「日光占術|観氣(かんけ)vol.1~vol.32」カテゴリーアーカイブ

日光占術|観氣(かんけ)vol.25:反響

 

 

 

 

       ── 距離 ──

 

 

 

 

「知覚・思考・創造」の三軸──〈占いを”描く”〉者と〈占いを”観る”〉者の往復書簡的関係。問題提起の層──”占いを〈描く〉”と”占いを〈観る〉”は並列か? あるいは別の「生成的場=運気的場」か? 問いとしての占術──「生成と運気」としての知覚。問題提起・知覚の提示は、占いを〈描く〉と〈観る〉を並列に「感覚・思考・創造の生成と運気の場」として捉え直す──「知覚経験・創造的受容・共観的思為」を中核に据えた新たな関係性の探求。

”占い見える”ものと”占い見えない”もの──「占術を”見る”」私たちの知覚の流れなのだろうか? ではなく──「占いを”描く”」占術家の知覚と表現行為に──強い関心を抱いていたのだろうか? 知覚していないときも知覚の対象は連続して存在しているのか? 私たちの知覚と区別されるような存在はあるか? 私たちには、所与としての知覚しか与えられていないという──集積された厳然たる「”その感覚”の事実」であるにもかかわらず、私たちは、経験を超えて進むことができず、そこから自らに与えられていない他の知覚の存在を思い描き──「知覚経験」をもつことになる。「占術」という名の占い、占い記する占い記述、占い述べる占述。それは──『占態(望みの実現)』へ向かう『占想』であり潜在的《占針》として、知覚・思考・創造の”知”が描き留められている──「人がもつ、生きる世界や生き方についての纏まりのある見解」という「”思想”書簡」──それは感覚と思考と創造の「生成の場=運気の場」として、額縁そのような枠組みを外すことによって解体される──〈占いを”描く”〉者と〈占いを”観る”〉者との往復書簡「占術記述=”占想と占針”」。

この〈占いを”描く”〉者(占方または占形)の「”思想”の響き」は、──「場の生成=場の運気」としてあり、知覚・思考・創造と《占針》とが──相互に生成し合い運気づく場そのものとして、思考・創造するために占い記述(または占述)するのではなく、占術を記述(占述)しながら──思考・創造が生じ、思考・創造しながら”記述 / 占述”が描き換わり、”占術が現出”されることで新たな意味が浮上してくる「創造的プロセス」そのものであり、そのまま──プロセスが占術として可視化される「人がもつ、生きる世界や生き方」の”舞台”となる。〈占いを”見る”〉者の、自己と世界を見つめ経験される──〈占いを”見る”〉という現象が「思想」を動かすとき、──その「占術記述(または占述)」は、もう”既存のもの”ではなくなる。思考・創造が後追いで捉えようとする”知の身振り”に──記述(占述)という”共振”されることで」は立ち上がる。それは、〈占いを”観る”〉という「観者(相談者)そのものの”場”」で、新たに立ち上がる響きとなり、観者の身体にも──何処かのの「触地感」と、何かの「跳躍感」を残してゆく。

部屋の机に整然とし置かれた──「経験される占術」の静黙な時間と空間。占術は”触れれば沈黙”としてしているが、”占”は、黙秘しているわけではない。「占相』に”触れられれば”、”占”は、静かに黙することなく”語り”はじめ──”不在の占家の存在証明”に触れられることになる。そうして、「知覚と生成・運気」の交差点として“時間空間”に触れられ──”自分の眼で触る経験からの「知覚経験」は、”見てしまう自己の「生成と運気」”=”認識の揺らぎ”となる。《占いを”見る”》ということは、その”占”を通して人間が、”占”及び占い自身の表現について、あるいは自分自身が「感覚できるもの」で「思考できるもの」について抱く、あるまとまった考えを出していること=「占想思考」であり、”占”の意図=「占意」を遡って探り、”占い見る意味”を再構成してつくり、自分自身に「”新たに”何かが生まれている」ということである。

『占』としての自律性や純粋性における占術(占方または占形)の占術的側面と触覚的要素(特に知覚経験)において、《表現者(占術家)》=感覚・思考者と、《受容者(相談者)》=感覚・思考者との関係が、一体化の関係として想定されるものと、一対一の関係として想定されるものとは、全く異なるものであるとして思い做すことできず、両者の間に「感覚されるべきもの」と「思考されるべきもの」として”問い”翳し、──思為することはできる。よって、テーマ的には、「”生成と運気”の深化への挑戦」を核として、《占いを”描く”》こと及び《表現者(占術家)》=感覚・思考者》である感覚・思考者と対置した中で、《絵を”見る”》こと及び《受容者(相談者)》=感覚・思考者》に”共観重心”を置き、経験を超えて進むことができない「知覚経験」を持つことによる「経験のやり方」──”感覚は思考への架橋”=『創造的受容』というものを捉え、知覚経験は「”占”に触れられる”」ことにより、『感覚は思考へと向かわせ、新しい思考を創造する?」──問いを投げ掛けることである。つまり──”知覚経験”が、いかにして「可能性をもつ主体」へと生成するのか、そのプロセス「”新たな生成の次元”への差異・出来事・反復・表現・潜在性などの思考と創造」を間接的にも描き出すことになる。

様々な占術を生み出し「”占”に触れ触れられ」、様々な占術と出会い「”占”に触れ触れられ」、『占』を通して世界と自分を経験する──相対的に《絵を”見る”》と《絵を”描く”》と対置された──『経験のされ方』=「絵画にかかわる」われわれの”知覚・意識”と、”感覚(感性)と思考”への”問い行為”。「”占”との距離」は、意外と既知と未知に富んでいる──「占想思考」の既知を解き(ほどき)、「占態創造」の未知に手を伸ばせる──身体に触れ触れられる知覚と意識の感覚所与=「身体的な実践」。思考の働きに先立ち直接意識と感覚に与えられ──〈占いを”見る”〉=「占ってみる」──その心の中に表象されている現実とその価値観と意味体系。〈占いを見る者》と”占”の関係性を、イメージへの感情移入を追求することなく──『経験のされ方』の要素的ではない全体的構造を捉え、「時間とともに生じる変化」そのものをも重視するなかで、《占いを”描く” / 占いを”観る”》という現象の実体や本質そのものを構造の記述と理解を通じて捉えてみることができる。

「”現象”の具体的構造」から── ”「生成と運気」がどのような“場”によって誘発されるのか? ” という視点による「”場”の構造・環境との関係性」までを捉え、その一方で複数の占術とその理論や諸原理を典拠し折衷して適用する柔軟性をもった「理論的参照」と、「実践の交差や往還」を重ねながら、──”経験のされ方”において、〈占いを”見る”〉という行為の現象的な意味合いと、「占いを”描く” / 占いを”観る”」という行為のそれとの──対置された「共通性や差異性」などを探り出すことによって、跳躍、構築、或いは錯綜する「生成と運気」の運動へと実践の厚みを増し、『占いの”新たな次元”』の展望を考えることがきるだろう。

『思創考造』と『観氣(かんけ)』 は、思ったより地続きで連続する。

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。
「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)vol.24:感受

 

 

 

 

       ── 問い ──

 

 

 

 

跳躍点とは何か──転位と生成の臨界場。跳躍点のそれは、単なる転換のきっかけや偶然の契機ではない。むしろ──それは沈黙の奥底で時間をかけて醸成される──ある臨界的な構造である。私たちは、日常のただなかで、「感性」によって極く微細な「違和」や「徴」を感受する。それは即座に言語化されることはなく、しばしば曖昧で、流れてしまいがちな経験だ。だが、そうした徴の堆積が、やがてひとつの「力」を帯び始める。決して目に見えないが、確かに存在している。それは、心と身体の深層を通じて、少しずつ内的空間を変形させていく。このとき、私たちの経験に密かに起こっているのは「転位」である。その”移行転位”とは、意味の移動や解釈の転換ではない。より根本的には、〈場〉そのものの位置が、ある不可視の力によってずらされることだ。視野がずれる。重心がずれる。思考がそれまで立っていた「足場」を失い、別の次元へと滑り落ちていく。この滑り──この変容の始まりこそが、「跳躍点」の”前触れ”である。

跳躍点とは、〈転位〉の極において現れる。そこには、深く沈み込むような運動と、内側から湧き上がるような力とが、同時に存在する。ひとつの方向だけではない。矛盾的な運動が交差する地点。だからこそそれは、「臨界の場」となる。跳躍点では、世界の輪郭が一瞬ゆらぎ、言葉の意味が滲む。時間が折れ曲がり、空間がひらかれ、自己と世界との境界が揺らぎ始める。この裂け目において、私たちは初めて、本当の意味で「問う」ことをはじめる。”思創考造(しこうそうぞう)”に裏打ちされた『観氣(かんけ』とは、この”跳躍点”において生まれる「”問い”を生きる」ことである。ただ考えるのではない──「”問い”を生きる」。”問”いが、私たちの思考を通じて震え、やがて現実のカタチへと生成され運気づいていく”跳躍点”は、未来への入り口ではない。そこは、過去の沈黙と未来の可能性とが重なり合う「いまここ」である。そして私たちは、そこにおいて、「自らが”生きる”=自らが”実る”」とはどういうことかを、根源的に再起動させられる。─それは、ただの思考もなく創造でもない──生(いのち)の問いとして、〈あなた〉の呼吸の中に既に始まっている。

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。
「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
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日光占術|観氣(かんけ)vol.23:力動

 

 

 

 

     ── 潜在的可能力性 ──

 

 

 

 

「運導と力動」──能力とは、何かができるという「可能性」である。たとえば「泳げる」「話せる」「理解できる」といったとき、その背景には、身体的・精神的な潜在的力が備わっている。だが──能力とは、単に「できること」ではない。それは、内に宿るものとしての力――名づけ得ぬ力、目に見えぬ「潜在的な可能態としての”力動(可能力性)”──《潜勢的”力能”》の発現に支えられている。では──その「名づけ得ぬ力」とは何か? この力は、心身のはたらきにおいて自明のものではない。それは──”努力”=「”心”の決定」によって──すなわち「一定の反復や持続的な実践」によって、初めて表に現れてくる。

「能力がある」とは、単に才能を持つことではなく、「力を発現させる”過程”」にあるということだ。力は、生得的であるかもしれないし、獲得的であるかもしれない。しかし、どちらであってもそれは育まれなければならず、その育みの場が”努力”である。努力とは、言い換えれば「繰り返しの場」である。そこでは、身体が、心が、頭が、それぞれ別個にではなく、一つの「実地の場」として呼応しながら働く。そこには、「息」がある。吸って吐く、意識と無意識のあわいを往還するような呼吸の場。そのような場でこそ──真に力は練られ、磨かれ、潜在から顕在へと変容していく。しかし──この過程は、単なる反復ではない。それは、毎回異なる条件のもとでなされる「変化を孕んだ反復」であり、そこには常に「問い」が立ち上がる。何故これがうまくいかないのか? どのようにすればより深く到達できるのか? ──「問いが立つとき、思考が動き出し、創造が芽吹く」。

思考と創造は、”努力”の内にある。そして努力とは、単に前に進む行為ではなく、「場の熟成」であり、「力の生成」の現場なのである。私たちはよく、「がんばったらできた」「やればできる」という。しかし本当にそうだろうか? “努力”とは、単なる意志の持続ではない。それは、心と身体と頭が交わる「実地の場」であり、呼吸と問いを介して、内にある「名づけ得ぬ」=目に見えぬ「潜在的な可能態としての”力動(可能力性)”──《潜勢的”力能”》が発現へと目覚めていくプロセスそのものである。そこでは、「できた」ことよりも、「できつつある」こと、「できるとはどういうことか」が問われる。すなわち、能力とは、固定された性質ではなく、変化し続ける潜在的可能性であり、それが立ち現れる場の全体――すなわち「”占想(占い記述)”からの思考と”占態(望みの実現)”への創造」=「”占思考”と”占創造”の場」こそが、「運導と力動」──能力とは、何かができるという「可能性」である。たとえば「泳げる」「話せる」「理解できる」といったとき、その背景には、身体的・精神的な潜在的力が備わっている。だが──能力とは、単に「できること」ではない。それは、内に宿るものとしての力――名づけ得ぬ力、目に見えぬ「潜在的な可能態としての”力動(可能力性)”──《潜勢的”力能”》の発現に支えられている。では──その「名づけ得ぬ力」とは何か? この力は、心身のはたらきにおいて自明のものではない。それは──”努力”=「”心”の決定」によって──すなわち「一定の反復や持続的な実践」によって、初めて表に現れてくる。

「能力がある」とは、単に才能を持つことではなく、「力を発現させる”過程”」にあるということだ。力は、生得的であるかもしれないし、獲得的であるかもしれない。しかし、どちらであってもそれは育まれなければならず、その育みの場が”努力”である。努力とは、言い換えれば「繰り返しの場」である。そこでは、身体が、心が、頭が、それぞれ別個にではなく、一つの「実地の場」として呼応しながら働く。そこには、「息」がある。吸って吐く、意識と無意識のあわいを往還するような呼吸の場。そのような場でこそ──真に力は練られ、磨かれ、潜在から顕在へと変容していく。しかし──この過程は、単なる反復ではない。それは、毎回異なる条件のもとでなされる「変化を孕んだ反復」であり、そこには常に「問い」が立ち上がる。何故これがうまくいかないのか? どのようにすればより深く到達できるのか? ──「問いが立つとき、思考が動き出し、創造が芽吹く」。

思考と創造は、”努力”の内にある。そして努力とは、単に前に進む行為ではなく、「場の熟成」であり、「力の生成」の現場なのである。私たちはよく、「がんばったらできた」「やればできる」という。しかし本当にそうだろうか? “努力”とは、単なる意志の持続ではない。それは、心と身体と頭が交わる「実地の場」であり、呼吸と問いを介して、内にある「名づけ得ぬ」=目に見えぬ「潜在的な可能態としての”力動(可能力性)”──《潜勢的”力能”》が発現へと目覚めていくプロセスそのものである。そこでは、「できた」ことよりも、「できつつある」こと、「できるとはどういうことか」が問われる。すなわち、能力とは、固定された性質ではなく、変化し続ける潜在的可能性であり、それが立ち現れる場の全体――すなわち「”占想(占い記述)”からの思考と”占態(望みの実現)”への創造」=「”占思考”と”占創造”の場」こそが、『観氣(かんけ)』の関心である。

 

 

 

 

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         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。
「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)vol.22:自在

 

 

 

 

        ── 心根 ──

 

 

 

 

…..「変化を超えて生成に立ち会う」という地点を理論的に整理する形で置くか? それとも「体験的に味わえる場面」の中で示しいくか?「現れを追う観察」と「生成=現れが生まれる出来事に立ち会う体験」。

両者の対比を見極めていくと、必ず「生成に立ち会う体験」が意識に浮かび上がる。
それは「変化を超える」というよりも、「変化を通してその奥の生成を感じ取る」ことに近い。

「変化を超えて生成に立ち会う」ことこそ、「変化と生成の理解を深める自然な到達点」──そういうことになる。

「現れを追う観察をすれば──「変化」、現れが生まれる出来事に立ち会う体験をすれば──「生成」。

なるほど面白い捉え方になり腑に落ちるはずだ。

「変化=現れを追う観察(表層の映りを捉える」、『生成=現れが生まれる出来事に立ち会う体験(深層の畝りに触れる)」。

だから──「変化を超えて生成に立ち会う」という地点は、理屈を積み上げた結果として現れる結論であると同時に、ふと息を呑むように「感じてしまう」瞬間でもある。

おそらく──この二重性──理論的に「変化と生成の異なり」、を示し、体験的に「変化の奥から生成を感じる場面」。

この二つを組み合わせると、より鮮明に「なるほど、変化の背後に生成があったのだ」と腑に落とせるはずだ。

理論的整理(概念としての「変化と生成」)と場面体験(日常の描写を通じて「生成に立ち会う」感覚)。

理屈を積み上げた結果として現れる結論であると同時に、ふと息を呑むように「感じてしまう」瞬間でもある。

まさに──「理論(哲学的)と感覚(瞬間的)」。

理論的には「変化と生成の異なり」、 体験的には「変化の奥から生成を感じる場面」。

つまり──この効果的な二重構造によって『変化の背後に生成あり』がわかるはずだ。…..

 

 

【第ニ打】

 

「畑を耕す人は、自然の摂理に触れないと種蒔けず、実験の中で発想する。」

「大工は、技術の理屈を知らないと働けず、経験の中で想像する。」

「子供は、不思議の理由が無いと遊べず、体験の中で夢想する。」

 

 

【第一打】:vol.12:真際 〉02

 

「畑を耕す人は、土を見ている。」

「大工は、木目を読み、節の呼吸を聴いている。」

「子供は、水の形に手を伸ばす。」

 

 

先ず「変化と生成の区別」を概念レベルで理解でし、そのあと場面体験で「なるほど、このことか!」と身体感覚的に実感することができる。つまり──理論(知の光)で地図を描き、体験(感覚の呼吸)で風景を歩るという流れ。「どの瞬間が”変化”で、どの瞬間が”生成”なのか」を《”自在”に操れる》ようになるはずだ。「ざわめきの変化(声が重なり増えていく様子)、その背後の「生成(声が湧き起こる生命の脈動」、この二層を重ねると、「変化と生成」の理論的整理が、一気に“体験として”『腑=心根』に落ちることになる。理論だけだと、「なるほど」と理解はしても、それが”血肉”にならず抽象に止まる。体験だけだと、感覚は動いても「これが何だったのか?」と腑に落ちにくい。その間に、理論(知の光)で地図を描き、体験(感覚の呼吸)で風景を歩くという二重の仕掛けに身を置くことで、「理解」と「感覚」が結びつき、腑に落ちることになる。具体的に「変化(ざわめき)」は、すぐ理解できるレベルの出来事。「生成」は普段は気づかないけど、体験描写を通じて「なるほど」と気づける奥行き(ざわめきを生み出す脈動そのもの)。ここで “理論整理の地図” があるからこそ、体験のときに「あ、これは変化」「その背後に生成がある」と腑で感じ取れる。つまり──「理論の光」と「体験の呼吸」が交差することで、理解が頭から腑へ落ちるということだ。「ざわめく=変化」を感じた直後──〈変化〉とは、現れの移ろいにすぎない。だが──その背後で息づく“湧き出し”こそ《生成》である。日常の喧噪の中で声の重なり、”地の声”の増減は〈変化〉だ。だが──”奥の声”が立ち上がる出来事は『生成』である。

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。
「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)vol.21:予祝

 

 

 

 

       ── 占前夜 ──

 

 

 

 

…..『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。

顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行する。

「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』する。…..

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。
「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)vol.20:真際 〉10

 

 

 

 

        ── 運性 ──

 

 

 

 

運勢:幸・不幸が巡ってくる具合。今後の成り行き・将来未来。──運命:超自然的な力に支配されて運命人の上に訪れる巡り合わせ。天命によって定められた人の運。──運星:人の運命を司るという星の巡り合わせ運星まわり。──運気:生成現象に現れる人の運勢と運星=運成。これら──運性(身の上の成り行き・めぐりあわせ)を総じて──”生が動く”=『運生』。

 

 

…..『運生』──という構造が沈殿し、
再び動き出すまでの時間。
──それは、
”沈黙 ”と「”兆し ”が、
共存する──「潜在の領域」。

そこに宿るのは、
占想(思考)と占態(創造)を、
止めるのでもなく、
ただ急ぐのでもなく、
「見えない”種火” 」が燃え続ける──
《根源活生》の静かな躍動。

──これは、
「生成され運気づく」=〈運成思想〉。
まさに──『運生』の心臓部。
「生成と運気」は、
創ることを考え、考えることを創る──
プロセスだが、その間( あわい )にこそ、
「生まれる前の”核心”」が脈打っている。

「生成の縁起=運気の縁起」。
その”種火”を深く抱き、
静かに《転化の移行》へと、
その”転軸の方向”を定める時だと思われる。…..

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。
「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)vol.19:真際 〉09

 

 

 

 

        ── 余白 ──

 

 

 

 

「潜勢」──その”余白”の息づき。静かに誘う、その「余白」は、静けさの奥で、未だ名もない道をひら開き、その先に《潜勢》が息づいている。”跳躍”を感じさせ、ここで動きを止めたとき──もう《潜勢》の ”拍動” の中に立っていた。哲学的に余韻を残し、”余白”は終わりではなく、「生成と運気」が次の姿を選び取るための──それは”呼吸”だった。哲学は思考を渡すのではなく、思考が芽吹く“場”を設計する芸である。その“場”のことを、私たちは「創造(=”跳躍”)」と呼ぶ。”跳躍”とは、思考が創造へ触れるその一拍の震えである。そして世界は、その震えの中で〈わたし〉というものを創り直す。まさに──今が合致から”跳躍”へ”転じる呼吸の瞬間。〈わたし〉というものと世界が、互いの“内側”を通って、もう一度、出会い直す。そのとき──”跳躍”は、進むことではなく、「生まれ変わる」ことである。世界の輪郭がわずかにずれ、〈わたし〉というの内奥に知らぬ風が吹く。それは──今までの自己が、”外”へと滲み出し、世界の方から”内”へと息づく瞬間。この反転の呼吸のなかで、〈わたし〉は「誰か」ではなく、”潜勢的”に「生まれつつある何か」として在る。”跳躍”とは、〈わたし〉と世界が互いを孕み合い、一つの「生成と運気」へと解けてゆく運動である。動機づけ、決断し──《潜勢》は、内世界と外世界との直接な巡り合わせ、過去記憶が張りついて時の日にイメージできれば絶対に実現できる。結局〈わたし〉のしたことは、今埋めに──過去それだけのことだったのかもしれない。自分だらけの世の中で、これ──”潜勢的”ほど自分と向き合える世界はないだろう。自分が何処まで行けるかを知ることができる。ではどうするか? ──「潜勢的」に充す。「創造=動き持続する生成」の”月星と共に”「潜勢」で満たす。

 

 

…..”跳躍点”に向かう──
「変化の脈動」。

”触発”始動=「力の発現」
──可能力性。 

刻化の現在は、
既に記憶の過去、既に向後の未来。

現在現実を乗り切るために──
一死不乱に心血を注ぎか?
過去既往を打ち捨て心機一転に巻き返しか?
未来将来に願い託し熱心に心頼みの心待ちか?

頑張り突き抜ける超克への渇望も、
背負って引き摺る記憶への執着も、
先き行きを見做す期待への欲望も、
──暇(いとま)がない。

《潜勢の絵巻》の──
今ほど鮮やかに口開くこのことは、
もう過去になり、
そして──もう未来になる。

《潜勢的》とは、
特に”裂け目”に際して──
適用しなければならない態度であり、
逃げても亀裂は開いて、
ずっと追っかけてくる。

しかも──さら深くなって、
そうして──《潜勢》が人を連れて行く。…..

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。
「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)間章:占火《月星》

 

 

 

 

       ── 生の個的律 ──

 

 

 

 

「火を持つ」=〈個の生成と運気〉──「月=火・星・精神」へと、「火の余韻」が内面化され、意識や精神の結晶となる──その「余韻」は、「火の残光や香りが場を満たす静的リズム」である。「生成精神」は、個の意識・呼吸と月=火の拍動が重なり、結晶化する──その「世界への拡張」は、「月=火・星・精神」が場や世界と”共振”し、「未知の可能性」へと繋がる。”静→動→連鎖→統合”の「生成と運気の拍動リズム」が「火の拍動フル旋律」に拡張される中で、「火の余韻が”月星”して内面化」され、そこから生まれる拍動が精神・意識を媒介に世界へ拡張する流れを捉えることである。──それは、「火の残り香と光は、静かに場を満たす」→「静的余韻」/「拍動は生成と運気との共振となって広がる 」→「動的連鎖」/「ひとつの拍は他の拍を誘い連鎖の輪を作る」 →「拍動の連鎖」/「〈わたし〉と〈世界〉は拍動の渦の中で互いに息を合わせる →「内と外の統合」。

『拍動の連鎖』は実地サイクル を通して、”火の拍動から世界の拍動へ個と──世界・感覚と思想をつなぐ核”となり、拍動の連鎖と世界と呼応するリズム、そして個から世界への跳躍、──「火 → 水 → 風 → 大地 → 都市」へと転化する。「余韻」は事後ではなく、”現在進行中”の『生成と運気」。『時間の余韻』が示すのは、過去の残響ではなく、未来を孕んだ現在の膨らみ──「未だ終わっていない現在」「次の拍の母胎」。──「満ちず欠けず、次を孕み続ける火」──時間と拍動の哲学、 新しい可能性/未知への跳躍、その全てを孕むという行為そのものが、『観氣(かんけ)』における《月星占術》の実践──火は、〈わたし〉という内で拍動する「生の個的律」として、「拍動の水平展開(個 ⇄ 世界)」が始まるわけである。

 

 

…….. 「余韻」の中──”火”は沈黙を脱いだ。
灰の底で、微かな呼吸が、

まだ脈を打っている。


それはもはや──
〈わたし〉の中にある”火”ではない。
「場」そのものが息をしていた。


《月星》が、通りを渡り、

誰彼かまわず肩を撫でてゆく。

”光”が、壁を跳ね、次の影を孕む。

”拍”が──また始まる。

〈私たち〉は──その”拍の波”を、

「火 → 水 → 風 → 大地 → 都市」の──
その世界の片隅で見ていた。

《月星》が地に沁み、大地が”拍”を孕み、
すべての拍──
「地・水・火・風・空(くう)」が重なり、
どれもが同じリズムを持ち、

”火”の記憶を絶やさぬまま
──
この世界の心拍に融けていく。

──”火”は分かたれた。

手渡された”火”は、
ひとりの胸に、また別の胸に灯り、

そのたびに《月星》と共に形を変えながら──
「連鎖」していく。


〈私たち〉という複数の呼吸が、

無数の拍を編み、世界を震わせていた。
沈黙はもう──
「火を持つ個」ではなかった。
それは”光”と響き合うための「余白」となり、

人と人とを、光と影とを──
ひとつの”拍”に束ねていた。

そのとき、〈私たち〉は気づく──
”火”は、もはや──「もの」ではなく、

”火”とは──「関係=縁起」なのだ。
それぞれの身の内に点る”火”が──
《月星》の”光”が──互いを照らし、
〈世界〉という場そのものを、

ひとつの呼吸体に変えている。

こうして「実地の拍動」が始まった。

ここでは──世界が呼吸し、

私たちがその”拍”を受け取る。
それが「連鎖の核」──
「
生成の縁起=運気の縁起」の──
〈真なる始点〉である。……..

 

 

大地の声──生命の拍(生成の核)」における沈黙の中で”拍”が芽吹き、「運気」となる──発芽(拍の顕現・再生)によって、《月星》が地に沁み、大地が”拍”を孕み、すべての拍──「地・水・火・風 / 地・水・火・風・空(くう)」が重なり、「連鎖の核」が姿を現し、そうして世界が呼吸し──私たちはその”拍”を受け取ることになる。思いきり──《月星》の”呼吸”を感じながら、私たちのその”拍動”をそのまま──表し燃やすことだ。まさに──「燃やす」ことで「拍」は生まれ、「燃やし尽くした灰」から次の拍が孕まれる──まさに完璧な「実地拍」の第一歩でなるだろう。その「余韻」を胸に、”良き拍動”の静かな灰の呼吸を聴く。灰の中で眠る火は──必ず次に息を吹き返すはずである。「灰の呼吸」──その余韻を経て迎える時、まさに──「”火”が静かに《月星》の”光”に転生する」瞬間であり、その拍動は「灰の底から立ち上がる”精神の再燃の初光”」のように、柔らかく、しかし──確かに熱を帯びていると思われる。

 

 

….. 占火 〉月星──
満ちず欠けず、次を孕み続ける”火”。
”占火”のほうが先に行っていて──
”現実”のほうが遅れている。…..

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。
「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
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日光占術|観氣(かんけ)vol.18:真際 〉08

 

 

 

 

        ── 奔流 ──

 

 

 

 

〈変化〉は”差異と問いの元火”として「生成と運気」の火付け=『観氣(かんけ)』の《実地》を撃ち抜く”拍動”へと。──『強く心をつき動かす』=”個の衝動「火」”に向こう、”心を通し”「火」と対峙する感覚──体感する残り火「熾火(おきび)」。つまり──「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”へ向こう「熾火の実感 → 火門の象徴」を一息で渡り歩くという”体感”と”ロマン”の両立。「沈黙の熾火──未だ籠もる熱(=感覚的な一撃)」。いよいよ──消えかけの”熾火”が、《炎の舞(Fire Breathing)》──象徴の「火門」へと自然に変換される瞬間が静かにやってくる。

 

 

熾火(消えかけの残り火)
──『観氣(かんけ』の実地感覚

 

炎は上がらないが「赤い拍動」を続ける火、煙少なく、火力安定にて”持続”する熱──《熾火(おきび)》。象徴されのは、「残るもの」=消えていない──未だ孕んでいる未来。つまり──「潜在力」=目に見えぬが、確かに次を起こしうるもの──《”潜勢的”》。「熾火」は”残響”や”待機”としてあり、乗り超えるべき”変化の峠(マウンテンパス)”での「持ち運ばれる”種火”=トーチ」として機能するだけではなく、「生成と運気」の全てを通じて“持続の象徴”である。ただし──場面により「残る」なのか「受け渡す」なのか、その表情を変える。立ち上がり、燃え移り、勢いをもって拡がる──《火(炎)》。象徴されるのは、「現前」=実地の熱(”現勢的”)、視覚の赤、触覚の灼熱。つまり──「向かう先」=門のかたちを描き出す未来。「火そのもの」は象徴よりむしろ体験として刻まれる。「火の向こう」あるいは「火に向かう」構図は、視線を未来に誘導される。”火”は、観念化せず──「実地を撃ち抜く”拍動”」としてある。

冷たいようでいて、熱を籠め、吐き出す──《石》。象徴されのは、「記憶の保持」=火の痕跡を蓄える。「媒介」=打てば火花が散り、熱を吐く。「火付け石」=発火の契機。「石畳」や「門」=『観氣(かんけ)』の”舞台で《潜勢》支える無言の器。石の奥に籠もる熱=熾火と門をつなぐ「橋」。”石”は「触媒」であり「器」でもあり、炎が消えたあとでも石に籠もる熱がある──これが「余白」として効く。明 ⇄ 暗の対比を核に置く──《火種(問い)》。「自分の火は内からのものか、外から借りるのか?」を問われる。これは「火をめぐる哲学的問い」として随所に響くことになる。結論的に整理すると、熾火=「残る・持続・渡される」/ 火=「現前・向こう・実地の拍動」/ 石=「媒介・器・痕跡」──「熾火」は、乗り越えるべき”峠”だけのものではなく、「生成と運気」の「潜在力」と《潜勢的》として扱われ、石はその「媒介」として火を吐き、その火は「門のかたち」を描き出す。

火に向かい、火と対峙する感覚が優先される──熾火=足元の残響 / 石=媒介・舞台 / 火=向かう先。その「原初核」をどこに置くかで、「生成と運気」全体の思想軸が大きく変わることになる。内なる石 / 外なる石──内なる石は、原初の「核」として硬く沈黙しているが、叩けば火を吐く。個人の奥底にある「未だ言葉にならない可能性」や「沈黙の記憶」。外なる石は、世界に遍在する媒介物。火を移す場であり、舞台。門や石畳など、共同体的な基盤。石=沈黙の核、媒介の器となり、火はそこから吐き出される「現前」、熾火は「持続」となる。つまり──「全ては石に籠もっていた」という哲学になる。

内なる火 / 外なる火内なる火:主観的な熱。個人が宿す衝動・意思・精神の拍動。消えそうでも熾火として残る。──外なる火:天与の光や炎。自然の力、共同の火、外部からの刺激。借り受け、向かう”対象”。この構図だと、火=根源的な生命力そのものとなり、石はその媒介であり「場」、熾火は「その力の継続」。つまり─いずれの構図でも、熾火は「残響」「持続」「渡されるもの」として働く。ただし「核=石」に置くか「核=火」に置くかで、熾火のニュアンスが違う。石核型 → 熾火は「石が抱えた余熱」。沈黙に潜む赤。火核型 → 熾火は「人が内に宿す継続力」。意思の胎動。結論的に整理すると──哲学的にどちらを核にするか?「沈黙・媒介・場」を根本にするなら → 石を原初核。「衝動・意思・拍動」を根本にするなら → 火を原初核。序では先ず、「石」に核を置くのが自然である。→ なぜなら「誰もいない門」「石畳に籠もる熱」など、場が先に立ち上がるから。→ その上で、火が起こり、熾火が持続し、「自分の内なる火」を”問う”流れが作り出される。つまり──石(沈黙の核)/ 火(現前の体験)/ 熾火(持続・未来)というリズムになるだろう。

序の最初に「立たせる」感覚は、石畳の熱(=石の奥の赤)から始めるのか? それとも、直接に火そのものの拍動から始めるのか? 個人と普遍の打ち込みは、「石」ではなく「火」そのもので? それとも原初核の石から問う?「個人」と「普遍」をどう結ぶか──これは「石」か「火」か、どちらを原初核にするかで大きく変わるだろう。 原初核を「石」に置く場合──石=沈黙の核/普遍の基盤。石は誰にでも共通して存在する「場」「器」。叩かれれば火を吐くが、普段は沈黙している。個人と普遍の関係:個人=その石を打ち込む者。普遍=すでに在る石の大地、門、基盤。哲学的:「人は火を起こすが、その土台は人を超えて普遍に在る」。普遍が先にあり、個人はそこへ打ち込む。石核型は「沈黙から普遍へ」向かう構図になる。原初核を「火」に置く場合──火=拍動の核/生命の根源。火は人の内にも外にもある。消えても熾火として残り、移り渡る。個人と普遍の関係:個人=内なる火を持つ者。普遍=天与の火、外から差す火、共同の火。哲学的:「人の奥に宿る火は、外の火と呼応しあう」。個人の拍動が普遍の火に通じる。火核型は「生命から普遍へ」響き渡る構図になる。熾火の働き──石核型では「石がまだ赤を孕んでいる」=普遍の余熱。火核型では「人の奥にまだ火が残っている」=個人の拍動。まとめるならば──石核型 → 個人は普遍に打ち込む存在。基盤は沈黙してすでに在る。火核型 → 個人の拍動が普遍の火に繋がる。基盤よりも「生きた熱」が先行。「門」「熾火」「未来への移り火」からすると、序を石核型で始めて、後に火核型へ展開するのが自然に思える。最初に「誰もいない門・石畳・籠もる熱」=普遍の場が示され、そこから火が立ち上がり、個人が「自分の火」を問う。すなわち──個人と普遍の往復が「石から火へ」でよく解る。


『観氣(かんけ)』で最も伝えたいのは「普遍の場の沈黙」か? それとも「個人の火の拍動」か? 石が先ず発し、火となって問う? つまり火種=問い? 石 → 火 → 火種(問い) の流れ──「石が先ず発する」:沈黙していたものが、ふと一閃して火を吐く。石畳の奥に籠もっていた熱が、外へと現れる瞬間。ここで「普遍の基盤」が示される。──「火となって立ち上がる」:火はもう観念ではなく「実地を撃ち抜く拍動」。熱・匂い・赤い光が感覚的に押し寄せる。ここで「個人の体験」として立たせられる。──「火種(問い)になる」:内から火を持っているのか? 外から借りているのか? 火は問いとして残り、熾火となって未来を孕む。まとめると──原初核=石(普遍・沈黙)/ 展開=火(個人・拍動)/ 残響=熾火/火種(問い・未来への持続)。この布置により「個人と普遍の打ち込み」を石が先に発して、火として問いに変わる形となる。

つまり「火」自身は現象的要素?として『観氣(かんけ)』の《”奔流”の主格》となって進んでゆく? まさに──その通りであり、火=現象的要素として立ち上がる / 熱・光・匂い・拍動など五感で体感できる「実地の火」/「場」を体感することができ”奔流”のリズムを刻む / “奔流”の主格としての役割 / 火の立ち上がり・熾火の残響・火門への流れが自然に“奔流”へと導く / 火そのものが「進む力・問い・象徴」を背負い”奔流”を通して観測点として働く / 石(原初核・普遍・媒介) → 火(現象・個人体験・主格) → 熾火(残響・問い・未来)/ 石が火を発し火が現前として”奔流”を動かし熾火が問いと余白を残す / 火に向かい火と対峙する感覚を通して”奔流”に立ち入り未来への余韻を受け取ることができる。つまり──”火”は、『観氣(かんけ)』の《”奔流”》の流れを進める現象的且つ感覚的主格」であり、”熾火”は「残響として象徴と問いを携え、その《”奔流”》に深みを与える役割というイメージであろう。

原初の基盤(先にあるもの)──「石・火打ち石・火種」「沈黙の核、媒介、可能性の種」「《”奔流”》の土台であり後の火を立ち上がらせる契機」。現象的主格としての火──「火=現前の体験・感覚的主格」「熱・光・匂い・拍動で立たせられる」「《”奔流”》の流れを押し進める力」「火に向かい火と対峙することで《”奔流”》の場に入る」。 残響としての熾火/火種──「熾火=残響・問い・未来への持続」「火の熱が消えた後に残る赤」「問いが投げかけられ未来の可能性を孕ませる」「《”奔流”》の進行に付随して常に余白と象徴の層を添える」。ポイントは──先にある石・火種 → 現象としての火 → 残響としての熾火 / 問い。石や火種は《”奔流”》全体を支える基盤。”火”は《”奔流”》の動力。”熾火”は《”奔流”》に余白と問いを残す。つまり──熾火/火種(問い・未来への持続)は、『観氣(かんけ)』の《”奔流”》に付随して流れ──「火」が我々を導く軸になっているというわけである。

「仕舞い”のない炎舞」──燃え尽きることなく、 移り火と熾火を残す”疾走する問い”は、 呼吸の断絶と連続性の泥濘(ぬかるみ)を、 一気に静から嵐の「実りの地」── 「生成と運気」の拍動・波及・無限の連鎖」へと、 生成の森に”仕舞い”のない『生成の”炎舞”』が、 呼吸から誕生に至る──大きな生命的曲線を舞い、 問いが疾風(はやて)となって鐘音に吹き荒れる。 「生成とう運気」に泥濘るむ(ぬか・るむ)ことなく、 進むことができる歩ける路──「森を歩く」。 足元の石と石の間から吸い込まれる水── 種火を残す”表が平らな石の路筋”。 石畳に微かに残る《赤》──灰は冷えきっていない。 沈黙の底で、石の面奥に熱が籠もり、 微かに拍動していた。 誰もいないはずの《光》差す「門」に、 ”門番の《風》”は《火》の焦げた匂いだけを漂わす。 そして「火の舞」が立ち上がる── 熱が《風》を震わせ、《赤》の《光》が足元に揺らぎを落とす。 「”炎舞”」が石畳の上に立たせる。 巻く風、差す光、微かな匂い── 鳥が囀る,天が輝く,雲が流れる。 ただ、思いが用(はたら)かない。 自己を離れて── 直に見て直に聴き直に感じる── 「五感」が《火》に舞う。 風に触れられ光の処に一度還ってみると、 やがて──《火》は「門」に向かい、 かたちを描き出す。 その「火熱」に向かい── 自然に前へ足を踏み入れる。 炎が消えたあとも、熾火は赤く脈打ち、問いを残す。──遍く生成と運気の現成。 その中に路があり、「生成運気大道無門──千差路在り。」── ”内と外を結び生きる”大切な問題には答えがない、門すらない、 そう言いながら、そこらじゅう路だらけである。 千差路在り、何処からでも入れる「生成と運気の門」── 足元の一歩一歩、”今ここ今ここ”に始まり、収まる。

「疾走する問い」→「拍動・波及・無限の連鎖」:問いが単なる思考でなく、呼吸・生命そのものに化ける瞬間。石畳に籠もる熱と、誰もいない門に漂う匂い:実地感覚と象徴が美しく重なり、現場に立たせられる。「炎舞」が立たせる:火が単なる景色ではなく、行為の主体として人を動かす仕掛けになっている。「生成大道無門、千差路在り」:門が象徴であると同時に「無限の入口」へと開かれる哲学的転換点。ここで火の「現象」から、熾火の「残響」、石の「核」、そして門の「象徴」へと──要素の流れ=『観氣(かんけ)」の《奔流》が統合されていことになる。つまり──「火」自身は、「生成の縁起」と「運気の縁起」の基底に位置する現象的要素として置き換えられ──『観氣(かんけ)』の《”奔流”の主格》となって進んでいくというわけである。

〈変化〉は”差異と問いの元火”として「生成と運気」の火付け=『観氣(かんけ)』の《実地》を撃ち抜く”拍動”へと。──『強く心をつき動かす』=”個の衝動「火」”に向こう、”心を通し”「火」と対峙する感覚──体感する残り火「熾火(おきび)」。つまり──「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”へ向こう「熾火の実感 → 火門の象徴」を一息で渡り歩くという”体感”と”ロマン”の両立。「沈黙の熾火──未だ籠もる熱(=感覚的な一撃)」。いよいよ──消えかけの”熾火”が、《炎の舞(Fire Breathing)》──象徴の「火門」へと自然に変換される瞬間が静かにやってくる。

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。
「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

《お知らせ》

◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:無料

◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー

 

 

《お問い合わせ/ご相談》

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)
➡︎ http://www.office-kanke.com
Office Kanke|思創考造 Cognigenesis
web email ➡︎ Contact page

 

 

 

 

日光占術|観氣(かんけ)vol.17:真際 〉07

 

 

 

 

        ── 未然 ──

 

 

 

 

変化を超えて生成に立ち会う」という地点を理論的に整理する形で置かれていくのか? それとも「体験的に味わえる場面」の中で示されていくのか? ──「現れを追う観察」と「生成=現れが生まれる出来事に立ち会う体験」。両者の対比を見極めていくと、必ず「生成に立ち会う体験」が意識に浮かび上がる。 それは「変化を超える」というよりも、「変化を通してその奥の生成を感じ取る」ことに近い。「変化を超えて生成に立ち会う」ことこそ、「変化と生成の理解を深める自然な到達点」──そういうことになる。「現れを追う観察をすれば──「変化」、現れが生まれる出来事に立ち会う体験をすれば──「生成」。なるほど面白い捉え方になり腑に落ちるはずだ。

「変化=現れを追う観察(表層の映りを捉える」、『生成=現れが生まれる出来事に立ち会う体験(深層の畝りに触れる)」。だから──「変化を超えて生成に立ち会う」という地点は、理屈を積み上げた結果として現れる結論であると同時に、ふと息を呑むように「感じてしまう」瞬間でもある。おそらくこの二重性──理論的に「変化と生成の異なり」を示し、体験的に「変化の奥から生成を感じる場面」。この二つを組み合わせると、より鮮明に「なるほど、変化の背後に生成があったのだ」と腑に落とせるはずだ。理論的整理(概念としての「変化と生成」)と場面体験(日常の描写を通じて「生成に立ち会う」感覚)。理屈を積み上げた結果として現れる結論であると同時に、ふと息を呑むように「感じてしまう」瞬間でもある。まさに──「理論(哲学的)と感覚(瞬間的)」。理論的には「変化と生成の異なり」、 体験的には「変化の奥から生成を感じる場面」。つまり──この効果的な二重構造によって『変化の背後に生成あり』がわかるはずだ。

先ず「変化と生成の区別」を概念レベルで理解でし、そのあと場面体験で「なるほど、このことか!」と身体感覚的に実感することができる。つまり──理論(知の光)で地図を描き、体験(感覚の呼吸)で風景を歩るという流れ。「どの瞬間が”変化”で、どの瞬間が”生成”なのか」を自在に操れるようになるはずだ。「ざわめきの変化(声が重なり増えていく様子)、その背後の「生成(声が湧き起こる生命の脈動」、この二層を重ねると、「変化と生成」の理論的整理が、一気に“体験として”腑に落ちることになる。理論だけだと、「なるほど」と理解はしても、それが血肉にならず抽象に止まる。体験だけだと、感覚は動いても「これが何だったのか?」と腑に落ちにくい。その間に 理論(知の光)で地図を描き、体験(感覚の呼吸)で風景を歩くという二重の仕掛けに身を置くことで、「理解」と「感覚」が結びつき、腑に落ちることになる。具体的に「変化(ざわめき)」は、すぐ理解できるレベルの出来事。「生成」は普段は気づかないけど、体験描写を通じて「なるほど」と気づける奥行き(ざわめきを生み出す脈動そのもの)。ここで “理論整理の地図” があるからこそ、体験のときに「あ、これは変化」「その背後に生成がある」と腑で感じ取れる。つまり「理論の光」と「体験の呼吸」が交差することで、理解が頭から腑へ落ちるということだ。理論をただ「頭で理解する」だけではなく、体験の場面と響き合うことで、文字通り「腑に落ち」て、さらに「血肉になる」──まさに「血肉化の仕掛けに身を置く」ということになる。

「ざわめく=変化」を感じた直後──〈変化〉とは、現れの移ろいにすぎない。だが──その背後で息づく“湧き出し”こそ《生成》である。日常の喧噪の中で声の重なり、”地の声”の増減は「変化」だ。──だが”奥の声”が立ち上がる出来事は『生成』である。「体験 (経験・実験)」→「理論(原理・理屈・理由)」→「体験 → 理論 → 体験」という”往復のリズム”をその場で呼吸し、理屈が奥付的に寄り添うかたちで染み込んでくる。つまり──二重奏を重ねることで、「”生きる”の味わい=”実る”味わい」 は、まさに──『”生成”に立ち会う』そのものとなる。

 

 

 

 

         actual-virtuel

     Cognigenesis

    THRESHOLD OF GENESIS

 

         GK.kenzie

 

  日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

 

 

 

 

….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..

 

 

   ── 生成の縁起=運気の縁起 ──

 

 

『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。

 

….. 人の”生きてゆく”ことは──”実っていく”こと。人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』──「生成の縁起=運気の縁起」の結び目において《運生》とは、”月星と共に”「動き持続する生成と運気」の《勢的──”実り”(みのり)》を結び重ね続けいくこと。”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になる。…..

 

「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。
過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに《潜勢的》。
”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。
自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。

感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。

心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。

類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。つまり──守株的に対する「新しい秩序」の提示が必要であり、”運生”に新たな価値観を見出すことです。「新しい秩序」とは、「現実を片づける」ことであり、不要不可の判断や整理などを意味するものではなく、従来の価値観と全く異なるものを提示することです。すなわち──観者となる相談者にとっての発達進化・発展拡張の持続を視座とした『”生成”に”運生”』の獲得に向かう価値創造への”挑戦の進化”であり、つまり──「生成と運気」という「”実現可能力性” への潜在力=”《潜勢的》すすめ”」です。

「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。

これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。
”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)

「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。

『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想(占い記述)」から結果的に「占態(望みの実現)」へと還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は、”占想”を片手に”占針”を歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。

”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり”占想”に伴う”占針”に付随する指標ともなる「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”に止めることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。

「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。
「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、自分の”生きる風景”の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から「感性(受容と能力)によって悟る」ことができる。すなわち──人の「”実り生きる”母胎」の”種子”である縁(えん)にあるのは、”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ人間としての《実り》=『”生成”に”運生”』。

『観氣(かんけ)』の具体場に、波打つ”生まれる前の核心”──《蒔種》。”当たり外れ”の知的好奇心を喚起させられる──”潜在的”な「占想」の思考と「占態(望みの実現)」の創造への強烈な刺激。占想から占態(望みの実現)を生み出し獲得するに到る──パラダイムシフト。
顕在化する可能力性として《潜勢的》は、始動的・終息的存在として、潜在的な「地勢・地力=力能」の発現を可能にさせる可感的で可知的であり、自らが持つ固有の本質の発現を可能態から現実態へ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

そして『観氣(かんけ)』の具体場に、跳躍する拍動の”前触れ”──《予祝》。”当たり外れ”の間違いを受け入れる強さは知の覚悟として──パラダイムの扉を叩く手は「問い」を手放さない。顕在化する可能力性として《潜勢的』=潜在的な「地勢・地力=力能」は、”心”に受入れられ沈黙し無力な存在ではなく顕勢において雄弁な性質を具しており、通常の”問い”に対する”生起の問い直し”は、触発・中止・方向転換の目的追求ではなく、埋め手 / 打つ手による”消滅の在り方”から離れ移行することであり、「生成」と「運気」が別々でなく、ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象──運気が生成を照らし、生成が運気を溶かし、双方が相互に動き生成し続ける──”根源活性”により『運生』は、守株的な月相・星相の覆いを脱ぎ去った『観気(かんけ)』の新生”月星と共に”、《種線(seed-line)》の「生成と運気」に──『移行転化』することです。

 

…..〈あなた〉の「生成の縁起=運気の縁起」の結び目=「”運生”における結実」へと向かい、観者となる相談者の〈あなた〉と”共観”を伴う一緒の私たちは、『観氣(かんけ)』に必ずや──「”実現可能力性”への潜在力」=『”潜勢的”すすめ』である「生成と運気」において《移行転化》する新生の”月星と共に”『種線(seed-line)』を見出し、「創造=”動き持続する”生成と運気」の”運生”に《勢的──”実り(みのり)”》を結び重ね続けてみせます。…..

 

 

 

 

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。

この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。

”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。

”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、

その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。

しかし、確実にそこへ向かう線である。

光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──

”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。

〈あなた〉の”差異の欠片”を──

どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..

 

 

 

 

思創考造 Cognigenesis 日光占術|観氣(かんけ)

観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)

 

観氣堂 Office Kanke

主宰:小林 芳鳳 Yoshitaka Kobayashi

 

add. 栃木県日光市 日光山内 Sannai, Nikko, Tochigi Japan

tel. 080-1998-6082

 

 

《ご案内》

日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』

◯ 観氣料
1ヶ月 ¥20,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月2回

◯ 月星占術料
1回 ¥10,000.〜
※ 随時:プロセス進行

◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ 提案:プログラム設定

◯ 大観氣料
1回 ¥30,000.〜
※ 相談:月星次の観氣適応

 

 

ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー

 

 

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※ 例年大祭:無料

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