努力の余力 ” 力のいろいろ ”   思巡の活力:【 II 】「 律動力 」

 

 

「 ” With NIKKO ” 」ウイズ日光

〜 大自然からの提案 〜

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

 

 

Jäger im Schnee (Winter)  / monthly cycle, scene: The Hunters in the Snow (January), 1565. Pieter Bruegel (also Brueghel or Breughel) the Elder. Kunsthistorisches Museum Wien, Austria. Housed in its festive palatial building on the Vienna Ring Road, it is crowned with an octagonal dome.

 

 

   ー 地域を生きる自分を活かす ー

 

KANKE 塾:” 自己プロモート ” 開催中

   Self-development

 

未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点

「 実現可能力性 」への ” 潜在力 ” のすすめ

  - feasibility of self strengthening –

 

” 自分への配慮 ” という大切な活動によって自己の発意と創造の志向性とその可能性に勇往邁進しよう

 

 

→ KANKE 塾 : 自己プロモート《 概説 》

→ アクティビティ : エッセンス《 趣旨 》

→ OFFICE KANKE : お問い合わせ《 メール 》

 

 

” 思巡の活力 ”【 II 】

努力の余力 ” 力のいろいろ ”
〜 ” 意識力 ” に伴う 「 律動力 : control 」〜

 

見込んだ想定外の「 努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」
努力の余力 = 努力の内にある ” 余( ほか )” の力
努力することによって産み出される ” 複利の活力 ”
努力行為の本来目指す当面の成果とは異なる価値
努力過程の副産物である ” 潜在的 ” な「 可能力性 」

 

『 人は地域を創り動かし 地域は人を創り動かす 』

・・・・ 個の集団である地域は、幾多もの人間( 要素・成分的 )及びその量の割合による ” 組成 ” 構造によって一つの地域として組み立てられており、それぞれ地域としての経済・社会と文化がある。
取り巻く環境の変化に伴う ” 人口減少と地域経済縮少 ” などによる構造的な問題は、人間と地域の疲弊と大きな課題を招いている。
実に ” 自分事 = 地域事 ” として感じ、考え、動き、状態をよりよくする為に努めて力を尽くすにあたり、課題解決の糸口として考えられる潜在力を引き出し持続的可能性を ” 生成 ” していく最もよいやり方を探す「 力法 」は、実に ” 自己力 ” と ” 地域力 ” とに同じようなことがいえる。・・・・

 

……… 地域に生きるのではなく ” 地域を生きる ” 活線上に ” 自分を活かす ” 発意と創造の実現を目指す自己それぞれの生き筋の道程というものは、性格を備えた自分自身の在り様でもある。
全ては自己自身の現実世界における偉大と苦悩との矛盾に満ちた流れの内に、”自分への配慮”という大切な活動による自己の志向性とその可能性に向かう新機軸の打ち出しに複数の課題が難題として混ざり合い交流するところの変化が、” 地域を生きる自分を活かす ” ことを単に複雑にしているのではなく、直面している『 取り巻く環境の ” 変化 ” 』といった様々な問題が、ただただ自分自身について想像を巡らさせることになる。
そうして常に絶えず完全なる客観性は実際に全て不可能であるということなども到底知らないままに、” 自己潜在力 ” に伴う ” 自己力 ” を以て自主的な「 自己創出の ” 想定 ” 」というものは、自分の性格に因り成り行くのである。………

自己の自主性( 自己意識 )は、自分の現実・事実に関わり意識や行為者性と人であるのとともに視点や感情と信念や意志と欲望など意識的な経験( 主観的な側面 )と性格をもつ人それぞれが自己の主体であり、自分に対して活動する( 行動したり力を振るう )にあたって主観性( 主観的な見方や主観に依存する程度など )が伴うことを度外視することはできない。

とはいえ、自己が開けてゆく期待が伴う中で ” 地域を生きる自分を活かす ” ことは、自己主体の自覚や意志に基づいて行動したり作用を他に及ぼしたり自己主体の思い通りを追求していくことでは決してなく、自己主体としての考えに閉じ籠っている在り方を開いていく働きとその作用が付随・関連( 又は連関 )するものといえる。

個としての ” 生活世界 ” と集団としての ” 地域世界 ” の問題や課題をも主題化し、共通の客観性は相互主観性( 共同主観性または間主観性 )に構成され得るともいえ、諸個人が互いを主体として承認しつつ単一の世界を共有しているような事態にある「 相互作用 」の成り行きにおいて客観性が基礎付けられ、自己と地域の分化に先行する基底的な構造ともいえるのである。

観念的且つ理論的に考えられた社会に対して現実の社会は、人間の意図とは関わりなく部分的にまた全体的に変化する社会変動にあり、刻々と変わる環境に対応する ” 力 ” を身につけ、それを強化していくことが重要となる。

自己自身としては、” 地域社会の疲弊 ” の「 構造的 」な問題である ” 人口減少と地域経済縮少 ”などによる多面的にあらゆる側面で考えられる ” 地域的広がりに共通してみられる生活様式( way of life )” への多様な影響を克服し、将来にわたって活力ある自分を維持することを目的・目標とした多様なモチベーションやスキルなどの重要性が高まるのとともに、従来の自分自身としての生活の基本要素に支えられてきた生活の ” 相互活動 ” に伴う生活様式とその「 構成的要素 」 とは異なる新たな捉え方や考え方をもつことが必要になってきている。

「 判断 」とは、” 知る ” ことを意味するものといえ、その「 判断力 」は ” 知る力 ” であり、これからの時代を生き抜くために自己自身は社会変化に対応(適応)して変化するのみならず、” 変化することは進化・発展することである ” とした「 判断力 = 変容力 」が特に重要なものとなる。

内発的動機付けと外発的動機付けによる判断の両者は、ややもすれば絡み合いながら働き、相互に他に移行するというような相互作用はありうるが、「 判断力 」によって最終的に価値判断を決定するのがもっとも客観的なもっとも深い事実判断であるということもできる。

自己自身としての「判断力」とは、そのような ” 認識力( 自己認識 )・ 評価力( 自己評価 )” に ” 洞察力 ” を通した「 判断力 」であり、未来を信じる力と持続可能性を生み出す力を以て自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方という ” 自己創出 ” なのである。

取り巻く実社会の環境変化という乗り越えるべき大きな課題の解決へ向けて取り組むにあたり、未来を信じる力と持続可能性を生み出す力( 又は変化対応力・適応 )の一つとして、 要するに自分の感情や思考と行動をはじめ信念や価値観とニーズや強み弱みなどを意識的に捉えることである。

” 理解する自己認識力によって気づきで終わらせず継続的な行動に移し、自己信頼や自己効力感などの在り方である自己変容へと確実に繋げていく「 意志力( 意力 )」” というものが特に必要であるものといえる。

人間ひとり一人の個を尊重する多様性の時代、様々な価値観を共有する多様化する社会。

多様性に対応するため多様化の意識に導かれ多様性が重視される中で、自分自身の本当の在り方は、一般社会に存在する個性を活かし自立した自己として、時代の変遷に伴う状況や情勢とその環境に合わせて行動や考え方を上手に切り替える ” 適応力( 対応力 ) ” が必要である。

だがしかし、たとえ状況が変化しても適切な行動や考えができるようにするなど、自分の一時的ともいえる可変的な新しい価値などを単に探り求めていくだけのことでよいのだろうか。

自己自身を取り巻くこの様な環境の変化に対応していくにあたり、不思議な思い込みによって知らず識らずの間に間違った ” 判断 ” や思考のエラーなどに陥ったり傾いたりする自己にならぬようにすることが大切である。

固定的謬見や先入的謬見( 偏見、先入観、誤り、思い込み )などに照らし合わせ、情報を如何に正しく認識し答え出せるか、先ずは ” 思い込み ” によって間違った「 判断 」になっていないかどうか ” 問い直し ” をしてみよう。

そのためにも、自己自身としての自主性をもって ” 意識的 ” に( 又は ” 意識力 ” により )問題・課題を解決・対応するために行動することである。

自己の ” 外部 ” との関係によって円環的に働き作用( 作動 )する結果として発現する潜在性( 又は共同的潜在性 )と活動性の志向的且つ潜在的な力である「 力能 ( 力量や実力と能力や才能 )」の ” 可能力 ” というものを重視した大きな視点をもつことである。

そしてさらには、固定的・先入的謬見を解きほぐし、活動の高まりや広がりを生じさせる変化への ” 変進力( 又は変革・変容力 ) ” ともなる 「 自分のリズム( 律動 : rhythm )」を自主的にもたらすことである。

知は力なり( 力は知なり )” として、この「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」の効果価値がもたらす点を捉えて認識し、その効用の質を見直すべきである。

” 問い直す ” ことは、自分自身の本質に迫る行為であり、” 自分への配慮 ” という大切な活動による自己の発意と創造の志向性とその可能性にある新たな自分自身の在り方としての姿や自己の内に眠る「 潜在力 」に気づき、次なる問題や課題を生み出す切っ掛け( 契機 )にもなり得るものといえる。

人間は何かに慣れると、容易く( たやすく )飛躍したり勢いの余って安易に物事を ” 判断 ” する方向に流れていくのであり、普遍的に大切な ” 問い直す ” ことが自己において今改めて強調される理由とその背景にある危機感などを捉えることである。

「 判断 」とは、” 知る ” ことを意味するものといえ、その「 判断力 」は決める( 決断 )力ではなく ” 知る力 ” であり、” 変化することは進化・発展することである ” とした「 判断 = 変容力 」なのである。

枯渇することのない基礎力や努力はもとより、努力過程にある副産物の価値「 努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」も鈍く衰えてくるのではない。

固定観念に囚われ主観のイメージに陥る傾向や先入観に囚われバイアスが掛かる偏見などによって、全ての力は総じて相応しい力としての働きとその作用は凝り固まったり偏ったりするなど、” 思い込み ” によって本来の力の効能( 又は能力性 )は劣りやすい。

また、固定観念( 主観的 )は ” 個人の思い込み ” であり、対する既成概念は ” 社会の思い込み( 客観的 )” でもある。

そもそも力とは、変化する原因となるものであり、総じて力は ” 捉え方や考え方などの道因や素因となる「 判断 」” を指すそのものであるともいえる。

多様性の尊重から相互に成り合うための多様化への転換の必要性や持続的発展可能な対応などが求められている中で、多様化は多様な領域で使用されるが、その指し示す内容は領域により差異がある。

元々あった本来の多様化( 多様性 )は、これまで進展こそしなかったともいえるが、今これを敢えて取り沙汰するのも先の不思議な社会現象の一つであり、特に ” 思い込み ” に惑わされやすいキーワードである。

多様化の促進・支援( 進め方と効果目的・目標など )には、多様な人や価値観などを包摂する社会を形成することが非常に大事な重要度としてある。

多様な人が不自由なく暮らせる社会であることは人々の豊かさや社会の活力の向上につながり、さらに多様なt特性や価値観と人材やキャリアなどの形成が促進されることはイノベーションの創出や社会の活力向上につながり、多様化を促進し支援することは重要だということである。

個々の人がその特性を活かし生く働くことに複合的な ” 発想と展開 ” が生まれ、総じて” 発展性 ” が見込まれて、変化への真の「 推進力 」となり得る。

多様な生き方を可能にすれば総じて人々の豊かさや社会の活力の向上につながり、多様な働き方を可能にすることは総じて生産性向上につながり、多様なニーズに対応することは満足度を向上させることはもちろん付加価値の向上にもつながるということなのである。

常に絶えず人間の社会生活ないし社会関係に基づいて発生する社会現象は、社会全体或いは特定の社会や集団において見て取れる思考や行動と行為や状況など広く話題を席巻するような大きなブーム( ” 変化への推進力 = 変進力 ” というムーブメント )といえる。

その様な中で、多様性に適応するため多様化の意識に導かれ多様性が重視され、その多様を寛容に受け入れよう尊重しようという社会の動きそれ自体は素晴らしいことでなのである。

しかしながら、その多様性といった捉え方や考え方が全て間違っているとは言い難いものの、本質的に備わっている ” 多様さ ” の根本( 基礎 )の認識・理解をはじめ加速化した変化や顕在化した問題・課題( 多様化の促進・支援の進め方と効果目的・目標ゴールなど )について整理もせずに、それらを半ば度外視したゴールの不明確な多様性( 又は多様化 )という捉え方や考え方には特に注意を要する

この様に、人間ひとり一人の個を尊重する多様性の時代と様々な価値観を共有する複雑化・多様化する社会の根本を成す基本的なことの大凡を知ることから始めるべきであり、これに限らず何事も表面化された上辺( うわべ )を見るだけでは済まされないのである。

固定的謬見や先入的謬見( 偏見、先入観、誤り、思い込み )などに照らし合わせ、” 自分への配慮 ” という大切な活動による自己の発意と創造の志向性とその可能性に関わり、” 思い込み ” によって間違った「 判断 」にならないようにすることである。

時代の変遷に伴う環境の変化において直面する問題や課題の捉え方や考え方について ” 問い直し ” をすることが大切であるといえる。

移り変わりの素早いトレンドに対応する変化対応力が求められる中で、現在の差し当たり直面する問題や課題に対応するだけではない。

今後も特定の現象や結果が起こる可能性が完全に予測できない状況であるとした不可確実性の時代の移り変わりに挑んでいくにあたり、「 判断 」は ” 知る ” ことを意味し「 判断力 」は ” 知る力 ” としてあり、「 思考力 = 実現力 」に伴い対応( 適応 )への変化のみならず進化・発展していくための力 ” 変容力 ” でもあるということを意識的に受け入れ大切に考える姿勢をもつことである。

すなわち、自分自身の「 判断 」が自主的に自己を変化させる原因となる捉え方や考え方などの道因や素因に大きな影響力を与える( 大きな影響力を生み出す )といった重要性認識をもって取り組む姿勢が必要であるということになる。

「 発展力( 発想力と展開力 )」や「 変革力( 又は変容力 )」とその力強さは、この様な ” 多様性 ” の中に存在し、類似性の中には存在しないともいえよう。

多様性に対するゴールを明確にすることは、特に重要なファースト ステップである一方、反復性と ” 意識性 ” という存在は変化への真の「 推進力 」として機能させることが特に必要となる。

” 多様性と意識性 ” が同時に存在し互いに補完し合えることが重要であるといえる。

反復性と ” 意識性 ” を構築し無意識の偏見を生むようなリスクを減らし、その反復性と ” 意識性 ” を存在させれば変化への真の基礎力である 「 発展力( 発想力と展開力 )」や「 変容力 」として機能する。

多様性に適応するため多様化の意識に導かれ多様性を短絡的に重視するのではない。

多様性または多様化の効果目的 ” 力の働きとその作用 ” を的確に導き出し、その多様性に ” 反復性と意識性 ” を伴わせ両立するものに向けて取り組む一方、他者との一致協力( 協調や協働など )が大切であるともいえる。

我々は他者の言動に敏感に影響を受ける中で、賛成であれ反対であれ、それに敏感に反応し自分の態度を示す人たちが社会の中には一定程度存在する。

しかしながら、よくわからないという人たちもいるし、そんなこと関心がないし考えたこともないという人たちもいる。

その様な段階( レベル )で 自分自身が ” 思い込み ” によって自己の態度を固定させてしまうのであれば、自己自身に活動の高まりや広がりもたらす ” 自分のリズム( 律動 : rhythm )” とその幅広く行き渡る現象は発生しないまま、自分の事態は現状のまま収束していくことになり、決して複合的な ” 発想と展開 ” が生まれこともなく、総じて” 発展性 ” が見込まれることはない。

” 思い込み ” に囚われ惑わされているときほど、なかなかそのことに気づきをもたらすことがないものである。

その ” 思い込み ” というものを極力排して考えられるようになるために有効な方法は、自分の考えを客観的に見ることができるよう ” 自己の考えを構造化する ” ことだ。
その具体的なやり方は、自分が考えたことや自分が出した結論とその考えや結論に至った根拠を洗い出すというものである。

自己において何か考えが浮かんだり自分なりに結論に至ったりしたとき、先ずはその考えや結論に至った根拠が重要になってくる。
そして、その根拠ひとつ一つを人間の固定的・先入的謬見( 偏見、先入観、誤り、思い込み )などに照らし合わせ、偏った考えになっていないかどうか見直すことである。

ひとり一人の人それぞれが ” このもの( この自分 )” であるとする存在の仕方( 在り方 )として、” 可能性・現実的・必然的 ” とそれらに対応する判断の有り様を含めた潜在的な力である ” 自己の力能( 自己力 )” というものなのである。

それは、” 自分への配慮 ” という大切な活動によって自己の発意と創造の志向性とその可能性に向かい超え出でる中で、自己の ” 外部 ” との関係により円環的に働き作用( 作動 )する結果として発現する潜在性( 又は共同的潜在性 )と活動性の志向的且つ潜在的な力量や実力と能力や才能など、自己創出を成し遂げることができる潜在的な発展性と可能力性であるともいえる。

この様な自己潜在力にある自己可能力とともに自己発展力( 発想力と展開力 )に関わる「 認知能力に伴う調節力 」をはじめ、調節力に不可欠な「 意識力に伴う律動力 」や律動力に不可欠な「 軌道力に伴う可変力 」と可変力に不可欠な「 想像力に伴う構成力 」等々その他、「 努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」は限りなく多面的に幅広い。

自分をコントロールする ” 調節力 : control ” が自分自身に不可欠なのは何故だろうか、、、、、。
何故ならば、それは自分自身のリズム「 律動力 : rhythm 」というものを崩さないためにだ。
このリズムの進み動く勢いある ” 律動性 ” がなければ、人は躓きやすいし物事は進みにくい。

自分の ” 変進力 = 進化・発展力 ” ともいえる「変容力」で進み動く勢いある基礎力である自主的なリズム「 律動力 : rhythm 」が弱いか乱れるか落ちるかは、 ” 意識力( アウェアネス : awareness )” というものが不足しがちだからなのである。

思料・思惟・思索は、いろいろと思いを巡らし考え思いはかることや論理的に筋道を立てて考えることであり、結論を導き出すなど何かしら一定の状態に達しようとする過程において筋道や方法など模索する精神の活動にすぎず、広く主観的・感情的な心の働き又は一つの筋道を追って判断するという客観性の思いや多く抽象的な事柄について順序立て深く考えを進めているにすぎないのである。

脳裏に閃いたり脳髄を絞ってみたところでも、頭を熱くして頭を捻り必死で考えを巡らすに等しく、イメージを膨らめ思い浮かぶアイデアを沸かし知恵を絞る思案に苦慮するだけのことであり、” 意識力 ” というものは実現力の好循環と向上が期待されるものなのである。

” 意識力( awareness アウェアネス )” とは、気づきや認識などによってハッキリ知ることであり、” 関心や態度と自覚や直観( 精神的・感性的な知覚 )などによって全ての志向的な体験を意識し新しいものに発展させる ” ことを意味するものであるといえる。

” 自分への配慮 ” という大切な活動による自分の ” 外部 ” との関係によって円環的に働き作用( 作動 )する結果として発現する潜在性( 又は共同的潜在性 )と活動性の志向的且つ潜在的な力量や実力と能力や才能というものがある。

自己創出を成し遂げることができる潜在的な発展性と可能力性ともいえる自分の力能( 自己力 )は ” 意識力 ” にあるといえ、” 自分の外部や異種・他種との多様なコミュニケーションや多種のコミュニティと交わることよって ” 意識を変え ” 進化し新しいものに発展させる ” といった進み動く勢いある 「 律動性 」といえるものなのである。

自分以外の部外者を排斥して退けたり自分の外部を尊重せずに退けて受け入れなかったり自己主張を一方的に差し述べたりするなどは、自分本来の「 律動力 」や ” 意識力 ” そのものを遮る排他的なものとして以っての外( もってのほか )である。

いたずらにアグレッシブ( 攻撃的 )であったり、ノンアサーティブ( 受け身的 )であった、パッシブアグレッシブ( 作為的 )であったりするのは、自己中心で独断的な考えや意志を押し通そうとする捻出した我意として、自分一人の考えや自分の思うままにしようとする心持ちの酷さにある。

排他的とともに ” 自己への配慮 ” というものをを弁えない愚鈍な心に柔軟で適性な判断力と理解力が鈍く愚かで知識が足りないのに加え、” 知力( 知的な能力または知恵の働きとその作用 )” が伴わないので目的・目標に対する計画を具体的に設定した上で実行する能力である「 思考力 = 実現力 」が乏しいのである。

固定的で狭い思考に陥りがちなのは、物事の根源を追求する思考力が養われて( 鍛えられて )いないということであり、常識を疑い固定観念の壁を崩して知識に普段の生活にはない特有の概念を知るなど ” 知的思考力 ” の真髄を導くことである。

” 地域を生きる自分を活かす ” ことにおいて、コミュニケーション知やコミュニティ知は ” 自分を活かす ” 力となるのであり、コミュニケーション力やコミュニティ力を身に付けるための方法は、豊かに ” 自分を生きる ” ための知的技法としての ” 地域を活かすコミュニケーション & コミュニティ ” であるともいえる。

目的・目標に対する計画を具体的に設定した上で実行するために必要なのは、潜在力 / 認識力 / 評価力 / 洞察力 / 判断力を通した「思考力」を基礎力として、発見力………  発想力………  展開力………  推進力……… 、そして実現に向けて実行する行動力、さらには国際力によって地域課題のプロセスを国際的な現場を活用し実行する力、、、、、。

多かれ少なかれこの過程を踏んで( 努力を通じて )人は常に絶えず行動しているが、普段知らず知らず自然な流れで無意識のうちに通り過ぎ無意識の行動から生まれるもの少なくない。

しかしながら、この一つひとつの力とこの全ての力が ” 知力( 知的な能力または知恵の働きとその作用 )” としてあり、特に「 思考力は実現力である 」といっても過言ではなく、論理的思考力に伴い ” 知的思考力 ” を身に付けるべきことである。

「 思考力 = 実現力 」であり、 判断力によって思考を変えるとき( 知的思考力 )、意志や意思をハッキリと決定して( 意思決定力 )、自分を変えること( 実現力 )を忘れないことだ。

目的や目標に向う一連の行為や活動に決断という正当理由で偶さか( 適さか )誤ったことをしてしまうのが人間というものであり、決断というものは場合によっては「 判断 」で対応する能力の無さで引き起こす脅威ともいえる。

「 地域を生きる ” 自分を活かす ” 」ということは物事と人に関わることであり、自分を活かしながら自分を生きるその生き方を補正・修正していくことでもある。

再度繰り返し、自己肯定感があろうが自己効力感( 可能感 )があろうが問題や課題を見落とさないようにすることを必ず忘れずに。

あらゆる状況変化に巻き込まれている自己へのその様な自分の正しい道理( 道義 )という正義への責任を求め、自身が繋がり合いのとれる自己の志向性とその可能性を問うがために ” 自分への配慮 ” というものを知り続け、未来に向かって進むべきなのである。

それには、自己責任の自覚を持った上で真意が伝わる率直や対等に向き合い押し付けることなく、受け止めつつも伝えることによって互いが理解・納得できうるとした誠実さが必要だといえる。

多様性が重視されている今、自分の外部や異種・他種にある様々な価値観やバックグラウンドを持つ人と協力する場面を増やすことである。

相手を尊重しながら自分を伝えコミュニケーションやコミュニティの幅を広げるスキルとして、自分の主張を一方的に述べることなく相手の意見も尊重しながら自分の意見や要望を伝えるといった自分の気持ちも相手の気持ちも大切にすることで円滑且つ効果・効率性の高いアサーティブ コミュニケーション&コミュニティを身につけることである。

インタラクション( 相互作用 : interaction / Interaktion )は、” 根本にある発想が同一 ” であり、あらゆる「枠を超え( 枠組みを超え )」その根本概念は共有されている。

“ 相互 = 間 ” で行う(する)という二つ以上のものが互いに作用し影響を及ぼし合い、相互作用というアクション( 行動 )として一方的ではなく、インタラクティブ( 双方向 : interactive )でやり取りを行う相互作用( 交互作用 / 相互交流 / 相互行為)のことである。

互いに作用し影響を及ぼし合う ” 連繋 ” または「 連繋思考 」によって ” 枠を超えて力を繋ぐ ” ことは、価値観の共有や多様な状況統合として、その効果の構成は複雑ではあるものの、自分の枠を超えた ” 越境 ” において互いの価値観の共有や新しい価値観を生み出すことができ、変化し進化していく「 変容力 」が見込まれる。

「 相互交流 」の一定の範囲の中に包み込む ” 包摂 ” という ” 相互の関係 ” づくりであり、価値観に包括される従属関係はその交流範囲から異種・多種を受け入れ取り込んで「 ” 知識 ” の ” 生成 ” 」を行っていくことによって、変化に対応( 適応 )するのみならず新しいものへと進化・発展する持続的な ” 変進力 ” ともいえる「 変容力( ransformation : トゥランスフォーメイション )」を身に付けることである。

目的や目標に向う一連の行為や活動に決断という正当理由で偶さか( 適さか )誤ったことをしてしまうのが人間というものであり、決断というものは場合によっては対応する能力の無さで引き起こす脅威ともいえる。

「 地域を生きる ” 自分を活かす ” 」ということは総じて ” 物事と人に関わること ” であり、自分を活かしながら地域を生きるその生き方を補正・修正することでもある。

大事なのは自己肯定感があろうが自己効力感( 可能感 )があろうが問題や課題を見落とさないことだ。

あらゆる状況変化に巻き込まれている自分へのその様な自分の正しい道理( 道義 )という正義への責任を求めて、自身が繋がり合いのとれる自分の志向性とその可能性を問うがために ” 自分への配慮 ” というものを知り続け、未来に向かって進むべきである。

それには、自分自身のリズム「 律動力 : rhythm 」によって自分を変化させることが必要であり、” 自己発展力( 発想力と展開力 )の発創 ” による「 自己プロモート 」によって未来の原義そのものに地域自ら投げかけていくということが重要となってくるのである。

そこで問われるのは、決して重くはならず ” 軽妙に生きれる自分 ” として、物事の流れに沿って常に軽妙洒脱に一部に生じた状態の変化が次々に周囲に伝わっていく「 律動力 」とその現象をもたらすことができるかということである。

今時代と社会現象の全てを通して可能性に存在する地方地域としてそれを手立として人や物事が流れに乗り滞りなく良い条件を引き出し展開する必要にきているということなのである。

” 回転が速く柔らか頭の「 自己力 」” は、どんな時でもその場に応じて状況の把握と判断ができるのであり、観察力や理解力があるからこそ ” 自分に自信がある ” ということになり、自分に ” 思い込み ” がなく、全てに無理なく素早く反応し行動することができる。

何故ならば、その様な自己は論理的な意思決定や判断の論理的な根拠とそれらの構造をしっかりと持つことができるからである。

理想とする ” 活かされた自分 ” は、自分の考えを構造化することによって自分の考えを客観的に見ることができるようになり、その考えに至った根拠一つ一つを持っている錯覚や偏見に照らし合わせ ” 問い直し ” 、偏った考えや誤った考えや ” 思い込み ” になっていないかなどを検証することができる。

効果的且つ効率的にスムーズな円滑さを以て人や物事を展開性に富んで進み動かすには、現状維持バイアスを外すことができなければそのように全て行動を変えることはできない。

変化や未知のものを避けメリットやデメリットを判断し非合理な選択をする傾向として、思考や判断に特定の偏りをもたらす ” 思い込み ” 要因や得られる情報が偏っていることによる認識の歪みになどについての論理的且つ心的な思考や論証の組み立てと法則的な連関性など、論理の根や心の根は奥底に秘めらているからこそ論理や心であってその根拠たる所以なのである。

認知力に伴い付随してつり合いをとる ” 意識力 ” によって強め合う ” 律動 ” の「 律動力 」。
ー 随処に主となれば立処皆な真なり ー として、認知作用と意識作用のそれぞれの置かれた立場や環境で、それぞれの成すべき務めを精一杯果たせば、必ず真価を発揮することができる。

問題解決や課題対応の随所と立処に整然と根の走りと引きが表立つ「 律動力 」と周期的に繰り返される自分のリズム現象は合理的且つ理性的に気が利いたものになるのであり、” 軽妙に自分を活かす ” のその軽妙洒脱さは、自分への配慮によって自己の志向性とその可能性が明晰なればなるほど見事なもんであるといえる。

それは、信じる未来の自己を発見し持続可能性を創造し続けてゆくそれ自体が目的・目標の実現や達成に向けた ” 人となりの前向きな追求 ( 自分への配慮という大切な活動によって自己の志向性とその可能性に勇往邁進すること )” としてある。

自己と地域の同時発心に未来効果を眼界展望する ” 力 ” の発現は、自分自身をかけた慎みと潔さの妥協せぬ勇気の責任と謙虚さにある。

” 自分への配慮 ” という大切な活動に心の怯みや動揺のない攻め強さと心の誤りや不覚のない注意深さは、” 地域を生きる自分を活かす ” 発心が時を一変させる基調であり、自己自身と地域自体とが一体となった世界を巡らす勢いを盛り返し、” 自分を生きる地域を活かす ” においても自らの心を貫く勇気を維持しえる。

未来を信じる力と持続可能性を生み出す「 自主力 」によって自己自身を生き継ぐ自分こそが、いささか憂鬱な立ち往生と戦い、心のままに現実を直視し守り備え、コミュニケーションとコミュニティの未来形から遮断されることなく誇らしげに直立した先駆者ということになる。

その様な中で、自主的に互い働きかけ影響を及ぼしながら作用する感情状態や思考状態と行動状態を変えつつ実行していく ” 認知作用と意識作用 ” に伴い、付随してつり合いをとる自分としての ” 自主力 ” というものが持つ重心と力が働き作用する着力点( 作用点 )においての ” 意識力 ” なのである。

” 力というのは常に一対に現れる「 相互作用( interaction / Interaktion : インタラクション )」” であり、相互作用というアクション( 行動 )として一方的ではなく、双方向( interactive : インタラクティブ )でやり取りを行う相互作用( 交互作用 / 相互交流 / 相互行為)における全ては ” 力のつり合い ” である。

「 力点 = 主眼点 」として、相互作用のつり合う ” 均衡の効力( 力の効かし方や効き目 )” は、対力と偶力・合力と分力・並進力と回転力などを捉えた「 活動 = 相互作用 」における力の転換( 力点と作用点または着力点など )であり、物事の認識や理解と発想などの仕方でもある。

” 意識力( アウェアネス : awareness )” による気づきや認識などによってハッキリ知る自分自身の感情や思考パターンと価値観や行動の傾向やパターンを深く理解した上での関心や態度と自覚や直観( 精神的・感性的な知覚 )など全ての志向的な体験を意識した新しいものの発展などが期待される。

律動的な振る舞いがあってこそ自主性及び創造 ・可能性力が発揮され総体的に関わる周期的な反復 ” 繰り返しの力「 律動の干渉( 強弱・明暗・遅速・消滅など )」” は、自らの感情や思考と行動の波に飲まれて自己を客観的に見られない状態にある緊張と昂揚と心の調子の高さを示すものとは異なるものなのである。

自分自身の感情や思考パターンと価値観や行動の傾向を深く理解し自分の改善点に目を向けるのとともに、他を頼らずとも( 自らの力だけで )自己を変革する上での原動力となる 「 潜在力 」を探すことにある。

ここで期待されるのが先の「 調節力 : control 」であり、「 律動力 : rhythm 」は ” 調節力 ” によって ” 意識力( アウェアネス : awareness )” さえコントロールできれば、その ” 意識力 ” に伴う「 律動力 : rhythm 」は単に ” 発展力 ” にとどまらず ” 総合力” として常習化( 又は習慣化 )するものであり、” 意識コントロール ” の手順や法則をある決まった方式に落とし込み、定式に当てはめることができるはずである。

大きな変化について広い視点で深く構造的に捉え考え抜く力を高め、更に前へ進める力( 前へ踏み出す力 )の ” 自主性を高める ” ことである。

潜在性の ” 意識力 ” に伴う不可欠な「 律動力 」 によってコミュニケーション能力や熱意・意欲と行動力・実行力を生かしながら具体的な目標を設定していく自分の成りたい姿に向け自分を変えていくことができる自己形成能力や自己理解と自己管理能力や課題対応能力とキャリアプランニング能力などを含めた自己効力感を捉えることが特に重要であるといえる。

” 自主力 ” は、幅広さと深さを伴う変化への対応策( 解決策 )を導く着力点として「 自主力 = 変容力 」となる。
求められる ” 自主力 ” を活かして行動へと一歩踏み出した ” 創造 ” とともに可能性を広げる「 変容力 = 創造力」は、自主性を必要な能力の一つとして進んで物事に取り組む力であるといえる。

そうしてみると、自分自身やその活動と自己力の心棒は、” 地域を生きる自分を活かす ” として成し遂げたいことの状態に成りたい力の能力であり、価値観の基準となる自己理念の力に深く関わる。

社会に存在する自己自身それぞれが「 取り巻く環境の ” 変化 ” 」における様々な課題を自分自身に関わる問題( 自分ごと )として ” 問い直し ” 、解決へ導く大きな力をどの様に生み出していくか、ということである。

その問いを煮詰めるならば、自己としては先ず認知作用の自主力に伴う不可欠な「 調節力 : coordination 」を高めることであり、必要な知識や経験と能力などの多軸な多様性を知るということである。

『 取り巻く環境の ” 変化 ” 』といった様々な問題の解決や課題に対応していくにあたり、自己の志向性とその可能性における創造力と可能力( ケイパビリティ : capability )の広がりとともに自己発展力( 発想力と展開力 )の伸びを高めていくことである。

そのためには、変化の激しい時代に対応していくにあたり、既存の価値観や知識に囚われず環境の変化に適応するアンラーニング( unlearning )によって古い知識や概念と価値観を捨てて意識的に新しい知識やアイデアとスキルなどを習得することであり、時代遅れとなり有効性を失った今までの知識や規範と価値観などを認識した上で自主的に必要なものを取捨選択しつつ新しいものを取り入れながら学びを解し( ほぐし )て軌道修正やアップデートをしていくということになる。

そこに浮き上がってくるのは、” 修正力 ” に伴い進み動く勢いある人の基礎力として自主的なトゥランスフォーメイション「 変容力 : transformation 」にまつわる何か、ということかもしれない。

 

 

→ 「 KANKE GRAND 日光 」

努力の余力 ” 力のいろいろ ”
思巡の活力【 II 】
〜 ” 複合力 ” に伴う「 波動力 : coordination 」〜
未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・・ 実践への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・・
ー自分を生きる ” 地域を活かす ” ー
地域発展力( 発想力と展開力 )の「 発創!! 」
KANKE 塾 地域プロモート 開催中
Community-development

” 地域への配慮 ” という大切な活動によって地域の志向性とその可能性に勇往邁進しよう

 

 

→  アクティビティ・サロン
〈 2024年1月期〜12月期 レポート掲載 〉

→  エリアマネジメント・フォーラム
〈 2024年1月期〜12月期 レポート掲載 〉

 

 

→ カテゴリー : 八百万の力

→ カテゴリー : 思巡の活力

→ カテゴリー : 誰もが地力

→ カテゴリー : 日々の力行

 

 

→ KANKE GRAND 日光

→ アクティビティ

→ NATSUKO KANKE

→ OFFICE KANKE HISTORY

 

 

Photo / Copyright(C)OFFICE KANKE. All Rights Reserved.
Image Credit With Copyright.