12月:粘りと歯応え「森の茶屋・菅家亭」

 

 

 

 

因みに正直者は馬鹿を見て損をするかといっても決してそうではない。
嘘をついたり偽ったりしないことは、専ら信頼されたり尊敬されたりするためのことではなく、体裁上の断乎たる結論などは避けつつ言い切れないそれをも疑わずにして自らが規定することにある。

媚びずにスッパリと回り口説くなく躊躇うことなくハッキリとして、隠れ猫背にならず、簡潔で分かり易く直ちに裁決する公明正大さは、簡明直截として納得できるうる答え(応え)がある。
つまり、それが自らの粘りと歯応えなのである。

悪賢い者がズルく立ち回って自ら利益を得て得をするのに対し、自らが臆することなく屈せず立ち続けることによって必ずや得るものがあるだろう。
たとえば世の中が乱れて正しい事がなかなか通らないのだとしても、回避や妥協なしに率直堂々として不屈でありさえすれば、意欲が沸いて自他共に物事を成り立たせることができる。

必ずしも独り善がりにならず、批判的になったりせず、繊細だとか複雑だとか持って廻ったものにはせず、抽象的且つ象徴的な表現を避けるとか、認識の齟齬が生じうる言い回しは避けるとか、そのように婉曲迂遠なしにできるのかできないのかは、挑戦し甲斐のある意欲を湧き起こす自分次第。

 

 

→ 音楽教室 | 森の茶屋・菅家亭 | 創作工房

→ KANKE GRAND 日光

→ NATSUKO KANKE

→ OFFICE KANKE HISTORY

 

 

Photo / Copyright(C)OFFICE KANKE. All Rights Reserved.
Image Credit With Copyright.

12月:もう気沢山な冬の恋文「創作工房」

 

 

 

 

人は勇みがちな肌の気風を持っていて、互いに気の敵であるが人間にとって人間ほど有益なものはないだろう。
なのに人は何で敵愾心(てきがいしん)みたいなものを抱くのだろうか?
人は雰囲気として毒気をもっているが、人間にとって人間ほど無害なものはないはずだ。
ある特定の集まる人々に共通に見られる気質である気風という性質。
その人なりに備わっている心の気持ちの傾向である気立という性質。
生まれつきもっている性格である気立てという気性もあれば、人には ” 気肌めいたもの ” があるらしく、自らの心の持ち方である気立ての気肌としてその肌は気質や気性そのもので、人は肌が合わないのなら気が合わないのだろう。
心持ち気のせいで敏感肌が気になるのであれば ” 気にし過ぎ ” であり一度見直してみるほうがいい。

ややもすると人は気に掛け気にし過ぎて気が回り気が利き過ぎて気が張り、人に気を遣い過ぎ物事に気を配り過ぎるが、得てして人の気を削ぎ物事への気を挫き、全ては気が詰まることにもなりかねない。
様々に事細かく注意を払って問題にするもの全て悉く配慮すればするほど人の気力を無くさせ、物事への意気込みを失わさせ、気遣いして気を砕き、心気を砕けば砕くほどに全ては気落ちし意気消沈するだろう。
気は不可視であっても流動的に運動し作用を起こすのであり、気を揉めば少なからず発展性は望めず向上性は低下してゆき、人の力や技術などが以前より低くなりつつ物事が後戻りするリスクが付き纏い、気が無いわけではないので気が滅入ること間違いなしだが、あわや気を失うことにでもなれば元も子もないだろうに。
実際にはそうで無いのに自らの心の状態が原因でそのように感じられる ” 気の所為(せい) ” による思い過ぎで何かを行おうとする意気込みを弱めて気持ちの昂ぶりが萎えるようになるまで気を尽くし気勢を殺ぐよりも、もっぱら ” 気を添え気を注ぐ ” ことの方がはるかに将来発展していく可能性があり向上の見込みが往々にしてある。

気随気儘の振る舞いも無謀な勝ち気としてクセものだが、そうはいっても気兼ねはイケてないし、もちろん気が多くて心定まらず何にでも手を出しては変わり気の早いのもいただけない。
よしんば気が済む最上や最高までもは望まんとしても、退歩のリスクが潜む気の流れを避けて通りたいのであれば、” 気が乗る ” だけで物事が次第により良い方や望ましい方へ進んでゆき、気を持たせるるだけで優れた状態に向かい多かれ少なかれ気が置けないものへと進歩するに違いない。
気はもっと大事に遣うことであり、 とっても気が合う大切な気の遣い処を探して遣うがいい。
もっとも自己満足の酔生無死に至りたくはないのならば、恋い焦がれて気を配ることなく、あれこれと心が移しやすくて ” 気が多い ” 恋は実現するように「気を謀る(はかる)」ことだ。

 

 

→ 音楽教室 | 森の茶屋・菅家亭 | 創作工房

→ KANKE GRAND 日光

→ NATSUKO KANKE

→ OFFICE KANKE HISTORY

 

 

Photo / Copyright(C)OFFICE KANKE. All Rights Reserved.
Image Credit With Copyright.

11月:稲穂「音楽教室」

 

 

 

 

先日、お隣の山の方へドライブをしに行きました。
秋は実りの時期!と言いますが、
美しい稲穂の実りがあちらこちらに見え、思わず車を停めました。
緑の中、こうべを垂れている稲穂に陽の光が当たりキラキラ輝いています。
どこまでもどこまでも同じ高さの稲穂。
なんと美しいのでしょう。
私たちは美しい景色を見ると深いため息をつきますが、
不思議と稲穂の景色は深呼吸をさせてくれます。

以前、大型倉庫スーパーに行った時のことです。
何故かチュンチュンとスズメの鳴き声がします。
ん?どこで?とキョロキョロしましたら・・・
お米売り場ではないですか(笑!
数羽のスズメがこぼれているお米をついばんでいました。
どうしてわかるのでしょうね・・・不思議です。

 

 

俵はごろごろ

作詞:野口雨情
作曲:本居長世

 

俵はごろごろ
お蔵にどっさりこ
お米はざっくりこ
ちゅうちゅう鼠はにっこりこ
お星さまぴっかりこ
夜のお空にぴっかりこ

 

 

→ 音楽教室 | 森の茶屋・菅家亭 | 創作工房

→ KANKE GRAND 日光

→ NATSUKO KANKE

→ OFFICE KANKE HISTORY

 

 

Photo / Copyright(C)OFFICE KANKE. All Rights Reserved.
Image Credit With Copyright.

11月:振る舞い「森の茶屋・菅家亭」

 

 

 

 

よしんば ” 活 ” の広がる溢れに追い込まれて流されるのだったとしても、専ら身振り巧みなる手品師に惑わされ人は得てして本物(真物)を見失いがちだが、そのどちらか人の驕りの血迷ったバカさ加減を露呈しようというのか、欲をかいて紐などを結んで目印にした習慣のその解けない結び目をどうやって解いてみせようかと苦心などまでしてもどうかと思わないか。

努力と才能のおかげで自らの欲する望ましいものが確実に得られると見込まれることを保証に、その奇跡を謂わば魔法使いと約束して広く守るように定めた決まりを取り決め交わしたのならば、裏事情がカラクリの種明かしなどしてみたところでも、もはや自重しなければ ” 活 ” 対 ” 活 ” の悪循環は断ち切れない。

だがしかし、たとえば食べたい気持ちを抑えられない脳の暴走の止め方を知らないような無謀な気随気儘の振る舞いではないだとしても、あー食べたいと欲望する食べたい気持ちが止まらない衝動を満たすか又は行き過ぎた食欲を止めるのかとは異なり、人のそうあってほしいと理想や希望を抱く気持ちは、それが希望するところであって、必ずそうしなければならないというものでもない。

であるならば、悪循環の ” 活 ” などに追い立てられることなく慎み深く、饒舌に突き動かされる星占いならぬ寡黙なる星読みが自らの転ばぬ先の杖となればいいんじゃぁないかな。
真なる中心を求める作法ならば、とるにたりない下草を周りから刈り込んでゆくのだが、つまらぬとした下草を思い上がって掻き分け真一文字に踏み込み迷うバカはいないだろう。

 

 

→ 音楽教室 | 森の茶屋・菅家亭 | 創作工房

→ KANKE GRAND 日光

→ NATSUKO KANKE

→ OFFICE KANKE HISTORY

 

 

Photo / Copyright(C)OFFICE KANKE. All Rights Reserved.
Image Credit With Copyright.

11月:全力人間「創作教室」

 

 

 

 

ためらい尻込み疑い迷って前に進まないよりも、” 惑わず、憂えず、懼れず ” 、決断決心して前に進むなら本気で思う存分がいい。
遅疑逡巡として、強行の無謀はいけない。
敢為邁往として、困難や支障を押し切って屈せずに最後まで成し遂げることだ。
思い上がりや勘違いで知者・仁者・勇者などと格好を付けずに ” 自分はできる ” といった可能性力性を心機に顕在化することは力能によって可能である。
もともと有って無いようなものである潜在性なのだが、そもそも見込まれる可能性ならば ” 決めに行かない ” ことを意味することになってしまう。

不安と先行きの一点に気がかりな心配の思いを心に集中させれば唯一筋に執着が起きて不自由になる。
思い立つ発心は自らの心を説き伏せることで、心外無別法の心機づく心は心を立起させる。
自らをかけた慎みと潔さの妥協せぬ勇気の責任と謙虚さにある心の怯み動揺のない攻め強さと心の誤り不覚のない注意深さの発心こそが、未来効果を眼界展望する力能の発現である。
自らの心の有り様は一転語 ” どうであるかは自分次第 ” として、死にもの狂いの躍り狂いよりも、 自らがもっている限りの ” 有りったけの力 ” といったことへの気づき洞察は、はるかに未来を豊かに孕み展望に富んでいるといえる。

 

 

→ 音楽教室 | 森の茶屋・菅家亭 | 創作工房

→ KANKE GRAND 日光

→ NATSUKO KANKE

→ OFFICE KANKE HISTORY

 

 

Photo / Copyright(C)OFFICE KANKE. All Rights Reserved.
Image Credit With Copyright.

10月:赤とんぼ「音楽教室」

 

 

 

 

何を見ても歌が出てくる季節、秋となりました。
これから数ヶ月、たっぷりと秋の歌にひたりたいですわね~
もみじを楽しむには少々早いので、
どんぐり、月、うさぎ・・・
童謡が情景を可愛らしく表現してくれます。
そして頭の中には子どもたちの歌声が聞こえてきます~

日光はお水が綺麗だと言うことから、様々なトンボが本当に多いです。
秋の太陽を浴びてキラキラと羽を輝かせ、
秋の夕陽をうけて更に赤くなる”赤とんぼ”。
日本歌曲の代表とも言える「赤とんぼ」は多くの方々が好んで歌われる曲であります。
しかしこの曲は非常に難しい曲です。
山田耕筰先生は美しい曲をたくさん作曲なさっていますが、
なんとまぁ、歌い手泣かせの作曲家でいらっしゃるのでしょう(苦笑。
テクニックと情感を組み合わせなければ歌えない作曲家、と思います。

皆さま、ご自分のために歌われる一曲!
この秋に見つけて、ご一緒にお稽古いたしましょう!!

 

 

赤とんぼ

作詞:三木 露風
作曲:山田 耕筰

 

夕やけ小やけの 赤とんぼ
負はれて見たのは いつの日か

山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだ はまぼろしか

十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた

夕やけ小やけの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先

 

 

→ 音楽教室 | 森の茶屋・菅家亭 | 創作工房

→ KANKE GRAND 日光

→ NATSUKO KANKE

→ OFFICE KANKE HISTORY

 

 

Photo / Copyright(C)OFFICE KANKE. All Rights Reserved.
Image Credit With Copyright.

10月:酔い醒まし「森の茶屋・菅家亭」

 

 

 

 

木にとって最も大切なものは何か?
それは実だ!と物食いたげに誰もが考えるだろう 。
だがしかし、現実には種なのだ。

秋らしきは、春過ぎし夏の後、春待つ冬の前。
晴る(はる)三春と晴明(あきらか)な三秋の春秋に富む春秋の争いを捩れば、物食うだけでなく発る(はる)種を植えざれば飽き(あき)満つ(実つ)に実らず、ぼんやりと無自覚に元になることを何もしなければ虚しきかな酔生夢死として必ずや良い成果は得られない。

季節に関わらず飽き満ちる実りの収穫(秋)、一葉落ちて自らの天下の秋を知るだろうか?  
わずかな前兆を見て後に起きることを予知しても、もう ” 後の祭(あとのまつり)” 。
傍にいる秋に寄り添い揺れ動き、自らに気づきを付け加え、生きている意味を自覚してみよう。

四季の海終日(ひねもす)のたりのたりかな、一年中手に入り手にしてやっている取るに足りない物事につけ穏やかな波が寄せては返えされる自らの天下は、わざわざ取り立てて殊更に言うほどでもないことだらけ。
それでも、当たり前のことだとしている飽き満つ物事の中での ” 気づき ” さえあれば、発る(春)を待たずして植えることもできるだろう。

 

 

→ 音楽教室 | 森の茶屋・菅家亭 | 創作工房

→ KANKE GRAND 日光

→ NATSUKO KANKE

→ OFFICE KANKE HISTORY

 

 

Photo / Copyright(C)OFFICE KANKE. All Rights Reserved.
Image Credit With Copyright.

10月:心を生む「創作工房」

 

 

 

 

月と満ち欠けする頭、狼と太り痩せする心。
愛は脳を育むが、心で脳は変わらない、脳で心は変えられない、心泣かすな頭冷やせ。

才能と運と努力の中で、月と満ち欠けする頭、狼と太り痩せする心。
起こりう得ることは当然なのだが起こり方が異常である如何ともし難いことに際し、もしや敢え無くなることに関わる ” よく知りもしない ” ことの奥深いところに手で幕をかけていれば、いつしか不安の恐怖が濃くなるように欲望は薄まってゆく。
そうして新しい沸騰ごとなき結局に ” 熟成の終わり ” を見ることはかなわず、ただひたすら証明される未来は唱えられるだけで終わる。

静かに知恵によって一切を観察し物事を深く考えることをする経験や知識は情報から自らの拡張と創造との機会を得るのだが、自らコントロールしえる箱庭的な分かっているだけでよく知りもしない世界に逗留し続ければ経験や知識は長命となり、試されない経験と知識は自らの行動の拡大拡張を望めない代わりそこで働き生き続けるだろう。

だかしかし、それをどうにかしようとしてみても、知能が頭をやつれさせても脳は筋トレによって活性化できるが、脳による行動選択という欲望と恐怖の発生消滅に際し心の不安や葛藤にまったく遭遇しないわけにはいかず、精神が胸をやつれさせた心は筋トレによって活性化できない。

人間の知ることの情報や知識を捉えるならば解釈でなくそこに価値あると自らが信ずる意志であり、その情報や知識の真なる条件を見て取るならば、それは生きる中心に据えた自らの行動により測られ、認識や物事を深く考える思考と信念は行動を導くのと同時に行動を通じて自らが改造される。

何を知っていて何を知らないのか、問題の解決や課題の対応ではなく問題や課題そのものを発見するに相応しい力が必要なのであり、前向きな心をつくり出すことである。
複雑さや速さと正確さなどの行動によって測られるその適当性・適正性の能力は、気ままの能力、気晴しの能力、奇天烈な能力、繰り返す能力、継続する能力と同じことがいえ、その中心となる探求する能力や探究する能力 にまつわる何か、ということかもしれない。

問題解決や課題対応ができる力ではなく、問題や課題の発見ができる力を能力者たちこそが、如何ともし難い些か憂鬱な立ち往生と戦い、心のままに現実を直視し守り備え、人と人のコミュニケーションから遮断されることなく誇らしげに直立した未来への先駆者なのだろう。

 

 

→ 音楽教室 | 森の茶屋・菅家亭 | 創作工房

→ KANKE GRAND 日光

→ NATSUKO KANKE

→ OFFICE KANKE HISTORY

 

 

Photo / Copyright(C)OFFICE KANKE. All Rights Reserved.
Image Credit With Copyright.

9月:ミョウガ「音楽教室」

 

 

 

 

私は好きなお野菜のトップ3に入るほど”ミョウガ”が大好きです。
なんと!朝取りミョウガを届けていただきました!!
このような見事なミョウガを見るのは初めてです。
色合いの美しさ、ほのかな香りにうっとりしてしまいます。

星野富弘氏の詩は身近なものから思いを起こす詩が多くあります。
以前、星野富弘氏の詩に新実徳英氏が曲を書いた曲集を
女性コーラスで指導をしたことを思い出しました。
ミョウガも曲になっています(驚!

詩の中に「みょうがを食うとばかになるというけれど」とありますが、
大人はそれほど味のわからない子供に
美味しいものを食べさせたくないことから生まれた言葉と聞いています。
私も小さい頃に言われた記憶がありますわ(笑。

蚊に刺されながら朝取りしてくださったとのこと。
美しくみずみずしいミョウガを届けていただき、
美味しさだけではなく、思い出もよみがえりました。
感謝。

 

 

「花に寄せて」より ~ みょうが ~

作詩:星野富弘
作曲:新実徳英

 

畑の草を一日中むしり
かいこに桑をくれ
夕方 ひょいと出かけてみょうがをとり
それを売っては
弁当のおかずを買って来てくれたっけねぇ
 いつもしょっぱい こぶのつくだ煮
花の咲いたやつは安くなるからと
花を抜いて売ったことも あったよね
もんぺと地下たびの間は
蚊にさされた跡が いっぱいだった
かあちゃん
みょうがを食うとばかになるというけれど
おれは
思い出すことばっかりです

 

 

→ 音楽教室 | 森の茶屋・菅家亭 | 創作工房

→ KANKE GRAND 日光

→ NATSUKO KANKE

→ OFFICE KANKE HISTORY

 

 

Photo / Copyright(C)OFFICE KANKE. All Rights Reserved.
Image Credit With Copyright.

9月:トルコキキョウ「森の茶屋・菅家亭」

 

 

 

 

時折吹く風に冷ややかさを感じるようになり、
夕方の陽の光も違ってきました。
空を見上げますと夏の雲とは違う表情をしています。
今年も厳しい暑さでしたが、もう秋へと一歩一歩進んでいます。

暑さが過ぎ、お花を活ける時期がやってきました!
お花屋さんには様々なお花が並び始めますね。
ご自分のためにお好きなお花を活ける・・・
ご先祖様のためにお好きだったお花を活ける・・・
それだけでついつい笑顔になってしまいます。

森の茶屋・菅家亭では皆様のお越しを楽しみに、
優美なトルコキキョウを選びました。

あらまあ!花言葉は「良い語らい」だそうです。
ピッタリですこと!!
皆様のお越しをお待ちしております。

 

 

→ 音楽教室 | 森の茶屋・菅家亭 | 創作工房

→ KANKE GRAND 日光

→ NATSUKO KANKE

→ OFFICE KANKE HISTORY

 

 

Photo / Copyright(C)OFFICE KANKE. All Rights Reserved.
Image Credit With Copyright.