9月:やりすぎ「創作工房」

 

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

……………… 最も強い者が生き残るのではない。
最も賢い者が残るのでもない。
唯一生き残るのは変化する者である。………………
C・ダーウィン「種の起源」

大きな顎(あご)は戦いの兜(かぶと、冑)についている鍬形。
特定の環境に最適化は限りない特化であり、環境変化に対応できなくなってしまう。
過去の実績や成功体験といった環境に適応すぎ垢抜けせず、やりすぎという完成度の高さが足枷となる過剰適応は外部環境の変化に乗り遅れることにより天井を打ち尽き果てゆくだろう衰退の警笛となっている。
イノベーションを起こすならば古い殻を文字通り破ることであり、それは解体された状態となり、守株的なものから見れば破壊ともなり、しかしそれに一歩踏み出せるかどうかが新たな価値を創造できるか否かの分かれ目になる。
人間は変化に対処することがひどく苦手であり、現在の居心地に良いやり方に安住しまい、現状の延長線上で何かを作ろうとする傾向がある。
安易な姿勢は ” 反応を衰えさせ ” 、それが将来の失速に繋がってゆくのであって、現状からの変化に順応することが不得意であるならば環境適応に失敗せざるをえないことになる。

人間の思考は常に絶えず何らかの思い込みに基づいているのであり、認識的な布置が過去の実績や成功体験といった環境に過剰反応すると適応能力を締め出し、成り行きは残念にも未開に開化(かいげ)せず未知を末路として辿ることになる。
過剰反応は続くために特に注意が必要であり、可能性があっても過剰適応を改善しなけば、過剰適応ではまったくこれまで見たことのない驚きに満ちた世界を創作することはできない。
新しい何かを創造して作る行為としての創意工夫であるイノベーションとそのジレンマ。
悩んだきり前に進むこともできず、これまで作ってきた形を超え出ることができない。
何らかの状況に相応しいことや合致している適応もやりすぎとして人間が自ら作り出した思い込みに基づく思考や事物などが逆に人間を支配するような疎遠な力して現れ出ることは、自らの可能性を疎外することになり、創造して作る知識の在り方を特定付け影響与える知の枠組みは自己主張をより強くすることになってしまう。

おおよそ主張とは、口に出そうが出すまいが判断であって、自らに関する直感的(直接的)に感じる物事の今と今後にある現状と変化であり、現状把握と目標設定として多くは最初直感的に先を見透した後にそれに達する論理的な経路を組み立てたものにすぎない。
その自己主張とは、自分の主張が一方的にではなく、他者(相手)を尊重しつつ適切な方法で自己表現を行うことであり、互いを尊重しながら意見を交わすといったアサーティブ・コミュニケーションにある。
アサーティブな自己表現とは、自らを押し殺さず相手に合わせることもなく、自他ともに許容し大事にするよう心掛け折り合いをつけてゆく中で現状を変える具体的な行動を考え実践することだ。

可能性に気づき、新しい切り口や捉え方と新しい活用方法により何かを創造し作り出す。
” そういえば、やってなかった ” ことをしよう。
自分を取り巻く環境が変化する中で枠組みを超えて正解を求めず自主的に、自ら学ぶ(リスキング)ことだ。
新しい心を持ち五感をフルに活用し、学ぶことと自分との楽しく面白いといったその意味を感じ、自由に荒唐無稽なものを考え、心からリラックスする時間を楽しむ。
あるものの良さを活かし、もっと新しいものを生み出す。
どうやって作るかではなく、何を作るかを考えることだ。
そのように自らに直接働きかけることによりバランスを整えることができ、楽しむことがいい発想を生むことにつながる。
自らの成果に直結する気づきのスポットといえば穴場はコミュニケーションであり、相手を選好するなどして偏るようなことなくコミュニケーションを交わし、自らが新しい心を持って気づき、自らが変わり、自分の楽しく面白いを見つけることだ。

 

 

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