3:創作工房」カテゴリーアーカイブ

4月:別物狙い「創作教室」

 

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

皆誰もに得意と不得意がある。
不得手は熟達しておらず自信がない苦手。

馴染んでいる方が簡単で容易くラクなので ” 得意なものへと逃げる ” が、扱い難い苦手なものでも不思議な力を持つものであり、明かに並外れていて予想外、知るだけの価値はある。

皆誰もがついラクをしてしまうのだが、変化する状況を見て取るならば予め満たされていなければならない前提や条件が一つでも違ってくれば全てが変わり、過去に学び知り経験した得意なだけでは成り立たない。

自らを置き換え補整(補正)する気持ちを持ちつつ、あたかも別物が生まれたような感じがする新しい自分へと頻繁にアップデートとして自分の自由な可能性(静かなる喜び)を得ようとするならば、” 得意なものへと逃げない ” ことである。

 

 

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※ 4月キャンペーン ” 置き換える ”

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※ 「 菅家塾 」: 菅原道真(菅家)家塾「 菅家廊下 」より命名

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※ 「 菅家名 」: 由来

 

 

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3月:試金石「創作教室」

 

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)、夢見月。

かつては冬眠していた可能性もあるだろう人間が冬眠の名残りのような冬の落ち込む気分もよそに冬眠する能力に代わって活動能力を持ったとしても、夢現(ゆめうつつ)の迷いからさめ気づきをもたらし目を覚ますまで人は悩乱する。
人は自らの生き方や行動に多少の用心注意を払うようになっても、人間は事情によって困難や惨苦と苦境などで苦患する。

いかに活動能力を得たのだとしても、感触しすぎて書かずに描かなくなった人間、清潔しすぎて掻かずに覚かなくなった人間。
成長や成熟はスイッチひとつでの画面(行動ではない操作)によって人は思い込みに惑わされ、人は自らの楽しく面白いという毒を入れる。
事情に合わせ状況に応じて自らに手心を加えて厳しさを忘れかけ、人は自らを不具合で不都合な人間だとも思いはしまい。

自分を大切に育て向上させるには、皆誰もがワーク ライフに自ら行動を起こしてはたらきかける能作人として創作人として備える自らが経験して得た感触が手先などに残っている身についた ” 技 ” のみが見せることができる強固な有能性を自らが見つけることである。

知的な技術や能力の合理的な変革に人間らしさと自分らしさを認め、知性に加えて感情や意欲などから連なる生活人に人間らしさと自分らしさを認め、自分の自由な可能性 ” 静かなる喜び ” を得ることである。

 

 

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2月:いとまのいとま「創作工房」

 

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

思い込みや執着固執などはないのだとしても、とかく集中しすぎると柔軟性を失いがちになるんじゃないかな。
そうなると選択や縮小もし難くなって整理をしようにも纏まりがつかなく、やりたい方向へ向かおうにも得てして拡張の機会を仕損じる事が少なからずやあるだろう。
要するに、気随気儘の無謀さは無きにしも非ずだが何事も流れに乗って広がりすぎた状況の中だからこそ柔軟性を喪失する集中は生じ起こるのであって、常に絶えず頭の中や身の回りなどを整理することは大切なことであり大事な切っ掛けでもあるのだ。
皆誰をもが本来の自分は何事も几帳面であって仕事や作業などの整理を常に行う人なのである。
それなのに逆に広がりすぎて纏めようにも現実に集中せねばならなく柔軟性を見失いがちになる。
そうこうしている内にどうしても選択や縮小などにより密度ある集約を行い拡張する ” 機(潜在的可能性)” に気づきを齎らすことができないのかもしれない。
これも皆誰がもっている本来の自分のスキルの高さならばスムーズに展望が開けるはずである。
なのに自らの取り巻かれた環境の現実に集中しなければならない実情があるからこそ柔軟性を失って現実から将来未来への展望を見ない、というよりも展望を見る暇(いとま)の「 意図間(いとま) 」が無いのだ。
頭や身を逆さまに振って必要なものと不要なものとに分別することさえすれば、何よりも潜在的な発展の可能性を秘めた良きにつけ悪しきにつけ ” 機(潜在的可能性)” による力能の発現へと向かうことができるというものさ。   
片付ける掃除整頓こそがもっとも大事な創造性を発揮するプロセスに全力投球できる力であり、不要な情報に紛れた無駄な情報整理に労力を費やすことなく、できるだけ余暇の合間を上手に作ることだ。

 

 

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1月:作り出す「創作工房」

 

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

寒さは身にしみるがいい。
そうでないと後で骨に沁みることになる。
寒さが血に沁みては取り返しがつかないだろう。
嘆くほど努力しただろうか、しかし努力だけではどうしようもない、無駄が要る。
自分に生きるのではなく、自分を生きるための人生は必要なことしか起こらない。
間違えないと、人生を間違える。
自らの本音と向き合うチャンスがあるだろう。
懸命にして知恵が出るか、中途半端にして愚痴が出るか、いい加減にして言い訳が出るか。
想い(目論見や推量)は要らない。
突き詰めれば、できるかできないか、やるかやらないか。

 

 

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12月:もう気沢山な冬の恋文「創作工房」

 

 

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” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

人は勇みがちな肌の気風を持っていて、互いに気の敵であるが人間にとって人間ほど有益なものはないだろう。
なのに人は何で敵愾心(てきがいしん)みたいなものを抱くのだろうか?
人は雰囲気として毒気をもっているが、人間にとって人間ほど無害なものはないはずだ。
ある特定の集まる人々に共通に見られる気質である気風という性質。
その人なりに備わっている心の気持ちの傾向である気立という性質。
生まれつきもっている性格である気立てという気性もあれば、人には ” 気肌めいたもの ” があるらしく、自らの心の持ち方である気立ての気肌としてその肌は気質や気性そのもので、人は肌が合わないのなら気が合わないのだろう。
心持ち気のせいで敏感肌が気になるのであれば ” 気にし過ぎ ” であり一度見直してみるほうがいい。

ややもすると人は気に掛け気にし過ぎて気が回り気が利き過ぎて気が張り、人に気を遣い過ぎ物事に気を配り過ぎるが、得てして人の気を削ぎ物事への気を挫き、全ては気が詰まることにもなりかねない。
様々に事細かく注意を払って問題にするもの全て悉く配慮すればするほど人の気力を無くさせ、物事への意気込みを失わさせ、気遣いして気を砕き、心気を砕けば砕くほどに全ては気落ちし意気消沈するだろう。
気は不可視であっても流動的に運動し作用を起こすのであり、気を揉めば少なからず発展性は望めず向上性は低下してゆき、人の力や技術などが以前より低くなりつつ物事が後戻りするリスクが付き纏い、気が無いわけではないので気が滅入ること間違いなしだが、あわや気を失うことにでもなれば元も子もないだろうに。
実際にはそうで無いのに自らの心の状態が原因でそのように感じられる ” 気の所為(せい) ” による思い過ぎで何かを行おうとする意気込みを弱めて気持ちの昂ぶりが萎えるようになるまで気を尽くし気勢を殺ぐよりも、もっぱら ” 気を添え気を注ぐ ” ことの方がはるかに将来発展していく可能性があり向上の見込みが往々にしてある。

気随気儘の振る舞いも無謀な勝ち気としてクセものだが、そうはいっても気兼ねはイケてないし、もちろん気が多くて心定まらず何にでも手を出しては変わり気の早いのもいただけない。
よしんば気が済む最上や最高までもは望まんとしても、退歩のリスクが潜む気の流れを避けて通りたいのであれば、” 気が乗る ” だけで物事が次第により良い方や望ましい方へ進んでゆき、気を持たせるるだけで優れた状態に向かい多かれ少なかれ気が置けないものへと進歩するに違いない。
気はもっと大事に遣うことであり、 とっても気が合う大切な気の遣い処を探して遣うがいい。
もっとも自己満足の酔生無死に至りたくはないのならば、恋い焦がれて気を配ることなく、あれこれと心が移しやすくて ” 気が多い ” 恋は実現するように「気を謀る(はかる)」ことだ。

 

 

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11月:全力人間「創作教室」

 

 

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” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

ためらい尻込み疑い迷って前に進まないよりも、” 惑わず、憂えず、懼れず ” 、決断決心して前に進むなら本気で思う存分がいい。
遅疑逡巡として、強行の無謀はいけない。
敢為邁往として、困難や支障を押し切って屈せずに最後まで成し遂げることだ。
思い上がりや勘違いで知者・仁者・勇者などと格好を付けずに ” 自分はできる ” といった可能力性を心機に顕在化することは力能によって可能である。
もともと有って無いようなものである潜在性なのだが、そもそも見込まれる可能性ならば ” 決めに行かない ” ことを意味することになってしまう。

不安と先行きの一点に気がかりな心配の思いを心に集中させれば唯一筋に執着が起きて不自由になる。
思い立つ発心は自らの心を説き伏せることで、心外無別法の心機づく心は心を立起させる。
自らをかけた慎みと潔さの妥協せぬ勇気の責任と謙虚さにある心の怯み動揺のない攻め強さと心の誤り不覚のない注意深さの発心こそが、未来効果を眼界展望する力能の発現である。
自らの心の有り様は一転語 ” どうであるかは自分次第 ” として、死にもの狂いの躍り狂いよりも、 自らがもっている限りの ” 有りったけの力 ” といったことへの気づき洞察は、はるかに未来を豊かに孕み展望に富んでいるといえる。

 

 

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10月:心を生む「創作工房」

 

 

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〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

月と満ち欠けする頭、狼と太り痩せする心。
愛は脳を育むが、心で脳は変わらない、脳で心は変えられない、心泣かすな頭冷やせ。

才能と運と努力の中で、月と満ち欠けする頭、狼と太り痩せする心。
起こりう得ることは当然なのだが起こり方が異常である如何ともし難いことに際し、もしや敢え無くなることに関わる ” よく知りもしない ” ことの奥深いところに手で幕をかけていれば、いつしか不安の恐怖が濃くなるように欲望は薄まってゆく。
そうして新しい沸騰ごとなき結局に ” 熟成の終わり ” を見ることはかなわず、ただひたすら証明される未来は唱えられるだけで終わる。

静かに知恵によって一切を観察し物事を深く考えることをする経験や知識は情報から自らの拡張と創造との機会を得るのだが、自らコントロールしえる箱庭的な分かっているだけでよく知りもしない世界に逗留し続ければ経験や知識は長命となり、試されない経験と知識は自らの行動の拡大拡張を望めない代わりそこで働き生き続けるだろう。

だかしかし、それをどうにかしようとしてみても、知能が頭をやつれさせても脳は筋トレによって活性化できるが、脳による行動選択という欲望と恐怖の発生消滅に際し心の不安や葛藤にまったく遭遇しないわけにはいかず、精神が胸をやつれさせた心は筋トレによって活性化できない。

人間の知ることの情報や知識を捉えるならば解釈でなくそこに価値あると自らが信ずる意志であり、その情報や知識の真なる条件を見て取るならば、それは生きる中心に据えた自らの行動により測られ、認識や物事を深く考える思考と信念は行動を導くのと同時に行動を通じて自らが改造される。

何を知っていて何を知らないのか、問題の解決や課題の対応ではなく問題や課題そのものを発見するに相応しい力が必要なのであり、前向きな心をつくり出すことである。
複雑さや速さと正確さなどの行動によって測られるその適当性・適正性の能力は、気ままの能力、気晴しの能力、奇天烈な能力、繰り返す能力、継続する能力と同じことがいえ、その中心となる探求する能力や探究する能力 にまつわる何か、ということかもしれない。

問題解決や課題対応ができる力ではなく、問題や課題の発見ができる力を能力者たちこそが、如何ともし難い些か憂鬱な立ち往生と戦い、心のままに現実を直視し守り備え、人と人のコミュニケーションから遮断されることなく誇らしげに直立した未来への先駆者なのだろう。

 

 

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9月:やりすぎ「創作工房」

 

 

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〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

……………… 最も強い者が生き残るのではない。
最も賢い者が残るのでもない。
唯一生き残るのは変化する者である。………………
C・ダーウィン「種の起源」

大きな顎(あご)は戦いの兜(かぶと、冑)についている鍬形。
特定の環境に最適化は限りない特化であり、環境変化に対応できなくなってしまう。
過去の実績や成功体験といった環境に適応すぎ垢抜けせず、やりすぎという完成度の高さが足枷となる過剰適応は外部環境の変化に乗り遅れることにより天井を打ち尽き果てゆくだろう衰退の警笛となっている。
イノベーションを起こすならば古い殻を文字通り破ることであり、それは解体された状態となり、守株的なものから見れば破壊ともなり、しかしそれに一歩踏み出せるかどうかが新たな価値を創造できるか否かの分かれ目になる。
人間は変化に対処することがひどく苦手であり、現在の居心地に良いやり方に安住しまい、現状の延長線上で何かを作ろうとする傾向がある。
安易な姿勢は ” 反応を衰えさせ ” 、それが将来の失速に繋がってゆくのであって、現状からの変化に順応することが不得意であるならば環境適応に失敗せざるをえないことになる。

人間の思考は常に絶えず何らかの思い込みに基づいているのであり、認識的な布置が過去の実績や成功体験といった環境に過剰反応すると適応能力を締め出し、成り行きは残念にも未開に開化(かいげ)せず未知を末路として辿ることになる。
過剰反応は続くために特に注意が必要であり、可能性があっても過剰適応を改善しなけば、過剰適応ではまったくこれまで見たことのない驚きに満ちた世界を創作することはできない。
新しい何かを創造して作る行為としての創意工夫であるイノベーションとそのジレンマ。
悩んだきり前に進むこともできず、これまで作ってきた形を超え出ることができない。
何らかの状況に相応しいことや合致している適応もやりすぎとして人間が自ら作り出した思い込みに基づく思考や事物などが逆に人間を支配するような疎遠な力して現れ出ることは、自らの可能性を疎外することになり、創造して作る知識の在り方を特定付け影響与える知の枠組みは自己主張をより強くすることになってしまう。

おおよそ主張とは、口に出そうが出すまいが判断であって、自らに関する直感的(直接的)に感じる物事の今と今後にある現状と変化であり、現状把握と目標設定として多くは最初直感的に先を見透した後にそれに達する論理的な経路を組み立てたものにすぎない。
その自己主張とは、自分の主張が一方的にではなく、他者(相手)を尊重しつつ適切な方法で自己表現を行うことであり、互いを尊重しながら意見を交わすといったアサーティブ・コミュニケーションにある。
アサーティブな自己表現とは、自らを押し殺さず相手に合わせることもなく、自他ともに許容し大事にするよう心掛け折り合いをつけてゆく中で現状を変える具体的な行動を考え実践することだ。

可能性に気づき、新しい切り口や捉え方と新しい活用方法により何かを創造し作り出す。
” そういえば、やってなかった ” ことをしよう。
自分を取り巻く環境が変化する中で枠組みを超えて正解を求めず自主的に、自ら学ぶ(リスキング)ことだ。
新しい心を持ち五感をフルに活用し、学ぶことと自分との楽しく面白いといったその意味を感じ、自由に荒唐無稽なものを考え、心からリラックスする時間を楽しむ。
あるものの良さを活かし、もっと新しいものを生み出す。
どうやって作るかではなく、何を作るかを考えることだ。
そのように自らに直接働きかけることによりバランスを整えることができ、楽しむことがいい発想を生むことにつながる。
自らの成果に直結する気づきのスポットといえば穴場はコミュニケーションであり、相手を選好するなどして偏るようなことなくコミュニケーションを交わし、自らが新しい心を持って気づき、自らが変わり、自分の楽しく面白いを見つけることだ。

 

 

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8月:前進あるのみ「創作工房」

 

 

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今まで考えつかなかったような独自性の強い新しい思いつき。
独創的な考え方や新しく考え出した意見や見方。
いつの時代でも工夫という方法や手段はいくらでもあり、何でもいろいろな案出を試みることだ。
前進が創意を煽るのではなく、創意が前進を駆り立てるのである。
追い詰められた思考の繭の中にくるまれ燻るかぎりは、やれるところまでやり尽くしやり抜く。
自分の思考で自分自身をどうにでもできうるということは ” 物は考えよう ” ということであり、目を向けた先に思考を超えた力があるからには、清らな前向きの流れを持つような働きに向き、はじめて自分は自分自身を操ることができるだろう。
この時代は、よい方法を見出そうと気ちがいのようにイノベーションとやらを追い求めて自分軸に挑み新機軸を打ち出そうとやけに力むが、そのように小難しく考え理屈をこねるなどして意図の本質からズレてしまっては元も子もない。
暗に晦(つきごもり)、頑なに目指さなくてもインスピレーションやアイデアの原動力と思考の一助ならば ” 快活 ” な好奇心や探究心と自信でしかない。
混乱せずに推敲して洗煉され磨き上げるのはその先のことだ。

 

 

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7月:問答無用 ” ゼロモード ”「創作工房」

 

 

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神代の時代から世の中にはゼロもなくイチにするものもない。
対象に対してイチが関係する他のものに及んだ新味としてその変化はもともとあったものの価値が擦り付けられて作り出されるにすぎない。
変化を求めゼロからイチにする能力を高めて新しい物や価値など何かを生み出すゼロイチを通じた再開の裏には転嫁(二度の嫁入り)バツイチがある。

広い範囲で望ましくない非適応的な出来事に関係し、人は自らの調整能力が損なわれるものの、枯渇や消耗がゼロになって生じるこれを打ち消す力は様々な状況において有益となる。
すなわちゼロ経験は有効であり、その経験によって得られるパワーは有益であるということだ。
ゼロになるということは転機が訪れるということであり、そこには本質的なパワーが存在する。
ゼロを分岐点にして根本的な機転(気転)が利くという本来的な才知を得ることができ、その才知の力は自らのコントロールの克己や自制の力によってもたされる知恵の働き才覚でもあり、より前向きな気分は自らの枯渇や消耗の影響を和らげ回復させ、さらに自らの調整能力を向上させ、状況に応じて適切に判断することができるその潜在能力は、より建設的で機敏な心の働きとなる力能である。

”自分はできる”ということに動機づけられた可能力性によって顕在化する可能性としての力能は対他的に主体の支配力であり、心の決定を心に生み出すものとして自らの心に与えられている。
発現へと向かった可能性としての潜在的な力能は必然性をもち、自らの観念が置かれた心に受入れられる対象とされるが決して沈黙した無力な存在にあらず力能という雄弁な性質を具している。
力能を切離されたならば観念を顧みられることのない影の如く、ときどき心へ現れるままに任せれば自ずとこれに注意はしない。
変化や再開を複雑に考えたがる人が逃げているのでなく、逃げたがる人が変化や再開を複雑に考えているだけなのであり、スタンドポイントから自分の楽しく面白くを導き臨むことだ。
自分なりの変化や再開のスタンスによるポイントオブビューは固執した当たり前を見直すべき見所であり、実はやりたい事をこんなにも沢山持っているということに気づきさえすればいい。
神様も知らない意想なんかあるわけもなく、創意工夫してこそ自分の楽しく面白くを覚える意想だとして、刻意をもって深く気を配り、心を砕き苦心することだ。

増すのが変化、変化は未知。
常識や前提知識の思い込に惑わされて直面するのは、解決にあたっての問題が難解、対応にあたっての課題が複雑。
既存する枠組みでの捉え方や考え方に縛られ、柔軟な発想や奇抜な着想ができなくなり、糸口を見つけようにも見つからない行き詰まり感。
マイナスなどを負っていたならば、プラスなどへ勝れるわけがない。
過去を引き摺り半ば現実に溺れているよりも、物事の是非を判断できず半ば愚鈍の愚連になるよりも、どのみちスルーする頭の働きは ” 才・運・力 ” 、ならば、創意工夫の意想による刻意求自の望刻としてやってみるといい。
たんにスランプなどでなくても、あるいはプラトー現象(高原・高台現象)で伸び悩み停滞するなどのようなとき以外でも、もっとも不断にして慣れ状態にある通過点としても、やってみるべきは、全てを白紙に戻し、軌道を変えるべくゼロから出発してみることだ。
新しいアイデアを生み出し、素晴らしいインスピレーションを浮かばせるために、代わり映えしない定常や行き詰まりの延長線上で捉えたり考えたりはしない「 限界の一望 ” ゼロ・ワールド ” 」。

発想着想は変化にあり、価値観は大いに変化する。
変化や再開は縛られるルールが一切無い感覚的思考、有るのは広がるスケールの感覚的思考だけであり、前進を止めれば問答無用のノンストップルールと枠組み外しのスキームアウトによるスケールアップでしかない。
人は迷う能力に加えて試す能力がとても大切だが、意識していない遊ぶ能力がもっと大切であり、革新的なブレークスルーというものは異なる視点にもまして異なる暗黙知が交差して生まれる。
主観や先入観にとらわれずに画一的な視点から幅広い視野へ向かい分析・判断し、隠れたものが見つかるだろう。
深く心を配り、心を砕き苦心し、気づきに却って予想とは反対になる逆さまの感じを刻意に添えつつ素直に新しい捉え方や考え方を受け入れられるかどうかは自分次第。

 

 

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