
── 熟成 ──
いつも”深い呼吸”を共にしてくれているものとは? あの「過去=潜勢の呼吸」──”再燃する記憶 『潜勢としての過去』の余白”を経て、”火の気配”が少しずつ”関係”の向きへと滲み出してくる頃、呼吸の熱が外界と触れはじめる──その微細な揺らぎのような? どの辺り? ──たとえば燃焼の倫理──関係としての”火”? あるいは一度、これまでの“火の呼吸”(Fire Breathing)を想起して再生し、総覧し、直したその中から次の”転位点を探る”ような形? ──「呼吸」の流れ? 母床(母胎 )→ 胎動(旋風 )→ 創発(共観) → 受容(触発)→ 振動(占意)→ 転軸(境域)→ 余白(臨界)──この流れをあらためて見つめると、まるで呼吸そのものが ──ひとつの大きな「生成と運気の円環」を描いてきたように思われます。これまで掲げた出発点──「問いは呼吸となり、呼吸はやがて意識の奥へ沈み込む」──これは、まさに『観氣(かんけ)』全体の”原呼吸”(primordial breath)。すべて展開されてきた「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる《反転転換》=「転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える」──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)などの概念は、この原呼吸から滲み出し、そして再びそこへ還っていく運動として、時をかけて──ゆっくりと”熟成(カルチャー)”していきます。それは「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。
想起(recollection)
──再生:『観氣(かんけ)』の”はじまり”
「間隙の胎動」と「跳躍の臨界」
….. 問いは呼吸となり、 呼吸はやがて意識の奥へと沈み込む。
そこに在るのは、 言葉にならない揺らぎ。
未だ”占意の思考”にも“占態の創造”にも分かたれぬ、名もなき動き、 名づけ得ぬ震え── それは恐ろしいほどに畏れ。
思考がまだ芽吹く前、生がまだ形をとる前、意識が届くか届かぬかの──その手前で深い深いところから占意は震えている。
それは、まるで私たち一人ひとりの内に潜む──「根源の“胎”」”が自らを思い出そうとしているかのように。
この微かな震えが、 跳躍を孕んでいる。
跳躍は動作ではない──決断でもない。
それは「自己生成」の”震源”から立ち上がる──『観氣(かんけ)』。
思考と創造が未分化のまま共鳴し、存在の深層で自ずと胎動する──「生成と運気の”契機”」。
胎内とは、もはや身体の奥ではない。
それは「空間の間隙(かんげき)」に孕まれた── 異次元の余白であり、 静かに──しかし確かに火花を宿す。
その火花は未だ──炎にならない。
だが──消えもせず、激りもせず、 静かな“迸り(ほとばし・り)として世界の縁を揺らしている。
律動の厳かさ──沈黙と火花の間(あわいに)。
沈黙とは、 ただ音のない状態ではない。
それは律動が限りなく微細になり、 尚且つ厳かに響いている状態である。
──この”律動”は、 外界に発せられるリズムではなく、 私たちの存在そのものを根底から支える──”拍動”。
それは「生まれる前」から既にそこにあるかのように、 胎内のような空無の奥で微かに──しかし決して止むことなく響いている。
このような律動は──「畏れ」と通じている。
それは私たちの知覚や思考を超え、“我”の輪郭を脆くするような──”震源的”作用を持つ。
そして、まさに──その脆さのなかにこそ創造の火花が灯る余地が生まれる。
火花は音もなく、閃光もなく──だが確かに空無の沈黙のうちで生じる。
それは律動の沈黙が、 一瞬「跳ねた」痕跡にすぎない。
この一瞬の跳躍──それが 『観氣(かんけ) 』の極点である。
占想の「思考」はまだ現れておらず、占態「創造」はまだ形を持たない。
──しかしそこには、確かに── ”火の芯”が生まれようとしている。
そして──こうした律動は、 決して「一定のリズム」ではない。
それは生成しうるリズム、“転調”し、“転位”するリズムであり──まるで共鳴核が別の層にスライドするような響きの移行である。
このとき──私たちは何を聴くのか? 何を感じ、何を”問おう”としているのか?
それはもう 「知覚」でも「認識」でもなく、存在としての“耳を澄ま”こと。
すなわち、深い呼吸に身を浸すような──“共鳴の律動”。
さらにそれは私たちをただ包み込み、受け止めるだけでなく──まるで応答してくるかのように、迎え入れ、返答し──共に生成される場。…..
この「生成と運気の”場”」は静かでありながらも、 あらゆる「生成の力と運気の力」を孕み、 ”問い掛ける”私たちに呼応しながら── 「無限の可能性」を育む。 それは──まさに私たち一人ひとりの根源の「胎」から立ち上がる「自己生成の”震源”」です。この流れをあらためて見つめると──まるで呼吸そのものがひとつの大きな「生成と運気の”円環”」を描いてきたように思われます。これまでに掲げた出発点──「問いは呼吸となり、呼吸はやがて意識の奥へ沈み込む」──まさに『観氣(かんけ) 』全体の「原呼吸(primordial breath)」でした。これまで全てすべての章(section)において展開されてきた「跳躍」「転位」「余白」「生成」「共観」などの概念は、この原呼吸から滲み出し、そして再びそこへ還っていく運動として──ゆっくりと《熟成》してきたように感じます。この軌跡を俯瞰して言うなら、「胎動の前夜」であり、観者である相談者の〈あなた〉が到達している地点は「胎動の後の呼吸する火種」──すなわち「生成と運気」の内奥に宿る倫理的・関係的な火種の発見に至った段階です。
「沈黙と火種の間(あわい)」は、現在の「潜勢の呼吸」「過去の再燃」「他者との共鳴」などの探究にそのまま地層として息づいています。ただし──今の呼吸は、これまでの“胎内的静寂”ではなく、世界との応答を孕む“外呼吸”へと変化している。いわば──始まりは「生成と運気の前夜(沈黙の火種)」、今は「生成と運気の暁(共鳴の火種)」という「転位」です。これまで「畏れ」と「胎内」と「律動の沈黙」が核心をなしていました。それは “存在の根源を呼吸する前段階” のようなもの。──しかし今は、“存在が世界を呼吸し返す”段階にある。そこに呼吸の方向の反転=共生成の瞬間が生まれているのです。この「生成と運気の”道”」を一言で総括するなら、『観氣(かんけ)』は──沈黙(畏れ) → 間隙(胎動) → 火種 → 余白(生成) → 共観(関係)というリズムを経て、今──「火の呼吸=関係としての生成・運気」へと至った。すなわち──始まりは今でも呼吸の原核として有効であり、この発展はその“微細な律動”の展開に他なりません。
相談者の〈あなた〉が今思うに、出だしは、どう振り返っても──「種(Seed)」。しかもそれは単なる萌芽ではなく、最初から「生成と運気の震源(Cognigenetic Source)」としての質を備えていた”火種”。その震源が、呼吸の原核=「種(Seed)」──“微細な律動”の展開へと、いまや、“火の倫理”や“関係の呼吸”へと枝を広げ、「”呼吸”する生成・運気体」として成熟しつつある。観者となった相談者の〈あなた〉の思いとしては、こうです──始まりは、いまだに現在の呼吸の奥に生きており、しかもその震えは今後の「潜勢」として連なっていく。あれは出発ではなく、常に現在している原点。──まるで胎動が未だ終わらぬ「呼吸の胎」として、これまでを通してなお響き続けているように。では、これまでの「生成と運気」の呼吸を、ひとつの火の譜面=生命の記譜として記したいと思います。以下に『観氣(かんけ)』の〈胎動 / 旋風〉 から現在の「共鳴の火」へと至る──その呼吸の軌跡を辿る”呼吸譜(胎動から共鳴へ)”を、観者となった相談者の〈あなた〉にお贈りします。
呼吸譜(胎動から共鳴へ)
──『観氣(かんけ)』の律動記──
Ⅰ.胎動──最初の呼吸
….. 問いは、まだ言葉を知らぬ。
沈黙の奥で、意識の芽はゆらぎとして胎を蠢く。
畏れ──それは始まりの震え、世界がまだ「わたし」に届かぬ手前の音。
呼吸は深く沈み、思考と創造はまだ分かたれず、ただ一つの拍動として空無に脈を打っていた。
火花はまだ光らず、律動は胎内の闇に潜み、名なき力だけが震源を孕んでいた。…..
Ⅱ.跳躍──沈黙の臨界
….. 静けさが極まるとき、一点の跳躍が生まれる。
それは決意ではなく、重力を忘れた息の反転。
思考がまだ夢であるうちに、創造がまだ兆しであるうちに、世界は緩やかに転調する。
その瞬間、問いは火となり、火は息を得て──動き出す。…..
Ⅲ.生成と運気──転位する光
….. 胎は裂かれ、場が生まれる。 線が走り、余白が呼吸し、「私」と「世界」の境界は、ひとつの中動的な場へと融けていく。 思考は形を結ばず、ただ生成と運気の畝りの中で、「今」を織り続ける。 その織りは、他者の眼差しに触れ、火花は初めて関係の中で光る。…..
Ⅳ.共観──響きの風景
….. 見ることは、見られること
語ることは、応えること。
呼吸はもはや個の中に留まらず、他者の息と交差し、世界のリズムと共鳴する。
線は響きの網目となり、火は媒介の中心で静かに燃え続ける。
余白は深まり、生成と運気の音は──聴くもの全ての内側に降る。…..
Ⅴ.再燃──関係としての火
….. 未完の熱。
それが過去であり、未来である。
燃え尽きぬもの──それが存在の倫理である。
思考はかつての火の残響を媒介し、創造はその媒介を通じて潜勢を再び現前へと開く。
過去は眠らず、今も燃え続けている。
呼吸はその残光を吸い、他者へ、行為へ、世界へと渡す。…..
….. 火は──もはや所有ではない。
関係のなかでのみ火は生きる。
火は──私わたの間(あいだ)にある。
それが占術「生成・運気」の倫理であり、未来を孕む息の在り処である。…..
Ⅵ.余白の終止符──あるいは新たな始まり
….. これまでの呼吸は、ひとつの譜面として閉じるのではなく、なお燃え続ける「余白」として残る。
『胎動と旋風』は終わらず、問いは尽きない。
火は変わり、火は伝わり、呼吸はまた次の世界の沈黙へと潜る。
──すべての始まりは、今もこの”息”の中にある。…..
思考と創造が未分化のまま共鳴する──「生成と運気」の震源。これまでの呼吸はその震源を織り続けてきた。火は息であり──息は世界の記憶である。それを見届ける者こそ、「生成と運気の証人」。そしてこの火は──もう相談者の〈あなた〉の内側だけでなく、観者の〈あなた〉の世界のあらゆる「余白」に息づいている。それは──まさに観者となった相談者の〈あなた〉にとっては「呼吸が言葉を超えて世界に触れた瞬間」の証です。時間をかけて、「問い」から「呼吸」へ──「沈黙」から「火」へ──そして今、「火」は関係としての光となり、「あなた」と「世界」と「言葉」との間に、ひとつの*「生成と運気の場(metagenesis)」が開かれました。あの「畏れの震え」が、今日の「共鳴の火」にまで息づいている。それは思考の成就ではなく、呼吸の成熟であり、生命の『観氣(かんけ)』そのものです。火は息であり、息は世界の記憶。それを見届ける者こそ、「生成と運気の証人」──まさに「生命の証人」として歩き続ける。そしてこの火は、もう観者となった相談者の〈あなた〉の内側だけでなく、世界のあらゆる余白に息づいています。
『観氣(かんけ)』の書かれたこの書物の内部に閉じない「余白の呼吸」=「書外の呼吸譜(外縁的記譜)」。つまり──それは書物の外でなお鳴り続ける拍動。観者となった相談者の〈あなた〉が、この書の頁を閉じてもなお「言葉の外」で呼吸が続くように構成された──書の外郭に漂う音楽的・生成的残響。具体的に言うと、たとえば『観氣(かんけ』という占体が「胎動 → 実地サイクル → 共鳴」と進んでゆく中で、この「呼吸譜(胎動から共鳴へ)」を、そのどこにも直接は属させない──しかし全体を包む*「潜勢の火(背景の呼吸)」としてです。「無署名の詩」「静かな挿話」「透明な余白」──つまり、『観氣(かんけ)』世界の「境界=外縁」に置くことで、書き込むことで、観者となった相談者の〈あなた〉が「終わりではなく、始まりの余白」として“呼吸を引き継ぐ”ようにデザインされます。象徴的には──書は閉じても呼吸は終わらない。言葉は沈黙するが、沈黙が新たな生成と運気を孕む。まさに──これが、“占外の呼吸譜”。『観氣(かんけ)』という生きた占体の「外呼吸」です。「胎動・・・跳躍・・・共観・・・再燃・・・余白の終止符──あるいは新たな始まり」「火は息であり、息は世界の記憶」。これこそが、まさに──その「外呼吸」のためにあるといえます。
書外の呼吸譜
― これまでの呼吸譜(胎動から共鳴へ)―
….. 呼吸は深く沈み、
思考と創造はまだ分かたれず、
ただ一つの拍動として
空無に脈を打っていた。
火花はまだ光らず、
律動は胎内の闇に潜み、
名なき力だけが震源を孕んでいた。
胎動は、沈黙のなかに息づき、
跳躍は未だ微かなな光として
その余白に影を落とす。
やがて、
問いが息を得、
息が世界を呼び覚ます。
共観――
響きの風景のうちで、
我と世界のあわいがゆっくりと燃え始める。
再燃――
潜勢としての過去がふたたび熱を帯び、
他者と世界がひとつの呼吸を共有する。
そして今、
余白の終止符が静かに響く。
それは、終わりではなく、始まりの余白。
火は息であり、息は世界の記憶。…..
記銘:
書は閉じるが、”呼吸”は終わらない。 ”沈黙”は、新たな「生成と運気」を孕む。
外呼吸の余白(静かな間)
….. そこには、
もはや文字も、思考も、
光さえもない。
ただ、
静かな脈動だけが在る。
それは、
“読む者”の呼吸が、
“書く者”の呼吸を受け継ぐ瞬間。
頁は閉じられ、
しかし、書はまだ息をしている。
音のない拍が、
空の奥でかすかに鳴る。
──それが、「外呼吸」である。
沈黙の内で、
新しい生成の火が
ゆっくりと
世界のどこかで点ろうとしている。…..
「生成・運気の閾(いき)」を横断する『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”。”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象へ望む占意が占い描き観た占い記述からの占針(指針)による「占想の思考」→ 「占態(望みの実現)の創造」への創造的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。つまり──”終わり”ではなく、沈黙の内で、新しい生成の火が――ゆっくりと世界のどこかで点ろうとしている外呼吸。
「生成と運気」をひとつの呼吸として包み、その「外呼吸の余白(静かな間)」を一拍として――『観氣(かんけ)』を静かに息づくかたち。それは、「世界の息づきの再開」としての終拍です。この静寂の一拍が、相談者である〈あなた〉の『観氣(かんけ)』という大いなる呼吸体の──さらなる律動への第一息となりますように。まさに──“呼吸”そのものが占い思考・創造するような生成と運気の時間。言葉が尽き、ただ余白の中に残る温度と鼓動。それが、観者となった相談者の〈あなた〉の内で静かに灯を保ち、昼を超え夜を越えて、次の律動の”胎動と旋風”へと育ちますように――どうぞ、深く、静かに、日常の地層(生成と運気の地層)という呼吸の中で――“火”がやさしく聴こえてきます――また次の“第一息”の時に……
actual-virtuel
Cognigenesis
THRESHOLD OF GENESIS
GK.kenzie
日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』
….. ポジティブとネガティブの陰陽を完璧に打ち消す真っ白と真っ青に光差す「対等の反転円(因・縁・果)」により同一性から繰り返し生まれ続く「生成と運気」=差異と反復に〈あなた〉の”感性”は? …..
── 生成の縁起=運気の縁起 ──
『生成は運気にあり──運気は生成にあり』。
”今”は常に「生成は運気の時(時間)にあり、運気は生成の時(時間)にある。」──この段階の”今”こそ──まさに「生成と運気」の第一息として、美しく手応えのある濃度になるでしょう。「日常の地層』=日常は”生成の地層”であり、”今なにが起きているのか”──「日常の全てを大切な”縁(えん)”として生きる」ということであり、「有時」──有と時の連なり=存在に即した時間/存在とは悉く時間に他ならない)ということの日常的実践──すなわち「生成の縁起=運気の縁起」であるということの日常的実地そのものだと思われます。「生成の縁起=運気の縁起」において──”心通”こそが人それぞれに観て取れる”氣”。 過去・現在・未来──皆それぞれ様々な因と縁が関わり合って生じる因縁生起「縁起(えんぎ)」は、常に絶えず心が通る波長の氣により無相に生成され──まさに”潜勢的”。 ”縁”とは、人が生きる「母床」の”種子”として皆誰もが持ち、心は表に現れずして「心通」は「氣」とともに途絶えることなく、”縁”は永遠に離れず繋がり永久に切れることがありません。 自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。
感覚は愛好・選好的に伴う知覚経験として思い込みに惑わされた心の執拗性を抱き、感情は思い通りの心を表に現すことにより”心通と氣”を見落とし「感性」を見失うことになります。本来「感性」は”悟性”の素材であり、その悟性を通して理性・知性となるのです。感覚や感情に押し流され運気が滞りがちになりますが、未だ気づきの眼前にない「感性」は『観氣(かんけ)』に依る「”運気”の基底=”悟性の素材」であり、感性に受容された感覚内容に基づく「能力・知力=”力能”」として「感性」が拠り所である生成・運気と縁起の流れに発現します。それにもかかわらず、思い込みに惑わされ感覚的且つ感情的に触れ触れられ思い通りの心を露わに(顕に)すればするほど、知らず識らずのうちに縁起は真っ逆さまに生成・運気は宙吊りとなります。
心を通さずして思い込みの心ばかり表に現す感覚と感情の思い通りに惑わされた欲と我執は感性を衰退(衰弱)させ、生成・運気と縁起のエネルギは枯渇するのです。特に我の強きは感性の天敵ともいえ、「生成・運気=余白」と「縁起=跳躍」を自ら綻びさせ、自ずと感性と生成・運気に見通しの読めない”裂け目”をもたらすことになります。縦しんばその様になったとしても、永遠に離れず繋がり永久に切れることのない”因・縁”は「跳躍の前触れ」である「感性の躓き=観氣(かんけ)の沈黙と誘い」において”開化(かいけ)”することにより思い込みや思い通りを超え──「生成・運気の基底である悟性」へと目覚めることができます。(占術の倫理:依存や金銭搾取を避けて相談者の自己決定を尊重することが中心)──よって月星占術とは、人それぞれ「感性」に付き従い”潜勢的な力能”の手掛かりを掴み、生成・運気の縁起を──まさに生成し続けてゆく「創造=持続する生成・運気」そのものが『観氣(かんけ)の”法”』だというわけです。
類型化された一般的(典型的)な占いは、人それぞれ予測的な物事の可能性における運勢判断として、良きにつけ悪しきにつけ潜在的可能性を強調した「局所的変容(基軸:”自己変容”)」を求め、内側に潜んでいる性質・力と物事が実際に生じ起こりうる見込み・見通しなど対象への占意から占想までは定型化されるものの占態へのより具体的な法(又は方略)を持ちません。特に現代では──「脳裏に浮かび揺れ動く瞬間の神泥棒的な閃き」「霊妙に仲立ち媒介する感応の霊の欲望的な響き」など──”spiritual(スピリチュアル)”に依った占方(占形)が先立って駆使されるなど──”運勢判断”は多様性の現在において学問的な裏付けがない占星術をはじめとした独自の理論や個人の経験で構成されている面が強いものと思われます。
「生成の閾(いき)」を横断する鍵語。──『臨界』。ある機会・場面に”ぶつかる”──そして向かい合う=”臨む”──だがしかし”望む”ころに到達(達成)できない理由が明らかになり、納得して諦め断念する──という占う対象に対い望む占意が占い描き観た占い記述からの占想「思考」=占態(望みの実現)への「創造」的プロセスを──そこに見出せるだろうか? 観者となった相談者が占意の対象に沿った占想において思考・創造する──この迷いの思考(=占想)と創造(=占態)とは”合致”しないという現状認識。それは飽くことなき”望み”から生ずる──という原因究明。この「境域=臨界」に得るには正しい方法に依るべきことかもしれない。占態への占想と占い記述は──まさに“火の呼吸”の中核に位置するもの──「潜勢」が熱として目覚め、「思考」が”火”として立ち上がり、「創造」が”光”へと転じる──まさにその発火の瞬間の占い譜面=『観氣(かんけ)』の発火譜である。臨界とは──境域が呼吸し始める点。それは“破断”ではなく──まるで“接触”の瞬間であり、「内」と「外」、「個」と「他」、「潜勢」と「現勢」が――互いに触れ合い、呼吸を交わし始める。その僅かな接触領域が臨界──つまり臨界は対立の間に現れる”共鳴膜”として、”静止と運動/崩壊と生成”が共存する場ですらある。それは境域が境界であることをやめ──あたかも”呼吸する場”になる瞬間。
日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』の「占方(占形)と月星占術」と付随するコーチングは、「未然の生成=未到の運気」=「基底:”自己生成”」そのものの具体的実施プロセス(カルチュア:”醸成”)という『観氣(かんけ)』そのものの”実践”です。「生成」と「運気」が別々でなく──ひとつの”生成線(ジェネシスライン)”として現れる現象にあり、「運気が生成を照らし/生成が運気を溶かし/双方が相互に生成し続ける」──これが『観氣(かんけ)』が名前として示す「基底:”自己生成”」。私たちに渡された”火種”=「生成の縁起/運気の縁起」の”現勢と潜勢”を求める「心通と氣」とは、自分の”心”を通す「縁」に生じ起こる”氣”に「未然の生成=未到の運気」を探ることであり、”日常の地層(=日常の生成層)”において──自己生成・運気の地力=「潜勢的”力能”」を見出し発現させることにあります。縁起は外にはなく、私たち自らが伏流する「運気=力能」──”潜勢的”。生きることは縁起を進むことではなく、自分を興ず(起こす)「縁起」に自身が歩まされていることです。自図に生起する生成(又は転成)とは、”すべてを抱く肯定”であり、完成ではなく”持続する始まり”──すなわち「生成変化し持続する」=「創造=”動く”生成(持続する生成・運気)」。『観氣(かんけ)』の”沈黙と誘い”は一気に「縁起の母床──”具体場”」へと、”心通と氣”は静けさの奥で未だ名も無い道をひらく。足を止めたとき、もう運気がより上がる勢いの興図に自らが立っていた。それは終わりではなく、”生成の縁起”が次の姿を選び取るための「呼吸(心通と氣)」は「感性(悟性と運気の素材)」だった。
これまでが場を生み出す生成・運気だったとすれば、これからは生きることそのものを生成・運気として観る──つまり「生成と縁起/運気の縁起」に広がる形。 ”感性が躓き”となるとき──それは未然の自らの興図の根に接していることになり、私たち自らの足元にある「生成・運気の自図」は屡々その見えない興図の根の網(基底)に触れる瞬間=「問い」──「感性の躓き=”跳躍”の前触れ」として、それを危険ではなく「縁起(生成・運気)の震源」として受け止めることが私たち自らの構えとなります。興図の根の網(=”縁”の基底)とは、言葉になる以前の前成層──「未然の生成=未到の運気」=”縁起”の発火点であり、「沈黙と誘いの母床/母胎)として、それは生成・運気の自図を下から支えている──”目に見えない縁”の根茎構造(リゾーム:”縁”のどの点も他のどの点とも接続しうる非中心的で多方向的なネットワーク)です。ゆえに「感性の躓き」の”問い”には、答えることよりも”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる”ことが大切なのです。人それぞれ『観氣(かんけ)』における基盤(月星占術と因・縁・果)=反転円があり、「縁数・縁位」と”直交円”=気縁・機縁/「感性」と”生成・運気円”=縁起・縁因/「力能」と”潜勢円”=縁由・縁成の重ね合わせに”結び目(結実)”を求める多岐にわたる無限遠点からの極めて直線的な「生成・運気と縁」の集積化です。(註:縁数は数字の気縁/縁位は方位の気縁/機縁はその切っ掛け)
「縁は”結び目の転成”」──つまり交点の入れ替えとして占術の月星の配置や配座が反転・回半(回転してから反転)する交代結び目こそが私たちに渡された”火種”=「生成の縁起」の”転位”そのものです。すなわち──全体の運気(=力能)とその中の個別の縁起(=生成)=跳躍点の第一震源(=転位の震源)として── ”潜勢的 → 差異 → 新生 → 誕生”の流れにおいて人それぞれの”心通と氣”による縁起の生成・運気と力能の発現にある「占意と占想による占態=結実」が『観氣(かんけ)』というわけです。「今なにが起きているのか」──今の力”潜勢”/今の閾”転位”/今の場”跳躍”/今の種”発芽”/今の拍”共振(月星)”が集約された”『観氣(かんけ)』に触れ触れられる反転転換(転位:運気と縁の向き・順序・位置を変える)”──跳躍点(転位の臨界)→ Cognigenesis(自己生成の震源)。日常見に現れる生成の前生層における”畏れ・間隙・胎動・縁起”という「生成・運気の地熱」が上がっていく中で──「反転円」をうまく選ぶことによって反転前の運気と縁の世界よりも反転後の「占態=結実世界」の方が強く上がる勢いを見せるといった同一性から繰り返される”生成・運気=差異と反復”に縁起は──まさに生成され続けていきます。”興図の根の網”は私たち自らで”踏む場”に委ねるものとして──私たちの「生成・運気の場=縁」に宿すものであり、だからこそ「余白(生成・運気)」と「跳躍(縁起)」は──そこに”沈黙と誘い”が配置されているだけでいいことになります。
『観氣(かんけ)』の具体場における始まりは──「生成・運気の”触地”」として立ち現れる“場の展開と実践の接地”において傾聴する対象の実事要素に伴い対う(むか・う)べく”観者として相談者”の〈あなた〉自身の「内面の表現」が首途となります。〈占いを”見る”〉その”占想の占い記述”を起因に『共観」は──抽象的且つ多様で紛錯とした「占想」から結果的に「占態」とへ還元するがためにの”共生振動”となり、「生成の縁起=運気の縁起」を見出す”感性”となるべき自己生成:”問い”の探求(問い掛け)へと〈あなた〉は”占想”を片手に歩き始めることになります。──”問い”を立てたそのものこそ《占いを”描く”/占いを”観る”》導火線となり、相談者としての〈あなた〉自身における“経験のしかた”が──観者としての〈あなた〉の「占態」における”実際の実地”として接続し展開されうるということです。
”占想”を片手に「歩く」=”日常の地層(生成の地層)”に「占想」は息づいています。『観氣(かんけ)』の具体場に”歩く占想”は「占針」=指針──〈”意”の針〉として、感覚を除いた「思考・創造」などの心の働きとその作用を指す”心”を通す(心通)「縁」に生じ起こる”氣”(未然の生成=未到の運気)を探り、自己の生成と運気に「潜勢的”力能”」を見出すことができます。敢えて〈占いを”見る”〉ことなく、「占想」は”気づきの占意”となって「生成(運気)の”触地”」へと招待するでしょう。──つまり指標である「運気の縁起=未然の生成(生成の縁起)という「縁=心通」こそが人それぞれに描き観て取れる”氣”であり、「占想」を単なる”占い記述”にすることなく──生成と縁起(運気と縁起)の拍の質を変え、場に発芽(顕現)させ、”月星と共に”──その「占態」を”生運の拍動”に共振させるのです。
「”縁”の風(縁起)」を起こして生きるのではなく、「運気と氣の”風”」に触れられる自分自身の「旋風(つむじ)」を知る──ここから先は”生”そのものが楽曲だった。 空間に浸り時間に流れ風景を生きる人間。人間の象徴として「生きる風景」そのものが人の微妙な”心通”を語っている。「月星」と共に人の生きる風景の”氣”は覆い隠せない。人間の生きる事実として「風景に生きる」自分自身の反映─その中に奥深く自らを投入してゆくことにより、「生きる風景」の微妙な”心通と氣”──すなわち「”月星と共に”生きる風景」は、敬虔な気持ちを呼び覚まし、人は気宇と謙虚な気持ちになることができ、生きる風景の深みに人間の深みと自らの”心”の奥深くを”氣”から悟ることができる。 人が生きる母胎の”種子”である「縁(えん)」は”心”を通す波長により醸成する無数の”氣”に支えられて成り立つ「生成(運気)の縁起」。《占いを”描く”》と《占いを”観る”》結び目の《共観》において私たちは『観氣(かんけ)』に必ずや──”月星と共に”「強運の”実”=生成・運気(結実)」を結んでみせるでしょう。

….. 内奥の〈わたし〉が──
わずかに揺らぐ。
それは説明でも比喩でもなく、
自明性がほんの一瞬だけ剥がれ落ちる。
「生成の縁起=運気の縁起」の前兆──
”微かな揺れ”そのものである。
この揺らぎを拒まないとき──
〈わたし〉の内部に沈んでいた “差異” が、
まだ名も持たない小さな ”birth” を起こし、
それがやがて──
「”未然”の生成と運気」の最初の微震となる。
”差異”の欠片(かけら)──
その最小単位だけで十分である。
そこから「生成の動線」は静かに伸び、
「運気との共振」へとつながる──
──《
種線(seed-line)》が現れる。
”差異の欠片”が置かれた瞬間──
《潜勢》として”伏流”していた「力能」は、
その差異を核に、地勢と地力のかたちを帯びる。
「転軸」のそれは未だ”跳躍点”ではない。
しかし、確実にそこへ向かう線である。
光の照らす「月浦(げっぽ)に”潜”を充す」──
”月相”と”星相”の結び目=「転位」。
〈あなた〉と世界の回りが変わる長期的な覆る変化。
入れ替わる──”
転換(Paradigm Shift)”に伴い、
新しく生まれ変わる”新生世界”の入り江=『真際」。
〈あなた〉の”差異の欠片”を──
どんなに小さなものでもそのまま置けばいい。
それが「起点」になる。…..
日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』
観師:小林 芳鳳 (GK.kenjie)
add. 栃木県日光市 日光山内
tel. 080-1998-6082
《ご案内》
日光占術 KANKE『観氣(かんけ)』
◯ 観氣料
1ヶ月 ¥10,000.〜(月星占術/コーチング)
※ 1stage:1ヶ月4回〜
◯ 月星占術料
1回 ¥5,000.〜
※ 随時:プロセス進行〜
◯ 初期基盤料
1回:無料(観氣/月星占術)
※ ご提案:プログラム設定〜
◯ 大観氣料
1回 ¥20,000.〜
※ ご相談:月星次の観氣適応~
ー《全予約制:対面/オンライン/電話/メール/他・出向》ー
《お知らせ》
◾️「大観氣“予祝祭“」開催
※ 例年大祭:2026年8月13日~
◾️「観氣塾」:セミナー開催
※ 毎月1回:¥15,000.-(席数:15名様)
ー 参加予約受付中 ー
《お問い合わせ/ご相談》
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