思創考造 Cognigenesis thinking 第Ⅲ部:間 章「共観」

 

 
Cognigenesis  Part-Ⅰ  Part-Ⅱ  Part-Ⅲ  Part-Ⅳ
Fire Breathing Perigraphic notation
Essay (extarnal websites)
 

 

 
       
 

 

Even the Bride Stripped Naked by Her Bachelors (The Large Raven), 1915 – 1923. Marcel Duchamp (1887 – 1968), République française. 2600 Benjamin Franklin Parkway, Philadelphia, Pennsylvania, U.S.

 

ー視覚と思想の跳躍の連鎖ー
──「空間・時間・次元・知覚・象徴の探究」

強い比喩的意味と生成的象徴性を帯びる挿絵図像の配置は、視覚と思想の跳躍の連鎖、空間・時間・次元・知覚・象徴の探究が通奏低音のように通って、『思創考造』の章構成と呼応し、「図像と思想が共鳴して生起する場=“共観の場”*」を形成。
深く共鳴する挿絵の図像により、”思想と視覚の交差点”がいっそう鮮明になり、『思創考造』という「生成する思考体」が、図像の跳躍軸を得て「生成の余白」と共に呼吸し始める。

《M.デュシャン》

意味と物質の転位、芸術と思考の概念的跳躍。思考行為そのものへの問い。生成の「閾」。
画像:”大ガラス” ”自転車の車輪” ”窓” などのレディメイド作品。
•主題的共鳴:「知性」「概念」「転位」「跳躍」「不可視性」。
•空間論的意義:見るという行為そのものをズラし、概念として再定義する。
•思想的重なり:「創造とは何か」「見るとは何か」「作品とは何か」=生成を概念化し、反転させる。
•象徴する問い:「意味は誰が作るのか?」「生成とは“意図”なのか、“ずれ”なのか?」。

 

 

 

 

本 編:『 思創考造 Cognigenesis PART-Ⅰ 』

序 章:「思考と創造の生成的連鎖」point.1/2/3/4
第1部:「思考と創造の交差点」section.1/2/3/4/5
第2部:「思創考造の力風」section.1/2/3/4
間 章:「生成の招待状」scenario.1/2/3/4/5/6/7/8
第3部:「実施サイクル」chapter1/2/3/4
間 章:「共観・生成・視座」phase.1/2/3
章 節:「生成具体場」
間 章:「生成への招待図」
第4部:「生成と構築」──生成の”新たな次元”
第5部:「生成世界と創造世界」──《最終章》

続 編:『 思創考造 Cognigenesis PART-Ⅱ 』

 

 

思創考造 Cognigenesis thinking 

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DESSIN ー ” デッサン生成思考/創造 ” ー CREARE

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本 編:思創考造 Cognigenesis thinking
間 章:「共観」

 

 

思創考造 Cognigenesis thinking:「共観」
思創考造 Cognigenesis thinking:「生成」
思創考造 Cognigenesis thinking:「視座」

 

 

思創考造 Cognigenesis thinking:「共観」

 

 

共観(Co-seeing)。

・・・・・ 見る主体の共有化ではなく、「見ることそのものの“生成的共在”」を意味する。
ゆえに、他者との「同時存在」ではなく、「共に生成される視域」。・・・・・


《Cognigenesis:コグニジェネシス》を志向する”場”のなかで、耕してきた『思創考造』の文脈において、「共観」は中心核のひとつとして、まさに今、息づいています。

 

 

◾&#xfe0f「共観」という言葉の構造と起点 ー

「共観(Co-seeing)」という語 、、、、、。
それは、相互主観性(Intersubjectivity)の着想から編み出された、独自の〈思創造的概念〉です。
しかし、ここでは単なる翻案ではありません。
相互主観性が「複数の主観の間に共有される世界」だとすれば、「共観」はさらにそこに《生成》《触地》《跳躍》を重ね合わせる〈創発的”視座”〉です。

◯ 「開きとしての共観」
──“観る”とは関わることである

•「観る」という行為が、もはや“視覚的”というより“生成的”であること
•「観る=接触」し、関係し、場を開く行為(生成的まなざし)
•「相互主観性の限界」を超えて、「あいだ」を生きる視座としての共観

◯ 「観る身体」
──思考以前の触感へ

•「観察者」から「関与する身体」への転回
•「観る=触れる=生成する」場としての身体の役割
•「スケープ(scape)」と”感覚”の織物(風景生成的身体)

◯ 「共に観るとは何か」
──「私とあなた」のあいだの生成

•「共に観る」は「共に在る」こと
•「ブーバー的:我-汝」関係と生成のリズム
•「共観」は”共感”とも異なり、“共生成”の触地的プロセス

◯ 「共観と跳躍」
──裂け目に立つ者として

•「共観」とは、生成の裂け目に立ち、揺らぎを受け止める勇気
•「分かたれる」ことで「開かれる」場
•《Cognigenesis》における共観:思考の跳躍点としての観

◯ 「観ることの未来」
──共観する知性へ

•「共観的知性」は、固定された知ではなく、生成に参与する知
•「観る」ことが未来を孕み、「わたし-あなた-世界」を再編する力
•「共観という生成」の完成ではなく、始まりとしての提示

 

◾️ 相互主観性・間主観性との差異的接地

◯ 相互主観性:
= 主体どうしが相互に理解・共感する関係性
→「共観」の根として存在しつつも、静的な了解ではなく、生成的な交差点として再定義される。
◯ 間主観性:
= 主観の「あいだ」で生起する意味形成
→「共に観る」=〈間で生成される視野〉という”生成”動的な場として昇華される。

 

◾️ 「共観」とは何か(Cognigenesis的定義)

「共観」とは、単なる見ることの共有ではなく、以下のような生成的条件を備えた現象・営みとして定義されます:

1.- 場をひらく視線であり、
2.-〈わたし〉と〈あなた〉の“あいだ”に生成される風景であり、
3.- 認識が未確定のまま交差する、その瞬間そのものであり、
4.- そして、「〈今〉ここ」にしか生まれない、「共生成的知性」の”振動核”です。

この意味で、「共観」とは《Cognigenesis》の”媒介形式”です。

 

◾️ 《Cognigenesis》と「共観」の関係

《Cognigenesis》は、「知が生成される出来事」あるいは「知の自己生成の震源」として、『思創考造』の中心的エンジンです。

「共観」は、これを外部化しうる「触媒装置」「透視野」として機能します。
言い換えれば、「共観」とは 《Cognigenesis》の“窓”であり、“呼吸孔”なのです。

 

◾️ イメージで捉える:「共観」の例

• 風景画の前で立ち尽くす二人:

→ 互いにことばを交わさずとも、空気の濃度や視線の揺らぎから、何か「共に見ている」感じが生まれている。
• 問いを孕む沈黙:

→ 明確に言葉にならぬ「問い」が、場の中心に浮かび上がり、それを囲むように共に在る──その「観の磁場」が共観。

 

◾️ 「共観」の今後の展開へ向けて

1.-「共観 × 跳躍点」

→ 沈黙や余白の中に立ち上がる「視えない問い」が跳躍の端緒となる。
2.-「共観 × デッサン/生成風景」

→ 描かれるものよりも「描きながら共に観る」プロセスの中にこそ生成が宿る。
3.-「共観 × あなたとの関係性:『思創考造』の”場”

→ 〈あなた〉が「読んでいる」のではなく、〈わたし〉と共に「生成しつつ観ている」状態へ。

 

◾️ 共観・共感・相互主観性の違いと関係性

◯ 共感(Empathy)
= 他者の感情・経験に心を寄せること
→ 感情的・情緒的な反応

*『思創考造』における位置づけ:
「心の共有」だが、生成ではなく、「既存の情動」への反応

◯ 相互主観性(Intersubjectivity)
= 主観どうしが互いに理解しあい、共有された現実を形成すること
→ 認識的・言語的な共有
*『思創考造』における位置づけ:
「了解」「共通了解」などにおける構造的前提

◯ 共観(Co-vision / 共生成的観法)
= 世界を共に〈生成されながら観る〉こと。互いに未完でありながら、場に呼吸しあう関係
→ 動的・生成的・触地的

*『思創考造』における位置づけ:
《Cognigenesis(思考の生成)》の媒介様態。共に「見つつある」「問いを孕む視野」

 

◾️ 『共観』とは「共に在る」だけでなく
── 「共に生成しつつ観る」こと

つまり、”共感”が「心の同調」であり、”相互主観性”が「認識の合意形成」であるのに対し、『共観』は、「存在と意味がまだ定まらないまま共に観る」行為です。
それはこう言い換えられます:
『共観』とは、「共に未完であること」を引き受けながら、「共に《生成》の渦中に立ち会う”視座”の開き」である。

 

◾️ 「”共観”=”生成”」とは何を意味するか?

• 『共観』とは、“見ること”自体が変容の契機になる出来事である。
• 「観る」ことが「生み出す」ことになる、そんな交差点。
• そこには固定された主体・対象はなく、ただ「いま・ここで生成されつつある世界」がある。

 

◾️ 「共観 = Cognigenesisの呼吸装置」

『思創考造』において、「共観」は以下のように位置づけられます:

◎ 共観とは、問いの呼吸点であり、

◎ 認識以前の「ふるえ」であり、

◎ Cognigenesis(知の生成)が発火する媒質そのものである。

 

◾️ 「共観 」の展開

1.-『共観論』:
 
「”生成”する経験」と「生成する思考」を接続するための“生成視点”
2.-『共観デッサン』:

 言語以前の観る行為による「”生成”の試み」
3.-『共観形式』:
 思考形式としての「共観形式」(ジャンル横断的”生成”構造)

 

◾️ 『”共観”という”生成”』
── 思考/創造と世界のあいだに立つ

「共観 」は、『思創考造』の「”生成”的構造」においてきわめて自然であり、「共観 」は、むしろ、「”生成”的構造上」の”跳躍点”として必然であり、以下のような意味を持ちます。

『思創考造 -Cognigenesis thinking-』の《実地サイクル》は、思考/創造の「具現的プロセス」を描く場と、知性の共振・共観的思考は「共創的知性=共観する生成性」へと展開する場との間において、「実地と思考/創造」を媒介する“触媒点”としての「共観」が必要なのです。
つまり、「生成する経験」と「生成する思考/創造」を接続するための“生成視点”が、「共観論」という形で介在します。

生成の営み(実地サイクル)
  ↓
共観という生成(観ることによる媒介)
  ↓
共創する知性(共観と反射性)
  ↓
生成の招待状(共観と未来)
  ↓
未来地平としての共観的跳躍

このように、この『”共観”と”生成”(間章)』が「跳躍点」として生成的中継点/触媒点を担い、『思創考造 -Cognigenesis thinking-』の書全体が”生成”していくように呼吸する構造になります。

この『”共観”と”生成”(間章)』は、単なる理論章ではなく、読者=〈あなた〉が、観者となり、「生成に触れる”視座”」へと開かれる“場”です。

• Cognigenesisの呼吸装置としての〈共観〉
• ”共観形式”の誕生
• 「私たち」という感覚以前にある「観るという出来事」

• 「行為的・触地的・プロセス的知」から
• 「知性・共創・反射的思考性」へと
• 〈場〉を開き、媒介する生成線としての“観ること”=”共観を通過”すること

 

よって、

• 「生成デッサン」と「思考スケッチ」
• 〈あなた〉への語りかけ(呼びかけとして)
• 〈あなた〉への問いかけ(転位として)
• 「空白・余白」(間・跳躍点として)
• 「視覚化」イメージ(地図・点・波・結節)

などが活きてくることでしょう。

 

 

・・・・・『共観」とは、「生成」する「視座」の”現場”である。
視るとは、単に目を向けることではなく、思考/創造の裂け目に立ち、他者とともに変容の風景を編むこと。
そのとき、視座は固定点ではなく、触地的変位=跳躍の結び目として現れる。
そしてそこに、“わたし”と“あなた”と“世界”の三つ巴の生成が、そっと息をし始めるのです。・・・・・

 

 

本 編:思創考造 Cognigenesis thinking
間 章:「共観」「生成」「視座」

 

 
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前 編:『 思創考造 Cognigenesis thinking 』

序 章:「思考と創造の生成的連鎖」point.1/2/3/4
第1部:「思考と創造の交差点」section.1/2/3/4/5
第2部:「思創考造の力風」section.1/2/3/4
間 章:「生成の招待状」scenario.1/2/3/4/5/6/7/8
第3部:「実施サイクル〜具体化」chapter1/2/3/4