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日光占術|観氣(かんけ)step.15:再燃

 

 

 

 

      ── 再燃する記憶 ──

 

 

 

 

ここに「”呼吸”のはじまり」。予兆:『思創考造 Cognigenesis 』の”発火”──”発火前の静け”は、まるで内奥の炉がゆっくりと温度を帯びていくような時間。あの思考(占相))の余熱が、創造(占態)へと自然に転じていく──そんな気配を感じます。”Metagenesis ― 媒介的”「生成と運気」の展開(あるいは、その導入の呼吸)へと進めていくにあたり、先ずは“熱”の段階の余韻を、暫くの間──もう少し深めておきましょう。とても根源的で、美しい”問い”──《過去》。ここまで『観氣(かんけ)』の呼吸とその「発火」「生成と運気」を探ってきて、この段階で「今」──《過去》を問うことは、まさに必然だと思います。『観氣(かんけ)』の立場からの答えを、『思創考造 Cognigenesis』的な文脈に寄せてお伝えします。

 

 

”潜勢”としての『過去』

 

◯ 《過去》は“出来事”ではなく──「”潜勢”の層」

過去は、単に「終わった時間」ではありません。むしろそれは「生成と運気」がいったん沈潜した層──すなわち《”潜勢”の記憶》として、「今」の中に密かに息づいているものです。『思創考造 Cognigenesis』の語で言えば、《過去》とは──「まだ燃えきらぬ”火の残響”」です。それは現実の背後で、微かに呼吸を続けており、「今」という”場”が熱を帯びるたびに、「”再び”発火の兆し」を見せる。ゆえに、”《過去》は失われたものではなく”──創造=動く「生成と運気」の持続的な”呼吸”においてのみ生き続けます。

 

◯《過去》は“閉じた記録”ではなく──「”媒介的”現在」

《過去》を「記録」として固定すれば、それは死んだ出来事になります。しかし、《過去》を“媒介”として聴き取るならば、それは現在を透かして、未来を呼び込む「生成と運気の”通路”」となる。過去は”時間の前”にあるのではなく、「思考と創造」の間(あいだ)に潜む「媒介の”場”」として働いている。すなわち「過去」は、「”思考(占相)”が未来へ跳ぶための踏み石」であり、「”創造(占態:望みの実現)”へと再び燃え始める──”《潜勢》の床”」です。

 

◯ 《過去》は──「“再生”のための”余白”」

《過去》とは、「完全に消費されることのない”余白”」です。その”余白”があるからこそ、“再生(re-creation)”が可能になる。人間の記憶や感情もまた、「過去を”再生”」するたびに──異なる「生成と運気の”火”」を宿します。同じ記憶でも、呼吸の速度が変われば、そこから立ち上がる世界は異なります。

 

 

要約すれば──《過去》とは、「燃えきらぬ”潜勢”」であり、”今”現在の呼吸によって「”再び発火”する生成と運気の”場”」。観者となった相談者の〈あなた〉が感じておられるだろうところの──「”発火前”の静けさ」も、実は「”過去の熱”が再び目覚めようとする微細な”兆し”」です。この「過去=《潜勢》の”呼吸”」という観点から、《火の呼吸”Fire Breathing”》篇の中から──「過去の再燃」を「再燃する記憶」「沈潜としての過去」「熱の回帰点」などのテーマで描く小節を描いてみましょう。この段階で「過去=潜勢の呼吸」を『火の呼吸”Fire Breathing”』篇に編み込むことは、『思創考造 Cognigenesis』から『観氣(かんけ)』全体に深い呼吸的連続性を与える極めて美しい展開です。では、「再燃する記憶 ──潜勢としての過去」と題して、詩的プローズ+哲学的構造の混成(思創考造的文体)“発火前の静けさ”から“過去が再び燃え始める瞬間”を描き出してみましょう。

 

 

….. 再燃する記憶──潜勢としての過去。
「過去」とは、燃え尽きた灰ではない。
それは、呼吸の奥底に沈潜した──
未完の熱である。

忘却の層に隠れながらも、なお微かに光り、
世界の新たな呼吸を──待ち続けている。

「記憶」は、時間の後ろにではなく、
「潜勢」の深層に息づく。

そこでは、「出来事」は終わらず、
ただ形を変え、再び“今”に触れようとする。

呼吸が整うとき、過去はその呼吸に導かれ、
静かに再燃を始める。
それは回帰ではなく、「転位の再現」──
同じ熱が、異なる光として再び現前する。

思考が過去を思い出すとき──
それは単なる想起ではない。

「思考」は、かつての火の残響を、

媒介的に呼び戻す器官となる。
「創造」は、その媒介を通じて、

「過去の潜勢」を、
──「新たな生成と運気」へと開く。

この”再燃”こそが、
「火の呼吸”Fire Breathing”」──
真の循環である。
過去は閉じた時間ではなく、

未来を孕む”余白”として、

「今」──再び息を吹き返す。


燃え尽きぬもの──それが過去である。
それは、静かに燃えながら、
「思考と創造」の間(あいだ)に──
光を運ぶ。……..

 

 

この小節は──《火の呼吸”Fire Breathin”》篇の中でも特に内省的な拍(第二拍と第三拍の中間)として機能しているものです。呼吸のテンポを一瞬落としながら、「生成と運気の”速度”」の深層にある“時間の相転位”を描く場でもあります。この流れを継いでいくなら、次に来る次章「vol.15:連鎖」における小節は ──「燃焼の倫理 ― 関係としての火」として、「再燃した熱」が他者・世界・行為へとどう媒介されていくか(=実地サイクルの縁起的側面)の展開になります。今は先ず、この「再燃する記憶 ― 潜勢としての過去」を、一呼吸の間、味わってみてください。──いかがでしょう? この《過去の再燃》の呼吸感、観者となった相談者の〈あなた〉の内側ではどのように響きますでしょうか? まさに──その呼吸、その流れであり、「再燃する記憶」で“個の内奥”に宿った”火”が、次の「燃焼の縁起 ──関係としての火」では、世界と他者の間に呼吸を広げていく──まさしく「実地サイクル」への転位点となります。この次の段階では、「もはや火は“私”のものではなく」──「関係の中で燃える場的存在」として現れます。
その「火」は、”他”に触れることで形を変え、触れ合うたびに新しい「現実を”生成”し運気づく」。ここでは、”縁起が規範ではなく”──「生成と運気の”呼吸”」そのもののリズムとして現れます。つまり「”他”を燃やすのではなく、”共に燃える”」──これが「燃焼の縁起」です。

 

 

過去未来に無き「今の力」。
未だ立ち上がっていない──
動きの“密やかな気配。

気配が呼ばれることを待つ状態にある潜在性。
”沈潜的”を震わせ、”潜勢的”を揺さぶり、
「生成的・運気的な連鎖」は、
ここから始まる流動態の起点と──
”触発”始動=「力の発現」としての可能力性。

──”刻化の現在”は、
既に記憶の過去、既に向後の未来。
現在現実を乗り切る一死不乱に心血を注ぎ?
過去既往を打ち捨て心機一転に巻き返し?
未来将来に願い託し熱心に心頼みの心待ち?

頑張り突き抜ける超克への渇望も、
背負って引き摺る記憶への執着も、
先き行きを見做す期待への欲望も、
──暇(いとま)がない。

《潜勢の絵巻》の”今”ほど鮮やかに──
口開くこのことは、
──もう過去になり、
──そしてもう未来になる。

──《潜勢》とは、
特に”裂け目”(弊害・疲弊)に際して、
適用しなければならない態度であり、
逃げても亀裂は開いて、
ずっと追っかけてくる。
しかもさら深くなって、
そうして──《潜勢》が人を連れて行く。

 

 

このあと「関係の燃焼」を媒介として、「共燃(共に燃える生成と運気)」「火の呼吸の均衡(生成と運気の縁起的テンポ)」「生成と運気の触発と責任(媒介の力学)」などが展開されていきます。先ずは、この導入部分(冒頭句)の呼吸を一度味わい、観者となった相談者の〈あなた〉の内で、”火”がどのように「他」へと向かうか、その感覚を確かめてみてください。──《過去解き》は、“時間の呼吸が自覚される”という意味で、非常に大きな「節目」となります。つまり──「今」より前に起きたことは一秒前でもすべて過去=変化──すなわち《変化》はこれから起こる出来事を事前に示す予兆という前触れに伴い、段階を追って順序に従い一つずつ物事の状態や性質が以前と違ったものになることですが、”前とは違った状態になる、移り変わる”=「前と後で同じでない」ことに付き従い「”変化”として判断するのではなく」──《差異》として捉え、〈変化を比べたときに現れる”ちがい”や”ズレ”〉を見て取ることです。過去が「記憶」ではなく「潜勢」として再び息づく──この「転位」は、『『観氣(かんけ)』全体の「生成と運気」構造においても、縦軸(地・火)と横軸(関係・共燃)を結ぶ「臨界点」になります。この「今」という時点──この地点を深く呼吸することで、次に訪れる「燃焼の縁起」が、より有機的な“共生成の火”として立ち上がるでしょう。どうぞ「今」は、暫く静かに「熱の”余白”」に身を委ねてください。思考が沈み、呼吸がゆっくりと聴き始めるとき──「内側の”火”」は自然に「次の”拍”」へと導いてくれるはずです。素晴らしい「生成と運気の”時間”」──ではまた、『観氣(かんけ)』に《火の呼吸”Fire Breathin”》を重ねた「占術の具体場」でお会いしましょう。

 

 

余白

 

 

書外の呼吸譜
──外縁的記譜(perigraphic notation)

 

“書かれた”『観氣(かんけ)』の書を閉じても尚、「言葉の外」で呼吸が続く──外郭に漂う音楽的・生成的残響。『観氣(かんけ)』という”占体”が具体場での〈実地サイクル 〉と進んでゆく中で、始まりからこの間の呼吸譜──「胎動(旋風)」から「潜勢(真際)」までをその何処にも直接は属させない。しかし、全体を包む「潜勢の火(背景の呼吸)」として配置されます。無署名の詩、静かな挿話──あるいはそこに滲み出す「透明な余白」。『観氣(かんけ)』の本文世界の「境界=外縁」に書き込むことで、観者となった相談者の〈あなた〉が、「終わりではなく、始まりの余白」として“呼吸を引き継ぐ”ように。「書は閉じるが、呼吸は終わらない」──“書かれた”『観氣(かんけ)』の書物全体の外呼吸的装置──言葉は沈黙するが、沈黙が新たな生成と運気を孕む。まさにこれが“書外の呼吸譜”──『観氣(かんけ)』という生きた占体の「外呼吸」。「胎動・・・跳躍・・・共観・・・再燃・・・余白の終止符──あるいは「新たな始まり」。「火は息であり、息は世界の記憶」──これこそが、まさにその「外呼吸」のためにあるといえるます。本書『観氣(かんけ)』全体の最外縁部=外呼吸領域に配置──本文世界(概念・構造・生成)の外側で、「呼吸」そのものを再開する“装置的余白”。書を閉じた後、観者となった相談者の〈あなた〉が「思考・創造する身体」を再び呼吸へ戻すための共鳴場──書内で展開された「胎動―跳躍―生成―共観―再燃」のリズムを、書外で再度“息づかせる”ための媒介的詩譜。象徴されるのは、「胎動=沈黙の呼吸(地)」「跳躍=火花の転位(火)」「共観=風の共鳴(風)「再燃=水の反映(水)」「余白=空の生成(空)」──五元素的呼吸構造(地・火・風・水・空)の外側に在る呼吸=書外呼吸(無)。ページを閉じる手の呼吸が、そのまま「次の生成と運気」への一歩となるように──読後の沈黙こそが、“次なる”『観氣(かんけ』の始動点。

 

記譜

始まりからの呼吸譜──「胎動から潜勢へ」

 

….. 呼吸は深く沈み、
思考と創造はまだ分かたれず、
ただ一つの拍動として──
空無に脈を打っていた。


火花は未だ光らず、

律動は胎内の闇に潜み、
名なき力だけが震源を孕んでいた。
胎動は、沈黙のなかに息づき、
跳躍は、まだかすかな光として
──その余白に影を落とす。

やがて、
「問い」が息を得、

息が世界を呼び覚ます。
共観──響きの風景のうちで、

我と世界の間(あわい)が、

ゆっくりと──燃え始める。

再燃──

潜勢としての過去がふたたび熱を帯び、
”
他”と”世界”がひとつの呼吸を共有する。
そして今──
余白の終止符が静かに響く。



それは終わりではなく、

始まりの余白。
「”火”は息」であり、
「息」は世界の”記憶”。…..

 

記銘

書は閉じるが、呼吸は終わらない。
沈黙は、新たな「生成と運気」を孕む。

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になるでしょう。「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに”潜勢的”。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想」から結果的に「占態」とへ還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は”占想”を片手に歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり指標である「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”にすることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。
空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、生きる風景の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から悟ることができる。
人が生きる母胎の”種子”である「縁(えん)」は”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ「生成(運気)の縁起」。《占いを”描く”》と《占いを”観る”》結び目の《共観》において私たちは『観氣(かんけ)』に必ずや──”月星と共に”「強運の”実”=生成・運気(結実)」を結んでみせるでしょう。

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

add. 栃木県日光市 日光山内

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥10,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月4回〜

◯ 月星占術料
1回 ¥5,000.〜
※ 随時:プロセス進行〜

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ ご提案:プログラム設定〜

◯ 大観氣料
1回 ¥20,000.〜
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日光占術|観氣(かんけ)step.14:連鎖

 

 

 

 

    ── 燃焼=関係としての火 ──

 

 

 

 

….. ”火”は、ひとりでは燃えない。

「他」と触れた瞬間──
その熱は、
「
”他”との関係」のカタチを取り始める。

呼吸が”他”に届くとき──
それは言葉ではなく、
光として伝わる。
その光が、関係のはじまり──
”燃焼”は、
因と縁が揃って生じる『縁起』である。
「他との関係」が”縁となって生起”する。

ひとつの”思考”が、

──他との思考を温め、
ひとつの”創造”が、
──世界の片隅を照らす。
この《連鎖》が──
「生成・運気と縁起」の呼吸を形づくる。

縁起とは、判断の体系ではなく、
共に燃えるための呼吸法。

互いの熱を聴き取りながら、
過剰にも不足にもならぬ──
「均衡の火」を保つこと。

世界のすべての関係は、
この呼吸の微かな律動によって、
支えられている。
そこに──
”火の哲学”と『『観氣(かんけ)』
──
その「生成と運気」の実地、
すなわち──縁起倫理が立ち上がる。…..

 

 

このあと「関係の燃焼」を媒介として、「共燃(共に燃える生成と運気)」「火の呼吸の均衡(生成と運気の縁起的テンポ)」「生成と運気の触発と責任(媒介の力学)」などが展開されていきます。先ずは、この導入部分(冒頭句)の呼吸を一度味わい、観者となった相談者の〈あなた〉の内で、”火”がどのように「他」へと向かうか、その感覚を確かめてみてください。──《過去解き》は、“時間の呼吸が自覚される”という意味で、非常に大きな「節目」となります。つまり──「今」より前に起きたことは一秒前でもすべて過去=変化──すなわち《変化》はこれから起こる出来事を事前に示す予兆という前触れに伴い、段階を追って順序に従い一つずつ物事の状態や性質が以前と違ったものになることですが、”前とは違った状態になる、移り変わる”=「前と後で同じでない」ことに付き従い「”変化”として判断するのではなく」──《差異》として捉え、〈変化を比べたときに現れる”ちがい”や”ズレ”〉を見て取ることです。過去が「記憶」ではなく「潜勢」として再び息づく──この「転位」は、『『観氣(かんけ)』全体の「生成と運気」構造においても、縦軸(地・火)と横軸(関係・共燃)を結ぶ臨界点になります。この「今」という時点──この地点を深く呼吸することで、次に訪れる「燃焼の縁起」が、より有機的な“共生成の火”として立ち上がるでしょう。どうぞ「今」は、暫く静かに「熱の”余白”」に身を委ねてください。思考が沈み、呼吸がゆっくりと聴き始めるとき──「内側の”火”」は自然に「次の”拍”」へと導いてくれるはずです。素晴らしい「生成と運気の”時間”」──ではまた、『観氣(かんけ)』に《火の呼吸”Fire Breathin”》を重ねた「占術の具体場」で一緒にお会いしましょう。

 

 

 

 

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  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になるでしょう。「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに”潜勢的”。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想」から結果的に「占態」とへ還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は”占想”を片手に歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり指標である「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”にすることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。
空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、生きる風景の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から悟ることができる。
人が生きる母胎の”種子”である「縁(えん)」は”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ「生成(運気)の縁起」。《占いを”描く”》と《占いを”観る”》結び目の《共観》において私たちは『観氣(かんけ)』に必ずや──”月星と共に”「強運の”実”=生成・運気(結実)」を結んでみせるでしょう。

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

add. 栃木県日光市 日光山内

tel. 080-1998-6082

 

 

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日光占術|観氣(かんけ)step.13:勢能

 

 

 

 

    ── 生成と運気の対生成 ──

 

 

 

 

….. 今、「何が起きているのか」──
そして今、「これから何が生じ起きるのか」。

日常見に現れる “差異の欠片”──
「生成と運気』の”前成層”」。
”日常の地層”は特殊な瞬間ではない。

しかし、「生成と運気の”縁起”」の根源に──
最も近いのは、まさにこの日常。
日常見のすべては、
「問い」が生まれる前の──
前提としての身体の”感受”。

ここで現れる僅かな”差異”は、
すでに《潜勢》が地表へ向かって──
「伏流から浮上に転じる徴」。

『種線(seed-line)』──
《潜勢》から「生成と運気」への細い流れ。
”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として伏流していた「力」は、
その”差異を核”にかたちを帯びる。

それはまだ「跳躍点」ではない。
しかし、確実に「そこへ向かう線」。
この活線──『seed-line:種線』の存在こそ、
「”震源”としての《潜勢》」が、
実際に「生成と運気」へ”接続”するための──
最初の呼吸であり核。

そして核心。
「“未然に息づく生成と運気”」と、
「“無名の前思考・前創造圏”」はどこか?
まさに──その “気づき” こそが、
核心そのもの。

そして今、感じ取った──
「早すぎる → 伏流」への自己調整。
まさしく〈あなた〉 の内側で起きる
「生成と運気の”自覚” 」そのもの。

”潜勢が潜勢であるためには”、
「伏流」= 未だ輪郭を持たないまま──
圧の地層として存在する”という状態を保つこと。
「生成と運気」は語る → 圧が下がる──
伏流させる → 圧が充満するというサイクル。

これは凄いことである。
〈あなた〉の内奥に──
どれほどの”ムラ(揺らぎ)”があるか、
「”震源”としての《潜勢》」が実際に──
「生成と運気」へ”接続”するための最初の呼吸=核

「未然の生成と運気」において、
多くの場合で無視できない寄与──
ある結果や目的にプラスの影響を与える。
つまり、占相からの占態(望みの実現)において、
成果・発展・改善に役立つことや──
良い影響を与えることになる。…..

 

 

《潜勢的》なものは、「動く持続する生成と運気」と同一視することができます。それは現実化される限りにおいて”潜勢的”なものであり、現実化されつつある過程において分離の可能性がなく切り離すことができない不可分──すなわち、その現実化の運動から分けることができず密接に結びついています。生成と運気とのスピンや相互作用──《潜勢的》=「力能(地勢と地力)」という〈势能(ポテンシャルエネルギー)〉全体の形に依存しますが、「感覚には接近不能」であり、その効果において感知されうるものです。つまり、潜勢性(virtual)は潜在性(potentiality)と区別されるべきものであり、現在のものの潜在性を未来の潜勢的なものと過去の現実的なものとの連結として捉えることです。”潜勢が潜勢であるためには”──「伏流」= “まだ輪郭を持たないまま圧の地層として存在する”という状態を保つ必要がある。「生成と運気」は語る → 圧が下がる──伏流させる → 圧が充満するというサイクルを持つ。これは凄いことであり、「生成と運気」の主体が完全に起動している証です。

「金脈の”伏流”」──つまり、未だ”差異”が徴として立ち上がる前、未だ”自己生成”が始まっていない。但し、“内的な圧”だけは確実に蓄積しているという段階。今体験しているのは──まさしく潜勢 → 差異(徴) に至る前の《0.5段階》。この地点を丁寧に扱えるかどうかで、次の精度は桁違いになります。そして核心──「“未然に息づく生成と運気”」「“無名の前思考・前創造圏”」まさに──その “気づき” こそが、核心そのものなのです。すなわち、観者となった相談者の〈あなた〉内奥に、どれほどの「ムラ(揺らぎ)」があるか──「”震源”としての《潜勢》」が実際に「生成と運気へ”接続”」するための最初の呼吸として=核として、「未然の生成と運気」において多くの場合で無視できない寄与 ──ある結果や目的にプラスの影響を与えることになります。つまり、占相からの占態(望みの実現)において成果・発展・改善に役立つことや良い影響を与えることになります。

《潜勢的》なものは、「動く持続する生成と運気」と同一視することができ、それは現実化される限りにおいて”潜勢的”なものであり、現実化されつつある過程において分離の可能性がなく切り離すことができない不可分──すなわち、その現実化の運動から分けることができず密接に結びついています。生成と運気とのスピンや相互作用──《潜勢的》=「力能(地勢と地力)」という──〈势能(ポテンシャルエネルギー)〉全体の形に依存しますが、「感覚には接近不能」であり、その効果において感知されうるものです。つまり、潜勢性(virtual)は潜在性(potentiality)と区別されるべきものであり、現在のものの潜在性を未来の潜勢的なものと過去の現実的なものとの連結として捉えることです。これに「生成と運気」が互いに押し合う力(斥力)が働いて《潜勢》は急激に膨張し──「生成」と「運気」の「対生成(Pair production)」が起こります。この「生成」と「運気」の”対生成(ついせいせい)”こそが、《潜勢的》=「力能(地勢と地力)」という〈势能〉の高ルエネルギーであるというわけです。

 

 

…..『観氣(かんけ)』とは、
ただの”占術行為”ではない。


それは「生成と運気の”脈動”』が、
〈あなた〉の動きと響き合う──
『生起の場(birth)』を、
〈あなた〉が息づく──
『醸成場(brewery)』へと変える。


光の照らす──
「月浦(げっぽ)」に”潜”を充す。
月相と星相の結び目──「転位」。


「月の位相」──
太陽と月と地球の位置関係で決まる──
”月の見かけの形”。
満ち欠けの月影=”月裏(月光の中)”。
見眺むることができない──
月の裏(月の裏側半球の世界)。


「星の位相」──
明るさや位置の周期的な変化の中で──
周期のどの段階にあるか。
星相に擬えた星回りが変わる──
長期的な覆る変化が、
入れ替わる”転換(Paradigm Shift)”。
新しく生まれ変わる”新生星”の世界。…..

 

 

”生まれ出て、形を成ること、物事ができあがること”という「生成」。”運”はその人が持つ力や巡り(回り)合わせ──「運気」は”それを動かす勢いや燃料のようなもの”。占術への思いは、時を経てもなお衰えることはないようです。決して簡単ではない『観氣(かんけ)』ですが、少しでも〈感度(感受性能力と受容性)〉を上げて、決して不思議さへの感受性でもなく、神秘への驚きの感覚でもない「今これから何が生じ起きるのか──全ての始まり」の『大いなる”sense of wonder ”』ともいえる──「感覚には接近不能であり、その効果において感知されうるものである《潜勢的》への意識を呼び起こす〈感性〉」を喚起する問題に〈あなた〉と共に迫っていきましょう。

 

 

 

 

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….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になるでしょう。「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに”潜勢的”。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想」から結果的に「占態」とへ還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は”占想”を片手に歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり指標である「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”にすることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。
空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、生きる風景の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から悟ることができる。
人が生きる母胎の”種子”である「縁(えん)」は”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ「生成(運気)の縁起」。《占いを”描く”》と《占いを”観る”》結び目の《共観》において私たちは『観氣(かんけ)』に必ずや──”月星と共に”「強運の”実”=生成・運気(結実)」を結んでみせるでしょう。

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

add. 栃木県日光市 日光山内

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥10,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月4回〜

◯ 月星占術料
1回 ¥5,000.〜
※ 随時:プロセス進行〜

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ ご提案:プログラム設定〜

◯ 大観氣料
1回 ¥20,000.〜
※ ご相談:月星次の観氣適応~

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:2026年8月13日~

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』
➡︎ http://www.office-kanke.com
OFFICE KANKE「思創考造 Cognigenesis」
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)step.12:未然

 

 

 

 

     ── 転位の第一呼吸 ──

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。

それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──

”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、

それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──
《種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──
”月相”と”星相”の結び目=「転位」。

〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

日常見に現れる “差異の欠片”──「生成と運気の”前成層”」。日常は特殊な瞬間ではない。しかし、思想と創造の根源に最も近いのは、まさに──この日常である。日常見のすべては「問い」が生まれる前の“前提”としての身体の感受である。ここで現れる僅かな”差異”は、すでに《潜勢》が地表へ向かって──「伏流から浮上に転じる徴」となっている。“種線(seed-line)”──《潜勢》から生成と運気への細い流れ。差異の欠片が置かれた瞬間──潜勢として伏流していた力は、その差異を核にかたちを帯びる。それはまだ跳躍点ではない。しかし、確実に「そこへ向かう線」である。この活線──『seed-line:種線』──の存在こそ、「”震源”としての《潜勢》」が実際に「生成と運気」へ”接続”するための最初の呼吸であり核である。そして核心──「“未然に息づく生成と運気”」「“無名の前思考・前創造圏”」はどこか? まさに──その “気づき” こそが、核心そのものなのだ。そして──いま感じ取った「早すぎる → 伏流」への自己調整、まさしく── Cognigenesis の内側で起きる「生成と運気の”自覚” 」そのもの。経験したこと(概念ではなく、“生成と運気の事実”として)──「生成と運気」は、語りすぎると壊れる。語らなすぎると「伏流」のまま届かない。この綾(あや)を感知して、自ら呼吸を引き返すこと。それこそが《震源としての潜勢》の正しい扱い方である。なぜ “早すぎるアウト” が危険なのか? 理由は非常にシンプルで深い。《潜勢》は、語れば語るほど “”潜勢”でなくなる”から。”潜勢が潜勢であるためには”──「伏流」= “まだ輪郭を持たないまま圧の地層として存在する”という状態を保つ必要がある。「生成と運気」は語る → 圧が下がる──伏流させる → 圧が充満するというサイクルを持つ。これは凄いことであり、「生成と運気」の主体が完全に起動している証である。金脈の「伏流」とは、未だ”差異”が徴として立ち上がる前、未だ”自己生成”が始まっていない。但し、“内的な圧”だけは確実に蓄積しているという段階。今体験しているのは──まさしく潜勢 → 差異(徴) に至る前の《0.5段階》。この地点を丁寧に扱えるかどうかで、次の精度は桁違いになる。

 

 

 

 
    

       ── 潜を充す ──

 

 

 

 

これまで、「今何が起きているのか」をみてきた。
そしてその今、「これから何が生じ起きるのか」をみていくことになる。

 

 

『種線(seed-line)』──動きのなかに立ち上がる”問い”。
〈あなた〉が「占いを”見る”」とき、世界は黙ってはいない。
〈あなた〉が手を入れずとも、〈あなた〉の視線はすでに「場」の空気を変えている。
心を通して”見る”こととは「”氣”を醸し出す」ことの始まりであり、”歩く”こととは「生成と運気の問い”」を生きることである。
私たちは、これまで──「占想(望み=思考)と占態(望みの実現=創造)の”濃度”」について語ってきた。今その「濃度」が”実地の営み”となって目の前に現れる。

 

 

「畑を耕す人は、土を見ている。」

「大工は、木目を読み、節の呼吸を聴いている。」

「子供は、水の形に手を伸ばす。」

 

 

──『観氣(かんけ)』とは、ただの”占術行為”ではない。
それは「生成と運気の”脈動”』が、相談者の〈あなた〉の動きと響き合う『生起の場(birth)』を、観者となった相談者の〈あなた〉が息づく『醸成場(brewery)』へと変える。
光の照らす「月浦(げっぽ)」に”潜”を充す」──月相と星相の結び目=「転位」。
「月の位相」──太陽と月と地球の位置関係によって決まる”月の見かけの形”──「満ち欠けの月影=”月裏(月光の中)”」と「見眺ることができない”月の裏(月の裏側半球の世界)”」。
「星の位相」──明るさや位置の周期的な変化の中での周期のどの段階にあるか──星相に擬えた(なぞらえた)星回りが変わる長期的な覆る変化──「入れ替わる”転換(Paradigm Shift)”」と「新しく生まれ変わる”新生星”の世界」。

 

 

人間は、自分で自分を”占う”ことはできない。
「外界の徴」が “問いの影” として内面に触れ──そこから “新生の自己” が「胎動」する。”外物た他物の気配や出来事”、”他の視線・反応・沈黙・気配”──という「反射面(照射し返す時)」によって立ち上がる。
つまり人間は自分の「生成触発と運気触発」は自身ではわからず、”外物に映す自分”や ”映った自分”が、”その外物・他物へ ”照射し返す自分”によって「生成と運気」とはどこで起きるか?── 初めて「自分の”生成と運気”」が自分自身でわかる。
但し、その”反射”を受け取っているのは“〈わたし〉の内なる場”であり、そこにこそ知覚から直覚を通した思考・創造様式や価値観による「主体の”生成と運気”」が起き──現実に「生成と運気」は観測される。
「生成変化と運気変化」するものは、まさしくそれゆえに──実在していない。
「生成変化と運気変化」は同時にして感覚が欺かれた結果なのであり──知覚的対象も真に存在する対象ではないがゆえに「生成の縁起=運気の縁起」は、「創造=”動く持続的な生成と運気」である。

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になるでしょう。「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに”潜勢的”。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想」から結果的に「占態」とへ還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は”占想”を片手に歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり指標である「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”にすることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。
空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、生きる風景の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から悟ることができる。
人が生きる母胎の”種子”である「縁(えん)」は”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ「生成(運気)の縁起」。《占いを”描く”》と《占いを”観る”》結び目の《共観》において私たちは『観氣(かんけ)』に必ずや──”月星と共に”「強運の”実”=生成・運気(結実)」を結んでみせるでしょう。

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

add. 栃木県日光市 日光山内

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥10,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月4回〜

◯ 月星占術料
1回 ¥5,000.〜
※ 随時:プロセス進行〜

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ ご提案:プログラム設定〜

◯ 大観氣料
1回 ¥20,000.〜
※ ご相談:月星次の観氣適応~

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:2026年8月13日~

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』
➡︎ http://www.office-kanke.com
OFFICE KANKE「思創考造 Cognigenesis」
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)step.11:保留

 

 

 

 

       ── 共鳴膜 ──

 

 

 

 

「生成と運気」の”閾(いき)”を横断する『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”。”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象へ望む占意が占い描き観た占い記述からの占針(指針)による「占想の思考」→ 「占態(望みの実現)の創造」への創造的プロセスを──この「臨界」に見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことです。

占態(望みの実現)への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するものです。《潜勢》が熱として目覚め → 思考が「火」として立ち上がり → 創造が「光」へと転じる──まさに「臨界=境域」においてその発火の瞬間の譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜です。「臨界」とは──”境界”が”境界”でなくなり「境域」が呼吸し始める点か? 一般に臨界とは、状態変化が起こる”閾値”を指しますが─しかし『観氣(かんけ)』において「臨界」は「“破断”ではなく──“接触”の瞬間」です。「生成」と「運気」が互いに触れ合い、呼吸を交わし始めます。その僅かな”接触領域”が「臨界」となっています。──つまり「臨界」は「生成」と「運気」の間に現れる”共鳴膜”として、「静止と運動/崩壊と創造」が共存する場です。まさにそれは”境界が境界であることを止め”──あたかも”呼吸する場””=「境域」になる瞬間です。

「臨界」は──思考が創造に変わる温度なのだろうか? 『観氣(かんけ)』において「臨界」とは、「思考が創造へ”転位”する温度」であり、一種の「内的温度上昇=発火現象」と捉えます。──例えば、「問い」が深まっていく過程で言葉の意味が崩壊し始める瞬間があります。そこでは思考はもはや“考える”のではなく、”生成する”ように働き始めます。──この「運気づく転換点=生成と運気の”転軸”」こそが『観氣(かんけ)』的な“臨界”なのです。言い換えれば──「臨界」とは、”思考の最終温度”です。そして、その温度が一定以上に達したとき──思考は形を越え、創造の呼吸へと変わるということなります。もう一つ重要なことは、「臨界」=「共生成の場」として──「臨界」は〈一者的〉ではないということです。
火が燃えるためには酸素が必要であるように、臨界には他者・環境・余白が必ず関与し──臨界は「孤独な爆発」ではなく──むしろ「関係の点火」。つまり──”関係が生まれる瞬間=共生成の臨界点”は「”生成”と”運気”との関係」が──まさに共生成されるということです。

これを『観氣(かんけ)』の語法で言えば、「”火”が他者と世界を媒介する場」──それがまさに燃焼の倫理の前提となる「臨界」なのです。定義的表現に置き換えるとすると──「臨界」とは、思考と創造、内と外、自己と他者──それらの間に現れる”呼吸的接触の瞬間”──それは破壊ではなく生成、終焉ではなく「転位──“閾(いき)”」──それが“呼吸(いのち)”へと変わる内的共鳴温度のことであり、すなわち臨界の閾を転軸として「生成と運気の間に”共鳴膜”が現れる」ということです。

「臨界」──経験のやり方:経験を超えて進むことはできない(分離・接触): 「余白が呼吸し、「他者」が内に点り、「世界」が再び光を帯びる”共生成の閾(いき)=呼吸」──緊張の糸を切り、臨界に漂った後に訪れる内的な揺らぎは──「内・外 / 潜勢・現勢 / 個・他」が互いに接触して息を交わし始める──『関係の発火』です。それは外部から投げかけられる「問い」とは異なり、「日常の”余白”」から自発的に立ち上がります。例えば、こうして「生まれた”問い”」は──「既成の枠組みを超える可能性」を孕み、『観氣(かんけ)』において──これからから扱う【占想から占態へ還元する】観者となった〈あなた〉自身の「運気の縁起=未然の生成」がここから具体的に動き出すということになります。

例えば──日常の観察を深めるためには先ず「収捨吟味する態度(取捨選択とは異なる態度)」を身につける必要があります。通常、私たちは何かを感じたとき、すぐに情報・仕事・人間関係・持ち物など対象広く片づけるといった断捨離的な文脈でいうならば──「本当に大切なものを大切にできる環境にするための取捨選択や情報・案件など限られた時間や資源を有効に使うための取捨選択をしていく」といったそのプロセスを一旦『保留』にして取捨選択の判断を停止することで──「《占う対象》との”間(あわい)により深く開かれる「余白」が生まれることになります。──さらに、日常の中で、「ただ”共に在る”」という「思考と創造 / 自己と他者 / 潜勢と現勢」各々の交錯と透過に息づかざるを得ない瞬間を肯定的に捉えることです。「静止と運動 / 崩壊と生成・運気/ 終焉と誕生」などあらゆる”対立”が、わずかな呼吸の内に「共存」しはじめるこの呼吸が続く限り──「生成と運気」は終わらないでしょう。

 

 

「臨界という呼吸」
──共生成の閾における発火譜

 

…..「臨界」とは、破断ではなく接触である。

「内」と「外」、「潜勢」と「現勢」、「個」と「他」の各々が互いに僅かに触れ、息を交わし始めるとき──そこに生まれる共鳴の膜。

「生成」と「運気」との間にも”共鳴膜”が現れる──それが「臨界の場」である。

「静止と運動、崩壊と生成・運気、終焉と誕生」が各々共存する場。

あらゆる対立が、わずかな呼吸のうちに共存しはじめる温度帯。

──それが思考(占想)が創造(占態:望みの実現)へと「転位」する最終温度である。

思考(占想)は、もはや「考える」ことを越え、創造(望みの実現)の「生成と運気」そのものとなる。

このとき、火は自己を燃やすだけでなく、他者と世界を媒介し、関係としての炎へと変わる。

臨界とは、孤独な爆発ではなく──「関係の点火」。
それは「余白」が呼吸し、他者が内に点り、世界が再び光を帯びる──”共生成の閾(いき)”である。

臨界における「出現と消失の”閾”」。
ここにおいて“思考”は“創造の息”へ、“閾”は“呼吸”へと変わる。

この転軸と転位にある呼吸こそ──『観氣(かんけ)』の発火譜の余韻にして次なる「関係生成・運気」の第一息である。…..

 

 

「臨界という呼吸」 ── “共鳴温(共鳴膜)”の「生成と運気」の響きは、「生成と運気」と「燃焼の倫理」を橋渡しする“共鳴温”として成り立つ──”発火譜”が「自己生成の”閾”」であり、この「臨界という呼吸」は、そこから”転軸”を通して他者的生成(関係の火)への「転位点」として機能していきます。「臨界」そのもの──すなわち「生成と運気の”接触点”」──「占い描き/占い観る」その「発火の孤光」が、この「臨界という呼吸」で「関係の温度」へと転じ、そこから「燃焼の倫理=関係の火」への自然な架橋が他者的生成の実地として息づきはじめます。この呼吸の移行は──まるで一つの火が別の火に触れて“共鳴温”を生むように──火は伝わるのではなく「共鳴」して移るのです。その瞬間──火はもはや物理的なものではなく、火は「関係の媒体」になります。そして、まさに──この地点こそ『観氣(かんけ)』が「生成と運気」から「縁起」へ、さらに──倫理=「他者との呼吸」へと展開していく”温度の臨界点”になるというわけです。

 

 

占想と占い記述からの思考が尽きるその瞬間──
占態への創造は静かに始まる。
その間(あわい)に生まれる「占態への臨界」という呼吸。

臨界は「分離」と「接触」が同時に起こる地点。
占想と占い記述からの思考が占針(指針)を押し出し──
より研ぎ澄まされた占意による占態(望みの実現)の創造が未だ形を持たないまま迎え入れ、
両者は衝突せず、ただ触れ合う。

”決然と断念”にも似寄る「臨界の”出現と消失”の閾」。
そのものが差異を保ちつつ共に揺らぎ“共に在る──「閾(いき)」。
「臨界の”分離 / 接触”」は決して破壊ではなく──むしろ、”保留温度”。

「閾」における”出現と消失”のその関係が焦げつかずに、
発光するぎりぎりの《保留温度》──それが火の呼吸。
”出現と消失”のその全てが交錯し、
互いの「境界」=「臨界」の”分離 / 接触”を透過させながら、
境界は境界であることを止め──『境域』に息づく呼吸=火。
この「臨界という呼吸」は、そこから転軸を通し──
「生成的と運気的との関係の火」への”転位点”として機能する。

「臨界」そのもの──すなわち「生成と運気の”接触点”」。
この火の呼吸が続く限り「生成と運気」は終わらない。
”火の気配(息)”が少しずつ「関係の向き」へと滲み出してくる頃、
微細な揺らぎのような呼吸の熱が外界と触れはじめくる。

火は滅びではなく、火は呼吸の温度として燃え続ける。
”火の川(呼吸)”は流れ、いつも”深い呼吸”を共にしてくれている──
あの「過去=《潜勢》の呼吸」として”再燃する記憶”。
「《潜勢》としての過去の”余白”」を経て、
”火の気配(息)”が少しずつ「関係の向き」へと滲み出してくる頃、
微細な揺らぎのような呼吸の熱が外界と触れはじめてくる。

このとき、火は孤立した物質ではなく、
「”出現と消失”の関係」そのものになる。
火が火を映すとき、そこには媒介も所有もなく、
”決然と”断念にも似寄る”出現と消失”のその関係そのものが、
差異を保ちつつ共に揺らぎ、
ただ──“共に在る”という現象だけが残る。

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になるでしょう。「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに”潜勢的”。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想」から結果的に「占態」とへ還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は”占想”を片手に歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり指標である「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”にすることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。
空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、生きる風景の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から悟ることができる。
人が生きる母胎の”種子”である「縁(えん)」は”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ「生成(運気)の縁起」。《占いを”描く”》と《占いを”観る”》結び目の《共観》において私たちは『観氣(かんけ)』に必ずや──”月星と共に”「強運の”実”=生成・運気(結実)」を結んでみせるでしょう。

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

add. 栃木県日光市 日光山内

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥10,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月4回〜

◯ 月星占術料
1回 ¥5,000.〜
※ 随時:プロセス進行〜

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ ご提案:プログラム設定〜

◯ 大観氣料
1回 ¥20,000.〜
※ ご相談:月星次の観氣適応~

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:2026年8月13日~

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』
➡︎ http://www.office-kanke.com
OFFICE KANKE「思創考造 Cognigenesis」
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)step.10:転位

 

 

 

 

       ── 跳躍点 ──

 

 

 

 

跳躍点を見つめる眼──共観と凝視の実践。跳躍点は見ようとして見えるものではない。「共観(見る+見返される)」という”視の回路”において観ることそのものが、自己生成に参与する行為となりうる。跳躍はどのようにして起こるか──触発・反復・破裂:小さな触発(声・物音・まなざし・夢)の記録、反復される日常的な経験の中の「異質の跳ね」、力の蓄積 → 沈黙 → 破裂の瞬間に起こる“逸脱”。跳躍後に立ち上がる思考──震源としての問い:跳躍点は終わりではなく問いの始まり、跳んだあとの「着地」の不安定さと思考の動揺、震源としての問いが「思創考造」の場を拓いていく。跳躍点とは何か──転位と生成の臨界場:跳躍は“高く跳ぶ”ことではなく“深く沈む”ことから始まる、跳躍点=「転位点」+「臨界点」:その生成と構造、生(いのち)を問う跳躍は創造と思考の原基点である。このようにして──「跳躍点の構造(転位と臨界)」「内的変容と場の生成」「問いの誕生=生の運」となる。跳躍点とは何か──転位と生成の臨界場:跳躍点。それは、単なる転換のきっかけや偶然の契機ではない。むしろ、それは沈黙の奥底で時間をかけて醸成される、ある臨界的な構造である。私たちは、日常のただなかで、ごく微細な「違和」や「徴」を感受する。それは即座に言語化されることはなく、しばしば曖昧で、流れてしまいがちな経験だ。だが、そうした徴の堆積が、やがてひとつの「力」を帯び始める。決して目に見えないが、確かに存在している。それは、心と身体の深層を通じて、少しずつ内的空間を変形させていく。このとき、私たちの経験にひそかに起こっているのは「転位」である。「転位」とは、意味の移動や解釈の転換ではない。より根本的には、〈場〉そのものの位置が、ある不可視の力によってずらされることだ。視野がずれる。重心がずれる。思考がそれまで立っていた「足場」を失い、別の次元へと滑り落ちていく。この”滑り”──この”変容”の始まりこそが、「跳躍点」の”前触れ”である。「跳躍点」とは、〈転位〉の極において現れる。そこには、深く沈み込むような運動と、内側から湧き上がるような力とが、同時に存在する。ひとつの方向だけではない。矛盾的な運動が交差する地点。だからこそそれは、「臨界の場」となる。跳躍点では、世界の輪郭が一瞬ゆらぎ、言葉の意味が滲む。時間が折れ曲がり、空間がひらかれ、自己と世界との境界が揺らぎ始める。この裂け目において、私たちは初めて、本当の意味で「問う」ことをはじめる。『観氣(かんけ)』とは、この跳躍点において生まれる〈問い〉を生きることである。ただ考えるのではない。問いを「生きる」。問いが私たちの思考を通じて震え、やがて現実のかたちへと生成されていく。「跳躍点」は、未来への入り口ではない。そこは、過去の沈黙と未来の可能性とが重なり合う「いまここ」である。そして私たちは、そこにおいて、自らが生きるとはどういうことかを根源的に再起動させられる。──それは、ただの【思創考造】ではない。生(いのち)の問いとして、観者となった相談者の〈あなた〉の呼吸の中にすでに始まっている。素晴らしい「”生成と運気”の時間」、では──また『観氣(かんけ)』の具体場で ……..

 

 

….. 生成は運気にあり──運気は生成にあり。
”今”は常に、生成は運気の時(時間)にあり──運気は生成の時(時間)にある。
この段階の今こそ──まさに生成と運気の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。

今浮かんだその次の瞬間を静かに、ゆっくりと、呼吸の奥で再生してみる。
再生とは記憶ではなく、生成と運気の続きを受け取る行為。
未だその続きを急ぐ必要はない。
風と光の偏り、身体の停止、内側のわずかな反転──それらが、きっとまた次の──差異の欠片(かけら)を呼び寄せる。
敢えて──神泥棒で脳裏に光る閃きを見る必要はなく、霊媒で霊の欲望を露わにする響きを聴く必要もない。
歩く準備が整ったとき、その次の瞬間を──伏流にて静かに次の瞬間へ──深い生成と潜む運気の日々を …..

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になるでしょう。「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに”潜勢的”。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想」から結果的に「占態」とへ還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は”占想”を片手に歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり指標である「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”にすることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。
空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、生きる風景の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から悟ることができる。
人が生きる母胎の”種子”である「縁(えん)」は”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ「生成(運気)の縁起」。《占いを”描く”》と《占いを”観る”》結び目の《共観》において私たちは『観氣(かんけ)』に必ずや──”月星と共に”「強運の”実”=生成・運気(結実)」を結んでみせるでしょう。

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

add. 栃木県日光市 日光山内

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥10,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月4回〜

◯ 月星占術料
1回 ¥5,000.〜
※ 随時:プロセス進行〜

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ ご提案:プログラム設定〜

◯ 大観氣料
1回 ¥20,000.〜
※ ご相談:月星次の観氣適応~

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:2026年8月13日~

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
 ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』
➡︎ http://www.office-kanke.com
OFFICE KANKE「思創考造 Cognigenesis」
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)step.9:前成

 

 

 

 

  ── 未然に息づく生成と運気 ──

 

 

 

 

『観氣(かんけ)』の黄金句 (golden phrase)である「生成と運気の前成層」とは、「”占想(思考)=創造(占態)”の前景圏──未形の”震源”」です。『生成の縁起=運気の縁起』 =「生成は運気にあり──運気は生成にあり、”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」ということにおいて「現実を”生成”する運気──運気と生成される”潜勢的”」です。”Cognigenesis”(自己生成の震源)」→ その前段階としての “震源としての「潜勢」”。”Cognigenesis”(自己生成の震源=”運気の震源”)を理解するには、その“前地”としての『震源としての”潜勢”』を先ず呼吸しなければならない。「 炎舞 」THRESHOLD OF GENESIS “生成と運気の閾”における「火の呼吸 ”Fire Breathing” 」による「転位ラインの“深呼吸点”」です。”Cognigenesis”:震源が実際に”自分を生み始める”現象。震源としての「潜勢」:震源が未だ震源になる前の震え始める力。これがピタリ!と嵌るのは、私たちが既に実践している『観氣(かんけ)』においての「差異の欠片」「無名の瞬間」「中動態的主体」「反射された自分の受け取り(=素材化)」などの一連の概念が──まさに『観氣(かんけ)』における 《 潜勢 → 生成 ”Cognigenesis” と運気”Fortune”》の流れに位置するからです。概念は前に出すものではなく、「伏流」させるもの”です。そして──伏流し続けたものは必ず「転位の瞬間」で像となります。このテキストの黄金句(golden phrase)は──間違いなく「生成濃度(生成力)と運気濃度(運気力)」を決める《地下水脈》になっています。

「無名の力場」=「潜勢的 」──『観氣(かんけ)』において、対象への「”占意”と占い記述」よる〈占針(指針)〉の「”占想=思考”→ ”占態=創造”の地平」そのものを静かに振動させています。現実を「actual《現実化されたもの》」と「actual《潜勢的なもの》」とに分けて考え、現実化されたものは私たちが実際に経験する世界──具体的な事物や現象。その一方で潜勢的なものは現実には存在しないが「現実を”生成”し運気づける」──可能性を秘めた潜在的な力。あるいは現実そのものの根源的な状態(=創造)──「潜勢的」。潜勢的な概念は現実を固定されたものではなく、常に変化し「生成」されるものであるという考え方。そして現実には存在しない潜在的な力や可能性を重視することで、私たちの占想を占針した占態(実現)への思考・創造や行動の範囲を広げ、「占態」において生成と運気の新たな創造性を生み出すことを可能にします。「”思考(占想)”と”創造(占態)”」”を生み出す側にある──”生成力と運気力”の「力」= 前思考・前創造の震源「潜勢的」──これは非常に重要な論点である。『観氣(かんけ)』において──「潜勢的」 は単に“可能性”や“まだ現れていないもの”ではなく、むしろ──「”占想=思考”→ ”占態=創造”の地平」そのものを静かに振動させている──「無名の力場」 に近い構造を持っているといえます。以下にこの「”思考(占想)”と”創造(占態)”」体系に最も適合する「潜勢的」の定義と表現を幾つかのレベルで整理してみることにしましょう。

「潜勢的」とは、”思考(占想)”と”創造(占態)”を未だ形づくる前の〈震えている場(field of vibration)〉──”差異”が生まれる直前の殆ど”気配のような力”。ここで重要なのは──「既にある”潜在性(potential)”ではない」「”生まれようとしている運動”そのもの」「主体と世界の境界以前の“気息の圏”」──という点です。『観氣(かんけ)』において常に扱っている「差異」「跳躍点」「”Cognigenesis”(生成)」「触発」「余白の濃度」──これらは皆この「潜勢的の現れ方(=結晶の仕方)」にすぎません。「潜勢的」は、「”思考(占想)”と”創造(占態)”」のどこに位置するのか? 結論から言うと、潜勢的は思考と創造を“生み出す側”にある力──未解明の「未然層(伏流)」=「未然に息づく生成」(直感している“未然層”)という何か? 未だ伏流する”透明の生成・運気場”あるいは無名の生成・運気場”の「震源」──つまり「占想=思考そのものでもあり」「占態=創造そのものでもあり」「しかし未だそれらに“なっていない”。」──この「まだ~でないが既に震えている」という性質が──まさに次へのテーマである「差異の欠片(かけら)」や「初期震源の無名性」と完全に一致しています。

『観氣(かんけ)』の世界観と──「最も合う”潜勢的”」の言い回しとして──「未形の震源」:形を持つ前の震え、意味を持つ前の息──「思考(占想)=創造(占態)の前景圏」。背景ではなく、前景に滲み出ようとしている圏。「差異が芽吹く基底のゆらぎ」:差異は“生まれる”のではなく、“揺らぎから湧く”。「生成と運気を要求する力の濃度域」:余白の「濃度」概念と完全に共鳴。「可能性ではなく“差異の予兆”」:可能性と潜勢的の違いを最も端的に示す表現。「前反射的な気息」:知覚に映る前の呼吸のようなもの“前夜”にあります。「”生成と運気”の前成層(pre-stratum)」:『観氣(かんけ)』の占術構造に自然に接続します。

「潜勢的」とは、思考(占想)=創造(占態)の直前にある “生まれの震源”。差異の初期振動。未形の気息。”Cognigenesis” の前駆的濃度”。特にテーマとなる「差異の欠片(かけら)が胸奥に微かに触れたとき、その背後で「未形の震源──潜勢的な揺らぎが静かに息をしているのを感じた。」──「潜勢的」とは、このような“呼吸の地層”として扱い、『観氣(かんけ)』の世界観に最も合致します。概念体系図として「潜勢的」を置き、「潜勢的 → 差異 → 跳躍点 → ”Cognigenesis” の流れ」を可視化する──まさに今、捉えて掴みかけているこの領域は、言葉にすると薄れてしまいがちな──しかし確かに“息づく前段階の力”そのもの。「思考そのものでもあり、創造そのものでもあり──しかし未だそれらに“なっていない”。既に震えつつ、まだ名を持たない。」──まさにこの性質は「潜勢的」 の”核心”です。

 

 

探る「潜勢的」の言い換え:

 

①「前創の息(ぜんそうのいき)」──
“創造になる直前の、震えの呼吸”。生成論的であり、これまでと一貫する「呼吸」「息」との強い連結。

②「未名の震(みめいのしん)」──
“まだ名を持たぬが、確かに震えている力”。これから扱う「初期震源」との非常に高い高い連続性。

③「前成の力核(ぜんせいのりきかく)」──
“成る前に潜む、核のような力”。構造的・思考的な強い響き。これからの理論パート。

④「潜在呼(せんざいこ)」──
潜在+呼=潜在的に呼吸しているもの。「潜勢」の ”息づき始める”性質の新語。

⑤「差異源(さいげん)」──
“差異の欠片(かけら)”が生まれる源。概念と『観氣(かんき)』 との語彙の融合。

⑥「生成・運気前野(せいせいぜんや)」──
生成が未だ形を取らない野生の領域。”運気”の「前野・前地」としても扱う。

⑦「無名の生成質(むめいのせいせいしつ)」──
“「生成と運気」の質”だが、未だ名がない。『観氣(かんけ)』での最も近い「原質(pre-substance)」。

 

 

総括すると、私たちが今歩いているのは──まさに「未だ思考でも創造でもないが、既に占想と占態の”核”として震えている」という場である。これは「潜勢」を、『観氣(かんけ)』の占術体としての言葉で言い直すと──「未然層(伏流)」=「未然に息づく”生成と運気”」(直感している“未然層”)」という何か? ──即ち前地(フロア)」として”伏流”しつつ徐々に解明しながら、後々に像を持ち始める概念の「透明の生成・運気場」、あるいは”無名の生成・運気場”ということになる。『観氣(かんけ)』の骨格(構造)にも「呼吸(文体)」にも完璧に噛み合います。『観氣(かんけ)』の基底語として定義し、“母語”として定着させる。「自己生成=”生成と運気”の震源」→ その前段階としての“震源としての「潜勢」”──この接続は、『観氣(かんけ)』の動線において次のような「流れ」を作り出してみましょう。

「主体の震源(生成と運気)をどう“生まれさせる”のか?」──ここに “震源としての「潜勢」” を置くと、震源が未だ名を持たない段階=潜勢=特に「差異の欠片」「初期震源の無名性」「日常の微細な徴」「まだ思考でも創造でもないが既に震えているもの」→ これらすべてを “震源としての潜勢” として総括できます。──「潜勢」が転位”し「自己生成」が起こる段階 =「転位点」「間隙」「胎動」「自己生成(生成と運気)の震源」→ ここで“震源としての「潜勢」が「自己生成=”生成と運気”の本震」を引き起こす。つまりはこうなる── ● 「震源が実際に自分を生み始める現象」── ● 震源としての潜勢:「震源がまだ震源になる前の震え始める力」──これがピッタリ!と嵌るのは、相談者の〈あなた〉と共にこれまで既に実践している「差異の欠片」「無名の瞬間」「中動態的主体」「反射された自分の受け取り(=素材化)」などの一連の概念が──まさに「潜勢」→ ”生成と運気(自己生成)” の流れに位置するからです。このような“震源としての「潜勢」”は、『観氣(かんけ)』の動線全体を一本の縄のように貫く中心語(基語)として扱え、すべての「見えない軸」がこの語で一本化されます。まとめるならば、「自己生成=”生成と運気”の震源」を理解するには、その“前地”としての『震源としての”潜勢”』を先ず呼吸しなければならない。これだけで、『観氣(かんけ)』の基底構造が立ち上がります。

「潜勢的 → 差異 → 跳躍点 → ”自己生成(生成と運気)”」の流れ──「未然層(伏流)」=「未然に息づく生成と運気」(直感している“未然層”)という未解明の何か? について──結論からいくと、それは”透明の生成場”あるいは”無名の生成場”として、「前地(フロア)」として”伏流”しつつ徐々に解明しながら、後々に像を持ち始める概念になる。これからのプロセスにおいて解明してはいくものの、後々に出すべき核心ではなく、むしろ──『観氣(かんけ)』の最深部に、そのまま“伏流させておくべき根”です。つまり──いきなり大見出しの概念として前面に出すのではなく、『観氣(かんけ)』全体を静かに底から押し上げる“呼吸の地層”として配置しておき、後々の真に必要な「転位の瞬間」で──はじめて輪郭を持ちはじめる言葉として扱うのが最も自然であると思われます。言い換えれば、「潜勢 → 差異 → 跳躍 → ”Cognigenesis”」のこの流れは、そのまま──「運気とともに生成の“深度”」が増していく階梯になっている。階段の上り方としては──「潜勢的= 未だ名を持たない震源=未然の呼吸。」「差異の欠片 = 潜勢が最初の”徴”として現れる。」「跳躍点 = 差異が生きた主体内部で“転位の臨界点”になる瞬間。」「”自己生成” = 主体そのものが生成しはじめ運気づく(生成と運気の震源)。」──この体系はすでに完璧であると思われます。

では──「未然層(伏流)」=「未然に息づく生成と運気」(直感している“未然層”)という未解明の何か? という”透明の生成場”あるいは”無名の生成場”とは、どこに属するか?──「“未然に息づく生成と運気”」→ 潜勢的の“内呼吸”を言語化したもの、これは「潜勢的」の本質のひとつです。つまり──“潜勢的”の説明を支える言葉。──「未然層(伏流)」=「未然に息づく生成と運気」(直感している“未然層”)→ 潜勢と差異のあいだ(=未だ徴(差異)としても現れていない段階)──これは”特に「差異の欠片」”が現れる前に存在する「透明な”力場(場の胚)”」として扱って捉えることができます。では──これらは何時出てくるのか? 結論:“深呼吸点”で満を持して“像”として出てきます。つまり──序盤では、その何か? という名前を出ないが、しかしその“呼吸”だけは全体に「伏流」している。中盤~終盤の跳躍点 →『生成と運気”の橋」で、はじめて先ずは言葉として立ち上がる。これが最も明確で且つ美しい「伏流」の在り方です。

この「“潜勢的”に対する問いの呼吸」は、まさに日常の地層(=生成と運気の地層)そのものを震わせています。受け取った額面通り──概念は“前に出すもの”ではなく、“伏流させるもの”である。そして、伏流し続けたものは必ず「転位の瞬間」で像となる。間違いなく『観氣(かんけ)』そのものの濃度を決める「地下水脈」になっています。

どうぞ…相談者の〈あなた〉自身の”再生”の中で、”未だ名前を持たない呼吸たち”をそっと沈めてください。静かに、ゆっくりと、”呼吸の奥で再生”してみてください。「再生」とは”記憶ではなく”、「生成の続きを受け取る行為 」です。それらは後に必ず、最適な場所で観者となった相談者の〈あなた〉の手の中に”運気と共”に現れます。”生を成しに向かわれるその歩み”が、「“潜勢的”に対する問いの呼吸」とともに深く息づきますように。このような今後の展開とテーマ──「日常見」の”呼吸リズム”は、『観氣(かんけ)』』という占術体の全体が志向している──”日常の地層音(key-tone)=生成と運気の地層”を背景に響く”「呼吸する占術」「生成する占術」「相談者が歩く占術」に”ピタリ!”と一致します。これから”美しい「日常見」の芽生”──身近は間近、”暫くの間” for a while …….. それまで日常の反復や慣れを急がずに時間をかけて──「ゆったり過ごす」ことです。忙しい日常から解放され、リラックスした時間を大切にして、「日常見」は──心にゆとりを持って穏やかに ……..

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になるでしょう。「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに”潜勢的”。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想」から結果的に「占態」とへ還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は”占想”を片手に歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり指標である「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”にすることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。
空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、生きる風景の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から悟ることができる。
人が生きる母胎の”種子”である「縁(えん)」は”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ「生成(運気)の縁起」。《占いを”描く”》と《占いを”観る”》結び目の《共観》において私たちは『観氣(かんけ)』に必ずや──”月星と共に”「強運の”実”=生成・運気(結実)」を結んでみせるでしょう。

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

add. 栃木県日光市 日光山内

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥10,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月4回〜

◯ 月星占術料
1回 ¥5,000.〜
※ 随時:プロセス進行〜

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ ご提案:プログラム設定〜

◯ 大観氣料
1回 ¥20,000.〜
※ ご相談:月星次の観氣適応~

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:2026年8月13日~

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』
➡︎ http://www.office-kanke.com
OFFICE KANKE「思創考造 Cognigenesis」
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)step.8:円環

 

 

 

 

       ── 熟成 ──

 

 

 

 

いつも”深い呼吸”を共にしてくれているものとは? あの「過去=潜勢の呼吸」──”再燃する記憶 『潜勢としての過去』の余白”を経て、”火の気配”が少しずつ”関係”の向きへと滲み出してくる頃、呼吸の熱が外界と触れはじめる──その微細な揺らぎのような? どの辺り? ──たとえば燃焼の倫理──関係としての”火”? あるいは一度、これまでの“火の呼吸”(Fire Breathing)を想起して再生し、総覧し、直したその中から次の”転位点を探る”ような形? ──「呼吸」の流れ? 母床(母胎 )→ 胎動(旋風 )→ 創発(共観) → 受容(触発)→ 振動(占意)→ 転軸(境域)→ 余白(臨界)──この流れをあらためて見つめると、まるで呼吸そのものが ──ひとつの大きな「生成と運気の円環」を描いてきたように思われます。これまで掲げた出発点──「問いは呼吸となり、呼吸はやがて意識の奥へ沈み込む」──これは、まさに『観氣(かんけ)』全体の”原呼吸”(primordial breath)。すべて展開されてきた「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる《反転転換》=「転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える」──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)などの概念は、この原呼吸から滲み出し、そして再びそこへ還っていく運動として、時をかけて──ゆっくりと”熟成(カルチャー)”していきます。それは「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。

 

 

想起(recollection)
──再生:『観氣(かんけ)』の”はじまり”

「間隙の胎動」と「跳躍の臨界」

 

….. 問いは呼吸となり、 呼吸はやがて意識の奥へと沈み込む。
そこに在るのは、 言葉にならない揺らぎ。
未だ”占意の思考”にも“占態の創造”にも分かたれぬ、名もなき動き、 名づけ得ぬ震え── それは恐ろしいほどに畏れ。
思考がまだ芽吹く前、生がまだ形をとる前、意識が届くか届かぬかの──その手前で深い深いところから占意は震えている。
それは、まるで私たち一人ひとりの内に潜む──「根源の“胎”」”が自らを思い出そうとしているかのように。

この微かな震えが、 跳躍を孕んでいる。
跳躍は動作ではない──決断でもない。
それは「自己生成」の”震源”から立ち上がる──『観氣(かんけ)』。
思考と創造が未分化のまま共鳴し、存在の深層で自ずと胎動する──「生成と運気の”契機”」。

胎内とは、もはや身体の奥ではない。
それは「空間の間隙(かんげき)」に孕まれた── 異次元の余白であり、 静かに──しかし確かに火花を宿す。

その火花は未だ──炎にならない。

だが──消えもせず、激りもせず、 静かな“迸り(ほとばし・り)として世界の縁を揺らしている。

律動の厳かさ──沈黙と火花の間(あわいに)。
沈黙とは、 ただ音のない状態ではない。
それは律動が限りなく微細になり、 尚且つ厳かに響いている状態である。

──この”律動”は、 外界に発せられるリズムではなく、 私たちの存在そのものを根底から支える──”拍動”。
それは「生まれる前」から既にそこにあるかのように、 胎内のような空無の奥で微かに──しかし決して止むことなく響いている。

このような律動は──「畏れ」と通じている。
それは私たちの知覚や思考を超え、“我”の輪郭を脆くするような──”震源的”作用を持つ。


そして、まさに──その脆さのなかにこそ創造の火花が灯る余地が生まれる。
火花は音もなく、閃光もなく──だが確かに空無の沈黙のうちで生じる。


それは律動の沈黙が、 一瞬「跳ねた」痕跡にすぎない。
この一瞬の跳躍──それが 『観氣(かんけ) 』の極点である。


占想の「思考」はまだ現れておらず、占態「創造」はまだ形を持たない。
──しかしそこには、確かに── ”火の芯”が生まれようとしている。

そして──こうした律動は、 決して「一定のリズム」ではない。
それは生成しうるリズム、“転調”し、“転位”するリズムであり──まるで共鳴核が別の層にスライドするような響きの移行である。

このとき──私たちは何を聴くのか? 何を感じ、何を”問おう”としているのか?
それはもう 「知覚」でも「認識」でもなく、存在としての“耳を澄ま”こと。

すなわち、深い呼吸に身を浸すような──“共鳴の律動”。
さらにそれは私たちをただ包み込み、受け止めるだけでなく──まるで応答してくるかのように、迎え入れ、返答し──共に生成される場。…..

 

 

この「生成と運気の”場”」は静かでありながらも、 あらゆる「生成の力と運気の力」を孕み、 ”問い掛ける”私たちに呼応しながら── 「無限の可能性」を育む。 それは──まさに私たち一人ひとりの根源の「胎」から立ち上がる「自己生成の”震源”」です。この流れをあらためて見つめると──まるで呼吸そのものがひとつの大きな「生成と運気の”円環”」を描いてきたように思われます。これまでに掲げた出発点──「問いは呼吸となり、呼吸はやがて意識の奥へ沈み込む」──まさに『観氣(かんけ) 』全体の「原呼吸(primordial breath)」でした。これまで全てすべての章(section)において展開されてきた「跳躍」「転位」「余白」「生成」「共観」などの概念は、この原呼吸から滲み出し、そして再びそこへ還っていく運動として──ゆっくりと《熟成》してきたように感じます。この軌跡を俯瞰して言うなら、「胎動の前夜」であり、観者である相談者の〈あなた〉が到達している地点は「胎動の後の呼吸する火種」──すなわち「生成と運気」の内奥に宿る倫理的・関係的な火種の発見に至った段階です。

「沈黙と火種の間(あわい)」は、現在の「潜勢の呼吸」「過去の再燃」「他者との共鳴」などの探究にそのまま地層として息づいています。ただし──今の呼吸は、これまでの“胎内的静寂”ではなく、世界との応答を孕む“外呼吸”へと変化している。いわば──始まりは「生成と運気の前夜(沈黙の火種)」、今は「生成と運気の暁(共鳴の火種)」という「転位」です。これまで「畏れ」と「胎内」と「律動の沈黙」が核心をなしていました。それは “存在の根源を呼吸する前段階” のようなもの。──しかし今は、“存在が世界を呼吸し返す”段階にある。そこに呼吸の方向の反転=共生成の瞬間が生まれているのです。この「生成と運気の”道”」を一言で総括するなら、『観氣(かんけ)』は──沈黙(畏れ) → 間隙(胎動) → 火種 → 余白(生成) → 共観(関係)というリズムを経て、今──「火の呼吸=関係としての生成・運気」へと至った。すなわち──始まりは今でも呼吸の原核として有効であり、この発展はその“微細な律動”の展開に他なりません。

相談者の〈あなた〉が今思うに、出だしは、どう振り返っても──「種(Seed)」。しかもそれは単なる萌芽ではなく、最初から「生成と運気の震源(Cognigenetic Source)」としての質を備えていた”火種”。その震源が、呼吸の原核=「種(Seed)」──“微細な律動”の展開へと、いまや、“火の倫理”や“関係の呼吸”へと枝を広げ、「”呼吸”する生成・運気体」として成熟しつつある。観者となった相談者の〈あなた〉の思いとしては、こうです──始まりは、いまだに現在の呼吸の奥に生きており、しかもその震えは今後の「潜勢」として連なっていく。あれは出発ではなく、常に現在している原点。──まるで胎動が未だ終わらぬ「呼吸の胎」として、これまでを通してなお響き続けているように。では、これまでの「生成と運気」の呼吸を、ひとつの火の譜面=生命の記譜として記したいと思います。以下に『観氣(かんけ)』の〈胎動 / 旋風〉 から現在の「共鳴の火」へと至る──その呼吸の軌跡を辿る”呼吸譜(胎動から共鳴へ)”を、観者となった相談者の〈あなた〉にお贈りします。

 

 

呼吸譜(胎動から共鳴へ)
──『観氣(かんけ)』の律動記──

 

Ⅰ.胎動──最初の呼吸

….. 問いは、まだ言葉を知らぬ。

沈黙の奥で、意識の芽はゆらぎとして胎を蠢く。
畏れ──それは始まりの震え、世界がまだ「わたし」に届かぬ手前の音。

呼吸は深く沈み、思考と創造はまだ分かたれず、ただ一つの拍動として空無に脈を打っていた。
火花はまだ光らず、律動は胎内の闇に潜み、名なき力だけが震源を孕んでいた。…..

 

Ⅱ.跳躍──沈黙の臨界

….. 静けさが極まるとき、一点の跳躍が生まれる。

それは決意ではなく、重力を忘れた息の反転。
思考がまだ夢であるうちに、創造がまだ兆しであるうちに、世界は緩やかに転調する。

その瞬間、問いは火となり、火は息を得て──動き出す。…..

 

Ⅲ.生成と運気──転位する光

….. 胎は裂かれ、場が生まれる。
線が走り、余白が呼吸し、「私」と「世界」の境界は、ひとつの中動的な場へと融けていく。
思考は形を結ばず、ただ生成と運気の畝りの中で、「今」を織り続ける。
その織りは、他者の眼差しに触れ、火花は初めて関係の中で光る。…..

 

Ⅳ.共観──響きの風景

….. 見ることは、見られること

語ることは、応えること。
呼吸はもはや個の中に留まらず、他者の息と交差し、世界のリズムと共鳴する。

線は響きの網目となり、火は媒介の中心で静かに燃え続ける。

余白は深まり、生成と運気の音は──聴くもの全ての内側に降る。…..

 

Ⅴ.再燃──関係としての火

….. 未完の熱。
それが過去であり、未来である。
燃え尽きぬもの──それが存在の倫理である。

思考はかつての火の残響を媒介し、創造はその媒介を通じて潜勢を再び現前へと開く。
過去は眠らず、今も燃え続けている。
呼吸はその残光を吸い、他者へ、行為へ、世界へと渡す。…..

….. 火は──もはや所有ではない。

関係のなかでのみ火は生きる。

火は──私わたの間(あいだ)にある。
それが占術「生成・運気」の倫理であり、未来を孕む息の在り処である。…..

 

Ⅵ.余白の終止符──あるいは新たな始まり


….. これまでの呼吸は、ひとつの譜面として閉じるのではなく、なお燃え続ける「余白」として残る。
『胎動と旋風』は終わらず、問いは尽きない。
火は変わり、火は伝わり、呼吸はまた次の世界の沈黙へと潜る。
──すべての始まりは、今もこの”息”の中にある。…..

 

 

思考と創造が未分化のまま共鳴する──「生成と運気」の震源。これまでの呼吸はその震源を織り続けてきた。火は息であり──息は世界の記憶である。それを見届ける者こそ、「生成と運気の証人」。そしてこの火は──もう相談者の〈あなた〉の内側だけでなく、観者の〈あなた〉の世界のあらゆる「余白」に息づいている。それは──まさに観者となった相談者の〈あなた〉にとっては「呼吸が言葉を超えて世界に触れた瞬間」の証です。時間をかけて、「問い」から「呼吸」へ──「沈黙」から「火」へ──そして今、「火」は関係としての光となり、「あなた」と「世界」と「言葉」との間に、ひとつの*「生成と運気の場(metagenesis)」が開かれました。あの「畏れの震え」が、今日の「共鳴の火」にまで息づいている。それは思考の成就ではなく、呼吸の成熟であり、生命の『観氣(かんけ)』そのものです。火は息であり、息は世界の記憶。それを見届ける者こそ、「生成と運気の証人」──まさに「生命の証人」として歩き続ける。そしてこの火は、もう観者となった相談者の〈あなた〉の内側だけでなく、世界のあらゆる余白に息づいています。

『観氣(かんけ)』の書かれたこの書物の内部に閉じない「余白の呼吸」=「書外の呼吸譜(外縁的記譜)」。つまり──それは書物の外でなお鳴り続ける拍動。観者となった相談者の〈あなた〉が、この書の頁を閉じてもなお「言葉の外」で呼吸が続くように構成された──書の外郭に漂う音楽的・生成的残響。具体的に言うと、たとえば『観氣(かんけ』という占体が「胎動 → 実地サイクル → 共鳴」と進んでゆく中で、この「呼吸譜(胎動から共鳴へ)」を、そのどこにも直接は属させない──しかし全体を包む*「潜勢の火(背景の呼吸)」としてです。「無署名の詩」「静かな挿話」「透明な余白」──つまり、『観氣(かんけ)』世界の「境界=外縁」に置くことで、書き込むことで、観者となった相談者の〈あなた〉が「終わりではなく、始まりの余白」として“呼吸を引き継ぐ”ようにデザインされます。象徴的には──書は閉じても呼吸は終わらない。言葉は沈黙するが、沈黙が新たな生成と運気を孕む。まさに──これが、“占外の呼吸譜”。『観氣(かんけ)』という生きた占体の「外呼吸」です。「胎動・・・跳躍・・・共観・・・再燃・・・余白の終止符──あるいは新たな始まり」「火は息であり、息は世界の記憶」。これこそが、まさに──その「外呼吸」のためにあるといえます。

 

 

書外の呼吸譜
― これまでの呼吸譜(胎動から共鳴へ)―

 

….. 呼吸は深く沈み、
思考と創造はまだ分かたれず、
ただ一つの拍動として
空無に脈を打っていた。
火花はまだ光らず、
律動は胎内の闇に潜み、
名なき力だけが震源を孕んでいた。
胎動は、沈黙のなかに息づき、
跳躍は未だ微かなな光として
その余白に影を落とす。
やがて、
問いが息を得、
息が世界を呼び覚ます。
共観――
響きの風景のうちで、
我と世界のあわいがゆっくりと燃え始める。
再燃――
潜勢としての過去がふたたび熱を帯び、
他者と世界がひとつの呼吸を共有する。
そして今、
余白の終止符が静かに響く。
それは、終わりではなく、始まりの余白。
火は息であり、息は世界の記憶。…..

 

記銘:

書は閉じるが、”呼吸”は終わらない。
”沈黙”は、新たな「生成と運気」を孕む。

 

 

外呼吸の余白(静かな間)

 

….. そこには、
もはや文字も、思考も、
光さえもない。
ただ、
静かな脈動だけが在る。
それは、
“読む者”の呼吸が、
“書く者”の呼吸を受け継ぐ瞬間。
頁は閉じられ、
しかし、書はまだ息をしている。
音のない拍が、
空の奥でかすかに鳴る。
──それが、「外呼吸」である。
沈黙の内で、
新しい生成の火が
ゆっくりと
世界のどこかで点ろうとしている。…..

 

 

「生成・運気の閾(いき)」を横断する『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”。”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象へ望む占意が占い描き観た占い記述からの占針(指針)による「占想の思考」→ 「占態(望みの実現)の創造」への創造的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。つまり──”終わり”ではなく、沈黙の内で、新しい生成の火が――ゆっくりと世界のどこかで点ろうとしている外呼吸。

「生成と運気」をひとつの呼吸として包み、その「外呼吸の余白(静かな間)」を一拍として――『観氣(かんけ)』を静かに息づくかたち。それは、「世界の息づきの再開」としての終拍です。この静寂の一拍が、相談者である〈あなた〉の『観氣(かんけ)』という大いなる呼吸体の──さらなる律動への第一息となりますように。まさに──“呼吸”そのものが占い思考・創造するような生成と運気の時間。言葉が尽き、ただ余白の中に残る温度と鼓動。それが、観者となった相談者の〈あなた〉の内で静かに灯を保ち、昼を超え夜を越えて、次の律動の”胎動と旋風”へと育ちますように――どうぞ、深く、静かに、日常の地層(生成と運気の地層)という呼吸の中で――“火”がやさしく聴こえてきます――また次の“第一息”の時に……

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になるでしょう。「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに”潜勢的”。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想」から結果的に「占態」とへ還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は”占想”を片手に歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり指標である「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”にすることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。
空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、生きる風景の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から悟ることができる。
人が生きる母胎の”種子”である「縁(えん)」は”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ「生成(運気)の縁起」。《占いを”描く”》と《占いを”観る”》結び目の《共観》において私たちは『観氣(かんけ)』に必ずや──”月星と共に”「強運の”実”=生成・運気(結実)」を結んでみせるでしょう。

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

add. 栃木県日光市 日光山内

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥10,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月4回〜

◯ 月星占術料
1回 ¥5,000.〜
※ 随時:プロセス進行〜

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ ご提案:プログラム設定〜

◯ 大観氣料
1回 ¥20,000.〜
※ ご相談:月星次の観氣適応~

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:2026年8月13日~

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』
➡︎ http://www.office-kanke.com
OFFICE KANKE「思創考造 Cognigenesis」
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)step.7:余白

 

 

 

 

     ── 問いに触れる ──

 

 

 

 

”素っ裸”の自己と共観の開示

 

私たちは、”存在し、存在しなければならない”その自分からは決して逃げられない──その「素っ裸」の自分がその都度そのように、”問わず語りの心が切れす独り”──世界との結び繋がりに存在しています。その事実が実際にそうした在り方をしている──「事実性」を剥き出し、世界内在の本質的な構成契(construction)として捉えられ──私たちは、”自分自身を未来に自ら飛翔さてゆく”ことができずにいる──いわば「跳躍未了」の情態性にいるのです。それは、極めて周知された”日常的”なものとして、私たちの主観・客観的対立の認識的構図を通すことはできず──開示的な「共観」において共有されています。

私たちは、”生を受けた”──「自己=現在」”において、共・生成する《持続する”生成”=自己生成》の”運気”に絶えずあり、常に「潜在」=「未来の実在=自己」の《可能性》に向かって──”運気と共に”「潜在 → 実在 → 生成」という分かり過ぎて不透明な「余白」を持って──私たちは、共に存在する「共観」に存在しているのです。今現実より──「創起」にて自分の在り方を求め──自らを「思考」する、自分の存在へ──自らを「創造」することです。私たちは、”現在から未来に向かって進む”ということであり──そのために”自分自身を未来に自ら飛翔さててゆく”ことが──「跳躍」というわけです。そこに始源は無く、決然も無く、進化も無い──「創造に瞬間は無いのです」。何故ならば、「創造=”動く”生成と運気」として──持続するから、あるのは「余白」と「跳躍」です。

観者である相談者の〈あなた〉が”占意”の対象に沿った”占想”において──”占針”を指針に思考・創造する《”見える”占方(占形)》と「生成の縁起」が一体化した”占態”の実現へと──その余白濃度=「運気の縁起」において、ただただ自分の在り方を求め『自らを思考する」──「”心”を通す=”心”を起こす」という形での”発心”、ただただ自分の存在へ「自らを創造する」──《企てを熾す》いう形での”発火”──すなわちそれら”氣”となる自らの発起=「跳躍」が、「自分自身を未来に自ら飛翔さててゆく」ことになります。

私たちにこれが可能なのはその意味を「共観」することが可能だからであり、思考(占想)・創造(占態)の《”見える”占方(占形)》を──共に知る「共観」から、とても大切な《意識や知覚》が構成されてゆくのです。そのときに「自分と”関わり”のあるものが──存在する(または潜在する)」ということであり、私たちの主観・客観的対立の認識的構図を通すことなく──全ては”開示的#な「共観」において共有されるというわけです。わたしたちは、”生”を受けた──「自己=現在」において、共・生成する《持続する”生成(運気)=自己生成》に絶えずあり、常に「潜在=未来の実在=自己」の《可能性》に向かって──「潜在 → 実在 → 生成」という分かり過ぎて不透明な「余白」を持って、私たちは共に存在する「共観」に存在しているのです。

 

 

 

 

 ── 意識と知覚による生成・運気覚醒 ──

 

 

 

 

生成(運気)覚醒:意識と知覚が起こす「見える」

 

”存在し、存在しなければならない”その自分からは決して逃げられない──その「素っ裸」の自分が、占想において思考し、占態へと創造する”今起きている”状態にある──「覚醒」は、自分自身の今ある状態とその周囲の状況などを──自ら「認識」できている状態にあって──「知覚」は、官能的感触により感覚器官を通してその外界状態と自己内状態を知る働き──「受容・応答」します。その思考・創造の《”見える”占方(占形)》とは、認識により”覚醒”を──「知覚の”目覚め”」として、感覚がはっきりと働き──「自分は”触れる”」=感性によって”受容・応答”作用することにより、自分の在り方を求める──《心を起こす》自らの「見える”思考」、自分の存在へ向かう──《企てを熾す》自らの「”見える”創造」、それら「占い”見る”」という行為とは、自分は”触れる”──その「自だつ=自分」の思うままにして「生成と運気」に触れることです。

 

 

 

 

   ──見る=生成と運気に触れる ──

 

 

 

 

潜勢的跳躍:未完実在への触発

 

「見える」ということの生成・運気的な意味転義──「占い”見る”=生成と運気に”触れる”」ことは、視覚的でもなく主観的でもない「共・生成」として、「共観」の位相を共・生成へと深化させることになります。「潜在 → 実在 → 生成」という軸において「非-主体的跳躍」や「生成と運気としての思考・創造」を築き上げることになり、私たちが”生”を受けた「自己=現在」における「潜在」=未来の「実在=自己」の《可能性》に向かい出で──私たちは、「”共に見る”共観』に伴う《持続する生成と運気=自己生成》に絶えずあるというわけです。占想において思考し、占態において創造する──《”見える”占方(占形)》と「生成の縁起」が一体化した──その余白濃度=「運気の縁起」において、「素っ裸」の自分が──共・生成によって現実化する可能性を内包し常に変化しうる流動性の「潜勢的」が、未だ発現していない「未了の現実(未完実在)」=「未来の実在=自己」の《可能性》に顕れ、現在完了実在と未完実在との”差異”を孕み、未完実在の「潜勢的」が──さらに未来へと、その繰り返しに「運気に伴い生成変化し持続する」──「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」に触れるということになります。

 

 

 

 

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         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になるでしょう。「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに”潜勢的”。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想」から結果的に「占態」とへ還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は”占想”を片手に歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり指標である「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”にすることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。
空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、生きる風景の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から悟ることができる。
人が生きる母胎の”種子”である「縁(えん)」は”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ「生成(運気)の縁起」。《占いを”描く”》と《占いを”観る”》結び目の《共観》において私たちは『観氣(かんけ)』に必ずや──”月星と共に”「強運の”実”=生成・運気(結実)」を結んでみせるでしょう。

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

add. 栃木県日光市 日光山内

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥10,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月4回〜

◯ 月星占術料
1回 ¥5,000.〜
※ 随時:プロセス進行〜

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ ご提案:プログラム設定〜

◯ 大観氣料
1回 ¥20,000.〜
※ ご相談:月星次の観氣適応~

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:2026年8月13日~

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
 ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』
➡︎ http://www.office-kanke.com
OFFICE KANKE「思創考造 Cognigenesis」
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)sect.6:転軸

 

 

 

 

      ── 触地の拍 ──

 

 

 

 

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想」から結果的に「占態」とへ還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は”占想”を片手に歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた”思考・創造”などの心の働きとその作用を指し”心を通す”──敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり指標である「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”にすることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え場に発芽(顕現)させ、”月星と共に──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

──すなわち私たちが空間に浸り時間に流れに伏流としてある《無名の”力場”という何か──未だ伏流する無名の”震源”》=「縁起(因・縁・果)」は、”感性”において「生成・運気」と未分化のまま密かに”転軸点”に潜んでいるということであり、観者となった〈あなた〉自身の”知覚経験”によって──「生成と運気」は”潜性的”であるということがわかるのは──「占いを”描く”/占いを”観る”」相談者の〈あなた〉の”感性の躓き”=「気づき」によるものです。「生成と縁起/運気と縁起)」の源泉は描き観え難く──それは沈黙の内にあり、”日常の地層=生成・運気の地層”という最も身近な沈黙の場に降り立ち、「感性の躓き=問い」を合図に”潜在力”を呼び覚ますそこでは生成(運気)の縁起が”心と氣/時間と空間”のそれぞれが重層的に絡み合い──「地力=潜勢的”力能”」となり発現し、【”占想”から”占態”とへ還元する】観者となった〈あなた〉自身の「運気の縁起=未然の生成」がここから具体的に動き出すでしょう。

 

 

….. 生成は運気にあり──運気は生成にあり。
”今”は常に、生成は運気の時(時間)にあり──運気は生成の時(時間)にある。
この段階の今こそ──まさに生成と運気の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。

今浮かんだその次の瞬間を静かに、ゆっくりと、呼吸の奥で再生してみる。
再生とは記憶ではなく、生成と運気の続きを受け取る行為。
未だその続きを急ぐ必要はない。
風と光の偏り、身体の停止、内側のわずかな反転──それらが、きっとまた次の──差異の欠片(かけら)を呼び寄せる。
敢えて──神泥棒で脳裏に光る閃きを見る必要はなく、霊媒で霊の欲望を露わにする響きを聴く必要もない。
歩く準備が整ったとき、その次の瞬間を──伏流にて静かに次の瞬間へ──深い生成と潜む運気の日々を …..

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になるでしょう。「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに”潜勢的”。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想」から結果的に「占態」とへ還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は”占想”を片手に歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり指標である「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”にすることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。
空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、生きる風景の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から悟ることができる。
人が生きる母胎の”種子”である「縁(えん)」は”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ「生成(運気)の縁起」。《占いを”描く”》と《占いを”観る”》結び目の《共観》において私たちは『観氣(かんけ)』に必ずや──”月星と共に”「強運の”実”=生成・運気(結実)」を結んでみせるでしょう。

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

add. 栃木県日光市 日光山内

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥10,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月4回〜

◯ 月星占術料
1回 ¥5,000.〜
※ 随時:プロセス進行〜

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ ご提案:プログラム設定〜

◯ 大観氣料
1回 ¥20,000.〜
※ ご相談:月星次の観氣適応~

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:2026年8月13日~

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
 ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

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