日光占術|観氣(かんけ)32相〓息:第二十二息

 

 

 

 

         ── 問答 ──

 
 

 

 

 
 
続き ← 日光占術|観氣(かんけ)32相〓占:第二十二占「問答」より

 

 

「 判断・予測が行われる 」「 感覚や意識が働く 」──占い。
占い現れる ” 寝相 ” ── 占いの「 既知 」の ” 出処と寝床 ” /「未知」の ” 寝処と出床 ”。
” 既知 ” を解き( ほどき )、” 未知 ” に手を伸ばす。 
支配していた感覚的な重心を取り除けば ” 意識は常に何かに向かい可能性へと開かれている ”。

 

 

ー 占いと占相 ー

 

占いは ” 動態 ” 。
占いの動いている状態、占いの動きや変化のありさま。 ──〈 占いの通り道 〉
占い起こる、占いの現れる ” 相 ” 。 ──〈 占いの 際立ち 〉。

「 占いによって、何を得ようとするのか? 何を得ることができるのか? 」

「 占いは、近未来の出来事を予測 ・ 予想( または予知 )するのか? 」

「 占いとは、事の成否や吉凶を判断することなのか? 」

….. 占いは、タイムリー的で、ちょうどその折のことか? 時機にかなっているさまか? いっとき、少しの間、しばらく、片時か? ある時期か? 一刻か?──占いは、ポイント的で、点的か? ポイント的か地点的・箇所的か? 要点、重要な箇所か? 転路か? 分岐点か?──占いは、リズム的で、周期的に反復・循環する動きか? 律動的?──占いは、断片的で、切れ切れであるさまか? 一部分だけで、全体にわたらないさまか?──占いは、断続的で、切れたり続いたりするさまか?──占いは、持続的で、意識の直接の事実として、何ら反省の加えられぬ直接の時間の流れか?──占いは、持続的で、ある状態が保たれることか? また、保つことか? 中断することなく続くことなのか? …..

 

 

ー 生成と運気 ー

 

生成と運気は動態。
生成は運気にあり、運気は生成にある。──〈 動き持続する”生成と運気の ” 水脈 ” 〉
常に生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時( 時間 )にある。──〈 日常は生成と運気の地層 〉

「 生成と運気によって、何を得ようとするのか? 何を得ることができるのか? 」
「 生成と運気は、”占い”とどのように関わっているのか? 」
「 生成と運気とは、事の成り行きや達成と到達などの先行きに立ち至たらせることなのか? 」

….. 「 生成と運気 」は、意識の跳躍により移行転位するためのものなのか? ── 「 生成と運気 」は、潜性的志向性によって自己変容から自己生成へと向かうものなのか? ──「 生成と運気 」は、占いとのかかわりによって実現可能力性”への潜在力と潜勢的を見出し、潜勢的力能が発現するのか?──「 生成と運気の ” 占い ” 」は、発達進化・発展拡張の持続を視座とした生運の獲得に向かう価値創造か?─「 生成と運気 」は、実現可能力性” への潜在力・潜勢的か? ──「 生成と運気 」は、新生月星占術と共に未然の生成・未到の運気と自己生成の具体的実施プロセスと醸成か? ──「 生成と運気 」は、生成線・種線として現れる現象か? ──「 生成と運気 」は、運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に生成し運気づき続けることか? …..

 

 

ー 共振と共鳴 ー

 

” 占う ” として ── 自分の内面や行動に変化が生まれるか、その真正性は問えず定かではない。” 占う ” ところを ── 吟味する感性に受け入れるか、その真正性は問えず定かではない。
その選択肢は、── 防御 ⇔ 防御 / 包摂 ⇔ 排除 / 受容 ⇔ 疎外 / 協調 ⇔ 排他 / 容認 ⇔ 拒絶 / 受諾 ⇔ 拒否 / 包容 ⇔ 排斥。
その行動は、── そっぽを向く、一瞥、通り過ぎる、立ち止まる、佇む、欲する、手に入れる。
” 占ってみる ” その自分とよく似通うところ ── 思いがけず? 見る自分とは全く異なるところ ── 思いも寄らぬ? 自分が求めたいたものがあった? 自分もわからなかったことがわかった? ──” 占ってみる ” に? …..

占いの表現は残されたもの──その表面は故意にでもなく、内面・意識・主観的なものでもなく、占者の単なる思いつきや主張ではなく ──「 系統立って思考する営み 」にある。
『 占 』は、外面的・感性的に捉えられる形式によって伝達できるように表出されたもの。
── ” 占う ” 占者は、ある視点( 観点 )をとったときに視野( 観氣 )に入れることのできる範囲の地平のカタチを通して、そこには無い物事や出来事の姿を描く。

── 相談者は、『 共に生成者 』として占いの意味作用を共有し、” 占ってみる ” ことの経験の「 生成と運気の ” 本性 ” 」= ” 人がもつ、生きる世界や生き方についての纏まりのある見解 ” = 総じて「 思想 」の手掛かりとする。
意味あるものだとしても、無意味なものだとしても、「 生成と運気 」としての肯定・否定のなさにある──「 共振と共鳴 」。
” 占ってみる ” こと -vs.- 想像すること ──「 相互浸透 」。

そうして ── 釘付けとなって ” 占いに見入り ” 、自ら頷くか、項垂れるか ──「 問い 」「 問い掛け 」と「 解き明かす 」ことがあるだろう。
思いがけず偶然として「 占いに触れ触れられ 」──「 考えることそのものは、必然として、ただただ後からやってくる」。
『占』は、媒質( medium )して介在の 純粋意識遊具。
《占い水脈》の占い架橋へと呼び水に反応させられた ” 占ってみる ” 者は取り次、『 占 』と自分との中性( medium )を媒質と化し、自らを「 生成し運気づき 」はじめる ── 波動を伝播する場、純粋意識遊具、純粋意識遊戯 …..

「 占い 」は ” 境目の境界 ” にあって──物事の「 変化の ” ざわめき ” 」の ” 背景 ” に慎重であり ” 向かう先方 ” に巧妙であるのは、物事の微妙な変化にある ” 陰翳 ”( = 問い )を照らす光明さ。
通常の ” 問い”に対する「 因縁生起の問い直し 」は、〈 因果の必然性 〉における「 触発・中止・方向転換の目的追求 」ではなく、──〈 邂逅の偶然 〉における「 埋め手 ・ 打つ手 」により ” 消滅 ” の在り方から離れ『 移行転位 』する。
『 転位の潜勢的 ” 志向性 ” と ” 力能 ” 」を巡る〈 意識の跳躍 〉の《 触地 》=「 占いの解放 」を巡る”邂逅の地層。

「 占 」対『 占 』──” 占い刺激 ” の出現 ・ 消失。
二つの刺激間の違いが ” 感じられるか感じられないか ” の境目とその境目の強さ=《 閾 》。
境目の「 境界 」は ” 境界 = 臨界 ” として止まる( 留まる )ことなく、動く「 生成と運気 」が持続的に進行しはじめ継続する〈 ” 潜勢的”可能性 〉にとって幅広の〈 境域 〉となり──『 移行転位 』を可能にする。
「 占い占う 」── ” 占い序でに占う ” 占い模様は、伏流する『 潜在の勢力圏 = ” 潜勢的 ” 』の《 成力 》による真の価値へ近い”確さ”と”至当さ”」を「 力覚 」よって探し求める。

 

 

ー 占陣と占射 ー

 

《 観氣の ” 占い ” と共に 》──『 感性 』は、「 風を ” 感受の胎動 ” へと招き 」、《 新生の ” 月星 ” と共に 》──「 風を ” 受容の根源活性 ” へと向け 」、自己変容を超えて “ 意識が常に何かに向かい可能性へとひらかれている ”── 旋性的「 自己生成する者 = 運気づく者 」へと立つ。
「占い」は ” 占い ” に止まる( 留まる )ことなく、現勢変化の中で「 意識は常に何かに向かい可能性へとひらかれている 」── ” ある傾向 ” =『 潜勢的 ” 志向性 ” 」へと向かい、「 潜勢的 ” 力能 ” 』の発現をみる。
「 占い口 」に ” ひとっきりの運気 ” はなく、” 占い口の問い ” から「 生成と運気の糸口 = 転位の跳躍拠点 」を見出し、” 伏流する潜勢的志向性 ” の真の価値へ近い確さと至当さを探し求め、「 動き持続する生成と運気 」を拡大し継続を拡張する。

一般的に占方(占形)の”占い”は、「感覚の範疇」とされているが、「 ” 占い ” の〈 当たり外れ 〉の ” 知的好奇心( 感覚 → 知覚経験 )を喚起させられる強烈な刺激と反応という最後の部分の帳尻は別にして、そもそも ── その ” 占術 ” は、特に「 哲学 」や「 数学 」などと密接に結びついて分けたりできない不可分な関係にある極めて高度な知的行為。
その日常的応用における──人それぞれの”生きる風景”に寄り添いつつ自らをコントロールする万人に通じる平坦で平穏な解釈を前提としたその「占い」は”占い”として止まる( 留める )ことなく、── 占術の「 感覚 → 知覚経験 」により自己変容から「自己生成する者=運気づく者」へと、” 動き持続する「 生成と運気 」” を継続することに、── ” 占いの深化への挑戦 ”( = 自分の深化への挑戦 )としての占い行為の新たな知的価値を見出すことができるのではなかろうか。
すなわち ──『 創造的プロセス = 運勢を配置する ” 真価の占陣 ” 』を通してこそ、はじめて──「 ” 望み ” と ” 実現 ” の潜勢的価値」=《 動き持続する生成と運気 》へと、『 占相と成力は昇華される 』というわけである。

『 占う ” 兆想 ・ 湧念 ” 』の《 先行 》 ── ” 占う射手 ” として「 占う ” 先手 ” 」の占思考と占創造が芽ぐむ〈 舞台 〉: ” 畝り ” としての「 発酵 」” a state of agitation or turbulent change or development. ”「 脱構築 」は終点ではない。つまり ── 占術( 占陣学 )の仕組みを解体し = 占想( 望み )を解し、その可能性の要素を抽出して再構築する脱築( deconstruction )= ” 装置としての占術 ” において、占想( 望み )の「 占い記述( description ): 物事のありさまを概念的説明を混じえずにありのままを書きしるしたものを解いた( ほどいた )その先で、占態( 望みの実現 )へと ──「 何を見出し、どう築き直すのか? 」。
すなわち ── 占い記述の《 占針 》とは、「 占いの矢 = ” 跳躍の矢羽( やばね )” 」であり、── それが『 観気( かんけ )』の ” 問い ” である。
『 思創考造( しそうこうぞう )』と思ったより地続きで連続する『 観氣( かんけ )』。四つの身振りを、” 発酵の環( わ )” として描いてみると、動き = 《 運導 》の働きとその作用: ──未だ名づけ得ない気配を感じ取る「 思 」= 潜在の呼吸。 ──捉えきれぬものをカタチへ誘う「 創 」= 萌芽の触覚 。── 揺らぎの中に仮の構造を置く「 考 」= 構想の骨格。 ── 手を動かし現実に投じる「 造 」= 実地の推進。この ” 無意識的混沌 ” =「 発酵 」こそ、『 観気( かんけ )』が扱う《 占相実施サイクル 》の ” 母胎 ” である。

 

 

ー 知覚と思考 ー

 

『 占 』は、一般的に ” 感覚 ” あるいは ” 感覚の論理( logic )” の範疇に属している限りにおいて、” 思考 ” あるいは ” 思考の理論( heory )” とは見做されていないということからして、「 思考に関する理論は、感覚の領域に属する ── いわば ” 占 ” である 」という流れの筋にある。
”占い観て” ── 真に ” 思考 ” するというのは、「 未だ思考されたことがないにもかかわらず、思考されることしかできない何かへと、思考を巡らせる運動 」=「 思考されるべきもの 」である 。
「 ” 感覚 ” されるべきもの」は、専ら ” 感性 ” だけにかかわり ” 感性 ” を生じさせ、同様に ” 思考されるべきもの ” は ” 思考 ” のみにかかわり ” 思考 ” を生じさせている。
そして ── そのそれぞれの能力が自分の限界においてコミュニケーションがなされる場合にのみ、感覚は思考に、思考は感覚に、最大限の力を振うことになり、それによって ── 相互の能力を最大限に引き出し合うことを可能とする。

「 符 」= ” めぐり合い ・ 運 ” ──「 占いの解放 」を巡る ” 邂逅の地層 ” とピッタリ合い ” 符合 = 合運 ” すれば、たとえ『 占 』は代理、虚構的真として二重性( seeing-in )の表象 =「 似姿 」であったとしても、 ──〈占い濃度と濃密〉と〈 占いの転倒 〉は、支配していた感覚的な重心を取り除き、隠れていた ” 望み ” と ” 望みの実現 ” との間( あわい )における「 力覚の軸線 」や「 均衡の中心 」を露わにする。
つまり ──「 生成と運気が付着する筋 」と 「 氣、勢い、気配、調子など目に見えないエネルギー 」に充ちた〈 占い濃度と濃密 〉により意識そのものが、まさに ── ” 生成され運気づき ”、望みと望みの実現に先立つ所与 = 純粋感覚として生まれる「 占い呼吸の通り道 」に、刺激と反応ではない《 意識の跳躍 》として息づき ──『 移行転位 』を可能なものとする。
論より証拠は、「 問答 」であるよりも ” 経験のしかた ” 次第であり、現実であるよりも現実的である ” 占ったほうが早い ” だろう。

 

 

ー 感受と受容 ー

 

まだ意味付けられていない感覚は、知覚の構成部分として( 知覚と区別され )感じとる心の働き = 感受性( 感じ方 )──「 感覚 → 知覚経験 」。
頭の中で思い巡らし描く「 想像 」のはじまり → 頭の中で思い巡らし考える「 思案 」のはじまり。
「 判断・予測が行われる 」= ” 占いづく ” ──「 感覚と意識が働く 」= ” 占いめく ”。
ならば ── 『 感性 』による ” 感受性 ” のその先の「 受容性 』は? ” 感受 ” した「 受容 」の行き先は? 何処へ向かう? …..

” 占い求めるそのもの ” が、事の成否? 未来の出来事? 事の吉凶? もしそうであるだけなら、それはそれでいいだろう。
” 占い出たそのもの ” を、どうするのか? 何か備える? ある事を上手く行うために前もって仕度する? ある事に心を頭を集中させて気をつけ気を配り留意し注意する? もしそうするだけであるなら、それもいいだろう。
つまり──『 占術 』が、事の成否や未来の出来事とその吉凶などを占うものであるならば、それはそれでいいだろう。
しかし ──『 ” 占いの種子 ” は息をしている 』が、生み出すものはないのだろうか? 勢いづけるものはないのだろうか? 実りはないのだろうか? ” 生み出す勢い実り ” の状態が保たれ、中断することなく、つづくことはないのだろうか? …..
それは、── ” 占いを深める( = 自分を深める )” 状態を勢いつづけていくものそのもの = 占いの深化への挑戦( 自分の深化への挑戦 )に向けた『 観氣( かんけ )』の ” 動き持続する「 生成と運気 」”。

” 占い濃度と濃密 ” は、──「 生成と運気が付着する ” 筋 ” 」と「 ” 氣、勢い、気配、調子 ” など目に見えないエネルギー 」に充ちた占いの ” 場 ” = 望みの触地。「 符 」=” めぐり合い・運 ”──『 甘美な占い 』とピッタリ合い ” 符合 = 合運 ” すれば、たとえ『 占 』は代理、虚構的真として二重性( seeing-in )の表象( 似姿 )であったとしても、「 占いの転倒と呼吸 」は、支配していた感覚的な重心を消し去り、隠れていたv” 望みと実現との間(あわい)” における「 力覚の軸線 」や「 均衡の中心 」を露わにし、” 意識そのものが、まさに ── 生成され運気づき ”、占想思考( 望み )と占態創造( 望みの実現 )に先立つ所与 = 純粋感覚として生まれる「 占い呼吸の通り道 」に刺激と反応ではない《 意識の跳躍 》として息づき ──『 移行転位 』を可能なものとするというわけである。

『 観氣( かんけ )』において ── ” 占姿 ” を通しての「 感覚 → 知覚経験 」は、占い表れ出た自分の ” 似姿 ” によって、「 自らを ” 問い、気づき、解き ” 」── そのものが ” 収穫 ” として自分と世界の中で《 生きること = 実ること 》の道を刻む手掛かりのひとつとなる。
「 ” 当たり外れ ” の占いの ” 醍醐味 ”と占いの ” 甘美 ” 」=「 占いの最上で真実の教え 」、” 占いの本当の面白さ ”、” 占いの深い味わい ” ── それに酔いしれるものは、「 占いに向かい出でるのではなく、占いに自らを問い、自らの力を以て占いに打ち出され、占いに打ち克つ( 勝つ )」── 占い出されたその自らを超え出でる = 占いを超え出でる。
占いとは、必然も偶然も蓋然も超え、「占い出たそのものを問うこと」=「 自らを問うこと 」。
占い出たそのものは、先立つ自らの志向性の導線として付き従うのではなく、『 生きること=実ること 』の《 種線 ” seed line ” 》が始まる出出し(でだし)の点打ち = 予めの「 アタリ 」── ” 予祝”に酔いしれて …..

 

 

『日光占術|観氣(かんけ)32相〓息』
──キーワード(ヒント):

◾️Cognigenesis : 
日光占術|観氣(かんけ)step.1 ~ 32

◾️Essay:
日光占術|観氣(かんけ)vol.1 ~ 32

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。”月星と共に”人の「生きる風景」の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

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※ 例年大祭:無料

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