思創考造 Cognigenesis thinking 第Ⅲ部:間 章「生成への招待図」

 

 
Cognigenesis  Part-Ⅰ  Part-Ⅱ  Part-Ⅲ  Part-Ⅳ
Fire Breathing Perigraphic notation
Essay (extarnal websites)
 

 

 

 

 

《 Tu m’ 》(69.8x303cm), oil painting, 1918. Marcel Duchamp(1887-1968)、The Yale University Art Gallery (YUAG) is an art museum in New Haven, Connecticut.

 

 

視覚と思想の跳躍の連鎖
──「空間・時間・次元・知覚・象徴の探究」

強い比喩的意味と生成的象徴性を帯びる挿絵図像の配置は、視覚と思想の跳躍の連鎖、空間・時間・次元・知覚・象徴の探究が通奏低音のように通って、『思創考造』の章構成と呼応し、「図像と思想が共鳴して生起する場=“共観の場”*」を形成。
深く共鳴する挿絵の図像により、”思想と視覚の交差点”がいっそう鮮明になり、『思創考造』という「生成する思考体」が、図像の跳躍軸を得て「生成の余白」と共に呼吸し始める。

《M.デュシャン》

意味と物質の転位、芸術と思考の概念的跳躍。思考行為そのものへの問い。生成の「閾」。
画像:”大ガラス” ”自転車の車輪” ”窓” などのレディメイド作品。
•主題的共鳴:「知性」「概念」「転位」「跳躍」「不可視性」
•空間論的意義:見るという行為そのものをズラし、概念として再定義する。
•思想的重なり:「創造とは何か」「見るとは何か」「作品とは何か」=生成を概念化し、反転させる。
•象徴する問い:「意味は誰が作るのか?」「生成とは“意図”なのか、“ずれ”なのか?」。

作品「デュシャン《Tu m’》」の含意:
──(補足的視点):

•《Tu m’》=「あなたは私を…」(未完文)の不穏な未完性・断絶性。
•そこに描かれた影、色見本、眼差しの指示線、そして破れたキャンバス──。
◦「視る」という制度の崩壊。
◦「色彩の見本」は、もう色を選ぶ絵画ではない。
◦「突き破れたキャンバス」は、次の次元(生成)の裂け目を示唆。

これは、視覚芸術を超えた概念芸術の門口でもあり、【第Ⅲ部】の終章の締めと、次部への橋渡しとして機能する「デュシャン《 Tu m’ 》(デュシャンの制作活動の中では最後の油絵)」を飾る──本章「生成の招待図」から、次の【第Ⅳ部:『思創考造 -Cognigenesis-】への「新たな次元」にそのまま繋がることになります。

次なるステップ:第Ⅳ部「生成の”新たな次元”」=「カンディンスキーの始まり」──ワシリー・カンディンスキーがここで登場するのは、象徴を超えて響くかたち・色彩の原初的生成を描くためです。

まさに、「視覚→象徴→生成→響き」の道筋が着実に開かれてきています。

構成の流れ(現段階の骨格)

◆第Ⅲ部 第4章:まとめと断絶
•キリコ、デュシャンによる「空間・意味・感覚」の脱構築
→ デュシャン《Bicycle Wheel》《Fresh Widow》で装置性と反転視覚
→ 《Tu m’》で視覚芸術の終焉と跳躍前夜を明示
⇒「絵画から去ることが生成を招く」

◆第Ⅲ部 本章/間章:「生成への”招待図”」
•デュシャンの作品に現れる「扉」「窓」「車輪」「扉」などのメタファーを軸に、
•「生成」という概念の前提構造を準備。
現れるのは:
◦透明な大ガラス(The Large Raven)
◦回転する円環(Bicycle Wheel)
◦閉じられた扉(Fresh Widow)
◦誇りの台座(Chocolate Grinder )
◦裂け目(Tu m’)。
→ ここで、──”見えないもの”の『生成の招待図』が読み取られる。
→ その”招待”に最初に「応答」するのが、次なるステップ:第Ⅳ部《生成の”新たな次元”》における、抽象画家:カンディンスキーとなる。

 

 

 

 

本 編:『 思創考造 Cognigenesis PART-Ⅰ 』

序 章:「思考と創造の生成的連鎖」
第1部:「思考と創造の交差点」
第2部:「思創考造の力風」
間 章:「生成の招待状」
第3部:「実地サイクル」
間 章:「共観・生成・視座」
章 節:「生成具体場」
間 章:「生成への招待図」
第4部:「生成と構築」──生成の”新たな次元”

最終章:part-Ⅰ 生成の余白-静かに誘う跳躍と哲学

続 編:part-Ⅱ 創造の白扉-生の生成と哲学の風景
『 思創考造 Cognigenesis ~ 生成の森を歩く ~ 』

 

 

思創考造 Cognigenesis thinking 
【第Ⅲ部】:
『”見える”思創考造』──実地サイクル

……………………………………………………………

DESSIN ー ” デッサン生成思考/創造 ” ー CREARE

……………………………………………………………
 
第Ⅲ部:
『思創考造の力法』
ー”見える”思創考造=実地サイクル〜実地具体化ー
⬇︎
第Ⅳ部:
《生成の”新たな次元”》──への接続

「生成と構築」

──触れられる思考と創造の裂け目

⬆︎
間章:
『生成の”招待図”』

ー潜在的未来との共観的跳躍=生成の未来地平ー

 

 

diagram《1》:
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生成の「図」を──“描く”

 

・・・・・「生成」の境域と境界。

「見えてない”境目”」と「見えた”境目”」。

あまねく「境目」は、もれなく全てに及んで、
──”「生成の境目」のさま”としてある。

2本以上の「線」のものなどが永久に交わらない、
──”巡り合わせの「平行線」”。

「線」の2本以上の幾つかのものが多極として、
極めて本質的な「結節点」となりえる点における、
──”入り混じる「交錯点」”。

2本の「線」のものが両極として──
ある”一点”で交わり”互い違いになる「交差点」”。

境界でなければ、漠然とした境界の曖昧な広がり、
──「境域」の中心または中心寄り。

境域であるならば、漠然とした「”空”の域」。

地についても、一定の広がりをもつ「”地”の域」。

地続きであっても、漠然とした「”海”の域」。

 

また、──《日常的》には、その辺に、近くに、
”身のまわりに──『身近に』”。

目に見えない(現前しない)──「境域」。

決して現前しない、
あるいは──”あらわれない「境界」”。

あたかもそこから、
「音無き仄かな”光”」しか──”《風》は到達せず”。

そして時々、
しかし、「不規則な”間隙”」をおいてでしか、
彼岸の「”不可視”の灯台の光」が届かないように。

そして時々、
しかし、「断続的な”雨隙”」をおいてでしか、
「”地と空”を割きえない稲妻」。

”音”よりも速く、
──《風》の”光”「いかづち」”・・・・・

 

・・・・・”光”に《風》は問う。

”時間の体は空間に浸かっている”──
「身体・肉体的な”天候”」でしかなく、
まるで霧の中に”住み込んでいる”かのように
──「接近不可能」か?

そのような留保されたような──
「空白”濃度”」の状態から、
はたして、生成の光は”可視化”」され、
──”明るみ”に出されるだろうか?

”接近不可能”なものの──
「遠ざかり」それそのものとして。

《境目=”裂け目”に立ち》──
それに直面しているからこそ、
「視座(角度)」「跳躍点(瞬間)」──
「余白(触れない沈黙)」を”線”に結び、
”遠ざかり”に『図』で与えることによって、
目に見えない(現前しない)──
”あらわれない境界”が、
眼前に現れてくる。・・・・・

 

・・・・・《風》=”問い”

”問い”=”生成の始点”としての──『図』。

「”図”とは”問い”であり、”問い”とは”風”である。」

──「生成の構造的起点」を指示する跳躍。

”音”とともに”光”と《風》が交差するとき──
姿を現す「媒質としての天気」、
=「経験の地形」が顕になる。

この連関は、「”問い”の生成=《風》」であり、
「生成の可視は光によって明らかになる」という、
「”知”の天候学」ともいえる──
「思考・創造の”建築”」なのである。・・・・・

 

 

diagram《2》:
……………………………………………………………

生成される「図」に──”身体が浸かる”

 

《2》-①:

”地”に”空”の霧か、”空”に”地”の霧か、
”地”に腹ばいになり蒸気(ゆげ)が這い、
仰向け”空”に蒸気(ゆげ)漂い──
「裂け目に立つ身」の蒸気(ゆげ)が息する。

地平の彼方に「地と空」とが一体であるように、
「地と空」」は身体・肉体的な”身近の手前”から、
──共に一体なのである。

『思創考造』に──
地上山脈も空中山脈も、無かったように、
『思創考造』に──
地上庭園も空中庭園も、無かったように、
天に対する”つち”に生成はなく、
地に対する”そら”に生成はない。

対地・対天の無い「地と空」──
「生活をのせる台=生きる盤」
──《landscape:ランドスケープ》」。

「時間と空間のなか」にではなく、
「時間と空間に”住み込む”身を持つ」
──身体・肉体的生成。

”地”は、遠目に見晴らしたよりも地の足元から、
”空”は、上空に見上げたよりも地の足元から。

「地と空」は、”身に触れている”のではなく、
「身」は、”地と空に触れられ”──
「地中の水」⇄「身中の水」⇄「空中の水」
=「蒸気(ゆげ)」
──”時間の体は空間に浸かっている”。

《天気》が「媒質」で、
《ランドスケープ》が「面」として、
荒れたれた「つちもよう」と荒れた「そらもよう」
──《(be) under the landscape》。

大気の状態とそれに連環する──
地面と水域(地続き)の状態
──《天気》は”予測外”にある。
 
荒れた天気はなく、荒れない天気はなく、
常に絶えず「地と空の天候=荒れ」。

天候で変化する生活⇄生活で変化する天候
=荒れ──天気は荒れず、
天気が常に絶え間なく──
「”あたって”くる=”触れて”くる」。

乗り切った天候の過酷と頻度に、
生活と”いのち”を重ねみた”身体・肉体的な天候”
──「生成の図」。 

 

・・・・・ 天候は「地と空」一体にかかわる──
「身体的・肉体的」なもの。

身が時間と空間のなかにあるのではなく、
「”時間の体”は、”空間に住み込む”」。

天気に浸かる身体・肉体的天候は尽きることなく、
生成は尽きることない。

”身を持たない”移動はなく、
「移動する身体・肉体の天候」において、
身体が流動する媒質のなかで──
「風になる」・・・・・

 

《2》-②:

「図」とは「問い」であり、”問い”とは”風”である。

「風」は共に在るときだけ、「光」に姿を現す。

”光”の経験が《天気》=「媒質」であり、
これらを通して──
《ランドスケープ》=「面」が知覚され、
ランドスケープ=「面」 + 「媒質」が構成される。

移動する身体・肉体の天候において、
身体が「面」に流動する「媒質」のなかで──
「風」になる。

《生成への地図》と『生成と精神』とで、
「そこにある」という「〈生な意味の層〉から、
全てを汲みとるのは『思創考造』の”生成”であり、
とりわけ──
『Cognigenesis=生きる生成』としてある。

”身を持たない”移動はなく、
「移動する身体・肉体」の経験において、
捉えようとする「生成精神の面前」に立てられた、
イメージや表象として捉える見方──
「身体が時間と空間に”住み込む”」。

 

《2》-③:

「地と空は」、割けることなく、取り巻くように、
世界が常に絶え間なく”あたって”くる
=”触れて”くる。
”よける”か、”ふりはらう”か、
”まかせる”か、”ゆだねる”か。

「地と空」に、”裂け目に立つ”──
「視座」の感受は、
”共観の重心”に「生成」が触れるたびに、
「問い」が立ち上がる”線と角度”を静止せず
──地と空の一体を移ろい、
「生成の”跳躍点”、”触地”、”余白”」へと
──結び動かされる。

辺り一帯に隈無く光も陰にもなるところのない──
静止の時間の時刻と同時に走っている時計が、
来合わせた瞬間。

光を発射した瞬間の”時刻を意味する”ことなく、
”時刻を対応する”──
”呼びかけと時間依存的な応答”のなかに、
浮かび上がる──
「生成共観の星座=立ち上がった図」に、
《生成への地図》は開かれ、
「”座標”は外されたはずされた」。

 

《2》-④:

《霧》に咽ぶ「空」の裾、「地」は霧を吐き、
「共観」の歩き”音”めく《風》は、
──明るさの”光”を吐いて籠っていない。

陽の”光”は、共観の歩く”音”を、
雨に揺れて──「触れる」。

離れて遠く”音”の不明──《風》の消息に、
汽笛か霧笛、鳴笛か草笛か、
”光”無く──まさに、「生きている息」。

”光散らし”揺れる新緑は”光風”のなかで──
微笑んでいるようにさえ「目に触れる」。

”雲と雲”との間に『生成」か、
”雲と地”との間に「生起」か、
”光と音”を伴う──「いかずち」。  

離れた遠方で発生した雷は光は見えるものの、
──”《風》向き”の影響で音が聞こえない。

羽ばたきで──
雷鳴と稲妻を起こす巨大な鳥「Thunderbird」が、
──”目に触れたクワの木”が神聖な力を持つと。

”稲穂”は雷に「感光」することで”実る”──
「持続的な生成」の”稲妻”。

近くに落雷があると、
ゴロゴロという”音の直前”に、”音”が聞こえる。

やや小さなビリビリパリパリという、
破いた布が触れてくる。

布を破いたような音──
バシッという叩く布が鋭く”触れる”。 
”音”は先行放電。

「生成観測」は──
落雷点から離れると、この音は聞こえない。

雷鳴は、「地と空」を轟に割き、
稲妻は、「地と空」を割き切れない。

「地と空」の”万年明々暗々”を轟かす──
《風》が触れ、
強く叩く万年生きる息、吸う息、吐く息は、
《雨》に気振り、
「”気配”の生成」に疼き疼くまり、目は眠る。

 

 

diagram《3》:
……………………………………………………………

生成図──身体で天候を読む地図

 

・・・・・「移動する身体・肉体の天候」──
身体が『面』に流動する『媒質』のなかで
──《風》になる。・・・・・

 

「霧」── 輪郭の溶解/触知不可能な境界

見えるものと見えないもののあいだで、触れられぬままに包み込む媒介。

境界が曖昧になることで、あらゆる分節の前に潜む「生成の胎内」を示す。

図として現れぬ前の「まだらな知覚」を保つ、生成の予兆の包囲圏。

「風」── 問いの息/不可視の接触

触れるが、姿を持たない。「問い」は風であり、風は共にある時だけ姿を現す。

感受とは風のように、“吹き抜け”を許すことで立ち上がる。

生成の方向性を知らせる無音の舵。

「雷」── 裂け目の音/触地の閃光

空と地を一瞬で貫く、時の裂け目「生起の稲妻」。

見えないところで発火し、音が遅れてやってくる時間差に、生成の距離感を孕む。

跳躍点における瞬間的構図の可視化。

「問い」── 風を孕んだ微かな揺れ

問いは固定されたものではなく、吹き寄せ、立ち止まるもの。

それは呼吸のずれや、日常の裂け目として現れる。

生成の入口としての「ずれ」。

「媒質」── 光と風を繋ぐ透明な領域

全ての出来事が通過する「生成の”場”」そのもの。

それが透明であるほどに、出来事は身体に“あたって”くる。

身体と世界のあいだの、生成する布。

「地と空」── 統一以前の二重存在

地に立つとき、空に晒され、空を見上げるとき、地に縛られる。
「
地と空」は「時間と空間に住み込む」身体が孕む、非分割の一体性。

そこに「天候=生成の経験」は流動する。

 

 

余白

 

 

《次回》

思創考造 Cognigenesis thinking 
【第Ⅳ部】:
「生成の”新たな次元”」
生成と構築──触れられる思考と創造

序 章:
「生成の”出だし”にて」
―― 思考以前の光と風

 

 
……………………………………………………………
 

 

本 編:『 思創考造 Cognigenesis PART-Ⅰ 』

序 章:「思考と創造の生成的連鎖」point.1/2/3/4
第1部:「思考と創造の交差点」section.1/2/3/4/5
第2部:「思創考造の力風」section.1/2/3/4
間 章:「生成の招待状」scenario.1/2/3/4/5/6/7/8
第3部:「実施サイクル」chapter1/2/3/4
間 章:「共観・生成・視座」phase.1/2/3
章 節:「生成具体場」
間 章:「生成への招待図」
第4部:「生成と構築」──生成の”新たな次元”
第5部:「生成世界と創造世界」──《最終章》

続 編:『 思創考造 Cognigenesis PART-Ⅱ 』