投稿者「admin-workblog」のアーカイブ

10月:赤とんぼ「音楽教室」

 

 

何を見ても歌が出てくる季節、秋となりました。
これから数ヶ月、たっぷりと秋の歌にひたりたいですわね~
もみじを楽しむには少々早いので、
どんぐり、月、うさぎ・・・
童謡が情景を可愛らしく表現してくれます。
そして頭の中には子どもたちの歌声が聞こえてきます~

日光はお水が綺麗だと言うことから、様々なトンボが本当に多いです。
秋の太陽を浴びてキラキラと羽を輝かせ、
秋の夕陽をうけて更に赤くなる”赤とんぼ”。
日本歌曲の代表とも言える「赤とんぼ」は多くの方々が好んで歌われる曲であります。
しかしこの曲は非常に難しい曲です。
山田耕筰先生は美しい曲をたくさん作曲なさっていますが、
なんとまぁ、歌い手泣かせの作曲家でいらっしゃるのでしょう(苦笑。
テクニックと情感を組み合わせなければ歌えない作曲家、と思います。

皆さま、ご自分のために歌われる一曲!
この秋に見つけて、ご一緒にお稽古いたしましょう!!

 

 

 

 

赤とんぼ

作詞:三木 露風
作曲:山田 耕筰

 

夕やけ小やけの 赤とんぼ
負はれて見たのは いつの日か

山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだ はまぼろしか

十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた

夕やけ小やけの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先

 

 

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10月:酔い醒まし「森の茶屋・菅家亭」

 

 

木にとって最も大切なものは何か?
それは実だ!と物食いたげに誰もが考えるだろう 。
だがしかし、現実には種なのだ。

秋らしきは、春過ぎし夏の後、春待つ冬の前。
晴る(はる)三春と晴明(あきらか)な三秋の春秋に富む春秋の争いを捩れば、物食うだけでなく発る(はる)種を植えざれば飽き(あき)満つ(実つ)に実らず、ぼんやりと無自覚に元になることを何もしなければ虚しきかな酔生夢死として必ずや良い成果は得られない。

季節に関わらず飽き満ちる実りの収穫(秋)、一葉落ちて自らの天下の秋を知るだろうか?  
わずかな前兆を見て後に起きることを予知しても、もう ” 後の祭(あとのまつり)” 。
傍にいる秋に寄り添い揺れ動き、自らに気づきを付け加え、生きている意味を自覚してみよう。

四季の海終日(ひねもす)のたりのたりかな、一年中手に入り手にしてやっている取るに足りない物事につけ穏やかな波が寄せては返えされる自らの天下は、わざわざ取り立てて殊更に言うほどでもないことだらけ。
それでも、当たり前のことだとしている飽き満つ物事の中での ” 気づき ” さえあれば、発る(春)を待たずして植えることもできるだろう。

 

 

 

 

 

 

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10月:心を生む「創作工房」

 

 

月と満ち欠けする頭、狼と太り痩せする心。
愛は脳を育むが、心で脳は変わらない、脳で心は変えられない、心泣かすな頭冷やせ。

才能と運と努力の中で、月と満ち欠けする頭、狼と太り痩せする心。
起こりう得ることは当然なのだが起こり方が異常である如何ともし難いことに際し、もしや敢え無くなることに関わる ” よく知りもしない ” ことの奥深いところに手で幕をかけていれば、いつしか不安の恐怖が濃くなるように欲望は薄まってゆく。
そうして新しい沸騰ごとなき結局に ” 熟成の終わり ” を見ることはかなわず、ただひたすら証明される未来は唱えられるだけで終わる。

静かに知恵によって一切を観察し物事を深く考えることをする経験や知識は情報から自らの拡張と創造との機会を得るのだが、自らコントロールしえる箱庭的な分かっているだけでよく知りもしない世界に逗留し続ければ経験や知識は長命となり、試されない経験と知識は自らの行動の拡大拡張を望めない代わりそこで働き生き続けるだろう。

だかしかし、それをどうにかしようとしてみても、知能が頭をやつれさせても脳は筋トレによって活性化できるが、脳による行動選択という欲望と恐怖の発生消滅に際し心の不安や葛藤にまったく遭遇しないわけにはいかず、精神が胸をやつれさせた心は筋トレによって活性化できない。

人間の知ることの情報や知識を捉えるならば解釈でなくそこに価値あると自らが信ずる意志であり、その情報や知識の真なる条件を見て取るならば、それは生きる中心に据えた自らの行動により測られ、認識や物事を深く考える思考と信念は行動を導くのと同時に行動を通じて自らが改造される。

何を知っていて何を知らないのか、問題の解決や課題の対応ではなく問題や課題そのものを発見するに相応しい力が必要なのであり、前向きな心をつくり出すことである。
複雑さや速さと正確さなどの行動によって測られるその適当性・適正性の能力は、気ままの能力、気晴しの能力、奇天烈な能力、繰り返す能力、継続する能力と同じことがいえ、その中心となる探求する能力や探究する能力 にまつわる何か、ということかもしれない。

問題解決や課題対応ができる力ではなく、問題や課題の発見ができる力を能力者たちこそが、如何ともし難い些か憂鬱な立ち往生と戦い、心のままに現実を直視し守り備え、人と人のコミュニケーションから遮断されることなく誇らしげに直立した未来への先駆者なのだろう。

 

 

 

 

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9月:ミョウガ「音楽教室」

 

 

私は好きなお野菜のトップ3に入るほど”ミョウガ”が大好きです。
なんと!朝取りミョウガを届けていただきました!!
このような見事なミョウガを見るのは初めてです。
色合いの美しさ、ほのかな香りにうっとりしてしまいます。

星野富弘氏の詩は身近なものから思いを起こす詩が多くあります。
以前、星野富弘氏の詩に新実徳英氏が曲を書いた曲集を
女性コーラスで指導をしたことを思い出しました。
ミョウガも曲になっています(驚!

詩の中に「みょうがを食うとばかになるというけれど」とありますが、
大人はそれほど味のわからない子供に
美味しいものを食べさせたくないことから生まれた言葉と聞いています。
私も小さい頃に言われた記憶がありますわ(笑。

蚊に刺されながら朝取りしてくださったとのこと。
美しくみずみずしいミョウガを届けていただき、
美味しさだけではなく、思い出もよみがえりました。
感謝。

 

 

 

 

「花に寄せて」より ~ みょうが ~

作詩:星野富弘
作曲:新実徳英

 

畑の草を一日中むしり
かいこに桑をくれ
夕方 ひょいと出かけてみょうがをとり
それを売っては
弁当のおかずを買って来てくれたっけねぇ
 いつもしょっぱい こぶのつくだ煮
花の咲いたやつは安くなるからと
花を抜いて売ったことも あったよね
もんぺと地下たびの間は
蚊にさされた跡が いっぱいだった
かあちゃん
みょうがを食うとばかになるというけれど
おれは
思い出すことばっかりです

 

 

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9月:トルコキキョウ「森の茶屋・菅家亭」

 

 

時折吹く風に冷ややかさを感じるようになり、
夕方の陽の光も違ってきました。
空を見上げますと夏の雲とは違う表情をしています。
今年も厳しい暑さでしたが、もう秋へと一歩一歩進んでいます。

暑さが過ぎ、お花を活ける時期がやってきました!
お花屋さんには様々なお花が並び始めますね。
ご自分のためにお好きなお花を活ける・・・
ご先祖様のためにお好きだったお花を活ける・・・
それだけでついつい笑顔になってしまいます。

森の茶屋・菅家亭では皆様のお越しを楽しみに、
優美なトルコキキョウを選びました。

あらまあ!花言葉は「良い語らい」だそうです。
ピッタリですこと!!
皆様のお越しをお待ちしております。

 

 

 

 

 

 

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9月:やりすぎ「創作工房」

 

 

……………… 最も強い者が生き残るのではない。
最も賢い者が残るのでもない。
唯一生き残るのは変化する者である。………………
C・ダーウィン「種の起源」

大きな顎(あご)は戦いの兜(かぶと、冑)についている鍬形。
特定の環境に最適化は限りない特化であり、環境変化に対応できなくなってしまう。
過去の実績や成功体験といった環境に適応すぎ垢抜けせず、やりすぎという完成度の高さが足枷となる過剰適応は外部環境の変化に乗り遅れることにより天井を打ち尽き果てゆくだろう衰退の警笛となっている。
イノベーションを起こすならば古い殻を文字通り破ることであり、それは解体された状態となり守株的なものから見れば破壊ともなり、しかしそれに一歩踏み出せるかどうかが新たな価値を創造できるか否かの分かれ目になる。
人間は変化に対処することがひどく苦手であり、現在の居心地に良いやり方に安住しまい、現状の延長線上で何かを作ろうとする傾向がある。
安易な姿勢は ” 反応を衰えさせ ” 、それが将来の失速に繋がってゆくのであって、現状からの変化に順応することが不得意であるならば環境適応に失敗せざるをえないことになる。

人間の思考は常に絶えず何らかの思い込みに基づいているのであり、認識的な布置が過去の実績や成功体験といった環境に過剰反応すると適応能力を締め出し、成り行きは残念にも未開に開化(かいげ)せず未知を末路として辿ることになる。
過剰反応は続くために特に注意が必要であり、可能性があっても過剰適応を改善しなけば、過剰適応ではまったくこれまで見たことのない驚きに満ちた世界を創作することはできない。
新しい何かを創造して作る行為としての創意工夫であるイノベーションとそのジレンマ。
悩んだきり前に進むこともできず、これまで作ってきた形を超え出ることができない。
何らかの状況に相応しいことや合致している適応もやりすぎとして人間が自ら作り出した思い込みに基づく思考や事物などが逆に人間を支配するような疎遠な力して現れ出ることは、自らの可能性を疎外することになり、創造して作る知識の在り方を特定付け影響与える知の枠組みは自己主張をより強くすることになってしまう。

おおよそ主張とは、口に出そうが出すまいが判断であって、自らに関する直感的(直接的)に感じる物事の今と今後にある現状と変化であり、現状把握と目標設定として多くは最初直感的に先を見透した後にそれに達する論理的な経路を組み立てたものにすぎない。
その自己主張とは、自分の主張が一方的にではなく、他者(相手)を尊重しつつ適切な方法で自己表現を行うことであり、互いを尊重しながら意見を交わすといったアサーティブ・コミュニケーションにある。
アサーティブな自己表現とは、自らを押し殺さず相手に合わせることもなく、自他ともに許容し大事にするよう心掛け折り合いをつけてゆく中で現状を変える具体的な行動を考え実践することだ。

可能性に気づき、新しい切り口や捉え方と新しい活用方法により何かを創造し作り出す。
” そういえば、やってなかった ” ことをしよう。
自分を取り巻く環境が変化する中で枠組みを超えて正解を求めず自主的に、自ら学ぶ(リスキング)ことだ。
新しい心を持ち五感をフルに活用し、学ぶことと自分との楽しく面白いといったその意味を感じ、自由に荒唐無稽なものを考え、心からリラックスする時間を楽しむ。
あるものの良さを活かし、もっと新しいものを生み出す。
どうやって作るかではなく、何を作るかを考えることだ。
そのように自らに直接働きかけることによりバランスを整えることができ、楽しむことがいい発想を生むことにつながる。
自らの成果に直結する気づきのスポットといえば穴場はコミュニケーションであり、相手を選好するなどして偏るようなことなくコミュニケーションを交わし、自らが新しい心を持って気づき、自らが変わり、自分の楽しく面白いを見つけることだ。

 

 

 

 

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8月:オオツノトンボ「音楽教室」

 

 

歌を歌う、音楽を奏でる、感じる心を表現する・・・。
簡単そうでなかなか自由に出来ないものです。
テクニックがなければ出来ませんのでレッスンに通います。
しかし、テクニックがあれば出来るのでしょうか?
いえいえ、一番大切なことは感じる心の引き出しをたくさん持つことです。
私たちには触覚は生えていませんが、心の触覚は生やしたいものです。

レッスン室の外の草に珍しいトンボを見つけました。
オオツノトンボと言うそうです。
半日以上、ジーッと同じ草に止まっていました。
よく見ると蝶のようなとても長い触覚があります。
こんなに長くて可愛らしい触覚、羨ましくなりました(笑!

 

 

 

 

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8月:プレゼント「森の茶屋・菅家亭」

 

 

素敵なプレゼントをいただきました。
いくつになりましてもプレゼントは、
リボンと包装紙をほどき・・・ワクワク!
箱を開ける時に更に・・・ワクワク!させてくれます。
タオルはフワフワなだけで幸せになりますが、
こんなに可愛らしいとついつい笑顔になってしまいます。
そしてキラキラのお箸置き。美しい~!
プレゼントとは、その方を思って選ぶ時間からスタート。
選んでくださったお時間も含め、感謝。

 

 

 

 

 

 

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8月:前進あるのみ「創作工房」

 

 

今まで考えつかなかったような独自性の強い新しい思いつき。
独創的な考え方や新しく考え出した意見や見方。
いつの時代でも工夫という方法や手段はいくらでもあり、何でもいろいろな案出を試みることだ。
前進が創意を煽るのではなく、創意が前進を駆り立てるのである。
追い詰められた思考の繭の中にくるまれ燻るかぎりは、やれるところまでやり尽くしやり抜く。
自分の思考で自分自身をどうにでもできうるということは ” 物は考えよう ” ということであり、目を向けた先に思考を超えた力があるからには、清らな前向きの流れを持つような働きに向き、はじめて自分は自分自身を操ることができるだろう。
この時代は、よい方法を見出そうと気ちがいのようにイノベーションとやらを追い求めて自分軸に挑み新機軸を打ち出そうとやけに力むが、そのように小難しく考え理屈をこねるなどして意図の本質からズレてしまっては元も子もない。
暗に晦(つきごもり)頑なに目指さなくてもインスピレーションやアイデアの原動力と思考の一助ならば ” 快活 ” な好奇心や探究心と自信でしかない。
混乱せずに推敲して洗煉され磨き上げるのはその先のことだ。

 

 

 

 

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7月:お月様の代わりに・・・「音楽教室」

 

 

レッスンを終えても頭の中はレッスンの曲が流れています。
一度頭の中に流れ始めるとなかなか離れてくれないものです。
さて、夕涼みをして風の囁きでも聞きましょうか。
・・・違う曲が頭に流れてきました。
待てど暮らせど来ぬ人を
宵待草のやるせなさ
今宵は月も出ぬそうな・・・
お月様のでない今夜、
待てない私はライトアップ(笑!

 

 

 

 

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