KANKE 塾 : 自己プロモート

 

 

SELF REVITALIZATION

- 街・人・仕事 full of activity -

 

 

「 ” With NIKKO ” 」ウイズ日光

      〜 大自然からの提案 〜

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

 

 

The Harvesters, 1565. ieter Bruegel (also Brueghel or Breughel) the Elder. The Metropolitan Museum of Art, colloquially referred to as the Met, is an encyclopedic art museum in New York City.

 

 

   ー 地域を生きる自分を活かす ー

 

KANKE 塾:” 自己プロモート ” 開催中

   Self-development

 

未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点

「 実現可能力性 」への ” 潜在力 ” のすすめ

  - feasibility of self strengthening –

 

” 自分への配慮 ” という大切な活動によって自己の発意と創造の志向性とその可能性に勇往邁進しよう

 

 

→ アクティビティ : エッセンス《 趣旨 》

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総論

……… 人間ひとり一人の個を尊重する多様性の時代、様々な価値観を共有しつつ複雑化・多様化する社会。

時代の潮流( 変遷 )に伴う社会環境の変化に対応すべく、自ら人生の目標や価値観を認識・評価し、潜在能力を発揮するためのスキルや自分の資質などを継続的に高める自己の開発( 又は個人的な成長 )が欠かせないものとして提唱・推奨されている。

自分の成熟度や成功と満足度などを左右するとものとして、多くの人が自分自身を高め目標を達成するためなど生涯を通じて能力を身に付け自信を持つ上でも役立つ自己開発スキルを磨き、プライベートにも仕事にも有用な日常生活の一部として様々に活用している。

多様性に適応するため多様化の意識に導かれる中で自分の本当の在り方は、一般社会に存在する自分自身の成長( 自己の向上 )に関わる役立つ資質や能力など自分の可能性を最大限に引き出すことによって( 自己開発スキルによって )高い能力や大きい成長と充実した生き方や優れた人格などを獲得することができるといったより高い段階へ上昇させようとする等々その他、自分自らの自主性に基づく ” 自己力 ” を伴う活動による自律的で持続的な自己創出を想定している。

自己の創出といったものを想定して比較できうるその自己の目録は ” 自己力 ” としての自分の性格でもあり、” 自己潜在力 ” に伴う ” 自己力 ” による個々人それぞれの生き筋の道程といったものは、自分の性格を備えた自己の在り様でもある。

自分自らの意思によって意図するものにあくまでも忠実に止まることを知らず、自分自身の筋立てが一体どのように成り行くのか自分自らでも決して知らないということになる。

自己の性格をもって交じり合った現実世界のうちに置かれた自分自身の状況からくる自分自らの慣れた狭い見方といったような癖があるということをも知らずに、如何に自分自らがその状況に殆ど半ば巻き込まれているかということさえも知らない。

そうして常に絶えず、完全なる客観性は実際に全て不可能であるということなども到底知らないままに、” 自己潜在力 ” に伴う自分自らの自主性に基づく ” 自己力 ” を伴う活動による自己創出の想定というものは、自己の性格に因り成り行くのである。

自分の表面に表れていない自己能力や自己成長する力である ” 自己潜在力 ” は自己を変革する原動力となるものであり、個々人ごとの特性を活かす上で人それぞれの ” 自己力 ” やマインド スキルを見定めていくことが特に大切となってくる。

引き出された ” 自己潜在力 ” ともいえる ” 自己力 ” を伴う自分の活動に対する素質や適正とは、自分の能力や才能と自分が持つ独自のスキルや適応力であり、自分が特定の技能や知識などを習得するための自然な能力や適正でもある。

人の皆誰もがいずれはいつしか自分独自の視点やアプティチュード( aptitude )をその人それぞれ自分なりにもつようになってくるのかどうかに関わることなど自分次第のことなのである。

我々が普段何気なく暮らしている多様な日常生活を支える基本にある光景の文脈には、生活主体として主体的に社会構造に関与していく行為により構造化された諸行動様式の集合の構造を伴う” 自己力 ” という広がりや大きさをもつ壮大な物語がある。

” 知は力なり( 力は知なり )” として自分自身の考えを構造化する切っ掛けなどを暗に教えられることを多く含み、自己の伸びを強力に諷示している。

この物語は見るものに新たな視点を与えたとき、そこには自分自身としての潜在性や可能性の示唆に富むメッセージがあるはずだ。

人それぞれの特徴を持つ生活時間 / 生活空間 / 生活環境 / 生活周期 / 生活情報などの諸要素の関連性を読み解き自分の特徴を深く知り、特性としての多くを自己理解し受け入れつつ自分の価値観や考え方( パーソナリティ )など自己の確立が不可欠。

地域社会において最も基礎的な行動単位で、各々が従来型の共同体に縛られることも孤立することもなく他との繋がりを充実させ、自己を活性化することで多様な価値観に応じて関わり、各々が役割を持って地域を成り立たせるために自主的に参画してゆく一個人。

「 自分 」という部分が生活主体と社会構造との連結点に位置し、生活主体が主体的に各々そのものだけが持つ有意な性質の特性に応じて関わり役割を持って社会構造に関与していく行為により構造化された中で、生活する与えられた生命維持や健康促進に止まらず含められたより良い充実したものへと高めていく主体的且つ創造的に活動する自分の潜在的に持つ力を強めポテンシャル( 将来の可能性・成長性 )を高める。

自己創出における自分の型を意識した自分の良さの再発見のそれは、自分の潜在力と在るべき姿を見据え再確認しながら特別な体験に特別な発想を仕掛けることなく今の日常の平穏さをさらに再確認する中でのアクティビティ活動により独自に付加価値の創出を目指す繋がりの再評価。

目標達成への自己開発スキル型やパフォーマンス的で成果的な発想の延長線上から抜け出す脱却は、当たり前の日常と受け止められていた多くの普通の事柄を新たな視点から再評価しつつ新しい方向に進む機会。

自己の啓発という言葉は、今では空疎な見せ掛けに底が破れ鳴く期限切れの死語であり、決して文明的ではない。

自らをかけた慎みと潔さという決して妥協せぬ勇気をもって絡む自己創出に伴い、絶えず自分自身を産出し続ける ” 地域を生きる自分を活かす『 発創 』( 発意と創造 )” の「 移行物語 」は、夢のまた夢とは程遠く、自己の冴え渡る ” 自覚 ” において、いままで潜在していた駆り立てられる行動と感じ取った外界の刺激の意味付けが働き始め、理解が及んで自己本来の姿に立ち返る。

自分自身を見詰める柔軟な姿勢の鮮やかさとともに、自分を生きる誇りと意義は決して失われない。………

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提言

……… 人が環境をつくり、環境が人をつくる。

『 自分への配慮 』と『 地域への配慮 』という大切な活動によって自己と地域の志向性とその可能性に向かい超え出でる。

地域性と共同性という二つの要件を中心に構成された ” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する地域コミュニケーションや地域コミュニティと融合する ” 自己創出 ”。

地方とは何か 、、、、、
地域とは何か 、、、、、
地域活動の目的は何か 、、、、、

地方地域は ” 組成する仕組みの構造 ” をもち、それぞれ地域としての地域社会や地域文化がある。
個の集団としての地域と地域の集団に存在する個において、「 地域を生きる自分を活かす 」と「 自分を生きる地域を活かす 」。

人間自身と同じく地方地域の創成以降、” 潜在性において常に絶えず地域は生成中 ” なのである。
人間の行動は、各人の主体的な意思だけに基づいて活動するのではなく、地域社会や地域文化をもつ地域を組成する ” 潜在的 ” な仕組み( 地域構造 )によってコントロールされている。

自分自身の活力の回復・増進と維持に向けた自分の未来を切り拓く「 潜在力 」を解き放つための多彩な「 自己プロモート( 自己発展力 : 発想力と展開力による )」 活動とその展開。

” 自己の創出と地域の創生 ” は、生きるに関する価値的・活動的な意識や意義の側面であり、 ”『 発創 』は兼ね合いの着地点 ” として既存のものを繋ぎ守り社会と個人が求める新規なモノ・コトへと仕上げることで生まれる。

自己創出の「 Self-development 自己プロモート( 自己発展力 : 発想力と展開力 )」 と地域創生の「 Community-development 地域プロモート( 地域発展力 : 発想力と展開力 )」 を伴い合わせれば、斉しく相応じて釣り合う同時進行により一遍にして連関の効果のみが見せることができる強固な完成度と持続度の有能性を備えることになる。

” 地域を生きる自分を活かす ” と ” 自分を生きる地域を活かす ”『 発創 』( 発意と創造 )

自分らしく日常生活を安心して暮らしたい自分自身での自主性はその地域街区に関わり、” 自己創出 ” は自らの自己意識や意思( 意志 )と変化への原因となる捉え方と考え方の道因や素因である「 判断 」に基づき自己責任のもとで行動を起こす自分自身の「 自主性 」にある。

” 地域創生 ” も同じく地域自らの意識( 当事者意識 )や意思( 意志 )とその様な「 判断 」に基づき地域自らの責任のもとで行動を起こす地域街区の「 主体性 」にある。

この相対的な行動( また能動的で上位互換のようなもの )は一切の「 自立自信・自化自発 」の資にあるのも同じ。

人の同気相求として地域は人が集まる一味同心による同心協力にある。

それに相応しい存在の意義( その場に居合わせることにより生み出される価値 )あるものとして、自分を活かし自己の新しい意欲を引き出す「 Self-development 自己プロモート( 自己発展力 : 発想力と展開力による )」 活動と街区を活かし地域の新しい活力を生み出す「 Community-development 地域プロモート( 地域発展力 : 発想力と展開力による )」 活動。

この二つの活動と展開を、一様の尺度に依り時を同じくして起こし ” 創める( はじめる )” ことは、同等の効果になるわけである。………

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所説

……… 人が地域を動かし、地域が人を動かす。

・・・・ 想定外の「 努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」
努力することによって産み出される ” 複利の活力 ”
努力行為の本来目指す当面の成果とは異なる価値。
努力過程の副産物である ” 潜在的 ” な「 可能力性 」

” 主体性 ” は ” 自律性 ” を発揮する原動力となるものであり、主体力と自律力を具え保つ「 主体的自己 」としての自己それぞれ自己意識( = 欲望 )は、主体自らの ” 確らしさ ” によって動機づけられた実践的な可能性( 確実性・実現性 )を自らが確信( = 努力 )して実現する力強い ” 力動 ” である「 可能力性 」という『 自己強化 』に向けた「 実現可能性( feasibility : フィジビリティ ) 」の ” 力性 ” をもっている。

その力動的解釈は、創造力と可能力( ケイパビリティ : capability )として主体の潜在性( 潜在力 / 潜在能力 )であり、出せる力のうちのおもな力として中心となって力を発揮し、今ある状態から他の状態へ移っていく ” 移行 ” の実質的中心として、この自らの『 才腕力 』の事実を、「 己が者 」というその自分自身の自己利益( 実利 )のために主張して援用される ” 力性 ” なのである。

「 己 ( おの )が為 ( じ )為 ( し )」

自らをかけた慎みと潔さの妥協せぬ勇気。

それぞれに自己能力をもつ「 己が者 」は、己を知り得る者として己達せんと欲する者。

” 自分 ” というその自己自身のことは、自身に直接関係するその自己( 自己能力をもつ己が者 )でしか分からない。

その己が者は、自分自らの地域的広がりに共通してみられる生活様式( way of life )という自分という存在の独自性( identity: アイデンティティ)の自覚をもって他とは関係なく自分ひとりに従事し、その能力が高く、その技術に優れ、専らその生計を立てる手段として自らに携わる自己として、主体力と自律力によって自分事を成し遂げる知恵や能力の『 才腕力 』をもつその自分自身において「 プロフェッショナル( professional )」なのである。

この自分自らの才腕力の働きとその作用にある力動は、特に傾向や方針などを違った方向に変えたり別なものに変える “ 転換 ” ではなく、自己自身としての『 発創 』( 発意と創造 )の「 移行物語 」であるように、今ある状態から他の状態へ移っていく ” 移行 ” の実質的中心として、この才腕力の事実を ” 自分 ” というその自己自身や己が者の利益( 実利 )のために主張して援用される ” 力性 ” なのである。

自らの状況や事態に対処できる能動的な力によって自ら目的を成し遂げるための必要な行動を上手く遂行するために、自らの ” 確らしさ ” によって自らの可能性を自ら確信し自ら実現する「 実現可能力性( feasibility )」の ” 力力し( ちからぢから・し )” 努力の力感に『 束ねる意識 』という大事なコントロールこそ、” 努努( ゆめゆめ )” 忘れるべからず。・・・・

『 人は地域を創り 地域は人を創る 』

個の集団である地域は、幾多もの人間( 要素・成分的 )及びその量の割合による ” 組成 ” 構造によって一つの地域として組み立てられており、それぞれ地域としての経済・社会と文化がある。

取り巻く環境の変化に伴う ” 人口減少と地域経済縮少 ” などによる構造的な問題は、人間と地域の疲弊と大きな課題を招いている。

実に ” 地域事 = 自分事 ” として感じ、考え、動き、状態をよりよくする為に努めて力を尽くすにあたり、課題解決の糸口として考えられる潜在力を引き出し持続的可能性を ” 生成 ” していく最もよいやり方を探す「 力法 」は、実に ” 地域力 ” と ” 自己力 ” とに同じようなことがいえる。・・・・

” 地域を生きる自分を活かす ” ことにより自己の新しい意欲を高めるのは圧倒的な努力であり、活動を生み出す力の活力は「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」として枯渇することはない。

重視すべきは原動力であり、「 努力の余力 」があってもそれを活力や力のいろいろとして用いないのは、努力した結果において求める地点に辿り着くといった努力を力の単一とした努力度と努力の成り行きである実利の成果価値をもたらす点だけを捉えているからである。

努力することによって産み出される想定外の「 努力の余力( 力のいろいろ )」に新たな価値があるといった努力するプロセスに価値を帯びる少なくないケースを認識してはいないことになる。

満足される「 努力の余力 」とは、努力が本来目指していた成果とは異なる価値として、努力過程にある副産物( 力のいろいろ )の価値を認めることによって得ることができる実利的な実際の効果価値なのである。

” 知は力なり( 力は知なり )” として、この「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」の効果価値がもたらす点を捉えて認識し、その効用の質を見直すべきである。

” 問い直す ” ことは、自分自身の本質に迫る行為であり、自己の発意と創造の志向性とその可能性にある新たな自分自身の姿や自己の内に眠る「 潜在力 」に気づき、次なる問題や課題を生み出す切っ掛け( 契機 )にもなり得る。

人間は何かに慣れると、どんどん安易に物事を判断する方向に流れていくのであり、普遍的に大切な ” 問い直す ” ことを地域において今改めて強調する理由と背景にある危機感を捉えることである。

「 判断 」とは、” 知る ” ことを意味する。

「 判断力 」は、決める( 決断 )力ではなく ” 知る力 ” であり、「 思考力 = 実現力 」に伴い進化や変化するための「 判断力 = 変進力 」でもある。
そもそも力とは実体の無いものであり、力は総じて ” ヒント ” であるにすぎない。

” 力の糸口 ” とは、発想の起点や展開の起点或いは着想を得る起点など突破口であり、問題解決や課題対応などをするための ” 期待でき得る力の働きとその作用 ” があるとするものである。

物事を展開させる切っ掛けとしての「 努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」は、どれも単一の力だけでは効力に及ばず、付随して伴う力とともに力発揮調整ができ、本来の力とは異なる力に転化するなど、変化( 転換 )のみならず進化・発展への変進力として効果を及ぼすことのできる力となる。

どのような場面でも力の合成と分解( 合力と分力 )規則性が隠れており、力対の偶力や平進力・回転力など、期待される力の働きとその作用の求め方次第で問題や課題を理解・解決するための多様な手掛かりとなる。

「 力 」とは、目的・目標を達成するために行う行動の仕法( 仕方 )のみならず、目的・目標のために尽くす力の働きとその作用として能力を用いた「 法 = 方法 」であり、目的・目標を達成するための ” 解 ” を求めるために「 方法 = 手立て・やり方の法 」を ” 生成 ” し駆使して自由自在に使いこなすことを意味するものである。

一意攻苦の奮闘に励む精神論のみならず「 努力 」は、目的・目標の自由度を制限せずに最適化を行う ” 手立て ” としての「 力法 」であるといえる。

「 努力の余力 ” 力のいろいろ “ 」は、正にこの ” 力法( 手立て )” の数々を指し示している。
努力する行為は一つの ” 技術 ” であると捉えることができ、努力の対応を巧みに行うために役立てさせる方法・手段としての「 力法 」なのである。

仮説提起的に発見に資する正解に近い解を見つけ出すため、もしくは論理的に厳密で必ず正解に辿り着くため、予測が不可能な状態である ” ランダム ” において、自分で自分自身にその「 法 = 方法 ( 手立やり方の法 ) 」を与える ” 自律性 ” と、状況を有利に運ぶ ” 計算性 ” とによって、発見法と思考法など多岐にわたり「 生成 」され初めて可能となる。

行動の仕法( 仕方 )とともに、総じて力の力法( 方法 )というものは、解を正しく求める ” 手はず・手順・処置 ” といった様な手立ての手続きであるともいえる。

” 力というのは常に一対に現れる「 相互作用( interaction / Interaktion : インタラクション )」” であり、相互作用というアクション( 行動 )として一方的ではなく、双方向( interactive : インタラクティブ )でやり取りを行う相互作用( 交互作用 / 相互交流 / 相互行為)における全ては ” 力のつり合い ” である。

「 力点 = 主眼点 」として、相互作用のつり合う ” 均衡の効力( 力の効かし方や効き目 )” は、対力と偶力・合力と分力・並進力と回転力などを捉えた「 活動 = 相互作用 」における力の転換( 力点と作用点または着力点など )であり、物事の認識や理解と発想などの仕方でもある。

インタラクションという「 相互作用 」は、” 根本にある発想が同一 ” であり、” あらゆる枠を超え( 枠組みを超え )” その根本概念は共有されている。
“ 相互 = 間 ” で行う(する)という二つ以上のものが互いに作用し影響を及ぼし合い、相互作用というアクション( 行動 )として一方的ではなく、インタラクティブ( 双方向 : interactive )でやり取りを行う相互作用( 交互作用 / 相互交流 / 相互行為)のことである。

互いに作用し影響を及ぼし合う ” 連繋 ” または「 連繋思考 」によって ” 枠を超えて力を繋ぐ ” ことは、価値観の共有や多様な状況統合としてその効果の構成は複雑ではあるものの、 ” 越境 ” において互いの価値観の共有や新しい価値観を生み出すことができ、変化し進化していく「 変進力 」が見込まれる。

「 相互交流 」の一定の範囲の中に包み込む ” 包摂 ” の関係づくりであり、価値観に包括される従属関係はその交流範囲から異種・多種を受け入れ取り込んで進化したものの形成である ” 複合 ” を形成することにより ” 変化に対応(適応)し進化する力「 変進力 」” をもって新しいものに発展させることを意味するものである。

「 思考力 = 実現力 」や「 判断力 = 変進力 」とともに、大きな変化について広い視点で深く構造的に考え理解する力を高めて更に知識・認識( 把握 )を深める「 理解力 」は、幅広さと深さを伴う変化への対応策( 解決策 )を導く「 転換力 」となる。

” 理解 = 発想 ” であり、「 理解力 = 発想力 」を活かして行動へと一歩踏み出した ” 創造力 ” とともに可能性を広げる転換思考に伴う ” 発想の転換 ” は、” 力のいろいろ ” の「 あらゆる力の転換 」そのものといえる。

総じて力は、自分の ” 外部 ” との関係によって円環的に働き作用( 作動 )する結果として発現する潜在性( 又は共同的潜在性 )と活動性の志向的且つ潜在的な力である「 力能 ( 力量や実力と能力や才能 )」というの視点をもつのとともに、固定的・先入的謬見を解きほぐし活動の高まりや広がりを生じさせる変化への ” 変進力 ” をもたらすものとして捉えられる。

糸口( ヒント )の力の働きとその作用には、主観に囚われ思考を拘束することなく、或いは固定・偏見的な考えにより自由な思考が妨げられることもなく、状況や変化に応じて適切な判断を下し行動できるなど柔軟性があるのと同時に、一方では固定観念や先入観などが影響を及ぼすものともいえる。

枯渇することのない基礎力や努力はもとより、努力過程にある副産物の価値「努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」も鈍く衰えてくるのではなく、全ての力は総じて相応しい力としての働きとその作用は凝り固まったり偏ったりするなどして劣りやすい。

人は誰もが固定的謬見や先入的謬見( 偏見、先入観、誤り、思い込み )に陥りやすく、特に ” 思い込み ” によって変化への原因となる捉え方や考え方の道因や素因である「 判断 」を誤りやすい。

どの様な時でも全ては ” 認識 ” することから始まり、どの様な事柄で全ては ” 認識 ” したからこそ始まり、思考や判断と理解などによって知識・認識( 把握 )を深め適切に行動をとるために最も大切な「 認識力 = 行動力」であるといえる。

一つの課題の内容の質と量は時々刻々と増加・変化するのみならず、課題は更なる課題を孕む。

・・・・・ 自己自身を取り巻く状況の変化が激しく、当たり前にパラダイムシフトが起こる現代では、地域的広がりに共通してみられる自分の進める生活様式( way of life )” や自己独自の強みなども、普遍的なものではなくなった。

主体的自己( 又は主体的地域 )の主体意識( = 欲望 )として、主体自らの ” 確らしさ ” によって動機づけられた実践的な可能性( 確実性・実現性 )を自らが確信( = 努力 )して実現する力強い ” 力動 ” である「 可能力性 」。
創造力と可能力( ケイパビリティ : capability )として主体の潜在性( 潜在力 / 潜在能力 )であり、出せる力のうちのおもな力として中心となって力を発揮するだろう。

主体自らが考えたり判断したする際の思考の及ぶ範囲である地平は、主体自らの努力能力に基づく実践的可能性である「 可能力性 」によって開かれ、” 力性 ” は主体自らの ” 確らしさ ” に付き従う ” 力のいろいろ ” が付随して生み出される。

力動的解釈として「 力は力で形づくることはできず 力は力で生み出される 」、という力性のパラダイムシフト。

今までの形成的思考・発想から脱却した ” 生成的思考・発想 ” は、主体的地域内のスペシャリストとジェネラリストとしての強み( 生得の才能・能力・特性・資質及び成果を出すためのスキル )の一つとして捉えて戦略的に発揮できる。

変化を閉ざし意味を失い形骸化する形づくりに引き出される実現課題の ” 形成系 ” により日常性を規定して活力を奪われることなく、生み出される質量に相当する力という考えを固めるならば活力が満ち溢れる課題実現の ” 生成系 ” の出現は日常性を大きく変えるだろう。

意図しない状態へと気力を失くす無意識のうちに生じている ” 偏りのバイアスや固定観念による先入観と枠組み ” などを取り払い、物事を多角的に見る視点やイノベーションを起こす行動力など、時代に合ったものの見方や考え方を変える転換 ” 地域の存在価値へのパラダイムシフト ” によって新たな「 自己価値創造 」をもたらすことだ。・・・・・

「 主意自己力 」は、形づくりの形成という従来型の ” 可変的な形成創造 ” から、新たに生み出し生み続ける生成という ” 持続的な生成創造 ” へと、形成思考や形成行動の発想から生成思考や生成行動への発想転換とその継続的展開を図り、変化のみならず持続的進化・発展の自己力が求められる。

状況の変動があっても大きな影響を受けない ” 基主意自己力創造 ” の持続的な生成変化思考に基づく課題生成系思考と生成発想が、地域事の帰趨を決する局面の切り札となる。

自分にしかない考え方や行動などを見つけ出して自己の価値創出を目指す過程において、二項対立的なテーマとして挙げられるとするならば、それは「 形成活動と生成活動 」である。

これまでは、課題形成を重視しつつ自己の過度な形成志向( 指向 )を重んじてきた形成系思考と形成発想は ” 継続性 ” としてであり、必要とされる変化を閉ざし意味を失い形骸化する可能性がある。
これからは、潜在性における課題生成を追究( 追求 )すべきであるといえる。

適度な生成思考( 指向 )の生成系思考と生成発想は ” 持続性 ” としてあり、将来に向けての変化に対応(適応)するのみならず、新しいものへと進化・発展し得る自己潜在力とその可能性をもつ。

形成的活動と生成的活動の二項対立は絶対的なものでなく、一つの活動に両方の側面が内在しているケースもある相対的な概念ということもできるし、双方が共存する考え方ということができる。

時代の変化とともに形成化は地域力が鈍化してきたときに更なる進化・発展のために継続化を図る場合や安定化を図る手段としてこれまで定着してきたが、急激な環境の急激な変化があれば安定性に欠けるのは当然のことなのである。

「 “ 形成定着 ” から ” 生成帰着 ” への脱構築 」は言わずもがな、近い過去からの形成的活動を継続して図ることによって一時的な地域の向上を図ったとしても、果たして自己の価値創出の高まりとともに近い将来に向けての持続可能性を生み出す力と成り得ることができるのだろうか、という点を考深すべきであるといえる。

主意自己力としての基本に帰するところの一つは、” 生成と生成変化 ” として何かを生み出す行為や過程である『 生産 』 あり、絶えず自分自身を産出し続けるという自己創出の ” 効力性・肯定性・可能性 ” において潜在的な価値を発見する ” 価値を繋げ生成する ” = ” 新しい価値を生み生成する ” ということである。

“ 形成定着 ” から ” 生成帰着 ” への発想と展開の一つである『 自己生産性( 自己生産力 ) 』において、自己の価値を創出する機会を切り拓き活用する能力( 行為能力 )を高めることを目的とした ”生成変化 ” の一つの主意自己力であり、” 感情・思考・判断・行動 ” の好循環と自己の価値創出の在り方と目標を示すことになり、様々な課題を包含しながら現状を超え将来自己を見据え、自己自身の主意自己力というものを再定義し刷新することが必要なのである。

自己自身としての最高基盤である『 生産創造 』は、自己の価値創出過程における生成変化の意識・意義・側面であり、強固な完成度の有能性を備えた人間の最も卓越した優位性の高い試金石でもある。

自己の在り方において、修正力に伴う変容力は、変化への対応のみならず、新しい生産性の進化・発展を志向( 指向 )し持続的に積み上げていく多様な相互作用における価値観に包括されたその交流範囲から新たな知識やスキルを習得するなどの取り組みや自己認識と自己改善とともに持続的な ” 主意自己力創造 ” 。

自己に顕在・潜在する多様な課題対応への中心的且つ意図的な自己活性化対応とともに自己の主体性のもとに生成変化の一つである『 生産創造力』を「 相互作用 = ” 関係の相互性 ” 」 において捉え、単に変わることができる従来型の可変的に形づくる「 形成 」であるよりも、新しい価値を生み出し続ける蓮繋型の「 生成 」に重点を置いていくことである。

『 生産創造 』は、” 枠を超え力を繋ぐ ” 越境によって、「 価値を繋げ生成する = 新しい価値を生み生成する 」とした自己自身の ” 新たな生成 ” なのである。

自己実現価値の有効活用と効果的な修復向上・維持で守り育てる実践への主体的な取り組み方は、人間の合目的な生産活動の過程において、目的の対象に働きかけてそれを獲得しながら、人間としての豊かな自己の能力や自己の個性を実現させていこうとすることである。

自己自身の ” 効力性・肯定性・可能性 ” における潜在的な価値により、主意自己力の構造を再構築していくことになる。

併立共存を互いに認め合う ” 生成変化 ” の原基の進化・発展変化による多元的な世界の生成プロセスは、直線的から循環的な円環的生成へと相互に作用し影響し合う。

特異な集団( 地域 )における互い個( 自己 )として行動し活動する志向性とその可能性における緊密な力は、世界と関わる円環的な相互作用に影響し合い力動する。

” 潜在性と持続可能性 ” としての ” 生成変化 ” に伴う「 生成着想 」は、総じて自己の実際の活動に活用できて初めて価値があるのはないだろうかともいえ、自己自身における ” 近い過去から ” の枠組み( 常識や慣例など )を打破し、より本質的な自己活動をするために役立てるのであれば、活力を与えられ生み出される ” 方法 ” に寄せる努力や意識と孕む課題実現への展望と活路を開くことができ、自分事の帰趨を決する局面の切り札となるだろう。

大きな変化への対応(問題解決や課題対応)あたっては価値観とともに ” 認識を改める ” 必要があり、今までの捉え方や考え方と価値観が劇的に変化するのは「 認識の転換 」なのである。

” 認識の成り行き ” によっては( 又は認識力を整える鍛え方次第によっては )、「 認識力 = 行動力」をはじめ「 思考力 = 実現力 」や「 判断力 = 変進力 」と「 理解力 = 発想力 」といった進化や変化するための力が間違った志向性や可能性に傾くなど、” 力のいろいろ ” の「 あらゆる力の転換 」という本来の力の効能( 又は能力性 )が鈍り劣ってくることを忘れずに。

 

 

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