1月:巻き起こす「森の茶屋・菅家亭」

 

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

畢竟ずるに、邪推までとはいかずとも勘繰ることほど疲れるものはなく、考え過ぎや思い込みは愚かである。
物事を理解したり判断する知力を分類するには少々難があるのだけれども、新しい情報を獲得してスピーディーに処理・加工・操作する暗記力や計算力と直観力などに該当する流動性知能は若くしてピークを迎え老いともに低下してゆくが、経験や学習などから獲得してゆく洞察力や理解力と批判や創造の能力といったものに該当する結晶性知能は経験や学習により若かりし頃を過ぎても上昇続け老いても安定している。
何が起きるかではなく、何を起こすか。
そして分断された個は再び繋ぎ直されてゆく。
土の時代から風の時代への突入し変化が着々と進む中、先の予測は難しいが不確実性であっても今後の動きは把握できるだろう。
命運を握るのは自らであり、もう過去との比較はやめるべきだ。
回復 Recovery リカバリーか、勢い Momentum モウメンタムか。
パイオニアになる必要もない。
選択肢はあるにしても人の欲求は変わらない。
中心に自らがいる。
何かを優先的させる時間だが、理解できないものには自らを投資すべきではない。

 

 

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1月:作り出す「創作工房」

 

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

寒さは身にしみるがいい。
そうでないと後で骨に沁みることになる。
寒さが血に沁みては取り返しがつかないだろう。
嘆くほど努力しただろうか、しかし努力だけではどうしようもない、無駄が要る。
自分に生きるのではなく、自分を生きるための人生は必要なことしか起こらない。
間違えないと、人生を間違える。
自らの本音と向き合うチャンスがあるだろう。
懸命にして知恵が出るか、中途半端にして愚痴が出るか、いい加減にして言い訳が出るか。
想い(目論見や推量)は要らない。
突き詰めれば、できるかできないか、やるかやらないか。

 

 

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12月:おまじない!「音楽教室」

 

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

秋から冬にかけては様々なイベントがカレンダーを賑わせます。
トップバッターは”ハロウィン”でしょうか。
様々な可愛らしいオバケたちがたくさん!
カボチャ、魔女、ネコ、コウモリ・・・
ハロウィンのオバケたちは魔法は使えるのかしら?!

可愛らしいクッキーを生徒さんにいただきました。
濃厚なバタークッキー!何と美味しいクッキーでしょう!!
1枚、2枚、3枚・・・いただきながら・・・
私はおまじないを唱えて魔法を使いたいですわ~!
フフフフ・・・

 

 

ディズニー映画「シンデレラ」より
『Bibbidi-Bobbidi-Boo』

作詞:Jerry Livingston
作曲:Mack David & Al Hoffman

 

Salagadoola mechicka boola
bibbidi-babbidi-boo
Put’em together and
what have you got
Bibbidi-bobbidi-boo

Salagadoola mechicka boola
bibbidi-babbidi-boo
It’ll do magic, believe it or not
Bibbidi-bobbidi-boo

Now salagadoola means
Mechicka boo-le-roo
But the thingamabob
that does the job is
Bibbidi-bobbidi-boo

Salagadoola mechicka boola
bibbidi-babbidi-boo
Put’em together and
what have you got
Bibbidi-bobbidi, bibbidi-bobbidi,
bibbidi-bobbidi-boo

 

 

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12月:粘りと歯応え「森の茶屋・菅家亭」

 

 

ー  音楽に包まれた「 健光・観光・日光 」ー

「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

因みに正直者は馬鹿を見て損をするかといっても決してそうではない。
嘘をついたり偽ったりしないことは、専ら信頼されたり尊敬されたりするためのことではなく、体裁上の断乎たる結論などは避けつつ言い切れないそれをも疑わずにして自らが規定することにある。

媚びずにスッパリと回り口説くなく躊躇うことなくハッキリとして、隠れ猫背にならず、簡潔で分かり易く直ちに裁決する公明正大さは、簡明直截として納得できるうる答え(応え)がある。
つまり、それが自らの粘りと歯応えなのである。

悪賢い者がズルく立ち回って自ら利益を得て得をするのに対し、自らが臆することなく屈せず立ち続けることによって必ずや得るものがあるだろう。
たとえば世の中が乱れて正しい事がなかなか通らないのだとしても、回避や妥協なしに率直堂々として不屈でありさえすれば、意欲が沸いて自他共に物事を成り立たせることができる。

必ずしも独り善がりにならず、批判的になったりせず、繊細だとか複雑だとか持って廻ったものにはせず、抽象的且つ象徴的な表現を避けるとか、認識の齟齬が生じうる言い回しは避けるとか、そのように婉曲迂遠なしにできるのかできないのかは、挑戦し甲斐のある意欲を湧き起こす自分次第。

 

 

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12月:もう気沢山な冬の恋文「創作工房」

 

 

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「 自分を整える 」自然体づくり
” リラクセーション( relaxation )” に伴う
〜 大自然からの提案 〜

 

 

 

 

人は勇みがちな肌の気風を持っていて、互いに気の敵であるが人間にとって人間ほど有益なものはないだろう。
なのに人は何で敵愾心(てきがいしん)みたいなものを抱くのだろうか?
人は雰囲気として毒気をもっているが、人間にとって人間ほど無害なものはないはずだ。
ある特定の集まる人々に共通に見られる気質である気風という性質。
その人なりに備わっている心の気持ちの傾向である気立という性質。
生まれつきもっている性格である気立てという気性もあれば、人には ” 気肌めいたもの ” があるらしく、自らの心の持ち方である気立ての気肌としてその肌は気質や気性そのもので、人は肌が合わないのなら気が合わないのだろう。
心持ち気のせいで敏感肌が気になるのであれば ” 気にし過ぎ ” であり一度見直してみるほうがいい。

ややもすると人は気に掛け気にし過ぎて気が回り気が利き過ぎて気が張り、人に気を遣い過ぎ物事に気を配り過ぎるが、得てして人の気を削ぎ物事への気を挫き、全ては気が詰まることにもなりかねない。
様々に事細かく注意を払って問題にするもの全て悉く配慮すればするほど人の気力を無くさせ、物事への意気込みを失わさせ、気遣いして気を砕き、心気を砕けば砕くほどに全ては気落ちし意気消沈するだろう。
気は不可視であっても流動的に運動し作用を起こすのであり、気を揉めば少なからず発展性は望めず向上性は低下してゆき、人の力や技術などが以前より低くなりつつ物事が後戻りするリスクが付き纏い、気が無いわけではないので気が滅入ること間違いなしだが、あわや気を失うことにでもなれば元も子もないだろうに。
実際にはそうで無いのに自らの心の状態が原因でそのように感じられる ” 気の所為(せい) ” による思い過ぎで何かを行おうとする意気込みを弱めて気持ちの昂ぶりが萎えるようになるまで気を尽くし気勢を殺ぐよりも、もっぱら ” 気を添え気を注ぐ ” ことの方がはるかに将来発展していく可能性があり向上の見込みが往々にしてある。

気随気儘の振る舞いも無謀な勝ち気としてクセものだが、そうはいっても気兼ねはイケてないし、もちろん気が多くて心定まらず何にでも手を出しては変わり気の早いのもいただけない。
よしんば気が済む最上や最高までもは望まんとしても、退歩のリスクが潜む気の流れを避けて通りたいのであれば、” 気が乗る ” だけで物事が次第により良い方や望ましい方へ進んでゆき、気を持たせるるだけで優れた状態に向かい多かれ少なかれ気が置けないものへと進歩するに違いない。
気はもっと大事に遣うことであり、 とっても気が合う大切な気の遣い処を探して遣うがいい。
もっとも自己満足の酔生無死に至りたくはないのならば、恋い焦がれて気を配ることなく、あれこれと心が移しやすくて ” 気が多い ” 恋は実現するように「気を謀る(はかる)」ことだ。

 

 

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11月:稲穂「音楽教室」

 

 

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先日、お隣の山の方へドライブをしに行きました。
秋は実りの時期!と言いますが、
美しい稲穂の実りがあちらこちらに見え、思わず車を停めました。
緑の中、こうべを垂れている稲穂に陽の光が当たりキラキラ輝いています。
どこまでもどこまでも同じ高さの稲穂。
なんと美しいのでしょう。
私たちは美しい景色を見ると深いため息をつきますが、
不思議と稲穂の景色は深呼吸をさせてくれます。

以前、大型倉庫スーパーに行った時のことです。
何故かチュンチュンとスズメの鳴き声がします。
ん?どこで?とキョロキョロしましたら・・・
お米売り場ではないですか(笑!
数羽のスズメがこぼれているお米をついばんでいました。
どうしてわかるのでしょうね・・・不思議です。

 

 

俵はごろごろ

作詞:野口雨情
作曲:本居長世

 

俵はごろごろ
お蔵にどっさりこ
お米はざっくりこ
ちゅうちゅう鼠はにっこりこ
お星さまぴっかりこ
夜のお空にぴっかりこ

 

 

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11月:振る舞い「森の茶屋・菅家亭」

 

 

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よしんば ” 活 ” の広がる溢れに追い込まれて流されるのだったとしても、専ら身振り巧みなる手品師に惑わされ人は得てして本物(真物)を見失いがちだが、そのどちらか人の驕りの血迷ったバカさ加減を露呈しようというのか、欲をかいて紐などを結んで目印にした習慣のその解けない結び目をどうやって解いてみせようかと苦心などまでしてもどうかと思わないか。

努力と才能のおかげで自らの欲する望ましいものが確実に得られると見込まれることを保証に、その奇跡を謂わば魔法使いと約束して広く守るように定めた決まりを取り決め交わしたのならば、裏事情がカラクリの種明かしなどしてみたところでも、もはや自重しなければ ” 活 ” 対 ” 活 ” の悪循環は断ち切れない。

だがしかし、たとえば食べたい気持ちを抑えられない脳の暴走の止め方を知らないような無謀な気随気儘の振る舞いではないだとしても、あー食べたいと欲望する食べたい気持ちが止まらない衝動を満たすか又は行き過ぎた食欲を止めるのかとは異なり、人のそうあってほしいと理想や希望を抱く気持ちは、それが希望するところであって、必ずそうしなければならないというものでもない。

であるならば、悪循環の ” 活 ” などに追い立てられることなく慎み深く、饒舌に突き動かされる星占いならぬ寡黙なる星読みが自らの転ばぬ先の杖となればいいんじゃぁないかな。
真なる中心を求める作法ならば、とるにたりない下草を周りから刈り込んでゆくのだが、つまらぬとした下草を思い上がって掻き分け真一文字に踏み込み迷うバカはいないだろう。

 

 

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11月:全力人間「創作教室」

 

 

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ためらい尻込み疑い迷って前に進まないよりも、” 惑わず、憂えず、懼れず ” 、決断決心して前に進むなら本気で思う存分がいい。
遅疑逡巡として、強行の無謀はいけない。
敢為邁往として、困難や支障を押し切って屈せずに最後まで成し遂げることだ。
思い上がりや勘違いで知者・仁者・勇者などと格好を付けずに ” 自分はできる ” といった可能力性を心機に顕在化することは力能によって可能である。
もともと有って無いようなものである潜在性なのだが、そもそも見込まれる可能性ならば ” 決めに行かない ” ことを意味することになってしまう。

不安と先行きの一点に気がかりな心配の思いを心に集中させれば唯一筋に執着が起きて不自由になる。
思い立つ発心は自らの心を説き伏せることで、心外無別法の心機づく心は心を立起させる。
自らをかけた慎みと潔さの妥協せぬ勇気の責任と謙虚さにある心の怯み動揺のない攻め強さと心の誤り不覚のない注意深さの発心こそが、未来効果を眼界展望する力能の発現である。
自らの心の有り様は一転語 ” どうであるかは自分次第 ” として、死にもの狂いの躍り狂いよりも、 自らがもっている限りの ” 有りったけの力 ” といったことへの気づき洞察は、はるかに未来を豊かに孕み展望に富んでいるといえる。

 

 

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10月:赤とんぼ「音楽教室」

 

 

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何を見ても歌が出てくる季節、秋となりました。
これから数ヶ月、たっぷりと秋の歌にひたりたいですわね~
もみじを楽しむには少々早いので、
どんぐり、月、うさぎ・・・
童謡が情景を可愛らしく表現してくれます。
そして頭の中には子どもたちの歌声が聞こえてきます~

日光はお水が綺麗だと言うことから、様々なトンボが本当に多いです。
秋の太陽を浴びてキラキラと羽を輝かせ、
秋の夕陽をうけて更に赤くなる”赤とんぼ”。
日本歌曲の代表とも言える「赤とんぼ」は多くの方々が好んで歌われる曲であります。
しかしこの曲は非常に難しい曲です。
山田耕筰先生は美しい曲をたくさん作曲なさっていますが、
なんとまぁ、歌い手泣かせの作曲家でいらっしゃるのでしょう(苦笑。
テクニックと情感を組み合わせなければ歌えない作曲家、と思います。

皆さま、ご自分のために歌われる一曲!
この秋に見つけて、ご一緒にお稽古いたしましょう!!

 

 

赤とんぼ

作詞:三木 露風
作曲:山田 耕筰

 

夕やけ小やけの 赤とんぼ
負はれて見たのは いつの日か

山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだ はまぼろしか

十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた

夕やけ小やけの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先

 

 

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10月:酔い醒まし「森の茶屋・菅家亭」

 

 

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木にとって最も大切なものは何か?
それは実だ!と物食いたげに誰もが考えるだろう 。
だがしかし、現実には種なのだ。

秋らしきは、春過ぎし夏の後、春待つ冬の前。
晴る(はる)三春と晴明(あきらか)な三秋の春秋に富む春秋の争いを捩れば、物食うだけでなく発る(はる)種を植えざれば飽き(あき)満つ(実つ)に実らず、ぼんやりと無自覚に元になることを何もしなければ虚しきかな酔生夢死として必ずや良い成果は得られない。

季節に関わらず飽き満ちる実りの収穫(秋)、一葉落ちて自らの天下の秋を知るだろうか?  
わずかな前兆を見て後に起きることを予知しても、もう ” 後の祭(あとのまつり)” 。
傍にいる秋に寄り添い揺れ動き、自らに気づきを付け加え、生きている意味を自覚してみよう。

四季の海終日(ひねもす)のたりのたりかな、一年中手に入り手にしてやっている取るに足りない物事につけ穏やかな波が寄せては返えされる自らの天下は、わざわざ取り立てて殊更に言うほどでもないことだらけ。
それでも、当たり前のことだとしている飽き満つ物事の中での ” 気づき ” さえあれば、発る(春)を待たずして植えることもできるだろう。

 

 

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