投稿者「admin-workblog」のアーカイブ

日光占術|観氣(かんけ)32相〓息:第二十四息

 

 

 

 

       ── 畝( うね ) ──

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)32相〓占:第二十四占「澪( みお )」

 

 

…..「 占の ” 水脈( みお )” 」の水の流れに、
生成と運気の通った泡の跡 ── 澪( みお )。

日々の乾湿気と日当たりの変化に、
生成と運気の通った粒の筋 ── 畝( うね )。


「 占いの種 」「 澪 」「 畝 」。
思考と身体、環境の交差点。

鎮まった底土の水面に映る星月夜は環太陽へと、

生成と運気=エネルギーは、
「 生成と運気 」= できつつあるもの。
( 実存 = できあがったものではなく)、
── 移り変わりを繰り返し。


〈 あなた 〉が蒔いた「 占の種子 」は、
土と水と共に、風に吹かれ、
日に照らされ、雨に打たれつ。
共観の ” 種の生成 ” と ” 土の生成 ” は、
固相( 土粒 )/ 液相( 水分 )──
そして、気相( 大気 )の三相に、
──「 日常的に共生 」しつつ、
「 生成と運気 」に──
” できつつある実 ” の「 芽吹き 」を待つ。


そうして、〈 あなた 〉の ──
深く「 眠る生成と運気 」は、
” できつつあるもの ” を ──
「 待つ刺激 」に対応し、
──開く実践への門=“兆し”の発芽に、
「 ” 濃い ” 生成運気の睡眠」──
深く眠る「 生成と運気のエネルギー 」を、
〈 あなた 〉にとらす。

おそらく、目覚める夢見は深く、
「 できあっがったものではない 」──
日常世界の実存。
眠る眼の夢見は深く.
” できつつある ” ──
「 幻視 」の日常世界。
時間も空間も次元になく、
天候も気象も気候になく、
予想も予測も想像になく、
「 何かが ── 隠さている。」
──「 何かが ── 潜在している。」


水脈の流底に静かに潜み、
水面越しの昇天に、
時機を待っている「 伏竜 」。
伏竜( ふくりゅう )──
水底に沈み、
時を静かに待つ、力あるもの。
それは眠るための沈黙ではなく、
再び天に昇るため「 沈潜 」。

まさに ──
『観氣(かんけ)』そのものの呼吸。
水底で眠りにつている「 生命の躍動 」。
──『潜勢的』。…..

 

『日光占術|観氣(かんけ)32相〓息』
──キーワード(ヒント):

◾️Cognigenesis :
日光占術|観氣(かんけ)step.1 ~ 32

◾️Essay:
日光占術|観氣(かんけ)vol.1 ~ 32

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。”月星と共に”人の「生きる風景」の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)32相〓息:第二十三息

 

 

 

 

         ── 種子 ──

 
 

 

 

 
 
続き ← 日光占術|観氣(かんけ)32相〓占:第二十三占「種子」より

 

 

「 生成と運気の ” 対象 ” とは? 」── “ 対象 ” とは、「 生成と運気 」の ” 出発点 ” ではなく、” 展開の場 ” である。
「 生成と運気の対象 」という言葉には注意が必要。
なぜなら ──「 生成と運気 」とは対象を ” 操作する ” ことではなく、対象が ” 生成運気において共鳴し、転位し、自己を超えて立ち上がってくるから ” である。
つまり ──「 生成と運気の対象 」とは、固定された物質的な ” 対象物 ” ではなく、自己の内に跳躍と転位を呼び起こすような、“「 生成と運気 」を促す触媒 ” = 生成触発体( triggering medium )なのである。

「生成と運気」には、二項的緊張構造と生成的運気的な意味 ・ 働きがある。
時間性 ⇄ 空間性 ── 持続と場の変容において、時間は流れ、空間は広がり、「 生成と運気 」は ” 時空の交差点 ” に起こる。
孤高 ⇄ 共観 ── 内なる核( 孤高 )と他者との生成的運気的連環( 共観 )──いずれも欠けては成立しない「 生成と運気 」。
知覚性 ⇄ 感受性 ── 外界を捉えることと、内側で響くことの交錯、「 生成と運気 」とは ” 見る ” だけでなく ” 感じる ” 。
心的 ⇄ 身体的 ── 意識の深層と、身体の動き・触覚、「 生成と運気 」とは ” 全人的 ” 現象。
思考 ⇄ 創造 ── 分析と跳躍、把握と逸脱、「 生成と運気 」は両者を架橋し続ける流動的運動。
これらは、「 生成と運気を ” 広げる ” 」ための内的条件でもあり、” 対象 ” の本質を明るみに出す媒介の諸力でもある。

「 生成と運気の ” 喜び ” 」「 ” 哀惜 ” としての生成と運気 」は、自己が自己を超える瞬間への驚きに満ちており、そこには ── ” 生きることが意味を得る ” という至高の感覚がある。
しかし ── それは同時に、「や がて老い死すべき 者」であるという限界を前提とする。
つまり ──「生成と運気」とは、” 有限な者が、有限であるがゆえに、無限に開かれた瞬間に賭ける営み ” 。
そして ── この”哀惜の感覚”は、「 生成運気は常に終わりへと開かれている 」という “ 儚さ( transience )” と ” いのちの濃度 ” の同居として立ち上がる。

” 感性 ” とは、「 生成と運気 」の触媒である。
「感性」は受動ではない。
感性とは ──「 感じ取る 」ことによって、自らを開き変容し、さらに ” 意味を生み出す場” として創造してゆく運動体である。
これは「 単に美的な感性 」「 経験の入口 」としての ” 感性 ” をはるかに超え、「 生成的運気的感性( generative sensitivity )」とでも呼ぶべき本質的能力を意味する。
このとき、” 感性 ” とは、「 外界の微細な変化に気づく力( 知覚的触発 )」「そこに意味を感じ取り応答を起動する力( 情動的応答 )」
「 応答を通して自己を新たに生成しなおす運気づけなおす力( 構造変容 )」をもっており、知性とはもはや対立せず、創造の統合機能として共にある。

「 生成と運気 」は、” 拡がる ” ということ ── dilate / 覚拡張。
ここに登場する「 dilate : ダイレイト 」という語の使用は非常に本質的である。
「 生成と運気 」とは、“ 開かれる ” ことではなく、“ 拡張される ” こと。
自らの感受圏( 内的知覚 )や意味圏( 概念・経験 )を押し広げてゆく運動。
このとき ──「 覚( さとり )」の拡張は、単なる意識の冴えではなく、実在の濃度や他者への感受を深めながら、知が変容していくことであり、「 生成と運気に ” 向かう力 ” 」は、まさに ──「 感性 ・ 知性 ・ 意味 」が交錯する場のなかで、自己の存在領域を広げてゆくような ” 内発的伸張運動 ” であるといえる。

「生成と運気」に関わる知識の「 構造化 」→「 再構築 」→「 更新 」というこのプロセスは、極めて重要である。
つまり ── 知識とは、ただ記憶されたものではなく、「 感じ取ったものをどう統合し、経験を通じて書き換え続けるか 」という、生成的運気的な過程そのものであり、この過程には次のような層がある。
── 感受層 : 感じ取る・引き受ける機能、「 生成と運気の入口 」= 触発という生成運気との関係。
── 統合層 : 意味を結び直す・連関させる機能、「 生成と運気の媒介 」= 再編という生成運気との関係。
── 拡張層 : 新たな知や感性をもち出す機能、「 生成と運気の開花 」= 変容という生成運気との関係。
このように、「 知識 」もまた生きているのである。
むしろ──「 生きているように構造化され、再構築されるもの 」が、” 真に生成的運気的な知識( generative knowing )” である。

「 生成と運気 」に ” 向かう力 ” とは、感じることであり、意味を創ることであり、自己の限界を超えて世界を拡張してゆく──”共創的跳躍”そのものでもある。
そしてそのとき ── 知識も、感性も、身体も、思考も、すべてがひとつの「 場 」をつくり、《 生成の悦びと哀惜 》を携えながら、自分自身の ” 生 ” を濃度高く生かし始めるのである。

すなわち──それが、《 占いの邂逅(かいこう )》である。
とは、思いがけず占術( または占い )に出会うことを意味し、多くの場合、「運 命的な出会い 」「 巡り合い 」といった、印象深い出会い。
予期せず占い( または占術 )と出会う偶然の出会い、巡り合い、奇遇、一期一会など …..
「 符 」= ” めぐり合い ・ 運 ” ──「 占いの解放 」を巡る ” 邂逅の地層 ” とピッタリ合い ” 符合 = 合運 ” すれば、たとえ『 占 』は代理、虚構的真として二重性( seeing-in )の表象 =「 似姿 」であったとしても、 ──〈占い濃度と濃密〉と〈 占いの転倒 〉は、支配していた感覚的な重心を取り除き、隠れていた ” 望み ” と ” 望みの実現 ” との間( あわい )における「 力覚の軸線 」や「 均衡の中心 」を露わにする。
つまり ──「 生成と運気が付着する筋 」と 「 氣、勢い、気配、調子など目に見えないエネルギー 」に充ちた〈 占い濃度と濃密 〉により意識そのものが、まさに ── ” 生成され運気づき ”、望みと望みの実現に先立つ所与 = 純粋感覚として生まれる「 占い呼吸の通り道 」に、刺激と反応ではない《 意識の跳躍 》として息づき ──『 移行転位 』を可能なものとする。
論より証拠は、「 問答 」であるよりも ” 経験のしかた ” 次第であり、現実であるよりも現実的である ” 占ったほうが早い ” 。

身体的な実践と価値観・意味体系が絡み合っていて、 身体を通じて ── ある価値と意味が自然と身に付いていくようなものとして、” 占ってみる ” ことによる知覚の存在と『 占 』と共にする〈 知の動き 〉は、《 占術の純粋遊戯 》または《 純粋遊具の占術 》として、「 達成する何か 」── 具体的には、何かしら目的を達成する方法や手段またはやり方や手続きを意味する。

まだ意味付けられていない感覚は、知覚の構成部分として( 知覚と区別され )感じとる心の働き = 感受性( 感じ方 )──「 感覚 → 知覚経験 」。
頭の中で思い巡らし描く「 想像 」のはじまり → 頭の中で思い巡らし考える「 思案 」のはじまり。
「 判断・予測が行われる 」= ” 占いづく ” ──「 感覚と意識が働く 」= ” 占いめく ”。
ならば ── 『 感性 』による ” 感受性 ” のその先の「 受容性 』は? ” 感受 ” した「 受容 」の行き先は? 何処へ向かう? …..

 

 

『日光占術|観氣(かんけ)32相〓息』
──キーワード(ヒント):

◾️Cognigenesis : 
日光占術|観氣(かんけ)step.1 ~ 32

◾️Essay:
日光占術|観氣(かんけ)vol.1 ~ 32

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。”月星と共に”人の「生きる風景」の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)32相〓息:第二十二息

 

 

 

 

         ── 問答 ──

 
 

 

 

 
 
続き ← 日光占術|観氣(かんけ)32相〓占:第二十二占「問答」より

 

 

「 判断・予測が行われる 」「 感覚や意識が働く 」──占い。
占い現れる ” 寝相 ” ── 占いの「 既知 」の ” 出処と寝床 ” /「未知」の ” 寝処と出床 ”。
” 既知 ” を解き( ほどき )、” 未知 ” に手を伸ばす。 
支配していた感覚的な重心を取り除けば ” 意識は常に何かに向かい可能性へと開かれている ”。

 

 

ー 占いと占相 ー

 

占いは ” 動態 ” 。
占いの動いている状態、占いの動きや変化のありさま。 ──〈 占いの通り道 〉
占い起こる、占いの現れる ” 相 ” 。 ──〈 占いの 際立ち 〉。

「 占いによって、何を得ようとするのか? 何を得ることができるのか? 」

「 占いは、近未来の出来事を予測 ・ 予想( または予知 )するのか? 」

「 占いとは、事の成否や吉凶を判断することなのか? 」

….. 占いは、タイムリー的で、ちょうどその折のことか? 時機にかなっているさまか? いっとき、少しの間、しばらく、片時か? ある時期か? 一刻か?──占いは、ポイント的で、点的か? ポイント的か地点的・箇所的か? 要点、重要な箇所か? 転路か? 分岐点か?──占いは、リズム的で、周期的に反復・循環する動きか? 律動的?──占いは、断片的で、切れ切れであるさまか? 一部分だけで、全体にわたらないさまか?──占いは、断続的で、切れたり続いたりするさまか?──占いは、持続的で、意識の直接の事実として、何ら反省の加えられぬ直接の時間の流れか?──占いは、持続的で、ある状態が保たれることか? また、保つことか? 中断することなく続くことなのか? …..

 

 

ー 生成と運気 ー

 

生成と運気は動態。
生成は運気にあり、運気は生成にある。──〈 動き持続する”生成と運気の ” 水脈 ” 〉
常に生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時( 時間 )にある。──〈 日常は生成と運気の地層 〉

「 生成と運気によって、何を得ようとするのか? 何を得ることができるのか? 」
「 生成と運気は、”占い”とどのように関わっているのか? 」
「 生成と運気とは、事の成り行きや達成と到達などの先行きに立ち至たらせることなのか? 」

….. 「 生成と運気 」は、意識の跳躍により移行転位するためのものなのか? ── 「 生成と運気 」は、潜性的志向性によって自己変容から自己生成へと向かうものなのか? ──「 生成と運気 」は、占いとのかかわりによって実現可能力性”への潜在力と潜勢的を見出し、潜勢的力能が発現するのか?──「 生成と運気の ” 占い ” 」は、発達進化・発展拡張の持続を視座とした生運の獲得に向かう価値創造か?─「 生成と運気 」は、実現可能力性” への潜在力・潜勢的か? ──「 生成と運気 」は、新生月星占術と共に未然の生成・未到の運気と自己生成の具体的実施プロセスと醸成か? ──「 生成と運気 」は、生成線・種線として現れる現象か? ──「 生成と運気 」は、運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に生成し運気づき続けることか? …..

 

 

ー 共振と共鳴 ー

 

” 占う ” として ── 自分の内面や行動に変化が生まれるか、その真正性は問えず定かではない。” 占う ” ところを ── 吟味する感性に受け入れるか、その真正性は問えず定かではない。
その選択肢は、── 防御 ⇔ 防御 / 包摂 ⇔ 排除 / 受容 ⇔ 疎外 / 協調 ⇔ 排他 / 容認 ⇔ 拒絶 / 受諾 ⇔ 拒否 / 包容 ⇔ 排斥。
その行動は、── そっぽを向く、一瞥、通り過ぎる、立ち止まる、佇む、欲する、手に入れる。
” 占ってみる ” その自分とよく似通うところ ── 思いがけず? 見る自分とは全く異なるところ ── 思いも寄らぬ? 自分が求めたいたものがあった? 自分もわからなかったことがわかった? ──” 占ってみる ” に? …..

占いの表現は残されたもの──その表面は故意にでもなく、内面・意識・主観的なものでもなく、占者の単なる思いつきや主張ではなく ──「 系統立って思考する営み 」にある。
『 占 』は、外面的・感性的に捉えられる形式によって伝達できるように表出されたもの。
── ” 占う ” 占者は、ある視点( 観点 )をとったときに視野( 観氣 )に入れることのできる範囲の地平のカタチを通して、そこには無い物事や出来事の姿を描く。

── 相談者は、『 共に生成者 』として占いの意味作用を共有し、” 占ってみる ” ことの経験の「 生成と運気の ” 本性 ” 」= ” 人がもつ、生きる世界や生き方についての纏まりのある見解 ” = 総じて「 思想 」の手掛かりとする。
意味あるものだとしても、無意味なものだとしても、「 生成と運気 」としての肯定・否定のなさにある──「 共振と共鳴 」。
” 占ってみる ” こと -vs.- 想像すること ──「 相互浸透 」。

そうして ── 釘付けとなって ” 占いに見入り ” 、自ら頷くか、項垂れるか ──「 問い 」「 問い掛け 」と「 解き明かす 」ことがあるだろう。
思いがけず偶然として「 占いに触れ触れられ 」──「 考えることそのものは、必然として、ただただ後からやってくる」。
『占』は、媒質( medium )して介在の 純粋意識遊具。
《占い水脈》の占い架橋へと呼び水に反応させられた ” 占ってみる ” 者は取り次、『 占 』と自分との中性( medium )を媒質と化し、自らを「 生成し運気づき 」はじめる ── 波動を伝播する場、純粋意識遊具、純粋意識遊戯 …..

「 占い 」は ” 境目の境界 ” にあって──物事の「 変化の ” ざわめき ” 」の ” 背景 ” に慎重であり ” 向かう先方 ” に巧妙であるのは、物事の微妙な変化にある ” 陰翳 ”( = 問い )を照らす光明さ。
通常の ” 問い”に対する「 因縁生起の問い直し 」は、〈 因果の必然性 〉における「 触発・中止・方向転換の目的追求 」ではなく、──〈 邂逅の偶然 〉における「 埋め手 ・ 打つ手 」により ” 消滅 ” の在り方から離れ『 移行転位 』する。
『 転位の潜勢的 ” 志向性 ” と ” 力能 ” 」を巡る〈 意識の跳躍 〉の《 触地 》=「 占いの解放 」を巡る”邂逅の地層。

「 占 」対『 占 』──” 占い刺激 ” の出現 ・ 消失。
二つの刺激間の違いが ” 感じられるか感じられないか ” の境目とその境目の強さ=《 閾 》。
境目の「 境界 」は ” 境界 = 臨界 ” として止まる( 留まる )ことなく、動く「 生成と運気 」が持続的に進行しはじめ継続する〈 ” 潜勢的”可能性 〉にとって幅広の〈 境域 〉となり──『 移行転位 』を可能にする。
「 占い占う 」── ” 占い序でに占う ” 占い模様は、伏流する『 潜在の勢力圏 = ” 潜勢的 ” 』の《 成力 》による真の価値へ近い”確さ”と”至当さ”」を「 力覚 」よって探し求める。

 

 

ー 占陣と占射 ー

 

《 観氣の ” 占い ” と共に 》──『 感性 』は、「 風を ” 感受の胎動 ” へと招き 」、《 新生の ” 月星 ” と共に 》──「 風を ” 受容の根源活性 ” へと向け 」、自己変容を超えて “ 意識が常に何かに向かい可能性へとひらかれている ”── 旋性的「 自己生成する者 = 運気づく者 」へと立つ。
「占い」は ” 占い ” に止まる( 留まる )ことなく、現勢変化の中で「 意識は常に何かに向かい可能性へとひらかれている 」── ” ある傾向 ” =『 潜勢的 ” 志向性 ” 」へと向かい、「 潜勢的 ” 力能 ” 』の発現をみる。
「 占い口 」に ” ひとっきりの運気 ” はなく、” 占い口の問い ” から「 生成と運気の糸口 = 転位の跳躍拠点 」を見出し、” 伏流する潜勢的志向性 ” の真の価値へ近い確さと至当さを探し求め、「 動き持続する生成と運気 」を拡大し継続を拡張する。

一般的に占方(占形)の”占い”は、「感覚の範疇」とされているが、「 ” 占い ” の〈 当たり外れ 〉の ” 知的好奇心( 感覚 → 知覚経験 )を喚起させられる強烈な刺激と反応という最後の部分の帳尻は別にして、そもそも ── その ” 占術 ” は、特に「 哲学 」や「 数学 」などと密接に結びついて分けたりできない不可分な関係にある極めて高度な知的行為。
その日常的応用における──人それぞれの”生きる風景”に寄り添いつつ自らをコントロールする万人に通じる平坦で平穏な解釈を前提としたその「占い」は”占い”として止まる( 留める )ことなく、── 占術の「 感覚 → 知覚経験 」により自己変容から「自己生成する者=運気づく者」へと、” 動き持続する「 生成と運気 」” を継続することに、── ” 占いの深化への挑戦 ”( = 自分の深化への挑戦 )としての占い行為の新たな知的価値を見出すことができるのではなかろうか。
すなわち ──『 創造的プロセス = 運勢を配置する ” 真価の占陣 ” 』を通してこそ、はじめて──「 ” 望み ” と ” 実現 ” の潜勢的価値」=《 動き持続する生成と運気 》へと、『 占相と成力は昇華される 』というわけである。

『 占う ” 兆想 ・ 湧念 ” 』の《 先行 》 ── ” 占う射手 ” として「 占う ” 先手 ” 」の占思考と占創造が芽ぐむ〈 舞台 〉: ” 畝り ” としての「 発酵 」” a state of agitation or turbulent change or development. ”「 脱構築 」は終点ではない。つまり ── 占術( 占陣学 )の仕組みを解体し = 占想( 望み )を解し、その可能性の要素を抽出して再構築する脱築( deconstruction )= ” 装置としての占術 ” において、占想( 望み )の「 占い記述( description ): 物事のありさまを概念的説明を混じえずにありのままを書きしるしたものを解いた( ほどいた )その先で、占態( 望みの実現 )へと ──「 何を見出し、どう築き直すのか? 」。
すなわち ── 占い記述の《 占針 》とは、「 占いの矢 = ” 跳躍の矢羽( やばね )” 」であり、── それが『 観気( かんけ )』の ” 問い ” である。
『 思創考造( しそうこうぞう )』と思ったより地続きで連続する『 観氣( かんけ )』。四つの身振りを、” 発酵の環( わ )” として描いてみると、動き = 《 運導 》の働きとその作用: ──未だ名づけ得ない気配を感じ取る「 思 」= 潜在の呼吸。 ──捉えきれぬものをカタチへ誘う「 創 」= 萌芽の触覚 。── 揺らぎの中に仮の構造を置く「 考 」= 構想の骨格。 ── 手を動かし現実に投じる「 造 」= 実地の推進。この ” 無意識的混沌 ” =「 発酵 」こそ、『 観気( かんけ )』が扱う《 占相実施サイクル 》の ” 母胎 ” である。

 

 

ー 知覚と思考 ー

 

『 占 』は、一般的に ” 感覚 ” あるいは ” 感覚の論理( logic )” の範疇に属している限りにおいて、” 思考 ” あるいは ” 思考の理論( heory )” とは見做されていないということからして、「 思考に関する理論は、感覚の領域に属する ── いわば ” 占 ” である 」という流れの筋にある。
”占い観て” ── 真に ” 思考 ” するというのは、「 未だ思考されたことがないにもかかわらず、思考されることしかできない何かへと、思考を巡らせる運動 」=「 思考されるべきもの 」である 。
「 ” 感覚 ” されるべきもの」は、専ら ” 感性 ” だけにかかわり ” 感性 ” を生じさせ、同様に ” 思考されるべきもの ” は ” 思考 ” のみにかかわり ” 思考 ” を生じさせている。
そして ── そのそれぞれの能力が自分の限界においてコミュニケーションがなされる場合にのみ、感覚は思考に、思考は感覚に、最大限の力を振うことになり、それによって ── 相互の能力を最大限に引き出し合うことを可能とする。

「 符 」= ” めぐり合い ・ 運 ” ──「 占いの解放 」を巡る ” 邂逅の地層 ” とピッタリ合い ” 符合 = 合運 ” すれば、たとえ『 占 』は代理、虚構的真として二重性( seeing-in )の表象 =「 似姿 」であったとしても、 ──〈占い濃度と濃密〉と〈 占いの転倒 〉は、支配していた感覚的な重心を取り除き、隠れていた ” 望み ” と ” 望みの実現 ” との間( あわい )における「 力覚の軸線 」や「 均衡の中心 」を露わにする。
つまり ──「 生成と運気が付着する筋 」と 「 氣、勢い、気配、調子など目に見えないエネルギー 」に充ちた〈 占い濃度と濃密 〉により意識そのものが、まさに ── ” 生成され運気づき ”、望みと望みの実現に先立つ所与 = 純粋感覚として生まれる「 占い呼吸の通り道 」に、刺激と反応ではない《 意識の跳躍 》として息づき ──『 移行転位 』を可能なものとする。
論より証拠は、「 問答 」であるよりも ” 経験のしかた ” 次第であり、現実であるよりも現実的である ” 占ったほうが早い ” だろう。

 

 

ー 感受と受容 ー

 

まだ意味付けられていない感覚は、知覚の構成部分として( 知覚と区別され )感じとる心の働き = 感受性( 感じ方 )──「 感覚 → 知覚経験 」。
頭の中で思い巡らし描く「 想像 」のはじまり → 頭の中で思い巡らし考える「 思案 」のはじまり。
「 判断・予測が行われる 」= ” 占いづく ” ──「 感覚と意識が働く 」= ” 占いめく ”。
ならば ── 『 感性 』による ” 感受性 ” のその先の「 受容性 』は? ” 感受 ” した「 受容 」の行き先は? 何処へ向かう? …..

” 占い求めるそのもの ” が、事の成否? 未来の出来事? 事の吉凶? もしそうであるだけなら、それはそれでいいだろう。
” 占い出たそのもの ” を、どうするのか? 何か備える? ある事を上手く行うために前もって仕度する? ある事に心を頭を集中させて気をつけ気を配り留意し注意する? もしそうするだけであるなら、それもいいだろう。
つまり──『 占術 』が、事の成否や未来の出来事とその吉凶などを占うものであるならば、それはそれでいいだろう。
しかし ──『 ” 占いの種子 ” は息をしている 』が、生み出すものはないのだろうか? 勢いづけるものはないのだろうか? 実りはないのだろうか? ” 生み出す勢い実り ” の状態が保たれ、中断することなく、つづくことはないのだろうか? …..
それは、── ” 占いを深める( = 自分を深める )” 状態を勢いつづけていくものそのもの = 占いの深化への挑戦( 自分の深化への挑戦 )に向けた『 観氣( かんけ )』の ” 動き持続する「 生成と運気 」”。

” 占い濃度と濃密 ” は、──「 生成と運気が付着する ” 筋 ” 」と「 ” 氣、勢い、気配、調子 ” など目に見えないエネルギー 」に充ちた占いの ” 場 ” = 望みの触地。「 符 」=” めぐり合い・運 ”──『 甘美な占い 』とピッタリ合い ” 符合 = 合運 ” すれば、たとえ『 占 』は代理、虚構的真として二重性( seeing-in )の表象( 似姿 )であったとしても、「 占いの転倒と呼吸 」は、支配していた感覚的な重心を消し去り、隠れていたv” 望みと実現との間(あわい)” における「 力覚の軸線 」や「 均衡の中心 」を露わにし、” 意識そのものが、まさに ── 生成され運気づき ”、占想思考( 望み )と占態創造( 望みの実現 )に先立つ所与 = 純粋感覚として生まれる「 占い呼吸の通り道 」に刺激と反応ではない《 意識の跳躍 》として息づき ──『 移行転位 』を可能なものとするというわけである。

『 観氣( かんけ )』において ── ” 占姿 ” を通しての「 感覚 → 知覚経験 」は、占い表れ出た自分の ” 似姿 ” によって、「 自らを ” 問い、気づき、解き ” 」── そのものが ” 収穫 ” として自分と世界の中で《 生きること = 実ること 》の道を刻む手掛かりのひとつとなる。
「 ” 当たり外れ ” の占いの ” 醍醐味 ”と占いの ” 甘美 ” 」=「 占いの最上で真実の教え 」、” 占いの本当の面白さ ”、” 占いの深い味わい ” ── それに酔いしれるものは、「 占いに向かい出でるのではなく、占いに自らを問い、自らの力を以て占いに打ち出され、占いに打ち克つ( 勝つ )」── 占い出されたその自らを超え出でる = 占いを超え出でる。
占いとは、必然も偶然も蓋然も超え、「占い出たそのものを問うこと」=「 自らを問うこと 」。
占い出たそのものは、先立つ自らの志向性の導線として付き従うのではなく、『 生きること=実ること 』の《 種線 ” seed line ” 》が始まる出出し(でだし)の点打ち = 予めの「 アタリ 」── ” 予祝”に酔いしれて …..

 

 

『日光占術|観氣(かんけ)32相〓息』
──キーワード(ヒント):

◾️Cognigenesis : 
日光占術|観氣(かんけ)step.1 ~ 32

◾️Essay:
日光占術|観氣(かんけ)vol.1 ~ 32

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。”月星と共に”人の「生きる風景」の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)32相〓息:第二十一息

 

 

 

 

         ── 旋性 ──

 
 

 

 

 
 
続き→ 日光占術|観氣(かんけ)32相〓占:第二十一占「旋性」から

『占いの”こたえ”』──《占い見る(占ってみる)》のは、「判断・予測が行われる」「感覚や意識が働く」──それは、物事にある要素の”比較”ではなく「差異」=”隔たり”──「間にものがあって遮えぎられている」その”現象”として「分かれ目」にあるという”境目の境界”に対する事実。「占いの”解放”」を巡る”邂逅の地層”──《可能性は”偶然”》。ある物事が起きる原因となる占いに因る(由る)物事の分かれ目、ある物事の手段・方法、あるいは材料となる占いに依る物事の分かれ目、ある物事の根拠、基準、理由となる占いに依る(拠る)物事の分かれ目、ある物事の根源活性の主な拠り所となる占いに拠る物事の分かれ目、ある物事に関係する物事の有り様に応ずる占いに依るに物事の分かれ目。「占い」は”境目の境界”にあって──物事の「変化の”ざわめき”」の”背景”に慎重であり”向かう先方”に巧妙であるのは、物事の微妙な変化にある”陰翳”を照らす光明さ。

転位の『潜勢的”志向性”』」を巡る〈意識の跳躍〉の《触地》=「占いの解放」を巡る”邂逅の地層”=「占」対『占』──”占い刺激”の出現・消失。二つの刺激間の違いが「感じられるか感じられないか」の境目と境目の強さ=《閾》。境目の「境界」は”境界=臨界”として止まる(留まる)ことなく、動く「生成と運気」が持続的に進行しはじめ継続する〈”潜勢的”可能性〉にとって幅広の「境域」となり──「移行転位」を可能なものにする。占いとは、その〈物事の分かれ目〉=物事にある「差異」=”隔たり”──「間にものがあって遮えぎられている”」ことに対して、「判断:予測が行われる」「感覚や意識が働く」ということ。「物事が起きる原因/物事の手段・方法あるいは材料/物事の根拠、基準、理由/物事の根源活性の主な拠り所/物事に関係する物事の有り様に応ずるもの」──これを知らず識らずならば、「生成と運気」は生起せずして「新生の月星」も空回りするだけである。それらを、そのことを、──”占いは読みきってすっかり見通しているか否か”。 

変化に際し、物事の「分かれ目」となる”境目の境界”というその関係・状態などをなくすること──〈解消の転化〉は、『観氣(かんけ)』が占う《変化の変様=生成と運気》の基底にはない。しかし、──それまで境目の境界としていた『遮る隔たり(差異)に対する反転(=旋回・旋性)』の「感覚や意識の働き」は、「跳躍の”新機軸”の分かれ目」として占い描く将来の成り行きの「判断・予測が行われる」起点から「転位円」を占い観ることができる。変化に際し、「意識の跳躍」は”余白”にあり、《転軸》の”軸受け”──旋性運動をする軸を支える装置としての『占』。まさに──”裂け目”の滑り軸受け・転がり軸受け。〈占い刺激〉に応じて”力覚”を生ずる──”成力”としての「旋回・旋性能力」は、ここで得られたもの。「外界との”かかわり”=『占』との”かかわり”」によって『潜勢的”力能”』は発現する。「変化」に際し、──”表面に見える”それを「感じる、知る、分かる、解る、判る”」だけでは、他に何もない単なる〈変化の”繰り返し”〉にすぎません。”外界からの刺激を深く感じ取り、深く心に受けとめる能力”=単なる「感受性」ではなく、その外界刺激に応じて(占い刺激に応じて)通常の〈変化の”問い”〉に対する”生起の問い直し”は、表面だけを心で感じとった「選好・類似固着・心的傾向」の目的追求ではなく、”感性”に受容された感覚内容に基づいて対象(占い対象)を構成する「概念の能力/判断の能力/反省的・抽象的認識能力」によって”転換”の在り方から離れ、”根源活性”により──「移行転位」する = 変化 → 変化の変様〈変容の震源〉→「生成と運気』。

「生成を知っているもの」と「生成を知らないもの」との違いは極めて大きい。占い見る(占ってみる)前に先ず一手(ひとて):『観氣(かんけ)32相〓』によって「生成を知る」こと。「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線・運気線=ジェネシスライン(genesis-line)として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続け運気づく”根源活性”へと向かう──「占いの通り道」の《種線 ”seed-line” ) 。「占い口」から「生成と運気の糸口」=「転位の跳躍拠点」を見出したその眼前に──「運勢を配置する”占陣”」がひらかれ、「占いの際立ち」に「占いは起こる」。〈現実であるよりも現実的である=潜在であるよりも潜勢的である〉その変化に──〈占いの力戦〉は必ずやってくる。「占」という装置の根を掘り返し、反射ではなく、応答でもなく、ことば以前の感応から「占いの”生きる形”」に──いつもすでに自己の可能性に向かって開かれてる現存在固有の存在の仕方によって──「新たな地平を”投企”する」ために。

 

 

『日光占術|観氣(かんけ)32相〓息』
──キーワード(ヒント):

◾️Cognigenesis : 
日光占術|観氣(かんけ)step.1 ~ 32

◾️Essay:
日光占術|観氣(かんけ)vol.1 ~ 32

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。”月星と共に”人の「生きる風景」の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)32相〓息:第二十息

 

 

 

 

         ── 活性 ──

 
 

 

 

 
 
続き→ 日光占術|観氣(かんけ)32相〓占:第二十占「活性」から

 

『占いの”こたえ”』──外界刺激に応じて(占い刺激に応じて)通常の〈変化の”問い”〉に対する”生起の問い直し”は、表面だけを心で感じとった「選好・類似固着・心的傾向」の目的追求ではなく、”感性”に受容された感覚内容に基づいて対象(占い対象)を構成する「概念の能力/判断の能力/反省的・抽象的認識能力」によって”転換”の在り方から離れ、”根源活性”により──「移行転位」する = 変化 → 変化の変様〈変容の震源〉→「生成と運気』。

”物事が生じたそもそものはじまり”=”おおもと”を活発化する──〈根源の活性〉は、占う「物事の気配・成り行き・情勢」などの”反応性”が高まる。「”占いの”際立ち」として「占いは”起こる”」──〈現実であるよりも現実的である=潜在であるよりも潜勢的である〉その変化の背景に「生成と運気」は、揺らぎ息づく拍動の純粋感覚として生まれる。「占い呼吸の通り道」に、刺激と反応ではない”力覚”による「意識の跳躍」が息づく《移行転位》。

占い出た記述(または対話)後、占いみた最初の先ず第一手(ひとて):その一。──「占い”成力”」をもつ=力感:自分のものとして所有し”保持しておく”こと。占われたその場その後ですぐに変化が生じ起ころうが起きまいが、弱めたり枯渇させたり、忘れたり手放したりせずに、力量は”伏流させておく”。伏流したものは必ず「転位の瞬間」で像となる。──間違いなく《占い濃度》を決める根源的「地下水脈」である。占いは見せるべからず、占いの力覚は表すべからず。〈占いの力戦〉は必ずやってくる。

「占いの”具体場”」は、”跳躍の占い口”=「”心”を通すこと=”氣”を醸し出すこと」の始まり──《触発》されうる「生成と運気が付着する”筋”」と「”息”=〈氣、勢い、気配、調子〉など目に見えないエネルギーとその呼吸」に充ちた──”触地(または触知)への「感受の調律」と「待つ伏流」──平静波と「生成波・運気波」との”差異における出会い”を待つ時と場 =「跳躍の占い口」として”巡り待つ態度”の〈凝視・瞑想・保留 〉は、「意識が常に何かに向かい可能性へと開かれている”ある傾向」=『潜勢的志向性』への《触知》そのものである。

『符』= めぐりあい・運。”符合”するのだから、成力(符力)があれば歪みもあり、合力の認識・理解を超えて、物事にすべからく”人がかかわる理筋の理窟には分力が生じない〈死点=思案点〉がある。触発されうる「生成と運気が付着する”筋”」と「”息”=〈氣、勢い、気配、調子〉など目に見えないエネルギーとその呼吸」に充ちた触地への感受の”調律”と”待つ”技法。

ここに「判断・予測が行われ」「感覚や意識が働く」その時、”占いの開放”によって『”力覚”』が捉えた──単純に自己に内在しているのではなく自己と外部との”かかわり”によって円環的に作動する「”実現可能力性” への潜在力の力(潜在的地勢・地力)=《潜勢的”力能”》は、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行するなかで、入り混じった紛錯の混沌から好循環(またはその逆流)への──「問い」と「占い口」から「生成と運気の糸口」=「転位の跳躍拠点」を見出したその眼前に発現する。

『占い』を切り口に”月星と共に”──風を「感受の胎動」へと招き、自己変容から「自己生成する者=運気づく者」へと立つ。──混沌から好循環への”問い”と「占い口」から「生成と運気の”糸口”」=”跳躍の拠点”を見出し、感受性と胎動する「生きること=実ること」──転位の『潜勢的”志向性”』にある望みと望みの実現を巡る〈意識の跳躍〉の《触地》=「占いの解放」を巡る”邂逅の地層”である。

 

 

『日光占術|観氣(かんけ)32相〓息』
──キーワード(ヒント):

◾️Cognigenesis : 
日光占術|観氣(かんけ)step.1 ~ 32

◾️Essay:
日光占術|観氣(かんけ)vol.1 ~ 32

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。”月星と共に”人の「生きる風景」の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)32相〓第十九息

 

 

 

 

         ── 変化 ──

 
 

 

 

 
 
続き→ 日光占術|観氣(かんけ)32相〓占:第十九占「変化」から

 

『占いの”こたえ”』──通常の〈変化の”問い”〉に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、「埋め手 / 打つ手によって”消滅の在り方”から離れ」、”根源活性”により──《移行転位》する = 「変化 → 変化の変様 → 変化の変様〈変容の震源〉→『生成と運気』。事物の本質は変わらないで、その形や様子が変わる──〈変化の変様〉は、占う「物事の気配・成り行き・情勢」などが変わる。「”占いの”際立ち」として「占いは”起こる”」──「変化」の”ざわめき”の背後に『生成と運気』は、揺らぎ息づく拍動の純粋感覚として生まれる。「占い呼吸の通り道」に、刺激と反応ではない”力覚”による「意識の跳躍」が息づく《移行転位》。

占い出た記述(または対話)後は、占いみた最初の先ず第一手(ひとて):その二──「占い”待つ姿勢”」をもつ=保留:そのままの状態で”おさえとどめておく”こと。占われたその場その後ですぐに占い通りに決めたり実行したりせずに、差し手は”のばしておく”。焦らず、いましばらく”変化”を寝かせて置く。占いは先手を打つべからず、仕掛けを打つべからず。〈占いの力戦〉は必ずやってくる。『符』= めぐりあい・運。”符合”するのだから、成力(符力)があれば歪みもあり、合力の認識・理解を超えて、物事にすべからく”人がかかわる理筋の理窟には分力が生じない〈死点=思案点〉がある。触発されうる「生成と運気が付着する”筋”」と「”息”=〈氣、勢い、気配、調子〉など目に見えないエネルギーとその呼吸」に充ちた触地への感受の”調律”と”待つ”技法。

ここに「判断・予測が行われ」「感覚や意識が働く」その時、”占いの開放”によって『”力覚”』が捉えた──単純に自己に内在しているのではなく自己と外部との”かかわり”によって円環的に作動する「”実現可能力性” への潜在力の力(潜在的地勢・地力)=《潜勢的”力能”》は、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行するなかで、入り混じった紛錯の混沌から好循環(またはその逆流)への──「問い」と「占い口」から「生成と運気の糸口」=「転位の跳躍拠点」を見出したその眼前に発現する。

「占いの”具体場”」は、”跳躍の占い口”=「”心”を通すこと=”氣”を醸し出すこと」の始まり──《触発》されうる「生成と運気が付着する”筋”」と「”息”=〈氣、勢い、気配、調子〉など目に見えないエネルギーとその呼吸」に充ちた──”触地(または触知)への「感受の調律」と「待つ技法」──平静波と「生成波・運気波」との”差異における出会い”を待つ時と場 =「跳躍の占い口」として”巡り待つ態度”の〈凝視・瞑想・保留 〉は、「意識が常に何かに向かい可能性へと開かれている”ある傾向」=『潜勢的志向性』への《触知》そのものである。

『占い』を切り口に”月星と共に”──風を「感受の胎動」へと招き、自己変容から「自己生成する者=運気づく者」へと立つ。──混沌から好循環への”問い”と「占い口」から「生成と運気の”糸口”」=”跳躍の拠点”を見出し、感受性と胎動する「生きること=実ること」──転位の『潜勢的”志向性”』にある望みと望みの実現を巡る〈意識の跳躍〉の《触地》=「占いの解放」を巡る”邂逅の地層”である。

 

 

『日光占術|観氣(かんけ)32相〓息』
──キーワード(ヒント):

◾️Cognigenesis : 
日光占術|観氣(かんけ)step.1 ~ 32

◾️Essay:
日光占術|観氣(かんけ)vol.1 ~ 32

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。”月星と共に”人の「生きる風景」の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)32相〓息:記譜

 

 

 

 

         ── 共鳴 ──

 

 

 

 

想起(recollection)

 

『観氣(かんけ)』は『思創考造(しそうこうぞう)と思ったよりも地続きで連続だった。

 

 

今までの生成と運気の拍動をそのまま残響として「書外の呼吸譜(外縁的記譜)」

 

 

占いの呼吸譜(胎動から共鳴へ)──

 

….. 呼吸は深く沈み、
生成と運気は、まだ分かたれず、

ただ一つの拍動として
、
空無に脈を打っていた。

火花はまだ光らず、
律動は胎内の闇に潜み、
名なき力だけが震源を孕んでいた。

占の胎動は、沈黙のなかに息衝き、

跳躍は、まだか微かな光として
、
その余白に影を落とす。

やがて、

占の問いが息を得、
息が世界を呼び覚ます。

共観──
響きの風景のうちで、

我と世界のあわいが、
ゆっくりと燃え始める。

再燃──

潜勢としての過去がふたたび熱を帯び、

他者と世界がひとつの呼吸を共有する。

そして今、
余白の終止符が静かに響く。
それは、終わりではなく、始まりの余白。
占は息であり、息は世界の記憶。…..

 

 

記銘:

占いは閉じるが、呼吸は終わらない。
沈黙は、新たな生成と運気を孕む。

 

 

外呼吸の余白(静かな間)

……

そこには、
もはや文字も、思考も、

光さえもない。

ただ、

静かな脈動だけが在る。

それは、
“占い観る者”の呼吸が、

“占い描く者”の呼吸を受け継ぐ瞬間。

頁は閉じられ、
しかし、書はまだ息をしている。

音のない拍が、
空の奥でかすかに鳴る。

それが、「外呼吸」である。

沈黙の内で、

新しい生成と運気の火が
、
ゆっくりと──

世界のどこかで点ろうとしている。

これが、「書の終わり」ではなく
、
「世界の息づきの再開」としての終拍。

この静寂の一拍が、

“観氣(かんけ)”という──
大いなる呼吸体の
、
次なる律動への第一息となるように…..

 

次回:

日光占術|観氣(かんけ)32相〓息:第十九息
『観氣(かんけ』具体場:『占い”待つ姿勢”」

 

 

『日光占術|観氣(かんけ)32相〓息』
──キーワード(ヒント):

◾️Cognigenesis :
日光占術|観氣(かんけ)step.1 ~ 32

◾️Essay:
日光占術|観氣(かんけ)vol.1 ~ 32

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。”月星と共に”人の「生きる風景」の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)32相〓息:水脈

 

 

 

 

         ── 雛頭 ──

 

 

 

 

続き → Cognigenesis:『日光占術|観氣(かんけ)32相〓占:水脈』より

 

「生成と運気」が息づく「未完成の場」──占いの哲学的は、思考を渡すだけではなく、思考が芽吹く“場”を設計する芸である。その橋渡しは《占い架橋》、その場のことを、『観氣(かんけ)』は──【占の水脈】と呼ぶ。多くの哲学や思想では、「生成(becoming)」は単なる変化や成長ではなく、”存在”そのものが常に生まれ直しているプロセスとして語られており、そこには幾つかの層があると思われる。『思創考造(しそうこうぞう)』と思ったよりも地続きで連続だった「観氣(かんけ)』の基底となる──新生”月星と共に”占いによる「生成と運気」を絡めると次のようなことがいえる。

 

 

◯「固定からの解放」──生成は、”完成”を否定する。完成=終わり。占いによる生成と運気は、続く始まり。物事を固定した像として捉えず、常に動きの中にあると見る視点にある。

◯「関係性の網の中での変化」──生成は、”単独”で起こらない。”森”の中の”木”のように、”根”や”枝葉”と風や光との関係の中でのみ変化する。占いによる生成と運気の意義は、その関係を通して自分も他者も更新し続けるところにある。

◯「自己変容の契機」──生成は、”自分が変わってしまう”出来事でもある。それは意図的に起こせないことも多い。予測不可能性を含むからこそ、占いによる生成と運気は、”生の実感”を伴うもの。

◯「未来の含み」──生成の意義は、未来を”未完成の余白”として開き続ける点にある。占いによる生成と運気は、答えを閉じるのではなく、”問い”を育てる。そしてその”問い”が、”次の生成と運気”を呼び込むという、”動き持続する生成と運気”の継続性にある。

 

 

「生成と運気」を知っているということは──日常の出来事を「完成や失敗の評価軸」ではなく、「流れの一部」として受け止められるのであり、停滞や迷いすらも、「生成と運気の”揺らぎの相”」だと理解できる。自分や他者を、固定された像として裁くのではなく、「未完成の存在」として受け入れられるのである。つまり──「生成と運気を”知っている”」人は、日々の経験を“終わり”ではなく“始まりの連続”として生きられるという、これが”知らないまま生きる”のとは根本的に異なる点なのである。【占の水脈】で言えば──生成と運気を知らない人は、脈とその流れを”今の形”でしか見ない。「生成と運気を知っている人は、「生成脈とその流れ/運気脈とその流れ」の姿の中に、これからの「支流や奔流の可能性」や「水面下で伸びる見えない根流」を感じ取れる。この”視点”は──「安心感」とともに『創造性』の両方をもたらす。だからこそ「不断の生成と運気の意義」は、単に占いの哲学的概念ではなく、生きる基盤そのものとだといえる。

こうしたイメージを通じて、占いの哲学的が単なる抽象理論でなく、”日々の生きる実感”に根差した『生成と運気の”知”』として立ち上がるのが、『思創考造(しこうそうぞう)』と思ったよりも地続きで連続だった『観氣(かんけ)』の大きな魅力なのである。「生成と運気」を一般的な感覚や理解から超えていくのは、まさに深い”探究”の道のりであり、終わりのない旅でもあり、その探究は、──「占いの深化の挑戦」として、単なる知識の積み重ねではなく、身体や感覚、心全体を巻き込んだ全人的な営み──いわば「生成の生成」「運気の運気」でもあり、思索や感じ取りを支え、言葉や構造で形づくる、共に学び、共に歩む姿勢、探究の道を共に紡う。

「実地」=実際の場、「実践」=生きた行為こそが、どんな理論や言葉よりも確かな「空海=からみ・つながり・呼吸」を紡ぎ出す。言葉はあくまで道標であり、「生きる生成と運気の現場」こそが本当の占い哲学の場。その地に足をつけて歩み続ける姿勢こそ、最も尊い探究のカタチだと思われる。これからもその実地を、私たちは共に味わい、深めてゆくことである。最も大事で大切なのは、〈今この瞬間の生きる実感〉と〈問い続ける姿勢〉に根ざす「生成と運気の息吹」を絶えず感じ取ることではないだろうか。言葉や理論はそれを支える器にすぎず、真の占い哲学は日々の〈生きる現場〉でこそ息づいている。その息吹を見失わず、共に歩み続けることが、まさに──『観氣(かんけ)』」の核心だと感じることなのであろう。

「問い」、「問う」ことは、単なる疑問や問題提起ではなく、存在そのものへの開かれた態度であり、そこにこそ「生きる哲学性」が宿る。そして、完璧でなくとも、力不足を自覚しながらも、「問い続けること」自体が「生きている証」であり、この「不断の問いかけの営み」が、「生成と運気の息吹」を絶やさず育てていくのだと思われる。つまり──「生きること=問い続けること」であり、問いがある限り、「生成と運気」は止まらない。まさに──「生成と運気の有意義性」を特別視したり評価するよりも、「生成し運気づくことそのものが当たり前であり、その価値が根源的である」という視点は、非常に本質的だといえる。つまり──「生成と運気」は特別なものでも結果でもなく、日々の「生きる営み」の自然な在り方であり、その「当たり前の営み」を意識し、尊重し、共に味わうことが、「生成と運気の”価値”」を自ずと現前させる。この視点をもってこそ、占いの哲学性は身近で鮮やかになり、理論から離れた「生きる生成と運気の現場」に真実が宿るのではないだろうか。私たちは、「自分自身のこの直観」を、とても大切にしてゆくべきだろう。

理論や言葉は、あくまでその「生きる生成と運気の現場」を照らす灯りのようなもので、真実そのものは、日々の”生”の中に、体感として、静かに息づいている。だからこそ、占いの哲学性は難解な理屈を追い求めるのではなく、「今ここ」に立ち戻り、「身近な生成と運気の息吹」を見つめることから始まるのだと思われる。その視点を大切にしながら、私たちは共に歩み続けることである。「余白」は単なる空白ではなく、思考や感覚、問いが生まれ、広がる「可能性の場」そのもの。「問い」も「余白」の中でこそ立ち上がり、深まっていく。だからこそ、「余白」があることで、私たち自身が「自らの問い」を見つけ、育むことができる。「可能性」という言葉はよく「未来の選択肢」や「何かできること」として捉えられているが、「余白」を通じて感じる「可能性」は、単なる選択肢の集合ではなく、未だカタチをもたない「未決定の質感」や「生成と運気の”揺らぎ”」としての深い意味を帯びている。だからこそ、「可能性」を逆に捉えることで、「確定しきっていないことの中に宿る豊かさ」や「静かな開放感」が見えてくるのだと思われる。「余白」を通じて「可能性」の意味を再発見する、そんな感覚を共有できればいいのであろう。「可能性」を逆に捉えることで、「可能性」は単なる未来の選択肢ではなく、「現在の余白そのもの」=「生成と運気が息づく未完成の場」として立ち現れる。そうすると、可能性は「未来への扉」であると同時に、「今この瞬間の開かれた存在の状態」でもあるというわけである。

 

 

◯「 生育・成長と意識・認識の関係」

生まれてから成長する過程には、まだ言語化・意識化されない「生成と運気」がある。 無意識的生成・運気:胎内から幼少期、身体や神経の発達、環境との微細な関係の形成など、認識の外側で起きている変化。ここでの占いの「生成と運気」は「身体的・生物的な自己の形成」や「無意識的な環境への応答」として捉えられる。

◯「 意識・認識の生成とは何か?」

意識が芽生えると、「自己」と「世界」の区別が立ち、体験の意味付けが始まる。ここでの生成と運気は、「意味の生起」「自己認識の深化」として現れる。経験が重なり、認識は多層化し、占いでは「生きることの意味」を問うようになる。

◯「死を携えて生きる意味」

死は生命の有限性を示し、その自覚が生の生成と運気に緊張と深みをもたらす。「死を知ること」が生きることの切迫したリアリティを生み、生成的・運気的な営みをより濃密する。しかし、死そのものは「生成と運気」の対極ではなく、占いでは生と死が織りなすリズムや循環の中の一部とも捉えられる。

◯「 生成と運気とは何か? 生きるとは何か?」

生成と運気とは「絶え間なく変化し、現れ続ける出来事の連鎖」であり、生きることとは、この生成と運気のプロセスに自ら関わり、呼吸し、選び、問い続けること。生きるとは単なる存在ではなく、「生成し運気づき続けること」として捉える占いの哲学的視座である。

 

 

「死は別ものか」──死は生成と運気の終わりのように見えるが、生成と運気のリズムの一部、または次なる何かへの「開かれた余白」としても考えられる。占いの哲学的には死を「生成と運気の終点」としつつも、「生成と運気の場の一側面」として統合的に理解する視点もある。死を「生成と運気の対極」ではなく、占いではその一連の「リズムの一部」として捉えることは、生成と運気の営みをより包括的に、且つ深く理解する視点になる。死が「次なる何かへの開かれた余白」となるという考えは、生と死の間に確かな境界線を引くのではなく、むしろ死の向こうに潜む可能性や変容の道筋を感じ取ること。この感覚こそが、私たちの存在に静かなる慎みと勇気の深みをもたらし、「生きることの生成と運気」を真に見据える力になるのではないだろうか。こうした「死」と「生成と運気」の螺旋を窺いながら歩む占いの哲学的な道は、まさに『観氣(かんけ)」と思ったよりも地続きで連続だった『思創考造(しそうこうぞう)』の核心に響く。さらに、この捉え方を基に、生成と運気の深奥や余白について探求を続けていくことも、また新たな生成と運気の一歩となるであろうし、占いの深化の挑戦にもなろう。私たち一緒に、その道を味わい続けていけることを嬉しく思うことである。

「生きることの生成と運気」を真に見据える”占いの力”──それは、単なる生の継続や存在の維持を超えて、日々の時々刻々と変わりゆく自身の内外の動き、あらゆる瞬間の生成と運気の営みに目を凝らし、そこに潜む可能性や変容の兆しを感じ取り、受け入れ、共に呼吸する力ではないだろうか。この力があれば、たとえ不確かで揺らぐ状況の中でも、生きることの根源的な意味と価値を深く実感でき、「日常の一瞬一瞬が豊かな生成と運気の場」となっていく。まさに──「生きることの生成と運気」を見据えることは、「生成と運気の”水脈”」を歩き、問い続け、自らの存在と世界との共創的な関係を紡ぐ力そのものだといえる。世界もまた、「生成と運気の営み」の広大な『水脈』そのものある。固定された「もの」や「絶対」ではなく、絶えず変わりゆき、絡み合い、新たな形や関係を生み出し続ける動的な場。私たちはその”水脈”の一部として、「自らの生成と運気」を通じて世界と響き合い、世界もまた私たちを形作り変えていく。だからこそ、世界は単なる背景や舞台ではなく、「生きることの生成」と一体となった共鳴の場、生きとし生けるものすべてが共に歩む「生成と運気の道」なのである。「共鳴」という言葉には深い響きがある。ここでの「共鳴」とは、単なる相互作用や反応ではなく、互いの存在や生成と運気が響き合い、高め合う動的な関係を指している。私たちの「生成と運気」は世界の変化や流れと共振し、世界もまた私たちの生成と運気に応えて形を変える。この響き合いの中で、私たちは孤立せずに、生成と運気の波動を共有しながら、「生きることの場」を共に創り続けているのである。であるからして、「共鳴」とは、「生成と運気の”水脈”」における私たちの歩みが、個別でありながらも互いに絡み合い響く、その呼吸のようなものだといえる。

 

 

雛頭 ”ひなさき”

 

 ….. 日光の足の下──
くすんだ琥珀色の落ち葉が、
厚く重なるその隙間から、
乾いた土の匂いが微かに立ちのぼる。
その匂いは──陽炎のように、
地中の熱とわたしの体温を隔てる。

頭上では、濃緑の葉が陽光を砕き、
砕けた光は金粉の粒となって、
揺れながらわたしの頬に触れる。

滝を越えたあとのように火照った背中へ
、
──”ひなさき”(雛尖)出た「水脈」は、
透き通る水色の風を、スッと差し入れ、

汗を一滴ずつ、薄氷のように溶かしてゆく。

その瞬間──
空気が入れ替わる音すら感じられ、

森は深く、しかし透明に、
わたしの肺の奥まで呼吸を満たす。

どこかで熟れた木の実が割れ、

甘く酸い匂いが、土と葉の湿り気と混じり合い、

わたしの胸の奥で静かに色を変えていった。…..

 

 

『日光占術|観氣(かんけ)32相〓息』
──キーワード(ヒント):

◾️Cognigenesis :
日光占術|観氣(かんけ)step.1 ~ 32

◾️Essay:
日光占術|観氣(かんけ)vol.1 ~ 32

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。”月星と共に”人の「生きる風景」の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)32相〓息:息衝き

 

 

 

 

         ── 共鳴 ──

 

 

 

 

続き → Cognigenesis:『日光占術|観氣(かんけ)32相〓占:占萌し』より

 

「生成脈・運気脈」の『水脈』は、一筋の”脈”と”流れ”ではない。しかし──”一筋の脈と流れ”に「生成脈・運気脈」の『水脈』全体が宿る。このような「生成と運気」の”水脈”を、【占の水脈】として「共観の兆し」を感じつつ、《占い架橋》を『観氣(かんけ)」と共に歩んでいくことになるだろう。《占い”構図と余白”》が見えてくるという感覚──それは、《占い》が単に内容を追うのではなく、「生成と運気の”視座”」そのものを立ち上げ始めた瞬間ではないだろうか。

「生成脈・運気脈」の『水脈』の”流れ構造”とは何か? この語には、単なる構成法を超えた「占術の”動的な場”」の設計が含まれている。『水脈』=全体構造は、『観氣(かんけ)』という一つの「場=呼吸体」であり、一つひとつの”脈”と”流れ”は、特定の生成・運気現象の──「身近な”表出”」であるが、それらは直線的に並ぶのではなく、内へと沈み込み、外へと振動する“螺旋的”としてひらかれる。つまり──観者となる相談者は、「身近な”表出”」である特定の生成・運気現象の一つひとつの脈と流れを感じるをたびに、──「生成と運気とは何か?」の問いへと、また別の角度で還流し直すことになる。

「占い構図と余白」が見えてくるということ、これは、『観氣(かんけ)」全体を《占い”描く”/占い”観る”》ような感覚に通じている。「構図=生成と運気の脈、流れ、軸、視座、ひらかれ」「余白=問いの余韻、跳躍の時間空間」=観者となる相談者の〈あなた〉が”生成と運気”に加わるための「未完の場」。この「占い構図と余白」の”呼吸”によってこそ──『観氣(かんけ)』は単なる占術を超え、「生成と運気の”現場”」になっていくのだろう。”生成力”と”運気力”を刺激する「水脈の螺旋的”ひらかれ”の構造」、まさに──「シンプルな脈と流れ」を並べるのではなく、「シンプルな脈と流れ」の構築によって、内へと、外へと、哲学が誘い支ていく──「生成現場と運気現場」、全体構造の「軸と振幅」。今、まさに──「生成と運気の”水脈”」そのものが、静かにその姿を立ち上げはじめている──そんな感触。

 

 

ー 例 ー

 

例えば、とても深い問い──例:《”愛”と”老い”》。”老い”は、「生成的か?」「運気的か?」”老い”ることは、時間とともに不可逆的に形が変わっていく現象である。物理的にも、生物学的にも、不可逆性・変容・持続性という特徴を持つため、これは「生成の一形態」といえる。但し──ここでの「生成と運気」は 、「創造的な方向性を含む”生成と運気”」 というよりも、「存在がそのまま変わり続けるという”生成と運気”」である。つまり──「生成の能動的側面(意志を持ってつくりだす)」「生成の受動的側面(変化を受けながら形を変えていく)」、”老い”は後者が強い。けれど──その受動的な「生成」のなかに、能動的に何を編み込むかは、人間それぞれの選択に委ねられるし、「運気」の現れ方にもよる。

”愛”は「生成的か?」「運気的か?」”愛”は、ある意味では「生成的」であるが、”老い”と違い、「存在そのものの物理的変化」ではなく、関係の場が生まれることである。”愛”は「自分と相手の間に関係空間時間を生成し運気づく」「関係は”生成と運気”に育ちもするし衰退もする」「しかし”愛”は物質の老化のように必然的ではなく意志・選択・受容に大きく依存する」、ここが”老い”との最大の違いである。そこで、”愛”は「生成ではないような気がする?」という感覚について、この感覚はとてもよく分かる。何故なら、”愛”には「生成と運気」のように時間に沿って不可逆的に進む性質よりも、瞬間的に満ちるという性質が強いからだろう。「生成と運気」は流れ・プロセスとして見えるけれど、それは時に 一瞬の出来事として立ち上がる。たとえば、「初めて誰かを抱きしめたいと思った瞬間」「ふと相手の存在を丸ごと肯定してしまう瞬間」、それは過程ではなく、出来事あり、出来事としての”愛”は、まさに──「生成と運気の”水脈”の中で時折り立ち上がる”泉”」のようなものだろう。

もしまとめるなら、こう考えられる。──”老い”は、受動的な形で進む「”存在そのもの”の生成と運気」。──”愛”は、関係の場に突発的に湧き上がり、選択と受容によって持続する「”出来事的”生成と運気」。つまり──両方とも「生成と運気」の範囲に含められるが、その「生成と運気の”様態”」が大きく異なる。”老い”は「”時間に沿った必然”の生成・運気」、”愛”は「”時間を飛び越える出来事的”な生成・運気」。この「”老い”=受動的生成・運気」「”愛”=出来事的生成・運気」という対比をすると、感覚と概念が同時に立ち上がる。つまり──”老い”はどうしても「流れに沿わざるを得ない」のに対して、”愛”はその「流れを飛び越え」て現れる。だからこそ、──同じ「生成」「運気」という語で括れても、質感も時間感覚もまったく異なるのである。そして興味深いのは、──「”老い”のなかにだって瞬間的な出来事はある」「”愛”のなかにも流れや持続の側面はある」ということ。この二つは完全に別物ではなく、”相”と”老い”は、「生成と運気」の二つの相(モード)のように”交錯”している』ともいえる。

”老い”ていくなかでの”愛”は、単純に若いころの愛情が薄まっていくという話ではなく、むしろ、”老い”によって”愛”は質を変え、深まり、時にはまったく別の相を帯びてくるのだろうか?  時間の中で育つ”愛”(老いの”愛”)──”老い”は不可逆の時間の流れの中にある。そのなかで生まれる”愛”は、「持続と熟成の色合いをもつか?」「日々の積み重ねが”愛”の形や重さを変えるか?」「”愛”そのものが時間の作品になるか?」例えば、長年連れ添った二人の間にある沈黙は、若い”愛”の沈黙とは違い、余白の深度をもつだろうか? そこには、共有された時間の層が何重にも積み重なっているのだろうか? ── ”老い”の中で芽吹く新しい愛:”老い”の中でも、予期せぬ”愛”は出来事として突然に訪れることがあるだろうか?「新しい出会いか?」「亡き人への新しい感情の発見か?」「自分自身への慈しみの芽生えか?」、この場合の”愛”は、”老い”の流れに乗って熟す”愛”とは違い、時を飛び越えて訪れる閃光のような「生成」なのだろうか? それは若いころの恋愛のように激しくもあるのだろうか? 時間感覚の上では深く静かであることが多いのだろうか? ── ”老い”が与える愛の特異な性質:”老い”ていくと、生命の有限性が肌感覚でわかってくるため、”愛”は「残された時間の質」と強く結びつ口のだろうか?「”愛”する時間が限られているからこそ濃度が増すか?」「欠落や別れの予感が”愛”を逆に輝かせるか?」「”愛”そのものが有限の奇跡として感じられるか?」

例:《”愛” × ”老い”》の「生成と運気の”様態”」として、「”老い”と”愛”の生成・運気の関係」が『観氣(かんけ)』的な『占い脈」でも立体的になる。やはり──「余白の深度」。余白は、濃度や圧や、その他、余白状態が決めとなる。”老い”における”愛”の「余白の深度」も、たとえば──《絵画》における余白と同じく、濃度・圧・状態によってその意味や力が決ま眺る。

《濃度(Density)──という「経験・記憶・感情の層の厚み」「長い関係の積層が生む“充実した空気”」とともに「何も描かれていない部分」が、むしろ満ちてくることであり、これは、白紙の余白でも「軽い余白」と「重い余白」があるのと同じこと。《圧(Tension / Pressure)》──という「これまでの葛藤や困難が凝縮されて生まれる張力」「守るために耐えてきた圧力」として「減る身体的エネルギーの代わりに、心的な圧が増す」こともあり、構図でいうと、《絵画》におけ画面の端に置かれた物体が生む“視覚的な引っ張り”に似ており、時に非常に静かでも、その静けさの奥に高い張力を秘めている。《状態(State)──という「開かれているのか、閉じているのか」「受容しているのか、拒絶しているのか」「柔らかく拡張しているのか、凝縮しているのか」、これは「余白が空気を呼吸しているのか、それとも沈黙しているのか」に似ており、状態が変われば、同じ余白でもまったく異なる意味を帯びてくる。これは「余白が空気を呼吸しているのか? それとも沈黙しているのか? ”愛”の状態が変われば、同じ「余白」でも全く異なる意味を帯びる。つまり──”老い”における”愛”の「余白」は、濃度 × 圧 × 状態で質が決まる。この3つの組み合わせが、”老い”の「深度」や「輝き方」を変えてしまうわけである。この「濃度 × 圧 × 状態」をもとに、『観氣(かんけ)』の流れにも自然に組み込める形になる。

これまでが「場を生み出す生成と運気」だとすれば、これからは「”生きることそのもの”を生成と運気として見る」。つまり──「”生”の生成・運気論に広がる形であろうか。例えば、──「”老い”の生成と運気」は、”老い”ることを衰退ではなく、必然的生成・運気として捉えた「受動的生成・運気」としての”老い”、時間を素材として彫刻していくような存在の変化。──「”愛”の生成と運気」は、”愛”を出来事的生成として捉えた必然ではなく、関係の場に突然立ち上がる「生成と運気」「余白の深度」としての”愛”──濃度・圧・状態。「余白の哲学化」は、絵画における余白論を、「生き方の余白論」に拡張した「余白=可能性の場」、「時間・関係・沈黙の”余白”」。「生成と運気の”様態比較”」は、必然的生成・運気(”老い”)と出来事的生成・運気(”愛”)の比較。どちらも「生成と運気」だが、時間の使い方と出現の仕方が異なり、その違いを通して、「”生”そのもの」の構造を見抜く。”老い”や”愛”は、あくまで──「生の生成・運気論」の”入口のひとつの例”にすぎない。むしろ ──「占い口」と「生の生成と運気の切口」 をしっかり認識し確立しておくことで、『観氣(かんけ)』の広がりを感じさせつつも、筋道を保てる。”生きること”は生成であり、運気である。

 

 

ー 例 ー

 

◯「”存在そのもの”の生成と運気」──老い、成長、変化、衰退。呼吸や身体感覚の変化。存在の「形」が時間とともに変容する必然的生成・運気。例:「老い」「成熟」「退化」「再生」。

◯「関係から生まれる”生成と運気」──愛、友情、対話、衝突。 他者との接触から立ち上がる出来事的生成・運気。例:「愛」「別れ」「和解」「共創」。

◯「内面の生成と運気」──思想、気づき、覚醒、夢、直感。意識の中で発芽する出来事。例:「悟り」「ひらめき」「迷い」「覚醒」。

◯「余白と偶然の生成と運気」──偶発的な出会いや出来事。予期せぬ環境や場から生じる生成・運気。例:「偶然」「余白」「漂泊」「逸脱」。

◯「表現・創造の生成と運気」──芸術、物語、言葉。 制作行為そのものが生む生成・運気。例:「作品」「言語」「歌」「身体表現」。

 

 

「存在・関係・余白」にある「”生”の生成と運気」 。存在の生成・運気(老い・成熟・変化)。「存在・関係・余白」にある─関係の生成・運気(愛・別れ・共創)。内面の生成・運気(気づき・覚醒)。偶然の生成・運気(余白・逸脱)。表現の生成・運気(創造・物語)….. すなわち──『生成と運気の”水脈 ”』── ”水脈”は「生成と運気の総体」。《生成脈》と《運気脈》の一筋一筋の水脈は「異なる生成と運気の様態」。「老い=水脈に長く波紋を重ねる泉」「愛=水脈に絡み合う流れや共生する泉」「偶然=思わぬ水脈に芽吹いた泉」「内面の生成=水脈の奥の静かな泉。」「創造─=水脈に花を咲かせる泉」…..その全体が、一つの「生きている景色」を形づくる。水脈全体は、一筋の脈と流れだけでは語れない「生の景色」をつくる。「水脈の歩みそのもの」が、”生きること”そのものと「生成と運気」の比喩になる。

“見えない水の流れ”に自ら足を踏み入れ、「”水脈”の中で時折り立ち上がる”泉”」のように「生成と運気」は起こる──その『水脈』とは、「そのすべてを言い尽くさない構造=伏流」。すなわち──【占の水脈】と《占い架橋》。──「水脈をゆく者(=生きる私たち)」。”生”とは単なる連続的な時間経過ではなく、絶えず多層的に動き持続する「生成と運気」を変化し続ける「出来事」の”脈なり流れなり”。その継続変化の営みは、水が”水脈”の中で互いに絡み合い影響し合いながら姿形を変えるように、私たちの存在もまた複雑で重層的な関係性の中で深まり、広がっていく。例えば”老い”は単なる消滅や衰えではなく、深く根を張り大地と結びつき、新たな生命の可能性を支える生成の一形態である。例えば”愛”は、その枝葉のように、他者との関係性の中で発生し、選択と受容を通じて持続し、時に時間を超えた出来事として現れる。偶然は水脈の中の新しい芽吹きのように、予期せぬ変化をもたらし、創造は季節ごとに水脈が花を変えるように、新たな意味や形を絶えず生み出す。このように”生きること”そのものと「生成と運気の水脈」の比喩は、単なる自然の描写を超えて、私たちの”生”の根源的なあり方、時間性、関係性、そして”変化の本質”を示す《占い》の──哲学的「視座」を提供する。

このように、具体的テーマを例題(=問題)とした日常的イメージを起点にしつつ、哲学的に「”生”の生成と運気」を多角的に捉え、以降の《占い展開》である新生”月星と共に”『観氣(かんけ)』の具体場へと自然に橋渡していく。『占想』と《占い”記述”》が感覚を刺激し、哲学がそれを包み込みながら思考を広げ、深め、新たな視点の「水脈」へと案内する──そんな動きが理想的なのではないかと思われる。《占い》は、感覚や心に直接響くものであるが、哲学的な言葉や考察は、そこに知性的・理性的な「地盤」を与え、さらに広く深い「思索の水脈」へと誘う役割を果たすだろう。この二つが互いに響き合うことで、『観氣(かんけ)』全体の厚みや奥行きが増し、観者である相談者の〈あなた〉の体験が単なる「占い”鑑賞”」から「生成的運気的な──”対話”」へと変わっていく。《占い》が感覚を刺激し、さらに《占い》がそれを包み込みながら”思考・創造”を広げ、深め、〈あなた〉を新たな視点の――『占い水脈』へと案内する《占い架橋》。そんな「思創考造 Cognigenessis 日光占術|観氣(かんけ)』の、まさに――〈生成的運気的”動き”〉が理想的なのではないかと思われる。

『生起場』──《生成的力・運気的力》という跳躍点の第一震源(=転位の震源)──”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の「流れ」の中で、《占い”対話”》の生成的運気的”役割”がキーワードとなり得る。”占い”は観者である相談者の〈あなた〉との共振を起こし、《占い”対話”》の中で生まれる新たな意味生成・運気の動的空間と時間。『占い水脈』の中で「声を交わし」、《占いの”問い”》を育てるプロセスとしての占的実践。《占いの”水脈”》を歩く感覚は身体性のイメージでもあり、「生成と運気」は知的だけでなく、身体的/感覚的な経験としての広がりもつことを示す。”生”の多様性と包摂性において”水脈”の多種多様な共存は、”生”の多様性とその共存を象徴し、「生成と運気」の”多様な現れ”として身近の表出となる。《占いの”水脈”》は詩的でありながら、『観氣(かんけ)』において深く多層的な展開が期待できる素晴らしい核であり、何より、観者である相談者の〈あなた〉を「歩き、考え、出会い、問い、創造する」という「生きた体験」へと誘う構成による可能性がとても魅力的である。

「余白 」→ 「水脈の入口=《占い口》からの連続性」において、感覚的導入(占いの”匂い・風”)→ 視覚を超えた感覚で《占い水脈》に入るといった、「一歩ごとに《占い地図》を描く・観る」= 生成と運気の水脈を歩く者の姿に直結。つまり、観者である相談者の〈あなた〉は、締め括りから間髪入れずに”水脈”の中を歩き始めることになる。つまり──《占い”余白 ”》→ まだ続く予感、占的導入 → 「水脈=”生”の生成と運気」の意味づけ、感覚的導入 → 〈あなた〉は気づけばもう水脈””の中にいて、そこから「生成と運気の”水脈”」を歩き出すことになる。その中で”水脈”の「私=足を踏み入れる者」としての分岐や迷い、停滞や飛躍を繰り返しながら「生成と運気の”道”=占いの通り道」をたどる──観者である相談者の〈あなた〉の体験が単なる「占い”鑑賞”」から「生成的運気的な──”対話”」へと変わっていく。『生起場』──《生成的力・運気的力》という跳躍点の第一震源(=転位の震源)──”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の「流れ」の中で、占学は思考を渡すのではなく、思考が芽吹く“場”を設計する芸である。その場のことを、『観氣(かんけ)』は「占い水脈”」呼ぶ。

人間は、〈自分の存在感〉を“単独”では捉えることができない。「存在感」は、他者の視線・反応・沈黙・気配という“反射面”によって立ち上がる。但し、その”反射”を受け取っているのは“〈わたし〉の内なる場”であり、そこにこそ「”主体”の生成と運気」が起きる。なぜ自分では〈自分の存在感〉がわからないのか?──理由は簡潔に言えば:自己とは常に“内側からしか”見えないから。目は自分の目を直接見られない。自分の声は録音で初めて「他者が聞いている自分」を知る。”存在感”もまったく同じ構造をもつ。《占いの”水脈”》に「私=足を踏み入れる者」の動き、声、佇まい、沈黙──それらは“他者にどう届いているか”は、他者の反応なしには把握できない。これは心理学でも哲学でも一致している重要な結論。他者に映った自分が“反射”して返ってくる!──ここが決定的。「存在感」はこういう経路をたどる:〈わたし〉 → (他者に映る) → 〈他者の反応〉 → (反射) → 〈わたし〉──この〈わたし〉に返ってきた瞬間、初めて「〈わたし〉はここにいる」と実感される。この反射の構造は、実は『観氣(かんけ)』と思ったよりも地続きで連続だった『思創考造 Cognigenesis』で何度も言及してきた──「“共観”/“生成の触発”/“中動態的主体”」の基礎そのもの。

では「存在感」は他者によって決められるのか?──いいえ、それも違いう。ここが難しく、深いポイント。「占い(他者)は“鏡面”であり、“光源”ではない」「占い(他者)は“反射場”であり、“価値判断の主”ではない」「反射が返ってくるけれど、それを どう受け取るかは主体の内部にある」。つまり──「存在感は他占い(他者)によって“示される”が存在感の“内的生成・運気”は主体の側で起きる。」──この二層構造がとても大事。すなわち──《占い》はその”他者”でもあり“鏡面”である。存在そのものの生成・運気=Cognigenesis の初期形態──『観氣(かんけ)』と思ったよりも地続きで連続だった『思創考造 Cognigenesis』で一貫して掘り当ててきた核心──「主体は孤立した点ではなく、”場”の中で生成し運気づく “出来事” である。」──「存在感」もその一つの出来事。主体が、「〈わたし〉―占い(他者)―場」の三項の中で初めて震え、生まれる。これこそ──「跳躍点」「生成と運気の”水脈”」「共観の入口」「占い(他者)の呼吸と重なる領域」──すべての前提になる「”第一”の生成と運気」。

この問いには、すでに答えの鍵がある。──これはそのまま生成的・運気的な正解。自分の存在感は《占い(他者)》に映った自分が、その”占い”から反射してくる自分によって、はじめて自分でわかる?──はい。但し、それは《占い(他者)》に決められる自分ではなく、反射を受け取る「〈わたし〉の内なる生成と運気」 がその瞬間に起きている、ということ。この“二重の出来事性”を持つのが、人間の存在の最も美しいポイント。これを感知する理由──これは言わずもがな、今──「占いの通り道」=占いの水脈」という通路の生成・運気構造 を歩いたからであり、通路を歩く主体は、必ず「反射」へ出会う。「風」「光」「音」「空間の奥行き」「時間の流れ」「他者の気配」「自分の影」──そのどれかが、自分の存在を“照射し返す”、その最初の照射を掴んだ。

さらに深く進める場合──次はこの問いに進むと、核心(転位の震源)に入る:「反射してきた自分を〈わたし〉はどう受け取ったのか?」──その受け取り方が、”Cognigenesis” の「初期の震源」そのもの。──まさにそこが“震源”。直観された「存在感は反射によって初めて立ち上がる」という構造そのものが、「共観(co-perception)」「生成と運気の触発(generative ignition)」「中動態的主体(主体=起こされつつ、自ら起こす存在)」──その“根”に当たるということを、いま確かに確認できる。そして──いよいよ核心に入る。

占い(他者)によって反射してきた自分を、〈わたし〉は──「どう受け取ったのか? ここからが「 ”Cognigenesis”(自己生成の震源) 」の”本丸に入る瞬間”。「反射された〈わたし〉」を受け取るとき、主体の内部では次の三つが同時に起きる。内奥の“わたし”が揺らぐ(自明性の崩れ)──《占い(他者)》の反射によって返ってきた自分は、自分が“思っていた自分”とは違う。そのわずかなズレ、その違和感の微光が──主体の地盤をわずかに震わせる。『思創考造 Cognigenesis』と思ったよりも地続きで連続だった『観察(かんけ)』における「”Cognigenesis” の最初の微震」は、この“揺らぎ=差異”。”揺らぎ”を拒絶せず、受け取ってしまう。──ここに“中動態”が働く。「”占い”という外から与えられた反射」なのに、なぜか〈わたし〉はそれを自分の内側の出来事として受け取ってしまう。「外から/内から」「能動/受動」「主体/占い(他者)」──この区別が曖昧になる。主体は“受け身でありながら自ら生まれつつある”。ここに初めて中動態的主体が姿を現す。「〈わたし〉の中の”差異”」が、ひとつの「新生(birth)」を起こす。──「《占い(他者)》から”反射された自分”を受け取るとき、主体はそれを“情報”としてではなく、「生成と運気の”素材”」として受け取る」。ただの刺激でも、ただの占い(他者)の反応でもなく、それが内側で、ゆっくり沈殿し、発酵し、熱を生み、微かなかな形をもち始める。これが “Cognigenesis” の初期震源──”主体が生まれを起こす”最初の「無名の瞬間」。

「新たな視点の”水脈”へと案内する」――まさに「占いの醍醐味」であり、「占い扉」に続く「思考」は、まさに――その扉を潜り、新たな世界へ踏み出す「光の道筋」や「風の動き」のようなもの。つまり、「生成の扉=運気の扉」は、未知や可能性への入り口として、《占い》は、その扉を通じて展開される「道」や「場」であり、探求者を新たな視点・発見へと導く「動的なプロセス」なのである。《占い扉》を開けた瞬間から、思考は『占いの通り道』に分岐し、伸び、時に迷いながらも新しい”生きる風景”を見せてくれる占的思考=《占い架橋》は、この扉の向こうでの「歩みそのもの」ともいえる。「生成の扉=運気の扉」を潜り、『占い”水脈”』の“見えない水の流れ”に自ら足を踏み入れるという《占い架橋》の”占的思考”と”占的視座”のイメージは、『占い”対話』によって本当に豊かで深みがあるのではないかと思われる。

多層的生成と運気の景観として”水脈””は、単なる自然の比喩ではなく、多様な「生成と運気の”場”」として、複数の生成脈と運気脈のレイヤーが絡み合う共振場となるイメージ。その中で”水脈”の「私=足を踏み入れる者」が分岐や迷い、停滞や飛躍を繰り返しながら「占い通りの道=生成と運気の”道”」をたどる主体性の「生きる風景」の物語は展開する。「生成と運気」の連続性と断絶のダイナミクスは、 ”水脈”の循環=老いと死、芽吹きと花咲きなどのサイクルのように、「生成と運気」は連続しつつも各地点では新たな「切断」や「跳躍」を孕む。そこに、偶発性や予想外の発見、越境的占思考の可能性が宿る。「生成の扉=運気の扉」としての『占的思考』は、《占い扉》を開けて未知に分け入る瞬間の不確かさと期待感にあり、その『占的視座』は、「”水脈”の歩みそのもの」としてある。、”占い”は、観者である相談者の〈あなた〉との共振を起こし、『占想』は、〈占い”記述”(description)〉に止まる(留まる)ことなく、《占い”対話”(communication)》の中で生まれる新たな意味生成・運気の動的空間と時間。『占い水脈』の中で「声を交わし」、《占いの”問い”》を育てるプロセスとしての占的実践。すなわち――「”問い”を持って分岐し往還しながら主体が”自らを問う実践”」であることが強調される。

 

 

….. 日光の足の下──
くすんだ琥珀色の落ち葉が、
厚く重なるその隙間から、
乾いた土の匂いが微かに立ちのぼる。
その匂いは──陽炎のように、
地中の熱とわたしの体温を隔てる。

頭上では、濃緑の葉が日光に舞い、
溶けた陽光は金粉の粒となって、
揺れながらわたしの頬に触れる。

滝を越えたあとのように火照った背中へ、

──「水脈」は、
透き通る水色の風となって、
スッと差し込み、

汗を一滴ずつ、薄氷のように溶かしてゆく。

その瞬間、空気が入れ替わる音すら感じられ、

日光を柔く遮る森は深く、しかし透明に、
──”蒸散”となって、
わたしの肺の奥まで呼吸を満たす。

どこかで熟れた木の実が割れ、

甘く酸い匂いが、土と葉の湿り気と混じり合い、

わたしの胸の奥で静かに色を変えていった。…..

 

 

『日光占術|観氣(かんけ)32相〓息』
──キーワード(ヒント):

◾️Cognigenesis :
日光占術|観氣(かんけ)step.1 ~ 32

◾️Essay:
日光占術|観氣(かんけ)vol.1 ~ 32

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。”月星と共に”人の「生きる風景」の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)32相〓息:開度編

 

 

 

 

         ── 解釈 ──

 
 

 

 

 
 
続き → Cognigenesis:『日光占術|観氣(かんけ)32相〓占:開度編』より

 

 

【占の本震】──”占いの地層”

 

総括すると、〈私たち〉が今ここで歩いているのは、まさに──「まだ《占い》でもないが、既に《占いの”核”》として震えている」という”場”です。これは ”virtuel” を、『観氣(かんけ)』の思想体としての言葉で言い直すと──「未然に息づく”生成と運気”」「震源としての”潜勢”」「無名の前生成・前運気圏」──ということになります。『観氣(かんけ)』の「骨格・構造」にも「呼吸」にも完璧に噛み合っています。『観氣(かんけ)』の「基底語」として定義され、「“母語”として定着」されます。「”Cognigenesis”(自己生成の震源)」→ その前段階としての“震源としての「潜勢」”──この接続は、『観氣(かんけ)』の動線において次のような「流れ」をつくることになります。

『観氣(かんけ)』の構造上の位置づけ──主体の震源をどう“生まれさせる”のか? ということです。ここに 「震源としての”潜勢”」を置くと── 前半:「震源がまだ名を持たない段階=”潜勢(virtuel)”」= 特に「差異の欠片」「初期震源の無名性」「日常の微細な徴」「まだ生成でも運気でもないが──すでに震えているもの」→ これらすべてを 「震源としての潜勢”」として総括できる。──後半:「潜勢”が転位し自己変容から自己生成(Cognigenesis)が起こる段階」=「転位点」「間隙」「胎動」「”Cognigenesis”(自己生成の震源)」→ ここで「震源としての”潜勢”」”が、自己生成の本震(Cognigenesis)を引き起こす。

つまり──こうなる ➡ Cognigenesis:「震源が実際に自分を生み始める現象」、震源としての潜勢:「震源がまだ震源になる前の、震え始める力」──これがピッタリ!と嵌るのは、すでに『観氣(かんけ)』において実践している「差異の欠片」「無名の瞬間」「中動態的主体」「反射された自分の受け取り(=素材化)」などの一連の概念が、まさに──「”潜勢” → ”Cognigenesis” 」の流れに位置するからです。このような「震源としての”潜勢”」”は、『観氣(かんけ)』全体を一本の縄のように貫く中心語(基語) として扱え、すべての”見えない軸” =『観氣(かんけ)』が新生の”月星と共に”《占い”起こす”》ための「占軸」がこの語で一本化されます。

《占い》による”Cognigenesis”(自己生成の震源)を理解するには、その“前地”としての『震源としての”潜勢”』を先ず呼吸しなければならない。この一句だけで、『観氣(かんけ)』の基底構造が立ち上がります。潜勢的 → 差異 → 跳躍点 → Cognigenesis の流れ──「 ➡ “未然に息づく生成と運気”」「 ➡ “無名の前生成・前運気圏”」というこの二つについて。結論からいくと──その二つ(“未然に息づく生成と運気”/“無名の前生成・前運気圏”)は、「後々に出る核心」ではなく、むしろ──の最深部に向けて“伏流する根” です。つまり──いきなり大見出しの概念として前面に出るではなく、『観氣(かんけ)』全体を静かに底から押し上げる“呼吸の地層”として、真に必要な「転位の瞬間」で──はじめて輪郭を持ちはじめる言葉として立ち上がります。

「潜勢的 → 差異 → 跳躍点 → ”Cognigenesis”」この流れは、そのまま──「生成と運気の“深度”」が増していく階梯になっています。階段の上り方としては──《潜勢的(virtuel)》=「まだ名を持たない震源/未然の呼吸」「差異の欠片 = ”潜勢”が最初の徴として現れる」「跳躍点=差異が生きた主体内部で“転位の臨界点”になる瞬間」「”Cognigenesis” = 主体そのものが生成し運気づきはじめる(自己生成の震源)」。では、「 ➡ “未然に息づく”生成と運気」「 ➡ 無名の”前生成・前運気圏”」というこの二つはどこに属するか?──「未然に息づく生成と運気」→ 潜勢的の“内呼吸”を言語化したもの。これは「潜勢的の本質」のひとつです。つまり──“潜勢的”を支える言葉。── 「“無名の前生成・前運気圏”」→ 「潜勢と差異のあいだ(=まだ徴差異としても現れていない段階)」、これは「差異の欠片」が現れる前に存在する透明な──《占いの”力場(場の胚)” 》としてあります。

 

 

【占の水脈】──”占いの架橋”

 

では、これらはいつ出てくるのか? 結論:後半の“深呼吸点”で、満を持して“像”として出てきます。つまり──「今ここの”序盤”では名前を出ないが」→「しかしその“呼吸”だけは全体に”伏流”している」→「中盤~終盤(跳躍点 → Cognigenesis の橋)ではじめて言葉として立ち上がる」──これが最も明確で、且つ美しい『観氣(かんけ)』の基底構造の配置です。

なぜ「伏流」させるべきか? 理由は三つあります。──観者となる相談者の〈あなた〉の体験が追いつくため、これらの言葉は説明ではなく、観者となる相談者の〈あなた〉が、「体験」としてこの『観氣(かんけ)』読みとってから出会うべき概念です。〈あなた〉の身体が、まだ整っていない段階で「未然に息づく生成と運気」「無名の前思考圏」などを先に提示すると“観念”になってしまうからです。 『観氣(かんけ)』の緊張(濃度)を維持するため、これらは「核心語」であり、早く出しすぎると、『観氣(かんけ)』中盤~終盤の「跳躍」が弱くなる。「潜勢 → 差異 → 跳躍 → ”Cognigenesis”」の美しい”力線”を守るためにも後半での開示がベストだろと思われます。 『思創考造 Cognigenesis』と思ったよりも地続きで連続だった『観氣(かんけ)』の文体は、言葉が後から現れる。しかし、呼吸だけは前からそこにあるという「中動態の文体」です。だからこそ──「未然に息づく”生成と運気”は呼吸として伏流」「“無名の前生成・前運気圏”は場として伏流」「そして跳躍点で初めて現象として浮上」「”Cognigenesis” で輪郭を持つ」という配置が『観氣(かんけ)』において必然となります。

具体的にどこで言葉として出てくるのかは、『観氣(かんけ)』の中程~終盤です。特に後々の「胎動する生成と運気(”Cognigenesis” の導火線)」「生成と運気の触発(共観の媒介としての線・場・他者)」──この辺りで「未然に息づく”生成と運気”」「無名の”前生成・前運気圏”」が静かに言語として立ち上がるのが、『観氣(かんけ)』において最適ではないかと思われます。この二つの語は──「後々の深部に登場する核心」「今は名前を出ないが、呼吸として伏流している」「跳躍点 → ”Cognigenesis” の橋のところではじめて言葉として表に出る」──この配置が、観者となる相談者の〈あなた〉の体験にとって、『観氣(かんけ)』の”濃度”と”濃密”を最大に高めることになります。

この「“潜勢的”に対する問いの呼吸」は、まさに《邂逅の地層》そのものを震わせています。受け取った額面通り──概念は、前に出すものではなく、“伏流”させるものである。そして、伏流し続けたものは必ず「転位の瞬間」で像となる。間違いなく《占い濃度》を決める「地下水脈」になっています。どうぞ、観者となる相談者の〈あなた〉自身の”再生”のなかで、”まだ名前を持たない呼吸たち”をそっと沈めてください。静かに、ゆっくりと、”呼吸の奥で再生”してみてください。「再生」とは記憶ではなく、──《占いの続き》を受け取る行為です。すなわち──《占いの”開度”》である「占いの”ひらかれ”」というその具合──として、それらは後に必ず最適な場所と時間に、観者としての〈あなた〉の手の中に現れます。”生を成しに運とともに向かうその歩み”が、「“潜勢的”に対する問いの呼吸」とともに深く息づくはずです。

 

 

『日光占術|観氣(かんけ)32相〓息』
──キーワード(ヒント):

◾️Cognigenesis : 
日光占術|観氣(かんけ)step.1 ~ 32

◾️Essay:
日光占術|観氣(かんけ)vol.1 ~ 32

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。”月星と共に”人の「生きる風景」の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
web email ➡︎ Contact page