基本的考え方

 

 

CONCEPT

- 街・人・仕事 Community action -

 

 

 

 

「 With NIKKO 」ウイズ日光

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

「 自分である 」こと

明歴々露堂々にて明月清風、隠すところなど少しもなく、明らかにはっきりと顕れる大自然を友にした自在な在り方。

しなやかで優しい “ たおやか  ” な女性、毅然として雄々しい “ ますらお ” の男性 ” 、「 日光仮面 」ならずして 〜 あらまほしい 〜 日光人とコミュニケーション能力。

知覚や感情と思考の共有にむけた情報伝達や意思疎通または表現と意思を互いに伝え合って交流を図るなど、社会生活を営む人間の間で行われる人として大切な行動のひとつであるコミュニケーション。

互いに自然に言葉を投げかけ、互いに相手へ気を向け向けさせ心を測り通わせて、互いの境地や心の状態などを推し量る「 一挨一拶 」という深浅を見ることを知らないとしても、礼儀である挨拶もコミュニケーションの内である。
人間の間で当然まず先に挨拶なくしては人として芳しくないどころか、もっとも互いに挨拶なくしては本来のコミュニケーションというものが始まらないのは至極当たり前のこと。 
心を込めて軽く( 挨 )して快く近づき寄り添い、心強く( 拶 )して押し切り拓くといった 〜 人と人とが出会うことにより触れ合い互いに心を開く第一歩のやりとりである挨拶 〜 を交わすことによる心地良さ。
人間関係を円滑に取り運ぶのにあたり、生活から切り離せない大事な挨拶とコミュニケーションをもっとも大切にすることによって人と人との間柄はより親密であってほしいものだ。

〜 白玉( 真珠 )は人に知らえず 知らずともよし 知らずとも 我し知れらば 知らずともよし 〜 として、自分の価値は世間に知られなくても自分さえ知っていればよいのであって ” 自分の価値は自ら決める ” としても、あまりにも真しやかであって ” 人知れず努力している ” ことを人は誰でもいいからわかってほしいものである。
男女ともに積極的( 外交的 )に揺るぎなく押し切りがちのアグレッシブな人であっても消極的( 内向的 )に引っ込み思案で受け身がちのパッシブな人であっても姿質( 外面的・内面的 )は皆んな同じである。
その場その場の単なる状況にすぎない働き掛けや駆け引きなどその時その時だけでしかない人の強い弱いを問わず、皆誰もが人と人が関わり合って ” 街・人・仕事 ” を築き上げるうえでは、頑張らなければならない自らに解決すべき問題や対応すべき課題を皆誰もが一人ひとり少なからず抱えている。

皆誰もにみられる創造性であり、新しくて価値あるものをもたらす創造活動は人々に賞賛されるものだけではなく、創造性は卓越した才能と運と能力だけでも決してない。
皆誰もが何かしら自らの問題や課題に気づき、人は絶えず解決や対応にあたって何らかの改良や工夫を重ねるなど新しいものへの創作や発見をしてもいるだろう。
” 自分を生きる生き方 ” は絶えず新しい経験をもってして築かれてゆくのだから、「自分であること」の状態という諸々の瞬間は常に新しいものであり、その意味で人は皆誰でも絶えず自分自身を創造( =自由 )しているということができよう。
創造性や創造活動を ” 街・人・仕事 ” に限定して捉えるのではなく、ひとり一人にとっての新しい経験をも含めた広い意味において捉えていこう。
どのような状況になろうとも人間には一つだけ問いと答がある。
そこには自由というものが残されており、それはどう行動するかということだ。

人が常に新しいもの( 潜在的な可能性 )を生み出し絶えず自分自身を創造していくことができるのは、先ず第一に大自然の呼びかけであり、生命の創造的努力( 自分の自由な可能性を求める )という生きる力( 生命の推進力 )に自らが応えるからなのである。
” 街・人・仕事 ” に潤いをもたらす大自然( 自然環境 )なくして、人は ” 自分を生きる生き方 = 「 自分である 」こと ” を実践し実現することはできないだろう。
自然環境においてこそ自分自身の創造( =自由 )があるならば、日光の大自然においてこそ創造性が現れることになり、創造活動が実ることになるのである。

強い弱いを問わず人は頑張らなければならない自らに解決すべき問題や対応すべき課題を一人ひとり少なからず抱いているといった皆誰もにおいて「 条件はみんな同じである 」。
大自然の懐に抱かれる ” 自分である状態 ” において気軽に自らを話しお互いに語り合えば全てが分かるだけではなく分かち合える。
コミュニケーションの力によってその人が本来もっている性質や考え方をお互いに知って分かち合える仲の良い間柄 ” 拠り所 ” 、何事も少しのことにも専ら導き教えてくれる先達はあってほしいもの。
ライフから芸術や教育と街づくりモノづくりなどをはじめビジネスその他までの様々な種類( 分野 )で活発な ” ワークショップ ” も含め参加者は体験を通じて創造と学習を生み出すべく能動的( 主体的 )に動くことができる様々な「 アクティビティ( 活動 )」。
自らの行動を通じ学ぶことでお互いにより理解を深め合い、個人からグループまでの一人ひとりにおいて物事の成り立つ根拠となる事柄や支えともなるものが見えてくる。
気心の知れた親しい「 With NIKKO 」ウイズ日光、あらまほしい日光人とコミニュケーションの在り方が根をおろしはじめる。

自然と人間との対比はきわめて不確かなもの(ますます薄弱)となる中で、 ” 街・人・仕事 ” に潤いをもらたす大自然の生命力。
自然と対置された知的創造性における街環境や仕事環境であるよりも、呼びかける大自然の命あふれた自然環境に触れることにより人は自らを話しやすく互いに語りやすい。
人は皆誰もが、ひとり一人かけがいのない大切な存在として 「 自分である 」ことの状態において 〜 大自然の風を聴き心を歌い音楽を奏でることができる 〜 大自然の佳を嗜み食彩を求め旬を味わうことができる 〜 大自然の光を感じ着想を得て生面を拓くことができる 〜 そんな ” With NIKKO ” ウイズ日光でありたい。
成果が伴うよう得るものが多い実り豊かな環境に包まれた日光の大自然の中で皆誰もがひとときを楽しみながら年間を通して自らが末長く交流を図りお互いに意思を伝え合うことのできる。
充実した ” 2way コミュニケーション ”( 自分を表現することことができ他者の表現をも理解することができること )をもたらし自分を探る「 With NIKKO 」ウイズ日光。

皆誰もが努力するべき本当の自分を使いこなすことのできる活気に満ち溢れた多様な「 アクティビティ( 活動 )」が見つかるだろう。
豊かな自然に溢れた日光の自然環境に触れることにより皆誰もが努力するべき本当の自分を使いこなすことのできる活気に満ち溢れた利用者の心身の活性化をもたらす活動。
一人ひとりが ” リラックス( relax )” して身体を動かしつつ心を開き心を解き放ち広げてゆく素直な心をもって自由な発想の転換ができる「 With NIKKO 」ウイズ日光、本当の自分を探す或いは達成する価値がある。
まず先に他の人に喜びを与えながら自らが頑張れば頑張った分の三倍も五倍もいつか自分に返ってくるのであり、他者をも楽しませ喜びを与える人は同じように自分自身の喜びと満足を得ることになる。

コミュニケーションをとる文化が日常化してくる日常生活の中に自分の楽しい面白いを取り入れながら心身の活性化につなげるための活動全般を目指すといった皆誰もがお互いにこのような気持ちで新たに ~ 従来はそうでなかった日光での物事を始める ~
” 街・人・仕事 ” であっても「 不易流行 」として、いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも新しく変化を重ねているものをも取り入れていくことであり、その中で同じ自分でいれば人は必ず退屈で倦むに決まっている。
人は何処までいってもその人で只管その道一筋であっても ” 人は変わってゆく ” ものであり、自分が変われば同じ物事が違って見えてくる。
人が変わると当然見なされるなら人に同じ気見合いなどはなく、全てのその時その時は違う時であって大自然というものもその都度変化して違う。
人間自体も大自然の一部、自分を自分でコントロールする人と置き換えても同じである大自然という全てが抽象的であっても暈けることはない。
生活や文化にも深い関わりを持つ自然、たとえ見ているだけでも森羅万象に命あふれる大自然から教わることはできるので、そうしているうちに「 自分である 」ことの状態という何かが分かってしまう。

” 自分に生きる生き方 ” として現実の状況に依存している限り存在する ” 状況的な自分 ” とそれでは成り得ない ” 本当の自分 ” に定まり得ない自分であるよりも「 自分である 」ことの状態を見出し ” 自分を生きる生き方 ” を手に入れよう。
自分の楽しい面白いを見つけ一人ひとり目的やゴールを明確にして使い分ける環境の中で、満足度向上や目的達成に繋げるために、気軽にそれぞれ自分の実りある収穫への道を探ってみよう。
ようこそ! 自らも楽しみ人々にも多くの喜び与える「 With NIKKO 」ウイズ日光へ!!
” 大自然の命は待っている ”

半ば周囲の環境や周りの人に流されつつ思い込みに惑わされる回り道で封じ込められた「 自分である 」ことに活発さと躍動をもたらす。
自らの光を外に照らし向けて自分と向き合い、自分を生きる生き方( 人生 )を知って楽しむ自分らしくあること。

自分を生きる可能性はこんなものではないと、きっと自分らしさは想うはず。

自分らしさが想って、自分を生きる自由の可能性を ” 自分で規定 ” していく自由を自ら目がける。
「 ” 自分のため ” の手立てや洞察力と自らの新たな経験と感覚を通して得られるスキルの付与 」を重視した自分( 人生 )の楽しく面白い( 味わい )。
とっておきの新しい自分の心延え( こころばえ )「 自分である 」ことの自分らしさへの近道。
自分の楽しい面白いは自分次第であり、お楽しみはこれからだ。

 

 

 

 

 

 

■ プロジェクト設立 :
With NIKKO ウイズ日光
ネーミング / 基本的考え方 / 運営 / 展開 / プロジェクト内容 / ロゴマーク / 活動推進施策・開発・制作等
Copyright © With NIKKO ウイズ日光. All Rights Reserved. Photo / Image Credit With Copyright.
■ 創設 :
2023年9月
■ 運営と展開内容 :
アクティビティの基本的な活用( アウトリーチも含む )/ 目的とゴールの明確化 / 種類( 分野 )アウトラインの枠組み / プログラム形態の企画・作成・推進 / 関連性・発展性の展開 / 発表会の開催 / 実践後の評価と継続的改善 / ステップアップ / 情報発信とコミュニケーション媒体運営・機関紙の発行 / 活動推進・プロモーション / ブランド開発・諸制作等他
イベント・講演会・演奏会・展覧会等の企画と開催
国内外アーティスト・講師等の招致と催事企画運営
■ 事務局 :
OFFICE KANKE 「 KANKE GRAND 日光 」内

 

 

冒頭 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

「 KANKE GRAND 日光 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
” 大自然の命は待っている ”
~ 従来はそうでなかった日光での物事を始める ~

 

 

 

 

編首 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

KANKE GRAND 日光「 音楽教室 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
「 音楽教室 」
” 大自然の風を聴き ”
〜 心を歌い音楽を奏でよう 〜

KANKE GRAND 日光「 森の茶屋・菅家亭 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
「 森の茶屋・菅家亭 」
” 大自然の佳を嗜み ”
〜 食彩を求め旬を味わおう 〜

KANKE GRAND 日光「 創作工房 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
「 創作教室 」
” 大自然の光を感じ ”
〜 着想を得て生面を拓こう 〜

 

 

趣意

 

 

 

 

地域性と共同性という二つの要件を中心に構成され、” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する地域コミュニティ community 。
私たち一人ひとりは相互の生き方や働き方に配慮しつつ新たに生み出す地域創生や地域創造に向けた地域の活性化に積極的にかかわっています。
ゆえに私たち一人ひとりは活動をともにする地域コミュニティの持続可能な開発の担い手であり、私たち一人ひとりが中心となって地域を支え、地域の活性化を推し進めているのです。
本来 ” 街・人・仕事 ” には潜在的な可能性が備わっており、それを発揮することが期待される力の働きがあります。
これこそが ” 街・人・仕事 ” そのものとしての存在価値です。

顕在的な元気という活動のもととなる気力、いきいきとして活力が盛んなさま、活力という働き動くための力、活動力や生命力。
地域の振興を目指すだけにとどまらず、潜在的な可能性の発揮が期待される「 街の力・人の力・仕事の力 」とその働きによる ” 街・人・仕事 ” そのものの成長や向上を目指すべきではないでしょうか。
それは ” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性にある切っ掛けにより気づき、振るい興すことにより変化をもたらせ、成し遂げる力がよりよくなることです。
何かをしようとするときの役立つ力として、 ” 街・人・仕事 ” に働きかけ影響を与え、新しい変化に向かい思い通りに動かすことができる勢いの力とその働きは「 街の心・人の心・仕事の心 」を動かす強い力です。
” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する私たち一人ひとりの生き方や働き方のよりよくする目的を達成しようとするのを助ける力なのです。

私たち一人ひとりが意識の対象について持つ主観的な像として、具体的なものがないとしてもそれが心に残る印象。
あらゆる対象について頭の中で持っている何かに関するひとまとまりの意識の内容は物事に対する考えや物事に対して持つ考えを決して固定したものではなく、変化してやまないものです。
それらはきわめて多様性があり曖昧であるとされますが、私たち一人ひとりの重層的で柔軟な思考から生まれたものです。
たとえば自然と人間とは一体化して認識されるように排他的ではないといった特徴をもっているといったことがまさにそれを表しています。
したがって、” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する私たち一人ひとりの生き方と働き方に対する考えやその意味の内容を限定して混乱を生じないように配慮する必要があります。
そこで伝達・通信・意思疎通などを意味するコミュニケーション communication という表現を日々大切にして私たち一人ひとりは交流を図り意思を伝え合うといった活動を示す意味合いで用いているのが実際です。

私たち一人ひとりの相互性が強調される「 街の心・人の心・仕事の心 」と「 街の力・人の力・仕事の力 」。
日常生活に密着した ” 街・人・仕事 ” は私たち一人ひとりに多くあり、何かを守る役目またはそれに準じる存在として、お互いに助け守り、お互いに守られ助けられています。
” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する私たち一人ひとりは生き方や働き方をよりよくする ” 目的を達成しようとするために払拭すべきもの ” があるからこそ、日々の「 街の心・人の心・仕事 の心 」に動かされ、お互いに力をもらい、お互いに力を与え、積極的に幸せをもたらし合っているのではないでしょうか。

ー 見て取れる守株的にシミュレーションされた外見による上辺だけ被われた見せ掛けといった ” 仮面 ” を払拭してこそ、ー 未来 ー に向けた持続的な知恵を絞り継続的な努力を行う術(すべ)を見出すことができるでしょう。ー

知られていない、まだ皆誰もが知らない、「 知られざる ” 街・人・仕事 ” 」の潜在的な可能性とその存在価値。
潜在的な可能性の「 街の力・人の力・仕事の力 」は私たち一人ひとりの心の奥深くに根差している確信であって信念であり、躍動する「 街の心・人の心・仕事の心 」に存在しています。
” 街・人・仕事 ” においての内と外との関係に対する考えとして、互いに受け入れ、互いに受け入れられ、切っ掛けにより気づき、それを理解し認め合った状況ではポジティブな確信であって信念であるものが生まれます。
外に力を求めるのではなく、内に成し遂げる力を求めるのであり、潜在的な可能性の発揮が期待されるその力により ” 街・人・仕事 ” の成長や向上を目指し、現在と未来の差を縮める内なるものを動かす強い「 街の力・人の力・仕事の力 」を私たち一人ひとりが積極的に培い続けることです。

” 街・人・仕事 ” の実力は肯定感や効力感(可能感)ではなく、実質的な ” 街・人・仕事 ”  の成長と向上を目指した原動力ともなる気がかりと切っ掛けの気づき。
私たち一人ひとりはありのままの ” 街・人・仕事 ” の肯定する感覚を無理に高めて弊害をもたらすことのないようにしなければならないでしょう。
肯定感を高めなければならないとして様々な取り組みを行っても、その効力感(可能感)が高まる兆候はみられず、現在と未来の差は一向に縮まる気配が訪れません。
肯定感や効力感(可能感)は意識して高めるものではなく、「 街の力・人の力・仕事の力 」のそれぞれを過大評価することでもないのであり、できる ” 街・人・仕事 ” の方がより慎重で不安げだろうと感じることでしょう。
みるからに肯定感が高く自信満々に振る舞う ” 街・人・仕事 ” の中でも、特に自信満々にみえる「 街の力・人の力・仕事の力 」ほどその実力は怪しいといった知見が得られているはずです。

気づきから行動へのプロセスを踏む ” 街・人・仕事 ” の成長と向上の原動力。
たとえば自分に対してユーモアのセンスや論理的推論の能力などのいくつかのスキルや能力に関するテストを試み、同時にそうした個々の能力について自己評価をしてみるといいでしょう。
街に出ない人、人と出会わない人、仕事が出来ない人、そのような人ほど何故かポジティブであり、そこには根拠もなく、かなりの自信をもっていることが裏付けられるはずです。
そのような人ほど楽観的で、自分の能力を実際以上に見積もりやすく、そうでない人ほど不安が強く、自分の能力を実際以下に見積もりやすいです。
これは現実の ” 街・人・仕事 ” の状況を厳しい目で見て取れば「 街の力・人の力・仕事の力 」を過信し楽観視するよりも不安が強くなるためであり、気がかりと切っ掛けの気づきがさらなる成長と向上の原動力となっているのでしょう。

潜在的な可能性の発揮が期待されるその力により、成長や向上に向けた気づきと考え。
それゆえに、私たち一人ひとりがたえず肯定し楽観的かつ積極的にみえるのと違い、何かと気がかりで不安になりがちになるものですが、” 街・人・仕事 ” に対する堅実さや着実さといったものは逆に心配や不安の強さがもたらしているといってもよいのではないでしょうか。
たとえばポジティブに惑わされ不安を排除してしまうと、” 街・人・仕事 ” に対して適当になり、手を抜きがちになり、質が低下してしまう恐れもあり、何とかなるだろうと楽観視しすぎると、思いがけない問題の解決能力や課題の対応能力など事態への対処能力が低下し、あるいは計画や時間などもいい加減になる恐れもあるでしょう。
いま私たち一人ひとりが生きて働いているこの地域コミュニティ全体の相互性の信頼性は、実は気がかりというある特有の心配や不安の強さによって支えられているといった面があることを知っておくべきです。

私たち一人ひとりの「 街の心・人の心・仕事の心」に引っかかるものや事柄である ” 気がかり ” を切っ掛けとした ” 気づき ” から行動へのプロセス。
そうしてみると、自分の中にある不安を否定して排除しようとするのではなく、気がかりとなる心配や不安の効用にもっと目を向けてその生かし方を考えていくべきかもしれません。
私たち一人ひとりが積極的に、街に出て、人と出会い、仕事が出来、前向きな地域コミュニティ活動によるその生かし方を考え、さらにはコミュニケーション活動においての切っ掛けによる気づきから理解し知識を身につけ、そして評価し価値観を明確にして、問題についてどうのように行動すればよいのかを考え、そうして気づきと考えたことを実行へと行動に移すことです。

潜在的な可能性である「 街の力・人の力・仕事の力 」と、躍動する「 街の心・人の心・仕事の心 」に存在する確信であり信念。
私たち一人ひとりはありのままの ” 街・人・仕事 ” をなかなか肯定しきれず、まだ足りないところがあると考えがちなのは皆誰もがそうなのです。
たとえば今の ” 街・人・仕事 ” をなかなか肯定し切れず、満足できず、まだまだ足りないところがあると考えがちな人は、楽観的で不安もない人と比べ肯定感や効力感(可能感)など低くなるのも当然であり、そのことをまったく気にする必要がないということをあらためてわかるのはずです。
不安がなく楽観的な ” 街・人・仕事 ” を打ち出し押し出す文化は、地域と自分の内に成し遂げる力を求めるのではなく、地域と自分の外に力を求め、肯定感を高める様々な取り組みにより推移を見せつつも、その効力感(可能感)が高まる兆候をみられません。
本来 ” 街・人・仕事 ” に備わっていて発揮することが期待される潜在的な可能性の力とその働きを見過ごし、” 街・人・仕事 ” そのものの存在価値を見失っていることが裏付けられているはずです。
すなわち地域コミュニティとその持続可能な開発は成し遂げられている気配はないという知見が得られているはずです。

顕在性と潜在性における「 街の力・人の力・仕事の力 」の可能性を捉える地域から見た内と外。
” 街・人・仕事 ” に対する堅実さや着実さは逆に心配や不安の強さをもたらし、気がかりというある特有の心配や不安の効用に目を向けてその生かし方を考え、気づきと考えたことを実行へと行動に移すことにより ” 街・人・仕事 ” を打ち出し押し出す文化は、地域と自分の外に力を求めるのではなく、地域と自分の内に成し遂げる力を求めます。
したがって肯定感や効力感(可能感)などを高める様々な取り組みをすることなく、本来 ” 街・人・仕事 ” に備わっていて発揮することが期待される潜在的な可能性の力とその働きを見い出すことができるのです。
すなわち私たち一人ひとりの「 街の心・人の心・仕事の心」に引っかかるものや事柄である ” 気がかり ” を切っ掛けとした ” 気づき ” から行動へのプロセスを踏むことさえすれば、” 街・人・仕事 ” そのものの存在価値を決して見失うことなく、地域コミュニティとその持続可能な開発は確実に成し遂げられてゆくものです。

発揮することが期待される ” 街・人・仕事 ” の潜在的な可能性とその力の働きを生み出す気づきから行動へのプロセス。
私たち一人ひとりは、今まで目を向けていなかったことに目を向け、今まで心を向けていなかったことに気持ちを向け、今まで思いを向けていなかったことに考えを向けることです。
そして地域と自分の身の周りの問題や課題に気づくそれぞれのつながりに気づき、それらを理解するために地域と自分の身の周りに起きていることを認識し知識(知恵)として身につけ、気づいたことや理解したことについて地域と自分なりに評価し価値観を明確にして、問題解決や課題対応についてどのように行動すればよいのかを地域と自分なりに考え、そうして ” 気づいたこと・理解したこと・考えたこと ” を実際に行動に移すのです。

ー 地域住民(生活)と来街者(観光)とが共存(融合一体)することを重視した「 健光・観光・日光 」の持続的な知恵と継続的な努力による ー 未来予測術 ー においては、” 知られていない、まだ皆誰もが知らない、知られざる 「街・人・仕事 」” の潜在的な可能性とその存在価値こそが遥かに未来を豊かに孕み展望に富んでいるといえます。
従来のやり方で何も変わらない見せているだけに過ぎない外側(空洞)の豊かな支援制度や活性化計画などの内側(中心)に ” 自ら挑戦する主体性と革新者(様々な領域において従来とは異なる切り口で新たな価値創造に挑戦) ” を取り込んで据えることが重要であり、活動の矛先を統一の目的目標に異次元・異領域を繫いで未来の「 街・人・仕事 」を創り出す多様な役割や位置付けなどを明確にして統合プリンシプルを整理し、実質的にトータル展開することです。ー

 

 

→ 【 KANKE GRAND 日光 】 別冊集「 菅家塾 」
※ 「 菅家塾 」: 菅原道真(菅家)家塾「 菅家廊下 」より命名

→ 【 KANKE GRAND 日光 】 ご案内( ご挨拶 )
※ 「 菅家名 」: 由来

 

 

→ KANKE GRAND 日光

→ 音楽教室 | 森の茶屋・菅家亭 | 創作工房

→ NATSUKO KANKE

→ OFFICE KANKE HISTORY

 

 

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