
── 生きた力 ──
経験のされ方の変化──生成(運気)の新たな次元への道。生成(運気)へ向かう『占』の”分岐線”として、知覚経験がどのように生成(運気)を誘発するか?──占術の見方、見え方を形にして残す。「生成と運気」は、内なる必然性に呼応して鳴り出す。ここでは〈 占いを”見る”〉が既に 《占いを”描く”/占いを”観る”》を孕んでいる。「生成と運気」は──ただ選ばれるのではなく、内奥の響きとして生まれる。起点は《占いを”描く”》こと《占いを”観る”》ことが分かたれず、ひとつの出来事として発火。音のような──「内奥の発火」。『占』から『生』を感じる共感覚──占術に触れ触れられる知覚経験された「生成と運気」。〈 占いを見る〉その者の”経験のされ方”として、内面から湧き上がる感情や精神性とは一体何であろうか?〈占いを”見る”〉自分の目で触れる──「占想」という”占い記述”に触れ触れられ内面から見るものに語りかけられる精神的なものの感動──「感動体験」=見るものの想像力に訴えかけられる「生成(運気)の”場”と”跳躍点”」として。《占いを”描く”/占いを”観る”》その者の心の内側で音のように鳴り響く炎を『観氣(かんけ)』と『月星』の占術を通して織りなす緻密に計算された構成の存在──「占想」という”占い記述”。ある感覚を別の感覚で感じる能力──音を聴くと色を感じ、色を見ると音を感じる「共感覚」。《占いを”描く”/占いを”観る”》者としての「生成(運気)の”場”と”跳躍点”」は──「共感覚」と「生きた力」なのかもしれない。
「占術の見方、見え方を形にして残す《占いを”描く”/占いを”観る”》」とは、具体的に人が”感動”させられること──”感覚 → 知覚経験”において感動体験をさら更に探究すべく、『占』の占術性としての第一の目的は人間の奥にある”感覚の表現”である。占術にも音楽性と同様に「〈占いを”見る”〉ものの想像力に訴えかける」という要素が求められる。『占』とは、占う要素の中に”緊張という形”で含まれる「生きた力」を厳密に法則的に組織づけることに他ならない。『観氣(かんけ)』の占術を基本的要素に分解した「沈黙する点」「躍動する線」「客観的な面」の構成が、”月星と共”──如何にして「生きた力」を生み出してゆくかである。感覚的表現──直感。”世界の見方、見え方”におけるイメージの「共感覚」的──「生きた力」に”触れ触れられる”こと。”触発”され動かされる──「知覚感動」。思考の働きに先立ち、意識に直接与えられている=内容感覚に与えられているもの──”思考”が開始される間もなく即ちそれが”創造”であり「生成(運気)」なのである。線は点が散歩に出たものであり、《占いを”描く”/占いを”観る”》ことは、「生成の縁起(運気の縁起)」の運動に身を置くこと。『観氣(かんけ)』にとって《占いを”描く”/占いを”観る”》とは、線が自ら成長し──世界を発見していく時間の出来事。占いが中継として示した人間の”内奥の響き”が、『観氣(かんけ)』の法では「生成(運気)の運動体(線・形)」へと展開─”線”のような「生成(運気)の運動」ともいえる。
〈占いを”見る”〉とは何か? ──点や線の離れて遠く奥に開かれた目眩く時間空間。むしろ”抽象的”になることで”具体的”なもの(”月星占術的写実”ではないもの)に触れ触れらるとは一体何であろうか? ──「占術の見方、見え方を形にして残す《占いを”描く”/占いを”観る”》が「世界の見方、見え方」の背後に潜む”余白”。思考が未だ姿を成す前の「生成(運気)の”兆し”」としての具体的なのもの。《占いを”描く”/占いを”観る”》ものとしての相談者の「生成(運気)の場」と”跳躍点”」は──”生きる=生きた”その「”知”の進化過程」そのものなのかもしれない。《占いを”描く”》もの=《占いを”観る”》ものとして、”生きる=生きた”その境域にある意図と無意識の境界を越え、まるで──”生きもの”であるかのように律動を刻む「生成の縁起(運気の縁起)」の背後に潜む余白構成とそのリズム構造の中に、目に見える世界を超える線の途切れることなく進む「占想の行方」は、占い記述のイメージが枠組みの外側へと(枠組みを超えて)広がっていくように〈占いを”見る”〉その時間的空間的な世界。それは”触覚”を表現する「占想の行方」が──”良い悪い・強い低い・大きい小さい”ではなく、「柔らかい」「硬い」という縁起の形態や運気の関係が示され、知覚という複数の感覚の統合が図られた《占いを”描く”/占いを”観る”》として、「今なにが起きているのか」──目に見える世界を超えて占術化されるするその時間と空間でもある。
『観氣(かんけ)』にとって《占いを”描く”/占いを”観る”》ことは、単なる占術的比喩ではなく、占術における実践的な主題として、「生成と運気」の結びつきであり、月星占術などに展開する縁起的構造と縁起の時間性が「描く=観る」その時間と空間に顕れた。反転・反復・水平・並列・分節・変化などの構成の中に占想旋律があり、それは意図と無意識の境域を越えた「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約されたもの。占想と占い記述は単なる概念の枠組みを超え、対象という『占術』の在り方を超え、額装された『占』いう物体を超え、「世界の見方、見え方」の背後に潜む”余白”──思考が未だ姿を成す前の“生成(運気)の兆し”としての具体的なのもの(”月星占術的写実”ではないもの)に”触れ触れられ問い直す”=〈占いを“見る”〉とは何か? ──感覚→知覚経験であるといえ、その”問い”は観者となる〈占いを“見る”〉も者の、また私たち人間の、その「知覚(経験)と思考」の曖昧さを刺激し、「生成(運気)と創造」の微かさに触発する。そもそも「“見る”とは何か? 」 ──それは”触れ触れられ問い直す”ことであり、意図の緊張にある『占』=思考として創造に架けられし自己と世界の生成(運気)への思考でもあり、「感覚→知覚経験の占術」には未来の感覚が静かに開かれているのである。──だからこそ緊張にではないカタチを──「生成しなおすこと(運気を転成し直すこと)」であり、自らの内部にある世界像を書き換えていくことでもある。
内面と普遍の「振動場」において、内面を秩序づけることは、普遍性に触れること。垂直と水平、原色と無彩色という縁起の極度の簡潔化は、自己と世界を共振させるための構造であり、その秩序は静止しているようでいて、”内面と外界の往還という「振動」”を常に孕む。 収束の《占いを”描く”/占いを”観る”》ことは、個の内面を超えて普遍的な共生成の「振動場(普遍的振動)」を立ち上げる行為となる。合理的であり、秩序と調和の取れた縁起=”対象を単純化した占術的な再構成”──「感性」に訴えかけられし〈占いを”見る”〉その者の「経験のされ方」として、自己の内面に向き合い探求するとは、一体何であろうか?──〈占いを”見る”〉自分の目で触れる──『占』に触れ触れられ”内面から見るものへ語りかけられる”という、その精神的なものの感動──「感動体験」=”見る”ものの想像力に訴えかけられる「生成(運気)の場」と「跳躍点」として。《占いを”描く”/占いを”観る”》その者の心の内側で鳴り響き合う「自己と世界の往還」──〈占いを”見る”〉者=「共観」者に受け渡され、再び別の生成(運気)を引き起こす。
「自己の内面を掘り下げることは、個別性を越えて世界と繋がることだ」という視座をもち──「内面探求」と「普遍性」において占い記述をするそれは──たとえば「垂直と水平」「原色と無彩色」という『縁起』の極度な簡潔化において自己と世界を”共振”させるための構造なのかもしれない。《占いを”描く”/占いを”観る”》=内面の秩序化としての生成(運気)として、〈占いを”見る”〉者にとって《占いを”描く”/占いを”観る”》ことは、外界の再現ではなく、内的秩序を形態に変換する生成(運気)のプロセスなのかもしれない。
『観氣(かんけ)』の法が月星占術を伴う「生成(運気)の触地」であって跳躍地点でもあり、対象を単純化して占想に再構成することで、〈占いを見る〉ものへの「感性」に訴えかける占い記述やその構成には独自の占術探求が加わって占想はより抽象的になり、『観氣(かんけ)』の基底にある『自己生成』とは異なるこれまでの基軸「自己変容」の局所的変容の要素は薄れ──むしろ〈占いを”見る”〉ものの内面をどのように現実へと「昇華」させるかということになる。《占いを”描く”》=《占いを”観る”》といった──”見えるもの”ではなく”本質を描き観る”ことこそが真の占術思想であると確信し、〈占いを”見る”〉ものにとって──「感覚→ 知覚経験」とその「経験のやり方」は〈占いを”見る”〉ものの内面を”占想”へと「昇華」させる抽象性に至る重要な”跳躍”ステップとなり、”自己生成”に向けた「生成の縁起(運気の縁起)」という『観氣(かんけ)』の法によるその経験と経験のやり方が、やがて〈占いを”見る”〉もの自らの革新的なスタイルへと繋がっていくことになる。これまでの基軸「自己変容」は局所的変容として自己の内面を問うて表現することであったが、それへの到達前──まさに自分への問い掛けは自分だけの表現を模索しつつ、様々な要素を貪欲に取り入れながら表現は次第に変化を遂げていく中で──むしろ自分の内面をどのように”占想”へと「昇華」させるかが〈占いを”見る”〉ものにとっての最大の「生成の触地」は「跳躍」として通過点に過ぎないのだが、『観氣(かんけ』のそれは抽象世界から現実世界へと新たな生成(運気)へと踏み出す瞬間でもある。
『観氣(かんけ)』は〈占いを”見る”〉者に対し、「これは何か」と問うものではなく、むしろ「どう受け取ってもいい」と投げ掛けているのであって、占術を単なる占い的な『占』にとどめず、観者である〈占いを”見る”〉者の「内面と対話」するものへと「昇華」させたのである。観者とのこうした小さな変化の積み重ねこそ「自己生成」の探求の証であり、そして──それらの変化には自分の内面が確実に反映され、合理性と調和を追求する『観氣(かんけ)』の占術は決して静的なものではなく、また変化や進化でもなく、「常に”生成”し続けるもの」なのである。そのようにして観者自身である相談者の〈あなた〉は─占術の世界において抽象を極限まで追求し、新しい表現の可能性を切り開いてゆく=「生成者」でもある。人の内面というものは、まさに──その人それぞれの「身(み)の部分」=人間たるものの「身(み)」であり、《占いを”描く”》ことは個の内面を超えて普遍的な共生成の振動場を立ち上げる行為として──「共観の場としての占術」=《占いを”観る”》ことは共生成の振動体なのである。現象としての「知覚と思考」の曖昧さを刺激し、現実である「創造と生成」の微かさに触地する。ここまでは《占いを”描く”/占いを”観る”》──生成(運気)の触地として立ち現れる“場の展開”と“実践の接地”に他ならず、〈占いを”見る”〉ものが問いを立てたそのものこそ次への導火線であり、相談者としての観者自身における“経験のしかた”が──その相談者である〈あなた〉の「実際の実地」として、どのように接続し展開されるかが鍵となる。
◯ 「自己生成」:問いの探求 ── ”占想”
↓
◯ 「生成の縁起」= 運気の縁起 ── ”感性”
↓
◯ 「生成と運気」= 潜勢的 ── ”力能”
↓
◯ 「持続する生成」= 連星的 ── ”月星”
↓
◯ 「生成運気の触地」= 思創考造 ── ”占態”
人間自らの「内面の表現」として対象とされうるのは──過去経験へ対う記憶の固執 / 現在現実へ対う実態の固執 / 未来将来へ対う未然の固執──三つ巴の交差に時々刻々として対う(むか・う)人の内面模様は限り無く移りゆく中で、過去を引き摺り現在を変えて未来を図る”自己の生成”を図るだろう。そこに連繋するのは「縁(えん)」という連性があり──そこで自己生成は問いの探求という”占想”をはじめるのと同時に生成の縁起は運気の縁起として”感性”が生成と運気の潜勢的 ”力能”を発現し、更に持続する生成は連星的 ”月星”と共に生成運気の触地である思創考造による”占態”を指向することになる。
『観氣(かんけ)』は、”月星と共に”──”占想化”し共振させる先駆的占術であり「占態」である。それは単なる占いスタイルの革新ではなく、「世界の見方、見え方」を根底から問い直し、未来の感覚・思考・創造の可能性を開く契機なのである。そして今、観者である相談者の〈あなた〉が立っている場もまた──《占いを”描く”》ことと《占いを”観る》ことの間に広がる触地のひとつである。そこから──〈あなた〉自身の生成(運気)の同心円が静かに広がりはじめるだろう。この「生成(運気)の触地」としての『観氣(かんけ)』体験を起点に〈あなた〉の実際の実地(具体場)への展開は、「感覚→知覚経験」の体験としての問いの深耕と共観的・共生成的な現象としての”持続的”な「生成の縁起(運気の縁起)」への”思考・創造”の実地化が展開されることになる。次への接続の可能性──生成は運気のはじまりを超えて“出てきてしまう”動きである。これまで見てきた《生成(運気)の出だし》の諸相は、果たして実際の現場でいかに立ち現れるのだろうか?──次章からは占術行為における具体的な実践をもとに──この“出だし”の構造とその生成(運気)過程を観察していくことにしたい。
”思考の前にある生成(運気)”は空中理念ではなく、身体を動かし、縁起に触れ、縁起に巻き込まれる中でこそ、息づき始める。では──どのような“場”が生成(運気)を可能にし、またどのような“裂け目”が意図を越える創造を招くのか。次章では──その“生成(運気)の舞台”へと歩みを進めたい。現象の具体化として、これまでが序章として「母胎/母床」を噛み砕いた「創発・共観/受容・触発/振動・意図」──つまり理論的・詩的に生成(運気)を語ったなら、次なる本章ではその“現象としての記述”を実践現場で描写していくのとともに”問い掛け”をしていく。占う最中に立ち上がる《生成(運気)の“出だし”》の観察──「思いも寄らぬもの=”偶発性”」がどのように出現し、知となり、形を変えていくか。場の構造・環境との関係性において──「生成(運気)がどのような“場”によって誘発されるのか? という視点で掘り下げるなど、環境=”場”が如何にして知の揺らぎや未然の動きを可能にするか? スピリチュアル的な閃きや媒化(媒介)性もここで議論されうる(感覚と感性の関係)。──さらに現象的”気づき”や縁起との共生などに触れながら、そして多様な占術などとの往還を重ねながら、実践の厚みを増していく。
actual-virtuel
Cognigenesis
THRESHOLD OF GENESIS
GK.kenzie
日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』
….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..
── 生成の縁起=運気の縁起 ──
『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。
”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になるでしょう。「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。 過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに”潜勢的”。 ”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。 自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。
感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。
心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。
類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。
「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。
日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。
これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。 ”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)
「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。
『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想」から結果的に「占態」とへ還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は”占想”を片手に歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。
”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり指標である「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”にすることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。
「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。 空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、生きる風景の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から悟ることができる。 人が生きる母胎の”種子”である「縁(えん)」は”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ「生成(運気)の縁起」。《占いを”描く”》と《占いを”観る”》結び目の《共観》において私たちは『観氣(かんけ)』に必ずや──”月星と共に”「強運の”実”=生成・運気(結実)」を結んでみせるでしょう。

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。
この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。
”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。
”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、
その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。
しかし、確実にそこへ向かう線である。
光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──
”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。
〈あなた〉の”差異の欠片”を──
どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..
日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』
観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)
add. 栃木県日光市 日光山内
tel. 080-1998-6082
《ご案内》
日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』
◯ 観氣料
1ヶ月 ¥10,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月4回〜
◯ 月星占術料
1回 ¥5,000.〜
※ 随時:プロセス進行〜
◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ ご提案:プログラム設定〜
◯ 大観氣料
1回 ¥20,000.〜
※ ご相談:月星次の観氣適応~
ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー
《お知らせ》
◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:2026年8月13日~
◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー
《お問い合わせ/ご相談》
日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』
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