努力の余力 ” 力のいろいろ ”   思巡の活力:【 Ⅰ 】「 調整力 」

 

 

「 ” With NIKKO ” 」ウイズ日光

      〜 大自然からの提案 〜

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

 

 

Walk at Dusk (Man Contemplating a Megalith), possibly a self-portrai. mellan 1830 och 1835. Caspar David Friedrich. Getty Center är ett konstcentrum i Brentwood i Los Angeles, Kalifornien, USA, som bland annat omfattar konstmuseet J. Paul Getty Museum.

 

 

   ー 自分を生きる地域を活かす ー

 

KANKE 塾:” 地域プロモート ” 開催中

  Community-development

 

・・・・ 実践への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・

未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点

– feasibility of community strengthening –

 

” 地域への配慮 ” という大切な活動によって地域の発意と創造の志向性とその可能性に勇往邁進しよう

 

 

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” 思巡の活力 ”【 I 】

努力の余力 ” 力のいろいろ ”
〜 ” 相互力 ” に伴う「 調整力 : coordination 」〜

 

見込んだ想定外の「 努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」
努力の余力 = 努力の内にある ” 余( ほか )” の力
努力することによって産み出される ” 複利の活力 ”
努力行為の本来目指す当面の成果とは異なる価値
努力過程の副産物である ” 潜在的 ” な「 可能力性 」

 

『 人は地域を創り動かし 地域は人を創り動かす 』

・・・・ 個の集団である地域は、幾多もの人間( 要素・成分的 )及びその量の割合による ” 組成 ” 構造によって一つの地域として組み立てられており、それぞれ地域としての経済・社会と文化がある。
取り巻く環境の変化に伴う ” 人口減少と地域経済縮少 ” などによる構造的な問題は、人間と地域の疲弊と大きな課題を招いている。
実に ” 地域事 = 自分事 ” として感じ、考え、動き、状態をよりよくする為に努めて力を尽くすにあたり、課題解決の糸口として考えられる潜在力を引き出し持続的可能性を ” 生成 ” していく最もよいやり方を探す「 力法 」は、実に ” 地域力 ” と ” 自己力 ” とに同じようなことがいえる。・・・・

 

……… 自分に生きるのではなく ” 自分を生きる ” 活線上に ” 地域を活かす ” 発意と創造の実現を目指す地域それぞれの生き筋の道程というものは、性格を備えた地域自体の在り様でもある。
全ては地方地域の現実世界における偉大と苦悩との矛盾に満ちた流れの内に、” 地域への配慮 ” という大切な活動による地域の志向性とその可能性に向かう新機軸の打ち出しに複数の課題が難題として混ざり合い交流するところの変化が、” 自分を生きる地域を活かす ” ことを単に複雑にしているのではなく、直面している『 社会課題の ” 難化 ” 』といった様々な問題が、ただただ地域自体について想像を巡らさせることになる。
そうして常に絶えず ー 完全なる客観性 ー は実際に全て不可能であるということなども到底知らないままに、” 地域潜在力 ” に伴う ” 地域力 ” を以て主体的な「 地域創生の ” 想定 ” 」というものは、地域の性格に因り成り行くのである。………

地域の主体性( 当事者意識 )は、地域の現実・事実に関わり意識や行為者性と人であるのとともに視点や感情と信念や意志と欲望など意識的な経験( 主観的な側面 )と性格をもつ人それぞれが地域の主体であり、地域に対して活動する( 行動したり力を振るう )にあたって主観性( 主観的な見方や主観に依存する程度 )が伴うことを度外視することはできない。

とはいえ、地域が開けてゆく期待が伴う中で ” 自分を生きる地域を活かす ” ことは、地域主体の自覚や意志に基づいて行動したり作用を他に及ぼしたり主体の思い通りを追求していくことでは決してなく、地域主体としての考えに閉じ籠っている在り方を開いていく働きとその作用が付随・関連( 又は連関 )するものといえる。

集団としての ” 地域世界 ” と個としての ” 生活世界 ” の問題や課題をも主題化し、共通の客観性は相互主観性( 共同主観性または間主観性 )に構成され得るともいえ、諸個人が互いを主体として承認しつつ単一の世界を共有しているような事態にある「 相互作用 」の成り行きにおいて客観性が基礎付けられ、地域と自己の分化に先行する基底的な構造ともいえるのである。

観念的且つ理論的に考えられた社会に対して現実の社会は、人間の意図とは関わりなく部分的にまた全体的に変化する社会変動にあり、刻々と変わる環境に対応する ” 力 ” を身につけ、それを強化していくことが重要となる。

地方地域として ” 地域社会の疲弊 ” の「 構造的 」な問題である ” 人口減少と地域経済縮少 ”などを克服し、将来にわたって活力ある地域を維持することを目的・目標とした経済・社会施策などの重要性が高まるのとともに、従来の地方地域としての「 枠組み 」 とは異なる新たな捉え方や考え方をもつことが必要になってきている。

「 判断 」とは、” 知る ” ことを意味するものといえ、その「 判断力 」は ” 知る力 ” であり、これからの時代を生き抜くために地方地域は社会変化に対応(適応)して変化するのみならず、” 変化することは進化・発展することである ” とした「 判断 = 変進力 」が特に重要なものとなる。

事実判断と価値判断の両者は、ややもすれば絡み合いながら働き、相互に他に移行するというような相互作用はありうるが、「 判断力 」によって最終的に価値判断を決定するのがもっとも客観的なもっとも深い事実判断であるということもできる。

地方地域としての「判断力」とは、そのような ” 認識力( 地域認識 )・ 評価力( 地域評価 )” に ” 洞察力 ” を通した「 判断力 」であり、未来を信じる力と持続可能性を生み出す力を以て地域資産価値の有効活用と効果的な修復向上・維持運営で守り育てる実践への主体的な取り組み方という ” 地域創生 ” なのである。

知らず識らずの間に不思議な社会現象としての地方地域にならぬよう、地域自体として自らが主体性をもって問題・課題を解決・対応するために行動するのとともに多様性や協働性などがある活動を行い、地域潜在力を引き出し解き放ち ” 地域をコーディネイト( 調整 : coordination )” しよう。

常に絶えず発現する社会現象は必ずしも未解決の普遍的な問題・懸案事項または不定的な事象に関する社会問題とは限らない。
良きにつけ悪きにつけ社会全体に急速に浸透して影響を及ぼす社会現象は時代の変遷であり、その時代の波・時流の変化に乗ってのことである。

この様な社会現象としての地方をどの様に捉え、地域自らどの様に対応していけるか、そのためには社会現象の活線上に地方地域の現象となっているものが真に ” 地域のやりたいこと ” なのかを主体的に顧みることが必要だ。

人間ひとり一人の個を尊重する多様性の時代、複雑化するのとともに様々な価値観を共有する多様化する社会。

『 社会課題の ” 難化 ” 』という乗り越えるべき大きな課題の解決へ向けて取り組むにあたり、多様性に適応するため多様化の意識に導かれ多様性が重視される中で、地方地域の本当の在り方は、一般社会に存在する個性を活かし自立した地方として時代の変遷に伴う状況や情勢に沿ったニーズに応えるために地域の一時的ともいえる可変的な価値を単に探り求めていくだけのことでよいのだろうか。

その様に地方地域としての本当の在るべき姿を ” 問い直す ” にあたっては、不思議な社会現象としての地方地域にならないがために、皮肉にもその不思議な社会現象のそれ自体を ” 問い直す ” ことにより学び取ると、そう単刀直入にいうのは牽強付会の誹りを受けるだろうか。

” 問い直す ” ことは、地方地域の本質に迫る行為であり、地域の発意と創造の志向性とその可能性にある新たな地方地域の姿や地域の内に眠る「 潜在力 」に気づき、次なる問題や課題を生み出す切っ掛け( 契機 )にもなり得る。
人間は何かに慣れると、どんどん安易に物事を判断する方向に流れていくのであり、普遍的に大切な ” 問い直す ” ことを今改めて強調する理由と背景にある危機感を先立って捉えることである。

地域の主体性( 当事者意識 )は、地域の現実・事実に関わり意識や行為者性と人であるのとともに視点や感情と信念や意志と欲望など意識的な経験( 主観的な側面 )と性格をもつ人それぞれが地域の主体であり、地域に対して活動する( 行動したり力を振るう )にあたって主観性( 主観的な見方や主観に依存する程度 )が伴うことを度外視することはできない。

とはいえ、地域が開けてゆく期待が伴う中で ” 自分を生きる地域を活かす ” ことは、地域主体の自覚や意志に基づいて行動したり作用を他に及ぼしたり主体の思い通りを追求していくことでは決してなく、地域主体としての考えに閉じ籠っている在り方を開いていく働きとその作用が付随・関連( 又は連関 )するものといえる。

大きな課題に直面する中で思い通りにならずに行き詰まった時、それはこれまでの地域の活かし方( 生き方 )を ” 問い直し ” することにより見方が開ける契機なのである。

地方地域の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための地域の主体的な取り組み方として、現時点の地域レベルを始点にした ” 地域への配慮 ” という大切な活動によって地域の発意と創造の志向性とその可能性に向かい超え出でる ” 力のいろいろ ” に触れてみることだ。

” 地域発展力( 発想力と展開力 )の発創 ” による「 地域プロモート 」の拠り所として、地域の基礎力( 地域の能力一覧 )における一つの力、主体的な ” 地域調整力( 地域コーディネイト )” 。

” 調整 ” は、ある基準に合わせて正しく整え、過不足などを正し、「 相互作用である力のつり合い 」のとれた状態にすることといえる。
それは、全方位的に ” 相互作用の主体力 ” が関わるものとして、感情や思考と行動などが包括された多様なコミュニケーション機能とコミュニティ機能の多くにおいて必要になり、それにより関わる一人ひとりがそれぞれ「 調整力 」というものを身につけ向上させることが重要となってくる。

問題・課題の解決や対応を伴う目的・目標の実現や達成のための努力をしていくうちに、その過程で自ずと身に付く” 努力の余力( 力のいろいろ )” の効果価値とその効用の質を見直すべき一つとしてある「 調整力 」。

「 調整力 : coordination 」とは、程よく地域を整え、つり合いのとれた地域統制の状態にすることである。
異なる立場の人や利害が対立している人たちの意見や主張など互いに働きかけて影響を及ぼす ” 相互作用 ” により調整し統制する地域管理能力や実践機能「 地域をコーディネートする能力 / area-coordination )」として、目的・目標の実現や達成のため当事者全員に理解し納得できる落としどころを見つけ収拾することができる力の働きかけとその作用を高めることを意味するものであるといえる。

” 調整 ” とは、他者に関わる力( 考え方の浸透や協調性など )と自分に関わる力( 行動力や計画性など )と課題に関わる力( 分析・思考力や新規力など )の相互の働きかけ作用が同時進行・相互平行している中で、事実や感情と思考とともに創造的な視点や高い視点と否定的な視点や楽観的な視点とメタ視点など異なる視点から検討し、多面的な解決・対応策を見つけることである。

” 相互作用の主体力 ” による問題解決や課題対応とアイデア創出のための重要な力であり、「 相互作用 = 主体力 」は、この様な視点とともにアプローチを同時に認識・評価して考える並列思考法( パラレル思考 )によって問題解決や課題対応を検討し、さらに複数の解決策や対応策とアイデアなどを同時に認識・評価し比較することが重視される。

これにより、バランスの取れた多面的な解決策を見つけることが求められ、前に踏み出す力や考え抜く力と働きかけ作用する力など基礎的な ” 力のつり合う均衡 ” や一致・連結のハーモニーによって安定した均整がとれているべきなのである。

「 主体力 = 相互作用 」としてのその全ての力が程よく ” つり合い ” 、矛盾や衝突などがなく纏まっている状態・状況を保つことは、抑制的であっても合理であり、迅速で無駄のないものである。
よりクリエイティブな発想や革新的な解決策を見つけるためには、目的・目標達成のための ” 積極性や強靭性( 粘り強さ )” が特に必要といえる。

インタラクション( 相互作用 : interaction / Interaktion )は、” 根本にある発想が同一 ” であり、あらゆる「枠を超え( 枠組みを超え )」その根本概念は共有されている。

“ 相互 = 間 ” で行う(する)という二つ以上のものが互いに作用し影響を及ぼし合い、相互作用というアクション( 行動 )として一方的ではなくインタラクティブ( 双方向 : interactive )でやり取りを行う相互作用( 交互作用 / 相互交流 / 相互行為)のことである。

互いに作用し影響を及ぼし合う ” 連繋 ” または「 連繋思考 」によって ” 枠を超えて力を繋ぐ ” ことは、価値観の共有や多様な状況統合として、その効果の構成は複雑ではあるものの、 ” 越境 ” において互いの価値観の共有や新しい価値観を生み出すことができ、変化し進化していく「 変進力 」が見込まれる。

「 相互交流 」の一定の範囲の中に包み込む ” 包摂 ” という ” 相互の関係 ” づくりであり、価値観に包括される従属関係はその交流範囲から異種・多種を受け入れ取り込んで「 ” 複合 ” の ” 生成 ” 」を行っていくことによって、変化に対応(適応)するのみならず、新しいものへと進化・発展する持続的な力である「 変進力 」を身に付けることである。

「 調整 」にあたっては、時代や場所を超えて変わらずに当てはまる性質や価値観をもつ普遍的( 従来型 )の組織化や編成を保守的に維持し再々試みるよりも、複雑化・多様化する社会の変化に伴い認識や評価が変わる中で、現在の不合理を次第に改善し新しくしてより優れたものを進歩的に追求する捉え方とともに時代を経る中で変化し進化ていく考え方が必要である。
意識の擦り合わせによる協調のもとに全般に受け入れられる様々な領域を超え共有される最も合理的且つ効果的・効率的で円滑な「 オーケストレーション( orchestration )」という新たな試みによって過不足などを正していくべきである。

現代の複雑化・多様化する環境において ” 安定且つ柔軟な調整制御 ” が求めらる中で、その重要性を高めていくオーケストレーションは、決して避けては通れないキーワードであるともいえる。
活動を共に行う協働の集団として共通の目的や達成すべき目標とそのためのやり方を共有し連帯責任を果たせる補完的なスキルを備えた少人数の集合体を理想とする中で、オーケストレーション手法を取り入れて組織的な規模などの増減や編成的な拡大縮小など最も合理的且つ効果的なスケーリング( scaling )や負荷分散などの実現を試みることであり、無駄や人的ミスと膨大な手間などを排除した形で最適化に取り組めることが期待される。

オーケストレーションはプロダクション形式であり、相互作用の主体性に伴う知識のもつ相互の複雑な関連をその知識単位ごとの独立性を保持しながら、複数のプロジェクトフローを編成するためなどの柔軟で拡張性があり増減し得る能力のあるスケラーブルな目標達成や戦略と問題解決や課題対応などに役立つ思考の枠組み( フレームワーク )が提供( 推進 )できる。
大規模で複雑なワークフローを管理し易いプロジェクトに分割し局所的に共有して全体的な効率と共同作業を実現するすることができるのである。

保守や革新などと右往左往と混乱すれば、余計な衝突を避けるために無関心を装うか協力はするが主体性を持たず単に周りと同じくした同調性になるか秩序がないかだけであるが、保守すべき点もあれば革新すべき点もある。

自己の考えや行動を他人の意見を参考にせず自己満足のみで判断する態度の ” 保守独り善がり( よがり )と革新独り善がり ” が主張し譲らずない争議( いざこざ )は、他者との調和や集団心理を無視し自己の利益に重きを置く考え同士の闘諍( いさかい )にすぎない。
劣る闘諍( とうじょう )堅固の不穏は人のその存在と周囲との不調和から生じる軋轢や抵抗が起こすものであり、自己中心や独善の考えや行動を見直し調和が生まれれば流麗静謐(せいひつ)に勝るものはなし。

また、いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこともあり、不易流行として新味を求めて変化を重ねていく流行性もまたいつまでも変わらない不変な様でもある。

右を見たり左を見たりして躊躇い迷い、右顧左眄( うこさべん )として周りの情勢や周囲の思惑と意見などを気にかけ振り返り目の色を伺い煮え切らず、なかなか意思決定や決断ができないなど、紆余曲折( うよきょくせつ )として種々込み入り( 事情が込み入っていて )複雑ならば解決に手間取るだけである。

インクリーシヴ( 包括的 )に全てを含んでいる( 全てを包み込んだ )ものとして、力が程よくつり合う均衡により安定し整っている均整や力を合わせた協調とその協調性。
それは、いろいろな価値観や考えを持つ人たちと折り合いをつけつつ時には周囲を説得しながら一つの目的・目標に向かっていく力であり、他者意見をも尊重してその中から互いが納得できる妥協案などを出したり協力する力でもある。

自分に意見があってもそれを軸とせず周りに合わせることや思考を停止させたまま周りに合わせることは、主体性を持たずに流されてばかりのことであり、同調性と協調性とを履き違えると可能性は危ぶまれる。

成長を続ける上で欠かせない新たな考え方や技術を取り入れることで新しい価値を生み出し、社会に大きな変革をもたらす取り組みとして「 新機軸 」が求められる中で、守株的に保守や革新だと二分法的にいっても ” 笑い薬のすれ違い ” なのである。

新しい事実や情報などを取り入れて古い考え方や行動を改め変えることに抵抗感を示し躊躇する傾向になりやすい保守性バイアスもあれば、新しい事実や情報などを取り入れた考え方や行動は社会全体に普及すべきと過大評価してしまう傾向になりやすい革新性バイアスもある。

保守的であっても革新に変わりはなく、革新的であっても保守に変わりはなく、” 現在の不合理を次第に改善し新しくしてより優れたものを「 追究 」する ” ことが「 進歩 」というものであり、時代を経る中で変進力を身につけて変化し進化てゆくべきである。

大切な協調や協働は、煽る保守( コンサバティブ : conservative )への同調あるいは分断と対立が加速されたことによって見失われ、多様性に伴い協調性や協働性は皮肉にも革新( イノベーション : innovation )の手中において、思想や考え方がその時代の社会一般よりも望ましい方向へ進んで行こうとする ” 進歩的な相互性 ” に沿う新たな意義を持たされ蘇り( 甦り )その息吹に活かされる。

人々の協調行動や協働行動などが活発化することにより社会の効率性を高めることができる市民社会資本( ソーシャル・キャピタル : social capital )。
この考え方は、人々が持つ信頼関係づくりや人間関係づくりの社会的ネットワークであり、知的コミュニケーションや知的コミュニティによる協調や協働こそが社会や共同体に関する全ての問題・課題へ対する ” 万能薬の効果覿面 ” なのである。

社会的ネットワークの状態や実情としての在り様は、それを形成する主体者としての個々人にとってこのネットワークの有益性を示す鍵になると考えられ、様々なネットワークへの繋がりやコミュニケーション力とコミュニティ力を持つことが、個人が何かを成し遂げるときにより有益となってくる。

全体をひっくるめて纏める包括と異なる資質を持つ割合にすぎない分離と結合。
その双方において見るならば、異なるものを取り出すか取り入れるか、或いは顕在性のものと潜在性のものとをどの様に取り扱うか、この様な難点もある中で分離と結合の調和から生まれるものもある。

異なる資質を持つ対象オブジェクトの結合は、別々のオブジェクトを一つのオブジェクトに纏める方法であり、分離は逆に別々のオブジェクトに分けることである。

自分に関わる力( 行動力や計画性など )と課題に関わる力( 分析・思考力や新規力など )と他者に関わる力( 考え方の浸透や協調性など )の一切と一切とが何らかの相互作用 によって結びつくだけでなく、それと同時に分離してもいるといったダイナミクスがある。
結合しないほうが良い場合も存在するのとともに、ペアレントとして多くのものが生まれたその原型となったもの( もしくは多くの小さなものが属しているもの )も存在する。

時と場合によっては、収拾せんがため暗礁に居残り、吟味する留まざるを得ない境域もある。
今厳し過ぎる現実、理想にあるがまんまの目的・目標の動機や動因に確信と願望の時と人であるともいえる。
何もかも分からず先が読めず、深刻な脅威の警告に最悪シナリオの猛威の見極めができるか。

日常の停滞と非常の阻止も有り得る中、さらには喚起と警笛が起こり得る中、これまでにない規模に対して緊急の即効性がない。
非常時の崩壊はすでに始まりつつ、想定外の苦悩に迫られるのは必要性や重要性とその苦渋だけかもしれない。

多様な力の働きかけ作用する相互作用を意図的に一つに纏めて収拾のために束ね、吟味的なものはコントロールする力であり、左右する力のバランス力が特に必要となってくる。

地域実現や目的・目標の達成に向けての自発的な行動を促すコミュニケーションは、気づきや切っ掛け( 契機 )や踏み台( 土台 )として、その足掛かりや手掛かりのバネとなる。
手順のみで決まりきった一定のパターン&タイプは対応できても、状況が少しても変わってしまうと対応できなくなる。

状況の想定や条件よりも状況に応じ具た体的な対応であり、状況に変わらず丁寧に具現化の質を高めることだ。
柔軟性を主軸にした客観性のある思考力に加えて ” 発想力と展開力 ” で捉え、冷静な判断で ” つり合う知識 ” を取り入れる。

「 自分を生きる ” 地域を活かす ” 」ということは物事と人に関わることであり、地域を活かしながら自分を生きるその生き方を補正・修正する。
大事なのは地域肯定感があろうが地域効力感( 可能感 )があろうが問題や課題を見落とさないことだ。

選択可能性と期待可能性において地方の ” 地域責任と地域肯定 ” の前提を欠くこともある中で、一方では具体的に地域自体内での衝突の場合もあり、他方では具体的に他者との衝突の場合もある。

人間個々が関わるその全てにわたって接触する個人の境界線と他者との境界線がある。
その合理的且つ安全で許容可能なパーソナルバウンダリーは、適切な境界面( 境域 )の ” 相互作用 ” において合理的・安全・許容可能な手法であるかを判別するためのものとして、対他的に主体の支配力ではなく、” 相互作用 ” により主体の内部・外部の二方向それぞれに影響する。

健全な相互作用は、適切なこの境界面が基盤となっいる感情や思考と行動において成り立っている。
なので、時には保護として働くこともあれば封じ込めとして働くこともあり、何を受け入れ何を受け入れないのか、個々が関わる全てに地方地域の「 コーディネイト( 調整 )能力 」が不可欠なのである。

不可能であることを否定しないが、可能とつり合うように不可能があり、持続というものは試みによって可能か不可能かの相違が生じる。

社会的現象の水準と地域的意識の水準とが密接に関わり、当事者意識を持った地域主体の ” 転換力 ” による決断と転回の時であるものの、もはや現状を維持し得なくなって何か新しい状態が模索される移行過程に起きる矛盾もある。

目的や目標に向う一連の行為に決断という正当理由で偶さか( 適さか )誤ったことをしてしまうのが人間というものであり、決断というものは場合によっては対応する能力の無さで引き起こす脅威ともいえる。

この様な全てを通して、地方地域としての未来と持続可能性の実際は少なからず時代や社会が反映( 影響 )する。
多様性の時代や多様性社会を含めた社会現象に着目しこれに流されないようにし、現時点の地域レベルを始点にした ” 地域への配慮 ” という大切な活動によって地域の発意と創造の志向性とその可能性に向かい超え出でることだ。

果たして地方の本当の在り方は本物の地域なのか、地方地域にハッキリと未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の基準ができるようにすることだ。
この基準が地方に育ち始めるということは、地域が開化( かいけ )して首途するプロセスにあり、それ自体が未来へ持続可能な地方地域としての社会現象( 社会現象としての自体ではないもの )を生み出すことにも繋がる。

それは、地方地域の閉じられた生き方に創生という開け( ひらけ )がもたらされることであり、思い通りを追求する生き方が破られ、ものの見方が開けることである。
思い通りにならずに行き詰まった時、それはこれまでの生き方を問い直す契機であるといえる。

そこで問われるのは、地方地域として ” 地域社会の疲弊 ” の「 構造的 」な問題である ” 人口減少と地域経済縮少 ”などを克服し、将来にわたって活力ある地域を維持することを目的・目標とした経済・社会施策が重要となる中で、従来の地方地域としての「 枠組み 」 とは異なる新たな捉え方や考え方をもつことが必要になってきているということなのである。

地方地域の成長その全て現象として存在する現実と未来において、我々は今の今時代と社会現象の全てを通して可能性に存在する地方地域としての生き方というものを再確認することが必要性なのである。

現時点の地域レベルを始点にした ” 地域への配慮 ” という大切な活動によって地域の発意と創造の志向性とその可能性に向かい超え出でる傑作を生み出し続けることの意義は、「 自分を生きる ” 地域を活かす ” 」ことがいいと思うところを自他にもわかるようにする意味にあり、地域と自分を了解できることにある。

” 地域創生 ” に関わる出来事を生み出すということは、失うことを味わわないがための基準を鍛えることができるようなものである。
工夫や苦労を感じてこそ、「 自分を生きる ” 地域を活かす ” 」ことの意味( 意義 )が見えてくるといった現象があるはずだ。

あらゆる状況変化に巻き込まれている地方へのその様な地域の正しい道理( 道義 )という正義への責任を求めて、自体が繋がり合いのとれる可能性を問うがために、地方地域というものを知り続け、未来に向かって進む。

” 地域調整力( 地域コーディネイト能力 )” によって地方地域を変化させることが必要であり、” 地域発展力( 発想力と展開力 )の発創 ” による「 地域プロモート 」によって未来の原義そのものに地域自ら投げかけていくということが重要となってくる。

それは、信じる未来の地域を発見し持続可能性を創造し続けてゆくそれ自体が目的・目標の実現や達成に向けた ” 地域となりの前向きな追求 ( 地域への配慮という大切な活動によって地域の志向性とその可能性に勇往邁進すること )” としてある。

地域と自己の同時発心に未来効果を眼界展望する ” 力 ” の発現は、地域自体をかけた慎みと潔さの妥協せぬ勇気の責任と謙虚さにある。
” 地域への配慮 ” という大切な活動に心の怯みや動揺のない攻め強さと心の誤りや不覚のない注意深さは、” 自分を生きる地域を活かす ” 発心が時を一変させる基調であり、地方地域と自己自身が一体となった世界を巡らす勢いを盛り返し、” 地域を生きる自分を活かす ” 自らの心を貫く勇気を維持しえる。

未来を信じる力と持続可能性を生み出す「 主体力 」によって地方地域を生き継ぐ地域こそが、いささか憂鬱な立ち往生と戦い、心のままに現実を直視し守り備え、コミュニケーションとコミュニティの未来形から遮断されることなく誇らしげに直立した先駆者ということになる。

その様な中で、主体おいて互いに働きかけ影響を及ぼしながら作用する感情状態や思考状態と行動状態を変えつつ実践していく” 相互作用 ” に伴い、付随して ” つり合い ” をとる「 主体力 」というものが持つ重心と力が働き作用する着力点( 作用点 )による ” 調整 ” なのである。

” 力というのは常に一対に現れる「 相互作用( interaction / Interaktion : インスタラクション )」” であり、相互作用というアクション( 行動 )として一方的ではなく、双方向( interactive : インタラクティブ )でやり取りを行う相互作用( 交互作用 / 相互交流 / 相互行為)における全ては ” 力のつり合い ” である。

「 力点 = 主眼点 」として、相互作用のつり合う ” 均衡の効力( 力の効かし方や効き目 )” は、対力と偶力・合力と分力・並進力と回転力などを捉えた「 活動 = 相互作用 」における力の転換( 力点と作用点または着力点など )であり、物事の認識や理解と発想などの仕方でもある。

大きな変化について広い視点で深く構造的に捉え考え抜く力を高め、更に前へ進める力( 前へ踏み出す力 )の主体性を高めることであり、” 主体力 ” は幅広さと深さを伴う変化への対応策( 解決策 )を導く着力点として「 主体力 = 波動力 」となる。

求められる ” 主体力 ” を活かして行動へと一歩踏み出した「 創造力 」とともに可能性を広げる ” 波動力 ” は、主体性を必要な能力の一つとして進んで物事に取り組む力であるといえる。

そうしてみると、地方地域やその活動と地域力の心棒は、” 自分を生きる地域を活かす ” として成し遂げたいことの状態に成りたい力の能力であり、価値観の基準となる地域理念の力に深く関わる。

社会に存在する地方地域それぞれが『 社会課題の ” 難化 ” 』における様々な課題を地域自体に関わる問題( 自分ごと )として ” 問い直し ” 、解決へ導く大きな力をどの様に生み出していくか、ということである。

その問いを煮詰めるならば、地域としては先ず相互作用の主体力に伴う不可欠な「 調整力 : coordination 」を高めることであり、必要な知識や経験と能力などの多軸な多様性を知るということである。

『 社会課題の ” 難化 ” 』といった様々な問題の解決や課題に対応していくにあたり、地域の志向性とその可能性における創造力と可能力( ケイパビリティ : capability )の広がりとともに地域発展力( 発想力と展開力 )の伸びを高めていくことになる。

そのためには、地域内・外部に限らず総体的に多種多様な価値観を許容し、多様な知と知の新しい組み合わせを生み出す「 包摂力 」のある ” コンポジット( 複合 : composite )” の力を見出すということである。

そこに浮き上がってくるのは、” 複合力 ” に伴い畝り動く勢いある地域の基礎力として主体的なウェイブ「 波動力 : wave 」にまつわる何か、ということかもしれない。

 

 

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