「 ” With NIKKO ” 」ウイズ日光
〜 大自然からの提案 〜
ー 音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー
未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・ 実行への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・
地域を生きる ” 自分を活かす ”「 発創 !! 」
アクティビティ・サロン開催中
ー 自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方 ー
* 具体的な取り組み及び進捗状況等について
→ お問い合わせ先 : メールフォーム
KANKE GRAND 日光 / OFFICE KANKE
” 誰もが地力 ”
〜 Vol.09「 発想力 」をきたえる
〈 2024年9月期 レポート掲載 〉
物事の計画や実践・実行にあたって行う新しい工夫や思いつきなど新たなものを生む出すことであり、その着想を形に具現化していく ” 創造力( =「 発想力 」) ” が求められる。
アイデアの閃きだけでは問題の解決策は生まれず、考えた結果によって ” 実行( 実行力 ) ” に繋げることである。
「 発想力 」を鍛え高めると思考の柔軟性を高めることになり、畢竟ずるに重要な ” 発想の転換 ” がスムーズにいくことになるのであり、固定観念や過去の価値観に捉われない今までとは異なる視点で物事の進め方を変えることが多いため発想力は特に必要となってくる。
” 自己発想 ” とは、「 自己創出 」における ” 発想の転換 ” そのものであり、いつもの自分の思考とは別のパターンで可能性を広げて考えて新たな発見をすることである。
” 自己発想 ” とは、「 自己創出 」における ” 発想の転換 ” そのものであり、思考を広げて固定観念やこれまでの前提などを疑問視して新たな見方や観点で考えることである。
予測は想像を新たに作り出すことであり、創作の創造的な創造と何ら変わりはなく、新しく思いつき独創的に考つく「 自己創出 」の創意といった一つの着手により図無しに予想づき欲望され際限なく予期づき渇望される自己の総意というものがある。
自分自身において類似した心の動きと意識が一斉に喚起される集中的意識とともに ” 転換発想 ” という強含みをもつ壮観さに勝るものはない。
いかに強含む頭の弾力が必要とはいえ、実際に人は自ら最大の変化を促す否定から肯定へ主張されるものは必要とされるということなどを、とざまこうざま考えながら日々生きてゆけるわけがない。
生きるために ” 問題解決的な発想 ” の喪失などデメリットを憂慮することができるかどうかによるのであり、全て変動はロジスティックな兵站術の経過を辿ることを知ることである。
自らに注意の焦点の経験則があるとはいえ、壊すのは容易く作り出すのは至難の技であり、間がな隙がな手ずから自らの手で ” 生かす斬進な発想 ” に意識を常に充填することになる。
しかしながら、その様な充填の変化と作用や過程と作業の一連の行為により目的意識が強まれば強まるほど、問題の発見と形成と解決の厳しい問題処理に耐えるモチベーションを得られることになるだろうか。
自らが目標や対象・方向に向かって行動を起こし、それを維持するための原動力・動機・ヤル気となるような、その様な目的や切っ掛けと意欲のことである。
確実ではなくボンヤリとハッキリしない広くて深く果てしない曖昧模糊の漠然というものは、いわば ” 生じ起こる可能性は除外された受動的な何かの発生である特定の情況 ” ことであり、慎重な判断を要する局面に自ずと関与して徹底させる機会が生じた時と場合ともいえる。
” 生かす斬進な発想 ” による斬新性の強みで情況との関係性を解き明かす意識性の変化進行は、結果に達すればそれは肯定となり、問題処理に進むべき道の方途への介在と吟味によって否定と対置する不動なものに完全性を与え、目的として対象化され具現化されたことになるので、詰まりそこにあるものこそが ” 転換発想 ” ということになる。
人は自ら願望の安心や願望の信頼により信じてしまう( 誤りの )多様な生き方などを、とざまこうざま考えながら日々生きていけるわけがなく、生きる筋道と成果に判断と選択を見誤る陥穽の回避しうる方途を如何にに解決できるかによる。
思い込みの ” 発想 ” に先走ることなく、先ずは全体を見渡し、問題の進むべき道は目の前に身近な難易度の低い順から解き崩すことだであり、全体を遮られないにようにしてから、あちらこちらへ曲がりくねった現実の際涯を見晴らし、現在と将来の可能性について多角度的に捩り捩り( すじりもじり )遠くまで見通しを立てるのである。
全体は欠けているものが無いわけがなく、多様性の全体の中から無駄を省く削減から始めてゆくことが必要となる。
流れを遮って止めて他の動きや作用などが及ばないようにする受容の遮断というものは、いわば ” 固執と依存にもよって一途な心組みと承認欲求の願望に駆られている ” ことであり、思いに妨げられて心をとらわれる働きから離れられない有相執著(執着)ともいえる。
要するに問題処理とは、自分を活かし地域の時を生きる(「地域を生きる自分を活かす」)とすべき全体を遮る躓き石を取り除くことといえ、その ” 活かす限界の一望 ” による全面性の強みで窮屈から辛うじて実現できるギリギリの余地は、人間の多様の生に解き放たれる断念や諦観であって譲歩や妥協であるということになる。
如何に自分を活かし地域の時を生きる(「地域を生きる自分を活かす」)かにおいての自らの心の有り様は、人に心機一転をもたらす一転語 ” どうであるかは自分次第 ”( 一転語 )なのであり、心とは別に存在するものではなく、自らの心の持ち方一つのという ” 心外無別法 ” にある。
自分自身にある「 発想力 」における自らの ” 発想の基軸 ” は心的作用の実際の顕れとして、その ” 発想の基軸 ” を積極的且つ楽観的に肯定や革新の方向へ明晰にシフトされることにより自主的に自分自身を新たに作り出し変化させるといった基本的に心の持ち方の習慣一つであり、自分を活かし地域の時を生きる(「地域を生きる自分を活かす」)かのその全ては自主性として自分次第なのである。
「 発想力 」に伴う自己の ” 潜在性 ” は ” 有って無いようなもの ” として、その見込まれる潜在力の可能性は ” 決めに行かない ” ということをも意味するものであり、諸々の自己能力に先立つ自己の ” 潜在力 ” というものは、あくまでも一つの可能性としての発現にある。
自分自身の ” 潜在的な力 ” というものは自己に単純に内在しているのではなく、” 自分への配慮 ” による自己の志向性と関係づけられ、外部との関係によって円環的に動き作用するものである。
自分の ” 主体力 ” として他方から一方へ心働き動く心機転回 “ 転換発想 ” によって、自らが持つ固有の潜在能力を可能態から現実態へと移行させることである。
” 発想 ” するものとは、概括的・抽象的に捉えた概念的なものではなく、具体性に欠けないものであり、繰り広げられ伸張を図るものとしてである。
そういった意味において ” 発想 ” とは、 ” 展開 ” そのものといえ、まさに「 発想力」は ” 展開力 ” に等しいものなのである。
言い換えれば、「 発想力 」& ” 展開力 ” = 発展力として、” 目標設定 ” が持続的になされるところに将来を展望した「 発想力 」と ” 展開力 ” が見て取れる。
伸び広がり進んだ段階に移行してゆくポテンシャル( 潜在的可能性 )が見出され、自己評価とそれへの査察によって ” 次なる目標設定 ” がなされ、気づきや洞察によってその変容と達成をも望観できることは、遥かに自分の未来を豊かに孕み展望に富んでいるといえる。
◾️ 次号 : Vol.10「 展開力 」をそなえる
地域性と共同性という二つの要件を中心に構成された ” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する地域コミュニティと融合する自己創出における活力の回復・増進と維持に向けた自分自身の未来を切り拓く「 潜在力 」を解き放つための多彩なアクティビティ活動の展開。
「 自己の創出 」と「 地域の創生 」とは、生きるに関する価値的・活動的な意識や意義の側面であり、 ”『 発創 』は兼ね合いの着地点 ” として既存のものを繋ぎ守り社会と個人が求める新規なモノ・コトへと仕上げることで生まれる。
自己創出のアクティビティと地域創生のエリアマネジメントとを伴い合わせれば、斉しく相応じて釣り合う同時進行により一遍にして連関の効果のみが見せることができる強固な完成度と持続度の有能性を備えることになる。
『 地域を生きる ” 自分を活かす ” 』と『 自分を生きる ” 地域を活かす ” 』
自分らしく日常生活を安心して暮らしたい自分自身での自主性はその地域街区に関わり、” 自己創出 ” は自己意識と自ら考え行動を起こす自分自身の自主性にあり、” 地域創生 ” は自らの意識( 当事者意識 )と意思( 意志 )や判断に基づき自らの責任のもとで行動を起こす地域街区の主体性にある。
この相対的な行動( また能動的で上位互換のようなもの )は一切の「 自立自信・自化自発 」の資にあるのも同じ。
人の同気相求として地域は人が集まる一味同心による同心協力にあり、それに相応しい存在の意義( その場に居合わせることにより生み出される価値 )あるものとして、自分を活かし自己の新しい意欲を引き出すアクティビティと街区を活かし地域の新しい活力を生み出すエリアマネジメンとを一様の尺度に依り時を同じくして起こし ” 創める( はじめる )” ことは同等の効果になるわけである。
・・・・・ 地域を生きる自分を活かし自己の新しい意欲を高めるのは圧倒的な努力であり、活動を生み出す力の活力は「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」として枯渇することはない。
重視すべきは原動力であり、「 努力の余力 」があってもそれを活力や力のいろいろとして用いないのは、努力した結果において求める地点に辿り着くといった努力を力の単一とした努力度と努力の成り行きである実利の成果価値をもたらす点だけを捉えているからである。
努力することによって産み出される想定外の「 努力の余力( 力のいろいろ )」に新たな価値があるといった努力するプロセスに価値を帯びる少なくないケースを認識してはいないことになる。
満足される「 努力の余力 」とは、努力が本来目指していた成果とは異なる価値として、努力過程にある副産物( 力のいろいろ )の価値を認めることによって得ることができる実利的な実際の効果価値なのである。
この「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」の効果価値がもたらす点を捉えて認識し、その効用の質を見直すべきである。・・・・・
→ アクティビティ・サロン
” はじめに ” Vol.01「 創出 」をはかる
〈 2024年1月期 レポート掲載 〉
→ エリアマネジメント・フォーラム
” はじめに ” Vol.01「 創生 」をはかる
〈 2024年1月期 レポート掲載 〉
趣意 : ” KANKE GRAND 日光 ” / OFFICE KANKE
編首 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光
→ ウイズ日光 With NIKKO 2023年9月創設号
” 大自然の命は待っている ”
〜 従来はそうでなかった日光での物事を始める 〜
Photo / Copyright(C)OFFICE KANKE. All Rights Reserved.
Image Credit With Copyright.