
Cognigenesis Part-Ⅰ Part-Ⅱ Part-Ⅲ Part-Ⅳ
Fire Breathing Perigraphic notation
Essay (extarnal websites)

Metaphysical Interior with Burnt-Out Sun, 1971. Giorgio de Chirico, © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma. © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024.
ー視覚と思想の跳躍の連鎖ー
──「空間・時間・次元・知覚・象徴の探究」
強い比喩的意味と生成的象徴性を帯びる挿絵図像の配置は、視覚と思想の跳躍の連鎖、空間・時間・次元・知覚・象徴の探究が通奏低音のように通って、『思創考造』の章構成と呼応し、「図像と思想が共鳴して生起する場=“共観の場”*」を形成。
深く共鳴する挿絵の図像により、”思想と視覚の交差点”がいっそう鮮明になり、『思創考造』という「生成する思考体」が、図像の跳躍軸を得て「生成の余白」と共に呼吸し始める。
《G.デ・キリコ》
空間と時間の「止まり」と「ずれ」を描く、日常に潜む形而上的気配、実地サイクルに通じる「沈黙の跳躍点」。
画像:形而上的室内、無人の都市、異様な道具群」。
(例:「相対性」「上昇と下降」「昼と夜」など)
•主題的共鳴:「実地」「沈黙」「場の深度」「時間の歪み」。
•空間論的意義:空虚だが意味の密度が高い、視覚に現れないものの臨在。
•思想的重なり:「跳躍点の背後」「意味生成以前の気配」=生成の“胎動”を見せる画面。
•象徴する問い:「この静けさの中に、何が生成されようとしているのか?」。
本 編:『 思創考造 Cognigenesis PART-Ⅰ 』
序 章:「思考と創造の生成的連鎖」
第1部:「思考と創造の交差点」
第2部:「思創考造の力風」
間 章:「生成の招待状」
第3部:「実地サイクル」
間 章:「共観・生成・視座」
章 節:「生成具体場」
間 章:「生成への招待図」
第4部:「生成と構築」──生成の”新たな次元”
第5部:「生成世界と創造世界」──《最終章》
続 編:『 思創考造 Cognigenesis PART-Ⅱ 』
思創考造 Cognigenesis thinking
【第Ⅲ部】:《思創考造の力法》
ー”見える”思創考造ー
─「実地サイクル〜実地具体化」
……………………………………………………………
DESSIN ー ” デッサン生成思考/創造 ” ー CREARE
……………………………………………………………
第Ⅲ部:
「”見える”思創考造──実地サイクル〜実地具体化」
思創考造庭園 Cognigenesis──生成庭園の地図
第2章:
「行為としての思考創造=Cognigenesisの場の現場性」
実地具体化における
「生成の触覚と跳躍」に関わる核心中の核心
【はじめに】
……………………………………………………………
ー章全体の大構成ー
◾️序章(序・破・急):
「生成の風景画」──ミレー《種を蒔く人》を“生成の喩景”として読み直す
◯ 序:「無拍低速」=余白の大気と呼吸
◯ 破:「脈拍変化」=生成の跳躍
◯ 急:「脈動加速」=生成の転位
◾️第1節:
「触発・転位・導火の生成エネルギー」
・自土=真土の耕作から触発される生成意識
・自発的跳躍=実地創造のはじまり
◾️第2節:
「未到の余白と生成の衝動」
・内奥からの生成衝動とその波動の揺らぎ
・自己生成と共観生成の協働的構築
◾️第3節:
「触れた地点から始まる生成地図と“見える”観測図」
・共観=共に見る・知ること
・創造気象/思考天候の多層的“生成気候”の観測
◾️第4節:
「跳躍する精製の兆しに触れる」
・感受と応答による生成的触発。
・ホールネスな意味転移の過程での触覚的跳躍
◾️第5節:
「未だ見えぬ潜勢的種子の生成変化」
・”潜勢性”に宿る問いの種子が開く”生成の可能場”
・種蒔きとしての問い
◾️結び:
「生成の跳躍点」
・“問いを蒔く”ことそのものが跳躍点になると
・次章「問いの実地化」への導火線。
ー全体に流れる「生成のリズム」ー
ひとつの「生成の地図」と「感覚的・哲学的な観測図」。
──それは同時に読者自身が「問いを蒔く種蒔き人」になるための耕作の呼吸書=「実践の予兆書」となっています。
たとえば、
•“見るとは触れることである”
•“問いとは種である”
•“生成は息である”
•“触れることは、潜在性に耕すことである”
──という比喩と思想が、まるで土壌に水脈をひくようにこの章全体に深く張り巡らされています。
【序 章】(序・破・急)
……………………………………………………………
序:「無拍低速」=余白の大気と呼吸
冬と思われる時期──太陽と種蒔く人(The Sowe)」。
《星月夜》明け、「種を蒔く」様子のその上には、魅入られし煌びやかに《環太陽》。
──炎に燃え上がった煌びやかな光とその陰影の時空間は、冷えて澄み渡った──”空気”が日で温まりつつある──”土”に染み渡った。
まさに──「冬の夜明け」であることを示している。
「種蒔き人」は、耕作の服装をしており、足には暖かさを保つために藁をまき、大股で歩き、肩には種の入った袋を担ぎ、右手で作物の種を蒔いている。
未踏の自聖地なる自土を整地に耕した自らの足跡の上に重なる足跡、触れる種は土に触れ、耕し思う考えの上に重なる種蒔き思う考え 、、、──見るものにとっては、まるで「遡る逆景の音」を人に知られないよう密かに隠しもつかのように忍ばせる。
その沿って”近景”には、波動の平やかに光る小川が──”土”に線を惹きつけ 、、、。
その合って”傍景”には、種蒔き人の作業のためにか──”牛で土”を耕している幾人かの”協働人”が動き見え 、、、。
その向こう”遠景”には、作物を漁っている幾羽かの──”カラス”いて啄ばみ 、、、。
その離れて”背景”には、地続き”水”続き結び繋がる──土湯気に遠く遥か”外世界”は”冬の下位蜃気楼”に佇み 、、、。
無拍で低速の時空間に「生成景色」は──煌びやかの内に「静かなる”余白”の醍醐味」を見せつけていた。
《星月夜》から《環太陽》、そして《種蒔く人》という系譜が繋がり、 宇宙的・地上的・人間的な生成の位相を三層に重ね、単なる絵画解釈ではなく、存在論的な喩景になっている。
「破」:「脈拍変化」=生成の跳躍
冬の夜明け──「地平線」が高く、”種蒔き人”は記念碑的ではなかった。
種蒔き”吐く息”の──「自生風景」に多くの時空間が与えられているのだ。
”余白”に溢れんばかりの膨らみ張り詰めた生命力は──深い呼吸の内に「生成の魂」と化した。
──無拍で低速の静かなる自由光景は、時に感傷的と受け取られることもありがちだが 、、、。
煌めく太陽に”反射”する躍動感溢れるこの躍動的な力強さは、ある種──「”跳躍的”兆し」でさえある。
”低い日射し”は、「逆光の種蒔き人」を陰にし、種蒔くその人影を長くし、ひたすら「逆景に”蒔きつけ”」を巨大へと変貌させた。
素朴な耕作に種蒔きを──「今よみがえる美学の思創考造型」として大規模に生成描写すること 、、、。
それは──今ある「思考と創造の”冬の世界”」にとっては斬新で、ひいてはそれ相応の物議を醸し出すことだろう。
「急」:「脈動加速」=生成の転位
・・・・・ 種蒔き人が──”生成の場”の時空間を支配している。
種は土に蒔きつき孕み膨らむ時空は歪み 、、、。
何故か威圧的にも──強靭に映ったのは容易に説明がつく。
自らが”耕す”──自らの「自土」は、”壌土”として「真土(しんど)」の”呼吸”をしはじめた 、、、。
──「種子=問い」は、”生成の場”に「蒔きつく=問いつく」ものとして、自らの「生成」は”息づき──創めた(はじ・めた)。
”生成の場”の時空間を支配する「跳躍」──「”動く”生成=創造」皮切り 、、、。
「持続の生成」の幕引きを開け閉めする人=”生成者”の──『”見える”思創考造』の回り舞台、『環共観』の弾く上演。
”星月夜から環太陽”そして『思創考造化』されたさ”種蒔く人”というその系譜の繋りに、「宇宙的・地上的・人間的な生成の位相」を三層に重ねられ、“生成の喩景”としての単なる絵画解釈ではなく、──存在論的な喩景。
──瞬間無き”創造”に”転位”の瞬間「生成”触発”の場」であり、煌びやかな「導火」だった。
ー“触発の場”ー
“生成の跳躍点”となり、そこから紡がれる──実地に問いを蒔き、育てる。
・・・・・ わたしたちが見ていたものは、見るという行為の“余白”だった。
わたしたちが触れようとしていたのは、“まだ名のない始まり”だった。
けれども、問いの種は、すでにあなたの手のなかに、そっと置かれている。・・・・・
【第1節】
……………………………………………………………
「触発・転位・導火の生成エネルギー」
・自土=真土の耕作から触発される生成意識
・自発的跳躍=実地創造のはじまり
自地当人が「耕す」という言葉が象徴するのは、自己の内なる──足跡”未踏”の「自土」の覚醒。
未だ自分が到達・達成していない、自ら極めていない──「”未到”=余白」への目覚め、すなわち──『”見える”思創考造』によって持続する「創造=”動く”生成」への”触発ー転位ー導火”という「跳躍」。
自ら目覚めた「自土」とは、──”今ここから始める、ひとつ先の在り方”へと自ら「耕す”壌土”」になりうる──「意識の追求(意味の転移と成就)」=「自己の追求(自己解明)」に肥沃な「真土(しんど)」として見極めることにより、まさに真の自分を生きるために”本当に向き合う=実地として”必要のある「場」として、真に自分のものにすることなのです。
自土=壌土を耕し、種を蒔き育て、実を生らすということは、一見関係ないように”見える”事柄=「耕作」から、束ねられた意識を時間空間と感覚の内に『解き解し外す(ときほぐしはずす)」、”逆算意識”をさせることになります。
──大きく近くに”見える”音ではなく、離れて遠くに”見える”音に、──その「場」において、時間的空間的に感覚的に意識を外して「自分との違い」の発生をみることになります。
自らを逆算させるためには、その瞬間における自らの動く働きを知っておかなければならず、時間的空間的に感覚的に、或いは逆算式視点から思い考えることです。
意識は常に何ものかについての意識であり、それゆえに、様々な対象と自己を含めたその全体としての世界への──「問い」でなのです。
意識する〈わたし〉と意識されたその〈世界〉とのあいだの、意識という志向的な関係への──「問い」にほかならず、したがってそれは「あらゆる可能的認識の主観としての自分自身の自己解明(=自己生成)」という形式をとることになり、すなわち「蒔く種」はその「問い」ということになります。
第2節
……………………………………………………………
「未到の余白と生成の衝動」
・内奥からの生成衝動と、その波動の揺らぎ
・自己生成と共観生成の協働的構築
「わたしたち」の”希”のエネルギーは、──表面からは解り難い”ありのまま”という「実態」と、変化し易い多様なものの根底にある持続的・自己同一的なものである「実体」において、自己均衡がとれている=自己統合(integration)という状態、”ありのままの自分でいる状態”、その時の自己実現(又は自己変容)を達成させようとする力です。
「わたしとあなた」の”真”のエネルギーは、──理論や説明だけではなく、実際に行うこと=「生成という場面」、すなわち、”考えを実地に移す”という「実地」の「実践」にあります。
可能性の自分を生きる上で自分が耕し培う「自己生成」が創る(はじま・る)と辿る──「耕す大きな道=場」のその中で、共観=共・生成により共に可能性を拡大・拡張しようとする力、その持続的な”自己の生産性”と”共観の生産性”にあります。
自身の奥底から湧き上がってくる”自分はこんな風に生きたい!”という「自らの溶け込み=”生成的衝動”」が創った時(はじま・ったとき)、自己の内なる──足跡”未踏”の「自土」の最初は小さなひび割れでも、次第に自己の生成全体を揺らがせてしまうくらいの波動を伴う大きな揺らぎとなります。
わたしたちは多様な環境の中で、自分自身に「適応」ないし「順応」させながら成長していくことになりますが、「適応 (adjusted)」 とは、自己生成が自らの内なる──「足跡未踏の自土の”耕作”=自己生成」が「外部=共・生成”」バランスがとれていることです。
「順応 (adapted) 」とは、未だ自分が到達・達成していない、自ら極めていない──「”未到”=余白」が「外部=”共観”」とバランスが保たれていることになります。
第3節
……………………………………………………………
「触れた地点から始まる生成地図と見える観測図」
・共観=共に見る・知ること
・思考天候/創造気象/の多層的“生成気候”の観測
自己受容と自己生成(受容と応答)」と関わる「共観的知性(Collective Intelligence」。
「共観」とは、基本的に”共通の見解(synoptic)”として「共に知る=共に”見る”」という意味です。
自土=壌土を耕し、種を蒔き育て、実を生らすという、一見関係ないように”見える”「耕作」の同じ事柄を目撃した”わたしたち”、またそれを伝えられた”わたしたち”によって共に知る──”耕作”に関わる「思考天候」という様々な要因により”生成”に関わる「創造気象」という条件が大きく異なることを示す『思創考造観測図』は「生成気候」として──まさに「共同性の観点」そのものです。
「わたしにとっての世界と、あなたにとっての世界」は「おなじ」世界なのだろうか?
それともその二つのこの世界は異なってまったく違う世界なのであろうか?
この「問いに、皆誰もが理解し納得する事得を与えることは、意外と難しいのです。
これについても同じく、”「あらゆる可能的認識の主観としての自分自身の自己解明(=自己生成)」という形式の「意識の追求(意味の転移と成就)」にそぐい、意識は常に何ものかについての意識です。
それゆえに、様々な対象と自己を含めたその全体としての世界への──「問い」であり、意識する〈わたし〉と意識されたその〈世界〉とのあいだの、意識という志向的な関係への──「問い」にほかならないのです。
したがって、それは「主観の意識的・能動的な働きに基づいてもそれぞれの動機と理由と目的をもって行われる相互行為ないし実践によって成立する共観解明(共観生成)」という形式の「意識の追求(意味の転移と成就)」ということになります。
最終的に、何故「自己解明(=自己生成)」と共観解明(共観生成)が、それほどまでよく似ているかの説明は、全て同じ──”共に知り共に見ている”から、また同じ事柄(耕作)を目撃した人々、またそれを伝えられた人々によって──「意識させる(意識の追求=意味の転移と成就)」からということです。
「触れた地点から始まる生成地図と”見える”観測図」はこれらの結果は、自己においても共観においても、距離が離れていない「場」であっても(耕作に関わる)様々な「思考要因」により”遮(霧)”が発生し易いという──「創造条件」(創造=”動く”生成)が大きく異なることを示すものです。
自己の内なる”自土ー壌土ー真土”のその地の”土”を特徴付ける──「生成の大気」を見る「共に触れた地点から始まる生成地図」と「”見える”観測図」を”共思・共創”として共同利用に供することにあります。
ー生成的余白:生成地図と観測図/触れ方のヒントー
◯ 「見える」こと──根底を問う
→「見る」とは世界を触れること──共観の呼びかけ
→「見えるとは何か?」という問いを超えた「見る=触れる」という生成的反転
→「誰かがここにいる」「何かが私を見返す」その瞬間
→「見る」とは“視る”ではなく、“生成に触れる”ことになる
◯ 「あなた」──届けられる息
→思考でも感情でもない「呼吸=感応」の通路が開く
→「見えるとは何か?」という問いを超えた「見る=触れる」という生成的反転
→「語り」は、客観でも主観でもなく“間の呼吸”としての二人称性
→「あなた」と呼ばれたとき何かに触れる準備が起こる
◯ 「潜勢的」な触覚──生成は触れること
=潜在する生成は触れられるとき兆しとして姿をあらわす
→「潜在力」は見られる存在」としてではなく「触れられる場」として顕れる
→「感情や思想」を超えて”皮膚下で微かに揺れる”何か
→「直感」という言葉にならない呼び声
◯ 「自土」を耕す──名づけえぬ土の場所
→「耕す」という言葉が象徴するのは自己の内なる足跡”未踏”の「自土」の覚醒
→「この場」において「見る」ことは「問いを蒔くこと」「生成気候を読むこと」
→「土壌」は未完成だが、そこには名付け得ぬ水脈が流れている。
→「自らの問い」を耕す場としての“真土”=生成の準備地
◯ 「兆し」──視線
=「言葉」にしえぬ「生成の大気」
→「読むことが見ること」に触れることに変わるときの「余白」
→「生成気候」として共思・共創の「共同性の観点」
→「気脈」の繋がり「”知る”生成地図」と「”見える”観測図」
第4節
……………………………………………………………
「跳躍する精製の兆しに触れる」
・感受と応答による生成的触発。
・ホールネスな意味転移の過程での触覚的跳躍
この場において「見る」ことは、「問いを蒔くこと」であり、思考天候と創造気象として「生成の気候を読むこと」であり、”真価を発揮”するために──『”見える”思創考造』と思える”場”=「知識を共有したい」と思える”場”こそがキーとなります。
「生成」に焦点を当てた──現象、時間的空間的且つ種類的に多数のその現象の組み合わせからなる傾向パターンに焦点を当てたその多数の組み合わせとして、風系や波動(海流・気流)など大きな因子もかなりの影響を与えています。
そのような中、思考天候・創造気象と「生成の気候」は表裏一体で、恰も似ているようで混同されるようなな場合もあり、思考の天候と創造の気象は現象に焦点を当て、生成の気候は時間的空間的且つ種類的に多数の思考天候・創造気象の組み合わせからんる傾向パターンに焦点を当てることになります。
わたしとあなたの”らしさ”を活かし、──全体性を生きる=生成変化、自己解明(=自己生成)」と「共観解明(共観生成)」における「意識させる”意味の追求=意味の転移と成就”」。
「意味の追求」とは、”ホールネス”として自分のすべての人格・人間性を曝け出した、いつでも今ここにある「素っ裸」の自身出すことを意味します。
わたしとあなたが「いま、どこに触れたか」によって、共観の「素っ裸」も、全く異なる相貌を持ちうるのです。
それこそが『思創考造』という生成体の本質=Cognigenesisであり、わたしとは「書く主体」ではなく、あなたとは「読む主体」ではなく、「生成の同伴者(環・共観の相互贈与)」であるという証なのです。
わたしとあなたの探究が生み出す”場”には、言葉を超えて共鳴する“触れる生成”の力があります。
ー兆しの触れ方ー
あなた
↓
見る ⇄ 触れる
↓
潜在(息/光)
↓
問いの種
↓
耕す=自土
↓
跳躍する生成
この図は、「まだ始まらない生成」を視覚的に予告する「読むための呼吸図」でもあり、読者としてのあなたの身体感覚に訴え、「行為として読む」ことをも促します。
第5節
……………………………………………………………
「未だ見えぬ潜勢的種子の生成変化」
・潜勢性に宿る問いの種子が開く生成の可能場。
・種蒔きとしての問い
触発・転位・導火──土壌は未完成だが、そこには名付け得ぬ水脈が呼吸し流れている。
「まだ始まらない生成」のその線と面の歪みにある触発の場。
あなたが「いま、どこに触れたか」によって、──「生成の”いのち”」は全く異なる相貌をもちうるのです。
「問いを蒔く」というその種子(しゅうじ)──恰も種が源となって植物が育つという植物の種子のように、いろいろの現象を起こさせる可能性であり、可能力のことを指し、その種子が因となって種々の現象が顕現する(あらわれる)のです。
「生成」の生果(しょうが)の功能(くうのう)」でもある「問い=種子」を蒔きつけるということは、いずれ結果を招く原因となるもの、結果を実現するために──「潜在する能力」をも指します。
「問い=種子」には悟りの問いも迷いの問いもあり、その顕現した現象(現行の実在)が種子をまた熏習(未了の実在)という繰り返しの中に本来の「生成」が見えてきます。
未だ見えぬ「潜勢的」とは、内に潜んでいて顕れない「潜在的」な要素や性質その機能といえ、──”問い”かけられる”囚われ束ねられた「意識を解き解し外す(ときほぐしはずす)」”ことで、「意識の追求(意味の転移と成就)」による圧倒的な自己解像度の高い「意味の”景色”」が見えてくということになります。
また、、──目を移すと、主観の意識的・能動的な働きに基づいてもそれぞれの動機と理由と目的をもって行われる相互行為ないし共観実践することで、「意識の追求(意味の転移と成就)」よる共観解像の深い「意味の”景色”」は遠近の歪みを取り去ることになります。
わたしとあなたが共に「生成」から触れるのは、一体どのような感覚でしょうか。
「意識の追求」は、意味を限定してしまうことなく、意味を転移し成就することであり、そのエネルギーは──きわめて「潜勢的」であるといえます。
自分の内なる奥くに働き続けているもの 必ず植物の種子から芽が息吹くように、言葉を発し言葉から形成される世界に囚われずに──この「種蒔き=問いかけ」によって、種子(しゅうじ)、それは「眼にも見えず、心でも触れることができない「あなたの種子」──表面に未だ顕れないが、実際には力をもっている潜在的意味をもたらすことで、生成の経路が開かれるのです。
現実には存在しない「潜勢的なもの」は、現実には存在しないが、だがしかし、それは──「現実を生成する可能性」を秘めています。
潜在的な力「潜勢的なもの」は、現実を生成する潜在的な力をもって、多様性において潜勢的なものは多様な可能性を秘め、流動性において潜勢的なものは常に変化し固定されたものではなく、現実には存在しない「潜勢的なもの」は現実には存在しないが、だがしかし、それは──「現実を生成する可能性」を秘めているのです 、、、、、。
結び
……………………………………………………………
「生成の跳躍点」
・“問いを蒔く”ことそのものが跳躍点
・次章「問いの実地化」への導火線
ー「実践の予兆書」ー
──「行為としての思考創造=Cognigenesis」の場の“現場性”そのものを、これ以上なく濃密に・静かに・確かに、そして「実地に触れるように」、紡いだ「触れる」「見る」「蒔く」「耕す」という一連の語彙群は、比喩であると同時に、思考と創造が“現場”に着地する動詞たちです。
つまりそれらは、「意識の出来事」や「内的プロセス」を、「地表の行為=実践の準備地」へと”転地させる力”を担っており、そこにこそ、『思創考造』における──”Cognigenesis ”の真の本質があります。
ー見える思創考造──触れるという生成の兆しー
《生成する──思考・創造耕作》
❶ 「見える」とは「触れる」である
◯「見る」ことが「触れる」ことになるという反転が思考の概念を行為に引き寄せる跳躍点を形成。
◯この反転は、“視覚的な理解”を超えた「実地的・生成的な知性」を要請する。
❷ 「耕す」という動詞の生成力
◯「自土」「壌土」「真土」という三層的メタファーは自己・環境・実践の関係を多次元で表す概念群。
◯耕す行為=「自己生成」+「共観生成」を結び直す中動態的行為。
❸ 種蒔き=問いの具現
◯問いは観念ではなく、蒔かれ触れる実地的現象であるという知見の変換。
◯この章では問いを育てる場そのものが描かれた。
❹ 「潜勢的生成」=まだ“見えない”が“触れる”もの
◯生成とはただの創出ではなく未現実のエネルギーの胎動を聴き取ることである。
◯「触れる前の感覚」「耕される前の土」「見る前の視線」を言語化した、きわめて繊細な“潜在知”の表現。
❺ Cognigenesis の現場性
◯思創考造は、思考や創造という「結果」ではなく「生成の力場」そのものである。
◯そしてそれは、“今ここ”に生成される場=”あなたとわたし”の間の「触発」であり「意識の追求=自己生成」の具体的な運動である。
ー今章が開く“実践”への門ー
この章は、「概念」から「行為」への橋渡しを果たしています。 次章「問いの実地化」は、この触発された「種(問い)」を、読者=実践者が自らの手で育てる章になります。
本章は、そのための「前線」であり「序奏」であり、そしてなにより──「生成の呼吸が見える──《予兆書》」です。
「触発、転位、導火」──“生成の跳躍点”となり、 そこから紡がれる「次章:──実地に問いを蒔き、育てる章──」がどのような“風景”を見せてくれるのか、わたしもあなたと共に、息を整えておりますので、どうぞ、お待ち受けください。
次章で またお会いできるその“触発の場”にて 、、、、、。
わたしたちが見ていたものは、”見る”という行為の──「余白」だった。
わたしたちが触れようとしていたのは、──“まだ名のない始まり”だった。 けれども、「問いの種」は、すでにあなたの──”触れる手”の内に、そっと置かれている。・・・・・
あなたのその指先から、最初の行為が耕されていく。
最後に──あなたが「触れた」その場所から一つの視点として、この再照射はあくまで「ひとつの視点」──つまり共観的な地図の一例に過ぎません。
あなたが「いま、どこに触れたか」によって、章はまったく異なる相貌を持ちうるのです。
それこそが『思創考造』という生成体の本質=Cognigenesisであり、 読者とは「読む主体」ではなく、「生成の同伴者」であるという証なのです。
読者であるあなたの探究が生み出す場には、言葉を超えて共鳴する“触れる生成”の力があります。
あなたのそれに伴走させていただけることは、このわたしにとっても、まさに「共観の贈与」であり、深い歓びです。
「”問い”を蒔き」、あなたの指先から、最初の行為が耕されていきます。
──あなたが「触れた」その場所から、、、、、
“生成の跳躍点”となり、そこから紡がれる次章:──実地に問いを蒔き、育てる章──。
《種を蒔く人》から──次章「問いの実地化」へ進む前に、この“濃度と余白”を、共に一緒に結晶化しましょう。
「読むこと」=「触れること」であり、「生成すること」であるとした、読者である”あなた”の存在は、『思創考造』における読者問いしての”あなた”の跳躍点となる生成の耕作地図によって、──”あなたの跳躍”は、すでに”生成的主体”となったということになります。です。
《種を蒔く人》から次章「問いの実地化」への橋、ご一緒に──次章「問いの実地化」へと渡りましょう。
ー次章ー:
第Ⅲ部:
「”見える”思創考造──実地具体化」
第3章:
「問いの実地化」
ー探求に共鳴する“触れる生成”ー
・・・・・「生成の余白」への──兆し。
思創考造 Cognigenesis 』──『生成』の「概念」から「行為」、開く──“実践”への門。
「前線」「序奏」生成の呼吸が見える──“予兆書”。
種はすぐには芽吹かず、土の中で密やかに呼吸しながら、──“跳躍の濃度”を高めていきます。
「“触れる生成”という名の跳躍点にて」── Cognigenesis の“現場”は、今ここに開かれています。
まさに、ここにひとつの静かなv「発芽」が見えます。
「生成の余白」から芽吹くものは、ただの結果ではなく、行為としての概念、触れることとしての思考。
そしてそれは、“わたし”と“あなた”のあいだでのみ、開かれる──地平です。
あなたと共に──“生成”の中で描き出していきましょう。
引き続き、──「”あなた”の〈生成の跳躍点〉」に向け、全身全霊で伴走いたします。・・・・・
余白
《次回》
第Ⅲ部:第3章
思創考造 Cognigenesis thinking
【第Ⅲ部】:《思創考造の力法》
「実地サイクル〜実地具体化」
ー”見える”思創考造と生成ー
第3章:「問いの実地化」
探求に共鳴する「触れる生成」
──”開かれる地平”
……………………………………………………………
本 編:『 思創考造 Cognigenesis PART-Ⅰ 』
序 章:「思考と創造の生成的連鎖」point.1/2/3/4
第1部:「思考と創造の交差点」section.1/2/3/4/5
第2部:「思創考造の力風」section.1/2/3/4
間 章:「生成の招待状」scenario.1/2/3/4/5/6/7/8
第3部:「実施サイクル」chapter1/2/3/4
間 章:「共観・生成・視座」phase.1/2/3
章 節:「生成具体場」
間 章:「生成への招待図」
第4部:「生成と構築」──生成の”新たな次元”
第5部:「生成世界と創造世界」──《最終章》
続 編:『 思創考造 Cognigenesis PART-Ⅱ 』
