ウイズ日光 With NIKKO 10月収穫時「 KANKE GRAND 日光 」

 

 

「 With NIKKO 」ウイズ日光

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

” 大自然の命は待っている ”


~ 従来はそうでなかった日光での物事を始める ~

 

 

10月収穫時《 PART – I 》
「 自分への配慮 」
” ときめく ” とは・・・・・

風光日々新にて一粒万々倍、人々の丹精によって増えに増えた ” 種( たね )” は、日々の新しい変化がある中で今日に至っている。

実を結ぶ稔りの秋、穫り入れ時( どき )。
ある物事を行なった結果、取り込み得た実りの成果だけが収穫ではない。
自らの経験や驚きなどによる ” 気づき ” と ” 気づく繰り返し ” は自分にとってもっとも必要であり、これこそが重んじられるべき実りある大事な収穫のひとつである。
それは実際に種として気づきから得たことは学びとなり、自身の考え方や行動に大きな影響を与えるからだ。
人はもっとも大切なものは何かと問えば、それは実であると皆誰もが考えるだろうが、だが現実には ” 種 ” なのである。
単に物事を知ったという事実や習っているという事実に満足しているだけでは、あまりにも手短すぎるだろう。
何故ならば、身近に簡潔で要を得ているものの実は結ばない。
だから上に向かって進むこと( 向上 )や進歩・進展するために努力して結果や成果を得ようとすることはもっとなことなのだ。
しかしながらそれだけでは「 自分への配慮 」において質朴で実に約まやか( つづまやか )であり、自らおかれた現状や状況は変わらずそのままなのである。

何かが切っ掛けの ” 気づき ” によって心の持ちようがガラッと変わる心機一転。
ことさら「自分への配慮 」としての心の働きや心の動きで湧出すべし心機ならば、新しい沸騰ごとや確かな納得ごと、詰まり有益ごとや次いで着目ごとである。
先ずは自らの「アクティビティ( 活動 )」を疑いなくするための心得ごとが必要なのである。

明日死ぬかのように生きようとしても永遠に生きるかのように学ぼうとしても、何ものをも予断をもって退けないことを守らず結果的に自分の可能性を遠ざけてしまう。
そのような事柄の全ては心の働きや心の動きとして不必要なものであり、「自分への配慮 」として自身と向き合うということを疎かにしているからなのであろう。
” 自分に生きる生き方 ” として現実の状況に依存している限り存在する ” 状況的な自分 ” とそれでは成り得ない ” 本当の自分 ” に定まり得ない自分。
そうであるよりも「 自分である 」ことの状態を見出し ” 自分を生きる生き方 ” を手に入れるべきである。
自分の楽しい面白いを見つけ一人ひとり目的やゴールを明確にして使い分ける環境の中で、満足度向上や目的達成に繋げるために、気軽にそれぞれ自分の実りある収穫への道を探ってみよう。
今までにはなかったことや気づかなかったことと知らなかったことなどを行ってみると、” 気づき ” の切っ掛けになるのである。
自らの経験や驚きなどによる ” 気づき ” と ” 気づく繰り返し ” は貴重である。
それを自分でしか手に入れることができない学びに変え、自分の考えにして自らヤル気で行動に移さなければ、自分を変えられない。
その貴重な ” 気づき ” があるかどうかは人の ” 心の能力 ” 次第である。
自分の思い通りではいかないがやっていかねばならぬ結構な溜息混じり多き現実や状況であったとしても、それまでとは異なる見え方や捉え方がやってくるのではなかろうか。

人は自らの脳だけが能力ではなく、心も能力のひとつである。
「 自分への配慮 」は心を開くことも大切だが、 ~ 自ら心身の活動となる ” 元気 ” な心を育てる ~ ことによって ~ 感覚の活動を活性化させる ~ ことである。
脳が予測したものではなく、物事を感じ感知する五感( 視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚 )を通じて意識してみる( 意識を集中してみる )ことで感じることができる ” 心の能力 ” 。
すなわち、物事を感じ感知する五感( 視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚 )を通じて自らが意識してみる( 意識を集中してみる )ことで感じることができる ” 心の能力 ” 。
たとえ脳の振る舞いといえども感性面において物事に感じる能力としての感受性や感覚にあり、五感の心的イメージが心の振る舞いとして生じる。
さらには人間の様々な感覚は独立したものではなく、視覚と触覚・聴覚と嗅覚・味覚と嗅覚など人間の本来別々だとされる知覚が相互に作用し合って影響を及ぼし合うというクロスモーダル知覚が現象もある。
たとえば聴く音や見る色などにより涼しくも感じれば温かくも感じて心のもちようが変わる。

熱せられた海が沸騰し蒸発する気体の空に蒸されて湿気を帯びた陸は、まるで風無き洋上の筏。
この夏の灼熱多湿は異常な自然現象といえども、心身の疲れだけではなく、さすがに人の感性面における感受性や感覚をも鈍らす。
猛暑の狂った季節、グラスに入った冷たい水の中に浮かぶ氷りの軽やかな音を聞いても透明な色を見ても、実際には涼し気な感覚記憶だけであり、クロスモーダル知覚の現象による涼しさを感じることはできない。
四季が無くなるともいわれる続く異変だろうが暖冬だろうが冬支度の前に切れ目とする秋には、差し詰め灼熱多湿の ” 夏返し ” 。
人間は脳の振る舞いであろうが心の振る舞いであろうが、脳と心の動きや働きの区切りとして節目が無いと、自らを整えることができない。
触れる振り子の切っ掛けとして ” 気づき ” 、物事を始めるための手掛かりや機会、物事が始まる原因や動機。

道導( みちしるべ )か手引きの呪縛か要所に必要な場面があっても守株的な習慣の精神論など本能に入れる余地はないはずである。
思考や感覚・感性が停止してしまうだろう精神を強調しすぎれば、個々人の伸びしろを見ないし現実離れして未来を豊かに孕めず展望に富まぬ。
先立つ精神の力( 心の活動力 )という心の中の欲念からくる気魄にすぎない根性( 願望の気力 )では、その場限りの見上げた見込みの確信と負けん気の勇む期待にすぎないだろう。
それよりも物事に出会す( でっくわす )ことで振り子に触れて自ずと心そのものが賑やかに騒ぎはじめる「 ときめく 」こと( 自然の動悸 )を自発的に覚えて意欲となる ” 元気 ” 。
人にとって何よりも重要で必要なのは皆誰もが ” 元気 ” である。

人と置き換えても同じである大自然において万物生成の根本となる精気に満ち溢れ根源となる気が漲る ” 元気 ”。
人においては心身の活動の源となる力、人の生命を活動させるもとになる精力。
精神や身体の調子がよく健康が良好な状態であり、気力などが横溢( 汪溢 )で溢れるほど盛んであって生命力・活力などが旺盛で気分が上向きであるなどの状態にある ” 元気 ” 。

物心ついた子供の時から今まで、喜びや期待などで心が弾み胸がドキドキ高鳴りして気持ちが高まり気分が高揚したり興奮して昂り ” 元気 ” =「 ときめく 」ことが、果たして幾度( いくたび )あっただろうか。
そして、その ” ときめいたこと = 元気 ” を今尚残すものが果たして何処にあるのだろうか。
それよりも今、物事に出会すことで何かしらに接する切っ掛けにより ” 気づき ” 。
そうしたいと思う心の働きにより自ら進んで何かをしようと望む意欲的な ” 元気 ” =「 ときめく 」ことさえも少なくなってきているのではなかろうか。

そうかといっても、プラス思考をはじめとした自己効力感( 自己可能感 )や自己肯定感などは自分がある状況において必要な行動を遂行できる傾向にあるとしても、自分ならできるといった能力に対する自らの認識や認知と自らの在り方などを積極的に評価できる感情や自らの価値などを肯定できる自己感情や自己コントロールにすぎない。
これに比して、実際に人や物事などに接したときに自然と得られる「 ときめく 」ことは確実な事実として優位性がある。
それがたとえ喜びや期待などであったとしても、それはまさに実質的な実感として有意性のある ” 元気 ” の源になり得るのである。

半ば周囲の環境や周りの人に流されつつ思い込みに惑わされる回り道で封じ込められた「 自分への配慮 」に活発さと躍動をもたらす。
自らの光を外に照らし向けて自分と向き合い、自分を生きる生き方( 人生 )を知って楽しむ自分らしくあること。
自分を生きる可能性はこんなものではないと、きっと自分らしさは想うはず。
自分らしさが想って、自分を生きる自由の可能性を ” 自分で規定 ” していく自由を自ら目がける。
「 ” 自分のため ” の手立てや洞察力と自らの新たな経験と感覚を通して得られるスキルの付与 」を重視した自分( 人生 )の楽しく面白い( 味わい )。
自らの ” ときめく ” を知る新しい自分の心延え( こころばえ )「 自分である 」ことの自分らしさへの近道。
自分の楽しい面白いは自分次第であり、お楽しみはこれからだ。

 

 

KANKE GRAND 日光「 音楽教室 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 10月収穫時《PART-I》
” 秋風に心を知る ”
~ 秋声( しゅうせい )” 祭りの歌 ” ~

KANKE GRAND 日光「 森の茶屋・菅家亭 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 10月収穫時《PART-I》
” 出来秋に喜びと感謝 ”
~ 秋実( しゅうじつ )” 収穫の献立 ” ~

KANKE GRAND 日光「 創作工房 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 10月収穫時《PART-I》
” 錦秋に駆り立てられじ ”
~ 秋麗(あきうらら)” ネイチァー アート ” ~

 

 

趣意 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

「 KANKE GRAND 日光 」
→ 基本的考え方 : With NIKKO ウイズ日光

 

編首 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

「 KANKE GRAND 日光 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
「 KANKE GRAND 日光 」
” 大自然の命は待っている ”
〜 従来はそうでなかった日光での物事を始める 〜

KANKE GRAND 日光「 音楽教室 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
「 音楽教室 」
” 大自然の風を聴き ”
〜 心を歌い音楽を奏でよう 〜

KANKE GRAND 日光「 森の茶屋・菅家亭 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
「 森の茶屋・菅家亭 」
” 大自然の佳を嗜み ”
〜 食彩を求め旬を味わおう 〜

KANKE GRAND 日光「 創作工房 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
「 創作教室 」
” 大自然の光を感じ ”
〜 着想を得て生面を拓こう 〜

 

 

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