努力の余力 ” 力のいろいろ ”   八百万の力 :【 Ⅳ 】「 才幹力 」

 

「 ” With NIKKO ” 」ウイズ日光

      〜 大自然からの提案 〜

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

 

 

The Astronomer, circa 1668. Johannes Vermeer. The Louvre,or the Louvre Museum, is a national art museum in Paris, France, and one of the most famous museums in the world.

 

 

   ー 自分を生きる地域を活かす ー

 

KANKE 塾:” 地域プロモート ” 開催中

  Community-development

 

” 実現可能力性 ” への「 潜在力 」のすすめ

未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点

– feasibility of community strengthening –

 

地域の実情に合った取り組みと地域に自信をつける
先進的地域アドバンス( advanced region-intoro )
” 自分を生きる ” 活線上に ” 地域を活かす ” ため
地域潜在力の可能性に向け最初の第一歩を踏み出す
地域プロモート( Community-development )
” 地域への配慮 ” という大切な活動によって地域の
発意と創造の志向性とその可能性に勇往邁進しよう

 

 

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” 八百万の力 ”【 Ⅳ 】

努力の余力 ” 力のいろいろ ”
~ ” 地域実現価値 ” に伴う「 才幹力 」~

 

見込んだ想定外の「 努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」
努力の余力 = 努力の内にある ” 余( ほか )” の力
努力することによって産み出される ” 複利の活力 ”
努力行為の本来目指す当面の成果とは異なる価値
努力過程の副産物である ” 潜在的 ” な「 可能力性 」

 

 

・・・・・『 環境 ( Environment : エンバイロメント )』とは、主体を取り巻く周囲の状況・事物や事柄・事状と現象など全てをその主体に対するエンバイロメント( 環境 )され、ー「 ”人間が主体 ” である場合は《 自然的・物理的環境と社会的・文化的環境 》」ー として主体である人間を成立させている要素や要因の総体として把握するものであり、生物であれ人間であれその主体そのものが環境に影響を与えるとともに環境に与える影響に適応する能力も備わり、問題となるのは主体の適応能力を破壊するほど環境の変化や変質や環境そのものが破壊されるならば環境問題が発生し、特に環境問題が社会問題に転化する事態が頻繁化している。

我々人間が主体の『 環境 』に対し我々人間自らによって今強調されし” 取り巻く ” 環境の変化とされているものは、” 時代の間( あわい ) にある紛らわしい空騒ぎ ” に埋もれて人間主体自らが人間に ” 巻き込まれる ” 結果が出ない実りのなき有り様( 事状や現象 )となってもいるが、人間は ” 環境によって形づくられているわけではなく ”、ー『 人間は ” 環境 ” からつくるところの者 』ー として、環境変化であろうがなかろうが如何なる場合でも、 ”人間は環境の影響に対して態度を決める運命的な自由と『 可能性 』を保持 ” しており、「 追い込まれた時代 」において ” 人間が主体である『 環境 』” に対し「 ” 可能性 ” を持つ我々人間が主体として自ら何を展開するのか 」である。

人間が主体である場合の「 環境《 自然的・物理的環境と社会的・文化的環境 》」には人間の意のままにならず人間の前に立ちはだかる自然的・社会的制約などが多く、 ー『 人間が主体である場合の環境の側には ” 独自法則性・自然的必然性 ” 』ー があって ” 可能性 ” があるわけではなく、ー 『 ” 可能性 “ は主体の人間の側 』ー にあり、「 人間は ” 環境 ” からつくるところの者 」として、 特定の結果が得られる可能な状態( 結果が確定していない又は複数の結果が考えられる状況 )に立つ人間主体側の可能性の出方次第で見込まれるか得られるか ” 可能性の特定の結果( 又は複数の結果 ) ” が決まる。

「 人間は ” 環境 ” からつくるところの者 」として、人間が主体である環境の側にある ” 独自法則性・自然的必然性 ” に対する主体の人間の側にある” 可能性 “ というものは、物事に対する見方や捉え方と考え方や処理の仕方( 取り組み方 )と態度などの出方( 特定の目的のための問題解決と課題実現などに出る方法 )によって、人間が主体である環境から創造するにしても破壊するにしても人間の「 運命的な自由の可能性 」の結果を常に絶えず求め続けることになる。

人間の ” 運命的な自由の可能性 ” とは、人間が主体である環境がもつ独自法則・必然性から独立する点にあるのではなく、これらの独自法則・自然的必然性を洞察し認識することであり、そしてこれによってこれらの独自法則・自然的必然性を特定の目的のために計画的に作用させる可能性を得ることにある。・・・・・

 

 

『 人は地域を創り動かし 地域は人を創り動かす 』

・・・・ 個の集団である地域は、幾多もの人間( 要素・成分的 )及びその量の割合による ” 組成 ” 構造によって一つの地域として組み立てられており、それぞれ地域としての経済・社会と文化がある。
取り巻く環境の変化に伴う ” 人口減少と地域経済縮少 ” などによる構造的な問題は、人間と地域の疲弊と大きな課題を招いている。
実に ” 地域事 = 自分事 ” として感じ、考え、動き、状態をよりよくする為に努めて力を尽くすにあたり、課題解決の糸口として考えられる潜在力を引き出し持続的可能性を ” 生成 ” していく最もよいやり方を探す「 力法 」は、実に ” 地域力 ” と ” 自己力 ” とに同じようなことがいえる。・・・・

……… 一切のあらゆる時と物事と人間に力が宿る ー『 八百万力( やおよろずのちから )』ー は、非常に限りなく多い大雑把な無数の力であり、「 努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」を兼ね備える。

その僅か一力の数の裏に、僅かその力相応の結果の背景に殆ど ” 努力の報い ” ありのままには繰返しがたき多くの時と物事と人間と、努力と悲喜と成敗とが潜んでいる。

「 努力する行為 」は、悲観の中に生まれ、懐疑の中に育ち、楽観の中で成熟し、幸福感の中で消えていくか、報われることのなかった数奇な中で消えてゆく。

” 努力 ” とは、種々の動機の中から選択した目的・目標に積極的に働く任意と気随の主観的な意志活動を積極的に進んでしようとする思いとその心の働きである「 意欲 」として発揮する自律性の原動力となる主体性の基礎力である。

自らの状況や事態に対処できる能動的な力によって自ら目的を成し遂げるための必要な行動を上手く遂行するために、自らの ” 確らしさ ” によって自らの可能性を自ら確信し自ら実現する「 実現可能力性( feasibility )」の ” 力力し( ちからぢから・し )”  『 努力の ” 力感 ” に束ねる意識 』という大事なコントロールこそ、” 努努( ゆめゆめ )” 忘れるべからず。

人は、人間をして人間たらしめている独特の多くの力である  ー  いきいきとした気力と活気( 生気 )ー  の活力に生み出す「 ” 平々凡々 ” な努力 」の天を仰ぐ見え心地に疲れる。
そして人は、力量を目覚ましに意気込み奮い立ち  ー  意地張る骨張で骨頂走る烈々とした気魄と気負い( 手並 ) ー  の得手勝手に振る舞う「 ” 奇想天外 ” な骨力 」の天にも昇る心地に憑かれる。

たまには「 決意 」しないと、毎日努力努力じゃやってられないだろう。

地域に生きるのではなく ” 地域を生きる ” 活線上に ” 自分を活かす ” 発意と創造の価値実現を目指す自己それぞれの生き筋の道程に彼是と想像を巡らさせ、「 努力の転換か移行か 」気のせいでそう思われるほど心持ち「 先駆的 ” 知恵 ” の努力 」、それなら気が晴れ心ゆかし。

そうはいっても、救い難い窮境に陥り、思い巡らされる羽目になり、天地が開けず不分明な混沌を小難しく抱いて癇癪が起きそうになったら、これは現実世界における偉大と苦悩との矛盾に満ちた流れの内に一人のピエロが道化を演じる喜劇の一場面だと思えばよい。


その効き目は折り紙付きかどうかわからないが、裏付けが欲しいなら ” 想像を巡らす ” 通りにやってみることだ。………

・・・・・ ” 主体性 ” は ” 自律性 ” を発揮する原動力となるものであり、主体力と自律力を具え保つ「 主体的地域 」としての地域それぞれ地域意識( = 欲望 )は、主体自らの ” 確らしさ ” によって動機づけられた実践的な可能性( 確実性・実現性 )を自らが確信( = 努力 )して実現する力強い ” 力動 ” である「 可能力性 」という『 地域強化( 地域拡張 ) 』に向けた「 実現可能性( feasibility : フィジビリティ ) 」の ” 力性 ” をもっている。

その力動的解釈は、創造力と可能力( ケイパビリティ : capability )として主体の潜在性( 潜在力 / 潜在能力 )であり、出せる力のうちのおもな力として中心となって力を発揮し、今ある状態から他の状態へ移っていく ” 移行 ” の実質的中心として、この地域自らの『 才幹力 』の事実を、「 己が者 」というその地元と地場の地域利益( 実利 )のために主張して援用される ” 力性 ” なのである。

「 己 ( おの )が為 ( じ )為 ( し )」

自らをかけた慎みと潔さの妥協せぬ勇気。

それぞれに地域能力をもつ「 己が者 」は、己を知り得る者として己達せんと欲する者。

” 地元と地場 ” というその地域や地方のことは、地元と地場に直接関係するその地域や地方の者( 地域能力 )でしか分からない。

「 己が者 」は、自らの地元や地場を保つ地域をいう存在の独自性( identity: アイデンティティ)の自覚をもって他とは関係なく地域一つに従事し、その能力が高く、その技術に優れ、専らその活計を立てる手段として地域に携わる「 地域主体 」であり、主体力と自律力によって地域事を成し遂げるために、広く課題に対する深い理解や解決策の発見を目指す ” 知恵の至高性の探究 ” と、自らの具体的な目的・目標達成を目指して ” 完成された知恵を探求 ” する『 才腕力 』をもつ己が者において「 プロフェッショナル( professional )」なのである。・・・・・

「 地域主体 」自らの才幹力の働きとその作用にある力動は、特に傾向や方針などを違った方向に変えたり別なものに変える “ 転換 ” ではなく、地方地域としての『 発創 』( 発意と創造 )の「 移行物語 」であるように、今ある状態から他の状態へ移っていく ” 移行 ” の実質的中心として、この才幹力の事実を地元と地場というその地域や地方の利益( 実利 )のために主張して援用される ” 力性 ” なのである。

地元と地場の地方地域という特定の分野において知恵や能力をもつ地域や地方の者は、わざわざ鼓舞して猛烈になる必要もなく、あえて穏健となって出し惜しみする必要もなく、なにも気後れ怯んで怖気づく必要もない。

地域外部に依存して地域事を委ねてみても、地域外部は地元と地場の存り方や実際の有り様と実情( 実状 )や本当の情況・事情と思いや価値などの全き現実と現状を広く深く知る由もなく、地域事に重点が置かれる物事や事物としての存在・状態( 状況 )・考え方・価値などが他の物事や事物によって規定され制約される関係に陥るだけである。

ただただ地の者としての執着・愛着などを消滅させ、地域事の道理や筋道を弁えて正しく判断する心と頭の働きにより事に当たって適切に判断し処置する地域や地方の『 知恵や地域能力( その地域や地方の者 )』は、地元と地場という地方地域という特定の分野において深い知識や豊富な経験を持ち、高度な技術や判断力を有するものであり、地元や地場についての理解が深く、問題解決や課題実現と新たな知見の提供( 提案 )に対する知恵や能力が高いエキスパート( expert )として、地元地域の帰趨を決する局面の切り札となる。

主体とは、自らの行動が自覚や認識に基づいて行われているという ” 認知 ” であり、自律とは、裁量を与えられてその範囲で他からの影響を受けずに行動できることで、主体自らの規律に基づく行動ができていることである。

主体性は自律性を発揮する原動力となるものであり、主体的地域なりに考え地域自らの意思で行動に移し自ら結果に責任を持つ姿勢や能力という「 主体性 」と、地域事を進めるにあたり自らで計画を立て自らの考えで目的・目標の達成のために行動する「 自律性 」とは、地域事を進める上で双方とも欠かせず、どちらか片方だけだけでは決してうまく回らない。

主体力と自律力によって地域事を成し遂げる知恵や能力の『 才幹力 』をもつ ” 知恵や地域能力( その地域や地方の者 )” を、「 ジェネラリスト( generalist )」と、「 スペシャリスト( specialist )」とに分けて、” 深謀遠慮のもくろみ、深謀遠慮をめぐらす ” 。

その課題解決を見て取るならば、変化への対応のみならず新しいものへの進化・発展に向けた多様性と革新を支えるためには、基本的には片方だけでは不足で、理想的には双方あれば充足である。

ジェネラリストとして、活線上の区処を超えて広く見え、問題定義や目標の想定に最適であり、スペシャリストとして、活線上の区処の奥深く見え、問題解決や解決策の設計に最適だろう。

将来について深く考えを巡らし後々の遠い先のことまで見通した周到綿密な計画を立てる課題解決のその状況に適した能力の方向性や強さと速さなどをコントロールできる双方の力加減から捉えてみても、多いことと少ないことの過不足及び過ぎることと及ばないことの過不及の中で、多くもなく少なくもないピッタリと隙間なく合わさって当てはまり満たされる。

” 双方の「 側面 」を課題対応に反映する ” ことで可能になるのとともに価値を高めていくプロセスは理想的ともいえ、ジェネラリストとスペシャリストは相互補完的な関係であるとするならば、” 双方の「 側面 」を課題対応に反映する ” ことで可能になるのとともに価値を高めていくプロセスは理想的ともいえ、いわば享受し合う ” 相互協力( 協調・協働性 )” が欠かせない。

主体的地域の “ 目立つ異種性 ” として、専門又は広い分野と関係した巧みなる「 側面 」という ” いろいろな性質・特色などがあるうちに一つ又は或る一面 ” に傾く一方への傾き( 傾斜 )は、人それぞれの気づきにあろうがなかろうが、多く人に自らの縄張図というものがあり、人なりの物差は押しつ押されつ意識的でもあり無意識でもある尺度によって人は物事をどのように行うのかは、人それぞれにより悉く多様で技術的や手法的又は考え方や判断基準がある。

今日的な環境圧力ともいえるような変化にだけをとってみても、課題対応にあたっての主体的地域自らの特性の変化や変容・変革は、生成変化の中で徐々に自ずと生じ起こるものの、只々時間がかかるだけにすぎない。

当たり前のことを当たり前のように実践するということを更に発展させ、平凡なことを ” 非凡 ” なほどに実行することは当たり前すぎることである。

変化し前進しつつ進化・発展する「 地域アドバンス 」における知識創造の促進要因を生み出す根拠は、” 何を良きものとし、何を良くすること ” だとする判断基準の違いに帰着する。

地域の機能を追加するのも良くすることであろうし、地域の性能を向上させるのも良くすることであろうし、その具現化における表出化での典型的な活動には仮説生成やコンセプト創造などがあって、そこでは ” 想像力 ” が重要ともなる。

繋がりの時代には地方地域を最も重視すべきだが、活線上の活計と切り離せない主体的地域への身近な発意と創意に、あまり多くの ” 主体化 ” がますます増えても、今日的な想定問題の解決には役立たない。

地方地域として活線上でもうこれ以上に ” 地元と地場 ” というその地域や地方を構築できない重要な理由などがあるのだろか。

活線上で時代の概念を破棄できるかどうかで決まるだろう。

これから ” 中核的な都市への社会資源の集約が本格的に始まろうとしている ” というような点を重視してそれをよく自覚し認識しておく中で、先駆的な主体的地域として地域における持続可能な開発目標の達成に向けた取り組みの推進の捉え方や考え方に通底するのは、好循環を生み出そうとした包括的な視点から総合的に問題解決や課題実現を図ろうとする視点がある。

人間と地域の疲弊と大きな課題を招いている ” 人口減少と地域経済縮少 ” などによる構造的な問題において、人口減少や地域経済縮少の何が問題なのか、その様な現象や状況がどうして生じ起こるか、その問い掛けから問い直す中で、” 近い過去 ” の経験や知識と実績や現状と課題実現から ” 近い将来 ” を捉え考えるのではなく、バックキャスティング( backcasting )思考によって在るべき姿( 在りたい姿 )からそ逆算して、問い掛け問い直し今何をすべきかを考えることになる。

” 地元と地場 ” というその地域や地方としての「 決意 」は、 ” 努力の転換か移行か ” であり、主体力と自律力によって地域事を成し遂げる知恵や能力の『 才幹力 』をもつ” 知恵や地域能力( その地域や地方の者 ) による先駆的 ” 知恵と能力  ” の努力が見込まれる。

総ての者にとって人間の情報とは実に面白いものであり自問自答せざるをえない。

役立つか役立たないかは情報の外であって、不活発な人間はより一層受身的になり、逆に活発な人間はより向こう見ずになってしまうといった現実の実際的な理由は、自ら何を知っていて何を知らないのかであり、問題や課題の発見でなく問題解決や課題実現にある。

新しい時代へと、問題や課題は拡大生成され希薄になり、解決策や実現策は過剰生成され濃厚になり、問題解決や課題実現の価値よりも問題発見や課題発見の価値が高まり、その思考と行動様式が問われる。

役に立つか役に立たないかは、自らの可能性をも閉ざすその情報や認識なのであり、新しい時代は役に立つかどうかを判断基準にするような人を必要とはしなくなった。

必要なのは問題や課題を発見できる人であり、問題解決や課題実現の正解を出す力の価値はなくなってくるだろう。

今まで自らにはどのような能力があって、他にどのような能力が必要か、それを考えスキルアップや学びによる自己投資を積極的に行って変化する近い未来に備えていこうとしてきていた。

だけれども、現に実際今となっては時がやって来て、単に ” 変化に対応 ” するのみだけの問題にとどまらず、変化に備えてきた力そのものによって自ずと結論付けられると想定してきたその契機がやって来て、より進化・発展していくための変進力といったようなものにより変化を強く感じ、” 変化に適応 ” することによってそのまま進化・発展しようとする。

「 転換の努力 」ならば、” 宿命の努力 ” であり、” 清算の努力 ” を学ぶことだ。
「 移行の努力 」ならば、” 困難の努力 ” であり、” 危険の努力” でしかないだろう。
「 知恵や能力を高める 」のであれば、” 実践的課題へ取り組む努力 ” だと思うことだ。

“ 正解の努力 ” を探究( 探求 )したいのならば、「 努力の尻尾( しっぽ ) 」を掴むことだ。

 

『 努力の転換中 』には、活力を奪われ練り出される“ 常識をひっくり返す革命的(Revolution)新説 ” を証明するコペルニクス的転回の「 肉眼的努力」によって、近い将来に予測される ” 実現課題 ” を今に控えた最大の渋滞( 停滞 )を学べばいいだけだ。


『 努力の移行中 』には、活力を与えられ生み出される ” 近い過去から現在そして近い将来にまで通じるような時間的継続性( 持続性 )を感じられる心を奪われ他に意識を向けない開放性と没頭性の「 集中的努力 」によって、近い将来に予測される ” 課題実現 ” を今に控えた最強の活気( 生気 )を学ばなくてはならないというわけだ。

努力する行為は一つの ” 技術 ” であると捉えることができ、「 努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」を兼ね備えた『 八百万力( やおよろずのちから )』は、努力の対応を巧みに行うために役立てさせる方法としての「 力法 」なのである。

人生は短く、努力は確かに長い。( ” vita brevis, conatus vero longa ” )

短い一生で努力を極めるのは難しく、努力は人生よりも長く、努力は時代を超えて永遠と持続にあると解される。

常に絶えずの努力も結果である成り行きならば感嘆符と疑問符だが、堪えず( 耐えず )に消滅ならば最終符であり、最後に ” 努力の尻尾( しっぽ )” を掴むにしても、努力の永遠性と持続性を知り得ることができるかどうか、ということだ。

人間が ” 平々凡々 ” な「 努力 」というものを求め続けるにつけ、夢元の努力技術( technology )は人間の力を拡張していく。

「 努力という技術の力 」は、常に一対に現れる 相互作用( 相互関係 )の中で発展・進化していくが、方向を選択したり決定を下したりするのは、常に地域主体の側にあるということを決して忘れてはならない。

今日的な環境圧力ともいえるような変化だけを取ってみても、時こそ今は ” ひとたび真価を発揮し ” 地域を活かす「 違う答えを探し続けること 」が、地域を生きる一つの道なのではなかろうか。

探し続けることなくその意味を満たそうとするならば、積み上げてきた努力や苦労とその成果で得たものなどを無駄なものにするだろう。

 

 

・・・・・『 潜在力 』とは、” 人間自身 ” とその人間が主体である ” 環境自体 ”《 自然的・物理的環境と社会的・文化的環境 》とにおける多くは有限で不足すれば深刻な「 多様なリソース《 人的資源・経済資源・社会資源・自然資源 》の相関性 」として互いに影響を及ぼし合っている相互関係・相互作用に潜在するのであり、『 潜在力 』の目に見えづらい気づきにくいものへの ” 洞察と認識 ” は、取りも直さず “ 潜在性の独自的法則と自然的必然性 ” そのものになり、そしてこれによってこれらの独自法則・自然的必然性を特定の目的のために計画的に作用させる「 可能性のある能力 = ” 力能 ”( potential ability )」を得ることにある。

『 実利潜在力( 潜在的実利要素 ) 』とは、効用( 使い道・効き目・効能 )となったり実際の利益となったり、力を増加させる働きとその作用によって実際に役立つ( = 力を稼ぐ )実益効果の潜在的要素として、他なる互いの物事への複数の外在的な関係の布置それ自体の関係束に互いが新たに組み変わることで引き連れ合う ” 使用と実益を伴う用益力 ” における生成変化とその過程・経路にある形成の創作に付随して別の物事が新たに生じ起こったり物事が同時に別の物事を伴せもつ「 転化 」に潜在する ” 生産的力性( 生産潜在力 / 潜在的生産要素 )” である。

目的の成立とそれに付随する問題の解決と課題の実現にあたっての、それまでなかったものと新たに考え出し初めて作り出すという「 発意と創造 」の実質の伴わない題目は、” 実利潜在力 ” とそれに伴う ” 生産的潜在力 ” による『 発現と生産 』として置き換えることができる。

深く思い煩う深刻はリソースの不足という容易ならない事態と受けとめてのことではなく、リソースの多様性にある力を増加させる働きとその作用によって実際に役立つ( = 力を稼ぐ )実益効果をもたらす ”実利的潜在力 ” と、人間自らの格率に従って新しい物事を生み出したり発展をもたらす ” 生産的潜在力 ” とが、人間自身と人間が主体である環境自体を人間自らの肉体の眼と精神の眼で感じ取ることができない( 目に入らない 気がつかない )ということからして潜在的に払底または欠落した不測の事態の容易ならないところまできている深刻なのである。

『 地域ポテンシャル( Potential )』とは、未だ表に出てきていないが将来的には発揮されるであろうとする「 地域力 」として蓄えられる持続的な地域律動の核である「 環境エネルギー《 人間が主体である自然的・物理的環境と社会的・文化的環境 》」の ” 潜在性 ” にあり、実現可能性( feasibility : フィジビリティ ) の力性としての ” 確かさ ” を確保するのとともに、それ以外に問題を引き起こす( 又は現に課題となっている )潜在的変化のファクターとしての ” 曖昧さ ” もある中で、目的を達成するためにどうしたらよいのか考察でき得る問題点と達成するために障害とななり得る課題点という両立の容易ではない二つの力点を兼ね備えもつ力能の可能性という独自的法則・自然的必然性の射程に目的の完全なる統一を拒むこれらの潜在的な影響力はいくら認識・評価してもしすぎることはない。

『 地域潜在力 」とは、” 地域主体自らならできる ” といったことに動機づけられた可能力性により顕在化する可能性としての力能であり、意のままに動かせる主体の支配力に影響を及ぼすものとして、地域が主体である自らに課し自らを守る原理の格率に従って真剣に取り扱うべきものである。

『 潜在力 』の ” 発現 ” へと向かった可能性としての潜在的な力能は独自的法則と自然的必然性をもつ中で、潜在性に対してもつ考えが置かれた自らに目的統一の容易ならぬ ” 状況を受け入れる覚悟 ” の対象とされるが、目に見えづらく気づきにくいというような決して沈黙し無力な存在にあらず力能という雄弁な性質を具しており、意識を切り離されたならば ” 潜在性に対してもつ考え ” のそれを顧みられることのない影の如く、ときどき意識の現前しつつままに任せれば自ずと ” 潜在的な影響力 ”のこれに注意はしない。

自らのうちに目的統一の容易ならぬ ” 状況を受け入れる覚悟 ” を生み出し、そして力を獲得するに到る始動的存在として潜在的な力能の『 潜在力』を発現を可能にさせる感覚認識は可感的であり、可能的知性がそれに従って認識するところのものとして可知的である。

多くの困難や問題に直面して今、問題解決や課題実現の思考や取り組み方は標準化しつつも異なる立場や見方と触れ合ったり軋轢を生じさせたりしながら融合・接合して日々再創造されている中で、『 地域潜在力 』というものは取り分け問題解決と課題実現のための視角であり、実践的な打開策に繋がるものとして力点を置くことである。

『 地域潜在力 』とは、地域社会がこれまで創造・実践・運用・生成してきた動態的で流動している過程に潜在し、地方の地域社会が直面している種々の困難を乗り越え状況を変革するための有効で実践的な方策として、潜在力は単一的なものではなく入り混じった混淆性の力として様々な要素が存在する力の多元性にあり、不完全であることを認識した上で広く汎用性を吟味性と収拾によって取捨選択し、何処まで拡張できるのかその有効性と限界の考求を試みることだ。

独創的な意義をもつ地域潜在力という新たな視点で地域の困難・問題を実践的に解決・改善していく可能性を具体的な問題と課題の中から明らかにするダイナミックな対処能力として、地域潜在力を抽出・概念化した地域潜在力としての知の様式のそれを活用することで、問題解決と課題実現を展望する試みを通して主体的地域発の新たな地域精神とその地域表示は周囲の多くの人々と広く社会に進入することになる。

『 地域潜在力 』として定式化することによって、これまでの知の様式とは別の地域律動の在り方や見方の可能性を、地域未来の持続的な知的資産として展望することであり、地域の潜在力を活用することで ー「 ” 実益 ” と ” 地域のニーズ ” に応えようとするもの 」ー として、主体的地域の潜在力の基盤や特性とその作用や効果と限界まで、問題や課題ごとに検証し、その効用と有効性を探り求めていくことになる。

地方地域の「 潜在力 」というものは、問題解決や課題実現への間接的な実践スキルに値するものではなく、直接的に実際の利益となる効用( 使い道・効き目・効能 )をもつ ー「 実利効果の実質的な ” 潜在的実利要素 ” 」ー として、直接的に実際の力を増加させる働きとその作用によって実際に役立つ( = 稼ぐ )ー「 実益効果の実質的な ” 潜在的生産要素 ” 」ー として 、” 使用と実益を伴う用益力 ” による実質的な実利性と生産性を図ることにあり、「 地域リソースの用益と生成変化に伴う転化に潜在する 」実質的な生産とその生産力の強化・拡張を推進することにある。

これらを支える知の思考・様式が、これまでの知の様式とは異なる視点と思考をつくりだしている点に注目し、” 潜在的実利要素と潜在的生産要素 ” の持続性と将来性を抽出する点にあり、地方における新たな地域認識を可能にする ” 主体的地域発の新たな知の地域思考と地域様式 ” をもつ『 地域ポテンシャル( Potential )』として周囲の多くの人々と広く社会に提示することを目指す。・・・・・

 

 

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