在として 「 自分である 」ことの状態において 〜 大自然の風を聴き心を歌い音楽を奏でることができる 〜 大自然の佳を嗜み食彩を求め旬を味わうことができる 〜 大自然の光を感じ着想を得て生面を拓くことができる 〜 そんな ” With NIKKO ” ウイズ日光でありたい。
成果が伴うよう得るものが多い実り豊かな環境に包まれた日光の大自然の中で皆誰もがひとときを楽しみながら年間を通して自らが末長く交流を図りお互いに意思を伝え合うことのできる。
充実した ” 2way コミュニケーション ”( 自分を表現することことができ他者の表現をも理解することができること )をもたらし自分を探る「 With NIKKO 」ウイズ日光。

皆誰もが努力するべき本当の自分を使いこなすことのできる活気に満ち溢れた多様な「 アクティビティ( 活動 )」が見つかるだろう。
豊かな自然に溢れた日光の自然環境に触れることにより皆誰もが努力するべき本当の自分を使いこなすことのできる活気に満ち溢れた利用者の心身の活性化をもたらす活動。
一人ひとりが ” リラックス( relax )” して身体を動かしつつ心を開き心を解き放ち広げてゆく素直な心をもって自由な発想の転換ができる「 With NIKKO 」ウイズ日光、本当の自分を探す或いは達成する価値がある。
まず先に他の人に喜びを与えながら自らが頑張れば頑張った分の三倍も五倍もいつか自分に返ってくるのであり、他者をも楽しませ喜びを与える人は同じように自分自身の喜びと満足を得ることになる。

コミュニケーションをとる文化が日常化してくる日常生活の中に自分の楽しい面白いを取り入れながら心身の活性化につなげるための活動全般を目指すといった皆誰もがお互いにこのような気持ちで新たに ~ 従来はそうでなかった日光での物事を始める ~

” 街・人・仕事 ” であっても「 不易流行 」として、いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも新しく変化を重ねているものをも取り入れていくことであり、その中で同じ自分でいれば人は必ず退屈で倦むに決まっている。
人は何処までいってもその人で只管その道一筋であっても ” 人は変わってゆく ” ものであり、自分が変われば同じ物事が違って見えてくる。
人が変わると当然見なされるなら人に同じ気見合いなどはなく、全てのその時その時は違う時であって大自然というものもその都度変化して違う。
人間自体も大自然の一部、自分を自分でコントロールする人と置き換えても同じである大自然という全てが抽象的であっても暈けることはない。
生活や文化にも深い関わりを持つ自然、たとえ見ているだけでも森羅万象に命あふれる大自然から教わることはできるので、そうしているうちに「 自分である 」ことの状態という何かが分かってしまう。

” 自分に生きる生き方 ” として現実の状況に依存している限り存在する ” 状況的な自分 ” とそれでは成り得ない ” 本当の自分 ” に定まり得ない自分であるよりも「 自分である 」ことの状態を見出し ” 自分を生きる生き方 ” を手に入れよう。
自分の楽しい面白いを見つけ一人ひとり目的やゴールを明確にして使い分ける環境の中で、満足度向上や目的達成に繋げるために、気軽にそれぞれ自分の実りある収穫への道を探ってみよう。
ようこそ! 自らも楽しみ人々にも多くの喜び与える「 With NIKKO 」ウイズ日光へ!!
” 大自然の命は待っている ”

半ば周囲の環境や周りの人に流されつつ思い込みに惑わされる回り道で封じ込められた「 自分である 」ことに活発さと躍動をもたらす。
自らの光を外に照らし向けて自分と向き合い、自分を生きる生き方( 人生 )を知って楽しむ自分らしくあること。

自分を生きる可能性はこんなものではないと、きっと自分らしさは想うはず。

自分らしさが想って、自分を生きる自由の可能性を ” 自分で規定 ” していく自由を自ら目がける。
「 ” 自分のため ” の手立てや洞察力と自らの新たな経験と感覚を通して得られるスキルの付与 」を重視した自分( 人生 )の楽しく面白い( 味わい )。
とっておきの新しい自分の心延え( こころばえ )「 自分である 」ことの自分らしさへの近道。
自分の楽しい面白いは自分次第であり、お楽しみはこれからだ。

 

 

 

 

■ プロジェクト設立 :
With NIKKO ウイズ日光
ネーミング / 基本的考え方 / 運営 / 展開 / プロジェクト内容 / ロゴマーク / 活動推進施策・開発・制作等
Copyright © With NIKKO ウイズ日光. All Rights Reserved. Photo / Image Credit With Copyright.
■ 創設 :
2023年9月
■ 運営と展開内容 :
アクティビティの基本的な活用( アウトリーチも含む )/ 目的とゴールの明確化 / 種類( 分野 )アウトラインの枠組み / プログラム形態の企画・作成・推進 / 関連性・発展性の展開 / 発表会の開催 / 実践後の評価と継続的改善 / ステップアップ / 情報発信とコミュニケーション媒体運営・機関紙の発行 / 活動推進・プロモーション / ブランド開発・諸制作等他
イベント・講演会・演奏会・展覧会等の企画と開催
国内外アーティスト・講師等の招致と催事企画運営
■ 事務局 :
OFFICE KANKE 「 KANKE GRAND 日光 」内

 

 

趣意 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

「 KANKE GRAND 日光 」
→ 基本的考え方 : With NIKKO ウイズ日光

 

 

 

 

編首 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

KANKE GRAND 日光「 音楽教室 」
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「 音楽教室 」
” 大自然の風を聴き ”
〜 心を歌い音楽を奏でよう 〜

KANKE GRAND 日光「 森の茶屋・菅家亭 」
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「 森の茶屋・菅家亭 」
” 大自然の佳を嗜み ”
〜 食彩を求め旬を味わおう 〜

KANKE GRAND 日光「 創作工房 」
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「 創作教室 」
” 大自然の光を感じ ”
〜 着想を得て生面を拓こう 〜

 

 

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8月:南風月

 

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

「 南風月 」 ” 夏休み!”

 

 

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7月:感覚と感性の大切さ「菅家塾」

 

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

……… 時には「 ” 感性 ” が衰えてきている 」のではなかろうかといった ” 気づき ” はあるだろうか。………

感覚的な認識能力一般として日常的にはセンス ” sensibility / Sinnlichkei ” である感性が文化固有の見方や考え方だとは言わずもがな、感性の衰えというものがコミュニケーションから思考支援まで幅広く使われる現社の様々な場面で不可欠なコンピュータリゼーション( computerization )が与える影響だとも言わずと知れたことだが、アイステシス ” aisthēsis ” である感覚・感性・感覚的知覚として誰しも具有せる感性と精神とを同時に触発する価値を捉えるならば、そもそも人間の必ず関わらざるを得ぬ価値や意義は殊更大きいのである。

個性アイデンティティである感性センスは個人固有の特性パーソナルティー性質や性格として個人を特徴づけているが、一方で感覚的知覚である感性アイステシスは本来の人間性において自分を生きる本来の自分らしさであり、変わらず持ち続ける個性として主体性にある感性センスとともに感性アイステシスは個人が持つ変わらない人間的なものとして人間性豊かに人間性が感じられるといった意味で同じく自覚や意志に基づいて自らに働く( 又は他に及ぼす )作用を伴う主体性にある。

無意識的な過程でもある感性とは、包括的且つ直感的な心的活動とその能力により物事を深く感じ取り考え理解する働きと作用を伴う感覚から感情(感情に伴う感覚)までをも含む知覚( 感覚的知覚 )を意味するものである。
気弱を払拭し感性を引き起こすこと( 心を動かすこと )にアグレッシブとなって知覚の恒常性における感覚モダリティ( 五感 )を冴え渡らせ、外界に触発され受け止めて物事を判断・理解する思考力( 知性 )の悟性に認識のネタを与えることだ。

感性は意識的且つ分析的な認知過程というよりも無意識的且つ情報総合的な過程と考えられ、感性はまた、発見や直観や経験則に基づく問題解決や課題対応と意思決定の方法であるヒューリスティックス ” heuristics ” やインスピレーション( 閃き )と暗黙知など論理的に答えを導くには条件が不足している状況下で瞬時且つ的確な判断を下す能力と、既存の知識や概念に囚われない画期的な発見や創造を行なうことにも繋がる。

現代は特に人は目新しく変わっている新奇を迎えるにのみ ” 物質的な恍惚を求めるあまりに感覚や感性を疎かにすることにより我を忘れてしまっている ” ともいえるが、外界からの刺激を受け止める自らの感覚的能力( 感受性 )や心的能力( 感性 )を高めることは遥かに気まぐれであり、” 自分を整える ” 自然体にある。
人の意識の中には事実よりも根源的なものがあり、思考や意志と行為などの諸作用の遂行者( 自我 )である自分を整える働きそのものに他ならならず、この ” 自分を整える ” という行為があらゆる自己事実の根底にあって、そこでは行ないとなされた事とが一つになっているといった人間の自覚的な行いとなされた事( 事行 )が重みをもって登場するはずである。
それ自体が無意識的であっても遥かに未来を豊かに孕み展望に富んでいるといえ、そこに浮き上がってくるのは人の感覚や感性の衰えとともに極身近で大切な「 息遣うこと、味わうこと、目で見ること 」における意識の擦り合わせ ” 気づき ” の至り無さ( 無意識 )にある日常性にまつわる何かということかもしれない。

日常の自由という枠を超えたところに見出される喜びは何処にあるのだろうか。
修行というものが修業や習業に強く傾きつつある中で、修行とは単に技を習得するのみならず技とともに人間をもつくるというの意味や意義が希薄となってきているとしても、得意技ばかりの自らを不始末・不都合な人間だとも信じはしまい。

……… 時には息遣いや味わいと見る目に意識を向けて活かすなら、せめて感覚や感性を高めることを望んで期待するなら 、「 正息や正味と正見が通った自分 」という自身自然体で ” 自分を整える ” ことにより自ら自分を生きることの全ては自ずと改善できうるだろう。
自分らしさの感覚や感性を持ってこそ自分の楽しい面白いを自ら誇れる自分で生き抜けるという意識の擦り合わせによる気づきを得たほうが勝ちである( 得をする )。………

 

 

→ ” 息遣うことの大切さ ”「 音楽教室 」
→ ” 味わうことの大切さ ”「 森の茶屋・菅家亭 」
→ ” 目で見ることの大切さ ”「 創作工房 」

 

 

→ ” お知らせ “ KANKE GRAND 日光

◾️ 「 夏のセミナー 」7月1日〜8月31日

○ KANKE GRAND 日光 「 菅家塾 」
” 才能と運と能力 ” ピース シンキングセミナー(心構・習慣)
グロース マインドセット醸成(成長マインドセット)
ポジティブシンキング トレーニング(維持・増進)

○ 音楽教室
” 息遣う ” 体験 リラックスセミナー
音楽 ピース ブリージング(呼吸)
声楽 / ボイストレーニング / 朗読 / 会話(声音)
気流・発声・調音(言語音)方法(声遣)

○ 森の茶屋・菅家亭
” 味わう ” 体験 リラックスセミナー
嗜心 ピース ブリージング(玩味)
嗜む / 嗜み(心得)
好み / 親しむ / 整える(持ち前・持ち味)

○ 創作工房
” 目で見る ” 体験 リラックスセミナー
作出 ピース クリエイティブ(表現)
絵手紙 / 絵葉書 / 絵端書全般(自画)
俳画 / 詩画軸 / 草画全般(自画賛)

 

 

→ 【 KANKE GRAND 日光 】 別冊集「 菅家塾 」
※ 「 菅家塾 」: 菅原道真(菅家)家塾「 菅家廊下 」より命名

→ 【 KANKE GRAND 日光 】 ご案内( ご挨拶 )
※ 「 菅家名 」: 由来

 

 

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6月:自然体と変わるローマン「菅家塾」

 

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

……… 生のままで何も書かれていない( 何も手が加わっていない )状態である白紙という先入観のない態度を持った ’ 真っ新の真っ白き ” その中に自分を生み出す大変さ、自らの生みの苦しさを避けては通れない。
余裕のマージン( 余白余地 )を図りつつ白紙に自分を映し出せば、生まれつきではない自分のマインドセットを変えることができる自らの思考が見えてくる。………

生きて来たこれまでの経験や知識と人や環境との関係性など様々な要素から成り立つ自分の考え方 / 好み / 習慣などにより自らが持つ無意識の思考・行動パターンをはじめとした物事を捉える時の思考の癖( 習慣 )や固定観念と思い込みなどが含まれる生まれつきではない自分のマインドセット。
自分の思考や行動の根幹を形づくっている自分の考え方の基本的な枠組みである ” マインドセット mindset ” の持ち方次第や状態次第によっては自分を大きく変えることができる。

何時でも何処でも常にフィットするように、自らの振る舞いや身心の状態を変化させている自然体と変わるローマン( ロマン )。
見せ掛けのフリ( 振り風 )さえもしなくてよければ何時何処でも同じでなくてもいいといった気持ちで余裕のある自然体。
身心が有りの儘でいて気負いのない自然な態度と無理のない姿勢による振る舞いで、「 自分を整える 」コツを探ってみることさえすれば、生まれつきではない自らの強い憧れや望みのローマンはいつしか変わってゆくだろう。

確固として揺らぐことのない認識ないし考えをもつ人間の信念は、本人の意識の有無にかかわらず望みが叶うかどうに大きく影響するだけである。
常に一貫性で一辺倒に倒れ掛かるよりも自分のマインドセットを知りマインドセットを変えることを恐れずマインドセットを ” しなやか ” にして身構え過ぎず心構えで、時と場にそぐう自然体で「 自分を整える 」ことさえできればローマンを追い自らが駆り立てられるだろう。

多様化( 多様性 )によって全てが大きく変化する中で、自分を整えるためには多様な価値観があることを知り自らの力を注ぐべき事柄の意味や本質を認識把握することである。
自らを自ら知り自らの考えについて自ら考え「 自分を整える 」といったことへ向かうことになる人間それなりの目的意識をもった自ら意図する活動としての意志の表現といったものに対置するような特定の精神の在り方でもある自分を生きる生の表現( 生き方 )は遥かに気まぐれである。
それ自体が無意識的であっても遥かに未来を豊かに孕み展望に富んでいるといえ、そこに浮き上がってくるのは人の感覚や感性の衰えととも表現力や行動力と創造力の衰えにまつわる何かということかもしれない。

 

 

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※ 「 菅家塾 」: 菅原道真(菅家)家塾「 菅家廊下 」より命名

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※ 「 菅家名 」: 由来

 

 

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5月:見つけだす「菅家塾」

 

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

「 菅家塾 」2023年度アウトリーチ ” 変わる ”
〜 5月キャンペーン ” 見つけだす ” 〜

 

皆誰もが持っている才能と運と能力だが、才能は伸びるし運は運びどころで動くし能力は止まらない。
変化するための原動力である力だが、明日死ぬかのように今日生きようとして我武者羅に力んでいては疲れるだけであり、手を抜かずに力を抜くことだ。
自分の持っている才能と運と能力を持て余し自らに向こう見づ色ばむところや泥むところともなれば憂さ晴らしで自らを無くなすしかないだろう。
才能と運と能力に頼った危ない試みは一切しないほうがいいということだ。

言わずもがな自らコントロールできるのは生だけであり、死を自分自身でコントロールすることはできない。
才能と運と能力で生きることに威信を賭けなければならないわけではないのであり、そうムキにならないことだ。
才能と運と能力をもってしてムキになると損をするだけである。
釈迦力になって持ってる力を出し切ろうと力の限り押し通しても無記になる ” 自分を生きる ” という答えの無い問いを考え悩み続けず、今に集中することだ。

何事につけ答えが得られない問題は際限無い思い込みに惑わされるだけで何の徳にも利にもならなし関わるべきではない。
そもそも答えの無い ” 自分を生きる生き方 ”によって授記を与えてもらえる保証など何一つもないのだ。
自分を生きる限りは常に絶えずしっかりと自分を感受して受容さえすれば踊り狂いや思い切ったる死に狂いはしないだろう。
自らに対し先ずは晴れやかなる胸臆を明白にしてハッキリとした意識の広がりをもつべきである。
生きるという自分の体で行い口で話し心に思う ” 身口意 ” をコントロールできるが、そのために必要なのは釈迦力にならず自分に集中することである。
偶には死を意識すれば今に集中し易くなり、今の自分を生きる生き方を見つめ易くなる。

力を抜くことは単に手を抜くという意味ではなく、力んで凝り固まるとなく頭の回転さえ速いならば何事につけても事前に満点の答えなど出せないということを感覚的に知ることができるだろう。
何事もゼロかイチでしかなく、敢えて熟考しないで ” やらないかやるか、できないかできるか、” それしかない。
人間の思考には力の限界があり、ましてや自らを脱皮し変えていかない限りは思い込みに惑わさるだけの答えが待ち受けているにすぎず、決して満足できるような正しい答えが出せるかどうかさえわかない。
自らが試みる意識の広がりの内に今の自分を生きる生き方を見つめることの切っ掛けにより気づきがある。
些細なことでも気づいたことは記憶に残し留め置くことなくポジティブな態度のプラス思考によって即座に動くならば、自らが大きく開花し成果となって現れるやもしれぬ。
まさに人間の才能と運と能力とは、そもそもそういうもんであろう。

 

 

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