エッセンス

 

 

CONCEPT

- 街・人・仕事 Community action -

 

 

Spring, 1894. Sir Lawrence Alma-Tadema, The Getty Center, in Los Angeles, California, is a campus of the Getty Museum and other programs of the Getty Trust.

 

 

「 With NIKKO 」ウイズ日光

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

    「 自分を整える 」自然体づくり
 ” リラクセーション( relaxation )” に伴う
      〜 大自然からの提案 〜

 

 

KANKE 塾

 

 

「 自分である 」こと

明歴々露堂々にて明月清風、隠すところなど少しもなく、明らかにはっきりと顕れる大自然を友にした自在な在り方。

しなやかで優しい “ たおやか  ” な女性、毅然として雄々しい “ ますらお ” の男性 ” 、「 日光仮面 」ならずして 〜 あらまほしい 〜 日光人とコミュニケーション能力。

知覚や感情と思考の共有にむけた情報伝達や意思疎通または表現と意思を互いに伝え合って交流を図るなど、社会生活を営む人間の間で行われる人として大切な行動のひとつであるコミュニケーション。

互いに自然に言葉を投げかけ、互いに相手へ気を向け向けさせ心を測り通わせて、互いの境地や心の状態などを推し量る「 一挨一拶 」という深浅を見ることを知らないとしても、礼儀である挨拶もコミュニケーションの内である。
人間の間で当然まず先に挨拶なくしては人として芳しくないどころか、もっとも互いに挨拶なくしては本来のコミュニケーションというものが始まらないのは至極当たり前のこと。
心を込めて軽く( 挨 )して快く近づき寄り添い、心強く( 拶 )して押し切り拓くといった 〜 人と人とが出会うことにより触れ合い互いに心を開く第一歩のやりとりである挨拶 〜 を交わすことによる心地良さ。
人間関係を円滑に取り運ぶのにあたり、生活から切り離せない大事な挨拶とコミュニケーションをもっとも大切にすることによって人と人との間柄はより親密であってほしいものだ。

〜 白玉( 真珠 )は人に知らえず 知らずともよし 知らずとも 我し知れらば 知らずともよし 〜 として、自分の価値は世間に知られなくても自分さえ知っていればよいのであって ” 自分の価値は自ら決める ” としても、あまりにも真しやかであって ” 人知れず努力している ” ことを人は誰でもいいからわかってほしいものである。
男女ともに積極的( 外交的 )に揺るぎなく押し切りがちのアグレッシブな人であっても消極的( 内向的 )に引っ込み思案で受け身がちのパッシブな人であっても姿質( 外面的・内面的 )は皆んな同じである。
その場その場の単なる状況にすぎない働き掛けや駆け引きなどその時その時だけでしかない人の強い弱いを問わず、皆誰もが人と人が関わり合って ” 街・人・仕事 ” を築き上げるうえでは、頑張らなければならない自らに解決すべき問題や対応すべき課題を皆誰もが一人ひとり少なからず抱えている。

皆誰もにみられる創造性であり、新しくて価値あるものをもたらす創造活動は人々に賞賛されるものだけではなく、創造性は卓越した才能と運と能力だけでも決してない。
皆誰もが何かしら自らの問題や課題に気づき、人は絶えず解決や対応にあたって何らかの改良や工夫を重ねるなど新しいものへの創作や発見をしてもいるだろう。
” 自分を生きる生き方 ” は絶えず新しい経験をもってして築かれてゆくのだから、「自分であること」の状態という諸々の瞬間は常に新しいものであり、その意味で人は皆誰でも絶えず自分自身を創造( =自由 )しているということができよう。
創造性や創造活動を ” 街・人・仕事 ” に限定して捉えるのではなく、ひとり一人にとっての新しい経験をも含めた広い意味において捉えていこう。
どのような状況になろうとも人間には一つだけ問いと答がある。
そこには自由というものが残されており、それはどう行動するかということだ。

人が常に新しいもの( 潜在的な可能性 )を生み出し絶えず自分自身を創造していくことができるのは、先ず第一に大自然の呼びかけであり、生命の創造的努力( 自分の自由な可能性を求める )という生きる力( 生命の推進力 )に自らが応えるからなのである。
” 街・人・仕事 ” に潤いをもたらす大自然( 自然環境 )なくして、人は ” 自分を生きる生き方 = 「 自分である 」こと ” を実践し実現することはできないだろう。
自然環境においてこそ自分自身の創造( =自由 )があるならば、日光の大自然においてこそ創造性が現れることになり、創造活動が実ることになるのである。

強い弱いを問わず人は頑張らなければならない自らに解決すべき問題や対応すべき課題を一人ひとり少なからず抱いているといった皆誰もにおいて「 条件はみんな同じである 」。
大自然の懐に抱かれる ” 自分である状態 ” において気軽に自らを話しお互いに語り合えば全てが分かるだけではなく分かち合える。
コミュニケーションの力によってその人が本来もっている性質や考え方をお互いに知って分かち合える仲の良い間柄 ” 拠り所 ” 、何事も少しのことにも専ら導き教えてくれる先達はあってほしいもの。
ライフから芸術や教育と街づくりモノづくりなどをはじめビジネスその他までの様々な種類( 分野 )で活発な ” ワークショップ ” も含め参加者は体験を通じて創造と学習を生み出すべく能動的( 主体的 )に動くことができる様々な「 アクティビティ( 活動 )」。
自らの行動を通じ学ぶことでお互いにより理解を深め合い、個人からグループまでの一人ひとりにおいて物事の成り立つ根拠となる事柄や支えともなるものが見えてくる。
気心の知れた親しい「 With NIKKO 」ウイズ日光、あらまほしい日光人とコミニュケーションの在り方が根をおろしはじめる。

自然と人間との対比はきわめて不確かなもの(ますます薄弱)となる中で、 ” 街・人・仕事 ” に潤いをもらたす大自然の生命力。
自然と対置された知的創造性における街環境や仕事環境であるよりも、呼びかける大自然の命あふれた自然環境に触れることにより人は自らを話しやすく互いに語りやすい。
人は皆誰もが、ひとり一人かけがいのない大切な存在として 「 自分である 」ことの状態において 〜 大自然の風を聴き心を歌い音楽を奏でることができる 〜 大自然の佳を嗜み食彩を求め旬を味わうことができる 〜 大自然の光を感じ着想を得て生面を拓くことができる 〜 そんな ” With NIKKO ” ウイズ日光でありたい。
成果が伴うよう得るものが多い実り豊かな環境に包まれた日光の大自然の中で皆誰もがひとときを楽しみながら年間を通して自らが末長く交流を図りお互いに意思を伝え合うことのできる。
充実した ” 2way コミュニケーション ”( 自分を表現することことができ他者の表現をも理解することができること )をもたらし自分を探る「 With NIKKO 」ウイズ日光。

皆誰もが努力するべき本当の自分を使いこなすことのできる活気に満ち溢れた多様な「 アクティビティ( 活動 )」が見つかるだろう。
豊かな自然に溢れた日光の自然環境に触れることにより皆誰もが努力するべき本当の自分を使いこなすことのできる活気に満ち溢れた利用者の心身の活性化をもたらす活動。
一人ひとりが ” リラックス( relax )” して身体を動かしつつ心を開き心を解き放ち広げてゆく素直な心をもって自由な発想の転換ができる「 With NIKKO 」ウイズ日光、本当の自分を探す或いは達成する価値がある。
まず先に他の人に喜びを与えながら自らが頑張れば頑張った分の三倍も五倍もいつか自分に返ってくるのであり、他者をも楽しませ喜びを与える人は同じように自分自身の喜びと満足を得ることになる。

コミュニケーションをとる文化が日常化してくる日常生活の中に自分の楽しい面白いを取り入れながら心身の活性化につなげるための活動全般を目指すといった皆誰もがお互いにこのような気持ちで新たに ~ 従来はそうでなかった日光での物事を始める ~
” 街・人・仕事 ” であっても「 不易流行 」として、いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも新しく変化を重ねているものをも取り入れていくことであり、その中で同じ自分でいれば人は必ず退屈で倦むに決まっている。
人は何処までいってもその人で只管その道一筋であっても ” 人は変わってゆく ” ものであり、自分が変われば同じ物事が違って見えてくる。
人が変わると当然見なされるなら人に同じ気見合いなどはなく、全てのその時その時は違う時であって大自然というものもその都度変化して違う。
人間自体も大自然の一部、自分を自分でコントロールする人と置き換えても同じである大自然という全てが抽象的であっても暈けることはない。
生活や文化にも深い関わりを持つ自然、たとえ見ているだけでも森羅万象に命あふれる大自然から教わることはできるので、そうしているうちに「 自分である 」ことの状態という何かが分かってしまう。

” 自分に生きる生き方 ” として現実の状況に依存している限り存在する ” 状況的な自分 ” とそれでは成り得ない ” 本当の自分 ” に定まり得ない自分であるよりも「 自分である 」ことの状態を見出し ” 自分を生きる生き方 ” を手に入れよう。
自分の楽しい面白いを見つけ一人ひとり目的やゴールを明確にして使い分ける環境の中で、満足度向上や目的達成に繋げるために、気軽にそれぞれ自分の実りある収穫への道を探ってみよう。
ようこそ! 自らも楽しみ人々にも多くの喜び与える「 With NIKKO 」ウイズ日光へ!!
” 大自然の命は待っている ”

半ば周囲の環境や周りの人に流されつつ思い込みに惑わされる回り道で封じ込められた「 自分である 」ことに活発さと躍動をもたらす。
自らの光を外に照らし向けて自分と向き合い、自分を生きる生き方( 人生 )を知って楽しむ自分らしくあること。
自分を生きる可能性はこんなものではないと、きっと自分らしさは想うはず。
自分らしさが想って、自分を生きる自由の可能性を ” 自分で規定 ” していく自由を自ら目がける。
「 ” 自分のため ” の手立てや洞察力と自らの新たな経験と感覚を通して得られるスキルの付与 」を重視した自分( 人生 )の楽しく面白い( 味わい )。
とっておきの新しい自分の心延え( こころばえ )「 自分である 」ことの自分らしさへの近道。
自分の楽しい面白いは自分次第であり、お楽しみはこれからだ。

 

 

 

 

 

 

■ プロジェクト設立 :
v■ プロジェクト設立 :
With NIKKO ウイズ日光( OFFICE KANKE )
ネーミング / 基本的考え方 / 運営 / 展開 / プロジェクト内容 / ロゴマーク / 活動推進施策・開発・制作等
Copyright © With NIKKO ウイズ日光. All Rights Reserved. Photo / Image Credit With Copyright.
■ 創設 :
2022年3月 With NIKKO ウイズ日光
( 2001年3月 OFFICE KANKE 設立 )
■ 運営と展開内容 :
アクティビティの基本的な活用( アウトリーチも含む )/ 目的とゴールの明確化 / 種類( 分野 )アウトラインの枠組み / プログラム形態の企画・作成・推進 / 関連性・発展性の展開 / 発表会の開催 / 実践後の評価と継続的改善 / ステップアップ / 情報発信とコミュニケーション媒体運営・機関紙の発行 / 活動推進・プロモーション / ブランド開発・諸制作等他
イベント・講演会・演奏会・展覧会等の企画と開催
国内外アーティスト・講師等の招致と催事企画運営
■ 事務局 :
「 KANKE GRAND 日光 」( OFFICE KANKE )
「 アクティビティ 」
「 KANKE 塾 」
■ お問い合わせ : → メール

 

 

冒頭 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

「 KANKE GRAND 日光 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
” 大自然の命は待っている ”
~ 従来はそうでなかった日光での物事を始める ~

 

 

 

 

編首 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

KANKE GRAND 日光「 アクティビティ 」
→ ウイズ日光 With NIKKO 9月創設号
「 アクティビティ 」
” 大自然の風を聴き ”
〜 心を歌い音楽を奏でよう 〜
” 大自然の佳を嗜み ”
〜 食彩を求め旬を味わおう 〜
” 大自然の光を感じ ”
〜 着想を得て生面を拓こう 〜

 

 

趣意

 

 

地域性と共同性という二つの要件を中心に構成され、” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する地域コミュニティ community 。
私たち一人ひとりは相互の生き方や働き方に配慮しつつ新たに生み出す地域創生や地域創造に向けた地域の活性化に積極的にかかわっています。
ゆえに私たち一人ひとりは活動をともにする地域コミュニティの持続可能な開発の担い手であり、私たち一人ひとりが中心となって地域を支え、地域の活性化を推し進めているのです。
本来 ” 街・人・仕事 ” には潜在的な可能性が備わっており、それを発揮することが期待される力の働きがあります。
これこそが ” 街・人・仕事 ” そのものとしての存在価値です。

顕在的な元気という活動のもととなる気力、いきいきとして活力が盛んなさま、活力という働き動くための力、活動力や生命力。
地域の振興を目指すだけにとどまらず、潜在的な可能性の発揮が期待される「 街の力・人の力・仕事の力 」とその働きによる ” 街・人・仕事 ” そのものの成長や向上を目指すべきではないでしょうか。
それは ” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性にある切っ掛けにより気づき、振るい興すことにより変化をもたらせ、成し遂げる力がよりよくなることです。
何かをしようとするときの役立つ力として、 ” 街・人・仕事 ” に働きかけ影響を与え、新しい変化に向かい思い通りに動かすことができる勢いの力とその働きは「 街の心・人の心・仕事の心 」を動かす強い力です。
” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する私たち一人ひとりの生き方や働き方のよりよくする目的を達成しようとするのを助ける力なのです。

私たち一人ひとりが意識の対象について持つ主観的な像として、具体的なものがないとしてもそれが心に残る印象。
あらゆる対象について頭の中で持っている何かに関するひとまとまりの意識の内容は物事に対する考えや物事に対して持つ考えを決して固定したものではなく、変化してやまないものです。
それらはきわめて多様性があり曖昧であるとされますが、私たち一人ひとりの重層的で柔軟な思考から生まれたものです。
たとえば自然と人間とは一体化して認識されるように排他的ではないといった特徴をもっているといったことがまさにそれを表しています。
したがって、” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する私たち一人ひとりの生き方と働き方に対する考えやその意味の内容を限定して混乱を生じないように配慮する必要があります。
そこで伝達・通信・意思疎通などを意味するコミュニケーション communication という表現を日々大切にして私たち一人ひとりは交流を図り意思を伝え合うといった活動を示す意味合いで用いているのが実際です。

私たち一人ひとりの相互性が強調される「 街の心・人の心・仕事の心 」と「 街の力・人の力・仕事の力 」。
日常生活に密着した ” 街・人・仕事 ” は私たち一人ひとりに多くあり、何かを守る役目またはそれに準じる存在として、お互いに助け守り、お互いに守られ助けられています。
” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する私たち一人ひとりは生き方や働き方をよりよくする ” 目的を達成しようとするために払拭すべきもの ” があるからこそ、日々の「 街の心・人の心・仕事 の心 」に動かされ、お互いに力をもらい、お互いに力を与え、積極的に幸せをもたらし合っているのではないでしょうか。

ー 見て取れる守株的にシミュレーションされた外見による上辺だけ被われた見せ掛けといった ” 仮面 ” を払拭してこそ、ー 未来 ー に向けた持続的な知恵を絞り継続的な努力を行う術(すべ)を見出すことができるでしょう。ー

知られていない、まだ皆誰もが知らない、「 知られざる ” 街・人・仕事 ” 」の潜在的な可能性とその存在価値。
潜在的な可能性の「 街の力・人の力・仕事の力 」は私たち一人ひとりの心の奥深くに根差している確信であって信念であり、躍動する「 街の心・人の心・仕事の心 」に存在しています。
” 街・人・仕事 ” においての内と外との関係に対する考えとして、互いに受け入れ、互いに受け入れられ、切っ掛けにより気づき、それを理解し認め合った状況ではポジティブな確信であって信念であるものが生まれます。
外に力を求めるのではなく、内に成し遂げる力を求めるのであり、潜在的な可能性の発揮が期待されるその力により ” 街・人・仕事 ” の成長や向上を目指し、現在と未来の差を縮める内なるものを動かす強い「 街の力・人の力・仕事の力 」を私たち一人ひとりが積極的に培い続けることです。

” 街・人・仕事 ” の実力は肯定感や効力感(可能感)ではなく、実質的な ” 街・人・仕事 ”  の成長と向上を目指した原動力ともなる気がかりと切っ掛けの気づき。
私たち一人ひとりはありのままの ” 街・人・仕事 ” の肯定する感覚を無理に高めて弊害をもたらすことのないようにしなければならないでしょう。
肯定感を高めなければならないとして様々な取り組みを行っても、その効力感(可能感)が高まる兆候はみられず、現在と未来の差は一向に縮まる気配が訪れません。
肯定感や効力感(可能感)は意識して高めるものではなく、「 街の力・人の力・仕事の力 」のそれぞれを過大評価することでもないのであり、できる ” 街・人・仕事 ” の方がより慎重で不安げだろうと感じることでしょう。
みるからに肯定感が高く自信満々に振る舞う ” 街・人・仕事 ” の中でも、特に自信満々にみえる「 街の力・人の力・仕事の力 」ほどその実力は怪しいといった知見が得られているはずです。

気づきから行動へのプロセスを踏む ” 街・人・仕事 ” の成長と向上の原動力。
たとえば自分に対してユーモアのセンスや論理的推論の能力などのいくつかのスキルや能力に関するテストを試み、同時にそうした個々の能力について自己評価をしてみるといいでしょう。
街に出ない人、人と出会わない人、仕事が出来ない人、そのような人ほど何故かポジティブであり、そこには根拠もなく、かなりの自信をもっていることが裏付けられるはずです。
そのような人ほど楽観的で、自分の能力を実際以上に見積もりやすく、そうでない人ほど不安が強く、自分の能力を実際以下に見積もりやすいです。
これは現実の ” 街・人・仕事 ” の状況を厳しい目で見て取れば「 街の力・人の力・仕事の力 」を過信し楽観視するよりも不安が強くなるためであり、気がかりと切っ掛けの気づきがさらなる成長と向上の原動力となっているのでしょう。

潜在的な可能性の発揮が期待されるその力により、成長や向上に向けた気づきと考え。
それゆえに、私たち一人ひとりがたえず肯定し楽観的かつ積極的にみえるのと違い、何かと気がかりで不安になりがちになるものですが、” 街・人・仕事 ” に対する堅実さや着実さといったものは逆に心配や不安の強さがもたらしているといってもよいのではないでしょうか。
たとえばポジティブに惑わされ不安を排除してしまうと、” 街・人・仕事 ” に対して適当になり、手を抜きがちになり、質が低下してしまう恐れもあり、何とかなるだろうと楽観視しすぎると、思いがけない問題の解決能力や課題の対応能力など事態への対処能力が低下し、あるいは計画や時間などもいい加減になる恐れもあるでしょう。
いま私たち一人ひとりが生きて働いているこの地域コミュニティ全体の相互性の信頼性は、実は気がかりというある特有の心配や不安の強さによって支えられているといった面があることを知っておくべきです。

私たち一人ひとりの「 街の心・人の心・仕事の心」に引っかかるものや事柄である ” 気がかり ” を切っ掛けとした ” 気づき ” から行動へのプロセス。
そうしてみると、自分の中にある不安を否定して排除しようとするのではなく、気がかりとなる心配や不安の効用にもっと目を向けてその生かし方を考えていくべきかもしれません。
私たち一人ひとりが積極的に、街に出て、人と出会い、仕事が出来、前向きな地域コミュニティ活動によるその生かし方を考え、さらにはコミュニケーション活動においての切っ掛けによる気づきから理解し知識を身につけ、そして評価し価値観を明確にして、問題についてどうのように行動すればよいのかを考え、そうして気づきと考えたことを実行へと行動に移すことです。

潜在的な可能性である「 街の力・人の力・仕事の力 」と、躍動する「 街の心・人の心・仕事の心 」に存在する確信であり信念。
私たち一人ひとりはありのままの ” 街・人・仕事 ” をなかなか肯定しきれず、まだ足りないところがあると考えがちなのは皆誰もがそうなのです。
たとえば今の ” 街・人・仕事 ” をなかなか肯定し切れず、満足できず、まだまだ足りないところがあると考えがちな人は、楽観的で不安もない人と比べ肯定感や効力感(可能感)など低くなるのも当然であり、そのことをまったく気にする必要がないということをあらためてわかるのはずです。
不安がなく楽観的な ” 街・人・仕事 ” を打ち出し押し出す文化は、地域と自分の内に成し遂げる力を求めるのではなく、地域と自分の外に力を求め、肯定感を高める様々な取り組みにより推移を見せつつも、その効力感(可能感)が高まる兆候をみられません。
本来 ” 街・人・仕事 ” に備わっていて発揮することが期待される潜在的な可能性の力とその働きを見過ごし、” 街・人・仕事 ” そのものの存在価値を見失っていることが裏付けられているはずです。
すなわち地域コミュニティとその持続可能な開発は成し遂げられている気配はないという知見が得られているはずです。

顕在性と潜在性における「 街の力・人の力・仕事の力 」の可能性を捉える地域から見た内と外。
” 街・人・仕事 ” に対する堅実さや着実さは逆に心配や不安の強さをもたらし、気がかりというある特有の心配や不安の効用に目を向けてその生かし方を考え、気づきと考えたことを実行へと行動に移すことにより ” 街・人・仕事 ” を打ち出し押し出す文化は、地域と自分の外に力を求めるのではなく、地域と自分の内に成し遂げる力を求めます。
したがって肯定感や効力感(可能感)などを高める様々な取り組みをすることなく、本来 ” 街・人・仕事 ” に備わっていて発揮することが期待される潜在的な可能性の力とその働きを見い出すことができるのです。
すなわち私たち一人ひとりの「 街の心・人の心・仕事の心」に引っかかるものや事柄である ” 気がかり ” を切っ掛けとした ” 気づき ” から行動へのプロセスを踏むことさえすれば、” 街・人・仕事 ” そのものの存在価値を決して見失うことなく、地域コミュニティとその持続可能な開発は確実に成し遂げられてゆくものです。

発揮することが期待される ” 街・人・仕事 ” の潜在的な可能性とその力の働きを生み出す気づきから行動へのプロセス。
私たち一人ひとりは、今まで目を向けていなかったことに目を向け、今まで心を向けていなかったことに気持ちを向け、今まで思いを向けていなかったことに考えを向けることです。
そして地域と自分の身の周りの問題や課題に気づくそれぞれのつながりに気づき、それらを理解するために地域と自分の身の周りに起きていることを認識し知識(知恵)として身につけ、気づいたことや理解したことについて地域と自分なりに評価し価値観を明確にして、問題解決や課題対応についてどのように行動すればよいのかを地域と自分なりに考え、そうして ” 気づいたこと・理解したこと・考えたこと ” を実際に行動に移すのです。

ー 地域住民(生活)と来街者(観光)とが共存(融合一体)することを重視した「 健光・観光・日光 」の持続的な知恵と継続的な努力による ー 未来予測術 ー においては、” 知られていない、まだ皆誰もが知らない、知られざる 「街・人・仕事 」” の潜在的な可能性とその存在価値こそが遥かに未来を豊かに孕み展望に富んでいるといえます。
従来のやり方で何も変わらない見せているだけに過ぎない外側(空洞)の豊かな支援制度や活性化計画などの内側(中心)に ” 自ら挑戦する主体性と革新者(様々な領域において従来とは異なる切り口で新たな価値創造に挑戦) ” を取り込んで据えることが重要であり、活動の矛先を統一の目的目標に異次元・異領域を繫いで未来の「 街・人・仕事 」を創り出す多様な役割や位置付けなどを明確にして統合プリンシプルを整理し、実質的にトータル展開することです。ー

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総論

……… 人間ひとり一人の個を尊重する多様性の時代、様々な価値観を共有しつつ複雑化・多様化する社会。

時代の潮流( 変遷 )に伴う社会環境の変化に対応すべく、自ら人生の目標や価値観を認識・評価し、潜在能力を発揮するためのスキルや自分の資質などを継続的に高める自己の開発( 又は個人的な成長 )が欠かせないものとして提唱・推奨されている。

自分の成熟度や成功と満足度などを左右するとものとして、多くの人が自分自身を高め目標を達成するためなど生涯を通じて能力を身に付け自信を持つ上でも役立つ自己開発スキルを磨き、プライベートにも仕事にも有用な日常生活の一部として様々に活用している。

多様性に適応するため多様化の意識に導かれる中で自分の本当の在り方は、一般社会に存在する自分自身の成長( 自己の向上 )に関わる役立つ資質や能力など自分の可能性を最大限に引き出すことによって( 自己開発スキルによって )高い能力や大きい成長と充実した生き方や優れた人格などを獲得することができるといったより高い段階へ上昇させようとする等々その他、自分自らの自主性に基づく ” 自己力 ” を伴う活動による自律的で持続的な自己創出を想定している。

自己の創出といったものを想定して比較できうるその自己の目録は ” 自己力 ” としての自分の性格でもあり、” 自己潜在力 ” に伴う ” 自己力 ” による個々人それぞれの生き筋の道程といったものは、自分の性格を備えた自己の在り様でもある。


自分自らの意思によって意図するものにあくまでも忠実に止まることを知らず、自分自身の筋立てが一体どのように成り行くのか自分自らでも決して知らないということになる。

自己の性格をもって交じり合った現実世界のうちに置かれた自分自身の状況からくる自分自らの慣れた狭い見方といったような癖があるということをも知らずに、如何に自分自らがその状況に殆ど半ば巻き込まれているかということさえも知らない。


そうして常に絶えず、完全なる客観性は実際に全て不可能であるということなども到底知らないままに、” 自己潜在力 ” に伴う自分自らの自主性に基づく ” 自己力 ” を伴う活動による自己創出の想定というものは、自己の性格に因り成り行くのである。

自分の表面に表れていない自己能力や自己成長する力である ” 自己潜在力 ” は自己を変革する原動力となるものであり、個々人ごとの特性を活かす上で人それぞれの ” 自己力 ” やマインド スキルを見定めていくことが特に大切となってくる。

引き出された ” 自己潜在力 ” ともいえる ” 自己力 ” を伴う自分の活動に対する素質や適正とは、自分の能力や才能と自分が持つ独自のスキルや適応力であり、自分が特定の技能や知識などを習得するための自然な能力や適正でもある。


人の皆誰もがいずれはいつしか自分独自の視点やアプティチュード( aptitude )をその人それぞれ自分なりにもつようになってくるのかどうかに関わることなど自分次第のことなのである。

我々が普段何気なく暮らしている多様な日常生活を支える基本にある光景の文脈には、生活主体として主体的に社会構造に関与していく行為により構造化された諸行動様式の集合の構造を伴う” 自己力 ” という広がりや大きさをもつ壮大な物語がある。

” 知は力なり( 力は知なり )” として自分自身の考えを構造化する切っ掛けなどを暗に教えられることを多く含み、自己の伸びを強力に諷示している。


この物語は見るものに新たな視点を与えたとき、そこには自分自身としての潜在性や可能性の示唆に富むメッセージがあるはずだ。

人それぞれの特徴を持つ生活時間 / 生活空間 / 生活環境 / 生活周期 / 生活情報などの諸要素の関連性を読み解き自分の特徴を深く知り、特性としての多くを自己理解し受け入れつつ自分の価値観や考え方( パーソナリティ )など自己の確立が不可欠。

地域社会において最も基礎的な行動単位で、各々が従来型の共同体に縛られることも孤立することもなく他との繋がりを充実させ、自己を活性化することで多様な価値観に応じて関わり、各々が役割を持って地域を成り立たせるために自主的に参画してゆく一個人。

「 自分 」という部分が生活主体と社会構造との連結点に位置し、生活主体が主体的に各々そのものだけが持つ有意な性質の特性に応じて関わり役割を持って社会構造に関与していく行為により構造化された中で、生活する与えられた生命維持や健康促進に止まらず含められたより良い充実したものへと高めていく主体的且つ創造的に活動する自分の潜在的に持つ力を強めポテンシャル( 将来の可能性・成長性 )を高める。

自己創出における自分の型を意識した自分の良さの再発見のそれは、自分の潜在力と在るべき姿を見据え再確認しながら特別な体験に特別な発想を仕掛けることなく今の日常の平穏さをさらに再確認する中でのアクティビティ活動により独自に付加価値の創出を目指す繋がりの再評価。

目標達成への自己開発スキル型やパフォーマンス的で成果的な発想の延長線上から抜け出す脱却は、当たり前の日常と受け止められていた多くの普通の事柄を新たな視点から再評価しつつ新しい方向に進む機会。

自己の啓発という言葉は、今では空疎な見せ掛けに底が破れ鳴く期限切れの死語であり、決して文明的ではない。

自らをかけた慎みと潔さという決して妥協せぬ勇気をもって絡む自己創出に伴い、絶えず自分自身を産出し続ける ” 地域を生きる自分を活かす『 発創 』( 発意と創造 )” の「 移行物語 」は、夢のまた夢とは程遠く、自己の冴え渡る ” 自覚 ” において、いままで潜在していた駆り立てられる行動と感じ取った外界の刺激の意味付けが働き始め、理解が及んで自己本来の姿に立ち返る。

自分自身を見詰める柔軟な姿勢の鮮やかさとともに、自分を生きる誇りと意義は決して失われない。………

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提言

……… 人が環境をつくり、環境が人をつくる。

『 自分への配慮 』と『 地域への配慮 』という大切な活動によって自己と地域の志向性とその可能性に向かい超え出でる。

地域性と共同性という二つの要件を中心に構成された ” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する地域コミュニケーションや地域コミュニティと融合する ” 自己創出 ”。

自分自身の活力の回復・増進と維持に向けた自分の未来を切り拓く「 潜在力 」を解き放つための多彩な「 自己プロモート( 自己発展力 : 発想力と展開力による )」 活動とその展開。

” 自己の創出と地域の創生 ” は、生きるに関する価値的・活動的な意識や意義の側面であり、 ”『 発創 』は兼ね合いの着地点 ” として既存のものを繋ぎ守り社会と個人が求める新規なモノ・コトへと仕上げることで生まれる。

自己創出の「 自己プロモート( 自己発展力 : 発想力と展開力 )」 と地域創生の「 地域プロモート( 地域発展力 : 発想力と展開力 )」 を伴い合わせれば、斉しく相応じて釣り合う同時進行により一遍にして連関の効果のみが見せることができる強固な完成度と持続度の有能性を備えることになる。

” 地域を生きる自分を活かす ” と ” 自分を生きる地域を活かす ”『 発創 』( 発意と創造 )

自分らしく日常生活を安心して暮らしたい自分自身での自主性はその地域街区に関わり、” 自己創出 ” は自らの自己意識や意思( 意志 )と変化への原因となる捉え方と考え方の道因や素因である「 判断 」に基づき自己責任のもとで行動を起こす自分自身の「 自主性 」にある。

” 地域創生 ” も同じく地域自らの意識( 当事者意識 )や意思( 意志 )とその様な「 判断 」に基づき地域自らの責任のもとで行動を起こす地域街区の「 主体性 」にある。

この相対的な行動( また能動的で上位互換のようなもの )は一切の「 自立自信・自化自発 」の資にあるのも同じ。

人の同気相求として地域は人が集まる一味同心による同心協力にある。

それに相応しい存在の意義( その場に居合わせることにより生み出される価値 )あるものとして、自分を活かし自己の新しい意欲を引き出す「 自己プロモート( 自己発展力 : 発想力と展開力による )」 活動と街区を活かし地域の新しい活力を生み出す「 地域プロモート( 地域発展力 : 発想力と展開力による )」 活動。

この二つの活動と展開を、一様の尺度に依り時を同じくして起こし ” 創める( はじめる )” ことは、同等の効果になるわけである。………

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所説

……… 人が地域を動かし、地域が人を動かす。

・・・ 想定外の「 努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」
努力することによって産み出される活力
努力が本来目指す当面の成果から外れた異なる価値
努力過程の副産物としてある可能性への力法 ・・・

” 地域を生きる自分を活かす ” ことにより自己の新しい意欲を高めるのは圧倒的な努力であり、活動を生み出す力の活力は「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」として枯渇することはない。


重視すべきは原動力であり、「 努力の余力 」があってもそれを活力や力のいろいろとして用いないのは、努力した結果において求める地点に辿り着くといった努力を力の単一とした努力度と努力の成り行きである実利の成果価値をもたらす点だけを捉えているからである。

努力することによって産み出される想定外の「 努力の余力( 力のいろいろ )」に新たな価値があるといった努力するプロセスに価値を帯びる少なくないケースを認識してはいないことになる。


満足される「 努力の余力 」とは、努力が本来目指していた成果とは異なる価値として、努力過程にある副産物( 力のいろいろ )の価値を認めることによって得ることができる実利的な実際の効果価値なのである。


” 知は力なり( 力は知なり )” として、この「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」の効果価値がもたらす点を捉えて認識し、その効用の質を見直すべきである。


” 問い直す ” ことは、自分自身の本質に迫る行為であり、自己の発意と創造の志向性とその可能性にある新たな自分自身の姿や自己の内に眠る「 潜在力 」に気づき、次なる問題や課題を生み出す切っ掛け( 契機 )にもなり得る。

人間は何かに慣れると、どんどん安易に物事を判断する方向に流れていくのであり、普遍的に大切な ” 問い直す ” ことを地域において今改めて強調する理由と背景にある危機感を捉えることである。

「 判断 」とは、” 知る ” ことを意味する。

「 判断力 」は、決める( 決断 )力ではなく ” 知る力 ” であり、「 思考力 = 実現力 」に伴い進化や変化するための「 判断力 = 変進力 」でもある。

そもそも力とは実体の無いものであり、力は総じて ” ヒント ” であるにすぎない。

” 力の糸口 ” とは、発想の起点や展開の起点或いは着想を得る起点など突破口であり、問題解決や課題対応などをするための ” 期待でき得る力の働きとその作用 ” があるとするものである。

物事を展開させる切っ掛けとしての「 努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」は、どれも単一の力だけでは効力に及ばず、付随して伴う力とともに力発揮調整ができ、本来の力とは異なる力に転化するなど、変化( 転換 )のみならず進化・発展への変進力として効果を及ぼすことのできる力となる。

どのような場面でも力の合成と分解( 合力と分力 )規則性が隠れており、力対の偶力や平進力・回転力など、期待される力の働きとその作用の求め方次第で問題や課題を理解・解決するための多様な手掛かりとなる。

・・・・・「 力 」とは、目的・目標を達成するために行う行動の仕法( 仕方 )のみならず、目的・目標のために尽くす力の働きとその作用として能力を用いた「 法 = 方法 」であり、目的・目標を達成するための ” 解 ” を求めるために「 方法 = 手立て・やり方の法 」を ” 生成 ” し駆使して自由自在に使いこなすことを意味するものである。
一意攻苦の奮闘に励む精神論のみならず「 努力 」は、目的・目標の自由度を制限せずに最適化を行う ” 手立て ” としての「 力法 」であるといえる。
「 努力の余力 ” 力のいろいろ “ 」は、正にこの ” 力法( 手立て )” の数々を指し示している。
努力する行為は一つの ” 技術 ” であると捉えることができ、努力の対応を巧みに行うために役立てさせる方法・手段としての「 力法 」なのである。

” 努力する行為 ” は、悲観の中に生まれ、懐疑の中に育ち、楽観の中で成熟し、幸福感の中で消えてゆき、そして人は、活気と力法( 手立て )の平々凡々な「 努力 」に疲れ、意地張る骨張で骨頂走る気迫と力量( 手並み )の奇想天外な「 骨力 」に憑かれる。・・・・・

仮説提起的に発見に資する正解に近い解を見つけ出すため、もしくは論理的に厳密で必ず正解に辿り着くため、予測が不可能な状態である ” ランダム ” において、自分で自分自身にその「 法 = 方法 ( 手立やり方の法 ) 」を与える ” 自律性 ” と、状況を有利に運ぶ ” 計算性 ” とによって、発見法と思考法など多岐にわたり「 生成 」され初めて可能となる。

行動の仕法( 仕方 )とともに、総じて力の力法( 方法 )というものは、解を正しく求める ” 手はず・手順・処置 ” といった様な手立ての手続きであるともいえる。

” 力というのは常に一対に現れる「 相互作用( interaction / Interaktion : インタラクション )」” であり、相互作用というアクション( 行動 )として一方的ではなく、双方向( interactive : インタラクティブ )でやり取りを行う相互作用( 交互作用 / 相互交流 / 相互行為)における全ては ” 力のつり合い ” である

「 力点 = 主眼点 」として、相互作用のつり合う ” 均衡の効力( 力の効かし方や効き目 )” は、対力と偶力・合力と分力・並進力と回転力などを捉えた「 活動 = 相互作用 」における力の転換( 力点と作用点または着力点など )であり、物事の認識や理解と発想などの仕方でもある。

インタラクションという「 相互作用 」は、” 根本にある発想が同一 ” であり、” あらゆる枠を超え( 枠組みを超え )” その根本概念は共有されている。

“ 相互 = 間 ” で行う(する)という二つ以上のものが互いに作用し影響を及ぼし合い、相互作用というアクション( 行動 )として一方的ではなく、インタラクティブ( 双方向 : interactive )でやり取りを行う相互作用( 交互作用 / 相互交流 / 相互行為)のことである。

互いに作用し影響を及ぼし合う ” 連繋 ” または「 連繋思考 」によって ” 枠を超えて力を繋ぐ ” ことは、価値観の共有や多様な状況統合としてその効果の構成は複雑ではあるものの、 ” 越境 ” において互いの価値観の共有や新しい価値観を生み出すことができ、変化し進化していく「 変進力 」が見込まれる。

「 相互交流 」の一定の範囲の中に包み込む ” 包摂 ” の関係づくりであり、価値観に包括される従属関係はその交流範囲から異種・多種を受け入れ取り込んで進化したものの形成である ” 複合 ” を形成することにより ” 変化に対応(適応)し進化する力「 変進力 」” をもって新しいものに発展させることを意味するものである。

「 思考力 = 実現力 」や「 判断力 = 変進力 」とともに、大きな変化について広い視点で深く構造的に考え理解する力を高めて更に知識・認識( 把握 )を深める「 理解力 」は、幅広さと深さを伴う変化への対応策( 解決策 )を導く「 転換力 」となる。

” 理解 = 発想 ” であり、「 理解力 = 発想力 」を活かして行動へと一歩踏み出した ” 創造力 ” とともに可能性を広げる転換思考に伴う ” 発想の転換 ” は、” 力のいろいろ ” の「 あらゆる力の転換 」そのものといえる。

総じて力は、自分の ” 外部 ” との関係によって円環的に働き作用( 作動 )する結果として発現する潜在性( 又は共同的潜在性 )と活動性の志向的且つ潜在的な力である「 力能 ( 力量や実力と能力や才能 )」というの視点をもつのとともに、固定的・先入的謬見を解きほぐし活動の高まりや広がりを生じさせる変化への ” 変進力 ” をもたらすものとして捉えられる。

糸口( ヒント )の力の働きとその作用には、主観に囚われ思考を拘束することなく、或いは固定・偏見的な考えにより自由な思考が妨げられることもなく、状況や変化に応じて適切な判断を下し行動できるなど柔軟性があるのと同時に、一方では固定観念や先入観などが影響を及ぼすものともいえる。

枯渇することのない基礎力や努力はもとより、努力過程にある副産物の価値「努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」も鈍く衰えてくるのではなく、全ての力は総じて相応しい力としての働きとその作用は凝り固まったり偏ったりするなどして劣りやすい。

人は誰もが固定的謬見や先入的謬見( 偏見、先入観、誤り、思い込み )に陥りやすく、特に ” 思い込み ” によって変化への原因となる捉え方や考え方の道因や素因である「 判断 」を誤りやすい。

どの様な時でも全ては ” 認識 ” することから始まり、どの様な事柄で全ては ” 認識 ” したからこそ始まり、思考や判断と理解などによって知識・認識( 把握 )を深め適切に行動をとるために最も大切な「 認識力 = 行動力」であるといえる。

一つの課題の内容の質と量は時々刻々と増加・変化するのみならず、課題は更なる課題を孕む。

「 基本自己力 」は、形づくりの形成という従来型の ” 可変的な形成創造 ” から、新たに生み出し生み続ける生成という ” 持続的な生成創造 ” へと、形成思考や形成行動の発想から生成思考や生成行動への発想転換とその継続的展開を図り、変化のみならず持続的進化・発展の自己力が求められる。

状況の変動があっても大きな影響を受けない ” 基本自己力創造 ” の持続的な生成変化思考に基づく課題生成系思考と生成発想が、自分事の帰趨を決する局面の切り札となる。

自己の志向性とその可能性に向かい超え出でる「 自分への配慮 」という大切な活動に先立って。
将来の計画や構想と展望( 又は将来を見通し洞察する )という「 ビジョン( vision )」は、自分を新しく形づくろうづくろうとして、更によいものにするためにその内容の検討を重ねたり手を加えたり、行きつ戻りつ形づくろうと仕立てる「 形成( formation )」にすぎず、知らず識らずのうちに形骸化して必要とされる変化を閉ざしてしまう可能性がある。
目標と現状とのギャップを埋めて目標達成を目指す取り組みである実現課題のための課題解決方法( solution : ソリューション )を筋道立て、その正しい枠組み( フレームワーク )を踏んで自分事を進めるシナリオ( scenario ) を目的のために用意する必要がある。
自己の理想の姿( 志向性とその可能性 )から考え、目指すべき自己像を新たに生み出そう生み続けようとすることであり、現状自己から理想自己へと転化させるその過程にある生成( Generate : ジェネレイト )を捉えることが重要となる。

大きな変化への対応(問題解決や課題対応)あたっては価値観とともに ” 認識を改める ” 必要があり、今までの捉え方や考え方と価値観が劇的に変化するのは「 認識の転換 」なのである。

” 認識の成り行き ” によっては( 又は認識力を整える鍛え方次第によっては )、「 認識力 = 行動力」をはじめ「 思考力 = 実現力 」や「 判断力 = 変進力 」と「 理解力 = 発想力 」といった進化や変化するための力が間違った志向性や可能性に傾くなど、” 力のいろいろ ” の「 あらゆる力の転換 」という本来の力の効能( 又は能力性 )が鈍り劣ってくることを忘れずに。………

 

 

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