努力の余力 ” 力のいろいろ ”   思巡の活力:【 II 】「 律動力 」

 

 

「 ” With NIKKO ” 」ウイズ日光

〜 大自然からの提案 〜

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

 

 

Jäger im Schnee (Winter)  / monthly cycle, scene: The Hunters in the Snow (January), 1565. Pieter Bruegel (also Brueghel or Breughel) the Elder. Kunsthistorisches Museum Wien, Austria. Housed in its festive palatial building on the Vienna Ring Road, it is crowned with an octagonal dome.

 

 

   ー 地域を生きる自分を活かす ー

 

KANKE 塾:” 自己プロモート ” 開催中

   Self-development

 

未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点

「 実現可能力性 」への ” 潜在力 ” のすすめ

  - feasibility of self strengthening –

 

” 自分への配慮 ” という大切な活動によって自己の発意と創造の志向性とその可能性に勇往邁進しよう

 

 

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” 思巡の活力 ”【 II 】

努力の余力 ” 力のいろいろ ”
〜 ” 意識力 ” に伴う 「 律動力 : control 」〜

 

見込んだ想定外の「 努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」
努力の余力 = 努力の内にある ” 余( ほか )” の力
努力することによって産み出される ” 複利の活力 ”
努力行為の本来目指す当面の成果とは異なる価値
努力過程の副産物である ” 潜在的 ” な「 可能力性 」

 

『 人は地域を創り動かし 地域は人を創り動かす 』

・・・・ 個の集団である地域は、幾多もの人間( 要素・成分的 )及びその量の割合による ” 組成 ” 構造によって一つの地域として組み立てられており、それぞれ地域としての経済・社会と文化がある。
取り巻く環境の変化に伴う ” 人口減少と地域経済縮少 ” などによる構造的な問題は、人間と地域の疲弊と大きな課題を招いている。
実に ” 自分事 = 地域事 ” として感じ、考え、動き、状態をよりよくする為に努めて力を尽くすにあたり、課題解決の糸口として考えられる潜在力を引き出し持続的可能性を ” 生成 ” していく最もよいやり方を探す「 力法 」は、実に ” 自己力 ” と ” 地域力 ” とに同じようなことがいえる。・・・・

 

……… 地域に生きるのではなく ” 地域を生きる ” 活線上に ” 自分を活かす ” 発意と創造の実現を目指す自己それぞれの生き筋の道程というものは、性格を備えた自分自身の在り様でもある。
全ては自己自身の現実世界における偉大と苦悩との矛盾に満ちた流れの内に、”自分への配慮”という大切な活動による自己の志向性とその可能性に向かう新機軸の打ち出しに複数の課題が難題として混ざり合い交流するところの変化が、” 地域を生きる自分を活かす ” ことを単に複雑にしているのではなく、直面している『 取り巻く環境の ” 変化 ” 』といった様々な問題が、ただただ自分自身について想像を巡らさせることになる。
そうして常に絶えず完全なる客観性は実際に全て不可能であるということなども到底知らないままに、” 自己潜在力 ” に伴う ” 自己力 ” を以て自主的な「 自己創出の ” 想定 ” 」というものは、自分の性格に因り成り行くのである。………

自己の自主性( 自己意識 )は、自分の現実・事実に関わり意識や行為者性と人であるのとともに視点や感情と信念や意志と欲望など意識的な経験( 主観的な側面 )と性格をもつ人それぞれが自己の主体であり、自分に対して活動する( 行動したり力を振るう )にあたって主観性( 主観的な見方や主観に依存する程度など )が伴うことを度外視することはできない。

とはいえ、自己が開けてゆく期待が伴う中で ” 地域を生きる自分を活かす ” ことは、自己主体の自覚や意志に基づいて行動したり作用を他に及ぼしたり自己主体の思い通りを追求していくことでは決してなく、自己主体としての考えに閉じ籠っている在り方を開いていく働きとその作用が付随・関連( 又は連関 )するものといえる。

個としての ” 生活世界 ” と集団としての ” 地域世界 ” の問題や課題をも主題化し、共通の客観性は相互主観性( 共同主観性または間主観性 )に構成され得るともいえ、諸個人が互いを主体として承認しつつ単一の世界を共有しているような事態にある「 相互作用 」の成り行きにおいて客観性が基礎付けられ、自己と地域の分化に先行する基底的な構造ともいえるのである。

観念的且つ理論的に考えられた社会に対して現実の社会は、人間の意図とは関わりなく部分的にまた全体的に変化する社会変動にあり、刻々と変わる環境に対応する ” 力 ” を身につけ、それを強化していくことが重要となる。

自己自身としては、” 地域社会の疲弊 ” の「 構造的 」な問題である ” 人口減少と地域経済縮少 ”などによる多面的にあらゆる側面で考えられる ” 地域的広がりに共通してみられる生活様式( way of life )” への多様な影響を克服し、将来にわたって活力ある自分を維持することを目的・目標とした多様なモチベーションやスキルなどの重要性が高まるのとともに、従来の自分自身としての生活の基本要素に支えられてきた生活の ” 相互活動 ” に伴う生活様式とその「 構成的要素 」 とは異なる新たな捉え方や考え方をもつことが必要になってきている。

「 判断 」とは、” 知る ” ことを意味するものといえ、その「 判断力 」は ” 知る力 ” であり、これからの時代を生き抜くために自己自身は社会変化に対応(適応)して変化するのみならず、” 変化することは進化・発展することである ” とした「 判断力 = 変容力 」が特に重要なものとなる。

内発的動機付けと外発的動機付けによる判断の両者は、ややもすれば絡み合いながら働き、相互に他に移行するというような相互作用はありうるが、「 判断力 」によって最終的に価値判断を決定するのがもっとも客観的なもっとも深い事実判断であるということもできる。

自己自身としての「判断力」とは、そのような ” 認識力( 自己認識 )・ 評価力( 自己評価 )” に ” 洞察力 ” を通した「 判断力 」であり、未来を信じる力と持続可能性を生み出す力を以て自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方という ” 自己創出 ” なのである。

取り巻く実社会の環境変化という乗り越えるべき大きな課題の解決へ向けて取り組むにあたり、未来を信じる力と持続可能性を生み出す力( 又は変化対応力・適応 )の一つとして、 要するに自分の感情や思考と行動をはじめ信念や価値観とニーズや強み弱みなどを意識的に捉えることである。

” 理解する自己認識力によって気づきで終わらせず継続的な行動に移し、自己信頼や自己効力感などの在り方である自己変容へと確実に繋げていく「 意志力( 意力 )」” というものが特に必要であるものといえる。

人間ひとり一人の個を尊重する多様性の時代、様々な価値観を共有する多様化する社会。

多様性に対応するため多様化の意識に導かれ多様性が重視される中で、自分自身の本当の在り方は、一般社会に存在する個性を活かし自立した自己として、時代の変遷に伴う状況や情勢とその環境に合わせて行動や考え方を上手に切り替える ” 適応力( 対応力 ) ” が必要である。

だがしかし、たとえ状況が変化しても適切な行動や考えができるようにするなど、自分の一時的ともいえる可変的な新しい価値などを単に探り求めていくだけのことでよいのだろうか。

自己自身を取り巻くこの様な環境の変化に対応していくにあたり、不思議な思い込みによって知らず識らずの間に間違った ” 判断 ” や思考のエラーなどに陥ったり傾いたりする自己にならぬようにすることが大切である。

固定的謬見や先入的謬見( 偏見、先入観、誤り、思い込み )などに照らし合わせ、情報を如何に正しく認識し答え出せるか、先ずは ” 思い込み ” によって間違った「 判断 」になっていないかどうか ” 問い直し ” をしてみよう。

そのためにも、自己自身としての自主性をもって ” 意識的 ” に( 又は ” 意識力 ” により )問題・課題を解決・対応するために行動することである。

自己の ” 外部 ” との関係によって円環的に働き作用( 作動 )する結果として発現する潜在性( 又は共同的潜在性 )と活動性の志向的且つ潜在的な力である「 力能 ( 力量や実力と能力や才能 )」の ” 可能力 ” というものを重視した大きな視点をもつことである。

そしてさらには、固定的・先入的謬見を解きほぐし、活動の高まりや広がりを生じさせる変化への ” 変進力( 又は変革・変容力 ) ” ともなる 「 自分のリズム( 律動 : rhythm )」を自主的にもたらすことである。

知は力なり( 力は知なり )” として、この「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」の効果価値がもたらす点を捉えて認識し、その効用の質を見直すべきである。

” 問い直す ” ことは、自分自身の本質に迫る行為であり、” 自分への配慮 ” という大切な活動による自己の発意と創造の志向性とその可能性にある新たな自分自身の在り方としての姿や自己の内に眠る「 潜在力 」に気づき、次なる問題や課題を生み出す切っ掛け( 契機 )にもなり得るものといえる。

人間は何かに慣れると、容易く( たやすく )飛躍したり勢いの余って安易に物事を ” 判断 ” する方向に流れていくのであり、普遍的に大切な ” 問い直す ” ことが自己において今改めて強調される理由とその背景にある危機感などを捉えることである。

「 判断 」とは、” 知る ” ことを意味するものといえ、その「 判断力 」は決める( 決断 )力ではなく ” 知る力 ” であり、” 変化することは進化・発展することである ” とした「 判断 = 変容力 」なのである。

枯渇することのない基礎力や努力はもとより、努力過程にある副産物の価値「 努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」も鈍く衰えてくるのではない。

固定観念に囚われ主観のイメージに陥る傾向や先入観に囚われバイアスが掛かる偏見などによって、全ての力は総じて相応しい力としての働きとその作用は凝り固まったり偏ったりするなど、” 思い込み ” によって本来の力の効能( 又は能力性 )は劣りやすい。

また、固定観念( 主観的 )は ” 個人の思い込み ” であり、対する既成概念は ” 社会の思い込み( 客観的 )” でもある。

そもそも力とは、変化する原因となるものであり、総じて力は ” 捉え方や考え方などの道因や素因となる「 判断 」” を指すそのものであるともいえる。

多様性の尊重から相互に成り合うための多様化への転換の必要性や持続的発展可能な対応などが求められている中で、多様化は多様な領域で使用されるが、その指し示す内容は領域により差異がある。

元々あった本来の多様化( 多様性 )は、これまで進展こそしなかったともいえるが、今これを敢えて取り沙汰するのも先の不思議な社会現象の一つであり、特に ” 思い込み ” に惑わされやすいキーワードである。

多様化の促進・支援( 進め方と効果目的・目標など )には、多様な人や価値観などを包摂する社会を形成することが非常に大事な重要度としてある。

多様な人が不自由なく暮らせる社会であることは人々の豊かさや社会の活力の向上につながり、さらに多様なt特性や価値観と人材やキャリアなどの形成が促進されることはイノベーションの創出や社会の活力向上につながり、多様化を促進し支援することは重要だということである。

個々の人がその特性を活かし生く働くことに複合的な ” 発想と展開 ” が生まれ、総じて” 発展性 ” が見込まれて、変化への真の「 推進力 」となり得る。

多様な生き方を可能にすれば総じて人々の豊かさや社会の活力の向上につながり、多様な働き方を可能にすることは総じて生産性向上につながり、多様なニーズに対応することは満足度を向上させることはもちろん付加価値の向上にもつながるということなのである。

常に絶えず人間の社会生活ないし社会関係に基づいて発生する社会現象は、社会全体或いは特定の社会や集団において見て取れる思考や行動と行為や状況など広く話題を席巻するような大きなブーム( ” 変化への推進力 = 変進力 ” というムーブメント )といえる。

その様な中で、多様性に適応するため多様化の意識に導かれ多様性が重視され、その多様を寛容に受け入れよう尊重しようという社会の動きそれ自体は素晴らしいことでなのである。

しかしながら、その多様性といった捉え方や考え方が全て間違っているとは言い難いものの、本質的に備わっている ” 多様さ ” の根本( 基礎 )の認識・理解をはじめ加速化した変化や顕在化した問題・課題( 多様化の促進・支援の進め方と効果目的・目標ゴールなど )について整理もせずに、それらを半ば度外視したゴールの不明確な多様性( 又は多様化 )という捉え方や考え方には特に注意を要する

この様に、人間ひとり一人の個を尊重する多様性の時代と様々な価値観を共有する複雑化・多様化する社会の根本を成す基本的なことの大凡を知ることから始めるべきであり、これに限らず何事も表面化された上辺( うわべ )を見るだけでは済まされないのである。

固定的謬見や先入的謬見( 偏見、先入観、誤り、思い込み )などに照らし合わせ、” 自分への配慮 ” という大切な活動による自己の発意と創造の志向性とその可能性に関わり、” 思い込み ” によって間違った「 判断 」にならないようにすることである。

時代の変遷に伴う環境の変化において直面する問題や課題の捉え方や考え方について ” 問い直し ” をすることが大切であるといえる。

移り変わりの素早いトレンドに対応する変化対応力が求められる中で、現在の差し当たり直面する問題や課題に対応するだけではない。

今後も特定の現象や結果が起こる可能性が完全に予測できない状況であるとした不可確実性の時代の移り変わりに挑んでいくにあたり、「 判断 」は ” 知る ” ことを意味し「 判断力 」は ” 知る力 ” としてあり、「 思考力 = 実現力 」に伴い対応( 適応 )への変化のみならず進化・発展していくための力 ” 変容力 ” でもあるということを意識的に受け入れ大切に考える姿勢をもつことである。

すなわち、自分自身の「 判断 」が自主的に自己を変化させる原因となる捉え方や考え方などの道因や素因に大きな影響力を与える( 大きな影響力を生み出す )といった重要性認識をもって取り組む姿勢が必要であるということになる。

「 発展力( 発想力と展開力 )」や「 変革力( 又は変容力 )」とその力強さは、この様な ” 多様性 ” の中に存在し、類似性の中には存在しないともいえよう。

多様性に対するゴールを明確にすることは、特に重要なファースト ステップである一方、反復性と ” 意識性 ” という存在は変化への真の「 推進力 」として機能させることが特に必要となる。

” 多様性と意識性 ” が同時に存在し互いに補完し合えることが重要であるといえる。

反復性と ” 意識性 ” を構築し無意識の偏見を生むようなリスクを減らし、その反復性と ” 意識性 ” を存在させれば変化への真の基礎力である 「 発展力( 発想力と展開力 )」や「 変容力 」として機能する。

多様性に適応するため多様化の意識に導かれ多様性を短絡的に重視するのではない。

多様性または多様化の効果目的 ” 力の働きとその作用 ” を的確に導き出し、その多様性に ” 反復性と意識性 ” を伴わせ両立するものに向けて取り組む一方、他者との一致協力( 協調や協働など )が大切であるともいえる。

我々は他者の言動に敏感に影響を受ける中で、賛成であれ反対であれ、それに敏感に反応し自分の態度を示す人たちが社会の中には一定程度存在する。

しかしながら、よくわからないという人たちもいるし、そんなこと関心がないし考えたこともないという人たちもいる。

その様な段階( レベル )で 自分自身が ” 思い込み ” によって自己の態度を固定させてしまうのであれば、自己自身に活動の高まりや広がりもたらす ” 自分のリズム( 律動 : rhythm )” とその幅広く行き渡る現象は発生しないまま、自分の事態は現状のまま収束していくことになり、決して複合的な ” 発想と展開 ” が生まれこともなく、総じて” 発展性 ” が見込まれることはない。

” 思い込み ” に囚われ惑わされているときほど、なかなかそのことに気づきをもたらすことがないものである。

その ” 思い込み ” というものを極力排して考えられるようになるために有効な方法は、自分の考えを客観的に見ることができるよう ” 自己の考えを構造化する ” ことだ。
その具体的なやり方は、自分が考えたことや自分が出した結論とその考えや結論に至った根拠を洗い出すというものである。

自己において何か考えが浮かんだり自分なりに結論に至ったりしたとき、先ずはその考えや結論に至った根拠が重要になってくる。
そして、その根拠ひとつ一つを人間の固定的・先入的謬見( 偏見、先入観、誤り、思い込み )などに照らし合わせ、偏った考えになっていないかどうか見直すことである。

ひとり一人の人それぞれが ” このもの( この自分 )” であるとする存在の仕方( 在り方 )として、” 可能性・現実的・必然的 ” とそれらに対応する判断の有り様を含めた潜在的な力である ” 自己の力能( 自己力 )” というものなのである。

それは、” 自分への配慮 ” という大切な活動によって自己の発意と創造の志向性とその可能性に向かい超え出でる中で、自己の ” 外部 ” との関係により円環的に働き作用( 作動 )する結果として発現する潜在性( 又は共同的潜在性 )と活動性の志向的且つ潜在的な力量や実力と能力や才能など、自己創出を成し遂げることができる潜在的な発展性と可能力性であるともいえる。

この様な自己潜在力にある自己可能力とともに自己発展力( 発想力と展開力 )に関わる「 認知能力に伴う調節力 」をはじめ、調節力に不可欠な「 意識力に伴う律動力 」や律動力に不可欠な「 軌道力に伴う可変力 」と可変力に不可欠な「 想像力に伴う構成力 」等々その他、「 努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」は限りなく多面的に幅広い。

自分をコントロールする ” 調節力 : control ” が自分自身に不可欠なのは何故だろうか、、、、、。
何故ならば、それは自分自身のリズム「 律動力 : rhythm 」というものを崩さないためにだ。
このリズムの進み動く勢いある ” 律動性 ” がなければ、人は躓きやすいし物事は進みにくい。

自分の ” 変進力 = 進化・発展力 ” ともいえる「変容力」で進み動く勢いある基礎力である自主的なリズム「 律動力 : rhythm 」が弱いか乱れるか落ちるかは、 ” 意識力( アウェアネス : awareness )” というものが不足しがちだからなのである。

思料・思惟・思索は、いろいろと思いを巡らし考え思いはかることや論理的に筋道を立てて考えることであり、結論を導き出すなど何かしら一定の状態に達しようとする過程において筋道や方法など模索する精神の活動にすぎず、広く主観的・感情的な心の働き又は一つの筋道を追って判断するという客観性の思いや多く抽象的な事柄について順序立て深く考えを進めているにすぎないのである。

脳裏に閃いたり脳髄を絞ってみたところでも、頭を熱くして頭を捻り必死で考えを巡らすに等しく、イメージを膨らめ思い浮かぶアイデアを沸かし知恵を絞る思案に苦慮するだけのことであり、” 意識力 ” というものは実現力の好循環と向上が期待されるものなのである。

” 意識力( awareness アウェアネス )” とは、気づきや認識などによってハッキリ知ることであり、” 関心や態度と自覚や直観( 精神的・感性的な知覚 )などによって全ての志向的な体験を意識し新しいものに発展させる ” ことを意味するものであるといえる。

” 自分への配慮 ” という大切な活動による自分の ” 外部 ” との関係によって円環的に働き作用( 作動 )する結果として発現する潜在性( 又は共同的潜在性 )と活動性の志向的且つ潜在的な力量や実力と能力や才能というものがある。

自己創出を成し遂げることができる潜在的な発展性と可能力性ともいえる自分の力能( 自己力 )は ” 意識力 ” にあるといえ、” 自分の外部や異種・他種との多様なコミュニケーションや多種のコミュニティと交わることよって ” 意識を変え ” 進化し新しいものに発展させる ” といった進み動く勢いある 「 律動性 」といえるものなのである。

自分以外の部外者を排斥して退けたり自分の外部を尊重せずに退けて受け入れなかったり自己主張を一方的に差し述べたりするなどは、自分本来の「 律動力 」や ” 意識力 ” そのものを遮る排他的なものとして以っての外( もってのほか )である。

いたずらにアグレッシブ( 攻撃的 )であったり、ノンアサーティブ( 受け身的 )であった、パッシブアグレッシブ( 作為的 )であったりするのは、自己中心で独断的な考えや意志を押し通そうとする捻出した我意として、自分一人の考えや自分の思うままにしようとする心持ちの酷さにある。

排他的とともに ” 自己への配慮 ” というものをを弁えない愚鈍な心に柔軟で適性な判断力と理解力が鈍く愚かで知識が足りないのに加え、” 知力( 知的な能力または知恵の働きとその作用 )” が伴わないので目的・目標に対する計画を具体的に設定した上で実行する能力である「 思考力 = 実現力 」が乏しいのである。

固定的で狭い思考に陥りがちなのは、物事の根源を追求する思考力が養われて( 鍛えられて )いないということであり、常識を疑い固定観念の壁を崩して知識に普段の生活にはない特有の概念を知るなど ” 知的思考力 ” の真髄を導くことである。

” 地域を生きる自分を活かす ” ことにおいて、コミュニケーション知やコミュニティ知は ” 自分を活かす ” 力となるのであり、コミュニケーション力やコミュニティ力を身に付けるための方法は、豊かに ” 自分を生きる ” ための知的技法としての ” 地域を活かすコミュニケーション & コミュニティ ” であるともいえる。

目的・目標に対する計画を具体的に設定した上で実行するために必要なのは、潜在力 / 認識力 / 評価力 / 洞察力 / 判断力を通した「思考力」を基礎力として、発見力………  発想力………  展開力………  推進力……… 、そして実現に向けて実行する行動力、さらには国際力によって地域課題のプロセスを国際的な現場を活用し実行する力、、、、、。

多かれ少なかれこの過程を踏んで( 努力を通じて )人は常に絶えず行動しているが、普段知らず知らず自然な流れで無意識のうちに通り過ぎ無意識の行動から生まれるもの少なくない。

しかしながら、この一つひとつの力とこの全ての力が ” 知力( 知的な能力または知恵の働きとその作用 )” としてあり、特に「 思考力は実現力である 」といっても過言ではなく、論理的思考力に伴い ” 知的思考力 ” を身に付けるべきことである。

「 思考力 = 実現力 」であり、 判断力によって思考を変えるとき( 知的思考力 )、意志や意思をハッキリと決定して( 意思決定力 )、自分を変えること( 実現力 )を忘れないことだ。

目的や目標に向う一連の行為や活動に決断という正当理由で偶さか( 適さか )誤ったことをしてしまうのが人間というものであり、決断というものは場合によっては「 判断 」で対応する能力の無さで引き起こす脅威ともいえる。

「 地域を生きる ” 自分を活かす ” 」ということは物事と人に関わることであり、自分を活かしながら自分を生きるその生き方を補正・修正していくことでもある。

再度繰り返し、自己肯定感があろうが自己効力感( 可能感 )があろうが問題や課題を見落とさないようにすることを必ず忘れずに。

あらゆる状況変化に巻き込まれている自己へのその様な自分の正しい道理( 道義 )という正義への責任を求め、自身が繋がり合いのとれる自己の志向性とその可能性を問うがために ” 自分への配慮 ” というものを知り続け、未来に向かって進むべきなのである。

それには、自己責任の自覚を持った上で真意が伝わる率直や対等に向き合い押し付けることなく、受け止めつつも伝えることによって互いが理解・納得できうるとした誠実さが必要だといえる。

多様性が重視されている今、自分の外部や異種・他種にある様々な価値観やバックグラウンドを持つ人と協力する場面を増やすことである。

相手を尊重しながら自分を伝えコミュニケーションやコミュニティの幅を広げるスキルとして、自分の主張を一方的に述べることなく相手の意見も尊重しながら自分の意見や要望を伝えるといった自分の気持ちも相手の気持ちも大切にすることで円滑且つ効果・効率性の高いアサーティブ コミュニケーション&コミュニティを身につけることである。

インタラクション( 相互作用 : interaction / Interaktion )は、” 根本にある発想が同一 ” であり、あらゆる「枠を超え( 枠組みを超え )」その根本概念は共有されている。

“ 相互 = 間 ” で行う(する)という二つ以上のものが互いに作用し影響を及ぼし合い、相互作用というアクション( 行動 )として一方的ではなく、インタラクティブ( 双方向 : interactive )でやり取りを行う相互作用( 交互作用 / 相互交流 / 相互行為)のことである。

互いに作用し影響を及ぼし合う ” 連繋 ” または「 連繋思考 」によって ” 枠を超えて力を繋ぐ ” ことは、価値観の共有や多様な状況統合として、その効果の構成は複雑ではあるものの、自分の枠を超えた ” 越境 ” において互いの価値観の共有や新しい価値観を生み出すことができ、変化し進化していく「 変容力 」が見込まれる。

「 相互交流 」の一定の範囲の中に包み込む ” 包摂 ” という ” 相互の関係 ” づくりであり、価値観に包括される従属関係はその交流範囲から異種・多種を受け入れ取り込んで「 ” 知識 ” の ” 生成 ” 」を行っていくことによって、変化に対応( 適応 )するのみならず新しいものへと進化・発展する持続的な ” 変進力 ” ともいえる「 変容力( ransformation : トゥランスフォーメイション )」を身に付けることである。

目的や目標に向う一連の行為や活動に決断という正当理由で偶さか( 適さか )誤ったことをしてしまうのが人間というものであり、決断というものは場合によっては対応する能力の無さで引き起こす脅威ともいえる。

「 地域を生きる ” 自分を活かす ” 」ということは総じて ” 物事と人に関わること ” であり、自分を活かしながら地域を生きるその生き方を補正・修正することでもある。

大事なのは自己肯定感があろうが自己効力感( 可能感 )があろうが問題や課題を見落とさないことだ。

あらゆる状況変化に巻き込まれている自分へのその様な自分の正しい道理( 道義 )という正義への責任を求めて、自身が繋がり合いのとれる自分の志向性とその可能性を問うがために ” 自分への配慮 ” というものを知り続け、未来に向かって進むべきである。

それには、自分自身のリズム「 律動力 : rhythm 」によって自分を変化させることが必要であり、” 自己発展力( 発想力と展開力 )の発創 ” による「 自己プロモート 」によって未来の原義そのものに地域自ら投げかけていくということが重要となってくるのである。

そこで問われるのは、決して重くはならず ” 軽妙に生きれる自分 ” として、物事の流れに沿って常に軽妙洒脱に一部に生じた状態の変化が次々に周囲に伝わっていく「 律動力 」とその現象をもたらすことができるかということである。

今時代と社会現象の全てを通して可能性に存在する地方地域としてそれを手立として人や物事が流れに乗り滞りなく良い条件を引き出し展開する必要にきているということなのである。

” 回転が速く柔らか頭の「 自己力 」” は、どんな時でもその場に応じて状況の把握と判断ができるのであり、観察力や理解力があるからこそ ” 自分に自信がある ” ということになり、自分に ” 思い込み ” がなく、全てに無理なく素早く反応し行動することができる。

何故ならば、その様な自己は論理的な意思決定や判断の論理的な根拠とそれらの構造をしっかりと持つことができるからである。

理想とする ” 活かされた自分 ” は、自分の考えを構造化することによって自分の考えを客観的に見ることができるようになり、その考えに至った根拠一つ一つを持っている錯覚や偏見に照らし合わせ ” 問い直し ” 、偏った考えや誤った考えや ” 思い込み ” になっていないかなどを検証することができる。

効果的且つ効率的にスムーズな円滑さを以て人や物事を展開性に富んで進み動かすには、現状維持バイアスを外すことができなければそのように全て行動を変えることはできない。

変化や未知のものを避けメリットやデメリットを判断し非合理な選択をする傾向として、思考や判断に特定の偏りをもたらす ” 思い込み ” 要因や得られる情報が偏っていることによる認識の歪みになどについての論理的且つ心的な思考や論証の組み立てと法則的な連関性など、論理の根や心の根は奥底に秘めらているからこそ論理や心であってその根拠たる所以なのである。

認知力に伴い付随してつり合いをとる ” 意識力 ” によって強め合う ” 律動 ” の「 律動力 」。
ー 随処に主となれば立処皆な真なり ー として、認知作用と意識作用のそれぞれの置かれた立場や環境で、それぞれの成すべき務めを精一杯果たせば、必ず真価を発揮することができる。

問題解決や課題対応の随所と立処に整然と根の走りと引きが表立つ「 律動力 」と周期的に繰り返される自分のリズム現象は合理的且つ理性的に気が利いたものになるのであり、” 軽妙に自分を活かす ” のその軽妙洒脱さは、自分への配慮によって自己の志向性とその可能性が明晰なればなるほど見事なもんであるといえる。

それは、信じる未来の自己を発見し持続可能性を創造し続けてゆくそれ自体が目的・目標の実現や達成に向けた ” 人となりの前向きな追求 ( 自分への配慮という大切な活動によって自己の志向性とその可能性に勇往邁進すること )” としてある。

自己と地域の同時発心に未来効果を眼界展望する ” 力 ” の発現は、自分自身をかけた慎みと潔さの妥協せぬ勇気の責任と謙虚さにある。

” 自分への配慮 ” という大切な活動に心の怯みや動揺のない攻め強さと心の誤りや不覚のない注意深さは、” 地域を生きる自分を活かす ” 発心が時を一変させる基調であり、自己自身と地域自体とが一体となった世界を巡らす勢いを盛り返し、” 自分を生きる地域を活かす ” においても自らの心を貫く勇気を維持しえる。

未来を信じる力と持続可能性を生み出す「 自主力 」によって自己自身を生き継ぐ自分こそが、いささか憂鬱な立ち往生と戦い、心のままに現実を直視し守り備え、コミュニケーションとコミュニティの未来形から遮断されることなく誇らしげに直立した先駆者ということになる。

その様な中で、自主的に互い働きかけ影響を及ぼしながら作用する感情状態や思考状態と行動状態を変えつつ実行していく ” 認知作用と意識作用 ” に伴い、付随してつり合いをとる自分としての ” 自主力 ” というものが持つ重心と力が働き作用する着力点( 作用点 )においての ” 意識力 ” なのである。

” 力というのは常に一対に現れる「 相互作用( interaction / Interaktion : インタラクション )」” であり、相互作用というアクション( 行動 )として一方的ではなく、双方向( interactive : インタラクティブ )でやり取りを行う相互作用( 交互作用 / 相互交流 / 相互行為)における全ては ” 力のつり合い ” である。

「 力点 = 主眼点 」として、相互作用のつり合う ” 均衡の効力( 力の効かし方や効き目 )” は、対力と偶力・合力と分力・並進力と回転力などを捉えた「 活動 = 相互作用 」における力の転換( 力点と作用点または着力点など )であり、物事の認識や理解と発想などの仕方でもある。

” 意識力( アウェアネス : awareness )” による気づきや認識などによってハッキリ知る自分自身の感情や思考パターンと価値観や行動の傾向やパターンを深く理解した上での関心や態度と自覚や直観( 精神的・感性的な知覚 )など全ての志向的な体験を意識した新しいものの発展などが期待される。

律動的な振る舞いがあってこそ自主性及び創造 ・可能性力が発揮され総体的に関わる周期的な反復 ” 繰り返しの力「 律動の干渉( 強弱・明暗・遅速・消滅など )」” は、自らの感情や思考と行動の波に飲まれて自己を客観的に見られない状態にある緊張と昂揚と心の調子の高さを示すものとは異なるものなのである。

自分自身の感情や思考パターンと価値観や行動の傾向を深く理解し自分の改善点に目を向けるのとともに、他を頼らずとも( 自らの力だけで )自己を変革する上での原動力となる 「 潜在力 」を探すことにある。

ここで期待されるのが先の「 調節力 : control 」であり、「 律動力 : rhythm 」は ” 調節力 ” によって ” 意識力( アウェアネス : awareness )” さえコントロールできれば、その ” 意識力 ” に伴う「 律動力 : rhythm 」は単に ” 発展力 ” にとどまらず ” 総合力” として常習化( 又は習慣化 )するものであり、” 意識コントロール ” の手順や法則をある決まった方式に落とし込み、定式に当てはめることができるはずである。

大きな変化について広い視点で深く構造的に捉え考え抜く力を高め、更に前へ進める力( 前へ踏み出す力 )の ” 自主性を高める ” ことである。

潜在性の ” 意識力 ” に伴う不可欠な「 律動力 」 によってコミュニケーション能力や熱意・意欲と行動力・実行力を生かしながら具体的な目標を設定していく自分の成りたい姿に向け自分を変えていくことができる自己形成能力や自己理解と自己管理能力や課題対応能力とキャリアプランニング能力などを含めた自己効力感を捉えることが特に重要であるといえる。

” 自主力 ” は、幅広さと深さを伴う変化への対応策( 解決策 )を導く着力点として「 自主力 = 変容力 」となる。
求められる ” 自主力 ” を活かして行動へと一歩踏み出した ” 創造 ” とともに可能性を広げる「 変容力 = 創造力」は、自主性を必要な能力の一つとして進んで物事に取り組む力であるといえる。

そうしてみると、自分自身やその活動と自己力の心棒は、” 地域を生きる自分を活かす ” として成し遂げたいことの状態に成りたい力の能力であり、価値観の基準となる自己理念の力に深く関わる。

社会に存在する自己自身それぞれが「 取り巻く環境の ” 変化 ” 」における様々な課題を自分自身に関わる問題( 自分ごと )として ” 問い直し ” 、解決へ導く大きな力をどの様に生み出していくか、ということである。

その問いを煮詰めるならば、自己としては先ず認知作用の自主力に伴う不可欠な「 調節力 : coordination 」を高めることであり、必要な知識や経験と能力などの多軸な多様性を知るということである。

『 取り巻く環境の ” 変化 ” 』といった様々な問題の解決や課題に対応していくにあたり、自己の志向性とその可能性における創造力と可能力( ケイパビリティ : capability )の広がりとともに自己発展力( 発想力と展開力 )の伸びを高めていくことである。

そのためには、変化の激しい時代に対応していくにあたり、既存の価値観や知識に囚われず環境の変化に適応するアンラーニング( unlearning )によって古い知識や概念と価値観を捨てて意識的に新しい知識やアイデアとスキルなどを習得することであり、時代遅れとなり有効性を失った今までの知識や規範と価値観などを認識した上で自主的に必要なものを取捨選択しつつ新しいものを取り入れながら学びを解し( ほぐし )て軌道修正やアップデートをしていくということになる。

そこに浮き上がってくるのは、” 修正力 ” に伴い進み動く勢いある人の基礎力として自主的なトゥランスフォーメイション「 変容力 : transformation 」にまつわる何か、ということかもしれない。

 

 

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努力の余力 ” 力のいろいろ ”
思巡の活力【 II 】
〜 ” 複合力 ” に伴う「 波動力 : coordination 」〜
未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・・ 実践への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・・
ー自分を生きる ” 地域を活かす ” ー
地域発展力( 発想力と展開力 )の「 発創!! 」
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” 地域への配慮 ” という大切な活動によって地域の志向性とその可能性に勇往邁進しよう

 

 

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努力の余力 ” 力のいろいろ ”   思巡の活力:【 Ⅰ 】「 調節力 」

 

 

「 ” With NIKKO ” 」ウイズ日光

〜 大自然からの提案 〜

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

 

 

Der Mönch am Meer / The Monk by the Sea, between 1808 and 1810. Caspar David Friedrich. The Alte Nationalgalerie( lit. Old National Gallery )is a listed building on the Museum Island in the historic centre of Berlin, Germany.

 

 

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未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点

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” 思巡の活力 ”【 I 】

努力の余力 ” 力のいろいろ ”
〜 ” 認知力 ” に伴う 「 調節力 : control 」〜

 

見込んだ想定外の「 努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」
努力の余力 = 努力の内にある ” 余( ほか )” の力
努力することによって産み出される ” 複利の活力 ”
努力行為の本来目指す当面の成果とは異なる価値
努力過程の副産物である ” 潜在的 ” な「 可能力性 」

 

『 人は地域を創り動かし 地域は人を創り動かす 』

・・・・ 個の集団である地域は、幾多もの人間( 要素・成分的 )及びその量の割合による ” 組成 ” 構造によって一つの地域として組み立てられており、それぞれ地域としての経済・社会と文化がある。
取り巻く環境の変化に伴う ” 人口減少と地域経済縮少 ” などによる構造的な問題は、人間と地域の疲弊と大きな課題を招いている。
実に ” 自分事 = 地域事 ” として感じ、考え、動き、状態をよりよくする為に努めて力を尽くすにあたり、課題解決の糸口として考えられる潜在力を引き出し持続的可能性を ” 生成 ” していく最もよいやり方を探す「 力法 」は、実に ” 自己力 ” と ” 地域力 ” とに同じようなことがいえる。・・・・

 

……… 地域に生きるのではなく ” 地域を生きる ” 活線上の ” 自分を活かす ” 発意と創造の実現を目指す自己それぞれの生き筋の道程というものは、性格を備えた自分自身の在り様でもある。
全ては自己自身の現実世界における偉大と苦悩との矛盾に満ちた流れの内に、” 自分への配慮 ” という大切な活動による自己の志向性とその可能性に向かう新機軸の打ち出しに複数の課題が難題として混ざり合い交流するところの変化が、” 地域を生きる自分を活かす ” ことを単に複雑にしているのではなく、直面している『 社会課題の ” 難化 ” 』といった様々な問題が、ただただ自分自身について想像を巡らさせることになる。
そうして常に絶えず ー 完全なる客観性 ー は実際に全て不可能であるということなども到底知らないままに、” 自己潜在力 ” に伴う ” 自己力 ” を以て自主的な「 自己創出の ” 想定 ” 」というものは、自分の性格に因り成り行くのである。………

自己の自主性( 自己意識 )は、自分の現実・事実に関わり意識や行為者性と人であるのとともに視点や感情と信念や意志と欲望など意識的な経験( 主観的な側面 )と性格をもつ人それぞれが自己の主体であり、自分に対して活動する( 行動したり力を振るう )にあたって主観性( 主観的な見方や主観に依存する程度など )が伴うことを度外視することはできない。

とはいえ、自己が開けてゆく期待が伴う中で ” 地域を生きる自分を活かす ” ことは、自己主体の自覚や意志に基づいて行動したり作用を他に及ぼしたり自己主体の思い通りを追求していくことでは決してなく、自己主体としての考えに閉じ籠っている在り方を開いていく働きとその作用が付随・関連( 又は連関 )するものといえる。

個としての ” 生活世界 ” と集団としての ” 地域世界 ” の問題や課題をも主題化し、共通の客観性は相互主観性( 共同主観性または間主観性 )に構成され得るともいえ、諸個人が互いを主体として承認しつつ単一の世界を共有しているような事態にある「 相互作用 」の成り行きにおいて客観性が基礎付けられ、自己と地域の分化に先行する基底的な構造ともいえるのである。

観念的且つ理論的に考えられた社会に対して現実の社会は、人間の意図とは関わりなく部分的にまた全体的に変化する社会変動にあり、刻々と変わる環境に対応する ” 力 ” を身につけ、それを強化していくことが重要となる。

自己自身としては、” 地域社会の疲弊 ” の「 構造的 」な問題である ” 人口減少と地域経済縮少 ”などによる多面的にあらゆる側面で考えられる ” 地域的広がりに共通してみられる生活様式( way of life )” への多様な影響を克服し、将来にわたって活力ある自分を維持することを目的・目標とした多様なモチベーションやスキルなどの重要性が高まるのとともに、従来の自分自身としての生活の基本要素に支えられてきた生活の ” 相互活動 ” に伴う生活様式とその「 構成要素 」 とは異なる新たな捉え方や考え方をもつことが必要になってきている。

「 判断 」とは、” 知る ” ことを意味するものといえ、その「 判断力 」は ” 知る力 ” であり、これからの時代を生き抜くために自己自身は社会変化に対応(適応)して変化するのみならず、” 変化することは進化・発展することである ” とした「 判断 = 変容力 」が特に重要なものとなる。

内発的動機付けと外発的動機付けによる判断の両者は、ややもすれば絡み合いながら働き、相互に他に移行するというような相互作用はありうるが、「 判断力 」によって最終的に価値判断を決定するのがもっとも客観的なもっとも深い事実判断であるということもできる。

自己自身としての「判断力」とは、そのような ” 認識力( 自己認識 )・ 評価力( 自己評価 )” に ” 洞察力 ” を通した「 判断力 」であり、未来を信じる力と持続可能性を生み出す力を以て自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方という ” 自己創出 ” なのである。

知らず識らずの間に不思議な社会現象としての人間にならぬよう、自分自身として自らが自主性をもって問題・課題を解決・対応するために行動するのとともに多様性や協調性などがある活動を行い、自己潜在力を引き出し解き放ち ” 自分をコントロール( 調節 : control )” しよう。

常に絶えず発現する社会現象は必ずしも未解決の普遍的な問題・懸案事項または不定的な事象に関する社会問題とは限らない。
良きにつけ悪きにつけ社会全体に急速に浸透して影響を及ぼす社会現象は時代の変遷であり、その時代の波・時流の変化に乗ってのことである。

この様な社会現象としての自分をどの様に捉え、自分自らどの様に対応していけるか、そのためには社会現象の活線上に自分自身の現象となっているものが真に ” 自分のやりたいこと ” なのかを自主的に顧みることが必要だ。

人間ひとり一人の個を尊重する多様性の時代、複雑化するのとともに様々な価値観を共有する多様化する社会。

『 社会課題の ” 難化 ” 』という乗り越えるべき大きな課題の解決へ向けて取り組むにあたり、多様性に適応するため多様化の意識に導かれ多様性が重視される中で、自分自身の本当の在り方は、感情や行動と思考などの原点として存在する自己として時代の変遷に伴う状況や情勢に沿った変化を受け入れ適応していくために自分の一時的ともいえる可変的な価値を単に探り求めていくだけのことでよいのだろうか。

その様に自分自身としての本当の在るべき姿を ” 問い直す ” にあたっては、不思議な社会現象としての人間にならないがために、皮肉にもその不思議な社会現象のそれ自体を ” 問い直す ” ことにより学び取ると、そう単刀直入にいうのは牽強付会の誹りを受けるだろうか。

” 問い直す ” ことは、自分自身の本質に迫る行為であり、自己の発意と創造の志向性とその可能性にある新たな自己自身の姿や自己の内に眠る「 潜在力 」に気づき、次なる問題や課題を生み出す切っ掛け( 契機 )にもなり得る。

人間は何かに慣れると、どんどん安易に物事を判断する方向に流れていくのであり、普遍的に大切な ” 問い直す ” ことを今改めて強調する理由と背景にある危機感を先立って捉えることである。

自己の自主性( 自己意識 )は、自分の現実・事実に関わり意識や行為者性と人であるのとともに視点や感情と信念や意志と欲望など意識的な経験( 主観的な側面 )と性格をもつ人それぞれが自己の主体であり、自分に対して活動する( 行動したり力を振るう )にあたって主観性( 主観的な見方や主観に依存する程度 )が伴うことを度外視することはできない。

とはいえ、自己が開けてゆく期待が伴う中で ” 地域を生きる自分を活かす ” ことは、自己主体の自覚や意志に基づいて行動したり作用を他に及ぼしたり自分の思い通りを追求していくことでは決してなく、自己主体としての考えに閉じ籠っている在り方を開いていく働きとその作用が付随・関連( 又は連関 )するものといえる。

大きな課題に直面する中で思い通りにならずに行き詰まった時、それはこれまでの自分の活かし方( 生き方 )を ” 問い直し ” することにより見方が開ける契機なのである。

自分自身の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自身の自主的な取り組み方として、現時点の自己レベルを始点にした ” 自分への配慮 ” という大切な活動によって自己の発意と創造の志向性とその可能性に向い超え出る ” 力のいろいろ ” に触れてみることだ。

” 自己発展力( 発想力と展開力 )の発創 ” による「 自己プロモート 」の拠り所として、人の基礎力( 人の能力一覧 )における一つの力、自主的な ” 自己調節力( 自己コントロール )” 。

” 調節 ” は、ほどよく整えてつり合いのとれた状態にすることであり、内観的に ” 認知作用の力 ” が関わるものであるといえる。

その人が持っている本来の力「 実力 」が内面的において自分一人の力「 自己力 」によって試され、感情や思考と行動などが包括された多様なコミュニケーション機能とコミュニティ機能の多くにおいて必要になる。

人によって様々な異なる性質がある中でも人それぞれが自分を整える「 調節力 」というものを身に付け向上させることが重要となってくる。

問題・課題の解決や対応を伴う目的・目標の実現や達成のための努力をしていくうちに、その過程で自ずと身に付く ” 努力の余力( 力のいろいろ )” の効果価値とその効用の質を見直すべき一つとしてある「 調節力 」。

「 調節力 : control 」とは、程よく自分を整えて、つり合いのとれた自己統制の状態にすることである。

自らの感情や思考と行動などを「 認知能力 」によって ” 調節 ” し統制する自己管理能力や実行機能「 自分をコントロールする能力 / self-control )」として、目的・目標の実現や達成のための行動に無理なく移し継続することができる力の働きかけとその作用を高めることを意味するものであるといえる。

気づきであろうがなかろうが多く人は、自らをより前向きに進んで行こうと自分を動かすことを強く意識するのである。

自ずと継続して行動できるようにするようになるが、その一方では何事にも揺るない自分自身を以って動くべき時まで決して軽々しく動かないといったような思いや考えも無きにしも非ずや。

様々なネットワークへの繋がりや知的コミュニケーションと知的コミュニティによって自ずと自分自身を学ぶしかないのであり、いつしか内観( 自己知 )や自己認知から高度なメタ認知( 自己の認知のあり方に対してそれをさらに客観的に認知すること )へと向かい、自分を自分で知る向きになっていく。

自己の認知や思考などを恰も第三者かのように自分を客観視したり理解したり振り返ったり、ときには ” 自分をコントロール ” したりするのである。

そうこうしている間に、「 自分への配慮という重要な活動によって自己の発意と創造の志向性とその可能性 」に向かい超え出でる時がやって来て、そうして自分自身をより正しく知るようになる。

自らのこの認知や思考は自らの信念か欲求か想像かもわからないとしても、畢竟ずるに着実でより実り豊かな ” 前進効力 ” に自らが富んでくる。

その様な中で、自分を自分で知ろうとして、自分の考えについて考えることへと向かう知覚とは異なり、特有の現象性が存在しない中で内観又は内観の結果である自己知は、自らがどのような動機で動いているのかを全存在と全感覚を使ってのみ理解できることになる。

言語でのみ自らを捉えて知ったつもりでも、無意識領域が大きく自己知は浅くなり、その認識的な強さに関わる信念も欲求も想像も生起的か傾向的かによって異なる。

自己自身を正しく知ることは意外に難しくても、先ずは自己認知として自己自身の認知や思考とともに自分の価値観や長所短所と強みや弱さを的確に把握認識した上で、全ては何故そうなのかを理解することである。

その上で、どのように行動すべきかを考える高度なメタ認知を用いることで自分の感情や思考と行動などを自律的・合理的にコントロールできるといった期待を持つことだ。

その期待の中で、感情知性が高ければ感情に関するメタ認知に優れ、より創造的な問題解決や課題対応において既存の知識を新たな分野に適応したり、既存の知識同士を組み合わせて新たな解決・対応方法を開発することなどが求められる。

これもメタ認知によって客観的に自己を捉え( もう一人の自分から捉え )、自分の感情や思考と行動そのものをも対象化した認識によって、物事や経験に対するより正しい理解や自らの認知行動をより正しく知る上での思考能力をもつことである。

自己自身の状態を明晰に判断するためのメタ認知的知識をもとにして、自分の考えの矛盾に自ら気づき、自らがもつ問題や課題の特性を把握した上で、その解決や対応などの方略を自ら修正して活動を行っていく。

自分自身の感情や思考と行動に加えて能力を把握した上で、現状を確認しさらに行動を変えていくなど、その複雑な過程に求められる自分の能力をもって変化に適応してゆくことになる。

自己分析が上手になれば、自分の知識や考え方などを見直すことができるのであり、それらに囚われずに常に自らを変化させ、外の変化に対し柔軟に対応できるようになる。

認知特性や課題と方略に関する知識を経験から蓄積し、それぞれを必要に応じ活用する中で、自分が何かを行う際にどのようなプロセスを踏んでいるのかを知ることや自らの思考や行動そのものを対象化し客観的に把握・認識する。

それらを実行する自らの内的アクセスは、自己の思考について特殊で特権的でもある。

他者への思考へのアクセスに対する相対的に高い信頼性が伴っており、探知といったような点で知覚との類似点がある一方においては現象性がないといった点での相違点もある。

信念や欲求と想像が生起的か傾向的かによって明らかに異なる中で、信念一般や欲求一般の大雑把に捉えべきではないところの自己に向かう志向性と現象性との二つの性質をもった想念一般を踏まえておかなければならない。

理性と感覚との間の想像力と交換可能なこの想念は、感情の端緒の結晶ではないものとして、想念一般は外部の対象など契機として生じ行為を生起させ人を行動へと駆り立てる。

根源性という人間に備わった心のうちなるものに気ままな熱心さと不毛な好奇心をもてば、感情の端緒の結晶ではない想念一般の現象性と大いなる志向性における最も小さくはあれど、理性と感覚の間の想像力と交換可能な最も素晴らしい快さを伴う思考の方向と考えざるを得ない。

その想念は、もっとも素晴らしい快さを伴う自分の思考の方向と自己の観念につながるものとして、心の只中で自己の自己に対する反省の営みが有している自ら限界の存在が暗示されはじめ、これによっておそらく何度も掻き消されながらそういった形での心の領域が深く積み重なってくる。

特に変化するこのような今だからこそ、特にこのようにメタ認知能力を高めるべきであり、自らの知識や考え方は陳腐で守株的に縛られていないかを確認し、常に自らを変化させることだ。

感情知性をもコントロールしながら変化にも柔軟に対応できるその能力は自己分析能力にも優れ、自らを客観視してモニタリングし続けていくならば、それは自ずと自分の弱点や不足などといったものが見えてくるはずである。

客観的な自己分析さえできれば、” 自分の感情や思考と行動などを前向きにコントロールする ” ことで、それだけ自らをより前へと進め成長させる機会は確実に増えてくる。

至らぬ準備などをして機会が訪れるのを待ち受けそのような満を持することなく、あらゆる変化に適応すること以上に自分を知り自分を進化させていく。

このような今に至る前は、多種多様な要素が合理的にも複雑に絡み合っている中で、ある特定の一要素を変えても大きな変化には至り難かった。

しかしながら、代替可能ということによってこの変化自体の中に全き淘汰があって変化できないだろうとしていたはずのそれ自体が実は変化できるということに気づきがあるはずである。

以前に戻そうと時期を逸して立ちゆかなくなる前に、枠に囚われた価値観を超え、自分の新しい価値づくりに向う新たな自らの生成に向け変化していくべき契機でもあるといえる。

この変化に従い、自分の感情や思考や行動がそれに合うように変えて順応するのではなく、この今だからこそ自らを学び自らを知り自らを判断して自らを進化させることだ。

自分を知るといったことは謎を謎で置き換えるだけではなく、一生続くであろう最も価値ある学びなのである。

自分を学ぶということは学ぶ可能性にあるよりも自らへの正義として自ずと学ぶことによって、実現されるべき究極的な価値として最も曖昧な最も正しい意義または解釈として自らを学ぶということになる。

時と場合によっては、収拾せんがため暗礁に居残り、吟味する留まざるを得ない境域もある。

今厳し過ぎる現実、理想にあるがまんまの目的・目標の動機や動因に確信と願望の時と人であるともいえる。
何もかも分からず先が読めず、深刻な脅威の警告に最悪シナリオの猛威の見極めができるか。

日常の停滞と非常の阻止も有り得る中、さらには喚起と警笛が起こり得る中、これまでにない規模に対して緊急の即効性がない。
非常時の崩壊はすでに始まりつつ、想定外の苦悩に迫られるのは必要性や重要性とその苦渋だけかもしれない。

多様な力の働きかけ作用する相互作用を意図的に一つに纏めて収拾のために束ね、吟味的なものはコントロールする力であり、左右する力のバランス力が必要となる。

自己実現や目的・目標の達成に向けての自発的な行動を促すコミュニケーションやコミュニティは、気づきや切っ掛け( 契機 )や踏み台( 土台 )として、その足掛かりや手掛かりのバネとなる。
手順のみでは決まりきった一定のパターン&タイプは対応できても、状況が少しても変わってしまうと対応できなくなる。

状況の想定や条件よりも状況に応じ具た体的な対応であり、状況に変わらず丁寧に具現化の質を高めることだ。
柔軟性を主軸にした客観性のある思考力に加えて ” 発想力と展開力 ” で捉え、冷静な判断で ” つり合う知識 ” を取り入れる。

「 地域を生きる ” 自分を活かす ” 」ということは物事と人に関わることであり、自分を活かしながら地域を生きるその生き方を補正・修正する。
大事なのは自己肯定感があろうが自己効力感( 可能感 )があろうが問題を見落とさないことだ。

選択可能性と期待可能性において自分の ” 自己責任と自己肯定 ” の前提を欠くこともある中で、一方では具体的に自己内での衝突の場合もあり、他方では具体的に他者との衝突の場合もある。

人間個々が関わるその全てに接触する個人の境界線と他者との境界線がある。

その合理的且つ安全で許容可能なパーソナルバウンダリーは、適切な境界面(境域)の相互作用において合理的・安全・許容可能な手法であるかを判別するためのものとして、対他的に主体の支配力ではなく、「 相互作用 」において双方向それぞれに影響するのである。

健全な「 相互作用 」は、適切なこの境界面が基盤となっいる感情や思考と行動において成り立っている。

なので、時には保護として働くこともあれば封じ込めとして働くこともあり、何を受け入れ何を受け入れないのか、個々が関わる全てに自分自身の「 自己コントロール能力 」が不可欠なのである。

知は力なり( 力は知なり )” として、この「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」の効果価値がもたらす点を捉えて認識し、その効用の質を見直すべきである。

インタラクション( 相互作用 : interaction / Interaktion )は、” 根本にある発想が同一 ” であり、あらゆる「枠を超え( 枠組みを超え )」その根本概念は共有されている。

“ 相互 = 間 ” で行う(する)という二つ以上のものが互いに作用し影響を及ぼし合い、相互作用というアクション( 行動 )として一方的ではなく、インタラクティブ( 双方向 : interactive )でやり取りを行う相互作用( 交互作用 / 相互交流 / 相互行為)のことである。

互いに作用し影響を及ぼし合う ” 連繋 ” または「 連繋思考 」によって ” 枠を超えて力を繋ぐ ” ことは、価値観の共有や多様な状況統合として、その効果の構成は複雑ではあるものの、 ” 越境 ” において互いの価値観の共有や新しい価値観を生み出すことができ、変化し進化していく「 変進力 」が見込まれる。

「 相互交流 」の一定の範囲の中に包み込む ” 包摂 ” という ” 相互の関係 ” づくりであり、価値観に包括される従属関係はその交流範囲から異種・多種を受け入れ取り込んで「 ” 知識 ” の ” 生成 ” 」を行っていくことによって、変化に対応( 適応 )するのみならず、新しいものへと進化・発展する持続的な力である「 変容力 」を身に付けることである。

不可能であることを否定しないが、可能とつり合うように不可能があり、持続というものは試みによって可能か不可能かの相違が生じる。

社会的現象の水準と自己的意識の水準とが密接に関わり、自主的な ” 転換力 ” による決断と転回の時ではあるものの、もはや現状を維持し得なくなって、何か新しい状態が模索される移行過程に起きる矛盾もある。

目的や目標に向う一連の行為に決断という正当理由で偶さか( 適さか )誤ったことをしてしまうのが人間というものであり、決断というものは、場合によっては対応する能力の無さで引き起こす脅威ともいえる。

この様な全てを通して、自分自身としての未来と持続可能性の実際は少なからず時代や社会が反映( 影響 )する。
多様性の時代や多様性社会を含めた社会現象に着目しこれに流されないようにして、現時点の自己レベルを始点にした ” 自分への配慮 ” という大切な活動によって自分の志向性とその可能性に向い超え出ることだ。

果たして自分の本当の在り方は本物の自身なのか、自分自身にハッキリと未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の基準ができるようにすることだ。
この基準が自分に育ち始めるということは、自身が開化( かいけ )して首途するプロセスにあり、それ自体が未来へ持続可能な自分自身としての社会現象( 社会現象としての自己ではないもの )を生み出すことにも繋がる。

それは、自分自身の閉じられた生き方に創生という開け( ひらけ )がもたらされることであり、思い通りを追求する生き方が破られ、ものの見方が開けることである。
思い通りにならずに行き詰まった時、それはこれまでの生き方を問い直す契機であるといえる。

そこで問われるのは、自分自身の成長その全て現象として存在する現実と未来において、我々は今の今時代と社会現象の全てを通して可能性に存在する自分自身というものを再確認する必要性にきているということなのである。

現時点の自己レベルを始点にした ” 自分への配慮 ” という大切な活動によって自己の発意と創造の志向性とその可能性に向かい超え出でる傑作を生み出し続けることの意義は、「 地域を生きる ” 自分を活かす ” 」ことがいいと思うところを自他にもわかるようにする意味にあり、自分と地域を了解できることにある。

” 自己創出 ” に関わる出来事を生み出すということは、失うことを味わわないがための基準を鍛えることができるようなものである。
工夫や苦労を感じてこそ、「 地域を生きる ” 自分を活かす ” 」ことの意味( 意義 )が見えてくるといった現象があるはずだ。

あらゆる状況変化に巻き込まれている自分へのその様な自身の正しい道理( 道義 )という正義への責任を求め、自己が釣り合いのとれる可能性を問うがために、自分自身というものを知り続け、未来に向かって進む。

” 自己調節力( 自己コントロール )” によって自分自身を変化させることが必要であり、” 自己発展力( 発想力と展開力 )の発創 ” による「 自己プロモート 」によって未来の原義そのものに自身自ら投げかけていくということが重要となってくる。

それは、信じる未来の自分を発見し持続可能性を創造し続けてゆくそれ自体が目的・目標の実現や達成に向けた ” 人となりの前向きな追求( 自分への配慮という重要な活動によって自己の志向性とその可能性に勇往邁進すること )” としてある。

自己と地域の同時発心に未来効果を眼界展望する ” 力 ” の発現は、自分自身をかけた慎みと潔さの妥協せぬ勇気の責任と謙虚さにある。

” 自分への配慮 ” という大切な活動に心の怯みや動揺のない攻め強さと心の誤りや不覚のない注意深さは、” 地域を生きる自分を活かす ” 発心が時を一変させる基調であり、自己自身と地域自体が一体となった世界を巡らす勢いを盛り返し、” 自分を生きる地域を活かす ” 自らの心を貫く勇気を維持しえる。

未来を信じる力と持続可能性を生み出す「 自主力 」によって自分自身を生き継ぐ自己こそが、いささか憂鬱な立ち往生と戦い、心のままに現実を直視し守り備え、コミュニケーションとコミュニティの未来形から遮断されることなく誇らしげに直立した先駆者ということになる。

その様な中で、自己について知っている自らの知識を正しく理解・判断し適切に実行していく ” 認知作用 ”( 感情や思考と判断などの自分の認知活動を客観的に捉えて自らの認知を認知する )に伴い付随して、つり合いをとる「 自主力 」の重心と力が働きかけ作用する着力点( 作用点 )による ” 調節 ” なのである。

” 力というのは常に一対に現れる「 相互作用( interaction / Interaktion : インタラクション )」” であり、相互作用というアクション( 行動 )として一方的ではなく、双方向( interactive : インタラクティブ )でやり取りを行う相互作用( 交互作用 / 相互交流 / 相互行為)における全ては ” 力のつり合い ” である。

「 力点 = 主眼点 」として、相互作用のつり合う ” 均衡の効力( 力の効かし方や効き目 )” は、対力と偶力・合力と分力・並進力と回転力などを捉えた「 活動 = 相互作用 」における力の転換( 力点と作用点または着力点など )であり、物事の認識や理解と発想などの仕方でもある。

大きな変化について広い視点で深く構造的に捉え考え抜く力を高め、更に前へ進める力( 前へ踏み出す力 )の自主性を高めることであり、” 自主力 ” は幅広さと深さを伴う変化への対応策( 解決策 )を導く着力点として「 自主力 = 律動力 」となる。

求められる ” 自主力 ”を活かして行動へと一歩踏み出した「 創造力 」とともに可能性を広げる ” 波動力 ” は、自主性を必要な能力の一つとして進んで物事に取り組む力であるといえる。

そうしてみると、自分自身やその活動と自己力の心棒は、” 地域を生きる自分を活かす ” として成し遂げたいことの状態に成りたい力の能力であり、価値観の基準となる自己理念の力に深く関わる。

社会に存在する自己自身それぞれが「 社会課題の ” 難化 ” 」における様々な課題を自分自身に関わる問題( 自分ごと )として ” 問い直し ” 、解決へ導く大きな力をどの様に生み出していくか、ということである。

その問いを煮詰めるならば、自己としては先ず認知作用の自主力に伴う不可欠な「 調節力 : coordination 」を高めることであり、必要な知識や経験と能力などの多軸な多様性を知るということである。

『 社会課題の ” 難化 ” 』といった様々な問題の解決や課題に対応していくにあたり、自己の志向性とその可能性における創造力と可能力( ケイパビリティ : capability )の広がりとともに自己発展力( 発想力と展開力 )の伸びを高めていくことである。

そのためには、自分の感情や思考と行動をはじめ信念や価値観とニーズや強み弱みなどを意識的に捉え、自分自身の価値観や長所・短所を把握し理解する自己認識力によって気づきで終わらせず、継続的な行動に移して自己信頼や自己効力感などの在り方である自己変容へと確実に繋げていく「 意志力( 意力 )」のある ” アウェアネス( 意識 : awareness )” の力を見出すということになる。

そこに浮き上がってくるのは、” 意識力 ” に伴い進み動く勢いある人の基礎力として自主的なリズム「 律動力 rhythm 」にまつわる何か、ということかもしれない。

 

 

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努力の余力 ” 力のいろいろ ”
思巡の活力【 I 】
〜 ” 相互力 ” に伴う「 調整力 : coordination 」〜
未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・・ 実践への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・・
ー自分を生きる ” 地域を活かす ” ー
地域発展力( 発想力と展開力 )の「 発創!! 」
KANKE 塾 地域プロモート 開催中
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” 地域への配慮 ” という大切な活動によって地域の志向性とその可能性に勇往邁進しよう

 

 

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〈 2024年1月期〜12月期 レポート掲載 〉

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12月: Vol.12「行動力」をだす

 

 

「 ” With NIKKO ” 」ウイズ日光

〜 大自然からの提案 〜

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

 

 

 

 

未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・ 実行への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・

 

地域を生きる ” 自分を活かす ”「 発創 !! 」

アクティビティ・サロン開催中

 

ー 自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方 ー

 

 

* 具体的な取り組み及び進捗状況等について
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” 誰もが地力 ”

〜 Vol.12「 行動力 」をだす

〈 2024年12月期 レポート掲載 〉

 

人の ” 行動 ” は、日常性の普通の状態において特別な体験に特別な発想を仕掛けることなく、日常の生活行為としてあり、多種多様な内容の日常生活活動をしている。

「 行動力 」は、その日常性の中で何某かを目的・目標として、実際に何某かを意志的に行うとき、自ら考えたことを実践・実行に移せる力であり、目標や目的のために自ら考え行動を起こす力である。

この様に具体的な行動を起こたり行動を共にしたり自分で考えて行動するなど、人の考え方やその「 行動力 」は ” コミュニケーション ” や ” コミュニティ ” に大きく影響され、自らを切り拓くうえでの特に重要なスキルとしてあり、日々何となく受け身で過ごすのではなく、 ” 主体的・自主的 ” に考え動く習慣を身につけることである。

目的・目標の達成に向けた「 行動力 」の源泉は、知的コミュニケーション力と知的コミニュティ力であり、” 行動 ” というものは総じてその支えにあるともいえる。

” 自己への配慮 ” による自己の志向性にかかわり、自分と地域の同時発心の創まり( はじまり ) に未来効果を展望する「 発創 」の発現は、自らをかけた慎みと潔さの妥協せぬ勇気の責任と謙虚さにあり、一方から他方へと自分自身が発心し、「 行動力 」によって時を一変させる基調である。

その「 行動力 」は、自分を巡らす勢いを盛り返し、未来を信じる力と持続可能性を生み出す力を持ち、自らの心を貫く守る強靭さを維持することにより ” 地域を生きる自分を活かす ” ことを維持し得るのである。

このコミュニケーション知とコミュニティ知にある「 行動力 」を基礎力とした自主的な自己力と主体的なの地域力とによって ” 地域を生きる自分を活かす ” ことが求められることになる。

” 努力 ” という総じて「 行動力 」にある ” 努力の余力 ” としての「 力のいろいろ 」のその力の問題に対する一般的に正しいと認識される正解の力の答えは、可能性を含意した潜在的な力としての ” 潜勢力 ” ともいえる。

それは内在的というよりも外部との関係により円環的に働き作用した結果として発現する力であり、知的コミュニケーション力に対する捉え方を新たにするとともに知的コミュニティ力に対する考え方を新たにすることが特に重要となってくる。

この様に、信じる未来の自分の在り方を発見し持続可能性を創造し続けてゆくそれ自体が、人に生まれつき備わっている人となりの前向きな「 行動力 」だといえ、そこに浮き上がってくるのは、時代の変化に適応して進化できる ” 変進力 ” をもって進み動く勢いある自分自身としての自主的な「 努力の余力 ” 力のいろいろ ” 」に纏わる( まつわる )何かということかもしれない。

 

 

地域性と共同性という二つの要件を中心に構成された ” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する地域コミュニティと融合する自己創出における活力の回復・増進と維持に向けた自分自身の未来を切り拓く「 潜在力 」を解き放つための多彩なアクティビティ活動の展開。

「 自己の創出 」と「 地域の創生 」とは、生きるに関する価値的・活動的な意識や意義の側面であり、 ”『 発創 』は兼ね合いの着地点 ” として既存のものを繋ぎ守り社会と個人が求める新規なモノ・コトへと仕上げることで生まれる。

自己創出のアクティビティと地域創生のエリアマネジメントとを伴い合わせれば、斉しく相応じて釣り合う同時進行により一遍にして連関の効果のみが見せることができる強固な完成度と持続度の有能性を備えることになる。

『 地域を生きる ” 自分を活かす ” 』と『 自分を生きる ” 地域を活かす ” 』

自分らしく日常生活を安心して暮らしたい自分自身での自主性はその地域街区に関わり、” 自己創出 ” は自己意識と自ら考え行動を起こす自分自身の自主性にあり、” 地域創生 ” は自らの意識( 当事者意識 )と意思( 意志 )や判断に基づき自らの責任のもとで行動を起こす地域街区の主体性にある。

この相対的な行動( また能動的で上位互換のようなもの )は一切の「 自立自信・自化自発 」の資にあるのも同じ。

人の同気相求として地域は人が集まる一味同心による同心協力にあり、それに相応しい存在の意義( その場に居合わせることにより生み出される価値 )あるものとして、自分を活かし自己の新しい意欲を引き出すアクティビティと街区を活かし地域の新しい活力を生み出すエリアマネジメンとを一様の尺度に依り時を同じくして起こし ” 創める( はじめる )” ことは同等の効果になるわけである。

・・・・・ 地域を生きる自分を活かし自己の新しい意欲を高めるのは圧倒的な努力であり、活動を生み出す力の活力は「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」として枯渇することはない。
重視すべきは原動力であり、「 努力の余力 」があってもそれを活力や力のいろいろとして用いないのは、努力した結果において求める地点に辿り着くといった努力を力の単一とした努力度と努力の成り行きである実利の成果価値をもたらす点だけを捉えているからである。
努力することによって産み出される想定外の「 努力の余力( 力のいろいろ )」に新たな価値があるといった努力するプロセスに価値を帯びる少なくないケースを認識してはいないことになる。
満足される「 努力の余力 」とは、努力が本来目指していた成果とは異なる価値として、努力過程にある副産物( 力のいろいろ )の価値を認めることによって得ることができる実利的な実際の効果価値なのである。
この「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」の効果価値がもたらす点を捉えて認識し、その効用の質を見直すべきである。・・・・・

 

→  アクティビティ・サロン
” はじめに ” Vol.01「 創出 」をはかる

〈 2024年1月期 レポート掲載 〉

 

 

「 KANKE GRAND 日光 」
→ Vol.12「 行動力 」をだす
〈 2024年12月期 レポート掲載 〉
未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・ 実践への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・
地域を活かす「 発創 !! 」
エリアマネジメント・フォーラム開催中
ー 地域資産価値の有効活用と効果的な修復向上・維持運営で守り育てる実践への主体的な取り組み方 ー

 

→  エリアマネジメント・フォーラム
” はじめに ” Vol.01「 創生 」をはかる

〈 2024年1月期 レポート掲載 〉

 

 

趣意 : ” KANKE GRAND 日光 ” / OFFICE KANKE

→ 基本的考え方 : With NIKKO ウイズ日光

 

編首 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

→ ウイズ日光 With NIKKO 2023年9月創設号
” 大自然の命は待っている ”
〜 従来はそうでなかった日光での物事を始める 〜

 

 

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12月: Vol.11「推進力」をえる

 

 

「 ” With NIKKO ” 」ウイズ日光

〜 大自然からの提案 〜

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

 

 

 

 

未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・ 実行への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・

 

地域を生きる ” 自分を活かす ”「 発創 !! 」

アクティビティ・サロン開催中

 

ー 自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方 ー

 

 

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” 誰もが地力 ”

〜 Vol.11「 推進力 」をえる

〈 2024年11月期 レポート掲載 〉

 

「 推進力 」とは、自らを押し出していく動力( 働き )と作用のみの ” 推進 ” だけではなく、より ” 促進 ” するための先導的な取り組みである ” 促進力 ” として自らを牽引( 先導 )する力の動力( 働き )と作用の ” 促進 ”で もある。

“ 推進 ” とは、” 押し出す力 ” のみならず ” 引っ張る力 ” としての ” 促進 ” が付随されたものであり、” 推進 ” のそれだけではなく、更にそれ以上の ” 推進 ” の程度がより増したり段階がより高まったり、目的・目標の達成へ物事が進む ” 促進 ” として動力源から取り入れて引き出して牽引する ” 引っ張る力 ” である。

この ” パワー・テイク・オフ ” は、 目的・目標の達成の向けて前へと進む動態的な力( 変化している動きとその動力 )の推進動力源から動力を取り出して変換し、それを促進的な動力にする仕組みであり、その取り組みは前方からも引っ張る力(促進力)を総推進力としてに加え倍力にする効果・効率を求めることである。
その仕掛けは、前進させ向上させる ” コミュケーション知 ” であり、円滑なコミュケーションの効率とコミュニケーション・ツールの効能である。

この様に、目的・目標を達成するように努める ” 推進 ” という運動( 又は活動 )による推進の深化のために、振興や活用などの取り組みを必要とする。

” 推進 ” というものに対して力を貸して助ける支援のみを 「 推進力 」 とする取り組みだけではなく、より効果的な ” 促進 ( 又は促進活動 ) ” をするための先導的な取り組みである ” 促進力 ” として、 ” 推進自力( 動力源 )に付随する先導的な動力 ” というものが特に優位性のある動力源としての重要な位置を占め、「 推進力 」のより効果・効率的な働きと作用を及ぼす力として必要となってくる。

前進倍力の ” 自己プロモート力 ” ( 「 推進力 」 と ” 促進力 ” ) は、 自分自身の自主性・裁量性を高めるための取り組みとともに 「 自己創出 」 の実現に向けた総合的取り組みであり、 「 自分への配慮 」 による自己の志向性を前進させ向上させる ” 知的コミュケーションの投企 ” を中枢とした極めて重要な役割を果たすことになる。

自己特性を活かした自らの生活基盤の整備の推進と促進をはじめ、幅広い生活文化の自立・活性化による自分づくりと人間関係の連携・交流の推進と促進、さらには自己探求・価値観の明確化や目標設定・キャリアプランニングと幅広い学問分野を横断的に学ぶことや多角的な視点と批判的思考力を養い自己理解や世界観を豊かにするなど、これらによる自己アイデンティティの確立や自己理解・自己実現と人間関係の構築や社会参加と貢献の推進と促進における ” 自己プロモート力 ” ( 「 推進力 」 と ” 促進力 ” ) が果たす役割は幅広く大きいのである。

自分にフォーカスしていくことであり、それによって自分の価値観を知っていくことや自分の強みと弱みを知っていくことをはじめ、さらには自分の考えを持っていくことや自己肯定感を持っていくことなどの役割を担うものである。

「 自己創出 」 の ” 自己プロモート力 ” ( 「 推進力 」 と ” 促進力 ” ) を ” 知的コミュケーション ” に変換し、本来的自己( 又は理想的自己 )へ向かうときに自分自らを ” 投企 ” するのである。

それは、自己は常に絶えず自己に相応しい ” 自分の可能性 ” に向かって超え出ようと存在しており、自己の存在( あり方または存在性 )を発見し創造することにある。

この可能性追求の自由な企ては、自己が投げ出されている事実からどれだけ逃げても逃げきれない中において、自己事実として投げ出されている自分が自己の存在へかかわる仕方( 取り組み方 )によって自分に相応しい可能性を志向し ” 行動 ” に打ち出ることなのである。

自分のあり方というものは、自己の存在を発見し創造することであり、そのために自己は現在から未来へ向かって進むということであり、この「 自己創出 」の ” 行動力 ” というものが、 「 自分への配慮 」 による自己の志向性を前進させ向上させる知的コミュケーション による前進倍力の ” 自己プロモート力 ” ( 「 推進力 」 と ” 促進力 ” ) なのである。

◾️ 次号 : Vol.12「 行動力 」をだす

 

 

地域性と共同性という二つの要件を中心に構成された ” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する地域コミュニティと融合する自己創出における活力の回復・増進と維持に向けた自分自身の未来を切り拓く「 潜在力 」を解き放つための多彩なアクティビティ活動の展開。

「 自己の創出 」と「 地域の創生 」とは、生きるに関する価値的・活動的な意識や意義の側面であり、 ”『 発創 』は兼ね合いの着地点 ” として既存のものを繋ぎ守り社会と個人が求める新規なモノ・コトへと仕上げることで生まれる。

自己創出のアクティビティと地域創生のエリアマネジメントとを伴い合わせれば、斉しく相応じて釣り合う同時進行により一遍にして連関の効果のみが見せることができる強固な完成度と持続度の有能性を備えることになる。

『 地域を生きる ” 自分を活かす ” 』と『 自分を生きる ” 地域を活かす ” 』

自分らしく日常生活を安心して暮らしたい自分自身での自主性はその地域街区に関わり、” 自己創出 ” は自己意識と自ら考え行動を起こす自分自身の自主性にあり、” 地域創生 ” は自らの意識( 当事者意識 )と意思( 意志 )や判断に基づき自らの責任のもとで行動を起こす地域街区の主体性にある。

この相対的な行動( また能動的で上位互換のようなもの )は一切の「 自立自信・自化自発 」の資にあるのも同じ。

人の同気相求として地域は人が集まる一味同心による同心協力にあり、それに相応しい存在の意義( その場に居合わせることにより生み出される価値 )あるものとして、自分を活かし自己の新しい意欲を引き出すアクティビティと街区を活かし地域の新しい活力を生み出すエリアマネジメンとを一様の尺度に依り時を同じくして起こし ” 創める( はじめる )” ことは同等の効果になるわけである。

・・・・・ 自分を生きる地域を活かし地域の新しい価値を上げるのは圧倒的な努力であり、活動を生み出す力の活力は「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」として枯渇することはない。
重視すべきは原動力であり、「 努力の余力 」があってもそれを活力や力のいろいろとして用いないのは、努力した結果において求める地点に辿り着くといった努力を力の単一とした努力度と努力の成り行きである実利の成果価値をもたらす点だけを捉えているからである。
努力することによって産み出される想定外の「 努力の余力( 力のいろいろ )」に新たな価値があるといった努力するプロセスに価値を帯びる少なくないケースを認識してはいないことになる。
満足される「 努力の余力 」とは、努力が本来目指していた成果とは異なる価値として、努力過程にある副産物( 力のいろいろ )の価値を認めることによって得ることができる実利的な実際の効果価値なのである。
この「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」の効果価値がもたらす点を捉えて認識し、その効用の質を見直すべきである。・・・・・

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” はじめに ” Vol.01「 創出 」をはかる

〈 2024年1月期 レポート掲載 〉

 

 

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未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・ 実践への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・
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” はじめに ” Vol.01「 創生 」をはかる

〈 2024年1月期 レポート掲載 〉

 

 

趣意 : ” KANKE GRAND 日光 ” / OFFICE KANKE

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12月: Vol.10「展開力」をそなえる

 

 

「 ” With NIKKO ” 」ウイズ日光

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未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
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” 誰もが地力 ”

〜 Vol.10「 展開力 」をそなえる

〈 2024年10月期 レポート掲載 〉

 

物事を広く繰り広げることである ” 展開 ” とは、伸び広がり進んだ段階に移行してゆくポテンシャル( 潜在的可能性 )が見出され、認識や評価とそれへの査察によって ” 次なる目標設定 ” がなされるのであり、気づきや洞察によってその変容と達成をも望観できるということである。

” 展開 ” や「 展開力 」という視点は ” 展開性 ” とともに、これらを十分に発揮する特に重要であり、認識力を高めて自ら考えるために必要な ” 発展力 ”( 発想力と「 展開力 」)をつけることである。

発展性として、システマチックな展開性とパターン性やバリエーション性における幅広い展開度などが求められ、開の拡張性や汎用性に優れた展開力( 活用力 )として、展開情報収集や分析力による構想力と手順や発想力による選択する力( 意思決定力 )が必要となる。

認識力・評価力を課題形成力と課題処理力の視点を持った課題展開能力は、自ら課題を発見して解決の見通しを創出する力として、目的というゴールに向けてその間に設定される目印( 指標 ) への解決に向けた課題遂行能力を必要とする。
課題解決力の側面からの認識の評価たるものが明確に分かり、解決していくという能力の尺度になるのである。

これらによって、目的・目標へ向けた自己コントロール力や自己調整力をはじめ自己理解における自己変化力や自律性としての積極性や強靭性などの課題遂行能力を高めることになる。
自分の考えや価値観などを深く知り、自己の内なるそれらを自分自身の特性として受け止めことであり、自己理解を深めれば自己変化への気づきや切っ掛けを掴むことができたり、自己の外(他者)への意識が自ずと向けられるようになるはずである。

” 自己展開 ” の基盤としては、自分の新たな価値の創造に向けた「 自己創出 」の多面的な背景の意味( 又は意義 )を十分に踏まえた自己参画総量の増加( 志向性と活動量の掛け合せ )が最も重要であり、自主的な( 主体としての )創意・工夫の自発性に関わり、自己価値を高める展開( 活動 )が必要不可欠となる。

自己展開力においては、” 自分への配慮 ” による自己の志向性を想起させる自分事( じぶんごと )として期待値を擦り合わせ主体的( 自主的 )な行動により満足感を高め、自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方の最適化や最大化ができるかが重要である。

価値観・生活様式の多様化や家族システムの変化と経済・社会や情報化社会の進展など、生活世界を取り巻く環境は大きく変化してきており、多様性( 又は多様化 )が求められる中での ” 自己展開 ” に係わるその対象は幅広いテーマや領域に及んできている。

展開において自分自身の ” 自己的イメージ ” の具現化を実現するためには、現状の自己的能力において自己観察しうる力の推進と自己観察した上で、次に主体( 自主性 )自らが「目標」とする自己的価値の具体的なイメージ化が求められる。
また、そのイメージを具体化するためには、その方法を創造し、計画し、実践しうる「 展開力 」を如何に育むことができかといった点が重要となってくる。

主体( 自主性 )のその時点のレベルによる自己レベルが始点となり、それをどの様に高めていくかという ” 目標設定 ” が持続的になされるところに「 自己展開力 」が見て取れる。

自己のパフォーマンスという自分自身で頻出する典型的なパターンに変化を求めようとするとき、その「 自己認識 」後の「 自己評価 」とそれへの省察によって ” 次なる目標設定 ” がなされる必要があると考えられる。
” 次なる目標 ” が達成されたとするならば、これまでの活性化とは異なった ” 次なる活性化( 上達の活性化 )” へと更なる” 自己の変容 ” がなされたことになり、そしてそれは自己展開( 自己展開力 )を読み取ることが可能になる。

” 自己評価 ” に対する将来を展望する中で、自分はもとより他者もまた新たなステージに立とうとしている。
そうした未来に向けての契機がこの ” 自己展開 ” の内容に盛り込まれているとした「 展開力 」には、着眼から創意・工夫に至るストーリー軸を中核に捉えることが必要である。

要は「 自己創出 」における将来展望の視点を、持続発展自己に求めつつ自己そのものが備える ” 自己展開力 ” をどの様に評価すべきか、また ” 自己展開力 ” をどうの様に備えるか、それらに掛かってくる。

自己における将来展望の視点を「 持続発展の自己 」に求めつつ、 自己資産価値そのものが特徴でもある成長的発展の産物であると捉えのとともに、そうした自己資産価値を主たる資材としてきた「 自己創出のプログラム 」も異なる視点から再考されるべきであるとし、将来を展望した ” 発展力 ”( 発想力と「 展開力 」)によって ” 更なる目標設定 ” について検討を重ねることである。

この様なプロセスにおいて課題とされるのが、前述の ” 自己展開力 ”をどの様に「認識・評価」すべきかといった点に集約される。

その様な中で ” 自己展開 ” は、一過性ではなく定着・持続できるかどうかにおいて優れた「 展開力 」を備えることが今後の大きな課題となり、多くのチャンスも創造される「 自己創出 」に価値を見出し、活性化される具体的な ” 発展力 ”( 発想力と「 展開力 」)とその多様な ” 自分の自己サイクル展開 ” による「 推進力 」が活路となる。

◾️ 次号 : Vol.11「 推進力 」をえる

 

 

地域性と共同性という二つの要件を中心に構成された ” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する地域コミュニティと融合する自己創出における活力の回復・増進と維持に向けた自分自身の未来を切り拓く「 潜在力 」を解き放つための多彩なアクティビティ活動の展開。

「 自己の創出 」と「 地域の創生 」とは、生きるに関する価値的・活動的な意識や意義の側面であり、 ”『 発創 』は兼ね合いの着地点 ” として既存のものを繋ぎ守り社会と個人が求める新規なモノ・コトへと仕上げることで生まれる。

自己創出のアクティビティと地域創生のエリアマネジメントとを伴い合わせれば、斉しく相応じて釣り合う同時進行により一遍にして連関の効果のみが見せることができる強固な完成度と持続度の有能性を備えることになる。

『 地域を生きる ” 自分を活かす ” 』と『 自分を生きる ” 地域を活かす ” 』

自分らしく日常生活を安心して暮らしたい自分自身での自主性はその地域街区に関わり、” 自己創出 ” は自己意識と自ら考え行動を起こす自分自身の自主性にあり、” 地域創生 ” は自らの意識( 当事者意識 )と意思( 意志 )や判断に基づき自らの責任のもとで行動を起こす地域街区の主体性にある。

この相対的な行動( また能動的で上位互換のようなもの )は一切の「 自立自信・自化自発 」の資にあるのも同じ。

人の同気相求として地域は人が集まる一味同心による同心協力にあり、それに相応しい存在の意義( その場に居合わせることにより生み出される価値 )あるものとして、自分を活かし自己の新しい意欲を引き出すアクティビティと街区を活かし地域の新しい活力を生み出すエリアマネジメンとを一様の尺度に依り時を同じくして起こし ” 創める( はじめる )” ことは同等の効果になるわけである。

・・・・・ 地域を生きる自分を活かし自己の新しい意欲を高めるのは圧倒的な努力であり、活動を生み出す力の活力は「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」として枯渇することはない。
重視すべきは原動力であり、「 努力の余力 」があってもそれを活力や力のいろいろとして用いないのは、努力した結果において求める地点に辿り着くといった努力を力の単一とした努力度と努力の成り行きである実利の成果価値をもたらす点だけを捉えているからである。
努力することによって産み出される想定外の「 努力の余力( 力のいろいろ )」に新たな価値があるといった努力するプロセスに価値を帯びる少なくないケースを認識してはいないことになる。
満足される「 努力の余力 」とは、努力が本来目指していた成果とは異なる価値として、努力過程にある副産物( 力のいろいろ )の価値を認めることによって得ることができる実利的な実際の効果価値なのである。
この「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」の効果価値がもたらす点を捉えて認識し、その効用の質を見直すべきである。・・・・・

 

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” はじめに ” Vol.01「 創出 」をはかる

〈 2024年1月期 レポート掲載 〉

 

 

「 KANKE GRAND 日光 」
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〈 2024年10月期 レポート掲載 〉
未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・ 実践への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・
地域を活かす「 発創 !! 」
エリアマネジメント・フォーラム開催中
ー 地域資産価値の有効活用と効果的な修復向上・維持運営で守り育てる実践への主体的な取り組み方 ー

 

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” はじめに ” Vol.01「 創生 」をはかる

〈 2024年1月期 レポート掲載 〉

 

 

趣意 : ” KANKE GRAND 日光 ” / OFFICE KANKE

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→ ウイズ日光 With NIKKO 2023年9月創設号
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12月: Vol.09「発想力」をきたえる

 

 

「 ” With NIKKO ” 」ウイズ日光

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未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・ 実行への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・

 

地域を生きる ” 自分を活かす ”「 発創 !! 」

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ー 自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方 ー

 

 

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” 誰もが地力 ”

〜 Vol.09「 発想力 」をきたえる

〈 2024年9月期 レポート掲載 〉

 

物事の計画や実践・実行にあたって行う新しい工夫や思いつきなど新たなものを生む出すことであり、その着想を形に具現化していく ” 創造力( =「 発想力 」) ” が求められる。

アイデアの閃きだけでは問題の解決策は生まれず、考えた結果によって ” 実行( 実行力 ) ” に繋げることである。

「 発想力 」を鍛え高めると思考の柔軟性を高めることになり、畢竟ずるに重要な ” 発想の転換 ” がスムーズにいくことになるのであり、固定観念や過去の価値観に捉われない今までとは異なる視点で物事の進め方を変えることが多いため発想力は特に必要となってくる。

” 自己発想 ” とは、「 自己創出 」における ” 発想の転換 ” そのものであり、いつもの自分の思考とは別のパターンで可能性を広げて考えて新たな発見をすることである。

” 自己発想 ” とは、「 自己創出 」における ” 発想の転換 ” そのものであり、思考を広げて固定観念やこれまでの前提などを疑問視して新たな見方や観点で考えることである。

予測は想像を新たに作り出すことであり、創作の創造的な創造と何ら変わりはなく、新しく思いつき独創的に考つく「 自己創出 」の創意といった一つの着手により図無しに予想づき欲望され際限なく予期づき渇望される自己の総意というものがある。

自分自身において類似した心の動きと意識が一斉に喚起される集中的意識とともに ” 転換発想 ” という強含みをもつ壮観さに勝るものはない。

いかに強含む頭の弾力が必要とはいえ、実際に人は自ら最大の変化を促す否定から肯定へ主張されるものは必要とされるということなどを、とざまこうざま考えながら日々生きてゆけるわけがない。

生きるために ” 問題解決的な発想 ” の喪失などデメリットを憂慮することができるかどうかによるのであり、全て変動はロジスティックな兵站術の経過を辿ることを知ることである。

自らに注意の焦点の経験則があるとはいえ、壊すのは容易く作り出すのは至難の技であり、間がな隙がな手ずから自らの手で ” 生かす斬進な発想 ” に意識を常に充填することになる。

しかしながら、その様な充填の変化と作用や過程と作業の一連の行為により目的意識が強まれば強まるほど、問題の発見と形成と解決の厳しい問題処理に耐えるモチベーションを得られることになるだろうか。

自らが目標や対象・方向に向かって行動を起こし、それを維持するための原動力・動機・ヤル気となるような、その様な目的や切っ掛けと意欲のことである。

確実ではなくボンヤリとハッキリしない広くて深く果てしない曖昧模糊の漠然というものは、いわば ” 生じ起こる可能性は除外された受動的な何かの発生である特定の情況 ” ことであり、慎重な判断を要する局面に自ずと関与して徹底させる機会が生じた時と場合ともいえる。

” 生かす斬進な発想 ” による斬新性の強みで情況との関係性を解き明かす意識性の変化進行は、結果に達すればそれは肯定となり、問題処理に進むべき道の方途への介在と吟味によって否定と対置する不動なものに完全性を与え、目的として対象化され具現化されたことになるので、詰まりそこにあるものこそが ” 転換発想 ” ということになる。

人は自ら願望の安心や願望の信頼により信じてしまう( 誤りの )多様な生き方などを、とざまこうざま考えながら日々生きていけるわけがなく、生きる筋道と成果に判断と選択を見誤る陥穽の回避しうる方途を如何にに解決できるかによる。

思い込みの ” 発想 ” に先走ることなく、先ずは全体を見渡し、問題の進むべき道は目の前に身近な難易度の低い順から解き崩すことだであり、全体を遮られないにようにしてから、あちらこちらへ曲がりくねった現実の際涯を見晴らし、現在と将来の可能性について多角度的に捩り捩り( すじりもじり )遠くまで見通しを立てるのである。

全体は欠けているものが無いわけがなく、多様性の全体の中から無駄を省く削減から始めてゆくことが必要となる。

流れを遮って止めて他の動きや作用などが及ばないようにする受容の遮断というものは、いわば ” 固執と依存にもよって一途な心組みと承認欲求の願望に駆られている ” ことであり、思いに妨げられて心をとらわれる働きから離れられない有相執著(執着)ともいえる。

要するに問題処理とは、自分を活かし地域の時を生きる(「地域を生きる自分を活かす」)とすべき全体を遮る躓き石を取り除くことといえ、その ” 活かす限界の一望 ” による全面性の強みで窮屈から辛うじて実現できるギリギリの余地は、人間の多様の生に解き放たれる断念や諦観であって譲歩や妥協であるということになる。

如何に自分を活かし地域の時を生きる(「地域を生きる自分を活かす」)かにおいての自らの心の有り様は、人に心機一転をもたらす一転語 ” どうであるかは自分次第 ”( 一転語 )なのであり、心とは別に存在するものではなく、自らの心の持ち方一つのという ” 心外無別法 ” にある。

自分自身にある「 発想力 」における自らの ” 発想の基軸 ” は心的作用の実際の顕れとして、その ” 発想の基軸 ” を積極的且つ楽観的に肯定や革新の方向へ明晰にシフトされることにより自主的に自分自身を新たに作り出し変化させるといった基本的に心の持ち方の習慣一つであり、自分を活かし地域の時を生きる(「地域を生きる自分を活かす」)かのその全ては自主性として自分次第なのである。

「 発想力 」に伴う自己の ” 潜在性 ” は ” 有って無いようなもの ” として、その見込まれる潜在力の可能性は ” 決めに行かない ” ということをも意味するものであり、諸々の自己能力に先立つ自己の ” 潜在力 ” というものは、あくまでも一つの可能性としての発現にある。

自分自身の ” 潜在的な力 ” というものは自己に単純に内在しているのではなく、” 自分への配慮 ” による自己の志向性と関係づけられ、外部との関係によって円環的に動き作用するものである。

自分の ” 主体力 ” として他方から一方へ心働き動く心機転回 “ 転換発想 ” によって、自らが持つ固有の潜在能力を可能態から現実態へと移行させることである。

” 発想 ” するものとは、概括的・抽象的に捉えた概念的なものではなく、具体性に欠けないものであり、繰り広げられ伸張を図るものとしてである。

そういった意味において ” 発想 ” とは、 ” 展開 ” そのものといえ、まさに「 発想力」は ” 展開力 ” に等しいものなのである。
言い換えれば、「 発想力 」& ” 展開力 ” = 発展力として、” 目標設定 ” が持続的になされるところに将来を展望した「 発想力 」と ” 展開力 ” が見て取れる。

伸び広がり進んだ段階に移行してゆくポテンシャル( 潜在的可能性 )が見出され、自己評価とそれへの査察によって ” 次なる目標設定 ” がなされ、気づきや洞察によってその変容と達成をも望観できることは、遥かに自分の未来を豊かに孕み展望に富んでいるといえる。

◾️ 次号 : Vol.10「 展開力 」をそなえる

 

 

地域性と共同性という二つの要件を中心に構成された ” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する地域コミュニティと融合する自己創出における活力の回復・増進と維持に向けた自分自身の未来を切り拓く「 潜在力 」を解き放つための多彩なアクティビティ活動の展開。

「 自己の創出 」と「 地域の創生 」とは、生きるに関する価値的・活動的な意識や意義の側面であり、 ”『 発創 』は兼ね合いの着地点 ” として既存のものを繋ぎ守り社会と個人が求める新規なモノ・コトへと仕上げることで生まれる。

自己創出のアクティビティと地域創生のエリアマネジメントとを伴い合わせれば、斉しく相応じて釣り合う同時進行により一遍にして連関の効果のみが見せることができる強固な完成度と持続度の有能性を備えることになる。

『 地域を生きる ” 自分を活かす ” 』と『 自分を生きる ” 地域を活かす ” 』

自分らしく日常生活を安心して暮らしたい自分自身での自主性はその地域街区に関わり、” 自己創出 ” は自己意識と自ら考え行動を起こす自分自身の自主性にあり、” 地域創生 ” は自らの意識( 当事者意識 )と意思( 意志 )や判断に基づき自らの責任のもとで行動を起こす地域街区の主体性にある。

この相対的な行動( また能動的で上位互換のようなもの )は一切の「 自立自信・自化自発 」の資にあるのも同じ。

人の同気相求として地域は人が集まる一味同心による同心協力にあり、それに相応しい存在の意義( その場に居合わせることにより生み出される価値 )あるものとして、自分を活かし自己の新しい意欲を引き出すアクティビティと街区を活かし地域の新しい活力を生み出すエリアマネジメンとを一様の尺度に依り時を同じくして起こし ” 創める( はじめる )” ことは同等の効果になるわけである。

・・・・・ 地域を生きる自分を活かし自己の新しい意欲を高めるのは圧倒的な努力であり、活動を生み出す力の活力は「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」として枯渇することはない。
重視すべきは原動力であり、「 努力の余力 」があってもそれを活力や力のいろいろとして用いないのは、努力した結果において求める地点に辿り着くといった努力を力の単一とした努力度と努力の成り行きである実利の成果価値をもたらす点だけを捉えているからである。
努力することによって産み出される想定外の「 努力の余力( 力のいろいろ )」に新たな価値があるといった努力するプロセスに価値を帯びる少なくないケースを認識してはいないことになる。
満足される「 努力の余力 」とは、努力が本来目指していた成果とは異なる価値として、努力過程にある副産物( 力のいろいろ )の価値を認めることによって得ることができる実利的な実際の効果価値なのである。
この「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」の効果価値がもたらす点を捉えて認識し、その効用の質を見直すべきである。・・・・・

 

→  アクティビティ・サロン
” はじめに ” Vol.01「 創出 」をはかる

〈 2024年1月期 レポート掲載 〉

 

 

「 KANKE GRAND 日光 」
→ Vol.09「 発想力 」をきたえる
〈 2024年9月期 レポート掲載 〉
未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・ 実践への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・
地域を活かす「 発創 !! 」
エリアマネジメント・フォーラム開催中
ー 地域資産価値の有効活用と効果的な修復向上・維持運営で守り育てる実践への主体的な取り組み方 ー

 

→  エリアマネジメント・フォーラム
” はじめに ” Vol.01「 創生 」をはかる

〈 2024年1月期 レポート掲載 〉

 

 

趣意 : ” KANKE GRAND 日光 ” / OFFICE KANKE

→ 基本的考え方 : With NIKKO ウイズ日光

 

編首 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

→ ウイズ日光 With NIKKO 2023年9月創設号
” 大自然の命は待っている ”
〜 従来はそうでなかった日光での物事を始める 〜

 

 

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Photo / Copyright(C)OFFICE KANKE. All Rights Reserved.
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12月: Vol.08「発見力」をたかめる

 

 

「 ” With NIKKO ” 」ウイズ日光

〜 大自然からの提案 〜

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

 

 

 

 

未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・ 実行への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・

 

地域を生きる ” 自分を活かす ”「 発創 !! 」

アクティビティ・サロン開催中

 

ー 自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方 ー

 

 

* 具体的な取り組み及び進捗状況等について
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KANKE GRAND 日光 / OFFICE KANKE

 

 

〜 Vol.08「 発見力 」をたかめる

〈 2024年8月期 レポート掲載 〉

「 思考力 」は認識や経験と知識などを基にして ” 考える力 ” とであり、物事を正しく認識し評価する能力のみだけではなく、判断や解決策・対応策など結論を導き出すなど何かしら一定の状態に達しようとする過程において、その筋道や方法などを模索することである。

洞察( または観察 )・推理( 推論 )・判断・想像などの一連の過程を含み、その結果は行動や意思決定に影響をあ与えるものであり、思考は具体的な問題解決や課題対応から概念的(抽象的)なものの理解まで、生活世界のあらゆる面で重要な役割を果たす。

認識や評価などでの現状を分析して問題や課題の明らかにする力としての発見力、新しい価値を生み出す力としての創造力、問題解決や課題対応に向けたプロセスを明らかにする力としての計画力や準備力などなど、基礎力の一つとして考え抜く力を効率良く生み出す必要性と人工知能の発展に伴い人間にしかできない考える力を高めていくべき重要性は限り無い。

ここでいう「 思考力 」は、新たな自分の創出に向けた ” 力のいいろいろ ” にそれぞれ付随するものであり、「 自分への配慮 」による自己の志向性に向けての生活経験や自己認識と自己評価を基にした「 ” 自分 ” を考える力 」として新たな自己の創出の基礎力ともいえるべきのものである。

実際には客観的思考と主観的思考とが交差し絡み合う中で、現実的思考と理想的思考との間を行き来するはずであり、理想を様々な方向へ全体的に高めるのでなく、” むしろ何を大切にしたいのか、どのような地域街区を志向するのか、そして又どのような地域になることを回避したのか ” 。

自主性を伴う ” 自分を考える「 思考力 」” によって、これらについて自分なりに抱く自分自身の在るべき姿や目指すべき姿に関わる正・負の理想地域のハッキリとした方向性のあるイメージを形成することによる目的と目標を考え抜いていく必要がある。

自己の能力を引き出す自己啓発として新しい分野からアプローチされる自己開発スキルの思考力とともに「 自分の力 ( 自己力 = 自己実現力 )」の好循環が期待される。

そこで、自己の資源に起きている変化の中で「 自分の力 ( 自己力 = 自己実現力 )」とは何なのかを考えてみる必要があり、さらにはこの ” 自己力 = 自己実現力 ” の向上を目指すことが重要である。

地域性と共同性という二つの要件を中心に構成された ” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する地域コミュニティと融合する自己創出において、活力の回復・増進と維持に向けた自分自身の未来を切り拓く「 潜在力 」を解き放ってこの ” 自己力 = 自己実現力 ” というものを向上させることができるのか。

その解決策や対応策について、 ” 街・人・仕事 ” によって生み出される総合的な力を見直して考えることが、自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方として特に重要となってくる。

「 自分の力 ( 自己力 = 自己実現力 )」の向上に向け、自らを高めるため常に新しい目標を求めてその実現のために道筋を考え努力するその際には自己管理と改善のための工夫を怠らないなど、” 自己力 = 自己実現力 ” のために具体的且つ適切な目標を設定し自己管理を行なって達成を志向する人の自分がやりたいことを自分で見つけ実際にやっていく自力の活動は人それぞれ様々である。

取り巻く環境が変化している中で、これに伴い自分の問題や課題とその解決や対応の方法も ” 多様性 ” の重要性が広く認識されてきている。
この ” 多様性の時代 ” 、自分の有り様(ありよう)を考えてみることが特に必要となる。

この ” 多様性の受容と活用 ” においては、一つに ” 自己の中の多様性( = 自分自身 )” を経験し知ることであり、自分自身が成り立っている理由や背景と日常性にある場面や状況などの応じて変化する自分を有りの儘に認識・評価するのとともに 「 自分の ” 内なる多様性 ” 」に気づき自己肯定感を持つことである。

この「 自己の ” 内なる多様性 ” の気づき 」に加えて、「 ” 思考の多様性 ” で自分を考える」ことと、ひとり一人の中の多様な視点や役割を持つ個人内多様性を重視して多様な属性や経験を持つ人を取り込み同じ立ち位置に据えた「 ” 人材の多様性 ” の中で自己を実現する 」こと。
これらによって自己の内なる多様性が自分らしさを産む ” 多様性が活きる自分 ” へと目指すべきである。

例えば、従来型の幾つかのコミュニティは同じような価値観や方向性を目指す雰囲気や共感の共有を求められる場となりがちである。
しかし、枠組みの価値観に囚われることなく互いの価値観の違いを認め合えて意識の強制がない居心地の良い場としてその地域らしさとより個々の自分らしさを大切にできることが必要なのである。

今でこそ広く普及したことで皮肉にも曖昧になりつつ自らが作った壁で自らの世界を狭めるなどの間違いがこの総じて ” 多様性 ” という考え方に隠れている。

この様に「 思考力」の捉え方の一つとして ” 思考の多様性 ” がある。
多様性の枠を超越して必要な思考の多様性を知り受け入れることであり、自分を前進させる力としてこの ” 思考の多様性 ” を捉え、自分がその新しいやり方を発見し変革とその行動を導くために受け入れることさえすれば、全ては進化するための術を教えてくれるはずである。

共存という言葉が再考され新しさを増し、常に協働や共助共創の言葉が再考され新たに根付き、これらにより新たな価値を生み出し創造するならば自分の問題や課題を価値に変えることもできる。

この ” 思考の多様性 ” を促進する地域の意図的な取り組みにおいて ” 思考の多様性 ” もまた、取り入れるのが難しい。
しかし、一人ひとりのユニークな視点や異なる考え方がもたらす潜在的な可能性を認めて評価することによって「 地域を生きる ” 自分を活かす ” 」この可能性を最大限に引き出し、ひいては「 自分を生きる ” 地域を活かす ” 」その可能性を引き出すことが期待できる。

” 地域を生きる自分を活かす ” 総べての人が尊重され、同じ立ち位置で取り組み関わる個々が能力を発揮して活躍できている状態を示す包摂( インクルージョン )と多様性( ダイバーシティ )の力は、特に継続的なイノベーションを必要とする自分というものにとっては必須条件ともいえ、自分を変える次のイノベーションを見つける鍵となりうる。

この様な中で、求められるのは様々な自己力を担う主体の能力を引き出すためのアクティビティといった一つの考え方もあり、直接的な ” 自己力 = 自己実現力 ” の担うのとともに自己力をコーディネートすることであり、この活動を活性化する触媒的な役割をも期待されるのではないだろうか。

潜在力とともに発見した問題・課題を論理的思考と客観的判断に基き分析する力をもって重視する「 思考力 」。
自己力において基礎力であるこの ” 思考力 ” で自分と地域をつなぐことである。
” 思考の多様性 ” における自分思考型と地域思考型とによって自分が変われば地域が変わり、” 街・人・仕事 ” の見方や考え方が変わる。

自分を深く理解し主体的に自己資源の創出や課題解決を考えるアクティブ・アクティビティを融合したアクティビティで、アクティブに( 能動的に)” 地域を生きる自分を活かす ” のとともに、” 街・人・仕事 ” の満足を追求し続ける。

それは、自分の課題を発見して課題解決に繋がる行動を起こすことができ、自己資源を活用して新たな価値を生み出して 自己創出や生活向上に活かすことができ、国際化や高齢化など経済・社会の変化を受入れて多様な文化的価値を発展・継続することができること。

そのために必要なのは、潜在力 / 認識力 / 評価力 / 洞察力 / 判断力を通した「思考力」を基礎力としての発見力………  発想力………  展開力………  推進力……… 、そして実現に向けて実行する行動力、さらには国際力によって自己課題のプロセスを国際的な現場を活用し実行する力、、、、、。

◾️ 次号 : Vol.09「 発想力 」をきたえる

 

 

地域性と共同性という二つの要件を中心に構成された ” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する地域コミュニティと融合する自己創出における活力の回復・増進と維持に向けた自分自身の未来を切り拓く「 潜在力 」を解き放つための多彩なアクティビティ活動の展開。

「 自己の創出 」と「 地域の創生 」とは、生きるに関する価値的・活動的な意識や意義の側面であり、 ”『 発創 』は兼ね合いの着地点 ” として既存のものを繋ぎ守り社会と個人が求める新規なモノ・コトへと仕上げることで生まれる。

自己創出のアクティビティと地域創生のエリアマネジメントとを伴い合わせれば、斉しく相応じて釣り合う同時進行により一遍にして連関の効果のみが見せることができる強固な完成度と持続度の有能性を備えることになる。

『 地域を生きる ” 自分を活かす ” 』と『 自分を生きる ” 地域を活かす ” 』

自分らしく日常生活を安心して暮らしたい自分自身での自主性はその地域街区に関わり、” 自己創出 ” は自己意識と自ら考え行動を起こす自分自身の自主性にあり、” 地域創生 ” は自らの意識( 当事者意識 )と意思( 意志 )や判断に基づき自らの責任のもとで行動を起こす地域街区の主体性にある。

この相対的な行動( また能動的で上位互換のようなもの )は一切の「 自立自信・自化自発 」の資にあるのも同じ。

人の同気相求として地域は人が集まる一味同心による同心協力にあり、それに相応しい存在の意義( その場に居合わせることにより生み出される価値 )あるものとして、自分を活かし自己の新しい意欲を引き出すアクティビティと街区を活かし地域の新しい活力を生み出すエリアマネジメンとを一様の尺度に依り時を同じくして起こし ” 創める( はじめる )” ことは同等の効果になるわけである。

・・・・・ 地域を生きる自分を活かし自己の新しい意欲を高めるのは圧倒的な努力であり、活動を生み出す力の活力は「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」として枯渇することはない。
重視すべきは原動力であり、「 努力の余力 」があってもそれを活力や力のいろいろとして用いないのは、努力した結果において求める地点に辿り着くといった努力を力の単一とした努力度と努力の成り行きである実利の成果価値をもたらす点だけを捉えているからである。
努力することによって産み出される想定外の「 努力の余力( 力のいろいろ )」に新たな価値があるといった努力するプロセスに価値を帯びる少なくないケースを認識してはいないことになる。
満足される「 努力の余力 」とは、努力が本来目指していた成果とは異なる価値として、努力過程にある副産物( 力のいろいろ )の価値を認めることによって得ることができる実利的な実際の効果価値なのである。
この「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」の効果価値がもたらす点を捉えて認識し、その効用の質を見直すべきである。・・・・・

 

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” はじめに ” Vol.01「 創出 」をはかる

〈 2024年1月期 レポート掲載 〉

 

 

「 KANKE GRAND 日光 」
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〈 2024年8月期 レポート掲載 〉
未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・ 実践への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・
地域を活かす「 発創 !! 」
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” はじめに ” Vol.01「 創生 」をはかる

〈 2024年1月期 レポート掲載 〉

 

 

趣意 : ” KANKE GRAND 日光 ” / OFFICE KANKE

→ 基本的考え方 : With NIKKO ウイズ日光

 

編首 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

→ ウイズ日光 With NIKKO 2023年9月創設号
” 大自然の命は待っている ”
〜 従来はそうでなかった日光での物事を始める 〜

 

 

→ アクティビティ

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→ NATSUKO KANKE

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Photo / Copyright(C)OFFICE KANKE. All Rights Reserved.
Image Credit With Copyright.

12月: Vol.07「思考力」をあげる

 

 

「 ” With NIKKO ” 」ウイズ日光

〜 大自然からの提案 〜

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

 

 

 

 

未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・ 実行への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・

 

地域を生きる ” 自分を活かす ”「 発創 !! 」

アクティビティ・サロン開催中

 

ー 自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方 ー

 

 

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” 誰もが地力 ”

〜 Vol.07「 思考力 」をあげる

〈 2024年7月期 レポート掲載 〉

 

「 思考力 」は認識や経験と知識などを基にして ” 考える力 ” とであり、物事を正しく認識し評価する能力のみだけではなく、判断や解決策・対応策など結論を導き出すなど何かしら一定の状態に達しようとする過程において、その筋道や方法などを模索することである。

洞察( または観察 )・推理( 推論 )・判断・想像などの一連の過程を含み、その結果は行動や意思決定に影響をあ与えるものであり、思考は具体的な問題解決や課題対応から概念的(抽象的)なものの理解まで、生活世界のあらゆる面で重要な役割を果たす。

認識や評価などでの現状を分析して問題や課題の明らかにする力としての発見力、新しい価値を生み出す力としての創造力、問題解決や課題対応に向けたプロセスを明らかにする力としての計画力や準備力などなど。
これらを基礎力の一つとして考え抜く力を効率良く生み出す必要性と人工知能の発展に伴い人間にしかできない考える力を高めていくべき重要性は限り無い。

ここでいう「 思考力 」は、新たな自分の創出に向けた ” 力のいいろいろ ” にそれぞれ付随するものであり、「 自分への配慮 」による自己の志向性に向けての生活経験や自己認識と自己評価を基にした「 ” 自分 ” を考える力 」として新たな自己の創出の基礎力ともいえるべきのものである。

実際には客観的思考と主観的思考とが交差し絡み合う中で、現実的思考と理想的思考との間を行き来するはずであり、理想を様々な方向へ全体的に高めるのでなく、” むしろ何を大切にしたいのか、どのような地域街区を志向するのか、そして又どのような地域になることを回避したのか ” 。

自主性を伴う ” 自分を考える「 思考力 」” によって、これらについて自分なりに抱く自分自身の在るべき姿や目指すべき姿に関わる正・負の理想地域のハッキリとした方向性のあるイメージを形成することによる目的と目標を考え抜いていく必要があり、自己の能力を引き出す自己啓発として新しい分野からアプローチされる自己開発スキルの思考力とともに「 自分の力 ( 自己力 = 自己実現力 )」の好循環が期待される。

そこで、自己の資源に起きている変化の中で「 自分の力 ( 自己力 = 自己実現力 )」とは何なのかを考えてみる必要があり、さらにはこの ” 自己力 = 自己実現力 ” の向上を目指すことが重要である。

地域性と共同性という二つの要件を中心に構成された ” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する地域コミュニティと融合する自己創出において、活力の回復・増進と維持に向けた自分自身の未来を切り拓く「 潜在力 」を解き放ってこの ” 自己力 = 自己実現力 ” というものを向上させることができるのか。

その解決策や対応策について、 ” 街・人・仕事 ” によって生み出される総合的な力を見直して考えることが、自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方として特に重要となってくる。

「 自分の力 ( 自己力 = 自己実現力 )」の向上に向け、自らを高めるため常に新しい目標を求めてその実現のために道筋を考え努力するその際には自己管理と改善のための工夫を怠らないなど、” 自己力 = 自己実現力 ” のために具体的且つ適切な目標を設定し自己管理を行なって達成を志向する人の自分がやりたいことを自分で見つけ実際にやっていく自力の活動は人それぞれ様々である。

取り巻く環境が変化している中で、これに伴い自分の問題や課題とその解決や対応の方法も ” 多様性 ” の重要性が広く認識されてきている。

この ” 多様性の時代 ” 、自分の有り様(ありよう)を考えてみることが特に必要となる。

この ” 多様性の受容と活用 ” においては、一つに ” 自己の中の多様性( = 自分自身 )” を経験し知ることであり、自分自身が成り立っている理由や背景と日常性にある場面や状況などの応じて変化する自分を有りの儘に認識・評価するのとともに 「 自分の ” 内なる多様性 ” 」に気づき自己肯定感を持つことである。

この「 自己の ” 内なる多様性 ” の気づき 」に加えて、「 ” 思考の多様性 ” で自分を考える」ことと、ひとり一人の中の多様な視点や役割を持つ個人内多様性を重視して多様な属性や経験を持つ人を取り込み同じ立ち位置に据えた「 ” 人材の多様性 ” の中で自己を実現する 」こと、これらによって自己の内なる多様性が自分らしさを産む ” 多様性が活きる自分 ” へと目指すべきである。

例えば、従来型の幾つかのコミュニティは同じような価値観や方向性を目指す雰囲気や共感の共有を求められる場となりがちである。
しかし、枠組みの価値観に囚われることなく互いの価値観の違いを認め合えて意識の強制がない居心地の良い場としてその地域らしさとより個々の自分らしさを大切にできるのは、今でこそ広く普及したことで皮肉にも曖昧になりつつ自らが作った壁で自らの世界を狭めるなどの間違いがこの総じて ” 多様性 ” という考え方に隠れているのである。

この様に「 思考力」の捉え方の一つとして ” 思考の多様性 ” がある。

多様性の枠を超越して必要な思考の多様性を知り受け入れることであり、自分を前進させる力としてこの ” 思考の多様性 ” を捉え、自分がその新しいやり方を発見し変革とその行動を導くために受け入れることさえすれば、全ては進化するための術を教えてくれるはずである。

共存という言葉が再考され新しさを増し、常に協働や共助共創の言葉が再考され新たに根付き、これらにより新たな価値を生み出し創造するならば自分の問題や課題を価値に変えることもできる。

この ” 思考の多様性 ” を促進する地域の意図的な取り組みにおいて ” 思考の多様性 ” もまた、取り入れるのが難しいものではあるが、一人ひとりのユニークな視点や異なる考え方がもたらす潜在的な可能性を認めて評価することによって「 地域を生きる ” 自分を活かす ” 」この可能性を最大限に引き出し、ひいては「 自分を生きる ” 地域を活かす ” 」その可能性を引き出すことが期待できる。

” 地域を生きる自分を活かす ” 総べての人が尊重され、同じ立ち位置で取り組み関わる個々が能力を発揮して活躍できている状態を示す包摂( インクルージョン )と多様性( ダイバーシティ )の力は、特に継続的なイノベーションを必要とする自分というものにとっては必須条件ともいえ、自分を変える次のイノベーションを見つける鍵となりうる。

この様な中で、求められるのは様々な自己力を担う主体の能力を引き出すためのアクティビティといった一つの考え方もあり、直接的な ” 自己力 = 自己実現力 ” の担うのとともに自己力をコーディネートすることであり、この活動を活性化する触媒的な役割をも期待されるのではないだろうか。

潜在力とともに発見した問題・課題を論理的思考と客観的判断に基き分析する力をもって重視する「 思考力 」。
自己力において基礎力であるこの ” 思考力 ” で自分と地域をつなぐことである。
” 思考の多様性 ” における自分思考型と地域思考型とによって自分が変われば地域が変わり、” 街・人・仕事 ” の見方や考え方が変わる。

自分を深く理解し主体的に自己資源の創出や課題解決を考えるアクティブ・アクティビティを融合したアクティビティで、アクティブに( 能動的に)” 地域を生きる自分を活かす ” のとともに、” 街・人・仕事 ” の満足を追求し続けることだ。

それは、自分の課題を発見して課題解決に繋がる行動を起こすことができ、自己資源を活用して新たな価値を生み出して 自己創出や生活向上に活かすことができ、国際化や高齢化など経済・社会の変化を受入れて多様な文化的価値を発展・継続することができること。

そのために必要なのは、潜在力 / 認識力 / 評価力 / 洞察力 / 判断力を通した「思考力」を基礎力としての発見力………  発想力………  展開力………  推進力……… 、そして実現に向けて実行する行動力、さらには国際力によって自己課題のプロセスを国際的な現場を活用し実行する力、、、、、。

◾️ 次号 : Vol.08「 発見力 」をたかめる

 

 

地域性と共同性という二つの要件を中心に構成された ” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する地域コミュニティと融合する自己創出における活力の回復・増進と維持に向けた自分自身の未来を切り拓く「 潜在力 」を解き放つための多彩なアクティビティ活動の展開。

「 自己の創出 」と「 地域の創生 」とは、生きるに関する価値的・活動的な意識や意義の側面であり、 ”『 発創 』は兼ね合いの着地点 ” として既存のものを繋ぎ守り社会と個人が求める新規なモノ・コトへと仕上げることで生まれる。

自己創出のアクティビティと地域創生のエリアマネジメントとを伴い合わせれば、斉しく相応じて釣り合う同時進行により一遍にして連関の効果のみが見せることができる強固な完成度と持続度の有能性を備えることになる。

『 地域を生きる ” 自分を活かす ” 』と『 自分を生きる ” 地域を活かす ” 』

自分らしく日常生活を安心して暮らしたい自分自身での自主性はその地域街区に関わり、” 自己創出 ” は自己意識と自ら考え行動を起こす自分自身の自主性にあり、” 地域創生 ” は自らの意識( 当事者意識 )と意思( 意志 )や判断に基づき自らの責任のもとで行動を起こす地域街区の主体性にある。

この相対的な行動( また能動的で上位互換のようなもの )は一切の「 自立自信・自化自発 」の資にあるのも同じ。

人の同気相求として地域は人が集まる一味同心による同心協力にあり、それに相応しい存在の意義( その場に居合わせることにより生み出される価値 )あるものとして、自分を活かし自己の新しい意欲を引き出すアクティビティと街区を活かし地域の新しい活力を生み出すエリアマネジメンとを一様の尺度に依り時を同じくして起こし ” 創める( はじめる )” ことは同等の効果になるわけである。

・・・・・ 地域を生きる自分を活かし自己の新しい意欲を高めるのは圧倒的な努力であり、活動を生み出す力の活力は「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」として枯渇することはない。
重視すべきは原動力であり、「 努力の余力 」があってもそれを活力や力のいろいろとして用いないのは、努力した結果において求める地点に辿り着くといった努力を力の単一とした努力度と努力の成り行きである実利の成果価値をもたらす点だけを捉えているからである。
努力することによって産み出される想定外の「 努力の余力( 力のいろいろ )」に新たな価値があるといった努力するプロセスに価値を帯びる少なくないケースを認識してはいないことになる。
満足される「 努力の余力 」とは、努力が本来目指していた成果とは異なる価値として、努力過程にある副産物( 力のいろいろ )の価値を認めることによって得ることができる実利的な実際の効果価値なのである。
この「 努力の ” 余力( 力のいろいろ )” 」の効果価値がもたらす点を捉えて認識し、その効用の質を見直すべきである。・・・・・

→  アクティビティ・サロン
” はじめに ” Vol.01「 創出 」をはかる

〈 2024年1月期 レポート掲載 〉

 

 

「 KANKE GRAND 日光 」
→ Vol.07「 思考力 」をあげる
〈 2024年7月期 レポート掲載 〉
未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・ 実践への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・
地域を活かす「 発創 !! 」
エリアマネジメント・フォーラム開催中
ー 地域資産価値の有効活用と効果的な修復向上・維持運営で守り育てる実践への主体的な取り組み方 ー

 

→  エリアマネジメント・フォーラム
” はじめに ” Vol.01「 創生 」をはかる

〈 2024年1月期 レポート掲載 〉

 

 

趣意 : ” KANKE GRAND 日光 ” / OFFICE KANKE

→ 基本的考え方 : With NIKKO ウイズ日光

 

編首 : プロジェクト ” With NIKKO ” ウイズ日光

→ ウイズ日光 With NIKKO 2023年9月創設号
” 大自然の命は待っている ”
〜 従来はそうでなかった日光での物事を始める 〜

 

 

→ アクティビティ

→ KANKE GRAND 日光

→ NATSUKO KANKE

→ OFFICE KANKE HISTORY

 

 

Photo / Copyright(C)OFFICE KANKE. All Rights Reserved.
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12月: Vol.06「判断力」をやしなう

 

 

「 ” With NIKKO ” 」ウイズ日光

〜 大自然からの提案 〜

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

 

 

 

 

未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・ 実行への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・

 

地域を生きる ” 自分を活かす ”「 発創 !! 」

アクティビティ・サロン開催中

 

ー 自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方 ー

 

 

* 具体的な取り組み及び進捗状況等について
→ お問い合わせ先 : メールフォーム
KANKE GRAND 日光 / OFFICE KANKE

 

 

” 誰もが地力 ”

〜 Vol.06「 判断力 」をやしなう

〈 2024年6月期 レポート掲載 〉

 

認識と評価との間に絶対的な壁はなく、認識と評価は絡み合って相互に他に移行することもあるが、認識・評価と ” 判断 ” との相互移行はあり、” 判断 ” における価値判断は事実認識とは深い関係にあり、もっとも客観的なもっとも深い事実判断は常に価値判断であるともいえる。

事実判断と価値判断とを同一視することはできず、厳密に区別すべきであり、価値・理想・当為( まさにあるべきこと又はあらざるをえないこと )・世界観と ” 地域観( 自己的地域観と地域的自己観の相対的な行動または能動的で上位互換のようなもの )” は、人生観とともに人によってそれぞれであり、客観的に普遍妥当的な価値判断は明かに有り得ないことでもある。

自己認識と自己評価において、事実判断と価値判断との峻別の立場をとりながら、「 判断力 」をどう位置付けるかについては本当のところ不明確であると考えざるを得ない。

基本的には事実判断が元になって価値判断が出てくるのが正常なことでもあるが、場合によっては価値判断が前提となって( 価値判断に影響されて )事実判断が進む場合もある。

事実判断と価値判断の両者は、ややもすれば絡み合いながら働き、相互に他に移行するというような相互作用はありうるが、「 判断力 」によって最終的に価値判断を決定するのは、もっとも客観的なもっとも深い事実判断であるということもできる。

ここでいう「判断力」とは、そのような ” 認識力( 地域認識 )・ 評価力( 地域評価 )” に ” 洞察力 ”を 通した「 判断力 」であり、未来を信じる力と持続可能性を生み出す力をもってして自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方という自己創出である。

その決定の目的と達成すべき目標やビジョンと満足させるべき必要条件などを問題・課題とこの解決・対応とともに明かにするために、「 自己への配慮 」としてある地域の志向性の中で選択肢を挙げ広げた多様な方向性から選び取って如何に ” 判断 ” していくかである。

それには、判断のベースとなる基礎知識と自分を正しく認識して論理的に評価するスキルが示されることになり、今あるエビデンスを元にベストの最適な選択肢を判断する必要があるため、状況に合った判断軸と冷静さや合理性の高さが求められるスキルともいえる。

現代において価値観の対立が深刻な問題であるのは、それが異なる個人間の価値観や信念が相互に矛盾する場合に発生しやすい対立や個人の好みの選択( 選好性 )のようなものではなく、異なる価値観こそ有益であるとした上で「目的としての多様性」と「手段としての多様性」を区別してその多様性から価値を生むための方法が重要問題であるからといえる。

自分自身の能力や特性と価値観を客観的に評価し受け入れる自己価値の認識と自己理解の上に立ち、自己肯定や自己規律の確立と目標達成への確実な道筋( 認識されること又は妥当することの ” 自己了解 ” )が必要なのである。

これまでは意識して自分を振り返る習慣を持ってこなかった自分自身という価値意識が環境の急速な変化とともに、取り違えていた問題意識から ” 自己肯定感・自己効力感による価値意識 ( 自分の潜在力と自分の可能性 )” へと向かうことになる。

その様な中で、多様性を認めるには不十分とはいえ注目されているこの新たな価値意識が元になって自己状勢を見たときに、今までよりは自己状勢について正常な認識ができるようになっている面があると思われる。

目の前の経済性や社会性だけでなく、中長期の視野で問題や課題などを考慮するならば、自己認識と自己評価にあるその事実判断に基づいて自己の価値判断がなされるべきであろう。

事実認識は価値判断の道案内をするのであり、事実認識は価値判断を覚醒させる決定的な役割を担っているはずである。

◾️ 次号 : Vol.07「 思考力 」をあげる

 

 

地域性と共同性という二つの要件を中心に構成された ” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する地域コミュニティと融合する自己創出における活力の回復・増進と維持に向けた自分自身の未来を切り拓く「 潜在力 」を解き放つための多彩なアクティビティ活動の展開。

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” はじめに ” Vol.01「 創出 」をはかる

〈 2024年1月期 レポート掲載 〉

 

 

「 KANKE GRAND 日光 」
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未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
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” はじめに ” Vol.01「 創生 」をはかる

〈 2024年1月期 レポート掲載 〉

 

 

趣意 : ” KANKE GRAND 日光 ” / OFFICE KANKE

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” 大自然の命は待っている ”
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12月: Vol.05「洞察力」をもつ

 

 

「 ” With NIKKO ” 」ウイズ日光

〜 大自然からの提案 〜

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

 

 

 

 

未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点
・・・・ 実行への ” 潜在力 ” のすすめ ・・・・

 

地域を生きる ” 自分を活かす ”「 発創 !! 」

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ー 自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方 ー

 

 

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” 誰もが地力 ”

〜 Vol.05「 洞察力 」をもつ

〈 2024年5月期 レポート掲載 〉

 

「 洞察力 」は想像力でもあり、創造力に向けた認識力・評価力・判断力を伴う生み出す力である。

持っている能力をフルに使って発揮される深い「 洞察力」があれば適切な判断や行動をとることができ、もっと発想を飛躍させるため能力として、どの様な時でも物事でも常に絶えず必要とされるのが、この ” 現実洞察と未来洞察 ” の「 洞察力 」である。

「 洞察力 」( 或いは観察力 )は、持てる ” 力のいろいろ ” の要に位置するものであり、あらゆる能力と意欲を高める効果も期待でき、それら能力を様々な方面や場面で発揮することができる。

認識と評価をはじめ ” 洞察 ” を透明にする点では、明晰な「 洞察力 」で問題解決や課題対応への新しい方向へ切り込んでいくことができ、先入観を持たずに現状や変化などを理解・把握した上で、推測や仮定などを交えて見えない部分( 又は隠れた本質など )を捉えることでき能力として洞察力は重要である。

理解や把握ができても ” 洞察 ” の度合において遥かに深度が違ってなければならず、想像や思索と同じく深い ” 洞察 ” に充され、対象に関する深い ” 洞察 ” の眼を開けるということが先々において最も大切なことである。

自分の価値ある役割で本当に実現したかったことの再発見と実行に移すための自主的な取り組み方による「 自己創出 」の実現の方法、その可能性の発見のためには、沈着な ” 現実洞察と未来洞察 ” が必要であり、先入観をなくして既存の視点や考え方と慣習や固定観念などを取り払いゼロベースで物事を捉え、革新的且つ抜本的な解決方法や対応策を発見してゆくことである。

可能性があるのかというようなことを捉えるのが自分自身の大きな課題だが、そうした時には ” 現実洞察と未来洞察 ” という視点を持たざるを得ないのである。

未来予想のように過去・現在の延長線上に未来を見ることではなく、未来洞察は自分自身が自主性をもった上で未来の変化を察知することであり、それは現在の地域の延長線上に作れない。

自主性が自分自身にある価値転換が未来をつくるのであり、新しさの導入のような既成の現象を注視することで、新しい価値に転換するためのトリガーを見つけ出す(又は創り出す)ことが未来洞察という考え方の本質でもある。

先ずは価値転換の自主性が自分自身にあることを理解した上で、 自分自身の生活動向等を自ら観察することである。

価値の転換にあたって、自己創出の素となる魅力性やノウハウ及び自分の持つ独自のパーソナリティや特色を活かした特別な素材や材料など ” どの様に使えるのか(使うのか)、それはどのようなアプローチなのか、問題解決や課題対応にどう生かせるのか ” 。
在りたい未来(未来像)から逆算して目標や計画立てる思考(バックキャスト)が重要となってくる。

未来洞察は現在( 現実洞察 )を始点に置いて未来を描くのではなく、最初に未来像を描いた上で、次にその未来像を実現する筋道を未来から現在へと遡って思考することなのである。

現実洞察と未来洞察の「洞察力」によって、根本的な問題や課題を発見するとともにその解決や対応の方向性を見出すことや今までにない新しい発想を生み出すこともでき、最善なコミュニケーションを取ることもできる。

人が目標や対象・方向に向かって行動を起こす、それを維持するための原動力・動機・やる気となるような目的や切っ掛けと意欲(モチベーション)を高める効果も期待できる。

さらに、社会的および文化的な要因も無視できず、多様な文化や経験に触れることは認識力とともに「洞察力」を高める助けとなり、新しい価値を上げるために移り変わる変化が始まるだろう。

例えば、異なる文化や価値観などを学ぶことで新しい視点や考え方を身につけることができ、これにより複雑な問題や課題に対する多角的なアプローチが可能となる。

今までの考え方や価値観が劇的に変化する中で革新的な解決策や対応策を生み出す力が養われ、問題や課題の解決と環境変化などへの対応するために起きるパラダイムシフトとして、柔軟に物事を捉えようとする意識や日常的に問題を探す意識と自分とは異なる価値観を持った人とのコミュニケーションなどによって価値観を改めることができるはずである。

自分の行動が自己創出過程と地域創生過程とに如何に影響するのかの複雑な方向性などを ” 洞察 ” する必要もない。

それは、「 地域を生きる ” 自分を活かす ” 」と「 自分を生きる ” 地域を活かす ” 」において相対的な行動( また能動的で上位互換のようなもの )は一切の「 自立自信・自化自発 」の資であるとした認識(当事者意識と個人意識)が必要なるのみであり、地域認識の問題ではなく、自己認識の問題に終始することである。

” 認識 ” こそが未来を信じる力と持続可能性を生み出す力の出発点であり、全ては ” 認識 ” から総じて発現する「 認識力 」は活動を生み出す力となる活力の原動力であるといえ、コミュニケーションとコミュニティによって価値観を改めることができるはずである。

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地域性と共同性という二つの要件を中心に構成された ” 街・人・仕事 ” それぞれの相互性を強調する地域コミュニティと融合する自己創出における活力の回復・増進と維持に向けた自分自身の未来を切り拓く「 潜在力 」を解き放つための多彩なアクティビティ活動の展開。

「 自己の創出 」と「 地域の創生 」とは、生きるに関する価値的・活動的な意識や意義の側面であり、 ”『 発創 』は兼ね合いの着地点 ” として既存のものを繋ぎ守り社会と個人が求める新規なモノ・コトへと仕上げることで生まれる。

自己創出のアクティビティと地域創生のエリアマネジメントとを伴い合わせれば、斉しく相応じて釣り合う同時進行により一遍にして連関の効果のみが見せることができる強固な完成度と持続度の有能性を備えることになる。

『 地域を生きる ” 自分を活かす ” 』と『 自分を生きる ” 地域を活かす ” 』

自分らしく日常生活を安心して暮らしたい自分自身での自主性はその地域街区に関わり、” 自己創出 ” は自己意識と自ら考え行動を起こす自分自身の自主性にあり、” 地域創生 ” は自らの意識( 当事者意識 )と意思( 意志 )や判断に基づき自らの責任のもとで行動を起こす地域街区の主体性にある。

この相対的な行動( また能動的で上位互換のようなもの )は一切の「 自立自信・自化自発 」の資にあるのも同じ。

人の同気相求として地域は人が集まる一味同心による同心協力にあり、それに相応しい存在の意義( その場に居合わせることにより生み出される価値 )あるものとして、自分を活かし自己の新しい意欲を引き出すアクティビティと街区を活かし地域の新しい活力を生み出すエリアマネジメンとを一様の尺度に依り時を同じくして起こし ” 創める( はじめる )” ことは同等の効果になるわけである。

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