12月:もう気沢山な冬の恋文「創作工房」

 

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

人は勇みがちな肌の気風を持っていて、互いに気の敵であるが人間にとって人間ほど有益なものはないだろう。
なのに人は何で敵愾心(てきがいしん)みたいなものを抱くのだろうか?
人は雰囲気として毒気をもっているが、人間にとって人間ほど無害なものはないはずだ。
ある特定の集まる人々に共通に見られる気質である気風という性質。
その人なりに備わっている心の気持ちの傾向である気立という性質。
生まれつきもっている性格である気立てという気性もあれば、人には ” 気肌めいたもの ” があるらしく、自らの心の持ち方である気立ての気肌としてその肌は気質や気性そのもので、人は肌が合わないのなら気が合わないのだろう。
心持ち気のせいで敏感肌が気になるのであれば ” 気にし過ぎ ” であり一度見直してみるほうがいい。

ややもすると人は気に掛け気にし過ぎて気が回り気が利き過ぎて気が張り、人に気を遣い過ぎ物事に気を配り過ぎるが、得てして人の気を削ぎ物事への気を挫き、全ては気が詰まることにもなりかねない。
様々に事細かく注意を払って問題にするもの全て悉く配慮すればするほど人の気力を無くさせ、物事への意気込みを失わさせ、気遣いして気を砕き、心気を砕けば砕くほどに全ては気落ちし意気消沈するだろう。
気は不可視であっても流動的に運動し作用を起こすのであり、気を揉めば少なからず発展性は望めず向上性は低下してゆき、人の力や技術などが以前より低くなりつつ物事が後戻りするリスクが付き纏い、気が無いわけではないので気が滅入ること間違いなしだが、あわや気を失うことにでもなれば元も子もないだろうに。
実際にはそうで無いのに自らの心の状態が原因でそのように感じられる ” 気の所為(せい) ” による思い過ぎで何かを行おうとする意気込みを弱めて気持ちの昂ぶりが萎えるようになるまで気を尽くし気勢を殺ぐよりも、もっぱら ” 気を添え気を注ぐ ” ことの方がはるかに将来発展していく可能性があり向上の見込みが往々にしてある。

気随気儘の振る舞いも無謀な勝ち気としてクセものだが、そうはいっても気兼ねはイケてないし、もちろん気が多くて心定まらず何にでも手を出しては変わり気の早いのもいただけない。
よしんば気が済む最上や最高までもは望まんとしても、退歩のリスクが潜む気の流れを避けて通りたいのであれば、” 気が乗る ” だけで物事が次第により良い方や望ましい方へ進んでゆき、気を持たせるるだけで優れた状態に向かい多かれ少なかれ気が置けないものへと進歩するに違いない。
気はもっと大事に遣うことであり、 とっても気が合う大切な気の遣い処を探して遣うがいい。
もっとも自己満足の酔生無死に至りたくはないのならば、恋い焦がれて気を配ることなく、あれこれと心が移しやすくて ” 気が多い ” 恋は実現するように「気を謀る(はかる)」ことだ。

 

 

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