「 ” With NIKKO ” 」ウイズ日光
〜 大自然からの提案 〜
ー 音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー
未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・ 実行への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・
自分を活かす「 発創 !! 」
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ー 自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方 ー
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” はじめに ” 10月 : Vol.01「 創出 」をはかる
〜 Vol.03「 認識力 」をふかめる
どんな時でも ”認識 ” することから始まり、どの様な事柄でも ” 認識 ” したからこそ始まる。
人が周囲の環境を理解したり明確に把握し、適切に行動をとるための基本的な能力として、とても大切なのは「 認識力 」である。
新しい価値を上げるために移り変わる変化の始まりは ” 認識 ” からである。
今までの考え方や価値観が劇的に変化するのは ” 認識の転換 ” である。
問題や課題の解決と環境変化などへの対応するために起きるパラダイムシフトとして、柔軟に物事を捉えようとする意識や日常的に問題を探す意識と自分とは異なる価値観を持った人とのコミュニケーションなどが必要であり、認識や価値観を改めることが重要である。
感覚的に認知して物事を単に知っただけでは、物事を読み解き解釈( 解読 )し理解把握を進めて深め明かにすることに及ばず座視するのも同然であり、認知はそれが何であるかを判断したり解釈したり意味を付与する過程の一つとしてであって知識は ” 認識 ” によって得られた成果にすぎない。
” 認識 ” こそが未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点であり、全ては ” 認識 ” から総じて発現し、「 認識力 」は活動を生み出す力となる活力の原動力でもある。
” 認識 ” とその成果である知識による物事に対する考え方や解釈や評価の仕方と価値判断。
”「 洞察力 」によるディサーンメント ” という判断への識見は ” 認識する能力 ” の働きと作用にあり、高まる「認識力」と「評価力」に伴う判断や識見の高さとそれらによる自らへの信頼を増大してこそ「 実践的な創意 」が生じ起こる。
「 認識力 」というものは、知ることによりその本質や意義と存在や価値などを認めて理解し把握する作用を含み、” 認識 ”す ることによって大事なことは、” 評価力 ” をつけることである。
” 洞察力 ” を持ち ” 判断力 ” を養い ” 思考力 ” を上げ、” 発見力 ” を高めて ” 発想力 ” を鍛え、” 展開力 ” を身につけ ” 推進力 ” を得て、そうして何らかのを行動を実際に「 実践 」することであり、「 認識力 」を深めるということは ” 行動力 ” を出すことを意味する。
たとえ問わず語りだとしても、自己変容といった生活経験を積んで価値観を醸成していく自己再構築や自己変革などを含む自己実現に向けては、” 自分への配慮 ” として自主的に自分自身を変える力によって「 自己認識 」をはじめ自己肯定感や自己有用感と地域なりの仕法を持つことである。
この「 認識力 」は、自分そのもの自らが経験することにより自分自身の価値や能力などを知ることになってくる。
いつしか自己実現に向けてそのような主自主性を変える力を自らが身につけることになれば、自分とは異なる価値観念と価値認識に多く触れることによって見て知る際の認識の解像度は高くなる。
この様に「 自分への配慮 」によって自分なりに変容を志向するとき、自らの「 認識( 認識力 )」へ対する自主的な自らの「 評価( 評価力 )」次第で、現実自己に対して理想自己にどのような変容を求めるかは多様であり、その志向性は質的に異なり自己変容の過程に及ぼす影響も異なる。
「 自己認識 」と「 自己評価 」との関係を検討することの必要性は自分の姿を明確にする必要からであり、理想を様々な方向へ全体的に高めるのでなく、” むしろ何を大切にしたいのか、どのような自分自身を志向するのか、そして又どのような自分になることを回避したのか ” 。
これらについて自分なりに抱く自分自身の在るべき姿や目指すべき姿に関わる正・負の理想自己のハッキリとした方向性のあるイメージを形成することによる目的と目標が、” 自己肯定 ”( 肯定感 )を強く支えてくれる。
自らの努力で手に入れる自己有用感が自分の思考パターンを変え、また目標の達成感を覚えるのとともに自己肯定感を高めつつ再現性をも高めることによって、自分の存在意義を感じる自分自身へと大きく変わることができる。
” 認識 ” 又はそういう心の働きは生活での日常の体験の場にあり、その結果であると見て取れる日常にある未来の自分自身を考えるための手掛かりとしての課題とそれへの向かい合い方において、ともするとその観点が曖昧になりがちな「 自己認識 」は特に重要性を伴うものである。
人がその自分に対して抱く ” 認識 ” は、自分自身の理解のための「 自己認識 」の視座と自主性として十分に考慮することが求められる。
” 自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方 ” はこの「 自己認識 」から始まるのであり、重要なことは自己を構成する一つ一つの事実の関わりと ” 認識 ” と” 評価 ” とを明確に分けることである。
それは、自分自身のパーソナリティや個性を自らが経験することであり、意識とは自分の環境や身体やライフスタイルに自らが気づくことであるが、「 自己認識 」はその気づきを認識することである。
各々個人が自分自身のパーソナリティや感情と動機づけや欲望などをどの様に自らが経験し理解するかといったことでもある。
個々人の特徴は環境の影響を受けやすくなることがあり、行動の違いの根底にある個々人の性格の違いからして人それぞれ特定の人生経験が生じることを予測することもできる。
気づきがあろうがなかろうが人は、大抵は思い込み囚われるのであり、しかも思い込みに惑わされやすいのである。
自分の埋もれているものに触れることがもっとも大切であり、否定せずに認識も理解をもできず自分を見失いやすく現実自己と理想自己を知ることもなくては自分を知らない自分のままである。
本当の自分であり続けるために自分の秩序を維持すべきであり、理想自己の思い入れはともかくも ” 自分への配慮 ” による自己の志向性やイメージと計画などをもって生きてゆくべきである。
自主的に遅らせることなく瞬く間に人は、出来事などを切っ掛けに ” 自己変容 ” をしてゆくのだが、そのような歩みの中でいつしか自分自身と向き合う観察や価値観の解釈で不安と葛藤が生じやすい。
全き思惑は人として避けようがないのであって、要するにそれはそれでいいのである。
「 自分への配慮 」によって自らが志向する新たな自分の生成へ向けたその繋ぎ目を土台とした自分自身の脱皮にあたっては、自分からの様々な現実情報の自らの送受信により生じる変革への不安と葛藤などの様相も含め、自己再構築に関わる自己意識の様々な様相はこの先の自らの行動に対して直接影響を及ぼす。
実際に新しい ” 自分創出 ” の促進に加えて自意識過剰もあって自己変革過程に阻害も生じやすいことなどがあっても、いつしか自己視点をその人なりにもつようになるからである。
自己の内に潜在する可能性を最大限に発揮し具現化して生きることを考え、自分が成り得るものにならなければという欲求を持ちさえすれば、全て行動の動機が欲求に帰結され、人間は欲求を満たすためにそしてその人は行動するのであり、人間の最も重要な行動動機にある、
自分自身の課題は、「 自己認識 」としての ” 自己了解 ” からそれぞれ考えていくことができ、特定の見方や考え方に偏ったものではなく、” 本質観取( 見て知る看取 )による認識 ” は自らが見い出し合ったものとして、 このより深い ” 自己了解 ” のために常に絶えず新たな問い直しに自己は開かれている。
日常の行為の中での個人的な生活世界の様々な体験をもとにしながらも、そこに可能性の何かしらかを見出すことができるのは、本質観取が問い直しによって導かれ、そしてその問いに相応しい仕方で、どんな人の体験生活世界にも理想の構造を取り出そうとする「 必要且つ納得し得る自己了解 」を作り出す努力であるからなのである。
「 自己認識 」のもとに自己と他者の了解、これを通して『 地域を生きる ” 自分を活かす” 」を目指すことを目的とすべきである。
そのためには、 ” 自己創出 ” の方法としての判断を急ぎすぎると必ず誤ることになるであろうから判断を留保した上で、心の平静を得て自主的( 自発的 )に ” 生活地域が自分に立ち現れてくるその確信( 認識されること、または妥当すること )” の成立の条件と構造を問うて明らかにすることになる。
この様な自然的態度の思考及び行為と「 認識力 」とを、自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方として位置付け、それを” 実行 ” してゆくことが大切といえる。
この様に、認識を深めれば周囲の環境を理解し適切に行動をとるための基本的な能力に結びつくかを解き明かすことが求められ、自分自身の自主性による自らの「 自己認識 」と ” 自己評価 ” は密接に関わってくる。
” 自己評価 ” として自分自身が持っている価値や理想目標などに自らが注目すべきである。
自分自身にとって重要な次元での「 自己認識 」が ” 全体的自己評価 ” に関わっているとして、生活主体が各々自分なりのイメージを明確にし精緻なものにすれば、理想自己に照らした現実自己における理想自己と現実自己との差異( 又は正負 )は自分自身が自主的に自らに自分自身に対する ” 評価力 ” をもたらすることになる。
◾️ 次号 : Vol.04「 評価力 」をつける
地域性と共同性という二つの要件を中心に構成された ” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する地域コミュニティと融合する自己創出における活力の回復・増進と維持に向けた自分自身の未来を切り拓く「 潜在力 」を解き放つための多彩なアクティビティ活動の展開。
「 自己の創出 」と「 地域の創生 」とは、生きるに関する価値的・活動的な意識や意義の側面であり、 ”『 発創 』は兼ね合いの着地点 ” として既存のものを繋ぎ守り社会と個人が求める新規なモノ・コトへと仕上げることで生まれる。
自己創出のアクティビティと地域創生のエリアマネジメントとを伴い合わせれば、斉しく相応じて釣り合う同時進行により一遍にして連関の効果のみが見せることができる強固な完成度と持続度の有能性を備えることになる。
『 地域を生きる ” 自分を活かす ” 』と『 自分を生きる ” 地域を活かす ” 』
自分らしく日常生活を安心して暮らしたい自分自身での自主性はその地域街区に関わり、” 自己創出 ” は自己意識と自ら考え行動を起こす自分自身の自主性にあり、” 地域創生 ” は自らの意識( 当事者意識 )と意思( 意志 )や判断に基づき自らの責任のもとで行動を起こす地域街区の主体性にある。
この相対的な行動( また能動的で上位互換のようなもの )は一切の「 自立自信・自化自発 」の資にあるのも同じ。
人の同気相求として地域は人が集まる一味同心による同心協力にあり、それに相応しい存在の意義( その場に居合わせることにより生み出される価値 )あるものとして、自分を活かし自己の新しい意欲を引き出すアクティビティと街区を活かし地域の新しい活力を生み出すエリアマネジメンとを一様の尺度に依り時を同じくして起こし ” 創める( はじめる )” ことは同等の効果になるわけである。
・・・・・ 地域を生きる自分を活かし自己の新しい意欲を高めるのは圧倒的な努力であり、活動を生み出す力の活力は「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」として枯渇することはない。
重視すべきは原動力であり、「 努力の余力 」があってもそれを活力や力のいろいろとして用いないのは、努力した結果において求める地点に辿り着くといった努力を力の単一とした努力度と努力の成り行きである実利の成果価値をもたらす点だけを捉えているからである。
努力することによって産み出される想定外の「 努力の余力( 力のいろいろ )」に新たな価値があるといった努力するプロセスに価値を帯びる少なくないケースを認識してはいないことになる。
満足される「 努力の余力 」とは、努力が本来目指していた成果とは異なる価値として、努力過程にある副産物( 力のいろいろ )の価値を認めることによって得ることができる実利的な実際の効果価値なのである。
この「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」の効果価値がもたらす点を捉えて認識し、その効用の質を見直すべきである。・・・・・
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未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
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街区を活かす「 発創 !! 」
エリアマネジメント・フォーラム開催中
ー 地域資産価値の有効活用と効果的な修復向上・維持運営で守り育てる実践への主体的な取り組み方 ー
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” はじめに ” 10月 : Vol.01「 創生 」をはかる
趣意 : ” KANKE GRAND 日光 ” / OFFICE KANKE
編首 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光
→ ウイズ日光 With NIKKO 2023年9月創設号
” 大自然の命は待っている ”
〜 従来はそうでなかった日光での物事を始める 〜
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