日光占術|観氣(かんけ)本章:発火《月星》

 

 

 

 

         ── 連生 ──

 
 

 

 

 
 
『思創考造』と『観氣(かんけ)』は『思創考造(しそうこうぞう)』と、思ったより地続きで連続する。

 

「思考の既知と創造の未知」──思い考えること は始まりなのか? それとも何かの痕跡なのか? 創り造ることは目的地なのか? それとも見えざる道の裂け目なのか? 私たちは日々、思考し、創造し、判断し、行動する。だが、その一つひとつの背後には、未だ名づけられぬ「原初の”力”」がひそんでいる。思考と思考の間に滲む「”問い”の気配」、創造の閃きの奥でふと立ち止まる「沈黙の磁場」。それらを『思創考造(しそうこうぞう)』という言葉で呼ぶ。──『観氣(かんけ)』と思ったより地続きで連続する『思創考造(しそうこうぞう)』──とは、思考と創造の交差点であり、問いと行動の間に生まれる「潜在的な共鳴核」である。知ることの手前で立ち上がる“まだ名づけられぬ知”を、どうにか掬い上げる方法はないか? ──その探究がこの思創考造体の根底にあり、それは哲学でも科学でも芸術でも宗教でもない。しかし──すべてのそれらを孕む「生成する思考と創造」の旅である。それは、発達と進化、潜在と顕在、時間と空間、心と脳、死点と跳躍、仮説と暗示、そして ” いまここ ” の実地へと至る──”連環”の航路である。

「思考と創造の接点」──現代社会において、「考えること」と「創ること」は、別々の営みとして語られがちです。論理的に分析し、結論を導く思考。斬新なアイデアを形にし、表現する創造。しかし──実際には、思考と創造は常に連動し、互いを支え合いながら私たちの行為を形づくっています。『思創考造 ― Cognigenesis Thinking』は、この「思考」と「創造 」の間に流れる深い構造的関係を明らかにし、それを実践的・哲学的に捉え直す試みです。『思創考造(しそうこうぞう)』という言葉は、思考(Think)と創造( Create )を別々に捉えるのではなく、それらが相互に浸透しながら生じる「” 生成的な連関 ”(Cognigenesis)」の状態を指します。これは単なる概念ではなく、知的活動や日常行動の根底にある潜在的な働きであり、人間の発達、進化、学習、そして表現の全体を貫く「根源的な”力”」でもあります。「潜在力と実在性」「心と脳の関係性」「仮説と思索」「瞑想か観察」などのテーマを通じて、”思考と創造の接点” に生まれる新たな知的地平を探索しています。そして、単なる抽象理論にとどまらず、読者が自らの思考と創造のプロセスを実際に見直し、深めていくための実践的な視点も提供しています。既に展開されている章々は、専門分野に関係なく、誰にとっても意味のある「知の再起動」のための旅となるでしょう。『観氣(かんけ)』に伴う”あなた”自身の『思創考造』の目覚めに向けて、再びページをめくってください。

思考と創造の間( あわい )に── 私たちはいつから「 思い考える 」ようになったのか? そして──「 創り造る 」という営みは、どこから始まったのか? 「思考と創造」は、私たち人間の営みの根幹をなしている。しかし──その二つは、本当に別々のものだろうか? 論理的で直線的な「思考」と、自由で跳躍する「創造」。それらは、異なる回路をもつ活動でありながら、ある深い領域において、互いに溶け合い、共鳴し、やがて「生成」へと至り「運気」づく。──『思創考造(しそうこうぞう)」と『観氣(かんけ)』は、思ったより地続きで連続する──すなわち、ここでは占い出た占想(占い記述)は思考へと移り、占態(望みの実現)を志向する創造へと入る──この相互的で動的なプロセスを、『観氣(かんけ)』と呼ぶ。本書『観氣(かんけ)』では、「思考と創造」が分化する前の《源的状態》を探りながら、それがどのように人間の発達や進化の過程に組み込まれているかを照射していく。それは、単なる認知の過程ではなく、「可能性が形となる前の運動」。すなわち──《占い見る》という人間の「潜在力(potentiality)」から「実在性(actuality)」へと向かう動きそのものに”光”を当てる試みである。

この過程には、いくつかの特異点がある。「仮説が浮かぶ瞬間」「暗示が心を過ぎる(よぎる)時間」「沈黙の中に見えてくる構造」「死点と思える地点に芽生える微細な”跳躍力”」──それらはすべて、『思創考造 Cognigenesis』の”環”のなかにある。また、本書『観氣(かんけ)』では、そうした内的生成のプロセスを「実地サイクル」という概念を通して「現実の行為」と”接続”していく。思索は現場へと降り、創造は試行錯誤の中で磨かれる。この循環は、私たちの生に即して具体的に展開され、教育・芸術・科学・日常の実践にまで通じている。「思考」は構造であり、「創造」は運動である。その二つが交わる場所に、未だ言葉にならぬ“知の種”がある。そしてそれこそが──”あなた”自身の中にすでに芽吹いている「可能性の姿」なのである。『思創考造 Cognigenesis』においては、「思考と創造」の関係をめぐる哲学的探究であると同時に、”あなた”が自分自身の「創発的思考創造者」として再起動するための一冊でもある。「思考を開き、創造を受け入れる」とき、”あなた”の中の『思創考造』が──『観氣(かんけ)』の中で《生成と運気》へと静かに動きはじめる。

「思考と創造の発火点」にて──私たちは、なぜ考えるのか? そして、なぜ創ろうとするのか? この問いは、哲学でも心理学でも科学でも繰り返されてきたが、いまだその深部は曖昧なままだ。思考とは何か? 創造とは何か? それらは本当に分離しうる営みなのだろうか?『観氣(かんけ)』と思ったより地続きで連続する『思創考造(しそうこうぞう)』とは、既に提起している──思考と創造が未分化のまま胎動する──「潜在的な生成空間」を指す概念である。そこでは、問いはただ知識を求めて浮かぶのではなく、沈黙や直感、空白や凝視のなかから浮上してくる。創造は技巧ではなく、実在へと向かう潜在的意志のカタチとして、自らの構造を模索しはじめる。そこでは以下のような探究を通して「思創考造体」の核に迫っている。

 

 

◯ 潜在力と実在性の往還 : 可能性は、ただ多様な未来ではない。それは選び取られ、捨てられ、凝縮されることで、実在へと凝固する。創造の本質はこの凝縮にある。

◯ 心と脳の連環性 : 思考は神経的でもあり、意味的でもある。その中間にある「未定義の場」、すなわち潜在共鳴核こそが、思創考造の発火点となる。

◯ 仮説と暗示、凝視と瞑想 : 知は論証のみによって前進するのではない。微細な気づき、微振動する直観が、真に根源的な飛躍(転軸)をもたらす。

◯ 空間時間形式の再定義:思考と創造の運動は、単線的時間や三次元空間では捉えきれない。多層的な「知の場」としての時空を見つめ直す必要がある。

◯ 死点と再跳躍(leap): あらゆる生成には、いったんの停止、停滞、あるいは崩壊が伴う。そこを「思案点 = 死点」と呼ぶ。だが死点こそ、真に深い跳躍の《潜勢力》が潜む地点である。

 

 

この全体を貫く構造は、単なる抽象的議論に留まるものではない。むしろ「思創考造体」の目的は、思考と創造がどのようにして実地へと降りていくのか、すなわち観念が現場と出会い、循環し、再構築されていく「実地サイクル」の視点を明らかにすることである。『思創考造』とは、静的な理論ではない。それは、発達と進化のあいだで脈打ち、現象と思索のあいだで螺旋を描く、知と存在の動的プロセスである。そしてそのすべては、〈あなた〉という一人の人間のうちに宿っている。だからこそ、この本章『観氣(かんけ)』は単なる導入ではなく、〈あなた〉自身の『 思創考造 』が『観氣(かんけ)』とともに目覚めるための、最初の転軸点である。さあ──思考の輪郭を解き(ほどき)、創造の深奥へと潜ろう。”問い”は既に、〈あなた〉の中で動き始めている。

占い描く/ 占い観る──潜在的の占想(潜勢の臨み)を会得し、どのように思うか? 何を考えるか? ──可能力性の占態(望みの実現)を志向し、どうのように創める(はじめる)か? 何を造るか? ──この小さな《占針》は、「転位」する前の”移行転化”へのひとつの深淵への扉である。さあ──”転軸”において、「占想思考」の既知を解き(ほどき)、「占態創造」の未知に手を伸ばそう。「潜在力と実在の共鳴」「超越と現前の架橋」を目指す『観氣(かんけ)』において──「動き持続する《生成と運気》の”跳躍”」は、既に『思創考造』とともに〈あなた〉の内側で始まっている。

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。
「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
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