日光占術|観氣(かんけ)vol.11:真際 〉01

 

 

 

 

      ── 日常の余白 ──

 

 

 

 

….. 今──”火の川(呼吸)”は流れる橋の下を疾っくに過ぎていた。
いつも”深い呼吸”を共にしてくれている、
あの「過去=《潜勢》の呼吸」として”再燃する記憶”。

今頃──「《潜勢》としての過去の”余白”」を経て、
”火の気配(息)”が少しずつ「関係の向き」へと滲み出してくる頃。
微細な揺らぎのような呼吸の熱が外界と触れはじめくる。

河口を通り抜け海原に注ぎ出る首途──
大海原の潮流に乗って風に触れらる時。
寸前の今──過去と未来の境をなす瞬間「何が起こっているのか?」…..

 

 

『観氣(かんけ)』の創発──”いまここに”=「今なにが起こっているのか?」….. 今の”力”として《潜勢》=「発火の拍」──〈潜勢力の萌芽〉→ 今の”閾”として《転位》=「拍の転換」──〈生成と縁起の拍が質を変える瞬間〉→ 今の”場”:《跳躍》=「拍の拡張(場化)」──〈転位の余韻が実際に外へ溢れ出す場=生成と運気の顕現そのもの〉→ 今の”種”として《発芽》=「生成と縁起という生成連鎖の両極」──〈場そのものの”跳躍”=思考の“変位”〉生成と運気=場を孕む動的な種(seed)縁起=発芽の外化・顕現(思考の延長ではない)→ 今の”拍”:《共振(月星)》=観氣と月星──〈”体感構造”「生の拍動」Breath〉生成と運気の呼吸譜 …..といったような個の行動によって観者となりうる相談者における『観氣(かんけ)』全体の秩序が規定される。

ここで──『臨界』として「生成・運気の閾(いき)=転位」を横断することになる。「….. ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”。”望む”ところに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する。….. 」といったような──占う対象へ望む占意が占い描き観た占い記述からの占針(指針)による「占想の思考」→ 「占態(望みの実現)の創造」への創造的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態:望みの実現)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる「境界」──という原因究明。ここに「臨界=境域」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。

占態(望みの実現)への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──《潜勢》が熱として目覚め、思考が「火」として立ち上がり、創造が「光」へと転じる──まさに、その発火の瞬間の譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。「臨界」とは──”「境域」が呼吸し始める点”か? 一般に臨界とは、状態変化が起こる”閾値”を指すが──しかし『観氣(かんけ)』の文脈では、「臨界」のそれは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間なのである。「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と〈現勢〉が互いに触れ合い、呼吸を交わし始める──その僅かな”接触領域”が「臨界」となっている。──つまり「臨界」は「対立の間に現れる共鳴膜」として「”静止と運動” / ”崩壊と生成・運気”」が各々共存する場であり──まさに「生成」と「運気」に共鳴膜が現れる。それは”境界が「境界」であることを止め”──あたかも”呼吸する場”=「境域」になる瞬間なのである。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成と運気の”触地”」として立ち現れる「“場の展開と実践の接地”」において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者となった相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となる。〈占いを”見る”〉その”占想と占い記述”を起因に占方(占形)との「共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想」から「占態(望みの実現)」とへ”還元”するためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:「問い」の探求(問い掛け)へと「占想」を片手に歩き始めることになる。──「問い」を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》その導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における「経験のやり方」が──観者となった相談者としての〈あなた〉の「占態(望みの実現)」における”実際の実地”として接続し展開されうるということである。

 

 

….. 裂け目を「境界」だとしてしまった〈難破〉──
胸を翳して天空を仰いでみても、
脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃きや、
霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響きは、
──荒波に虚しく打ち消される。

”断念”は──儚い潮の香りに滲む顔ごと、
首途の”首(こうべ)を垂れる”。

胸を翳したその”反動”で──
背を翳して足元を見れば、
潮の目(しおのめ)に映ったのは《座礁》だった。
それは裂け目の「境界」が境界であることを止め──
あたかも”呼吸する場”=『境域』になる瞬間。

「決然」は──【保留】の”勇気”に浸る顔ごと、
首途の『荷(に)を降す』。…..

 

 

「荷を降ろした後の沈黙や静けさ」は、「問い」以前の純粋視線を研ぎ澄ます場となり──「生成と運気」の”種”を育む。例えば、ある日──意図的に予定の一部を空白にし、その時間を「問い」構えずに過ごすことだ。漂うままに歩き、目に映る風景や身体感覚を──ただ感じる。その間に浮かぶ小さな揺らぎ──”いつもの自分なら気づかない何か”をメモし、この揺らぎこそ「問い」の”萌芽”であることを見守る。こうして──『”境域”に留まる』体験が、思考の前段階を豊かにし、次なる「生成と運気」の起動を促すことに繋がる。このように「保留」「境域」「座礁」「荷を降ろす」「ワークアウト」は、すべて日常性の中で可能な実践であり、「問い」以前の視線を深めるための鍵となる。これらを通じて得た”余白”から自然に芽生えた「問い」は、共観や地力の回路を刺激し──「生成と運気の循環」を拡張していくことになる。《保留》する視線の練習──観察の深度を高めるためには、先ず──「”問い”を《保留》する”勇気”」が要る。感じたものをすぐに意味づけず、一旦停滞させることで、視線は対象との間(あわい)により濃密に開かれる。日常において──例えば、誰かの発言を聞いた直後に、すぐに反応や判断をせず、一呼吸置いて保留すること。このような小さな習慣が、”占想と占い記述からの思考”と”占態(実現)への創造”の前段階をより豊かにする「余白」を確実に育むことになるだろう。

「境域」で漂う”体験” ── 予定の合間に漂う時間や思考が行き詰まって手が止まる瞬間は、往々にして不安や焦りを呼び起こしやすい。──しかし、それを避けるのではなく、「座礁した」と捉えてみることだ。漂いながら「留まる」ことで、既存の思考地図が解除され、創造地図への新たな感覚や「問い」の”兆し”が現れる。──「日常の隙間に漂うこの”境域”」は、意図的に設定しなくとも、偶発的に訪れる出来事として受け止め、そのまま味わうことで──「既成の枠組みを超える”可能性”」の余地を見出せることになる。「荷を降ろす」その実践と実地──日常の重荷は過度な予定、成果への執着、情報への過集中を一時的に「ワークアウト」し、省いてみることで、心身は軽くなる。例えば、一日の中で「今日はこれをしなくてもいい」と自分に許可を出し、その時間や注意を純粋観察に回すこと。「”荷を降ろした”後の静けさや自由度」が、「問い」以前の視線を研ぎ澄まし──「生成と運気」の土台を深める。”余白”から芽生える「問い」 ──「荷を降ろし”境域”に漂った後に訪れる内的な揺らぎ」は、「”小さな問い”の萌芽」。それは、「外部から投げかけられる”問い”」とは異なり、「日常の”余白”」から自発的に立ち上がるものと思われる。

プレデュード prelude:「境域」──経験のやり方:「経験を超えて進むことはできない」に続き──このようにして生まれる「問い」は、”既成の枠組みを超える可能性”を孕み、──日常の地層(生成層)における【余白と臨界 / 円環と拍動 / 前成と跳躍 / 転移と潜勢】とその《経験のやり方》への「問い掛け」であり、「現象」──感覚の捉え方:感覚を超えて進むことはできない(意識・接近)/「可変」──感性の受け方:感性を超えて進むことはできない(潜勢・力能)/「移行」──変化の挑み方:変化を超えて進むことはできない(空間・時間)/「昇華」──価値の持ち方:価値を超えて進むことはできない(内在・手段)などその他、『観氣(かんけ)』における占方(占形)の具体場(実際の実地)へと向かう「前成段階」として──〈占想から占態への還元する〉その観者となった相談者の〈あなた〉自身の「運気の縁起=未然の生成」が──ここから具体的に動き出す「深い生成と潜む運気の日々」への架け橋となる。

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になるでしょう。「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに”潜勢的”。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想」から結果的に「占態」とへ還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は”占想”を片手に歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり指標である「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”にすることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。
空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、生きる風景の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から悟ることができる。
人が生きる母胎の”種子”である「縁(えん)」は”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ「生成(運気)の縁起」。《占いを”描く”》と《占いを”観る”》結び目の《共観》において私たちは『観氣(かんけ)』に必ずや──”月星と共に”「強運の”実”=生成・運気(結実)」を結んでみせるでしょう。

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

add. 栃木県日光市 日光山内

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥10,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月4回〜

◯ 月星占術料
1回 ¥5,000.〜
※ 随時:プロセス進行〜

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ ご提案:プログラム設定〜

◯ 大観氣料
1回 ¥20,000.〜
※ ご相談:月星次の観氣適応~

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:2026年8月13日~

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

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日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』
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