日光占術|観氣(かんけ) vol.03:共観

 

 

 

 

      ── 月星と共に ──

 

 

 

 

「”描く”占い/観る占い”の間(あわい)」──“問い“の落とし穴=占い。全ては”問う”ことであり、遍く(普く)「問い掛け」から始まる《転位》──すなわち”問う”ということは、我欲や我執の全く無いところで”心を通す”ということになる。感性による問い掛け──つまり”心通”に伴う「感性の躓き(沈黙と誘い)とその受容=”氣”。『観氣(かんけ)』に”閃き”というものもなく”媒化(媒介)”もない中で『観氣』は”転成”へと《転位》させる。特にスピリチュアル的において人は感覚と感情の”転換”へと”転化(基軸:自己変容)”そのものが「感覚知覚 → 知覚経験」となり、”脳裏の閃きや媒化(媒媒介)の」響きに依って「今なにが生じているのか」──人間は生まれつき知ることを欲する”感覚知覚”への愛好や選好として、感覚はその効用を抜きにしても──すでに感覚することそれ自らの故にさえ愛好され選好され=「”転化”=自己変容」が現実の実演になるのだろう。〈転化〉は単なる”転換”に等しい変化として別のものに質的に変わる今の”過程”──もともとはある状態から”気質が似通った(=目に見えない”spiritual:スピリチュアル”的な)別の状態へ移ること(=mental:メンタル性よりも深い内面・価値観寄りで特に偶然性ではなく必然性を指向)。『観氣(かんけ)』において人は“根“となる”転位(基底:自己生成)”そのものが「感覚知覚 → 知覚経験・創造的受容・共観的思為」となり、”心通”に伴う「感性の躓き(沈黙と誘い)とその受容=”氣”に──「今なにが起きているのか」(感性の躓き=感性による問い掛け)──”力”《潜勢》→ ”閾”《転位》→ ”場”《跳躍》→ ”種”《発芽》→ ”拍”《共観》を指し──問いと応答による触発前の構えと触発後の姿形=《転位》の力(=潜勢的”力能”)の在処(ありか)が見出され=「”転位”=自己生成」が現実の実演になる。

”自己変容”と「自己生成」との相異をもたらす占術において、特に人間の「感覚知覚」は重要な要素となる。「占い描く」と「占い観る」とは並列だろうか、あるいは別の「生成的場」なのだろうか。光や音・温度などの”生の刺激”を受け取る最も基本的な段階である”感覚”とは違い、全ての人間は生まれつき知ることを欲する──「感覚知覚 → 知覚経験」。世界の中の諸事物やその性質を経験する最も直接的な経験。ここでは「占術」についての知識を得る最も基本的あり方になり、すなわち”占う”そのもの=運気と縁起(生成と縁起)。──がしかし一方では知覚経験を特徴づけているのはその対象が何であるか──知覚内容のみではなく、その占いの対象がどのように現れているかという──占った対象の現れ方にかかわる要因であると思われる。「”占う者”=占者”」と「”占ってもらう者”=相談者」を《並列》に「感覚と思考の生成の場」として捉え直し、”占者(占方または占形)と相談者”との──「知覚経験・創造的受容・共観的思為」を中核に据えた新たな関係性の探求するといった問題的提起と視覚の提示が、特にこれからは非常に大切になってくるだろう。”問いとしての占い”──「生成と縁起(運気と縁起)」としての”感性と共観”。問題提起と視角の提示:「占い”描く”」と「占い”観る”」を並列に「感覚と思考の生成の場」として捉え直す「知覚経験・創造的受容・共観的思為」を中核に据えた──新たな関係性の探求=「”占う者”=占者”」と「”占ってもらう者”=相談者」との『共観』。

「占い」は”その場限り”なのだろうか。”因・縁・果”である「縁起」は”断片的”なのだろうか。「生成の縁起」は”局所的変容”なのだろうか。事態は急変でも後付けの予測になるのだろうか。潜在性は過去なのだろうか。──であるからして閃きや媒化(媒介)に依ったスピリチュアル的占術に「肯定感/潜在的可能性」を求め──”偶然性よりも必然性”の確かさに執心しつつ〈転化=意味生成的/自己変容〉するのだろうか。感覚知覚が知覚経験へと“先触れる場”において占師は占術の発明者ではなく、生成の媒介者=生成的知性の“共観の場”の開示であり、”占い描く/占い観る”占者と相談者共に──生成の”触地”にある。「生成の触地」とは、触地=触れる経験 → 生成の縁起との出会い → 生成の兆し → 跳躍の道(自己変容ではなく自己生成)──という流れの構造にある。「”占う者”=占者”」と「”占ってもらう者”=相談者」を並列に「感覚と思考の生成の場」として捉え直した上で「知覚経験・創造的受容・共観的思為」を中核に据えた新たな関係性の探求。触地(Contact Ground)=身体的接触と思考の交差。跳躍(Leap)= 知覚と意識の生成的転位。生成感覚(Generative Sensibility)= 触れることで立ち上がる新しい感覚。創造的受容(Creative Reception):= 描く・観る行為が思考を生む。共観(Co-Perception)= 占い描く/占い観るが占者と相談者によって共有される”生成の場”──「生成の縁起=運気と縁起」。


見えるものと見えないもの──「占いを”観る”」。それは私たちの知覚の流れなのだろうか。ではなく──「占いを”描く”」という知覚と表現行為に強い関心を抱いていたのだろうか。知覚していないときも、知覚の対象は連続して存在しているのか。私たちの知覚と区別されるような存在はあるか。私たちには、所与としての知覚しか与えられていないという集積された厳然たる──その「”感覚”の事実」である。それにもかかわらず、私たちは経験を超えて進むことはできない。そこから自らに与えられていない他の知覚の存在を思い描き──「知覚経験」をもつことになる。

「占い」という名の描写。描写に記す──描写に述べる。それは「占記述」として、生成と縁起(運気と縁起)の”知”が描き留められている。生成と縁起の「占想」──それは感覚と運気・縁起の「生成の場」。額縁のような枠組みを外すことによって解体される──〈占いを”描く”〉と〈占いを”観る”〉との──「占記述」。「占いを”描く”」という”占想”の響き”は──「占いを”観る”場の生成」としてある。生成・縁起(運気・縁起)と感覚と占記述が──相互に生成し合う場そのものとしてあり、思考・創造するために──「占い記述する」のではない。占いを記述しながら思考・創造が生じ、「新たな生成(運気)を創造」しながら占記述が描き換わる。占いが記述されることで新たな意味が浮上してくる──思考・創造のプロセスそのものであり、そのプロセスが占術として可視化される──「生成の舞台」となる。〈占いを”描く”〉自己と世界を見つめ経験される──〈占いを”観る”〉現象が運気と縁起を動かすとき。その「占い記述」は、もう──”既存のもの”ではなくなる。思考・創造が後追いで捉えようとする──”知の身振りに記述という共振”されることで──「生成」は立ち上がる。それは、〈占いを”観る”〉という──「観者そのものの”場”」。新たに立ち上がる”占想”の響き”響きとなり、観者の身体にも──何処かの「触地感」と、何かの「跳躍感」を残してゆく。

部屋の机に整然として置かれた、経験(知覚経験)される「占記述」の静黙な時間と空間。「占記述」は触れれば沈黙としてしているが、「縁起」は黙秘しているわけではない。「占記述」に触れられれば「縁起(因・縁・果)」は静かに黙することなく語りはじめ、不在占者の存在証明に触れられることになる。そうして「知覚と縁起」の交差点として時間的空間的に触れられ、”自分の眼で触る”「生成感覚と運気感覚」の経験(知覚経験)は「読んで見てしまう自己の生成と運気=認識の揺らぎ」となる。《占いを”観る”》ということは、占いを通して、人間が占い及び占い自身の表現について、あるいは自分自身が「感覚できるもの」で「思考できるもの」について抱く、あるまとまった考えを出していることであり、占いの意図を探り意味をつくり、自分自身に「何かが生まれている」ということである。《占いを”描く”》ということは、占いを通して、人間が自分及び自身の周囲について、あるいは自分自身が「感覚できるもの」で「思考できるもの」について抱く、あるまとまった考えを出していることであり、”月星と共に”──自分自身に「何かが生まれている」ということになる。

『観氣(かんけ)』の占方(占形)として占術の自律性や純粋性における「占記述」の占術的側面と触覚的要素において、《占者=感覚・思考者》と《受容者(相談者)=感覚・思考者》との関係が一体化の関係として想定されるものと、「占記述」自身と《受容者(観者)》=感覚・思考者との関係が一対一の関係として想定されるもの──その二者は全く異なるものであるとして思い做しすることできず、両者の間に「感覚されるべきもの」と「思考されるべきもの」として”問い”翳し、”思為”することはできる。よって──テーマ性は「生成(運気)の深化への挑戦”」を核として、《占いを”描く”》こと及び「占記述」=表現・制作者である感覚・思考者》と対置した中で《占いを”観る”》こと及び《受容者(相談者)=感覚・思考者》に”共観重心”が置かれることになる。

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になるでしょう。「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに”潜勢的”。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想」から結果的に「占態」とへ還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は”占想”を片手に歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり指標である「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”にすることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。
空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、生きる風景の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から悟ることができる。
人が生きる母胎の”種子”である「縁(えん)」は”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ「生成(運気)の縁起」。《占いを”描く”》と《占いを”観る”》結び目の《共観》において私たちは『観氣(かんけ)』に必ずや──”月星と共に”「強運の”実”=生成・運気(結実)」を結んでみせるでしょう。

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。

それは説明でも比喩でもなく、

自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる──

縁起を兆す“微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──


〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、

まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、

それがやがて、

「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──

その最小単位だけで十分である。

そこから「生成の動線」は静かに伸び、

「運気との共振」へとつながる──

──
“種線(seed-line)” が現れる。

差異の欠片が置かれた瞬間──

《潜勢》として”伏流”していた力能は、
その差異を核に、地力のかたちを帯びる。

転軸のそれは未だ”跳躍点”ではない。
しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)」に”潜”を充す──
見えない月裏の月相と星相の結び目=”転位”。
〈あなた〉の”差異”の欠片を、

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。

それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

add. 栃木県日光市 日光山内

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥10,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月4回〜

◯ 月星占術料
1回 ¥5,000.〜
※ 随時:プロセス進行〜

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ ご提案:プログラム設定〜

◯ 大観氣料
1回 ¥20,000.〜
※ ご相談:月星次の観氣適応~

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:2026年8月13日~

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』
➡︎ http://www.office-kanke.com
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